翌朝。
沖縄は暑い、それはもう目覚めた瞬間に汗まみれである事を自覚し、シャワーを浴びようと決意する位には暑い。朝からシャワーで眠気と汗を洗い流し、そのまま大谷と杉田を連れて朝食を摂った。
根っからの民間人である自分達と違って、軍学校の生徒は酷く早起きであるらしい。三人で食堂に向かった時は既に人の姿は殆ど無く、三人で静かな食事を終えた。宿舎での点呼などは免除されており、周囲の生徒曰く機甲兵科は緩い部類であるという。昨日の訓練を経験して緩いとは何とも愚痴の一つ二つ零したくなる事実だが、実際朝からランニングを強いられている陸兵を見ると確かにとも思う。一応ベッドメイク含めた部屋の整理整頓は抜き打ちで教官が見に来るため気は抜けない、それでも他の科と比べれば雲泥の差である事は事実だ。
朝食後はHRまで少しの間校内を見て回る事にした。大谷と杉田は筋肉痛が酷いという事で早めに教室に行くらしい。紬は昨日の迷子を反省し、予め教務課にて校内見取り図を入手。それを手にぐるっと学校を見て回った。
「ん?」
そして各学科の位置やシミュレーター室など機甲兵科に関わりある訓練室の場所を把握しつつ歩いていると、廊下の向こう側から見覚えのある人物が歩いて来る。昨日友人兼クラスメイトとなった伊藤恋だ。
「伊藤?」
「……おはようございます」
黒く長い髪に眠たげな目元、自分と同じ科のエンブレムが肩に装着してある。紬が声を上げると、小さく手を挙げて挨拶する恋。まさかこんな場所で逢うとは思っておらず、思わず問いかける。
「こんな朝早くに何をしているんだ?」
「多分、藤堂さんと同じです」
「嘘っ、ムキムキマッチョウォッチング?」
「……訂正します、同じではありませんでした」
冗談だからそんな蔑むような眼で見ないで欲しい、残念ながらエムの気質は持っていないのだ。「ウソうそ、迷わない様に学校見て回ってるんだ」と手元の地図を見せると、彼女も小さく息を吐いて頷き「私もです」なんて口にする。
「私、方向音痴なので、早めに慣れないと遅刻とかしてしまいそうですから」
「予習って事か、流石……あと、俺の事は紬で良いよ」
「――では、私の事は恋と」
改めて宜しく、と握手を交わす。外見は大人しそうだが話してみると存外普通だ、引っ込み思案かと思ったがそうでもない。大体の場所は既に回ったという事で、二人一緒に教室へ登校する事になった。余り遅くなると教官に何か言われそうだ。
「紬さん、足、大丈夫ですか」
「ん、あぁ、ごめん、ちょっと筋肉痛」
歩き方が少しぎこちなかったのか、恋は紬にそんな言葉を掛ける。実際昨日の訓練のせいで太腿から脹脛に掛けて絶妙な痛みを発している、正直に言うと結構辛い。対して恋は然程表情も変えず、淡々と歩いていた。
「恋ちゃんは全然大丈夫そうだ……もしかして、凄く鍛えていたり?」
「痩せ我慢しているだけです、というか恋ちゃんって私の事ですか」
「うん」
笑みを浮かべたまま頷くと恋は微妙に嫌そうな顔をする。恋ちゃんは嫌なのか、良いじゃないか恋ちゃん。
「…紬さんがそう呼びたいなら、別に構いませんが」
「おぉ、話が分かる」
「呼び方位、別に何でも構いませんよ」
その言葉を聞いて恋たんとかでも許されるのだろうか、そんな思考がふと頭を過ったが口に出す事は無かった。 流石にこんな名前で呼んだら怒られる、絶対怒られる。藤堂紬は良識ある男なのだ、自称ではあるが。
「でもそんな状態で今日の訓練は大丈夫なんですか?」
「んー……腕立てとか腹筋とか、単純な筋トレとかならまぁ、連日マラソンだったら即死」
「そうですか……でも今日は操縦訓練もありますし、余り無茶な訓練はしないんじゃ」
「あの教官がそんな手心を加えてくれると思う?」
「……思いません」
ですよね、と紬は格好を崩す。
あの教官は後半シミュレーター訓練だろうが何だろうが、やる事をきちっとこなすタイプの人間だ。希望的観測による楽観視は死を招く、いや冗談ではなく。死因が筋肉痛とか笑うに笑えない、高校の友人がそうなったら爆笑してから泣いてやるが自分がそうなるのは嫌だ。
「そう言えば、恋ちゃんって風香と同じ出身なんだろう?」
「はい、小さい頃から一緒です」
「へぇ、幼馴染って奴か」
「どちらかと言えば腐れ縁です」
「どっちでも同じさ、俺も可愛い幼馴染が居ればなぁ……」
「隣の芝が青く見えているだけですよ、親しいからこそ見える部分もあります」
そういうものかと紬は呟く、しかし実際問題幼馴染に可愛い女の子が一人居れば人生に彩りが出ると思うのだけれど。しかし現に持っている人物からすれば、そうでもないのだろう。故に隣の芝が青く見えているだけ、そう言うのだ。
「徴兵令状が来た時は、それはもう酷い泣き様でした、ずっと一緒だったのに突然離れ離れになるなんて嫌だって言って片時も離れなくて、実際は同じ徴兵令状が私の元に届いたんですけれど、一日差があって、あの日はずっと忘れません、トイレにまで付いて来ようとしたんですから」
どこかおどけた様に、そう言って笑う恋。どうやら風香は大層恋の事を大切に思っているらしい、そんな話を風香の居ない場所でして良いのかと思う反面、仲間だと思われているのだと感じ嬉しくなる。
「へぇ、風香がねぇ……見た目からすると、恋ちゃんの方がそういう事をしそうだ」
「私も風香の事は大切に思っていますが、離れるのが嫌で泣き喚いたりはしません、勿論泣いて喚いて事が好転するなら幾らでも泣き喚きますけれど、そうはなりませんよね?」
「リアリストだ」
「無駄が嫌いなだけです」
そういうところは外見通り。言葉を呑み込んで紬は肩を竦める、大人しそうな外見と裏腹にどこかドライな面を持っている。優しさという面ではある意味風香の方が勝っているかもしれない、もしくは温かみと言い換えるべきか。
「紬さんも、親しい友達を地元に残して来たんですよね」
「ん? あぁ、まぁ……そうなるのかな」
恋の漏らした言葉に紬は頷く、脳裏に浮かんだのは高校で共に馬鹿をやった何人もの友人達。元々学校の少ない田舎町だ、その殆どが小学校からの持ち上がりで顔馴染みである。
彼等は自分の帰りを待っているのだろうかと考えて、多分それはないと断じる。紬が街を出た理由は適当にでっち上げられた嘘だ。友人たちは土地を、故郷を紬が捨てたと憤慨しているかもしれない。徴兵に関する一切の情報は漏らさない様に厳命されているし、携帯電話もこの国防軍学校に入校する際に取り上げられている。だから嘗ての友人に弁明する術を紬は持ち合わせていない。
「誰か自分を待っていてくれる友人が居ると言うのは素敵な事です、私には帰りを待っていてくれるような友人は居ませんから……」
どこか寂しそうに告げて自嘲気味に口元を緩ませる恋。風香の様に、という部分がやけに強調されて聞こえたのは幻聴だろうか。紬は頬を掻き、「友達、地元には余り居ないの?」と問いかけた。
「こうして話している限り、どうにも友人は多そうだけど」
「それは私を深く知らないからですよ、知ればきっと離れていきます、皆そうでした」
「ふぅん……何か秘密でもあるの?」
「それを私が言ったら、秘密じゃなくなってしまいますよ」
「あぁ、そりゃそうだ」
見る限り、接する限り、彼女から人が離れる理由が分からない。ドライな一面を持っているから? いや、そんなものは誰だって内に大なり小なり持ち合わせているものだ。それだけを理由に離れるならば、それこそ離れた人間に問題があると言える。
「そんなに気にしなくても、どうせその内分かります」
「意味深だなぁ……」
「ミステリアスな女性は気になりませんか?」
「自分で言ったら駄目だろ」
自称ミステリアスなクラスメイト、彼女が何を抱えているのかは分からない。どうにもこの小さな頭では予測を立てる事すら難しい、それにある事無い事考えるのは恋に失礼だと思った。
「ん?」
そんな事を思いながら歩いていると、丁度教室のある二階端教室の近くに見覚えのある姿が。その人影は紬を見つけるや否や満面の笑みを浮かべて手を振る。機甲兵科教室の近くだからクラスメイトかと思えば、そうではない。
「……鏑木さん」
紬は僅かな驚きの色を含んだ声を零した。
「知り合いですか」
「あぁ、うん、一応」
紬の煮え切らない回答に首を傾げながら、「なら先に教室に行っています、ごゆっくり」と口にして早足で教室の中に入ってしまう。置いて行かれた紬は内心で何故此処に彼女が居るのか疑問に思いながら彼女に近付く。
「おはよう紬、良い朝ね」
「えっと、おはようございます鏑木さん、けど、どうしてこんなところに? 機甲兵科ではないですよ……ね?」
「名前で良いって言っているのに……まぁ良いわ、今日は紬の顔を見に来ただけよ」
「はっ? 俺の……顔?」
予想外の答えに紬は面食らう。しかし杏璃は欠片も冗談を言っている表情では無く、まるで当然の事のように告げた。
「えぇ、何か変?」
「いや、変っていうか……」
何故態々そんな事を。
そんな言葉を呑み込んで、紬は何も言えなくなる。ここまでストレートに物を言う人と出会った事が一度も無かったから、どういう態度を取れば良いのか分からなかった。それが好意なら尚更だろう。
「私紬の顔、好きよ、一日一回は必ず見たいわ、その気になれば何時間でも眺めていられるもの」
「は、はぁ……」
何というか物好きな人だ、というか本当に彼女の好意の出所が分からなくて混乱する。物事には理由がある筈だ、なら彼女にこんな感情を向けられるだけの理由が紬にあると思うのだが。残念な事に彼女と過去逢った記憶も、関わった自覚も無い。
「………………」
「あの」
じっと此方を見つめてニコニコと屈託なく笑う杏璃に対し、紬は居心地悪そうに体を揺らす。どうやら本当に顔を見に来ただけらしい、何がしたいのか全く分からない。異性にじっと見つめられるという経験が無かった紬は、視線を逸らす事で何とか羞恥の感情を抑えた。
「そういえば、さっきの子」
「え」
「一緒に歩いていた、大人しそうな」
じっと此方に顔を向けたまま、そんな事を問いかける杏璃。一瞬誰の事を言っているのか分からなくて、しかし数秒して先程教室に入って行った恋の事を思い出した。
「あぁ……恋ちゃんですか?」
「恋ちゃん?」
不意に名前を呟くと、ピクリと杏璃が眉を動かす。その表情が一瞬冷たく歪んだ事に紬は気付かなかった。
「どういう関係?」
「クラスメイトですよ、昨日同じ機甲兵科配属になって、多分戦場に送られたら一緒に戦う仲間です」
「ふぅん……そうなんだ」
「えぇ」
何故だろう、目の前の彼女が一気に機嫌を損ねた気がする。笑顔だった表情は何とも言えない能面の様なものに早変わり、誰が見ても不機嫌そうだと分かる。何故だと紬が考えれば、前後の会話からして恋と一緒に歩いていたからだろう。
「何です、嫉妬でもしているんですか?」
「えぇ、それはもう腸が煮えくり返る位には」
ちょっとした冗談とからかいを込めて笑いながらそう言うと、眉間に皴を寄せた杏璃がマジトーンで淡々と告げた。流石に本気で返されるとは思っておらず、同時に杏璃の言葉に薄ら寒いものを感じた紬は思わず喉を引き攣らせる。
「あんな親しそうに話していたら私も怒るわ、余り私の目の前でいちゃつかないで」
「えぇ……いや、いちゃついているつもりは全く――」
「恋人みたいに近い距離で並んで歩くなんて、下手をすれば浮気よ紬?」
「浮気……」
どういう事なのだろうか。
良く分からないが恋と一緒に歩いていると浮気になるらしい、そもそも浮気と言うのは特定の異性と付き合った状態で他の異性とイチャコラする事であって。自分はいつの間に目の前の女性と付き合う事になったのか。
「他の女に言い寄らなくても、私に言ってくれれば何でもしてあげるのに」
「えっ、本当ですか、じゃあキスさせて下さい」
ぼそりと呟かれた爆弾発言、そこで赤面して妄想に走る程青春を捨てていない紬。即座に下衆な発言をし杏璃に詰め寄る。
二度目の正直、ここまでブッ込んだ提案をすれば流石の彼女も一歩退くだろう。そう考えての言葉は逆に杏璃の瞳を輝かせ満面の笑みを浮かばせる結果となった。
「あら! ――ふふふっ、紬からそんな事を言ってくれるなんて……とっても幸せだわ、さぁ紬、少し早いけれど此処で誓いのキスを……」
「!?」
とても良い笑顔を浮かべた杏璃が瞬間移動とも言える速度で紬に肉薄し、その両肩をがっちりと掴む。突然の事に目を白黒させた紬は、紅潮した頬を隠さずに目を閉じた杏璃を見て一気に血が上った。
「ちょ、まっ、何本気でキスしようとしているんですか!」
「? 何を言っているの、紬がキスさせて欲しいって言ったのよ?」
「冗談、冗談です! ジョークですよ! 鏑木さんをからかっただけです!」
「あら、そうなの? 残念……じゃあこれはお仕置きのキスね」
「結局同じッ」
万力の様な力で掴まれた紬は逃げ出す事が出来ない、というかこの細腕に一体どれほどの筋繊維が詰まっているのか。白くか弱い腕だ、しかし紬の腕力を遥かに凌駕している。
「ちょっ、まッ――」
「何をしているのですか?」
迫る唇、甘い吐息。もう少しで互いの唇が触れあうと言う直前、背後から鋭い声が飛んできた。思わず顔を逸らして声の方を見れば、呆れた表情を浮かべた静流教官が立っている。
「し、静流先生ッ……!」
「教官と呼びなさい藤堂生徒、それで……何をしているのですか、鏑木杏璃三等騎尉?」
「……残念」
紬との接吻を第三者に見られた杏璃は、酷く不満そうな表情をして一歩紬から離れる。肩を掴んでいた手は解かれ、圧力が消え去った瞬間に慌てて紬も数歩後ずさった。そんなやり取りを見ていた静流は額に指を当てながら溜息を吐き出す。
「鏑木、貴女は機甲兵科の生徒ではないでしょう、今すぐガレージに戻りなさい」
「――まだ実機訓練は先よ? 別に良いじゃない、ある程度は三十人委員会で許可されているのだから、最初の内位好きにさせて」
「……メメント・モリの決定は知っていますが、だからと言って全ての行動が許される訳ではありません」
「……相変わらず堅物」
「軍人とは元来そういうものです」
吐き捨てる様に杏璃がそう言えば、鋭い眼光で静流が彼女を睨みつける。杏璃は露骨に大きな溜息を吐き出すと、「仕方ないわね」と肩を竦め背を見せた。それから肩越しに紬を見ると、「またね紬」と笑顔で告げる。
そのまま軽い足取りで廊下を駆け、角に消える彼女を呆然と見送る紬。
「……藤堂」
「っ、はい」
呆けていると背後から肩に手を置かれ、静流のしかめっ面が視界に入った。その視線は杏璃に向けたものと同じで刃物の様に鋭い。そんな視線で射抜かれた紬は背筋が凍り、思わず直立不動となる。
「入校早々に不純異性交遊とは、良い度胸ですね――余程肝の据わった傑物か、或は単純な馬鹿か」
「い、いえッ、自分はその、そんなつもりは……!」
まずい、誤解された。
そんな事を思った紬は幾つもの言い訳を頭の中に思い浮かべたモノの、どれも口から紡がれる事は無かった。静流の威圧は凄まじいの一言、ましてやこんな至近距離で睨まれたら口がカラカラになって何も言えなくなってしまう。
緊張から顔面蒼白になった紬を見た静流は、数秒程鋭い視線を送り続けた後、小さく息を吐き出して視線を和らげた。
「まぁ……大体の事は予想できます、大方一方的に絡まれて意図しない内に『あぁ』なったのでしょう?」
「え、あ、えっと、そうです、その通りです」
鋭い視線から一転、どこか肩を持つ言葉。垂らされた希望の糸に全力で頷く紬、どうやら静流教官は一部始終を見ていたらしいと内心で安堵する。
紬の背を二度軽く叩いた静流は教室の扉の前に立ち、「今回の件は見なかった事にします」と肩を竦めた。
「――けれど、彼女には十二分に注意しなさい」
「は……?」
見なかった事にするという言葉に安堵、脱力した紬は続く言葉に疑問符を浮かべる。注意しろとは一体どういう事なのか、鏑木杏璃は同じ国防軍学校の人間だろうに。
「私から言えるのは、それだけです」
この件は終わりだと言わんばかりに、それだけ口にして教室の扉を開く静流。早く席に着かないと遅刻扱いにされてしまう、紬は慌てて静流の背に続く。しかしその胸には静流の言葉が渦巻いていた。
そして、脳裏を掠めるもう一つの疑問。
鏑木杏璃三等騎尉――静流は確かに杏璃をそう呼んだ。
国防軍は機甲兵のパイロットを『騎兵』と呼ぶ。
そしてパイロット候補生が正規兵に昇格した際に与えられる階級は三等騎尉。
そこから分かる事は、彼女が同じ機甲兵科の人間であるという事――しかし、このクラスに鏑木杏璃という女性は存在しない。つまり彼女は正規兵という事になる。
此処は軍学校だ、正規兵は漏れなく戦場に送られる筈である。訓練を終えたパイロットを遊ばせる余裕は国防軍に存在しない。もしそんな余裕があるのならば、そもそも学徒招集など行われていない。
軍学校には教官以外の正規パイロットは存在しない、例外は無い筈だ。
「鏑木さん……」
疑問の雫は、僅かな波を紬の胸に齎した。
どれだけ時間が掛かっても、私は小説をサイトに投げ込む……!
投稿されなかった日はネットが駄目になったと思って下さい。
一応120000字までは書いてあるので1,2日に1話は投稿したいです。取り敢えずどこまで投稿できるかは分かりませんが頑張ります。