次の一歩を今ここから 完
遺跡から脱出し、無事に従者の試練を乗り越えたスレイ達は、迎えにやってきたロゼと共にペンドラゴの程近くで野宿することにした。
ローランスの首都、皇都ペンドラゴまでは目と鼻の先だが、枢機卿の存在を考えると宿を取るのは危険過ぎる、満場一致でそう結論が出た。彼女はスレイが導師であることを知っている。敵わないとわかっている敵の膝元に赴くのは余りに危険だし、何よりもペンドラゴは夜間は門が閉まってしまう。袋の鼠になれば如何にミクリオが霊霧の衣を使おうと、脱出する前に力尽きてしまうだろう。アリーシャが預けた馬は明日になってからロゼが自分で引き取りに行くと申し出てくれた。
軽く整地をして焚き火を起こし、その辺りの野草や携帯食を駆使して食事を作る。日が暮れきってしまえば手元が見えない。大急ぎで進めた作業は何とか間に合って、最後の夕陽の欠片が消え去る頃には、食事の器を片手に全員で焚き火を囲むことが出来た。
その食事の席でようやくスレイとアリーシャは此度の試練で起きた一連の出来事、酷く不可解な部分が多く残る様々な事象について、ライラに尋ねる時間を得たのだった。
質問を受けたライラは、暫く逡巡するように言葉を止めた。彼女は大きな緑の瞳を彷徨わせると、覚悟を決めたように小さく一つ頷いて、ゆっくりと話し始めた。
「まずは試練修了、おめでとうございます。アリーシャさん」
ライラの説明は、この言葉から始まった。
通常であればこの試練は従士と導師が共に臨むものであること。変異憑魔の存在は完全なるイレギュラーであり、加えて従士と陪神だけで試練に臨むことは過去に例の無いことであったこと。不確定要素が数多く存在した今回の試練、それを成し遂げたアリーシャは、従士として非常に秀でていると言えること。
何時になく饒舌にそこまで語ったライラは、そこでアリーシャに胸元に仕舞っているものを出してみるように促した。戸惑いながらもその言葉に従ったアリーシャは、鎧の下、服の合わせ目に忍ばせてあった短剣を手探りで取り出し、ライラに差し出す。
「これが、何か…?」
その短剣にスレイは見覚えがあった。アリーシャとスレイが始めて出会ったあの日に、イズチに程近い遺跡でアリーシャが落としていったものだった。
「それ…あの日の…?」
確認するスレイにアリーシャが頷く。
「ああ。スレイ達が届けてくれた、我が家に伝わる家宝の短剣だ。もっとも、スレイの剣と同じく儀礼用だから、武器としては役に立たないけれど」
「失礼しますね」
断わってからライラはアリーシャの短剣を取り上げ、焚き火の炎にかざしながら隅々まで検分し、やがて得心したように頷いた。
「やはり…。これがアリーシャさんの『従士の神器』ですわ」
「従士の神器?従士にも神器があるの?」
「従士の…というと少し語弊があります。元々神器には二つ種類があるのです。一つは私達天族と導師が神依をした際、天族の力を現実で振るうための媒介となるもの、つまり天族のためのもの。もう一つは人間のためのものですわ。私達の武器は前者。そしてスレイさんの手袋や、アリーシャさんの短剣が後者です」
「ってことはあたしにもあるわけ?」
はいはーい、と片手を上げながら訊いたのはロゼだ。彼女とて決して無関係では無いから質問自体は真っ当なのだが、如何せん口に干し肉を銜えたままなのでどうにも緊張感は欠いていた。
「ええ。私が契約しているわけでは無いのではっきりとはわかりかねますが…。恐らくはその髪飾りかと…」
そうなの?とロゼが傍らのデゼルを見やると、彼は鬱陶しそうにしながらも頷いた。
ふんふん、とロゼは実に軽い調子で頷くが、スレイには到底彼女の真似は出来そうにも無い。すっかり食べる気を失くした食事を地面に置いて、スレイは己の右手に目を落とす。
天族と神依するためには、力を振るうための媒介が必要。その説明は以前ミクリオと仲違いした際にライラから聞いた。だからスレイは神器とは天族と神依した時の武器のことだと了解していたのだが、どうも今のライラの口ぶりだとそれだけでは無いらしい。
「オレの手袋が…神器?人間用の…?」
金色で形作られたその紋様は、焚き火の炎を弾いてまるで不思議な光を放っているかのようにも見えたが、実際には光ってなどいない。何の変哲も無いただの手袋である。
呆然とするスレイを前に、ライラもどこか戸惑ったようにスレイの手袋に視線を投げながら頷いた。
「間違いありませんわ。スレイさんがいくら私達と感応する能力が高いとはいえ、何の媒介も無しにいきなり神依するのは不可能です。人間の神器は私達天族と人間の間にある力の繋がり…私達は縁えんと呼んでいるんですが、それを構築するためのものなんです。見る、聞くだけの状態から、神依が可能になるように。…私と出会う前から着けていらっしゃったので、てっきり知ってらっしゃるものと思っていましたわ」
「まさか。スレイのそれはアリーシャと出会ったその日に、たまたま遺跡で見つけたんだ。導師の紋が入っているからただの装備品じゃないとは思ってたけど、まさかそんな特別なものだったなんて」
ミクリオの言葉に、スレイはあの日の記憶を呼び起こす。
長年の探索を経てようやく辿り着いた遺跡の深部。天遺見聞録の記述に憧れて、幼い頃から追い続けていた導師の痕跡、その一端に触れたのだと思うとどうしようもなく嬉しかった。
――― 一体いつから運命の歯車は回り始めていたのだろう。
あと一日、壁画を見つけるのが遅ければ。或いはアリーシャが来るのが一日早ければ。少しでもタイミングがずれていたならば、スレイが神器を得ることはなかった。聖剣祭でライラが目覚めることも無く、スレイは導師の資格を得ないままにただ見聞を広げるためだけの旅をして、その旅路のどこかで人としての生を終えただろう。
アリーシャを助ける力も持たず、ただ己の無力を噛み締めたまま、一人で足掻く彼女にに背を向けて。
それを思うと天に感謝したい気分にもなるが、同時にそら恐ろしくもなる。
一体いつから、自分の運命は決まっていたのだろう。それが何か知らないままに神器を手にし、その責任の重さを知らないままに聖剣を抜いた。きっと知っていたとて同じ道を選んだだろうとも思う反面、知っていたならばあそこまで思い切り良く決められただろうかと疑問に思う自分もいる。
そう、決めたのは自分。誰に強制されたわけでもなく、それはスレイの意思だった。
疑いようもない。そうわかっているのに怖くなる。
「…スレイ?」
「どうかしたのか?」
左手でぎゅっと手袋をはめた右手を握りしめる。関節が浮くほど力の籠ったその手に気づいたアリーシャとミクリオが怪訝そうに声をかけてきたが、彼らに己の胸の内を伝えるには、スレイの抱いた不安は漠然とした形の無いものでありすぎた。
「…大丈夫、何でもないよ」
大丈夫だ。不安なことなど何もない。自分にはミクリオもいればアリーシャもいる。頼もしい仲間達がいる。導師の旅路がどんなに困難であるとしても、きっと乗り越えられる。
不安に揺れる心を仲間に見せてはならない。ただ仲間に力を借りることしか出来ない自分は、その意思で以てのみ彼らに応えられるのだから。
怪訝そうな顔をする二人に笑顔を向けて、スレイは己の心に浮かんだ暗い予感を、再び心の奥底に押し込んだ。
「それでは、肝心の試練で得た力のことですが…。まず了解しておいて頂きたいのは、何故導師に従士が必要なのか、ということです」
再び話を切り出したライラは、アリーシャに短剣を返しながらそう言った。
「何故って…?」
「導師は天族の力を振るう者。戦場でもご覧になった通り、その力は絶大です。普通の人間の助力は、通常であれば必要ありませんわ」
「それはそうかもしれないが。でも、僕等に出来ないことだって色々あるだろう?現にスレイが倒れた時だって、僕等じゃ助けも呼びに行けなかった」
「それは勿論ですわ。日常生活においての助力、精神面においての支え。そういう意味でも従士の意義は大きい。でも、今私が言っているのは、飽くまで導師の役目を果たすために必要な、端的に言えば穢れを祓うために必要な力についてです」
「穢れを祓うために…?」
「ええ」
呆然と呟いたアリーシャの言葉にライラは頷く。
浄化の力は天族だけのもの。それも、力ある上位天族が更に誓約を立てて己の力を増幅した場合にのみ得られるものだ。少なくともアリーシャもスレイもそのように了解していて、だから従士が浄化の助けになるとは思ってもいなかった。単純に戦闘での助力と捉えるならば、アリーシャは最初から決して無力では無かった。彼女が努力で以て研鑽し続けた武術の腕は、確かにスレイを助けてくれた。
しかし、ライラが言っているのは、恐らくそういう意味では無い。
「僕にはわかない」
「私も、さっぱりだ。ミクリオの力を借りて何とか穢れを祓う力を得ることは出来たが、とてもスレイと肩を並べられるものでは無いし。足を引っ張らなくなった、という印象しか無い」
首を振ったミクリオの隣で、そう言いながらアリーシャが表情を曇らせる。浄化という導師に最も重要な役目に手を貸せるようになったは良いが、アリーシャのそれはまだまだ効力が限定的なのは事実。彼女がそれを歯痒く思う気持ちはわからなくはないが、そもそもスレイの反動が無くなったことが既に大進歩なのだ。焦る必要は無い筈だった。
「アリ…」
「いちいち卑屈ね。そういうの、気分悪いからやめてくれない?ワタシ達は変異憑魔に勝った。その事実があれば十分でしょ」
そんなことは無いのだと、そう言おうとしたスレイの言葉は、エドナの棘のある声にあっさりと潰される。手厳しい物言いいきり立ったのはミクリオだ。
「エドナ!!」
「本当のことでしょ?一朝一夕で全て身に着いたら苦労はしないわ。出来ないことばっかりあげつらって、暗い顔されても迷惑よ」
「しかし、そんな言い方は無いだろう!」
「何?ミボの癖にワタシに意見するわけ?大体、誰かさんが絶対に連れて帰って来る、とか息巻いてたのに全然帰ってこないから、病み上がりのスレイまで担ぎ出す羽目になったのよ。寧ろあんたが反省しなさい」
「ぐっ!!」
「ま、まあまあ。ミクリオがアリーシャと一緒に居てくれたおかげで、今回の試練も無事に乗り越えられた面もあったんだし…。そうだよね?ライラ」
エドナの舌鋒に叩き伏せられたミクリオは言葉も出ない。スレイだってミクリオ達が勝手に試練に臨んだこと自体には一言も二言もあるのだが、こうなってしまえばフォローに回らざるを得なかった。何とか話題を元に戻したくてライラに話を振れば、察したのだろうライラが苦笑しながら話を継いでくれる。
「ええ、そうですわ。アリーシャさんが従士の試練を乗り越えることが出来たのは、まさしくミクリオさんのお陰です。何故なら従士の試練で従士に求められるのは、従士が真に天族の存在を受け入れられるようにすること、その一点に尽きるのですから」
「天族の存在を…?しかしザビーダ様が仰るには私はもう天族の存在を知っているから、特に見るのに能力は必要無いのだと…」
言いながらアリーシャは困惑したように、隅で遺跡の遺構に背中を預けているザビーダに視線を投げる。彼は黙ったまま一瞬アリーシャの方を見たものの、興味無さげにまた明後日の方角を向いてしまった。聞いている様子はあるものの、どうやら彼はこの話題に関しては口を挟む気は無いらしい。関係無い雑談の時は嘴を突っ込んでくるくせに、つくづく何を考えているかわからない男だ。
そのザビーダにほんの少し咎めるような視線を投げて、ライラはすぐに話を戻す。ライラは出会ってからこっち、ずっとザビーダに対して警戒心を持ち続けている。試練を終えた今もそれは変わりないところを見ると、どうやらライラとザビーダの過去には、スレイに言えない何らかの確執があるのは確実なようだった。
「ザビーダさんが嘘をついていた訳ではありません。そもそも、天族の存在を真に受け入れていない人間が私達の存在を知っている、この状況こそが既に異常なのです。私達は神ではありません。勿論、「加護」は人間が天族を信仰することで成り立っているシステムではありますが、それは導師が現れるまでの一時的な代替手段に過ぎません。穢れを寄せ付けないようには出来ますが、憑魔化してしまった者を元に戻す浄化は出来ない。不完全な物です。私達の力を完全に引き出すには、私達のことを神として崇めるのではなく、同じ大地に立つ友として受け入れる人間――即ち導師が必要なのですわ。そして、従士はその導師の契約によって、天族の姿を視認出来るようになるわけですが…本来私達の存在を正しく認識していない人間ならば、そもそも私達天族を視認することは出来ません。その齟齬を埋めているのは従士の契約の力――つまりは導師の力なのですわ」
「成程ね。本来見えない人間を無理やり見えるようにしてるから、それに力を裂かなくちゃいけない導師に反動が出るってことね」
「その通りですわ。しかし、正しい認識は別に後追いでも良いのです。肉体を持たない我々を、自分と同じ世界に立つ者として認識出来れば、従士も導師と同じく自力で天族を見る力を得ることになります。そうすれば導師反動は無くなり、更に従士は今まで機能していなかった契約の真の力を行使出来る…」
「契約の…力…?」
アリーシャの言葉にライラは頷く。
「ええ。導師が導師たるためには、主神足り得る力を持った天族との契約が必要です。導師と主神の間には契約による縁が結ばれ、更に主神と契約で繋がった陪神の力をも行使出来る。つまり、言い方を変えればミクリオさん達陪神は、私を中継点としてスレイさんに力を提供しているのです。縁で繋がっているのは私とスレイさん、そして私と陪神の間のみで、陪神と導師は直接契約を結んでいるわけではないのですわ。…これがどういう結果を招くか、お分かりになりますか?」
ライラの言葉にスレイは素直に首を振る。
「考えたことも無かったよ。今までミクリオやエドナと神依するのに、特に不都合は無かったし」
「そうでしょうね。でも、今まで感じられなかっただけで、実は私一人で支えられる力にはやはり限界があったのです。何故今まで変異憑魔を浄化出来なかったのか、それが答えですわ。神依をしても一本の縁で伝えられる力には限度があって、だから完全に浄化の力を発揮できなかったのです」
「でも、さっきは…」
言いかけてスレイは先程の情景を思い出す。セルケトを制したライラの炎。彼女はセルケトの浄化が完了したと確かに言った。
問うようにライラを見やったスレイの視線に応えてライラが微笑む。
「ええ。その疑問の答えに繋がるのが、先ほどの問いですわ」
「…何故、従士が導師に必要なのか?」
最初のライラの言葉をなぞるようにアリーシャが繰り返すと、良く出来ました、とばかりにライラが笑みを深くする。
「従士の契約は、従士に個々の天族と一時的に縁を結ぶ力を与えます。神依程の力はありませんが、その力は確かに浄化の助けになってくれます。アリーシャさんも先ほど体験なさったでしょう?」
「え、ええ。確かにミクリオの力を借りているというはっきりした感覚はありましたが…」
「それが「神威」です。従士の能力は神器と契約の力で天族と縁を結んで神威を振るうことと、導師の領域内で浄化の力を振るうこと。そしてその最大の存在意義は…」
一端言葉を切って、アリーシャとスレイ双方に視線を投げながらライラは続ける。
「導師と天族の間を結ぶ「縁」の増設ですわ」
「つまり話を纏めると…」
鞘に納めたままのナイフの先で、ロゼがガリガリと土に線を引く。辛うじて人だとわかる程度の画力で書かれたのは、恐らくスレイとライラ、そしてアリーシャの三人の顔だ。
等分に空けられた三つの顔の間、その内スレイとライラ、アリーシャとスレイの間に矢印が引かれる。
「普段はスレイはライラとしか繋がってないから、神依も全力出せないけど、アリーシャが従士の力を発動している間は…」
ガリ、とロゼはライラとアリーシャの間に線を足す。これで三つの顔を結ぶ線は、空隙の無い円状になる。
「こうってこと?アリーシャと天族の誰かが繋がってるから、スレイにもお零れが行ってるー的な?」
「お、お零れということはありませんけど、大体は合ってますわ。アリーシャさんが天族の誰と縁を結んでも、そもそも私達は全員陪神契約で繋がっているわけですから、アリーシャさんを経由してスレイさんに繋がる縁が一本増えることになるんです。だからスレイさんはこれまで以上に浄化の力を行使出来る、と。勿論、従士契約で導師の浄化の力を得るというアリーシャさんの条件も変わっていませんから、スレイさんの領域が強まれば強まる程、浄化の力は強化されます。契約による縁で結ばれた接点が多い程、力が無駄なく使えるという仕組みですわね」
「なるほどね」
「そういう訳だったんだな」
焚き火の灯りで浮かびがるロゼの個性的なイラストを覗き込みながら、各々が納得したように頷きあう。スレイも遺跡で起こった不思議な現象を思い返しながら、先程のライラの説明を頭の中で反芻した。
関係の変わったミクリオとアリーシャ。そしてその二人を見て態度を変えたライラ。軽くなった剣は力の伝達が関係しているのだろう。きっと力の伝達が不十分な状態のスレイにとって、ライラの聖剣は強すぎる神器だったのだ。
「セルケトを浄化出来たのは、アリーシャのお陰だったんだね」
無力どころの話では無い。従士は文字通り、導師の傍らに従って導師を支える存在だったのだ。力の増幅、それ無しに浄化の強化があり得ないのならば、従士を得られない導師は永遠に不完全の浄化の力しか得られない。そんな状態で災禍の顕主を倒そうなどと、きっと夢のまた夢だ。
「ありがとう、アリーシャ」
「そ、そんな!」
たった一言の感謝の言葉。ただそれだけのことに、アリーシャはあからさまに狼狽える。
きっと彼女は今まで努力が報われたことも、誠意を感謝されたことも無かったのだ。たった一人で踏ん張ってきた彼女が、今までどれだけの善意を無碍にされてきたのか、それを思うだけでスレイの心中は穏やかではいられなくなる。
隣に座ったアリーシャに体ごと向き直る。
アリーシャの緑の瞳は向けられた感情をどう受け止めていいかわからずに、おろおろとただ中空を彷徨っていた。どんな憑魔にも怯えず、どんな不当な嘲りを前にしても凛と前を見据える瞳が、ただ一言の感謝でこんなにも揺れる。その事実が胸に刺さった。
―――変えたいと、痛切にそう思った。
「アリーシャはもっと感謝されることに慣れるべきだ。アリーシャがオレのことを思って強くなろうって思ってくれたこと、命をかけてもその思いを果たそうとしてくれたこと。そりゃ、勝手に危険の中に飛び込んだことは許せないけど…でも、アリーシャが思ってくれなかったら、オレは多分この先ずっと変異憑魔を浄化出来ないままだったんだから」
「スレイ…」
「オレは何度でも言うよ。頑張ってくれてありがとう。それから、これから先もオレと一緒に戦って下さいって」
無力などでは無い。不必要などとんでもない。アリーシャはスレイにとって、大切な仲間で大事な友達だ。
「オレの言葉は信用ならない?」
小首を傾げて見せれば、アリーシャは物凄い勢いで首を横に振った。バサバサと髪が顔に当たって痛そうに見える程。
「いいや!!そんな訳は無い!必要としてくれてとても嬉しい。…でも、今回は本当に私の功績などでは無くて。ミクリオが、頑張ってくれたんだ。私は…」
「いいえ」
語尾の萎んでいくアリーシャの言葉を、きっぱりした口調で割って入ったのはライラだった。
「いいえ、確かにアリーシャさんのお陰です。そもそも導師は従士が居て初めて天族の力を十全に発揮でき、従士は導師が居て初めて従士たり得る。どちらかでは駄目なのです。勿論、その辺の弱い憑魔を倒すだけならば、スレイさんだけで十分です。しかしそれより先へ…スレイさんの目指す道のためには、アリーシャさん、あなたは欠かせない存在なのですわ」
ライラは徐に立ち上がり、アリーシャの前に来ると再び膝を折る。まるで跪くようなその仕草にアリーシャが慌てて立ち上がろうとするのを制して、ライラは甲冑を外したアリーシャの細い手を取った。
「申し上げたはずです。アリーシャさん、貴方自身の存在を見誤らないで下さいと。貴方は私達天族の誰にも不可能な役目を負っている。従士の力のことも勿論ですが、それだけではありません。人間だから…人間社会で悲鳴を上げながら必死で前を見てきた貴方だから、支えられる重みがきっとある…」
「ライラ様…」
「『様』は要りませんわ。貴方は私達にとってもう掛け替えの無い仲間、そしてきっと貴方もそう思って下さった筈です。私達は天族と呼ばれてはいるけれど、天上を闊歩する神ではありません。共に同じ道を行く者同士、気軽に名前を呼んで頂けると嬉しいのですけれど」
言ってライラは微笑んだ。含むところの無い優しい笑顔は、きっとライラの言葉が本心から出ていることの現れだろうが、それを素直に受け入れるには、アリーシャは人間社会の常識が身に染み着きすぎていたらしい。ライラの真摯な態度に心揺れた様子ではあったが、なかなか首を縦に振ろうとはしなかった。
「し、しかし、ライラ様達はミクリオと違って私よりもずっと年長の方で…」
同年代と年長者。礼儀作法を厳しく躾けられて育ったアリーシャにとって、その壁決して易々と無視できるようなものでは無い。
ドス、と鈍い音がしたのはその時だった。音の出所はエドナの傘。ライラの言葉と己の常識の間で揺れるアリーシャの迷いを断ち切るかのように地面に突き立てられたそれを、エドナはいかにも苛々した挙動で引き抜いて、ミシミシと不穏な音が立つ程に柄を握りしめながらアリーシャを睨む。
「ほんっとうに苛々させる子ね」
「エドナ、またそういう…」
「ミボは黙ってなさいって言ったでしょう?」
咎めたミクリオを一瞥しただけで黙らせて、エドナはそのまま足音も荒くアリーシャに歩み寄り、ライラを半ば押しのけるようにして仁王立つ。
「良い?ワタシ達天族には一部の例外を除いて年長者に敬語を使う習慣は無い。だからライラもワタシも、道行を共にする人間に過度な礼節を求める気は無い。貴方が本当にワタシ達を尊ぶ気持ちがあるのなら、重要視すべきは貴方の常識?それともワタシ達の意思?どっちかしら?」
「それは…」
「どうしても貴方がワタシ達に敬語を使わなくてはならないという理由があるのだったら別だけれど。貴方のいう『仲間』の意思を無視してまで、我を通す理由が。…どうなの?」
身長差のある二人ではあるが、アリーシャが座っていれば立っているエドナの方が視点は高い。アリーシャを見下ろしながら、エドナはただ彼女の答えを待っていた。
「いや…」
ややあって口を開いたアリーシャがゆっくりとエドナを見上げ、新緑の瞳で真っすぐにエドナを見返した。最早その瞳は揺れない。ほんの少し表情を和ませながら、アリーシャはゆっくりと立ち上がって、凛とした声を響かせた。
「形だけの儀礼に意味は無い…。すまない、エドナ。また私は同じ過ちを繰り返すところだった。こんな私で良かったら、これからもどうかよろしく頼む。エドナ、ライラ」
「…今度様つけたら、罰としてリスリスダンスへにゃへにゃバージョンよ」
「そ、それはどんな踊りだろうか」
「ぶっ」
生真面目に返すアリーシャに、固唾を飲んで状況を見守っていたスレイは、思わずミクリオと顔を見合わせて噴き出した。エドナの傍らに立ったライラも、堪え切れずに肩を震わせている。ロゼだけは興味津々に「リスリスダンス」の披露を待ちわびていたようだったが、誰も踊らないと知るとほんの少しがっかりしたように肩を竦めて、目の前に食事を片付ける作業に取り掛かる。デゼルは疾うに話題に飽きていたのだろう。宿主であるロゼの体の中に引っ込んでしまったらしい。
「あれ…?そういえばザビーダは…?」
先程までは隅で興味無さそうに船を漕いでいた男がいつの間にかいなくなっている。まさかまたどこかにふらっと行ってしまったのだろうか。まだきちんと協力の礼すら言っていないのに。
そう思ってスレイが視線で周囲を探すのと、アリーシャの小さな悲鳴が聞こえたのはほぼ同時。
「ザビーダ!!!」
「俺様のことは呼んでくれないのかい?冷たいねえ、アリーシャちゃん。まあ様付けってのも来るもんあるけどよぉ、そこはやっぱり親しみ込めて呼んで欲しいところじゃないの」
アリーシャの肩に手を回すようにして耳元で囁くザビーダと、引き離そうとするミクリオと。勿論、他の女性衆が彼を見る目は氷よりも冷たい。
「ザビーダ様は、スレイと一緒に行く気は無いので、しょう?この度の助力は感謝いたしますが、ならば尚更、気安く御名前を呼び捨てになど…!!」
「アリーシャ!!こんな奴に真面目に答えなくていい!ザビーダもいい加減アリーシャを離せ!」
ザビーダの腕から逃れようと身を捩りながら、アリーシャはそれでも生真面目に返事を寄越す。どうやらその答えはザビーダのお気に召したようで、彼は浮かべた笑みを更に深くした。とりあえず、自身の腕を離そうと躍起になっているミクリオのことは眼中にも無いらしい。
「なら、オレがスレイと一緒に行けば問題無い、と。丁度風の天族はそっちの嬢ちゃんの家来らしいからなぁ」
「ザビーダ?!」
驚くミクリオやアリーシャの反応を愉快そうに見下ろして、ザビーダはどこか挑発的な視線をライラに投げる。
「そこのお姉さまの陪神になる気はさらさらねえけどな。良いぜ、行ってやっても。オレもアリーシャちゃんのこと気に入っちまったしな。スレイのことも嫌いじゃねえ」
「別に一緒に来てくれとか頼んでないんですけど」
「言うねえ、エドナちゃん。でも、オレの助力がなきゃ今頃アリーシャちゃんとミク坊はお陀仏だぜえ?なぁ、主神どの?」
「っ!そう、ですわね」
あからさまに悔し気な色を見せるライラに、満足気にザビーダが笑う。本当にこの二人はどういう関係なのだろうか。ここまでライラが感情の動きを見せることは珍しい。
「…どうするんだ、スレイ」
「うん。確かに、今回はザビーダの協力が無かったらミクリオもアリーシャも危なかったわけだし、オレとしても感謝してるよ」
天族の中でも経験豊富で、あちこちを放浪していただけであって知識の幅も広いし、戦闘能力だって大したものだ。仲間になってくれれば心強いだろうと思う反面、しかしどうしても気にかかることもある。
「ザビーダ」
「ん?」
「オレ達と来てくれるなら心強いけど…。でも、オレはザビーダの憑魔は絶対に殺すべきだっていう主張はどうしても受け入れられない。オレと一緒に来るなら、ザビーダの戦いは憑魔を殺すためじゃなくて浄化するためのものになる。それでも良いの?」
憑魔は全て殺すのだと出会った時のザビーダはそう言った。その志を邪魔するのならば排除する、彼の眼はそう語っていたし、実際に襲い掛かってきたくらいだからザビーダの決意は相当固いのに違いない。
しかし、スレイにもここだけは譲れない。出会った憑魔を全て殺して歩くのならば、スレイの道はきっと閉ざされる。穢れを浄化し憑魔を救う、その行為こそがきっと人と天族の共存、その険しい道を照らす光になる。それは予感では無く確信で、だからスレイはどんな憑魔だって浄化することを諦めたくはない。例えそれが、あの枢機卿のようにとてつもなく強大な憑魔なのだとしても。
じっとザビーダを見据えると、彼もまたスレイの意を測るかのように視線を合わせてくる。その琥珀色の眼には先程までの剽軽ひょうきんながら底の読めないふざけた色は既に無い。
「…良いぜ。ただし、お前が浄化出来ない憑魔は別だ。オレ様は憑魔を生かして野に放つような真似は我慢出来ねえ。お前が浄化しようとして出来なかったらその時は…」
指を鉄砲の形に組み、無言で撃つ真似をして見せる。スレイがしくじればザビーダが仕留める。彼はそう言っているのだ。
「わかった。ただ、オレは諦めないよ。絶対に」
「ボウズ。世の中にはどうしようも無いことってもんがあるんだよ。ま、その内嫌でも知ることになると思うけどな。それはともかく…」
「うん。交渉成立、だね。…ごめんね、ライラ。勝手に決めちゃって」
「…いいえ、スレイさんの決めたことですから」
「ありがとう。…よろしく、ザビーダ」
ザビーダが伸ばした手を取りながら、何とも言えない表情をしているライラに己を勝手を詫びたスレイに、ライラがどこかぎこちない笑顔で首を振る。ザビーダと彼女に何か確執があるのは何となく察しているけれど、ザビーダの協力はきっとこの先必要になるし、何より彼が自分から行きたいと言い出したことに何がしかの意味を感じざるを得なかった。
導師を嫌う趣旨の発言しかしてこなかったザビーダの心変わり。きっと何か、彼には目的がある。それがスレイにとって良いものなのか悪いものなのか、それを確信できるだけの材料はスレイには無いけれど。それでも一つだけ確信できることがある。
―――ザビーダはきっと、悪い奴じゃない。
「というわけで、改めてよろしくな。アリーシャちゃん、エドナちゃん」
「あ、ああ。よろしく、ザビーダ」
「足引っ張ったら置いて行くわよ」
「厳しいねえ」
「…僕等は無視なのか?」
「誰が野郎に今更よろしくするかよ」
スレイの手を振り払うようにして女子の方へ寄っていくザビーダに向けられる視線は相変わらず冷たい。しかし本人はどこ吹く風、いつものふざけた態度で無理なく輪に溶け込んでいく。この辺は年の功といったところだろうか。
「すっかり冷めちゃったな」
「ああ。すっかり食べるのを忘れてた」
ザビーダをいなす女性陣を横目に、疲れた様子で腰を下ろすミクリオの隣に座り、スレイは殆ど減っていない椀を抱える。二人で仲良く冷えたスープをすすりながら、スレイは今後の旅路に思いを馳せた。
一体何が待っているだろう。一体どこへ行くのだろう。
考えても答えは出ないのは当然で。しかし傍らの体温や、賑やかに騒ぐ声を聴けば答えの出ない不安は薄くなる。
考えたって明日のことはわからない。ただ確実なことは一つだけ。
「明日から、ますます賑やかになりそうだな」
「うるさいっていうんだ、ああいうのは」
「とか言いつつ、意外に仲良くやってる癖に」
「仲良くない!!」
何か物思う風のライラが気になるところではあるけれど、きっと今は聞いても彼女を悩ませるだけだ。
だから今は目の前のことを、出来る分だけ。そう、差し当たってはこの椀だ。
親友との軽口を挟みながら、スレイは今日使った力を取り戻すべく、冷えたスープを掻き込むのだった。
従士で導師がパワーアップ出来たら素敵だな、と思った結果です。
あと敬語卒業はどうしてもやりたかったので満足です。
この話で一番最初に思い付いた部分はミクリオとアリーシャの「私は何か間違ったことを言ってますか」「いいや」の辺りでした。