物凄く改変激しいので、原作のままのロゼが好きなんだ!という方には向いていないと思います。
仲間になるキャラクターが敢えて暗殺者という道を選ぶ。それがどういう経験を下敷きにすれば違和感がなくなるかな、と考えて書きました。
この手に遺るは
―――いいか、団の人間は皆家族だ。こんなご時世だ。他人は誰も助けちゃくれねえ。だからこそ俺は家族を絶対見捨てない。だからお前も、自分の出来る精一杯で家族を守れ。それが出来るなら、風の傭兵団員として不足はねえよ。
今でも時折思い出す彼の声を、頭の中で反芻する。
ロゼを拾った男はこの荒んだ時代にあって、家族の情を振り撒く一風変わった男だった。
家族といっても彼と血縁関係にある者など誰もいない。殆どが流れ者の男達だったが、中にはロゼくらいの子供を連れて、災害で滅びた村から逃げ出してきた家族もいた。足手まといになりこそすれ戦力にはなり得ない彼らやロゼを、それでも彼は受け入れた。そうやって出来た団は大きく、絆は縒り合わされて固かったが、決して裕福ではなかった。
弱かったわけではない。寧ろ強かった。ただ食わせてやらねばならない人数が多すぎた。しかし粗末な食事に文句を言う人間はおらず、団の連中は荒っぽいながらも暖かかった。
辺境から流れてきた男達は、団長である彼の人柄に惚れ込み、朝夕欠かさず稽古をつけてもらいに群がった。かくいうロゼもその一人で、他の皆に笑われながらも幼い細腕にナイフを握っては稽古に励んだ。一年もすると周囲はロゼの非凡な才能に気付き一目置くようになったが、団長である彼はどんなにロゼが強くなろうが、大人になるまで後方支援を外す気はないと明言していた。
―――その頃には戦などなくなっていれば良い。
酒の席でぽつりと彼がそう言ったのを、ロゼは聞いたことがある。
戦場を駆け回り、命のやり取りで糧を得る今の暮らしを子供達にさせる前に辞めたいのだと、珍しく酔った口調で話していた。
そう、まさしく風の傭兵団は彼の家だった。
血縁は皆死んでしまったのだと、それだけは何かの折りに聞いていた。だから彼は手に入れた新しい家族を守ったし、子供達を慈しんだ。特に戦場から己が連れてきたロゼのことは、自分の娘だと称して憚らなかった。戦場になど出ず、幸せな生活を送ってくれたらと、そんなことを考えていることは何となくわかっていた。
―――その彼が、この様を見たら何と言うだろう。
ロゼは水瓶の中の己の手を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
瓦礫と化した遺跡の残骸、その地下の遺構に手をいれて作られたアジトには外が見える場所がない。代わりに瓦礫のど真ん中に隠されるように、訓練用の狭いスペースが設けてあって、汗を流す水瓶が据えられていた。周囲はうず高く積まれた瓦礫が視界を遮っているが、真上を見れば星と月が見える。閉塞した地下にいるのが嫌で、ロゼは仕事帰りにはいつもここに足を運ぶ。
光の屈折で歪んで見える手は夜目にも白い。昔から色白だと褒めてもらった手はしかし、つい先程までは真っ赤に染まっていた。
風の傭兵団が陥れられ、ロゼと数人を残して壊滅して三年。それは即ちロゼ達が暗殺ギルド「骨喰いの竜」に身柄を引き取られて三年が経ったということで、同時にロゼが初めて人を殺すために剣を振るってからそれだけの時が経ったことを意味していた。
骨喰いの竜はどこかの王家お抱えの暗殺者集団に端を発するらしく、その歴史は意外と古いらしい。もっとも、成してきた功績の殆どは文字にして残しておける類いのものではないから、ロゼが知っているのはギルドの大人連中が語る胡散臭い噂から得た情報だけだったが。
王家の変遷と共に暗殺者集団はいつの頃か解体され、人殺ししか能のない溢れ者だけが残った。彼らが作ったのが、金銭と引き換えに人を殺すことを生業とする骨喰いの竜である。
それが何年前のことなのかロゼは知らない。しかし十年や二十年のことではないことは確実で、それだけの歳月をただ人殺しの技を伝えるためだけに費やしたのだと思うと目眩がしそうだった。
きっと王家から見放された彼らには、本当にそれしか無かったのだ。生きていく場所が変わっても、生き方を変えることが出来なかった。そういう己を認めたくなくて、人生に価値があったことを証明したくて、技を後世に伝えるために子供達の手を血に染めてきた。危険を伴う仕事だから、当然子供はどんどん欠けていく。団員の子供だけではとても足りないから、戦場や災害のあった場所を巡っては、孤児を拐って人殺しに育て上げてきたのだ。
そう、まさしくロゼのように。
風の傭兵団が壊滅し、残ったのはフィルとトルメのアン兄妹と、直前の任務で傷を負って下がっていたエギーユのみ。子供三人を連れ去られそうになって抵抗したエギーユは片足の健を切られてなお、協力するから自分も連れていけと食い下がり、今もその経験と頭脳を使ってロゼ達を支え続けてくれている。
アン兄妹は傭兵団では専ら炊き出しや荷物の管理を手伝ったいたから、武芸の心得は殆どない。彼等が連れてこられたのはロゼに対する保険、有り体に言えば人質にするためだった。
彼等を生かしたければ従えと頭領は言った。ロゼはその言葉に頷いた。
以来、ロゼの技は人殺しのために更に研ぎ澄まされることになった。己の手で命を絶った人間の数を数えるのは疾うに辞めた。そんなことは些末なことだ。
トルメ達風の傭兵団の生き残りはロゼに遺された最後のもので、守り抜くべき希望だ。例えこの手がどれだけ血にまみれようが、彼らが健やかに生きていけるなら構わない。
所詮人間などちっぽけな存在で、世界はどこまでも優しくない。ロゼが守れるのは小さな手の中にあるほんの少しのものだけ。他人の命など踏み台が精々、それ以上でもそれ以下でもない。
「これで…良いんだよね」
今はいない男に向けてそう呟く。
例えば彼が生きていたとして、今のロゼの姿を見られても責められることは無いだろうと思う。ただ確実に嘆くだろうとは想像がついた。彼はどんなにロゼが剣の才能に優れていても、最後まで戦場に立たせることを嫌がった男だ。
―――それでも。
「これが、あたしに出来る精一杯なんだよ。父さん」
トルメとフィルの居場所は知らされていない。エギーユは健を切られて以来戦うことはおろか、走ることもままならない。三人を連れて逃げることなど夢のまた夢だったし、安穏とした生活を望むにはロゼは手を汚しすぎた。
洗いすぎて水を含んだ両手を、水瓶から引き上げて眺める。既に元の白い色を取り戻した皮膚には、何の汚れもついていなかったが、それでも鉄錆の匂いがまとわりついているような気がする。日々の標的の顔などいちいち覚えてはいないが、誰を殺しても鮮血の色は変わらない。鮮やかな赤からどんどん黒く変わっていくその色こそが、ロゼにとっての殺人の記憶だ。
―――それでも、彼等がどこかで笑っていてくれるなら。
ふやけた両手を握り締めた時だった。
耳に届いた夜の静寂が乱れる気配と、このアジトでは滅多に聴くことのない足音の群れ。次いで乱暴に正面の仕掛け扉を開ける音がして、殆ど忍べていない気配が複数人分雪崩れ込んでくる。
暗殺者のアジトにはふさわしくない喧噪を聞きながら、ロゼはぽつりとつぶやいた。
「そういえば、今日か…」
別の場所にある訓練所で鍛えられた新たな暗殺者達。その殆どが十五に満たない子供達で、彼等はある程度の技を叩き込まれると問答無用で「任務」に送り出される。行かなければ勿論、相手を仕留められないまま戻っても殺される。勿論、下手を打って捕まっても放置されるだけ。彼等が生き残るために採れる選択肢は一つしかない。
そうやって己の手を血で染めて、もう戻れない道に踏み込んで初めて彼等はアジトに迎え入れられる。初仕事を成功させるまで、彼等にはアジトの場所も幹部の顔も教えられない。例え捕まっても話すことが出来ないように。
その初任務が今日だったのだ。そういえばそんなことを朝誰かが言っていたような気がしていたが、すっかり失念していた。
裏庭代わりの瓦礫の隙間、その隅に隠された扉から地下に降り、仕掛け錠を開けて中に入ると、アジトの中は騒然としていた。
ランプに使う油の燃える匂いが鼻をつく。月明かりに慣れた目には、質の悪い濁ったオレンジ色の灯ですら明るく、狭い部屋の一角に群れる子供達の姿は薄ぼんやりとした固まりに見えた。目が慣れるにつれてそれらの輪郭がはっきりし、剥がれかけた石のタイルを背景に、ひしめきあう子供達の姿が見えてくる。
ロゼは何となく彼等の顔を見回して、見つけた顔に息を呑んだ。
子供達は皆初めて人を殺したことに動揺しきっていた。意味のない喚き声を上げる者、呆然自失としている者、或いは狂ったように笑う者すらいる中で、ロゼが目にした二人は比較的平静を保っているように見えた。
「うそ…」
呟いた声は震えていた。
無意識に一歩進んだ足音は、最近では自分でも滅多に聞かないほど大きなもので、怯えた子供の何人かの目が一斉にロゼに向いた。
ロゼを認めた何人か、その中には例の二人も混じっている。彼等はどこか虚ろだった垂れ目を和ませて、二人同じタイミングで口を開いた。
「ロゼ」
「フィル、トル…なん、で…」
行方の知れなかった家族との再会。普通ならば感涙を以て迎えるべき情景だろう。―――彼等の手や顔が返り血に汚れていなければ。
駆け寄ってきた二人の手を掴んで、ロゼは元来た道を早足で戻る。通路を抜け、狭い階段を後ろ手でフィルの手を引っ張りながら登り、仕掛け扉を蹴り開ける。そうして出た中庭の、たった今まで自分が傍らの立っていた水瓶の傍らに二人を押しやり、ロゼはフィルの右手とトルメの左手を握って水瓶に突っ込んだ。
「なんで…なんで?!」
水に溶け出す赤色は、ロゼにとっての殺人の色だ。この二人とは金輪際無縁である筈だった色で、そのためにロゼが染まることを選んだ色だ。
―――それなのに何故。
手首まで散った飛沫を擦って落とす。二人の片手が元の色を取り戻したのを確認して、もう片方に手を伸ばす。
「ロゼ」
呼んだのはどちらだったか。それはわからなかったが、ロゼの手を制したのはトルメだった。
「もう良いから」
「良いって何?何が良いの?!」
「ロゼ」
所々ひっくり返ったロゼの声を遮って呼んだのはフィルだ。
ロゼが呆然と彼女を見上げると、フィルは複雑な感情を詰め込んだ笑みを浮かべながら、ロゼの襟元を指差して一言。
「お揃い」
血にまみれた指で指された場所に目を落とせば、今日の仕事の時に跳んだのだろう、白いシャツに小さなシミがついていた。
既に黒に変じた液体は、確かに二人の手を染めているそれと同じものだ。
「私たちもおんなじだから。だから一緒にいるよ」
「一人じゃない。家族だろ、僕達」
彼等はロゼの傍にあるために、此方側に堕ちてきてしまったのだ。
笑っていて欲しかった。他には何も要らなかった。
例え二度と会えなくとも、どこかで彼等が元気にやっていると信じていれば、どんな酷い事にだって耐えられた。
それなのに、彼等の言葉に微かに安堵している自分も確かにいて、その事実にロゼは愕然とした。
だって、独りは怖かった。
エギーユは任務に駆り出されるロゼをよく助けてくれたし、労ってもくれたけれど、もう早くは走れない足を持つ彼は共に任務に出ることは無い。他の子供はロゼの足手纏いにこそなれ助けにはならなかったし、既に長い時を暗殺組織で過ごした大人は信頼するに値しない。だから闇に立つロゼはいつだって孤独だった。そんなものは平気だと、ずっと自分に言い聞かせてきたけれど、悲しみは自分でも見えない心の底に澱のように溜まってはロゼを苦しめた。
その孤独が、今日で終わる。
もう独りで血を被らなくていいのだという昏い歓び。そして何よりも、三年も離れていた彼等がまだこんなにもロゼのことを気にかけていてくれたという事実が、ロゼの心を慰める。彼等の置かれた状況を思えばどうしようもない罪悪感が圧し掛かるが、それと同じくらい喜びも大きい。
結果、ロゼの胸中を支配したのは、悲しみだとか苦しみだとか喜びだとか、そういう単純な一言では表せない、よくわからない複雑なものだった。
「…ばーか」
顔は笑っていたが、吐き出した言葉は震えていた。
トルメとフィルはロゼの冷え切った手を取って、体温を移すようにぎゅっと握り締めてくれた。
「眠りよ、康寧たれ」
幾度となく標的の傍に刻んだ文言を唱えて、ロゼは短刀の柄を持つ手に力を入れた。
肋の間を通って確実に心臓に突き通った刃を捻れば、頭上で男が奇妙な声を上げる。彼は信じられないものを見る目でロゼを見下ろしていたが、それも寸の間のことで、みるみる内にその目は力を失って、ただの濁ったガラス玉のようになっていった。
ロゼは返り血を浴びないよう、完全に心臓が停止したのを確認してから、男の正面から体を退かして短刀を抜く。背後ではフィルとトルメが同じように獲物から短刀を引き抜き、飛沫を払っている気配が伺えた。
返り血を浴びない刀の抜き方も、一撃で獲物をしとめる方法も、この男から叩き込まれた。後ろの二人だって、それぞれ手厳しく仕込まれたのだろう。あの頃はあんなに大きくて絶望的な存在に見えたのに、今となってはこんなにも呆気ないのかと、地面に木偶のように転がった躯にある種の衝撃を受けた。
「さ、もう大丈夫。怪我は?」
振り向いたロゼの言葉に、肩を震わせたのはロゼよりも幾つか年下の少女だった。長い黒髪を乱れさせ、涙と埃で顔をぐちゃぐちゃにした彼女は、縋るようにロゼの顔を見上げてただ首を振る。
彼女はフィル達よりも半年程遅れてギルドに連れてこられた。他の子供と違うのは、医者の両親を持っていたせいで薬剤の知識に長けており、調剤や治療のための人材として連れてこられた点で、このアジトで唯一己の手を人の血で汚したことが無い人間だった。歳は十四。幼いながらも薬剤の知識は大したもので、彼女の両親がいかに熱心に彼女に自分達の技を伝えたのかが窺い知れる。ロゼやフィル達も幾度となく彼女の薬の世話になった。
その彼女に突然暗殺の命令が下ったのが今朝のこと。勿論、彼女の作った薬はもう何度も標的の息の根を止めていたが、それを相手に盛るのは別の人間の仕事であり、今まで彼女自身が手を下したことは無かった。一通り実技の訓練も受けたようだが、現場に行かせるよりもアジトで裏方に徹していた方が効率が良かったせいである。
突然の命令に彼女は戸惑った。統領の命令に咄嗟に首を横に振ってしまった。そこが運命の分かれ目だった。
ロゼがアジトに来て既に六年。フィル達がやってきてから数えても三年。任務で死ぬ者はいても、任務を拒否して殺される者はいなかった。任務を拒否すればどうなるか、訓練場で彼等は既に学んでいたからだ。
同じ場所で暮らし、同じ苦しみを分かち、同じ罪を背負って生きてきた。このアジトの子供たちはロゼにとって既に他人ではなくなっていた。そして彼等もまた、幹部達から一目置かれているロゼが、幹部の大人とは違って自分達を単なる駒として見ていないことに気付いていた。だから多くの年下の少年少女達はロゼを慕って頼ってきたし、同年代の子供達はロゼを信頼して背中を任せ、悩みを打ち明けた。目の前の少女も、本来は人を救うはずの技が他人を殺している苦悩を、包み隠さずロゼに打ち明けては涙にくれた過去がある。
今やロゼはこのギルドの若手のリーダーといっても良い存在で、だから彼等を簡単に手にかけようとする統領の行動を黙って見過ごすことは出来なかった。
彼女に向かって武器が振り上げられた瞬間、ロゼの体は勝手に動いていた。そしてロゼに呼応してフィル達も動いた。既に人として盛りを終えたギルドの幹部達と、幼い頃から殺人の基礎の基礎を叩き込まれて育ち、今まさにギルドの仕事の大部分を担っている年長の子供達。幼い頃から与えられていた恐怖の記憶に縛られさえしなければ、既にロゼ達若手の腕は彼等を凌いでいたのだ。相手を排除してからその事実に気付くとは、何とも間抜けな結末ではあるが。
「…何してたんだろ、あたし」
「ロゼ…」
「こんなに、簡単だったのに」
もっと早くに解放してやれた。連綿と続く殺人ギルドの頸木から彼等を解き放ってやることがロゼにはできた。それなのに今の今まで手を拱いて、現状を諦観と共に受け入れているだけだったとは。
ロゼは騒ぎを聞きつけて集まっていた仲間達を見回した。人垣の中にいた何人かが、ロゼの意を汲んで三々五々に散っていく。アジトの見張りや金勘定でこの場にいない幹部も、これで間もなく全て排除されることになる。
ロゼは呆然と死体を眺めている少女の傍に膝をつき、乱れた髪を撫でつけてやりながら微笑んだ。
「もうこれで、あんたは自由よ。その知識と腕を、本来の目的のために使いな」
「ロゼ…でも、私は…ひ、人を殺すために…」
「それはあんたのせいじゃない、忘れな。罪は全部、この男が地獄に持って行ってくれるよ。それが統領の役目だからね」
ふっ、と少女の口から堪えきれない嗚咽が漏れる。両手で顔を覆って泣き崩れる少女の肩を一つ叩いてから、ロゼは周囲を囲んだ少年少女達に向けて声を張り上げた。
「聞いての通りよ!今日を以てギルド『骨喰いの竜』は解散する!あたし達みたいな根無し草に真っ当な生き方は今更難しいと思うけど、それでも暗殺者よりはマシな生き方がきっと出来る!困った事があるならあたし達が…」
そこでロゼは言葉を止めた。否、続ける言葉を見失ったという方が正しい。
人垣からロゼを見上げる多くの視線。それは良い。そのためにロゼは言葉を発しているのだから。
しかし、希望と不安が綯い交ぜになった複雑な視線の他に、明らかに落胆の視線が混じっているのはどうしたことか。
決して多くはない。しかし僅かと言うにはその数は多い。
部屋の隅に固まって、ひそひそと言葉を交わし合う子供の数は十人足らず。彼等の傍に歩み寄って、ロゼは震えそうになる声を抑えて問うた。
「あんた達…何を…?」
「つまんねえって言ってたんだよ。だってもう人殺せないんだろ?」
そう無邪気な声で言ったのは、ギルドの中でも最低年齢層の子供の一人。一年程前に初仕事を終えてアジトにやってきた少年だった。
アジトの土を踏んだ時、彼はわあわあ泣いていた。人殺しなんかしたくない、これはダメなことだと。幼いなりに持っていた道徳観を踏みにじられた事に、これ以上無い程打ちのめされていた。
「楽しいのにね?何でみんな辞めたがるの?煩い大人が静かになるの、楽しいよね?」
鈴を振るような声で言ったのは、フィルやトルメと一緒にやってきた少女。彼女とて初仕事の後は、呆然自失の体で血にまみれた両手を見下ろしていた。
くすくすと含み笑いながら漏らす彼等は誰もかれも、人を殺した事実に傷つき、打ちのめされていた子供達の筈だった。ロゼが覚えている限り、人一倍心優しく、己の所業に絶望していた子供達だったのに。
―――嗚呼、全部遅かったのだ。
昏く笑う子供達を見下ろして、ロゼは絶望的な気分で悟った。
人の命を当たり前のように奪う暮らしの中で、彼等は血の匂いに酔い、疾うに壊れてしまっていたのだ。優しく弱い彼等は、壊れなければ生きていけなかったのだ。
―――本当に、何をやっていたのだろう。
唇を噛んで俯いた。
もっと早くに解放していれば、彼等は彼等のまま、残酷ながらも自由な世界に飛び立てたかもしれない。しかし、こうなってはもう遅い。
彼等は既に自由に世界を駆け巡ってはいけない者になってしまった。
「ロゼ…」
ロゼに寄り添うように並んだフィルとトルメが気遣わし気な声をかけてくる。両腕に感じる彼等の体温だけが、足元から絶望の穴に沈み込んでしまいそうなロゼを地上に繋ぎ止めてくれた。
「ねえ、フィル、トルメ…ごめん」
「大丈夫、わかってるよ」
「一緒って言ったでしょ」
詫びる言葉に帰ってくるのは笑みを含んだ温かい声。申し訳なく思いながらも、それでも今はその声が涙が出るほど頼もしかった。
ロゼは決意と共に顔を上げる。
「『骨喰いの竜』は今日を以て解散する!暗殺者の道を望まない人間はここを出ていきな!幸運を祈ってる!そうでない者は…」
一旦言葉を切る。震えそうになる声を気合いで抑え込んで、腹の底から声を張り上げた。
「暗殺ギルド『風の骨』のメンバーとして迎え入れる!!統領はあたしだ!文句は無いね?!」
家族を守ると決めた。そしてこのギルドの子供達は既にロゼの家族だった。普通の道を歩けない家族を、見捨てることはロゼにはできない。
無理やり止めた所で早晩彼等は殺しに走る。それも欲望に駆られた、無差別な殺しに。理性を失った殺しの足跡を辿るのは容易い。やらかせば彼等はあっさりお縄になり、法の名の下に命を奪われることになるだろう。こんな世の中だ。そんな光景は嫌と言うほど見てきた。
ロゼは彼等が壊れるのを止められなかった。だからせめて、彼等が生きていける場所を守る。それが他人を殺す道であっても、他に方法が無いのなら迷わずにロゼはその道を採る。
―――ごめん、父さん。でも、これがあたしの精一杯。
統領として、全ての罪はロゼが背負おう。血に酔った彼等が何かの折に正気に戻っても、己を殺すことが無いように。ロゼの出来る精一杯で家族を守ろう。
喜びに声を上げる者、不安を漏らす者、ロゼ達の身を案じる者。
ざわめきの海の中、ロゼは静かに目を閉じる。脳裏に浮かぶのはただただ大きい男の背中。
背を向けた彼がどんな顔をするのかはわからない。それでも彼はどんな状況になっても家族の手を離すことだけはしなかった。
どうか力を貸してください。
傍らの双子の手を握り締めながら、ロゼは彼の意に反しているだろうことを承知で、理不尽な願いを記憶の中の男に投げかけた。
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「へえ、今度の標的は王族の姫様…って大丈夫なの、これ?」
依頼書に目を通しながら、ロゼは依頼処理全般を請け負っているエギーユにロゼは疑問を投げかける。標的を決めるまではエギーユの管轄だから、実際に動き出すまではロゼの仕事は余りない。最終的に依頼を遂行するか否かの判断はロゼが下すものの、エギーユの選別に文句があることの方が少ないので、今も長椅子に寝転がりながらの脱力モードだ。
「政権争いになんか巻き込まれるとかごめんだよ?」
「ああ、それな。今から詳細調査に回すが、ざっと調べた感じは大丈夫そうだ。その依頼書にも書いてある通り、孤立無援の姫様らしくてな。両親は既に死亡、一人武術の師匠がいるそうだが、そいつも依頼人が押さえつけておける程度の地位だそうだ。報酬は破格だし、何より後腐れが無い。…どうする?」
「…正義感に厚く、民衆への施しや被災地域の救済策を熱心に推し進める姫様ね。…可哀相にねえ、日陰者らしくしてりゃ、あたしらみたいなの雇われなくても済んだのに」
エギーユがざっと拾った情報に目を通しながら、ロゼは胸に巣食う不快感に目を細めた。
調査と呼べるほどのものではなく、手持ちの記事や記憶の中から列挙しただけの情報の切れ端。それらのいい加減の情報ですら、彼女がいかに虐げられ虐げられして、それでも健気に公への利益を追求するために立ち上がってきたのか語っている。
悪い噂は無い。しかし期待しているような物言いも確認できなかった。つまり志は清廉だが、本当に実権が無いのだ。王族という名前しか持っていない彼女は、主流とは異なる血筋故に私兵すら碌に持っていないらしかった。これなら警備も薄いし、さぞかし仕事もやりやすかろう。
「…自分の手に負えないことに首突っ込むからこんな事になるのよ」
「何か言ったか?お嬢」
「ううん?別に?良いんじゃない、この依頼」
未だにエギーユの中ではロゼは「お嬢」だ。彼の中ではロゼは風の傭兵団の小さなロゼのまま。そんな彼の態度は嫌では無いが、それでも過度に心配性気味なところは承知しているから、ロゼは殊更何でもない風を装った。
知られたくなかった。アリーシャという名の彼女の眩しい程の潔白さに、ロゼが抱いた思いを。
ロゼと双子を守り切れずに暗殺ギルドに連れ去られたことを、未だに彼が気にしていることを知っていたから。
ロゼは依頼書を折りたたんでエギーユに放り投げ、彼に詳細調査を申し付けて長椅子を下りた。
「お嬢、どこ行くんだ?」
「散歩。昼までには戻るよ」
短く言って後ろ手に手を振る。
アジト代わりにしている遺跡の薄暗い廊下を速足で歩きながら、外へ通じる出口を目指した。
何だか無性に空が見たい。何故だかそんな気分だった。