ぼくがかんがえたさいきょうのゼスティリア   作:ほーこ

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地の試練編。
イメージとしてはRの試練みたいな感じですかね。
各々の過去やトラウマと向き合う形で乗り越え、更にボスを倒すとクリア、みたいなイメージです。
この話ではアイゼンが登場しますので、ベルセリアプレイ済の方は、Bの彼とはまったくの別人だと思ってお読みください。
特に以下の点にご注意願います。

*アイゼンにかつて人間の恋人がいた
*ドラゴン化には彼女の死が大きくかかわっている
*恋人がオリキャラとして登場


地の試練改変編
悠久なるは 1


 

―――『だめよ。それでは結局誰も幸せになれないもの』

 

凛とした声、伸びた背中。

彼女が語る理想はいつも眩しく、追い続ける姿は憧れだった。

あんな女性になりたいと、それがささやかな夢だった。

 

しかし、今となっては語るのも虚しい。

彼女の理想も、自分の夢も、もう叶うことは無いのだから。

 

 

***********

 

 

「駄目です。それでは誰も幸福になどなれない」

凛とした声でそう言った彼女は、項垂れる老人を真っ直ぐ見据える。その目はただただ真摯なだけで、過ちを知りながらもその道を行った愚かな男を、決して責めてはいなかった。

「その薬で一時危機は乗りきれても、それは長くは続きません。貴方程の方ならおわかりでしょう。今はまだ一部の貴族の間で流行するに止まっているその薬は、やかて必ず国の基もといを揺るがす脅威になる…。万能を謳うたった効能を信じて、藁にもすがる思いで薬を得る者もいるでしょう。そうやって中毒になった者が増えればどうなるか。貴族にとってすら、決して安いとは言えない薬です。依存した貴族が薬のために租税をあげようとすれば、民草は貧困に喘ぐことになります。浅い考えで手を出した者は必ず後悔する。教会の名で売っているとはいえ、教会は巨大過ぎて歯向かえない。ならば民の、そして貴族達の恨みはどこに向かうか…」

言いながら彼女が視線を投げたのは、無邪気に遊ぶ子供達。小さな校舎の前で、鬼ごとをする彼らは心底楽しそうに見えた。

アリーシャの視線を追った老人は、彼等の笑顔を見て表情を歪める。

彼とてわかっているのだ。今この時を凌ぐために、薬の生産を続ければ、あの子達がいずれ恨みと欲にまみれた暗い道を歩まねばらならなくなる。生産地を伏せたとしても、流通には人を介すのだ。永遠にばれないでいられるわけがない。

貧困と飢えで徐々に首を絞められるか、人の運命を狂わせる薬に食い潰されるか。彼の目の前に提示された道はその二つで、彼は後者を選んだ。例えその選択肢が顔も知らぬ誰かの運命を狂気の底に叩き落とし、やがては愛する子供達を破滅に追い込むとしても、今目の前で痩せ細っていく子供達を見過ごすことが出来なかった。

その情を愚かと笑うのは容易い。本来ならば教会から背を向けた教皇に、彼らにしてやれることなど何もなかったのだと、したり顔で語ることは誰にでも出来る。

しかし、彼等はそうしなかった。

「セルゲイさんに頼めないかな…?」

考える風な様子でそう言ったのはスレイだった。

「セルゲイ殿に…?確かにここはローランス領ではあるが、国全体が天候不良で収穫量が芳かんばしくない。このような人口の少ない村の保護をお願いしても、聞いて下さるかどうか…。第一、セルゲイ殿は騎士団長。政の権は現在教会が…」

言葉を途切らせたアリーシャが悔しそうに俯く。

セルゲイははっきりとは語らなかったが、教会が皇帝の身柄を押さえているのは、ほぼ間違いないだろう。だからこそ、セルゲイの弟のボリスは、危険を承知で枢機卿の懐に忍び込んだのだ。

そう言うアリーシャに、尚もスレイは食い下がる。

「教皇様を探してくれって言ってたのはセルゲイさんだし、戻るとなったら協力してくれるんじゃないかな?それにここ、重要な遺跡だってあるんだし!」

「しかし帝国ににおいて皇帝は絶対だ。不当に皇帝を拘束している証拠でもあれば別だが、今の段階では騎士団よりも教会が圧倒的に有、り…」

そこまで言ってミクリオは不意に何かに気付いたように目を見開いた。そして彼の勘づいた何かにはアリーシャも気づいたようだ。両の手を打ち合わせて大声を上げる。

「そうか!それで良いんだ!」

「スレイ!君のアイデアは突破口かもしれない!!」

「へ?」

ほぼ同時に叫んだ二人は、音を立てそうな勢いで老人の方を振り返る。

元教皇だった男―――即ち、この間まで教会のトップだった男の顔を。

「この村の保護するとしたら、その名目は遺跡の保全!導師に所縁のある遺跡を守るためならば、動くのは皇帝ではなく教会の側であるはず。導師を憎む枢機卿ならば、遺跡の存在を知ったとて帝国に保護の要請は出さないでしょうが、貴方ならば…!」

そこで一旦言葉を切って、アリーシャは老人の目を見つめた。

「スランジ村長…いえ、マシドラ教皇様。民のために、今の全てを棄てる覚悟はおありですか?」

教会に戻っても、今更元の椅子には座れない。彼には己を慕う派閥があるから、要請自体を通すことは可能だろうが、一度権に背を向けた者がそのまま何事もなく過ごせる程、あの場所はきっと甘くない。

しかし、アリーシャを見返す老人の目は、今までにない力強い輝きを秘めていた。それは権力闘争に疲れ、家族の愛に見放された哀れな老人の目では最早無い。

「無論ですとも。ここで再び家族を見捨てるくらいならば、この老いぼれ、潔く死を選びましょう」

「死って…そんな…」

「…決して大袈裟ではありませんわ。偽エリクシールは既に多くの貴族が手を染めている。元々教会の名を騙って売っていた薬です。生産ラインさえ押さえてしまえば、これからの教会にとって貴重な収入源になり得ます。この村を守るつもりなら、薬の生産は辞めねばならない…となれば、必ず邪魔をしようとする人間はいるでしょう」

「利権ってもんが絡むと、人間はいくらでも汚いことをやるもんだ。昔っからちっとも変わらねえ」

ザビーダが吐き出すように言った言葉に、アリーシャが唇を噛む。彼女はザビーダの言ったことが真実であることを、誰よりも身に染みて知っている。

「薬の精製法を聞き出すためならば、拷問すら辞さない輩もいるだろう…。もし教皇様が敵の手に落ちて材料の赤精鉱の鉱脈がこの地にあると知れれば、強行手段に出ても可笑しくない。接収されるか、最悪村人に精製をやらせるかもしれない。そうなればこの方が必死で守ってきた人々は…」

言い淀んで、アリーシャはちらとその視線を老人に向ける。この病んで痩せた老人に、この村の住人の命を賭けるしかやりようが無いこと、自分が彼の何の助けにもなれないことを、酷く憤ろしく思っているようだった。

彼女はよく知っている。権力を握るものの傲慢さ、冷酷さを。そしてそういう人間と戦うことの難しさを。

そして、純朴故にそこまで想像していなかったであろうスレイは、狼狽した風に首を振る。己の命を賭けることには躊躇いの無い彼も、ことが他人のこととなると途端に慎重になる。

「そんな…。ごめん、オレそんなつもりで言ったんじゃ…」

「良いのですよ。いえ、寧ろ感謝したいくらいです」

過酷な運命を突きつけられながら、しかし微笑む老人の顔は穏やかだった。

「その手段を思い付かなかったわけではなかった。しかし、最早何の後ろ楯も無い私が、一人でペンドラゴに帰りつけるわけも無いと諦めていました。あの町は彼女の膝元、邪魔者が戻ってこようというのをみすみす見逃すはずがない。勿論、セルゲイは信頼するに足りる男ですが、私が内密に連絡を取ったと万が一にでも知られれば、背徳者として処罰されるでしょう。だからあの街には戻れないと、そう思っていた…しかし」

縮んだ老人の、ほんのわずかスレイを見上げる目は強い。

「貴殿方と共になら、私はきっとあの街に帰ることが出来る。そこから先は私の責任、私の戦いです。ご迷惑をおかけしますが、どうかそこまでお付き合い頂けますかな?」

「そんな!オレ達も一緒に…!」

「導師スレイ、お気持ちはありがたい。しかし、あの薬はそもそも私の罪なのです。彼女が言ったことは事実、それは私にもわかっていた。そもそも私が教会から逃げ出さなければ、もっと違った方法で彼等を救えた。己の責任を放り出し、重圧から逃げ出し、喪失を拒んで重ねた私の罪、どうか雪そそぐ機会を頂きたい」

「村長さん…」

「命に代えてもこの村は守ります。それがこの老いぼれに残された最後の役目です」

言い募るスレイの言葉を制して老人は笑う。諦めた風ではない、自棄になった風でもない、穏やかながら強い意思を秘めた笑みだった。

「どうか、道中の守りはお願い致します。代わりと言ってはなんですが、碑文の内容はお教えします。それ以外私が出来ることなどなにもありませんが、あの石板の言葉が導師の旅路を照らす希望となることを祈ります」

「…必ず、送り届けます」

最早何を言っても彼の決意は揺らがない。それを悟ったスレイはスランジの言葉に頷いて、真摯な言葉と瞳で彼に応える。導師の傍に付き従う少女もまた、槍の石突を地面に立てて敬礼した。

「私も出来うる限りの助力を致します。…騎士の名にかけて」

真っ直ぐな視線を真正面から受け止めたスランジは、暫しアリーシャの顔をじっと見つめた後、得心したように頷いた。

「…良い目だ。曇りの無い、真っ直ぐな。この時代に貴方のような方がいることは、貴方の故郷に取っては幸運でしょうな。――ハイランドが往時の姿を取り戻すことも、不可能では無いとそう信じられる」

「え…?」

教会神殿はローランスの組織ではあるが、その教えはハイランドにでも広く愛されている。アリーシャもその一人であることは、導師に関連した聖剣祭を復活させようとしていたことからも明らかだ。

恐らく、スランジは過去に何らかの祭事に参加していたアリーシャを見る機会があったのだろう。教皇だった彼ならば、それは不自然なことではない。

現在アリーシャは故郷から追放された身、易々と正体を明かして良い立場ではない。

しかし、それを知ってか知らずか、スランジはそれ以上を語らなかった。ただスレイに向かって付いてくるようにだけ促して歩き出した彼の背中を見つめるアリーシャが何を思うのか、それは知らない。

飾らない言葉で、直向きな態度で、スレイとアリーシャは一人の男の心を動かした。とりわけ国を想い、民を案ずるアリーシャの言葉は、彼を動かしたように見えた。

「…弱い癖に」

一言も発することなく状況を見ていたエドナは、スランジの後に続くアリーシャの背中に向けて、ぼそりと小さく罵声を吐く。

弱い癖に。一人ではただ押し付けられた運命を享受することしか出来ない癖に。そしてそれを嫌というほど知っている癖に。

無力を嘆く姿を知っている。与えられようとした死に、ただただ運命を呪った姿も。

エドナがアリーシャと知り合ってたかだか数ヶ月。エドナと出会う以前にも、アリーシャは何度も何度もそうやって泣いたに違いない。

―――それなのに。

「素直に諦めれば良いのよ」

無駄に抗うから傷つくのだ。夢を見ることなく、身分相応の行動を取っていたら、そもそも命を狙われることなどなかったし、国を追放されることもなかった。

「本当、バカみたい」

聞こえないのは知っている。

アリーシャだけではなく、仲間は皆スランジとスレイの後を追って、岩穴に入ってしまった。こんなところでぐずぐずしているのはエドナだけだ。底抜けにお人好しな連中だ。このままここで佇んでいれば、程なくエドナを心配して戻ってくるだろう。

しかし、それでも今は追いたくなかった。

―――『人は弱いわ。だからこそ足掻くの。短い生だからこそ、やり直せないからこそ、全力で生きるの、夢を見るのよ』

スランジを説得するアリーシャの背中は、そう言った彼女と余りにも似ていた。

「…だから嫌いなのよ、人間なんて」

俯いて足元の小石を蹴る。

蹴られた小石は無造作に転がり、緩やかな坂に沿って速度を上げたかと思うと、終いには崖から転がり落ちていく。その様を、エドナは黙ってじっと見つめていた。

 

 

その夜は村の宿に部屋を取った。 そう伝えられる遺跡では、導師の秘力を得るための試練が待っているらしい。スランジはスレイ達が戻ってくるまで待つと言った。再び教会に戻りマシドラを名乗れば、二度とこの村の長には戻れない。殊更事を荒立てる必要は無いけれど、引き継いでおかねばならないことはある。村長として最後の仕事をしながら、スレイ達の帰りを待っていると。

スレイは一人宿の外に出て、荒涼とした景色を見渡した。

深夜、月と星明りしか光源の無い闇の中、ごつごつした岩山の稜線が黒く浮き上がるように見えている。

同じ山でもイズチとは大違いだ。麓を緑滴る森に囲まれ、風にそよぐ草の寝が絶えず聞こえていたあの山には、命の気配が溢れていた。

対して、ゴドジンを取り巻く岩山は、固い岩石を剥き出しにし、生命を拒んでいるようにも見える。

―――ここで、彼らは生きてきたのだ。

その道のりの険しさを思うと目眩がしそうだった。

草木も生えない、勿論作物も育たない。山に住み着くのは憑魔の他は、精々岩穴に巣を構えるアナウサギくらいのもの。ウサギとしても小型な彼らは、例え捕らえたとしてもまともに肉などついていない。

貧しさに蝕まれながら懸命に生き、そんな状況にありながら傷ついて倒れた老人を受け入れた。

スランジが罪を承知で村のために薬を作った理由を、理解できないと言えば嘘になる。

もしもその窮状がイズチのものであったなら。スレイならば愚かな過ちを犯さないと言えるのか。そもそも貧富の差など生活に関係無い天族と人間とを単純に比べるわけにはいかないにしても、そう考えずにはいられない。目の前でジイジやミクリオが飢えに喘ぎ、貧困故の病に苦しんでいたなら。それが他人を絶望に突き落とすとわかっていても、目の前の薬に手を伸ばしてしまうのではないだろうか。

だって、イズチはスレイにとって唯一の場所だった。戦災孤児で親の顔も知らないスレイを受け入れ、育ててくれた温かい故郷。家族の愛を失った老人にとって、ゴドジンはスレイにとってのイズチと同じ、無二の居場所だったのだろう。

だから薬の製造を見逃してくれとスランジが言ったあの時、スレイには何も言えなかった。故郷を失いたくないと足掻く彼の気持ちが、痛い程によくわかったから。

しかし、アリーシャは違った。

「…王族、なんだもんな」

凛とした眼差しを思い出しながら、独りごちる。

故郷を想う心は彼女も同じ。それはスレイが誰よりも良く知っている。しかし、アリーシャは故郷を想うスランジの行為を正しくないことだと諭した。今が良ければ良いのか、未来が欲しいのならば命を賭しても動くべきではないのかという彼女の問いは、己が暗殺の危機に晒されても揺るがない、王族として国を導く覚悟があるからこそ出たものなのだろう。

戦争は避けたいのだと言ったアリーシャの横顔を思い出す。その願いの先にあるのは、何百、何千という人の命。それはイズチという閉じた空間で、殆ど死というものに触れてこなかったスレイにとっては想像も出来ない重みだった。

スレイが知る限り、イズチで死者が出たのはマイセンが唯一。あの時の足元が沈むような感覚は今でも鮮明に覚えている。目の前で食われるマイセンのために何もできなかった自分が悔しく、あの日を思い出す度にミクリオと訓練する剣に力が入る。

たった一人ですらそうなのに、民の命が無為に失われ続ける災厄の時代を生きてきたアリーシャは、国での日々をどんな思いで過ごしたのだろうか。周囲に嗤わらわれながらも、未来のために伝説の細い糸を手繰って導師を求めた彼女の想いはどんなものだったのだろう。

「凄いな…アリーシャも、スランジさんも…」

それほどに重いものを背負っていながら、尚も前を向ける。重圧の中で戦ってきたからこその強さは、きっと今のスレイには無いものだ。

感嘆の念さえ込めて呟いた時だった。

「凄くなんて無いわ。他の生き方を知らないだけよ」

「エドナ?」

どこか冷ややかにすら聞こえる声に相応しく、突然表れた彼女の表情は硬い。金の髪を夜風に靡かせながら、エドナはスレイの隣に立って剥き出しの岩山を一瞥する。

「こんな場所にしがみつかなければ、そもそもあんな薬を作る必要はなかったのよ。維持出来ないなら捨てれば良い。それが嫌なら飢えるしかないわ。だって人間はこんな痩せた土地で生きるには貧弱過ぎるもの」

「そう簡単にはいかないよ。皆ここで産まれてここで育ったんだ。故郷を簡単には捨てられない。それに、都に出たって成功する保証もないし」 

「ここで生きる能力も無いくせに、無いものねだりする方が悪いわ。自分で叶えられない望みなんて、所詮身分不相応なの。飢えるというなら、それが当然の結末だわ。なのに勝手に全員の命背負ってる気になって、夢物語のために命を賭けるなんて、馬鹿げた話」

「エドナ…?」

吐き捨てるようなエドナの声にいつになく頑なな響きを聞いて、その珍しい事態に、スレイは思わず岩山を睨むエドナの顔を凝視する。

基本的にエドナは相手に対して言葉を選ぶということをしない。舌鋒鋭く相手を叩き伏せる言葉は、いつも容赦は無いものの、極めて現実的だ。エドナが人間というものに何か複雑な感情を抱いていることは確かなようだったが、それでも殊更人間に厳しいということはなく、彼女の言葉は理性的で、誰にでも平等に厳しかった。

しかし、今のエドナは理性的とはほど遠い、苛立ちも露な表情で、夜闇の向こうを睨み付けている。彼女の目線の先には裸の岩山。しかし、スレイには、彼女が闇の彼方に何か別のものを見ているような気がしてならなかった。

「なあ、エドナはどうして人間が嫌いなんだ?」

ずっと気になっていて、それでも今まで訊けなかった疑問を口に出す。

その問いの答えこそが、彼女が見つめる闇の正体であるような気がしてならない。そしてそれはきっと、彼女が愛してやまない兄がドラゴンと化してしまった事と無関係ではないのだろう。

今まで触れないようにしてきたエドナの傷に触れる問い。意を決して発したスレイの質問に、しかしエドナは答えなかった。彼女はただ夜風に吹かれる髪を鬱陶しそうに払いのけながら、目線を合わさずにただこう言っただけだった。

「目を離さないことね、あの子から。でないときっと、後悔することになるわ」

「それってアリーシャの…」

アリーシャのことか、と問おうとしたものの、エドナの姿は既に無い。小さな光点となった彼女は、星の瞬く夜空に溶けるように闇の中を揺蕩い、やがてスレイの視界から消えて行った。

 

 

湯を使って髪を洗い、身体を拭ってからアリーシャは何となく宿の外に出た。

穢れの漂う村は、澄んだ空気とは言い難い。しかし、一時のレディレイクやマーリンド程ではなく、夜空を見上げれば星の瞬きもよく見えた。

湯を使った後なので鎧はつけていない。槍も宿に置いてきた。何となく素の自分のままで、この村を歩いてみたかった。

石畳の舗装の無いむき出しの地面。あちこちに申し訳程度に作られた畑は明らかに育ちが悪く、しかし丁寧に手入れがされているのが見て取れた。

手で地面に触れてみる。岩石と然程変わらない感触。掘り起こせる場所は一握りだろうし、この土を砕いて作物の土壌にするためには、長い時間と努力が必要なことは素人であるアリーシャにもわかる。郊外の畑地を視察に行った折には、農夫達から苦労話をたくさん聞いた。この土地はそのどの地域よりも格段に痩せている。

「…ここまでするのは大変だったろうに」

忘れられた小さな村。何の援助も無く、これまで必死で生きてきたのだろう。加護の無い土地はそれだけで土地の恵みが激減していくし、災害も多い。今まで幾多の苦難を乗り越えてここまで来たのだろうと思うと、何としてでも守り通したいというスランジの想いも痛い程に理解出来た。

それでも、越えてはいけない一線がある。人という生き物が群れて生きる囲いの中で、決して犯してはならない罪はあるのだ。

本人も言っていた。わかっていなかった筈はない。それでもスランジは線を踏み越えてしまった。ただこの小さな村を守りたい、そのためだけに。

項垂れた老人の姿を思い返しながら畑の土を掻いていたその時だった。

「姉ちゃん、騎士なんだろ?!」

パタパタという軽い足音、次いで甲高い子供の声が夜闇に響く。

視線をやれば十歳程の少年が一人、息を弾ませてアリーシャに近づいてくるところだった。

「さっき聞いたんだ!村長さん、本当は都の偉い人なんだって。役目があるから帰っちゃうって!!でも悪い奴等が狙ってるって言ってた!!オレ知ってるんだ、騎士って都で偉い人を守る人なんだろ?だったらオレ騎士になって村長さん守るからさ!なり方教えてよ!」

恐らくスランジと大人の会話を聞いて、彼がこの村を去ることを知ってしまったのだろう。目に涙を一杯に貯めながら、彼は必死の形相でアリーシャの服の裾を引っ張ってくる。

「学校建つ前にさ、オレ、村長さんに字を教えてもらったんだ。もっと勉強したいって言ったら、きっとどうにかするって言ってくれたんだ。爺ちゃんが村長さんになってから、学校が建って、本もいっぱい読めるようになった。今までそんなの、この村のどこにも無かったのに」

ぐいぐいと服を引っ張りながら、スランジにもらったものを一つ一つ挙げていく。

学校、本、薬、食べ物。甘い菓子を初めて食べた話、冬の寒さに凍えていた時に村のためにたくさん石炭を買ってくれたおかげで、身体の弱い幼い妹が死なずに済んだ話や、都で子供が歌う歌や流行っていた遊びを教えてくれた話。次々に話しながら、少年の声は徐々に涙にぬれていく。

「村のみんな知ってるんだ。村長さん、最近身体の具合が良くないって。食べる物はあるのご飯あんまり食べられなくて、ヒョロヒョロになっちゃって、たまに咳もしてる…。それでも皆のために頑張ってくれてるんだって、母ちゃん言ってた。だからいつか「おんがえし」しなくちゃいけないって。…なあ、騎士のなり方、教えてよ。今度はオレが村長さんのこと守るよ!!今度はオレ達が「おんがえし」する番だからさ!!」

「君…」

必死な目で裾に縋りつく少年を、アリーシャは月明りの下でまじまじと見つめた。

着ている物は質素であちこちに継ぎがあたっているが、服から伸びた手足は健康そうで、やんちゃの証の擦り傷があちこちについている。勝気な瞳はきらきらと輝き、泥で汚れているものの垢じみたところは無い。都の裏通りで盗みを働く少年たちよりは余程健康的に見えた。

「…スランジ様が、ずっと守ってこられたのだな」

「姉ちゃん…?」

「名前を聞いても良いかな?」

「オレの?テッドだけど…」

名前を聞いたアリーシャに、少年が不可解そうに首を傾げる。その少年の両肩に手を置いて、アリーシャは真っすぐに彼の両目を見つめた。

「ではテッド。聞いて欲しい。確かにスランジ様は全身全霊を賭けて、この村のために尽くしてこられた。そして今回村を離れるのも、君達のため。だから君の恩返しをしたいという気持ちは決して間違っていないし、尊いものだ。だけどね…」

言ってアリーシャは言葉を切る。アリーシャの言葉を真剣に聞いているテッドは、ごくりと喉を鳴らしてアリーシャの次の言葉を待っている。

「テッド。君は勉強がしたいと言っていたね。何かなりたいものでもあるの?」

「オレ…たくさん勉強して、お医者様になりたいんだ…。妹がずっと病気ばっかりしてるから」

言ってテッドが少し俯く。きっと、冬を乗り切るのが大変だったといっていた妹のことだろう。

「では、その夢を叶えるためにたくさん勉強して、夢を掴むんだ。それがきっと、あの方の恩に報いる一番の方法だから」

「なんで…?悪い奴等に狙われてるんだろ?村長さん、足だってオレよりずっと遅いんだよ?守ってあげなくちゃ!」

「都には君のようにあの方を慕う騎士がたくさんいる。彼等が必ずスランジ様を守ってくださる。だからね、君達は君達の望む生き方をするのが一番良い。厳しいこの地で生きながら、それでも絶やさなかった君達の笑顔。それが、あの方が命を懸けても守りたいと思ったものだから」

「本当に…?オレ達が笑ってれば、村長さんは嬉しいのかな?」

「ああ、本当だとも」

力を込めて頷いた。

スランジが守りたかったものはきっとアリーシャと同じだ。民の笑顔、明るい故郷。思い描いたそれらを得るためならば、何度だって突いた膝を上げられた。

それに、スランジにはセルゲイ達がついている。誠実な彼等ならば、きっとスランジの気持ちをわかってくれるに違いない。彼等とて、民を守るために剣を取る騎士なのだから。

アリーシャの言葉に安心したように頷いて、少年はパタパタと元来た道を戻っていく。その背を温かい気持ちで見送って踵を返しかけたその時、初めて間近ともいえる距離に立っていた人影に気が付いた。

「…ロゼ?!」

「驚いた?ごめんごめん、何か取り込み中だったからさぁ」

ひらひらと片手を振る軽い仕草と気楽な調子は紛れも無くロゼ。しかし商人である彼女が人気のないこんな寂れた村に居る理由が無い。

―――あるとすればただ一つ。

「…もしかして、あの薬を?」

「そ、噂聞いてさ。この村でべらぼうに高値で売れる薬を作ってるって」

「だ、駄目だ!!」

ロゼの語尾を噛むように声を上げる。

確かに商人であるロゼ達にとって、またとない話だろう。マーリンドの時に薬を持ってきてくれたところを見るに、薬の扱いに長けた人間が内部にいるのだろうし、高値で売れると聞けば飛びつくのが商人の性だ。

しかし、あの薬だけは売らせるわけにはいかない。

そう思うが、訳を話すことも出来ない。それはスランジの罪を告発するのと同じことだ。彼の処分はいずれローランスの内部で決められること。容易く民間に下ろしていい話では無かったし、万が一広まればゴドウィンが薬の中毒者の関係者から狙われることになりかねない。

「プッ」

「ロゼ…?」

小さく噴き出したのはロゼだった。

訳は話せないが薬のことは諦めて欲しい。それをどう説明したものかわからずに、金魚のように口をはくはくと開閉させていたアリーシャを見て、彼女は肩を震わせている。

「ご、ごめん。でもその顔可笑しくって。…適当に嘘ついちゃえば良いのにさ。しないんだよね、そういう事」

「え?」

目を白黒させるアリーシャを見て、ロゼがまた少しだけ笑う。

「見てたんだよ、昼間の。だから大体事情もわかってる。あたしらだって無駄な恨みは買いたくないし、こんなこと関わる気も端はなから無いよ。安心して」

「見て…た?」

「うん。アリーシャ姫が格好良く村長説教するとこらへんから。甘いばっかのお姫様かと思ってたけど違うんだねー。言う事は言うじゃん」

「あ…あれは…!!」

偉そうなことを言うつもりは無かった。しかし、あの薬はいずれ国を蝕む脅威になりうる。そう思ったら止まらなかった。

スランジが私欲のために薬を作っていたわけでは無いことは、彼がその身を削ってたった一人で製薬を続けていたことからも明らかだった。この村を思う気持ちはアリーシャにだってよくわかる。しかし、だからこそどうしても今ここで踏みとどまって欲しかった。

「とにかく…夢中で…」

「見てたらわかるよ。でも、流石は王族って感じの説教だったね。…恨みを凝らせるのが一番怖い。それをわかってる」

「ロゼ…?」

「力が無くてたって、執念で這い上がる人間ってのはいるんだよ。無力だと思って侮ってたら、明日はこっちが寝首を掻かれることになる。だから怖いんだ、人間って」

月光を弾く青い瞳がいつになく昏い。いつもの朗らかな彼女が嘘のようだった。

「ロ…ロゼ…」

「ごめんごめん。何かそれっぽいこと言ってみたかっただけだよ。…あたしらは天候見てすぐ帰るから。安心して」

じゃお休み。

そう言ってまたひらひらと手を振って背を向ける彼女に、アリーシャは挨拶を返すことすら出来なかった。

踵を返す直前のロゼの瞳は、形だけは細められていたものの、その実少しも笑ってなどいなかった。そしてその事実に気付いた瞬間、自分の胸の内に沸いた感情の正体に気付いて、アリーシャは愕然とする。

闇に消えていくロゼを見送るアリーシャの胸の内に芽生えた感情――――。

それは、紛れもなく恐怖だった。

 

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