『俺達天族は長きを生きる。しかし、全てを記憶に止めることは出来ん。だから探すのさ。遺跡ってのは過去の記憶と知恵が眠る場所だからな』
そう言って頭を撫でる大きな手。そして増えるばかりのガラクタの群れ。帰って来る度に持ち帰って来るから、すっかり量が増えてしまった。
使い方もわからないそれらを、それでも喜んで受け取った。それは、兄の帰って来る場所が自分のところであると証明する、何よりの証拠だったから。
未来に何かを求め、世界を旅する兄が、帰って羽を休める場所。それが自分の傍だとそう思ってくれている。それが何より嬉しかった。
しかし、それも過去のこと。
今は彼が持ち帰ったガラクタの多くは朽ち果て、壊れてしまった。
もう、二度と彼が世界に旅立つことは無い。自分の願いが、彼を捕らえて離さない。
やがて自分達も朽ち果てる時が来るのだろう。
―――その時が来れば。
エドナは思う。何かを訴えるように吠える兄の声を聞く度に考える。
―――「その時」こそが、彼の救いになるのだろうか。
**********
モルゴース。
ゴドジンに隠された遺跡の名はそう伝わっているらしい。
洞窟の中にぽっかりと口を開けた遺跡の入口を前に、スレイは緊張した身体を解すように一つ大きく深呼吸する。その様子に少しだけ目を細めてから、スランジは徐に口を開いた。
「導師に四つの秘力あり。すなわち地水火風。其は災禍の顕主に対する剣なり。世界に試しの祠あり。同じく地水火風。其は力と心の試練なり」
「秘力の碑文…?!」
澱みなく唱えあげられる文言は、かつてスレイ達が僅かばかり目にした碑文のそれと同じもの。まさか諳んじることが出来るとは思っていなかったスレイ達は、すらすらと出てくる古めかしい言葉にただ目を見開いて聞き入った。
「力は心に発し、力は心を収める。心力合せば穢れを祓い、心、力に溺るれば己が身を焦がさん。試せや導師、その威を振るいて。応えよ導師、その意を賭して」
「…つまり、世界には四つの祠があり、それぞれに導師の試練が用意されていると、そういうことですね」
「そして、その一つがこのモルゴースってわけだ」
どこか硬いアリーシャの言葉を受けて、ミクリオが扉で閉ざされた遺跡に目をやった。いつものごとく平静を装ってはいるものの、やはり彼等の声にはスレイと同じく緊張と興奮が滲んでいる。
扉は分厚い石で作られ、そこに精緻な彫り物が施されている。スレイ達が幼い頃に遊んだ遺跡の文様とどことなく似通った意匠は、この遺跡が作られた時代がアヴァロスト調律時代、もしくはその時代の模倣の跡が数多く見られるアスガード時代の産物であることを示していた。これが導師の試練に関係する遺跡ならば、間違いなく前者だろう。
アヴァロスト調律時代。
かつて天族と人とが手を取り合って暮らしてきたというその時代は、スレイの夢そのものだ。過去に学び未来に繋ぐ、そのためにスレイはずっと世界中の遺跡を旅することを夢見てきたのだ。
そしてその夢は、今やミクリオも共に抱くもので、アリーシャの夢に繋がる道。
その夢に続く架け橋と成り得る一つが、目の前にある。緊張しないでいられるわけが無い。
「私に出来るのはこの言葉を伝えることのみ。余りにも微力ではありますが、せめて武運をお祈りしております。…お帰りをお待ちしておりますぞ」
「必ず帰って、貴方をペンドラゴに連れて行きます」
「ええ。信じていますとも」
頷いて微笑んだスランジは、そのまま深く頭を下げる。
頭を上げて村に戻る彼に一礼を返して、スレイは改めて目の前に鎮座する古代の扉に視線を注いだ。
見上げると首が痛くなるほどの全長、一面に刻まれた古代の文様は一体何を意味するものなのか。今は無理でも、いつかはその意味も知りたいと思う。天族と生を共にしてきた人々が何を考え、どう意思を表現してきたのか。考え出すと興味は尽きない。
しかし今は悠長に意匠の分析をしている暇はなかった。スレイが一歩踏み出すと、スレイと同じように扉を穴が開くほど見つめていたアリーシャもまた、はっとしたように床から槍の石突を離す。
そうして歩き出そうとして、そこで彼女はふとその足を止めた。
「エドナ」
彼女が気遣う声音で呼んだのは、スレイ達よりも五、六歩離れた位置でやはり遺跡の入り口を睨んでいた地の天族。常ならば決して臆したりしない彼女が、どうしたことか黙ったまま、皆から離れたその位置から動かない。まるで遺跡を忌避しているかのような態度に、不審に思ったのだろうミクリオが再びエドナを呼ぶも、やはり彼女は動かなかった。
「…エドナ?どうし…」
「邪魔だから帰れって言っても、どうせ聞かないんでしょうね。アナタのことだから」
心配そうに駆け寄ったアリーシャに、エドナが向けた一瞥は冷たい。
彼女の言葉の内容に、アリーシャは伸ばした手を凍りつかせ、仲間は一様に驚きに目を見開いた。
「エドナ!!何を言うんだ!」
「うるさいわよ、ミボの分際でワタシに意見する気?」
「意見がどうとか以前の問題だ!」
真っ先に噛みついたのはミクリオ。彼がエドナに噛みつく光景自体は珍しいものではないが、それは一種のじゃれあいのようなもので、こんなに声を尖らせることは滅多にない。
その滅多にない光景を見るスレイの胸に浮かんだのは、憤りではなく疑問だった。
「エドナ、どうして…?」
人間嫌いを公言して憚らない彼女だが、アリーシャに邪険にあたっているところは見ないし、何かと己を卑下しがちなアリーシャに苛立っている節さえ見せていた。嫌いな人間相手に取る態度にはとても見えなかったし、事実、昨夜の彼女の言葉は間違いなくアリーシャの身を案じてのものだった。
スレイの疑問を受けて、エドナが居心地悪そうに身動ぎする。明らかに傷ついた様子のアリーシャを見る視線も、とても情の無いそれとは思えない。
「…着いてくるなとは言ってないでしょ」
言い訳めいたその言葉に、ミクリオの眉が跳ね上がるのを何とか制す。今この状況で仲間割れしている時間は無いし、本心では無いだろう言葉を咎めても意味はない。
実際、年長の天族達はその事実に気づいているのだろう。どちらかというと気遣わしげな視線を投げる彼らは、さっさと歩き出したエドナが遺跡の中に踏み込むのを黙ったまま見守っている。
「行こう、アリーシャ」
「あ、ああ…」
スレイは言って呆然とした様子のアリーシャに手を伸べる。憤然とした様子のミクリオの背を追う形で、スレイは遺跡の入り口を潜った。
地の神殿は自然の洞窟を利用した地下迷宮だった。
地上に広がる広大な洞窟には見上げるような柱が林立し、脇に伸びる細い道は地下に向かって続いている。その道が更に枝分かれして別の通路に合流し、或いは更に地下に潜る。どこもかしこもそんな風だったから、ミクリオとスレイが協力して地図を作りながら進んではいても、道行きは遅々として進まなかった。
「随分静かじゃねえか」
「何?突然」
何度目かに取った休憩の途中。にやにやと品の無い笑みを浮かべながら、ザビーダがわざわざ腰を屈めてエドナの顔を覗きこむ。その揶揄するような笑みに、エドナは露骨に嫌そうな表情を浮かべるが、そんなことを気にするザビーダではない。そのまま距離を空けるでもなく、尚も言葉を重ねる。
「地の試練ってことはお前さんにも無関係じゃない。なのにいつになく静かだねぇ、エドナちゃん?」
「別に。疲れただけよ。ワタシは繊細なの」
「この場所で地の天族のエドナちゃんが疲れる?じゃあオレ様は今頃死んでないといけねぇな」
「…何が言いたいの?」
「ちょっと二人とも!!」
狭い隧道の内部に険悪な空気が膨れ上がる。慌ててスレイは立ち上がり、二人の間に割って入る。幸い、ザビーダもそれ以上エドナに突っかかることはしなかったが、険悪な空気は薄れることの無いまま、出発を決めた一行の上にのし掛かっていた。
「何なんだ、ザビーダの奴。突然」
囁くような声音で話しながら、ミクリオが最後尾をだらだらと歩くザビーダを窺い見る。
細い道だ、並んで通れるのは精々二人。その先頭を巨塊の腕で道を開かねばならないエドナが歩き、彼女と並んでライラが炎を灯しながら続く。その後ろにアリーシャ、スレイ、ミクリオが固まり、少し距離を開けてザビーダが殿を務める形だ。
スレイはライラから借りた火で作った松明を掲げ、光の届くぎりぎりの範囲を固持するザビーダを見やる。
ザビーダが面白半分で人の言葉を茶化すのは珍しい事ではない。しかし、離れた位置をキープしながらも時折鋭い視線を先頭のエドナに投げる様子を見れば、先程の言葉が単なるおふざけなどでは無いことは明らかだった。
「随分とらしくない。いつもならとっくに冗談の振りで誤魔化しているだろうに」
「アリーシャもそう思う?」
自分が何を気にかけているのか悟らせるような真似は、普段のザビーダならば決してしない。仲間になるとは言ったものの、彼は決してスレイ達に心を開いているわけでも無ければ、信頼を寄せてくれているわけでも無い。だから今日のザビーダの、単なるおふざけの域を過ぎた挑発は、非常に珍しい行動だった。
スレイの問いにアリーシャは真剣な表情で頷く。
「ああ。それに、エドナの様子もおかしいと思う」
「おかしいなんてもんじゃない。何なんだ、さっきのあれは!君ももっと怒ったらどうなんだ」
「私の分もミクリオが怒ってくれているから気にならない。ありがとう。…それに、私の力が足りないというのなら、エドナはそれをはっきりと言うと思う」
エドナの舌鋒は苛烈と言ってもいいもので、事実ならばどんなに言い難いことであっても言い淀んだり決してしない。
自分に優しい嘘を彼女はつかない。どんなに言い辛いことであっても、言うべきことを言うべき時に言うのがエドナの作法だ。アリーシャの言う通り、アリーシャが力不足だとエドナが判断していたとしたら、彼女は迷わずにそう言っただろう。そうしなかったということは、きっと何か別の理由があるのだ。
ミクリオ以外の天族達が抱えた過去や事情を、スレイは殆ど知らされていない。誰だって知られたくないことや言いたくないことの一つや二つあるもので、だから無理に聞き出そうと思ったことは無いが、それでもそれぞれが背負った何かが垣間見える瞬間はある。
―――例えば、昨日の夜のように。
エドナは何かと戦っている。もしかしたら、スレイと出会うずっと以前から。それがドラゴンと化した彼女の兄と関係していることは確かなのだろうが、彼がどうしてドラゴンに身を落としたのか、エドナがそれをどう感じているのか、聞いたことは一度も無い。
「何が待ってるんだろうな、この先に…」
自分と、そして恐らくはエドナを待ち受ける試練。それがどんな物かはわからないが、生半可なものでないことは確かだろう。
緊張が背筋を走り抜ける。冷たい汗をかいた背を、そっと宥めるようにアリーシャが叩いた。
「何があっても君とエドナならきっと大丈夫だ。及ばずながら、私達も精一杯助力するよ」
「必要以上に身構えないことだね。能天気すぎるのも考えものだけど、起きてもいないことで悩むのも馬鹿馬鹿しいよ」
いつも通りで。そう励ましてくれる友人達の声に、俄に勇気が湧いてくる。現金なものだとは思うが仕方ない。
「だよな。ありがとう、二人とも」
自分には頼もしい友がいる。だからきっと、何が待ち受けていようと乗り越えて行ける。
―――だから。
スレイは先頭を行く小さな背中に視線を遣って、その後ろ姿に声に出さずに言葉を投げる。
たかだか十数年しか生きていないスレイが言うには、余りにも尊大な言葉かもしれないが、それでも願わずにはいられなかった。
何かあったら必ず、全力で助けに行くから。
―――だから、辞めないで欲しい。希望に踏み出すための、その一歩を。
スレイ達が番人を名乗るその天族に出会ったのは、遺跡をさ迷いだして一刻ほど経った頃だった。
唐突に開けた場所に出たと思ったら、行く手を人体獣面の憑魔に塞がれていた。どうしたものかとスレイ達が立ち止まったところに、パワントと名乗るその天族は地から湧いて出たかのように突然話しかけてきたのだ。
どうやら神殿の祭壇に祈りを捧げろともっともらしいことを言いながら、巨大な憑魔に行く道を遮られて、自身も本来の居場所であるそこに戻れないらしい。エドナを見て相好を崩し、何かと甘い言動をする姿はまるで孫を相手にする老翁のようで、威厳の欠片もありはしない。普段は初対面の相手には敬意を忘れないアリーシャでさえも呆れ顔だ。
「…要はあの牛が邪魔で祭壇に戻れない、あの牛を何とかしてほしい。そうなのね?」
猫なで声に辟易とした様子のエドナは、頭を撫でようとする天族の手を振り払いながらそう言う。彼女の性格を考えれば当然の結果ではあるが、そもそも今日のエドナは機嫌が悪い。彼女は徐に半獣半人のその憑魔に歩み寄ると、その緑色の双眸から並々ならぬ眼光を迸らせ、ドスの利いた声で一言。
「消・え・ろ」
見た目は幼女のようであっても、生まれてから生きてきた年月はその外見を大きく裏切る。エドナの本気の迫力たるや、直接言葉を向けられたわけでも無いスレイが思わず姿勢を正してしまう程のものだった。そしてその迫力に恐れを成したのは憑魔も同じことのようで、巨躯を大きく震わせたかと思うと、脱兎の勢いで逃げていく。その様は、穢れをまき散らすおどろおどろしさとは裏腹に、どこか小さな子供のようで憐れみを誘うほどだった。
憑魔の背中を見送って、エドナはぽかんと立ち尽くすパワントの方を、これで良いだろうとばかりの表情で振り返る。どうやら彼女は一刻も早く試練とやらを済ませて、この場所を後にしたいらしかった。
「あとは祭壇に行けば良いのね」
「…や、あいつを鎮めろっていう試練なんだわ」
ぼそりと呟かれた言葉に、エドナが驚きに目を見開いてパワントを見つめる。先に言わなかった己に非があるのはわかっているのだろう、バツの悪そうな様子で視線を逸らす彼の様子はいかにも情けなく、元は偉大な導師であったという経歴が嘘のようだ。
「どうしてそれを先に言わないの?馬鹿なの?」
身を竦めるパワントに冷たい一瞥を投げ、エドナは無言でスレイの中に戻る。彼女はスレイの外にいることを好むから、その行動だけでエドナが自分のした事に責任を感じていることが見て取れる。
「出発進行、探索開始」
不貞腐れたようなエドナの言葉に押されて、スレイ達は遺跡の深部に足を踏み入れる。何千年と生きているというのに、まるで子供のようなエドナの物言いがおかしかったから、皆それぞれに笑いながら。
だから気付かなかった。風に融けて消えてしまいそうな、その老人の言葉には。
「力の試練は憑魔の浄化。しかし、心の試練はまた別にある。越えられるかの、あの若者達は…」
かつてスレイと同じく導師と呼ばれたその天族は、物憂げな視線を若き導師の背中に投げたきり、いずこへかと姿を消した。