ぼくがかんがえたさいきょうのゼスティリア   作:ほーこ

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悠久なるは 3

「スレイ!!エドナ!!」

突然崩れ落ちた二人は、そのまま何度呼んでも揺すっても目を開けない。もしやあの仕掛けが罠で、致死性の毒でも仕掛けられていたのかと一瞬危惧したが、呼吸も体温も正常、まるで眠っているようにしか見えなかった。

とりあえず命に別状が無さそうなことに安堵して、アリーシャは二人に駆け寄った際に放り投げた自身の槍に手を伸ばす。

「…ミクリオ、二人を頼む」

「ああ」

短いやり取りで立ち位置を入れ換え、アリーシャはミクリオを含めた三人を守れる場所で槍を構えた。

姿は見えないが、どこかで雑多なものが蠢く気配が充満している。気配だけではない。アリーシャ達を観察し、距離を探るその数多の存在が発しているのは明らかに殺気である。

ミクリオの気配が急激に揺らぐ。彼が霊霧の衣を使ったのだと理解した瞬間に、ライラが緊張に強張った表情で声を上げた。

「来ます!!」

彼女の声と同時に風が疾る。突如周囲に現れた蝙蝠のような憑魔を叩き落とし、体勢を崩したそれらを容赦なく切り裂いた。

「土だ!!奴等土の中から湧いてでてやがる!」

ザビーダの言うとおり、それらは土が剥き出しになった壁面や石畳の剥がれた地面から、滲み出すように形を作り、アリーシャ達に飛びかかって来る。

ライラの符が、ザビーダのペンデュラムが宙を飛び、憑魔の悲鳴が洞窟の中に木霊する。

アリーシャは全員の動きを気配で追いながら、傍らをすり抜けようとする一匹を切り捨て、次いで空いた脇腹を狙おうとした一匹を石突きで打ち据えた。

「ここは通さない、絶対に!!」

ミクリオは霊霧の衣発動中は他の術を使えない。彼等に憑魔の牙は決して触れさせるわけにはいかないのだ。

「ライラ!!」

「はい!」

返事を聞くと同時に腹の底から彼女の真名を呼ぶ。

「フォエス=メイマ!」

「マオクス=アメッカ!」

ザビーダの詠唱と混じる二人分の高い声。槍をとります炎の気配を感じながら、アリーシャは突撃槍の形を取ったその槍の柄をぎゅっと握り締めた。

 

 

**********

 

 

 

目を覚ました時視界を埋めたのは、丸くて大きい黒の瞳だった。エドナの顔を穴が開くほど見つめるその瞳は、エドナが目を開けたことに気づくとぱちぱちと何度か瞬きして、やがてほっとしたように輪郭を和ませる。

「良かった。気がついたのね」

「アナタ…」

しゃがみこんでいたせいで汚れたスカートの裾を払いながら立ち上がったのは、幼い少女だった。肩までの黒髪を左右に分けて三つ編みにし、茶色のリボンを結んでいる。胸に飾り紐を備えたワンピースに茶色い革の短いベスト、色糸で刺繍された靴も革そのままの素朴な茶色。一目で農村部の娘だということがわかる、どこか古めかしい素朴な格好である。

そう、娘の外見はどこでも見られる普通の人間の衣装だ。武人階級でもなければ神職でもなく。

「アナタ…ワタシが見えるの?」

立ち上がりながら少女に問う。答えのわかりきった質問だったが、違和感が大きすぎて問わずにはおれなかった。

人と天族が道を分かって数百年。二つの種族の争いは、互いに甚大な被害と消えない傷を刻んで、ようやく鎮火しつつある。

和解したのでは決してない。決定的に袂を分かったのだ。

肉体を持たない天族の存在は、他の生物に比べて圧倒的に希薄だ。そのために、真実の姿をありのままに受け止める気概を持つ者以外は姿を捉えることすら敵わない。動物は希望的観測を以て事実を歪めることはないから、天族の姿を見失うのは殆んどの場合人間だった。 

昔はそうでなかったのだと聞いている。天族と手を取り合いながら生きていた頃は、多くの人間が天族の姿を見、声を聞いていたと。長い時間の内に道を分かち、それぞれ傷つけあう関係になって長く時が経ち、人間は天族の真の姿を忘れてしまったのだと。

戦いの中で数を減らした彼等は、自然を操る力を持つ天族を怖れた。悪鬼のように忌み嫌い、或いは神のように祀り上げることで災禍を逃れようとした。

天族は悪鬼でもなければ神でもない。人と同じくこの大地で生きる生き物の一種、そんな事実すら殆んどの人間は忘れ去り、忘れなかった人間は天族の力を借りて人の世を安寧に導こうと、或いは私欲のために搾取しようと躍起になって天族を探した。

そしてまた、その思いが強ければ強いほど、人は天族を見失う。結果として、地上から天族を見ることのできる人間は殆ど姿を消してしまったのだった。

いまや天族の真実を知るのは、一部の神職や政を行う階級の人間のみ。一般市民に知らされているのは畏れによって歪められた歴史と神話だけで、彼等はどれだけエドナが傍に行こうが話しかけようが、なんの反応も示さなかった。

それなのに、この少女には見えている。彼女の黒い双眸は興味深げな光を湛えて、エドナに視線を注いでいる。

少女はエドナの言葉にパチパチと目を瞬かせると、にこりと微笑んで頷いた。

「変なの。だって見えなかったら覗きこんだりしないし、怪我の心配もしないわ。――ねえ、あなた天族でしょ?」

「だったら何?」

エドナの兄は人間が好きで、事あるごとにこのレイフォルクを出て人間の観察を続けている。その間エドナはここで一人になるものだから、声には少々険が混じった。

棘のある声に、しかし少女は挫けない。

「ずっと会ってみたかったの。おじいちゃんはずっと、昔は色んな場所に天族がいて、人間と一緒に遊んだりお仕事をしてたって言ってたし、村の皆は麦の育ちが悪いのも、悪い虫がでるのも天族が人間を虐めているせいだって。ねえ、どっちが本当なの?」

無邪気な声が耳に刺さる。人間の責任転嫁は今に始まったことではないが、人と天族はわかりあえるのだと目を輝かせる兄を思えばどうしたって憂鬱になった。

「災害が重なるのは穢れのせいよ。ワタシ達は何もしてないわ。生憎とそこまで暇じゃないの。アナタ達人間がどうかは知らないけど」

ただ兄の帰りを待つだけの毎日は死ぬほど退屈ではあるが、自分のことを見えもしない相手に嫌がらせするほど根性は曲がっていない。見えも感じもしないくせに、世の不条理を天族のせいに出来る人間の方が余程不可解だ。

不思議そうにエドナを見上げる少女は、エドナの背丈と変わらない。人間の標準でいうなら精々十歳というところだろう。エドナはその少女の黒い瞳を無感動に見返した。

―――どうせすぐに見えなくなる。

心の柔らかい子供は、稀に天族の姿を捉えることがある。暗闇にお化けがいるのも本当なら、他の人には見えない天族という何かがいたっておかしくない。大人が語る偽りの神話の大部分は彼等にとっては難しく、畏れを抱くには世界というものをまだ知らない。だから大人のような偏見を持たないのだ。

だが、長じるにつれて彼等は知る。お化けなんていないのだと。そんな子供じみた存在はおらず、しかし世界には人間の御するに及ばない理不尽が星の数ほど存在するのだと。

何かがいるのだ、と彼等はいつか考える。かつての親や祖父母達と同じように。

人智を越えた存在が、世界の理を操って人に苦難を与えている。それが一部の人間が言うように、人が未熟で至らない存在だからなのか、他の人間が言うように過去の意趣返しなのか、そのどちらの理由を採るのかはわからないが、何れにしても同じことだ。

―――彼等は天族の真実を見失う。

だから純粋な好奇心で瞳を輝かせる少女に、エドナはエドナは何の期待もしなかったし、興味も関心も持たなかった。ただ通り過ぎていくだけのものに構うつもりはない。踵を返してその場を立ち去ろうとした時だった。

「嫌なこと言ってごめんなさい。でも、やってないならもっと堂々としていても良いと思うわ。逃げたって何も解決しないっておじいちゃんいつも言ってたもの」

「は…?」

背中からかけられた言葉が余りにも想定外で、思わずエドナは足を止めた。

「…誰が、いつ、誰から逃げたのよ?」

振り向いた先には年端もいかない小さな少女。外見だけならばエドナも同じ年頃に見えるのだろうが、実際は一回りどころか桁が違う。こんな小娘を恐れて逃げたなどと甚だ心外だ。

「ワタシはただ人間と関わる気が無かったから別な場所に行こうとしただけ。たかが人間が何様のつもり?」

「アリム」

「え…?」

エドナの言葉を遮って、少女が短い言葉を押し付ける。

「わたしは『人間』なんて名前じゃないわ。アリムっていうの。おじいちゃんがつけたくれたのよ」

「それで?」

子供特有の唐突な主張にげんなりしながらエドナが続きを促せば、その冷たい声音に怯むことなく笑みで応える。左手に持つ濡れたハンカチをひらひらさせながら。

「心配したって言ったでしょ?少なくとも汚れた顔を拭いてあげたお礼くらいはして欲しいわ。…ね、天族さん。お名前は?」

どうやら礼の代わりに名前を教えろということらしい。歳の割には強かで口も回るらしい彼女に対し、無視を決め込む方が骨を折りそうだ。百年近く歳を重ねているエドナも、地の天族である以上、空を飛んでは逃げられない。

「…エドナ」

ため息と共に音を吐き出すと、少女は輝かんばかりの笑顔を浮かべてよろしくね、と言った。

実際に今後十年以上を彼女と共に過ごすことになろうとは、この時のエドナは想像もしていなかった。

 

 

「今更…何なの…?!」

どことも知れぬ白い空間。天も地もなく果ても見えないその場所で展開された光景に、エドナは思わず歯噛みした。

まるでその場にいるかのように鮮やかな映像は、確かに過去実際に起こった事だった。

一体何時のことだったか、数えるのも辞めてしまった遠い過去。今もエドナの心の底でじくじくと血を流す傷の、これが全ての始まりだった。

「エドナ…?」

背後からかかった声に肩を震わせる。

振り向かずともわかる。困惑したような、スレイの声。

「エドナ…今のは…」

「関係ないわ」

硬い声で言葉の続きを拒絶した。

「スレイには関係ない」

「エドナ…」

関係ない筈がない。こんな大掛かりな仕掛けを用意している以上、これは恐らく試練とやらの一環に違いない。そもそもスレイ達は導師の秘力を手に入れるためにここに来たのだ。関係ないどころの騒ぎではない。

わかってはいたが、それでも触れられたくなかった。

スレイとてこの幻に意味があることくらいわかっているだろう。それでも、彼は頑ななエドナを咎めることなく、穏やかな笑みを浮かべただけだった。

「わかった。エドナが話せると思ったら話して」

優しい声が今は痛い。

エドナは彼の言葉には答えず、俯いたまま足元の白がじわじわと色を変えていくのを見つめていた。

 

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