非常に長いので分割で投稿します。
アリーシャと一緒に旅がしたかったなぁ、という気持ちを詰め込みました。
もう一つの選択肢 1
「ロゼさんを私達の旅に誘いませんか?」
唐突なライラの言葉にスレイは思わず彼女の方を振り返る。
「え?何、突然」
「僕も同意だ」
いつもと変わらぬおっとりとした笑みを浮かべたライラの言葉を、ミクリオが継ぐ。冷静で明快、はしゃぐスレイを嗜める時と同じ調子で彼は言う。
「スレイの良い仲間になると思う」
「ミクリオまで…」
振り返った親友の顔にふざけた様子はまったく無い。寧ろその表情は酷く真剣で、別段スレイでなくたって彼が本気であることを察するのは容易いだろう。
その真剣な表情がふと緩む。微かに浮かんだ笑みは、その奥底にほんの少し寂しげな色を抱えていた。
「ジイジが言ってた、『同じものを見て、聞くことが出来る真の仲間』だよ」
「それに、ロゼさんの霊応力はスレイさんに比肩するほどのものです。アリーシャさんの時のように従士の代償でお互い苦しむことも無いと思いますわ」
「なっ…?!」
普段と変わらぬ笑みを浮かべたライラの真意は窺えない。しかし真の仲間、そう言うミクリオの笑みは、最早はっきりと自嘲の様相を呈していた。
彼の意図するところを悟ったスレイは、ただ呆然と親友の顔を見遣る。
眉目秀麗な幼馴染は、黙って立っていればクールな二枚目だが、普段はその表情をクルクルと良く変える。歳の割に冷静に見えるのは彼がそうしようと努めているからであって、内面はスレイ以上に激情家だし、人情に厚く義理堅い。そのミクリオがまるでアリーシャを切り捨てるような意見を肯定してまでロゼを推す理由がわからないほど、スレイは彼と浅い付き合いはしていない。
「そんな言い方…それじゃあ…」
続けるべき言葉を見失って、結局スレイは口ごもる。否、続けるのが怖かった。
ロゼに霊応力があることは、ロゼと会った時にライラが言及していたから知っている。彼女に何故か風の天族がくっついていることも知っているし、ならば協力してもらえれば心強いだろうとは思う。しかし、それと彼女を仲間として受け入れられるかどうかは別問題だ。
スレイはロゼを知らない。彼女が何を思って暗殺ギルドの頭領でいるのか、どんな気持ちで「仕事」をこなしているのか。何故穢れを生まないのか、どうして天族を見ることを拒絶しているのか。ロゼという人間を何も理解していないのだ。
その彼女が真の仲間だというならば、幼い頃から隣に居て、遺跡を探検しては議論を戦わせ、自分の危険を顧みずにライラの陪神になることを買って出たミクリオは一体何だというのか。初めて出会った人間で、スレイの不振そのものだっただろう行動を嗤わず、見えないにも関わらずスレイの家族も同然である天族の存在を肯定してくれたアリーシャは――。
「俺は…」
搾り出すように顔を上げた、その瞬間だった。
スレイの視界の端に移った壁。遥か昔に作られたはずのそれには、継ぎ目も無ければ溶接した跡も無い。まるで巨大な岩石から削りだした一枚岩のように強固なそれから、不意に白い煙が噴出する。勢いを増したそれは瞬く間に狭い空間を侵食し、視界を白く染め始めた。
「とにかくこれ、何とかしないとヤバいんじゃない?」
そう言うエドナの声は言葉とは裏腹に酷く淡々としていたが、それでも内容に間違いは無い。このままじっとしていれば、人間であるスレイは確実に煙に巻かれて死んでしまう。
「とにかく煙を止めよう!仕掛けを探すんだ!!」
ミクリオはそう言うと弾かれたように走り出す。
視界はみるみる翳っていく。議論している時間は無い。それだけは確実だったから、スレイも胸中にもやもやした物を抱えながら、仕掛けを解除すべく走り出した。
「スレイさん!!ロゼさんに真名を!!」
悲鳴じみたライラの声が、古代の遺跡に響き渡った。
握った剣の柄が汗で滑る。何とか振るわれる爪を掻い潜って剣を振るったが、元々刃の無い儀礼剣ではその硬い鱗の欠片すら切り取ることは適わなかった。
ドラゴニュート。天族が穢れに染まり、憑魔と成り果てたその姿は、いつか出会ったドラゴンよりも遥かに小さいが、それでも遺跡の天井に頭がつきそうな程度には大きい。体を覆う鱗は硬く、刃はおろか天響術ですら殆どダメージを与えられない。既に幾度も剣を振るっているが、それでも相手が堪えた様子はまったく無く、スレイの息が上がるばかりだ。
決定打が無いと勝てない。
ちらりと声のした方を見ると、どこか呆然とした表情でロゼが戦況を見つめているのが見えた。ついさっきまでは憑魔はおろか、すぐ傍に張り付いていたデゼルの存在にすら気付いていなかったというのに、今の彼女は確かにスレイ達の戦いを捉えている。
彼女の実力は知っている。この状況でロゼの助力があればこれ以上無い程ありがたいし、彼女が動くとなればデゼルも動くだろう。陪神契約しなければ浄化の力は得られないが、彼の風の力は唯一ドラゴニュートが耐性を持っていない属性である。完全に浄化することは出来なくとも、動きを制限することは出来るだろうし、そうなれば今のメンバーでも何とかやりようはあるだろう。
そこまでわかっていて、それでもスレイは躊躇った。
デゼルを動かすのならばロゼの助力を得なければならない。しかしただの人間である彼女が生身で憑魔に対抗できるわけも無い以上、彼女の力を借りるならば従士契約は必要不可欠だ。
真名を与え、天族との共闘を可能にする契約。以前スレイは考え無しにアリーシャと契約を結び、結果彼女を傷つけた。だから安易に契約したくはなかったし、何よりも今ロゼと契約してしまったら、あの時のミクリオの言葉を肯定するようで嫌だった。
―――霊応力が高く、同じものを見て同じものを聞く真の仲間。
その言葉の裏を返せば、スレイの契約が無ければ天族を見ることが出来ないアリーシャや、そもそも種族の違うミクリオやライラ、エドナが真の仲間では無いと言っているも同然で。
スレイが旅立ったのはそもそもアリーシャがイズチに来たから。そしてここまで来れたのはライラやエドナの助力があったから、そしてミクリオが隣で支えてくれたからだ。
我がままなのはわかっている。状況を理解しているのならば、現実的な利を取るべきだ。理性ではそう理解しているのに、心の奥底の何かがそれは違うと喚きたてる。
頭の中をアリーシャの笑顔がちらついた。イズチに来た時に彼女が見せた穏やかな微笑み。そして天族の声を聞いた時の、彼女の花が咲いたような笑顔。
マオクス=アメッカ―――笑顔のアリーシャ。
伊達や酔狂でそんな名前をつけた訳ではない。彼女の笑顔は印象的だったし、それこそが彼女を表すに相応しい名前だと思ったからつけた名前だ。それなのに、記憶に残った彼女の笑顔を、スレイは一体いつから見ていないのだろう。従士契約のせいでスレイの視力に支障が出たことに気付き、彼女は自ら別離を切り出した。隠し通すことも出来ずに仲間を危険に晒したスレイに彼女を引き止める言葉があるはずもなく、結果彼女の笑顔を見ることなくマーリンドを離れ、そしてアリーシャは捕まった。偽導師を使って民を扇動した、という無実の罪で。
従士の契約は軽率だった。余計に彼女を傷つけただけで、スレイは彼女の願いを叶えるために、何の手助けもしてやれなかった。
それでも、従士の契約とスレイがつけた真名は、現状ではアリーシャとスレイを繋ぐ唯一の絆だ。例えそれが今のスレイに御しきれないものだとしても、もっと力をつけてアリーシャと肩を並べられる日がきっと来る、そう思ったからこそマーリンドで別れを切り出した彼女を止めなかったのだ。いつか笑顔で再会出来る日が来ると、そう信じていたから。
「…ごめん、ライラ、ミクリオ。オレのために言ってくれてるってわかってるけど…それでもっ…!!」
襲ってきた爪を渾身の力で弾き飛ばす。僅かにバランスを崩して出来た隙を突き、間髪入れずに剣を振るった。
「おおおぉぉぉおっ!!!」
「スレイ!!突っ込みすぎだ、間合いを取れ!!」
「スレイさん!!」
切羽詰ったミクリオとライラの声に、心の中でごめんと詫びる。
ライラとミクリオがスレイを心配してロゼとの契約を薦めたことはわかっていた。従士の代償で苦しんだのは事実、危険の多い旅をしている身にとって、それはいつ致命傷に成り代わるかわからない。旅の相棒として頼れる仲間が必要なのは痛いほど理解していた。
それでも、今断ち切ることだけは出来ない。せめてもう一度、アリーシャの無事を確認して、その笑顔を見るまでは。
だからごめん、ともう一度胸の内で呟いて、休まず剣を振り続ける。ロゼと契約しないのはスレイの身勝手で、だからロゼとデゼルを傷つけるわけには断じて行かない。勝手を通すのならば、せめて二人が逃げる隙だけでも作らなければならなかった。
「ロゼ!デゼル!!遺跡の外へ、早く!!」
「あ、あたしも戦う!!契約すれば戦えるんでしょ?!」
「契約は出来ない、ごめん!!」
だから逃げて、と叫んだ自分の声が悲鳴じみていることにスレイは気付いていた。もう長くは持たない。早くも息は上がりきっているし、剣を握った手は硬いものを無理に斬り付けることを繰り返したせいで、鈍い痛みを訴えている。剣自体もどれだけ持つか。元々刃はついていない分強度はそれなりにあるが、それにしたってこうも無理をさせればいつかは折れる。それだけドラゴニュートの鱗は強固だ。
「スレイ!!」
ミクリオの叫び声と同時に、意識がそれていた右側から尻尾の一撃が襲い掛かる。ミクリオが叫んでくれたおかげで直撃だけは免れたが、体勢を崩した所を強靭な尻尾が掠めて、抵抗できずに弾き飛ばされる。満足に受身も取れずに石畳を転がったダメージは大きい。息を詰まって視界が一瞬白く染まった、その隙を見逃す敵では無く、杖を振りかぶって突進を止めようとしたミクリオがいとも簡単に吹っ飛ばされるのが見えた。
「ごめん、みんな…」
視界に映る爪はいかにも鋭利で、その爪を支える腕は丸太のように太い。直撃を食らえばまず無事で済まないことは確実だった。
振り上げられた爪は、今にも振り下ろされようとしている。スレイが衝撃の予感に目を瞑った、その瞬間だった。
頭の中でいかにも呆れた様子の溜息が聞こえたのは。
「…本当、変な奴」
両腕が持ち上がったのと、凄まじい衝撃を感じたのがほぼ同時。しかし予想していた痛みは無く、自分も確実に生きている。それに気付いたスレイが恐る恐る目を開けると、ドラゴニュートに負けず劣らずの強靭な腕が、鋼を研いだような爪を止めている光景が飛び込んできた。
「た、助かったよ、エドナ…」
「さっさと従士契約しちゃえばこんな事にならずに済んだのに。何?あのお姫様に義理立て?」
「義理立てなんかじゃないよ。オレが手放したくなかったんだ。…勝手言ってごめん」
「本当にね。…でも、良いんじゃない?従士に誰を選ぶのかなんて導師の自由だもの。寧ろ主神の言うことに一々ぺこぺこしてる情けない導師だったら、こっちから陪神契約切ってやるところだったわ」
「エドナ…」
「ぼけっとしないの。…来るわよ」
「術で援護します!持ち堪えてください!」
ぐっと両足に力を込めて、エドナとスレイは石畳を踏みしめる。腰を落として頭を守る、その腕に猛り狂ったドラゴニュートが牙を立てようと突進してきた。流石にまともに噛まれたのでは一たまりも無い。腕を振って顎を弾き、牙をいなしながら壁際に下がる。ドラゴニュートは力は強いが頭は余り良くない。何とか引き付けてからステップで回り込み、壁際に追い詰めればロゼ達の逃げる時間を稼げる。それがスレイに今取れる最善の手だ。
「デゼル!!ロゼを連れて逃げろ!!」
エドナの力を借りた豪腕で牙をいなしながら、声だけでデゼルに呼びかける。恐らくロゼが自分から逃げることは無い。ならば常にロゼに寄り添い、影ながらその身を守ってきたデゼルに彼女の身を任せるのが一番早い。ロゼの意思を無視するようだが、彼女には愛する家族がいる。何が何でも無事にこの遺跡を出なければならない筈だった。
「デゼル!!」
「あたしは逃げないよ!逃げたりなんかするもんか、絶対に!」
渾身の力を込めてドラゴニュートを柱の影に追いやってスレイは声を張り上げる。抑えるのはもう限界だった。猛り狂ったドラゴニュートは、めちゃくちゃに腕と尻尾を振り回し、その場から脱出しようとする。力で適わない以上、真正面から攻撃を受けるのは無謀でしか無い。
好機は一瞬。ロゼならばその一瞬で抜けられると踏んでの賭けだったが、それでも彼女は頑なに逃げることを拒んだ。
「ロゼ!!」
「しつこい!逃げないったら!」
デゼルの静止を振り払い、止めようとしたミクリオを振り切ってロゼが走る。彼女はスレイがドラゴニュートを追い詰めた柱の影から回り込み、ドラゴニュートがスレイに向かって腕を振り上げた瞬間を狙って飛び上がる。狙うは首筋、暗殺者を生業とする彼女らしい身の軽さを生かした一撃だった。
カツン、と鱗と鱗の間に刃が噛む音がする。同時にライラの術が炸裂し、ドラゴニュートは始めて悲鳴らしい悲鳴を上げた。
「やった!」
「馬鹿、逃げろ!!」
空中で体勢を整えながらロゼが嬉しそうに声を上げるのとほぼ同時に、デゼルが引き攣った声で叫びながらロゼの服に向かって手を伸ばす。風の天族らしい見事な跳躍を見せたデゼルだったが、しかしその手は一瞬遅い。彼の手がロゼの上着に届くよりも一瞬早く、苦悶の咆哮を上げたドラゴニュートの尻尾が無造作に宙を薙いだ。
小山のような憑魔に対して、ロゼの体は余りに軽い。尻尾に薙ぎ払われたロゼの体はいとも簡単に跳ね飛ばされ、遺跡の底の奈落に向かって落ちていく。
「ロゼ!!」
ドラゴニュートの攻撃を掻い潜りながら彼女を助けることなど不可能だ。スレイが絶望的な気分で叫んだ瞬間、ぶわりと周囲を風が舞う。ドラゴニュートすら一瞬たじろいで動きを止めるほどの突風は、永く遺跡に堆積していた塵や芥を舞い上げて、まるで煙幕のようにスレイ達の視界を遮った。
「なっ?!」
「とりあえず距離を!スレイ!」
見えなくては動けない。しかしそれは相手も同じで、ドラゴニュートの影が戸惑うように右往左往するのが微かに見える。ドラゴニュートよりも遥かに小さいスレイ達ならば、とても気配を追うことは出来ないだろう。
今の内に距離を。そう言うミクリオの声に従って、とにかくスレイとエドナが一歩退いた、その時だった。
「呼べ!!ロゼ!!」
吼えるようなデゼルの声。そして遺跡中に響き渡るその声の余韻が消えぬ内。
「ルヴィーユ=ユクム」
ぴたりと重なる二人の声、そしてそれに続く眩いばかりの閃光が何を意味するのか。そんなことは知りすぎるくらいに知っている。
「そんな…まさか…」
呆然としたライラの声。しかし声を出せたのは彼女だけだった。
ぴたり、と突然風が凪ぐ。あまりにも唐突な変化にドラゴニュートすらも警戒するようなうめき声をあげる中、それは殆ど無音でスレイ達の目の前に舞い降りた。
「…神依」
殆ど吐息に近い音量で呟いて、それきりスレイは口を噤む。
荘厳とも言える輝きを身にまとい、金に変化した長い髪を靡かせる。風が吹いているはずなのに彼女の周りは酷く静かで、それが却って異様な雰囲気をかもし出していた。
それからの戦闘は短かった。
風に耐性を持たないドラゴニュートは、遠距離からのミクリオとスレイの神依の援護を受けたロゼとデゼルにあっさりと沈黙し、今は本来の犬型の天族の姿を晒して気持ちよさそうに眠っている。そのすべすべした毛皮を撫でながら、ロゼは複雑そうな顔で沈黙していた。壁に背中を預けて立っているデゼルもそれは同様で、どうやら本人達にも何が何だかよくわかっていないらしい。
口火を切ったのはミクリオだった。
「どういうことだ?神依は導師だけが持つ力じゃなかったのか?しかも主神のライラと陪神契約を結ばずに神依するなんて…」
彼が問うたのはライラに対してだ。他ならぬロゼとデゼルですら事態を飲み込めてはいないのだから、答えを知っているとしたらライラしかいない。冷静な彼の判断は今回も正しかったようだ。
ライラは暫く思案するように視線を泳がせ、やがて納得したように小さく頷いた。制約が許す範囲、それを確認しているのだろうと大体は予想はつくが、今回はどうやら誤魔化さずにすんだらしい。真面目な顔で口を開く彼女に、スレイはほっと胸を撫で下ろした。
「…そもそも、導師とは必ずしも一人とは限りません。導師とは天族と心を通わせ、その力を振るう者。逆に言えばその条件を満たしてさえいれば、誰でも導師になれるということです」
それには天族の側にも条件が要求されますが、と言い置いてライラは意味有り気な視線をデゼルに送る。
「デゼルさん。貴方もしかして、目が…」
「…よく気付いたな。初対面で気付く奴はまずいないが」
言ってデゼルは帽子を取る。そのまま無造作に長い前髪をあげて見せた彼に、ライラ以外のその場にいた全員が息を呑んだ。
天族は自然の力を振るう特性を持つ故か、その瞳は概ね鮮やかな色をしている。色の種類も人間に比べれば遥かに多彩で、まるで宝石のようだとスレイなどはいつも思う。
その目が。
若草色の髪に隠されたデゼルの両の目。外から見てわかる外傷こそ特に無いものの、彼の瞳には天族特有の鮮やかな色は無かった。灰色に濁った瞳、髪を上げて光が入っても中心の瞳孔の大きさは一向に変化しなかった。
盲いているのだ、とすぐにわかった。
彼の瞳を数秒見詰めて、ライラはすぐに視線を落とす。痛ましげに視線を伏せたまま、彼女は静かに呟いた。
「そうですか。…それが、貴方の誓約なのですね」
「これは過去にたまたま見えなくなっただけだ。何か大層な意味があるわけじゃない」
「ええ、それでも。視力という大きな力を制限したことが、浄化の力を得るのに必要な誓約の役目を果たしているのでしょう。ロゼさんが天族を知覚するようになって、ロゼさんとデゼルさん、双方の条件が整った…。だから神依が発動したのでしょう」
「ていうか、わかってて呼べって言ったんじゃないの?俺はてっきり神依するつもりで言ったんだと思ってたんだけど」
あのまま神依しなければ、ロゼは確実に奈落に飲まれて死んでいた。それを阻止するため、デゼルは神依しようとしたのだと思っていたのだが、彼の口ぶりからするに、自分とロゼが神依出来るかどうか殆ど確信は持っていなかったようだ。いくら風を操るとは言え、自由に空を飛べる訳ではない。上手くいけば奈落を脱出することは可能だろうが、それでも伴う危険はかなりの物だ。
その危険を押してもデゼルはロゼを助けた。ロゼ本人は今の今までデゼルを認識すらしていなかったのに、それでも彼は彼女を助けることに命を懸けたのだ。
「…別に、確信があったわけじゃない。出来れば今後役に立つ、そう思ったからやってみただけだ」
「下手な言い訳ね」
「何とでも言え。俺は復讐が出来ればそれで良い。それ以上のことは何も無い」
吐き捨てるように言い捨てて、デゼルはそれきり口を噤む。エドナの挑発めいた視線に応えることもなく、帽子を被り直して再び壁に背中を預ける姿を見るに、これ以上問答を続ける気は更々無いようだった。
答えを期待していたようにデゼルに視線を向けていたロゼの瞳がそっと伏せられる。いつも天真爛漫な彼女が、こんな風に言葉を飲み込むのは珍しいが、どうやら何か思うところがあるのだろう。自分に関わることなのに今の彼女は矢鱈と静かだ。
「…何か、複雑そうだな」
「ああ。…どうやら、ロゼとデゼルの間に何か事情があることは確かみたいだね。どうやらロゼの方には心当たりは無いようだけど」
周りに気付かれない程度のごくごく小さな声で話しながら、スレイとミクリオは遺跡の遺構を見る振りで距離を取る。ドラゴン化しかけていた彼が目を覚ますまではここにいなければならないが、どうにもこうにも空気が重い。第三者が入れる空気ではとても無いし、デゼルに何かを聞いたところで教えてくれるわけも無いのは明らかだ。そもそも、誰にだって聞かれたくない秘密というのはある訳で、それがスレイ達に特に関係しない以上くちばしを突っ込むのは迷惑にしかならない。人付き合いの経験が浅いスレイだって、そのくらいのことは理解出来る。
しかし、わかっていても導師という自分と同じ境遇に立ったロゼのことはどうしたって気にかかる。彼女とデゼルに何があったのかはわからないが、彼らの関係の中に人間と天族の共存という未来の可能性が開けるヒントがあるのではないかと、どうしたって期待してしまうのだ。
「そういえば、何でロゼってデゼルの真名を知ってたんだろう?」
竜の石像を指でなぞりながら、ミクリオが小さな声で疑問を投げる。
「え?そりゃまあ、教えたんじゃないの?」
最初からくっついていたくらいだ。ロゼからの印象はともかく、デゼルからロゼの印象は良いのだろう。ならばどこかで教えても不思議じゃないと、その程度にしか思っていなかったのだが、スレイの返事は余程的外れだったらしい。ミクリオが呆れた様子を隠そうともせず嘆息した。
「何時だ?ロゼが天族を見えるようになったのはついさっきだし、大体真名なんてそう簡単に他人に教えるものじゃない」
「…確かに」
スレイは幼少時からミクリオと育った関係上彼の真名を知っているが、これは本来異例のことなのだ。天族の真名は余程のことが無い限り他者に明かされることは無い。本来ならば伴侶か親兄弟の縁を結んだ者くらいにしか明かすことは無いし、知っていても他者がいる前では口に出さないのが最低限の礼儀だ。事実イズチの天族でスレイが真名を知っているのはミクリオのみ。幼い頃から面倒を見てもらった彼らでさえ、スレイには真名を明かしてはいない。
その真名を、ロゼは知っていた。それだけで、デゼルとロゼの関係がただならぬものであると証明しているようなものだ。
「…やめよう。きりが無い」
どうしたって答えが出ない疑問に裂く時間は不毛でしかない。暫く額を合わせてやり取りしていたスレイ達だったが、ミクリオの言葉で打ち切りになる。
もしデゼルが教える気になったら聞かせてくれるだろうし、どうしても知る必要があれば教えてくれるように頼み込めば良い。スレイと同じく導師となったロゼの身の振り方は気になったが、正直ロゼ自身まだそれどころでは無いだろう。ゆっくり考える時間こそ、今の彼女には必要だ。
そう結論付けて、スレイはとにかく胸の内に浮かんだ様々な疑問を横に置く。
折角遺跡に来ているのだ、不毛な議論で時間を潰すのは勿体無いし、そう思って見れば目の前の遺構は実に魅力的でもある。少なくとも、犬型の天族の彼が目を覚ますまで、退屈しないでいられそうだった。
「とりあえず、今日はここで寝るとして。…んで、これからあんたらどうすんの?」
遺跡深部から出たロゼが、実に自然にスレイに尋ねる。その調子はいつもと変わらず暢気そうで、先ほどまで浮かべていた複雑な表情はどこにも無い。清々しいまでに「いつものロゼ」だ。
吹っ切れたわけでは無いだろう。それでもここでのロゼは風の骨の頭領で、これがロゼの頭領としての顔なのだろう。ロゼが頭領として皆を立派に引っ張って行こうとしているのは、彼女の姿を見ればわかる。今はその活動の是非を問うつもりはスレイには無いが、彼女がこのギルドを何よりも大切にしているその気持ちだけは何となく理解出来る。
―――だって、仲間は大切だ。例え自分に危険が及ぼうとも、助けたいと願う程。
「オレはハイランドに…レディレイクに戻るよ」
「スレイ!」
淡々と答えた途端、咎めるようにミクリオが眉をしかめる。否、ミクリオがこういう顔をする時は大体スレイを心配している時だ。それも、看過出来ない程スレイが無謀な行動を起こそうとしている時。遺跡の未知の部分に一人で分け入ろうとした時、足を怪我したミクリオを庇おうとして獣に飛び掛ろうとした時、ミクリオはいつもこんな顔でスレイを止めたものだった。
「駄目だ、危険過ぎる。戦場でのことをもう忘れたのか?!」
「勿論、あの時と同じ失敗をする気は無いけど。でも、アリーシャのことは放っておけないよ」
「確かにそれはそうだが…しかし…!」
アリーシャの名を出されて怯んだのか、彼にしては珍しく歯切れが悪い。アリーシャの心配をしているのはきっとミクリオも同じ、しかしそれでも意見を変えないのは一重にスレイの身を案じているからだ。
霊応力を封じられ、一人で穢れ坩堝と化した戦場で命を落としかけた、その事はスレイ以上にミクリオのトラウマになっているらしい。確かに、共にいたのに力を振るえず、スレイが死に掛けているの見ていることしか出来なかった経験は、ミクリオの性格を考えれば耐え難いものだっただろう。逆の立場なら、スレイだって確実に止めている。
しかし。
「ねえ、ミクリオ。アリーシャってさ、ちょっと変わってるよな。天族を見えない人間からしたら、オレなんてどっかおかしい奴にしか見えないだろうに、それでもアリーシャはオレのこと馬鹿にしたりしなかった。声も聞こえない時から天族のこと信じるって言ってくれて、本当に声が聞こえたら喜んでくれて…」
もし最初に出会った人間がアリーシャで無ければ、スレイの旅は随分変わっていたように思う。少なくとも、臆面なく人前でミクリオやライラと言葉を交わすことはなかっただろうし、どこへ行くにも人目を気にしてこそこそ隠れるように歩いていただろう。
「オレ、ずっとミクリオ達と暮らしてたからさ。人間より天族の方が身近なんだよな。ミクリオだって家族みたいなもんだし、ライラやエドナだって傍にいて何の違和感も無いしさ。でもそれって、所謂「普通」とはちょっと違うよな?」
「…そうだろうな。だから…」
「真の仲間がオレには必要?」
「ああ」
言葉少なに頷く親友の顔はいかにも悔しげで。力になれない自分が歯痒いとわかりやすく顔に書いているその様に、スレイの頬は思わず緩む。
「な、何笑ってるんだ!」
「い、いや。意外にナイーブだよな、ミクリオって」
「スレイ!僕は真面目に…!」
「オレだって真面目だよ」
怒りに頬を染める彼の言葉を遮ってスレイは続ける。言葉の通り、今度は真面目だ。
「大体さぁ、こんなにオレのこと真剣に考えてくれてる奴がいて、何でオレに仲間がいないなんて思うんだよ。ライラだって、アリーシャだってそうだった。導師の使命とかそれよりも先に、喧嘩したオレ達のことをまず気遣ってくれただろ?エドナだってそう。さっきドラゴニュートと戦ってた時言ってたの、オレの背中を押してくれたんだよな?オレの選択が間違ってないって」
「…何の話かしら」
そっぽを向くエドナの耳がやや赤い。それを見たスレイは微かに微笑んで、未だ迷いの隠せないミクリオに向き合った。
「ミクリオだってそうだ。今もこんなにオレのこと心配してくれてるし、オレの無謀な夢を自分の夢だって言ってくれた。アリーシャだって穢れの無い故郷を見たいって、それってきっとオレの目指す世界と繋がってるよね。…それってさ、すごいことだと思うんだ。天族が見えるとか、声が聞こえるとか、そんなことよりもずっと。だって、見える物が違うのに、違う物を見て今まで育ってきたのに、同じ目標を目指せるんだ。お互いを理解し合って、夢を語り合って。それってさ…ジイジが言ってた『同じ物を見て、聞くことの出来る真の仲間』そのものだと思わないか?」
種族、育った環境、生まれ持った能力。差が大きい物ほど理解し合うことは難しい。しかし、だからこそ壁を乗り越えて手を取り合えた時の喜びは大きい。
アリーシャが伸ばしてくれた手は、スレイにその喜びを教えてくれた最初のものだった。だからスレイは見る世界の違う人間の中で、胸を張って歩いていられたのだ。
恥じることなど何も無い。理解してくれる人は必ずいる。そんなことよりも、己の友を恥じる自分を恥じろ。
何時だって、スレイの支えてくれたのは、アリーシャの屈託無い笑顔と傍にいる仲間達だった。単純に霊応力が高いという理由でロゼを仲間にする選択は、今まで共に戦ってきた仲間達にも、ロゼ自身にも失礼だ。
「大丈夫。ミクリオもライラもエドナも勿論アリーシャも。ちゃんとオレの『真の仲間』だよ」
折角満面の笑みを湛えて言った言葉なのに、何故かミクリオは答えない。
青春ですわね、とエドナ、ロゼの両名と楽しそうに囁く声はライラのものだろう。楽しげな彼女達とは対照的に、デゼルは既にスレイ達に興味を失ったように隅の壁に背中を預けて座り込んでいた。
この状況は微妙に居たたまれない。とにかく早くリアクションが欲しくて、親友の顔を覗き込む。
「…ミクリオ?」
「こっちを見るな」
その声が僅かに震えていたことにはとりあえず気付かない振りをする。どうせ今回のことでらしくなくうじうじと一人で悩んでいたのだろう。最初からストレートにスレイに言えば、きっぱり否定したものを、頭が良い分余計なことに気を回しがちなのがこの親友の難儀なところだ。
ぐいっと首を押されて筋を違えそうになる。慌てて体ごと背を向けると、妙に上擦った早口で、ミクリオが捲くし立てるのが聞こえた。
「本当、そういう甘いところは変わらないね!ま、まあスレイがそこまで言うんなら、僕も付き合ってやらなくも無いよ。だって…」
一旦そこで言葉を切ると、そこで初めて女性人が異様に楽しそうな笑みで自分を見守っているのに気付いたのだろう。白い頬に真っ赤にして、やけくそのように声を張り上げた。
「アリーシャは僕達の大事な仲間だからね!!」
大音声で放った台詞が、石造りの遺構に木霊する。
逃げるようにその場を去ったミクリオに苦笑してから、スレイは助けるべき彼女のことを思った。
「…待ってて、アリーシャ」
―――必ず、助けるから。