ぼくがかんがえたさいきょうのゼスティリア   作:ほーこ

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悠久なるは 9 終

「試練は成功じゃな」

ミノタウロスを無事浄化し、奥の祭壇に近づくと、どこからともなく現れたパワントがそう言って称えるように手を叩いた。

「良いから。早く秘力とやらを寄越しなさいよ」

「おや?気付いとらんかったのか。秘力はもうとっくにお前さんのものじゃよ」

「は?」

怪訝な反応を示すとほけほけと笑う。この好々爺然とした天族が実はただの情けない耄碌爺では全く無いことに気付くも既に遅い。

全てはこの老人の掌の上だったのだ。

それに気付いたエドナが思わず拳を握ると、慌てたように抑えにかかる。本当はちっとも慌ててなどいないくせに、腹立たしい限りだ。

「ミノタウロスを浄化したじゃろう。通常、従神との神依では変異憑魔を浄化することは出来ん。それが敵ったということは、お前さんの中の秘めたる力が解放されたということじゃ。元々秘力は外から得るものではなく内から湧いて出るもの。しかし、我々天族は穢れに弱いその特性故、力を発揮するために必要な感情や願いを抑制してしまう傾向にある。独力でこの抑えを外すのは極めて困難…。そのために用意されたのがこの試練、というわけじゃ」

「要はワタシが本気になればそれで良かったということ?」

「言うは易し行うは難しという奴じゃな。実際ギリギリまで追い詰められんと、お前さんはそっちのお嬢さんと向き合うことは出来んかったじゃろう。天族が抑え込むのは己の心の内にある真なる願いじゃからの。しかしこれは諸刃の剣。…意味は、わかるな?」

「…もしもワタシの願いが叶わなければ、ドラゴン化するということね」

「その可能性が非常に高いのう。志半ばで仲間を失う、力足りずに大切な人を死なせる。常に諦めの気持ちを持っていれば準備も出来るが…心の底から希望を願ってしまえばそうもいくまい。折れた時の反動は大きいぞ」

老人の言葉に、エドナは神妙な様子で彼の言葉を聞いている仲間たちの顔を見た。

今回守ると誓ったアリーシャは勿論、過去に怯えるエドナに寄り添い導いたスレイ。彼等を共に守る仲間達。そして…――

「アイゼン…」

まるでエドナの心を読んだようなタイミングで、ザビーダが呟く。

そう。ずっと見ないようにしてきたアイゼンの未来。死んでいない、生きている、いつか戻ると口では言いながらも、心のどこかでは常に諦めろと自分に言い聞かせていた。いつか兄を手にかけなければならない日が来るかもしれない。その可能性をずっと見ないようにしてきた。

しかし。

「…諦めたわ」

「エドナ?!」

声を上げたのはアリーシャだ。

彼女はこの遺跡に到着してからもずっと、アイゼンのことを気にかけ続けていた。そしてそもそもアイゼンを元に戻す方法を探そうと言ってエドナの手を取ったスレイは、怖いくらいに真剣な表情でエドナの方を見つめている。

彼等の姿に背を押された気分で、エドナはパワントに向き直った。

「諦めることを諦めたの。とりあえずスレイ達には相手が誰だろうと手を出させる気はないし。それに、ワタシはどうやったってお兄ちゃんの命を諦めることは出来ないもの。例え本人が殺してくれって言ってもね。だから…探すわよ。ワタシのこの命が続く限り、ずっと。手伝ってくれるっていう物好きもいることだし?」

ずっとずっと探し続ける。それが例えどんなに困難な道でも。

「エドナ…」

「約束通り、付き合ってもらうからね、スレイ。それにアリーシャも」

「え?」

「何?嫌なのかしら?」

「そんなことはない!!私の手伝えることなら何でも!!」

「手伝うって言ったのはオレの方だからね。ミクリオも手伝ってくれると思うよ」

「私達も勿論ですわ。ね?ザビーダさん?」

皆一様に頷く中、ライラの意味深な視線を受けながら、ザビーダは少々複雑そうな笑みを浮かべる。

「憑魔を野放しにしとくのはオレ様のやり方からは外れるんだが。…ま、結界が生きてるうちはとりあえずそれでいいんじゃないか」

仲間達の返答に、どうだ、とばかりパワントを見返すと、予想に反して彼は実に嬉しそうな顔をしていた。

うんうん、と何度も頷きながら満足気にエドナ達を視線でなぞった彼は、祭壇に歩み寄ってエドナを手招きする。少々警戒しながらも促されるまま近づき、彼が手慣れた様子で祭壇の鍵を外して扉を開くのを見つめていた。

開け放たれた観音扉は今までのどの祭壇よりも格段に重厚な造りで、扉の中の劣化は最小限に抑えられているようだった。どうやら漆喰に顔料を使って壁画が描かれているようで、隅の方に中空に手を伸べる女の図柄が描かれているようだった。そして壁面の中央辺りに壁に埋め込まれるようにして設けられた台には小ぶりのドラゴンの置物が一つ置かれていて、その目にはこれまでと同じく黄色い宝玉が象嵌されていた。

祭壇の中身としてはシンプルで、後は手前に燭台が二つと鏡、そして壁面の上部にも飾りのように金属を磨いた鏡が取り付けられているだけで、後は目立った彫り物もなければ小物もない。

「これが何?」

「良いから見ていなさい」

パワントはどこから取り出したものか火打石を使って手前の燭台の蝋燭に火を灯し、松明の明かりを指先の動き一つで消してみせる。途端に周囲は祭壇の小さな明かりを残して真っ暗になり、視線は自然と光源に向かう。

そして映し出された光景に、思わずエドナは息を呑んだ。

「これ…まさか…」

「どうしたんだ…って、これ…!」

肩越しに覗き込んだスレイもまた驚きの表情で、蝋燭の僅かな明かりが照らし出すその光景を見つめた。

小さく揺らめく炎の光。それを鏡が反射して、その反射光をまた鏡が跳ね返して、小さな祭壇の中には幾つかの光の筋が出来ている。それらは最終的に中央のドラゴンの彫像へと集まり、様々な角度から光を当てられた彫像は、漆喰の壁に複雑な影を落としていた。

その影の形が。

反射の角度と彫像の凹凸を利用しての仕掛けだろう。ドラゴンの影の輪郭線が途中で揺らぎ、そこからまったく別の形の影が伸びている。その形はどう見ても人間のシルエットで、男性のように見えた。ドラゴンの半身から上半身は人へ。そしてそのシルエットが伸ばした腕、何かを求めるように伸ばされた指の先は、漆喰に描かれた女性の指を今にも掴もうとしている風に見えた。

そう、あたかもドラゴンから人の形に戻ろうとしている。そんな風に。

「これは…なに…?」

震える声でパワントに問うも、彼は苦笑しながら首を振る。

「わしにも詳しいことはわからん。この遺跡が出来たのは、わしが天族になる前のことじゃからの。ローランスにもハイランドにもドラゴン退治の伝説は幾つも存在するが、恐らくこれもその内の一つじゃろう。当時といえどもドラゴンに対抗できるのは今でいう導師しかおらんから、この女性が導師ということになろうかな。しかし、ドラゴンがそもそも天族が憑魔化した姿であることを人間が知っていたのは相当昔の話じゃ。少なくとも、クローズドダーク以前でないとな。だからこの壁画の真実をワシは知らんが…少しばかり希望を持っても良いと、そう思える根拠にはなるじゃろうて」

パワントの言葉に、エドナはただ頷く。

胸がいっぱいで、発すべき言葉が見つからなかった。

――『遺跡っていうのは過去の記憶と知恵が眠る場所だからな』

脳裏に蘇るのは常々兄が繰り返していた言葉。人間を愛し、人間の営みへの探求を趣味としていた彼は、そう言っては世界各地の遺跡を回ってはエドナには理解不能な土産物や土産話を持ち帰ってきては、その来歴や由来について何時間も語って見せた。

そんなことを知ってどうするのか、と何度も尋ねた。過ぎ去った時を覗き見るより、ずっと一緒にいて欲しかったから。

――『遺跡に残っている歴史は、俺達が未来に繋ぐべき何かを伝えてくれる。俺達が目を凝らしさえすれば必ずな』

「本当にっ、そうね…」

ようやく絞り出した声は震えていた。

その記憶と現代の努力が実を結ぶのは、十年後かもしれない。百年後かもしれない。それでも。

エドナの願いがいつか花を咲かせ実を結ぶ時がきっとくる。そうこの遺跡は教えてくれた。

この遺跡を作ったのは人間である。人間の時などエドナ達天族からしてみればほんの一瞬で、彼等との時間は眩いばかりの光を放って一瞬で消えてしまうのだと、そう思っていた。

でも違うのだ。

確かに彼等の寿命は短い。それでも彼等は時にこうやって後世に残る何かに記憶を刻み付け、時には共に過ごした者の記憶に存在を刻み、そうやって後世に語りかける。己の願いを未来に託す。

――嗚呼、そうやって彼等は悠久の時を生きるのだ。

滲む視界で、炎が踊る度に揺らめくその影を見つめながら、エドナは胸の内でそう思う。

壁画の中の女性の顔は煤で薄汚れていて、鮮明な表情までは読み取れない。それでも絵の中の彼女は喜びに打ち震えている、そんな風にエドナには見えた。

 

 

「そうでしたか。この遺跡はそんなに貴重な…」

「はい。間違いなくアヴァロスト期のものです。中の壁画には導師によるドラゴン退治の伝説についてと思しき構図が描かれていました」

アリーシャの報告に何度か頷きながら、スランジ―否、マシドラは要点をメモにまとめていく。この村を守るためには、マシドラが何とか教皇として復帰した後に、遺跡保護の一環として村の補助を申請しなくてはならない。教会の依頼として遺跡の保全を村を挙げて行えば、当然報酬として安定した額の金銭を入れることが出来る。

勿論、申請のためには遺跡の重要さを教会にアピールしなければいけない訳で、そのために直接遺跡を回ってきたスレイ達の証言は非常に重要だった。

今回の戦闘で遺構がいくらか損なわれてしまったのは、遺跡好きのスレイとしては不本意だろうが、帰りに軽く調べたところ倒壊する危険性は無さそうだった。守り人としてパワントも常駐しているのだから、いざとなれば任せればある程度は何とかしてくれるだろう。

またミノタウロスという大きな穢れの源を浄化したことで、ゴドジン周辺の環境も少しは良くなるかもしれないというのがライラの見解だった。

元々地の遺跡があるくらいだから、地の恵みがここまで薄いはずがない。この辺りの気脈の要であった遺跡に、強大な憑魔が長く封印されていたことで、少しずつ大地が枯れていったのではないかという彼女の予測にはエドナも太鼓判を押しておいた。

そもそも赤精鉱は地の気脈の傍でしか生成されない鉱石である。恐らく何千年も前に気が凝結したものが今でも残っていたのだろうが、赤精鉱を産む程の気脈がそうそう枯れる筈がない。憑魔が浄化され、きちんと地の主が見つかれば、徐々に作物も取れるようになっていくだろう。高地故にそもそも気候は厳しい土地だが、大地の恵みが得られれば十分人が生きていける環境になる。

エドナの言葉を聞いたスレイがそうマシドラに説明すると、彼は「そうですか」と皺の刻まれた目元をほころばせた。

「恐らくこの目で見ることは叶いますまいが…この地が緑に覆われるようになれば、それは美しい光景になるのでしょうな」

「ええ、きっと」

マシドラの言葉にアリーシャが頷く。

起伏の激しい大地に緑が芽生えれば、稜線が波のように重なりあい、さぞかし見事な眺めになるだろう。

「今とはまるで違う光景になるわね」

エドナが言えば、つい先ほどスレイの中から出てきたばかりのミクリオが楽し気にそれに続く。

「きっと田畑も増えるし、木が増えれば民芸品の類も増えるだろうね」

「冬の間の手仕事になるね」

「皆で集まってやればきっと楽しいですわね」

木々が茂った山間の村。生活は楽では無いだろうが、日々の糧を生み出すようになった大地を耕し、木を削って人は生きるだろう。閉塞する冬には肩を寄せ合い、火で暖を取りながら、老人は昔語りをし、子供達は読み書きや手仕事を習いながら春を待つ。

―――厳しくも温かい、今のゴドジンには望むべくもなかった未来。

「…百年くらいはかかるかしら。また覗きに来るのも悪くないわね」

「まあ、素敵ですわ」

エドナの呟きに、ライラが嬉しそうに両手を打った。その隣ではザビーダが意味深な目線をエドナに向けていたが、もうエドナは怯まない。彼を真っ直ぐ見返して、次いでマシドラの隣を歩くアリーシャ達に目を向ける。

最早マシドラはスレイとアリーシャが己の目に映らない存在と話すことに慣れてしまったのだろう。連れが何もない空間に話しかけても驚く様子は特になかった。

エドナの視線に気付いたのだろう。アリーシャは仄かに微笑んで、彼女らしい闊達な口調で言った。

「それは良い提案だ。ゴドジンの行く末を是非見届けて欲しい。…私とスレイの分まで」

そう、乱れた地の気は一朝一夕には戻らない。百年後か二百年後か。いずれにせよ、彼女とスレイはこの世にいないだろう。

わかっている。それがこの世の摂理だ。そしてその摂理にエドナはもう怯えない。

この世からアリーシャやスレイが消えても、この村がマシドラの想いの末に滅びから免れ、アリーシャやスレイと共にエドナが戦った事で未来を繋いだことに変わりはない。その事実は、この村と共にエドナの心の中にずっと残り続けるのだ。

「任されたわ。安心しなさい」

「任せた」

「オレからも頼むよ。よろしく、エドナ」

信頼に満ちた二人の言葉。それを受け取ってエドナは頷く。

限りある時を精一杯。エドナはエドナが選んだ人と共に生き、その時間を胸に刻み付けよう。そして彼等が戦って勝ち得た未来を見守りながら、記憶と共に自分の時を生きるのだ。勿論、その時は大切な家族も一緒に。

岩肌のむき出しになった地面を踏んで、エドナは大きく一歩踏み出す。まず目指すはペンドラゴ。この村の未来を確実にするため、そして枢機卿の野望を阻止し、ハイランドとの衝突を何とか回避しなくては。

「やるべき事は山積みね。…さっさと行きましょ。フラフラのミボは置いて行こうかしら」

「なっ、誰が!」

「おうミク坊、なんならエドナちゃんに担いでもらったらどうだ?ちなみにオレ様の背中は美女専用なのでそこんとこよろしく」

「必要ない!!」

すっかり馴染んだ生真面目なミクリオの怒鳴り声。それを聞きながらエドナは西の空を見上げる。

高い山の稜線に切り取られた空。その向こうに広がる大地、ハイランドにはレイフォルクがある。

エドナの兄をその身に閉じ込めたまま、悠然と聳える霊峰。エドナの親友、アリムの眠る山が。

「…待ってて、お兄ちゃん」

――アリムとの約束通り、必ず解き放つ。仲間達が一緒ならきっと出来る。

決意も新たにもう一瞥を空に投げて歩き出す。老齢のマシドラを置いて行かないように、しかし許される精一杯の速さで歩くエドナの足元には、好条件が重なったのだろう、劣悪な環境にも関わらず白い花をつけた植物が一塊群れていた。

天を目指して立つその花が、微かな風に茎をゆらゆらと揺らすその姿は、まるでエドナの背に手を振っているかのようだった。




今回をもちましてこのシリーズは一旦終了です。
お付き合い頂きましてありがとうございました。

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