頼みがある、そうスレイがロゼに切り出したのは、メンバーが再び揃った夕飯の席でのことだった。
広間に集まってがやがやと食事を取る中、ロゼとスレイ達だけが他の人間と少し距離を置いている。一応天族のことは他のメンバーにも説明したものの、空中に消えていく食事を見れば誰だって物珍しくもなる。だから他の人間と距離を取ったのは、スレイ達がゆっくり食事出来るようにとのロゼの計らいだろう。
野菜のスープにパン、肉のソテーにマッシュポテト。豪華では無いがまずまずの食事に、自然と皆の匙も進んだ。何しろ戦場を出てから緊張続きで碌に食事も取っていなかったから、皆空腹だったのだ。
スレイが話を切り出したのはその最中のことだった。ロゼはスープに突っ込んでいた匙を止め、興味深そうにスレイを見る。
「頼み…?それはあたしに?それとも風の骨に?」
「スレイが風の骨に用があるわけないだろう」
「えっと…風の骨に、ってことになるのかな」
「スレイ?!」
「へえ」
驚くミクリオを尻目にロゼは顔に浮かべた笑みを深くして匙を置いた。机に肘をつく彼女の笑みには今までとは一変、どこか冷たい雰囲気が漂っている。
「依頼なら料金はこっちの言い値でよろしく。正確な金額は事前調査後になるけどね。で、標的は?アリーシャ姫捕まえてるあの大臣?」
挑戦的なロゼの視線。ロゼだけでは無い、ライラもエドナもミクリオも、強張った表情でスレイの返事を待っている。
風の骨は暗殺ギルドだ。彼らに依頼というならば、誰かの暗殺しかあり得ない。その認識は実に正しいものだから、彼らの反応は間違ってはいない。
しかし、スレイにはロゼ達に暗殺を頼むつもりは毛頭無いし、そもそもそんな手段を取る気も無い。
「そうじゃない。ねえ、ロゼ。暗殺で色々な場所に侵入してるんだったら、当然色んな抜け道知ってるよな?こないだの城みたいに」
「…なんだ。そういうことか」
拍子抜けしたように肩を竦めるのに対して、天族一同が安堵したように胸を撫で下ろす。
自分はそんなに信用が無かったのだろうか。少しばかり切なくなりながら、スレイは肝心要の部分をロゼに伝えた。
「うん。アリーシャを助けるのはオレ達がやる。だから、何とかレディレイクまで連れて行って欲しいんだ。…出来れば城の中まで。駄目かな?」
以前王城に招かれた時も、スレイ達は彼らに抜け道を教えてもらったお陰でなきを得た。王族が住まう城なのだから、きっと抜け道もあれ一つだけでは無いのだろう。ロゼ達ならばきっと知っている筈だと期待込めてロゼを見遣ると、彼女は困ったような苦笑を浮かべて頬をかいた。
「そりゃあ知ってるけどさ。一応企業秘密っていうかさ、調べるのに労力だって使ってるわけで。ほいほい人に教えるわけにはいかないんだよね。こっちがどこまで情報掴んでるか、って結構致命的な情報だし。まあ姫さんの命かかってるわけだから拒否はしないけど…それなりの代償は要求させてもらう。それで良い?」
「随分甘いわね。暗殺ギルドのクセに」
「アリーシャ姫に関しては以前に手違いで暗殺しかけてるし、今日はスレイに危険な目にも合わせちゃったし、まあお詫びだね。普通なら絶対受けないよ、こんな仕事。あたしらは暗殺ギルドであって、護衛ギルドでもナビゲーターでもないんだから」
「それでもタダにはならないんですね」
「そらそうよ。大体、スレイなんてもうハイランド上層部に顔割れてるんだよ?札付きのあたしらが顔の知れてる指名手配犯連れて国境越えだなんて、どう考えても危険でしょ。それでもやってあげるって言ってるんだから、寧ろ感謝して欲しいくらいだよ」
ロゼの言い分はいちいち尤もだったから、スレイとしてはぐうの音も出ない。指名手配されているかどうかはわからないが、指揮官の命令を無視して戦場でさんざんっぱら大暴れした挙句、指揮官とも大乱闘しているのだから、可能性は非常に高い。憑魔が見えない普通の人間にしてみれば、突然上層部が突っ込んてきた導師を名乗る怪しい人間が、指揮官と揉め事を起こして大暴れしたようにしか見えないだろう。穢れの影響で正気を保っていた人間が少なかったとはいえ、まさか全員が錯乱していた訳ではないだろうし、どういう報告がハイランド上層部に届けられたのかわかったものではない。
「…代償か」
言われて思い浮かぶのは、旅の道中で買い戻したジイジの煙管だ。レディレイクで商人に扮して潜入中のロゼ達に、やはりアリーシャを助けるために支払った代償。買い戻す時には売った額より遥かに高い値がついていたから、物としては相当良いのだろう。
本来ならば一度イズチに戻ってジイジに返そうと思っていたものだ。勿論、ジイジのお陰でスレイが生まれて初めて出会った人間の暗殺を阻止出来た、そう一言礼を添えて。
しかし、惜しくは無い。
一度はアリーシャのために手放した物だ。もう一度アリーシャのために差し出すのなら、それはそれで運命的にも思える。
「これで足りるかな?」
懐から取り出した煙管を机に置く。見覚えのある品に、ロゼが驚きに目を見開く。
「あんた、これ前に…」
「うん。途中の街で売ってたから買い戻したんだ。どうせならくれた人に返したいと思って…。でも、またアリーシャのために使うんだったら、きっと喜んでくれると思うから」
磨きこまれた金の金具、木製部分は煙に燻されて深みのある茶色になっている。少なくともスレイの物心がついた頃にはこの煙管は既にジイジと共にあったし、その頃には既に古びていたように見えたから、きっとスレイ達よりも年長なのだろう。
ロゼは暫く机の上の煙管とスレイの顔とを矯めつ眇めつしていたが、暫く考えた後、やや不機嫌そうな表情で首を振った。
「駄目。足りない」
「ええ?駄目なの?」
「確かに品物としては良いものだし、実際前回売った時にはそこそこ良い値段で売れたけど、あくまで一回手放したものでしょ?人に命がけの仕事やらせるのに、一回売っ払ったもの差し出してお願いします、はちょっと無いんじゃない?」
思い入れがあるのは確かみたいだけどね、と付け足して、ロゼはスレイの顔を見る。
「そんな…。オレ、もうこれ以上は…」
さあどうする。そう問うような彼女の表情に、応える術がスレイには無い。
金も多少はあるがとても依頼に見合う金額には足りないし、後は戦いに備えて装備品のストックが少しばかり。どれも暗殺を専門としているギルドには今更すぎる品で、とても代償になるとは思えない。アクセサリーや宝石の類は最初から持っていないし、他にスレイに打つ手は無い。
困り果てたスレイが黙り込んだ時だった。
「…一晩、時間をくれないか?」
「ミクリオ?」
切り出したのはミクリオで、思ってもみなかった援護射撃にスレイは思わずまじまじと親友の顔を見る。
秀麗なミクリオの顔は酷く真剣で、見ようによっては緊張で強張っているようにも見えた。
「何とかなるかはわからないけど…心当たりがあるんだ。一晩待ってくれ」
「ふーん。ハッタリじゃなさそうだね。まあこっちとしては別に待つのは良いけど、値引きはしないよ」
「それで良い」
頷いてミクリオは徐に席を立つ。続いて腰を上げようとしたスレイに「ついて来るな」と言い置いて、そのまま広間を後にした。
「何なんだ、一体?」
「ミクリオさんのことでもの、きっと考えがあるんですわ」
「…危険なことしなきゃ良いけど」
天族のミクリオが高価な品を持っているわけもないし、持っていたところで普通の人の目には触れない。それでは当然意味が無いから、ミクリオに出来ることといえば、どこかに眠ったお宝を探すくらいのもので。しかし、そうなればスレイについて来るなという理由が無い。
「あら?一人で無謀なことはしないって、前に仰ってたのはスレイさんですわよ?」
「ま、確かにそういうタイプじゃないわよね、あの坊やは」
「親友なんでしょ?信頼してやんなって」
「うん…」
それより早く食べちゃいなよ、とロゼに促されて、納得いかないままに匙を握る。視線を遣れば、ミクリオの座っていた場所には、まだ半分程料理が残されていた。
食欲旺盛な訳ではないが、ミクリオが無闇に食事を残すことなど普段は無い。余程気が急いていたのだろうと思うものの、その理由がまったくわからない。確かにミクリオの性格上、危険なことに一人で首を突っ込んだりはしないと思うが、それでもやはり心配にはなる。
結局、スレイが椀を空ににしても、食べ終わった皆がぞろぞろと席を立つ頃になっても、ミクリオがその場に戻ってくることは無かった。
食事を終えて二刻ばかり。既に遺跡の中の人の気配は、殆どが眠りの様相を見せていた。
丘にめり込むようにして建つ遺跡の中腹、石造りの建物の上に立って空を見上げると、目映いばかりの星空がライラの視界一面に広がる。
星は好きだった。太陽のように目を灼くこともなく、かといって月のように白々ともしていない。ただ瞬きだけを繰り返す小さな光。
先代導師と旅を続けた時もこんな風に幾度となく星空を見上げては、物思いに沈んだものだ。あの頃の自分は浄化の炎も得ておらず、出来ることはいくらも無かったけれど、今のように真実を胸に秘めながら、それを口に出せない苦しみに悶えることは無かった。
ライラは記憶にあるのと同じ星座を目で追いながら、スレイと出会ってからの日々を思い返す。
実直で素直、そして明るい気質の少年。幼少期から天族と共に過ごし、俗世を知らず、故に真っ直ぐな視線で世界を見詰める。
彼の目に映る世界が平和であれば良いと望む反面、それが不可能なことはライラが一番良く知っている。世が乱れる時だからこそ、導師はこの世に現れる。それが、天族と人とが分かたれてからの世界の理なのだから。
スレイを待ち受けている試練は多い。ライラはそれを知っているのに、教えてやることも出来なければ、手を引いて導いてやることも出来ない。ライラに出来るのはただ一つ、スレイが正しい道を選んでくれるよう、祈り続けることだけだ。
「…こんな所にいたのね」
「エドナさん」
背後から不意に聞こえた高い声。振り返るとそこにいたのは、幼い外見をした同胞だった。
彼女は風に吹かれて舞うスカートを抑えながらライラの傍まで歩み寄り、隣に位置する場所ではたと止まる。人間嫌いだが天族と群れることが好きな訳でも無い彼女にしては珍しい行動に、ライラは目を丸くして彼女の黄色い頭を見下ろした。
「何か御用でも?」
「別に。特に用は無いけど、一応同族の誼で労いにきてやったのよ」
「…労い?私にですか?」
エドナの意図がいまいち読めない。労いも何も、今日はドラゴニュートと戦った以外に特にこれといったことはしていないし、強敵と戦ったのは皆同じだ。特にエドナがライラを労う理由にはならないはずだった。
ライラが内心で首を傾げていると、エドナがライラの顔を見上げてくる。その視線にどこか気遣わしげなものを感じて、ライラはエドナの言葉が決して虚偽で無いことを悟った。
「あの、エドナさん?」
「損な役回りね、主神っていうのも」
「!!」
エドナが言外に何を指して言っているのか、ようやく気付いて言葉を失う。
「…気付かれて、いたんですね」
「心配しなくても、多分ワタシだけよ。未熟者のミボは間違い無く本気だったわ、安心しなさい」
「それはまあ、ミクリオさんですもの。あれが演技だったらびっくりですわ」
言ってライラは少し笑う。天族としては途方も無く若い彼の、若いが故にひたすら実直なところは微笑ましいと同時に少々うらやましくもある。
今日、ライラは敢えてスレイにアリーシャを切り捨てろと提言した。
アリーシャの誠実さ、そして何より人間の世の醜さを知りながら、世界を愛し、故郷を愛する心の強さにスレイが惹かれているのを承知していながら。
ライラの声を初めて聞いた時のアリーシャの嬉しそうな顔は、今も記憶に残っている。天族は多くの人間にとっては得体の知れない「何か」であって、あんな風に最初から受け入れてもらえるのは稀なことだった。受け入れたとしてもその多くは熱心な神職者であったりするから、あんな風に屈託無く喜んでもらえるのは本当に珍しい。
嬉しかったのはスレイだけでは無い。ライラだって嬉しかった。それでも、ライラは彼女の能力不足がスレイの足枷になると暗に非難し、彼女を切り捨てるようにスレイに言ったのだ。力の未熟な彼女を捨てて、能力のあるロゼを仲間にしろと。
「…本当に、導師がスレイさんのような方で良かったですわ」
「随分ほっとしてたもんね?」
「ええ。あそこで私の意見を容れるようなら導師として大したことは出来ないと、正直覚悟していました。でも、スレイさんは私の言うことにただ従うだけの導師では無かった。自分の目で物事を見、何が本当に必要なのかを見極める力を持っている…人としても導師としても、本当に強い方なんですわ」
導師の道は険しい。だから人生経験で圧倒的に人間に勝る主神の意見を重用したがる導師は多いし、それで失敗した導師もまた多い。
人間と天族の橋渡しをしながら、世界の穢れを浄化して、加護領域を正常に保つ。これが導師の役割である。人と天族両方に関わらなければならないが故に、人間から奇異な目で見られたり、人間を嫌う天族から煙たがられたりすることも多く、その道は酷く険しいものになる。
「導師の道は険しい。だからこそ、自分の意思で自分の道を選べる人間でないといけないのですわ。私達の意見を聞くだけの人間では、導師は到底勤まらない…。振るう力が大きいからこそ、その結果の責任は負わなければなりません。いざという時に私に頼るようでは、重圧に耐え切れない日が必ず来ます」
例え契約を解消しても、導師がただの人間に戻れる保障は無い。スレイのように人前で力を振るってしまっていれば、今更ただの人です、では通らないのだ。結果、導師の人生は破綻し、破滅の道を辿ることになる。
だから導師には必要なのだ。隣で歩んでくれる信頼の置ける人間、己の選択を支えてくれる仲間が。
「だから、スレイに選ばせるために背中を押したのね」
「ええ。アリーシャさんがスレイさんに必要な方であるのは、今までの旅でわかっていました。けれど従士の代償の件もありますし、スレイさんはアリーシャさんを傷つけてしまったことで迷っていらしたようですので」
だから敢えてアリーシャを切り捨てるようにスレイに提言して、逆にアリーシャの必要性をスレイに訴えたのだ。ロゼが導師の資格を得たのは流石に予想外だったが、結果的にスレイはアリーシャを選んだ。ライラに言われたからでは無く、自分の頭で考え、自分の意思で『真の仲間』を見極めた。
その上でアリーシャを切り捨てようとしたライラやミクリオを責めることもしなかった。「心配してくれたのにごめん」と、そう言えるだけの心の強さ。自分の想いと他者の想い、それぞれを汲めるだけの度量がスレイにはある。
「本当に、スレイさんには驚かされますわ」
「…まあ、確かに変な奴よね」
顔を見合わせて少し笑う。
二百年前のあの日、憂い顔で眺めた星空。その同じ星空の下で、こんなにも穏やかでいられる自分が、信じられない程幸運なのだと心の底からそう思う。そう感じると同時に、願わずにはいられなかった。
―――どうか。
頭上で瞬く星々に、無駄と知りながらも願いをかける。
心優しい導師の歩む旅路が、少しでも彼に優しくありますようにと。
翌日、スレイが目を覚ましたのは早朝だった。
元々天族と共に暮らしていたスレイは、自然の流れに従って生活する習慣が身についているから比較的朝は早い方だが、この遺跡で寝起きする人間は大体が夜型らしい。見張りの数人を除いては殆どベッドの中で、広間は閑散としていた。もっとも、暗殺を生業としているギルドの人間が早寝早起きのはずがないから、無理からぬことといえるかもしれない。
見張りの人間から聞くところによると、どうやら朝食は二時間程後らしい。もう一度寝直す気にはなれなかったから、スレイはそのまま遺跡の中をうろつくことにした。
昨夜、結局ミクリオはスレイの前に顔を出さなかった。ライラとエドナもいつの間にやら姿を消していて、今朝はまだ天族の誰とも顔を合わせていない。途中、ロゼの部屋の前でデゼルが立っているのには出会ったが、挨拶もそこそこそっぽを向かれてしまったので、会話らしい会話はしていない。
「おーい、ミクリオー。ライラーエドナー?」
住人を起こさないように小声で呼ばわりながら、遺跡の中をうろうろ歩く。ふと思いついて外に続く梯子も上ってみたが、今朝は咎められたりしなかった。
梯子を上って外に出る。日光を浴びたのは随分久しぶりのような気がしたが、実際遺跡に閉じ込められていたのは一日かそこらだ。
スレイは朝露であちこちキラキラして見える草原と森とを見回した。
そういえば、一人でぼんやりとする時間は随分久しぶりである。最近ではいつも天族の誰かと一緒だったから、一人で物思いにふけることなど殆どなかった。それが悪いわけでは勿論無い。彼らが賑やかにしてくれていたから、この波乱万丈な旅路も楽しく歩んでこれたのだ。ただ、大勢で賑やかにしていることに慣れてしまうと、どうにも一人が落ち着かない。今まで喧騒で誤魔化されていた様々なことが、一気に頭の中に流れ込んでくるのだ。
戦争は結局どうなったのだろう。アリーシャはまだ無事でいてくれているだろうか。昨日見た導師の試練とやらは、一体何が待ち受けているのだろう。
「…考えても仕方ないって、わかってるんだけどなぁ」
「何が?」
溜息まじりに一人ごちると、返ってくるはずの無い返事があってぎょっとする。
「ミ、ミクリオ?!今までどこにいたんだよ。ちゃんと連絡…、っていうか顔色悪いぞ?どうしたんだよ?」
文句を言いかけて途中で止める。朝日の下で見るミクリオの目の下には黒々と隈が浮いていて、顔色もまるで死人のように青かった。昨日ドラゴニュートを倒した後ですらここまで消耗はしていなかった筈なのに、一体隠れて何をしてきたのか。
問い詰めようと口を開こうとしたスレイを、ミクリオが制す。
「ちょっと寝不足なだけだよ。今日はスレイの中でゆっくりさせてもらうから大丈夫。…それよりロゼは?」
「え、あ…多分まだ寝てたと思うけど…」
「あたしはここだよ」
欠伸交じりの声と共に、梯子に足をかける金属音。寝癖のついた赤い髪もそのままに、ロゼが遺跡の入り口からひょっこり顔を出す。嫌にタイミングが良いのをいぶかしんで良く見ると、ロゼに続いてライラとエドナも上がってきたから、どうやら彼女達がスレイの居場所を知らせたのだろう。契約している以上、彼女達にはスレイの居場所は筒抜けなのだ。
「おはようございます」
「…おはよ」
「お、おはよう。ロゼ、ライラ、エドナ」
今朝のライラはやけに機嫌が良いようで、にこにこと特上の笑顔で挨拶してくる。対するエドナはいつも通りの仏頂面、ロゼの方は寝起きだからか明らかに機嫌が悪そうに見える。
寝起きの人間には触らないのが身のためだ。気付かれないようにそっと半歩退いたスレイに対して、しかし進み出る影がある。
「ロゼ、昨日の代償の件だが…」
「んー?それ、今じゃないと駄目?」
「駄目だ」
不機嫌そうな声音をものともせず、ミクリオはロゼに歩み寄る。その気迫もさることながら、青白くやつれた顔も相当効いたらしい。促されるままにロゼは手を差し出し、ミクリオはその手にじゃらりと金属製の何かを落とし込む。
「…多分、問題は無いと思う」
「へー。これも珍しい細工だね。初めて見た」
感心したように声を上げたロゼが、手に持ったそれを太陽にかざす様に掲げてみせる。鈍い銀色に光るサークレット。銀は経年によって黒ずみ易いから磨かなければ価値は出にくいだろうが、それでも施された彫刻や細工は確かに普通に市場に出回るそれとは一味違う。有名な細工師が手がけたものでは無いにしても、好事家が高値をつける可能性は十分ありそうだった。
「ま、鑑定してもらわないとわかんないけど。あたしの勘では結構良いものっぽいね」
「綺麗ですねー」
ライラやエドナも感嘆の声を上げる。しかし、スレイは彼女達と同じ反応は出来なかった。
「…スレイ?どしたの?」
「それ…」
スレイが指差すサークレットを見て、ロゼが不思議そうな顔で首を傾げる。ライラやエドナも同様で、ミクリオだけがバツの悪そうな顔で目をそらす。
「それ…そのサークレット…。ミクリオが生まれた時から持ってる宝物じゃないか!!」
「へ?そうなの?!」
「まあ!」
天族はあまり物に執着しない。ミクリオもその例に漏れず、物品に拘ることは殆どなかったが、それでもこのサークレットだけはずっと大事にしてきたことをスレイは知っている。どういう経緯で持っていたのかは知らないが、出自の不確かなミクリオにとって、それは己のルーツを示す大切なものだった筈だった。
「ずっと大事にしてたじゃないか。大体、天族の装飾品は普通の人には見えないはずなのに…」
天族の身につけるものは、特殊な術を施さなければ普通の人間の目には触れない。ジイジの煙管だって、ジイジ自身が術を施してくれたから見えるようになった筈で、ミクリオがそんな術を使えたなんて、今まで一度も聞いたことが無い。
問うように視線を向けると、ミクリオは暫くの逡巡の後、ゆっくりと口を開いた。
「…ジイジが煙管に術をかけた時、教えてもらったんだ。下界に下りるスレイの役に立つかもしれないって。でも、使うのは初めてだからね。一晩中試して、成功したのはついさっきだよ」
「だからそんなに消耗してたのか…」
天響術を使うのにはそれなりの体力が必要で、連続して使うのは限度がある。一睡もしないで術を使い続ければ、それはもう心身共に疲れ果てて当たり前だ。
大切な物だった筈なのに、それでもミクリオはスレイの言い出した依頼の代償を払うため、夜を徹して術を使い続けた。本来ならその苦労は、スレイがして然るべきものの筈だったのだ。
「ごめん…オレ…」
「そんな顔するなよ、スレイ。確かに大切にはしてたけど、所詮は物だよ。…少なくとも、仲間のために手放すことを惜しむようなものじゃない」
「ミクリオ…!!」
仲間を思い遣る親友の心根の感動して声を上げると、ミクリオがしかめっ面でそっぽを向く。ツンデレ乙、とエドナがぼそっと呟いた言葉はどうやら的を射ているようで、髪から覗く耳が僅かに赤かった。
その様子を見て、片手で弄んでいたサークレットを軽く掲げたロゼが、満足げに一つ頷いた。
「…よっしゃ、合格」
「それじゃあ…」
「うん。連れて行ってあげるよ、レディレイクまで。ま、あたし達に危険が及ばない範囲まで、だけどね」
「それで良い!ありがとう、ロゼ!」
「良かったですわね、スレイさん。これでアリーシャさんを助けに行けますわ。微力ながら私もお手伝いさせていただきます」
「うん、ありがとう!ライラ」
我が事のように嬉しそうにするライラに礼を言って、スレイは隣でふらつく友人の肩に手を回し、細首をぐいっと自分のように引き寄せる。
間違いなく、今回一番の功労者はこの親友だ。仲間のためなら労力を惜しまない彼の心根が嬉しく、ただただ誇らしかった。
「ありがとうな、ミクリオ!ほんっとにありがとう!」
「はいはい、それはもうわかったから」
はしゃぐスレイをいつものように冷静にいなす。昔からこんなことは日常茶飯事、彼の対応は慣れたものだ。
そこで一つ大欠伸。どうやらそろそろ限界のようで、ミクリオは一言「寝る」とだけ呟いて、スレイの中に入ってしまう。相当疲れていたのだろう。ミクリオの気配はすぐに寝ている時特有の、静かで穏やかなそれに変わった。
「子供は寝つきが良いわね」
「本当に疲れてたみたいだからね。でも、お陰で助かったよ」
「ミクリオさんには感謝しないといけませんわね」
「話まとまった?じゃ、とりあえずご飯食べよっか。腹ごしらえしらいよいよ…」
そこで一旦言葉を切って、ロゼが不敵な笑みを形作る。
「アリーシャ姫奪還作戦といきますか!」