ぼくがかんがえたさいきょうのゼスティリア   作:ほーこ

4 / 24
もう一つの選択肢 3

風の骨の情報網は大したものだった。

ハイランドとローラントの国境であるグレイブガント盆地は未だ封鎖されたままだったが、彼らはヴァーグラン大森林にあるラモラック洞穴からハイランド側に抜けられるという情報を既に得ていた。大きく迂回することになるから時間こそかかるが、それでも封鎖された国境を越えるよりも遥かに穏便に事を運ぶことが出来るし、何より穢れの坩堝となった戦場の影響を受ける必要が無いのはスレイには大きい。正規の国境越えよりも増える移動距離はエギーユが森林まで馬車を出すことでカバーしてくれることになったから、当然体力もその分温存できる。

「本当にありがとう、ロゼ」

準備が整ったのは昼食の準備が始まった頃。馬車の中身を見てスレイは何度目かの礼を口にする。

援助してもらったのは馬車だけでは無い。戦場での酷使とドラゴニュートとの戦いですっかりガタガタになってしまったスレイの剣も、セキレイの羽の商品ストックの中から新調してもらったし、持ち運びしやすい食料もまとめて馬車に積まれている。勿論代金は支払ったが、要求された額が相場よりかなり安いものであることはスレイにもわかった。本当に至れり尽くせりというやつだ。

荷台に最後の荷物を積みながら、スレイの礼にロゼは軽く手を振って応える。

「いいのいいの。原価は割ってないし、あたしらは商人じゃないから損さえしなきゃそれで良いしね」

「そ、そう。良かった…」

セキレイの羽はあくまでダミー。風の骨の儲けは暗殺業が作っている。

ロゼの態度はどこまでもあっけらかんとしているが、彼女の言葉の裏を返せばそういうことだ。その癖ロゼの態度に気負ったところがまるで無いから、却ってどういう態度を取ればいいのかわからない。結局スレイに返せるのは、当たり障りの無い相槌だけだ。

彼女が暗殺者であることは重々承知しているが、それでもいざ本人の口からそれを聞かされると複雑な気分を抱かざるを得なかった。助けてもらっている身だから到底文句は言えないが、風の骨の皆の人柄を知れば知るほど、彼らが人を殺めることを生業としているのがどうにも納得出来なくなる。

たった一日半、それだけの時間しか共に過ごしていないが、ディンタジェルで出会った風の骨のメンバー達は皆人の好い人物に見えた。スレイは世事に疎いから当然人柄を読みきれていない部分も多いとは思うのだが、それでも彼らが悪人だとはどうしても思えない。否、思いたくなかった。

「オッケー。さ、早く乗った乗った」

複雑な心境のスレイとは裏腹に、ロゼの態度は軽やかだ。幌の紐が外れていないか最後の点検も済ませ、スレイを奥に追い遣って自分も軽い身のこなしで荷台に乗り込んでくる。

馬車はセキレイの羽で使っていたよりもかなり小型のタイプだった。馬にかかる負担が少なくスピードが出やすい。元々積んだ荷はたかが知れているし、天族を入れても人数は六人。全員が出てきても狭すぎるということは無い。

スレイの中で寝ているミクリオ以外の全員が納まったのを確認して、ロゼがエギーユに合図を送る。

「良いよ、出して!」

「おう!」

手綱を鳴らす小気味良い音と共に、ガタガタと荷台が揺れだした。幌のせいで風景は殆ど見えないが、後方の丸い窓からディンタジェル遺跡郡が遠ざかっていくのが確認出来た。

「…出来ることなら、もう二度と敵として会いたくないな」

「そうですわね。皆、良い方達でした。雰囲気も暖かくて…そう、まるで本当の家族のようでしたわ」

御者席の方で何かエギーユと話しているロゼに聞こえないように呟くと、ライラが首肯でそれに応えた。

彼女の言う通り、風の骨のアジトは暗殺ギルドという言葉からは想像もつかないくらい、明るく暖かい空気に満ちていた。それはスレイの故郷ともいえるイズチのそれと比べても何ら遜色無いもので、ロゼが何故暗殺ギルドのメンバーを「家族」と称して憚らないのか、その理由がはっきりとわかった。

ロゼが皆を気遣うようにアジトの皆もロゼを気遣い、それが全体に行き届いているから暖かい。そこから生まれる他愛無いやり取り、そこここで見られる笑顔が、遺跡の薄暗さなどものともせず、あの場所を暖かい「家」にしているのだ。

同じ「家」で暮らしているのだから、ロゼの「家族」という言葉は決して間違いなどでは無い。血が繋がっていなくても人は家族になれるのだ。自身も孤児であったスレイは、それを良く知っている。

「…何で、暗殺ギルドなんだろう?」

ロゼの背中を見遣りながら、スレイは呟く。

確かに風の骨の面々の技量は凄まじいし、これだけ連携が取れていれば官憲に捕まることもそう心配しなくて良いのかもしれない。それでも人を殺すことを生業にしている以上、どうやったって恨みはついて回る。敵は増える一方、顔が割れていないにしても、堂々と日の下を歩く事は難しくなるし、己を偽り嘘を吐いて成り立つ生活は緊張も多いに違いない。身分の高いターゲットを狙えば護衛に返り討ちにされる可能性だって決して無いわけではない。

人を殺した数だけ業を背負い、恨みに追われて生きていく。暗殺者とはそういう道だ。

「確かにね。僕なら絶対ごめんだ。スレイやジイジにそんな真似させるなんて」

独り言でしかなかった言葉に答えたのはミクリオだった。返事の後馬車に姿を現した彼の顔色は全快というには程遠いが、先ほどの死人のような色と比べればかなり人間味のある色に戻っている。

「ミクリオ、起きたのか?まだ顔色悪いけど…」

「流石にもう昼だしね」

今日は早めに寝るよ、と短く言ってミクリオは御者席に頭を出しているロゼを見遣った。

「さっきのスレイじゃないけど、何でロゼは家族が暗殺なんて危険なことをやらせているんだろう」

元は傭兵団出身なのだと聞いていたから、武術の心得はあったのだろう。ならば暗殺でなくとも、隊商の護衛やボディガード、街の護衛団、稼げる道はいくらでもある。

―――その理由を知っているとしたら。

自然とその場の人間の目が、馬車の隅で荷に体を預けているデゼルに向けられた。ロゼが傭兵団に居た頃から彼女の傍にいた男。ロゼの歩んでいた経緯を余すことなく知る男は、スレイ達の疑問を聞いても沈黙を守ったまま、一言も言葉を発さない。

面と向かって何かあったのかとはとても聞けない雰囲気に、スレイ達は自然と声を潜めて囁き合う。

「やっぱり、何か言いにくいことがあるんでしょうね」

「まあ、でなきゃ普通暗殺者なんてやってないわよね」

「まあそりゃあね。好きでやってるわけじゃないけどさ」

「やっぱりのっぴきならない事情があるのか…」

「オレ達に出来ること、無いのかな」

「気持ちはありがたいけどねえ」

「ってロゼ?!」

いつの間にか一人人数が増えている。それに気付いたスレイが声を上げるのと同時に、一斉に視線はスレイの背後に向けられる。

しれっとした顔で会話に混ざっていたロゼは、面白そうにその様を見て笑う。自分自身の話をされていたというのに、相も変わらずその態度はあっけらかんとしていた。

「いやぁ。シリアスな雰囲気で何を話してるかと思いきや。思わず混ざっちゃったじゃない」

「混ざるなよ!」

ミクリオの全力の突っ込みも何のその、笑ってそれを受け流し、ロゼは至極軽い調子で切り出した。

「そんなに気になる?あたしらが暗殺ギルドやってる理由」

「え、そりゃあまあ。好きでやってる訳じゃないって言ってたし、もしオレ達に出来ることがあるなら…」

「悪いんだけどさ」

手伝いたい、と続けようとした矢先。意味有り気に微笑んだロゼに言葉の先を遮られる。

「もう他に道なんて無いんだよね、あたしらには。ちょっとやりすぎちゃったから。まともな道はもう歩けないし、今更歩く気も無いよ」

いつも通りの笑顔に見えて、その実その目は笑ってなどいなかった。

その事実に気付いたスレイの胸中に去来したものが果たして何だったのか、人生経験の浅いスレイにはわからない。少なくとも恐怖と一言で表すには余りにも複雑で、憐憫と称するには余りにも冷たい何か。強いて言うなら敗北感だろうか。ロゼの抱える闇は、俄か導師のスレイなどにはとても掃えそうに無い代物であることだけは思い知らされた。

「後悔はしてない。手を差し伸べてくれる誰かも、縋るべき何かも、あたしらは持ってなかったから、生きるために出来ることを精一杯やってきた。その結果が今だから。気付いたらこんな感じだったけど、家族皆でいられる今が大切だから、あたしはこれで良いんだと思ってる」

言って彼女はにっと笑う。恐ろしい程屈託の無い顔で。

「だから、邪魔になるなら誰であろうと殺すよ。例えそれが皇帝でも導師でも。覚えといて」

「ロゼ…」

「大丈夫、逆に考えれば邪魔にならなきゃ殺さないってことだから。ここにいるのも何かの縁だし、あんたを殺したいって依頼が来ても断ってあげるよ」

言い置いて彼女は再びエギーユと何かを話すべく、地図を片手に御者席によじ登る。誰も何も言えずに、スレイ達はただ黙ったまま彼女の背中を見送った。

「何で…あれで穢れずにいられるんだ。あんなに、重い物を背負って…」

呆然と呟いたミクリオに、スレイは言葉も無く頷いた。そのミクリオの隣で、ライラが悲しそうな表情で顔を伏せる。

「穢れとは単純に負の感情だけで生まれるものではありません。穢れはいわば叶わず散った希望の残滓が凝ったもの…そう、絶望の澱とでもいえばいいでしょうか。ロゼさんが穢れていないということは、彼女が未だ希望を捨てずに生きている証拠です。…例えそれが我が身の破滅になり得るとわかっていても、それがロゼさんの救いなのでしょう」

「…家族。それがあの子の持ってる希望の全てなのね」

複雑そうな表情でエドナが言う。彼女とて余りにも細い希望を求めて旅をする身である。ただ兄のために危険な旅路に身を投じる決意をしたエドナにとって、ロゼの境遇は何か感じるものがあるのだろう。

「チッ」

忌々しげな舌打ちはデゼルのものだ。彼はずっとロゼの傍に居た。彼女が今に到るまでの過程を全て見て知っている。

「あいつには、絶望に打ちひしがれてる余裕なんか無いんだよ。昔も、今もな」

苦々しい口調の中に混じる怒りは、何も出来ない己の無力に向けられたものだろうか。帽子で隠れて彼の表情は窺えないが、ロゼの過去に隠された悲劇がどれ程のものだったのかを察するには、その声だけで十分だった。

「ロゼ…」

無力なのは自分も同じ。人を導く導師。伝承で語られた偉大な彼らだったら、彼女を救うことも出来るのだろうか。

気遣わしげに天族達が自分の方を見るのを感じながら、スレイは己の無力にぎゅっと拳を握り締めた。

 

 

ヴァーグラン大森林の入り口についたのは、日が沈む間際になってからだった。深夜に森に入るのは危険、旅慣れたロゼ達がそう決断を下すのは早く、馬車から降りるなり野営の準備が始まった。

戸惑ったのはスレイだ。アリーシャの身柄は拘束されたまま、一刻の猶予も無い。何とかして進めないのかと問えば、エギーユ達に森をなめるなと諭されて、食い下がればミクリオ達に叱られた。自然に慣れているつもりでいても、場所が違えば自然の顔はいとも簡単に変わる。救出に行く側がへたばれば、それこそアリーシャの救出など不可能だ。延々とそう説教されて、ようやくスレイが了承した頃には、既に日は沈みかかっていた。

薪を拾い、火を熾す。ライラがいれば湿った生木だろうが火をつけるのは簡単で、ミクリオがいれば水には困らない。だからギリギリ日が沈みきる前に野営の準備は終わって、夕食を摂った後は束の間の自由時間となった。

パチパチと音を立てて穏やかに燃えるその灯りを眺めながら、スレイは抱えた膝に爪を立てる。

馬車に乗っていた時は良かった。実際に距離が縮まっている、という思いがあれば少しは気も紛れた。でもこうやって立ち止まり、安穏と焚き火を眺められるような状況にあると、一人牢で不安な思いをしているだろうアリーシャの身が案じられてならなかった。

結局、天族の力が借りられても、自分自身は無力な子供でしか無い。こうやって誰かに連れて行ってもらわねば、仲間の一人も救いに行くことが出来ない。それがどうしようもなく悔しかったし、探しても出来ることが一つも無いという状況は、どうしようも無くスレイを焦らせる。そんなスレイの性格を知っているから、あの時ディンタジェルでミクリオはスレイを遺跡探検に誘ったのだろう。放っておけば一人で風の骨の監視を突破しようと無茶をしかねないスレイを案じて。

「…オレ、本当駄目だなぁ」

ミクリオにもライラにもエドナにも気遣われるばかり。彼らに返せるものも無く、導師の使命である災渦の顕主には今のスレイでは歯が立たない。挙句に自分の浅慮で捕らえられてしまったアリーシャを助けることも、自分一人では出来ないのだ。

あの時、マーリンドで残るという彼女を引き止めていれば。大臣達に疎まれていることは知っていたし、あからさまに嫌がらせばかりされていたアリーシャの状況を知っていたというのに、スレイは彼女を止めなかった。みすみす罠の中に飛び込ませてしまったのだ。

「…アリーシャ」

小さく呟いて、膝に顔を埋めた時だった。

「スレイさん」

不意に後ろから響いた声に振り返る。

鬱蒼と茂る森林の、幹の太い大きな木。その木の影からスラリとした長身の影が歩いてくる。

「ライラ」

スレイが呼ばうが返事は無い。

暗がりの草地だというに、踵の高い靴で歩く彼女の足取りに危なげは無い。殆ど音すらさせずにライラはスレイのすぐ傍らに立ち、座ったままのスレイを見下ろして一言、静かにスレイに問うた。

「気になるのですね、アリーシャさんのことが」

ライラの口調は穏やかだったが、それでもその表情は明るいとは言い難い。何もしていない己の現状に後ろめたさを感じていることもあり、何故か咎められたような気分になって、スレイは僅かに俯いた。

「そりゃあ、そうだよ。大臣達はアリーシャのことを邪魔者だと思ってる。本当なら、こんな所で休んでる暇なんか無いはずなのに。…いや、違うな」

未だに言い訳しようとしている自分の言葉に気付いて、スレイは苦笑しながら首を振る。

「結局オレ、弱虫なんだよ。こうやってじっとしてると、悪い結果のこと考えちゃうからさ。だからとりあえず何かしたくて」

何が導師だ。世界を救うどころか女の子の一人も救えない無力な自分。立ち止まっているとそういうことばかり考えておかしくなりそうで、走り出したくてたまらなくなる。

―――困っている人を放っておくなんで出来ない。

何度も言った言葉で、聞こえは良い言葉ではあるが、突き詰めればそれはスレイ自身が他人の悲惨な末路を見たくない、というただそれだけの意味しかない。イズチでの時間は極めて穏やかで平和だったから、あの里にいる時は下界もそんな風なのだと漠然とそう思っていたし、実際に下界の現状を理解した今になっても現実の悲惨さを目の当たりにするのは怖かった。

どうにも出来ないことがあると頭ではわかっている。しかし、少しでも見ないで済む可能性があるのならそれが良い。現実を呑んでかかることの出来ない子供の惨めな悪足掻きである。

「もしもそれで自分の思うような結果にならなかったとしても、何かしてたら自分に言い訳出来るから。自分は精一杯やったんだ、だからオレは悪くないって。呆れちゃうよね、こんなの」

「いいえ」

スレイの自嘲を咎めるように、ライラは小さく首を振る。

「人の辿る悲惨な末路を見たくない、自分が立ち止まっている間にそういう結末が来ることが怖い、それはスレイさんの優しさですわ。でも、いくら優しくても人のために全力で動ける人間は少ないものです。例え多少夢見が悪くなっても、人は自分の身が可愛い、それが普通なのですわ」

天族も人間も関係無く、とライラは続ける。

「どんなに絶望的な状況でも、貴方はきっと諦めない。最悪の結果を防ぐために全力を尽くす…。人のためにそういう行いが出来る人を、世間一般には弱虫とは呼びませんわ。寧ろ、勇者、英雄…そんな伝承に名を馳せる方にこそ、多い気質だと思いますけれど」

「ライラ…」

背の高い彼女を見上げるスレイに気付いたのだろう、ライラは服が汚れるのも構わずに草地に膝を付き、目線の位置を合わせて座る。焚き火の色が反射して、まるで燃えているように彼女の瞳の翠が躍った。

「でもスレイさん。焦ってはいけません。冷静に状況を見極めてこそ、最善の選択肢は見えてくるものですわ。アリーシャさんと貴方の間には、導師と従者の契約がありますし、アリーシャさんの身に何かがあれば、必ずスレイさんにはわかります。今はまだ最悪の状況に陥ってはいない。だから、冷静になって下さい。アリーシャさんを助けるためにも」

痛い程真っ直ぐにスレイを見据える真摯な目線。彼女のその目はいつに無く必死で、まるで懇願されているようだとスレイは思う。誓約のせいでいつも多くは語れないライラだが、長い年月の間に多くの人間を見てきた彼女には、今のスレイに何か思うところがあるのだろう。

以前共に旅をしてた導師の末路がどうなったのか、結局スレイは聞かされていない。良くない結果で終わったのだろうか、と勘繰ってしまうのは大体ライラがこういう態度を見せた時だ。災厄の時代が終わっていないことも勿論だが、ライラが時折見せる不安に揺らぐ表情が、スレイの予想を確信に近づける。

先のわからないスレイも勿論不安だが、数多くの人間の破滅を見てきているライラだって同じくらい不安のはずで。

心配をかけてしまったのだなと、ライラの顔を見てつくづく思う。不安を抱え、誓約という枷に悩みながらもスレイの意見を尊重し、いつでも最大限の助力をくれる。そんな彼女がついていてくれるのに、ほんの少し立ち止まるのが不安だなどと、どの面下げて言えようか。

真っ直ぐに自分を見詰めるライラの目を見返す。丸まった背筋が伸びたような、そんな気分だった。

「わかった。オレだけだったら無理だけど、オレには皆がいてくれる。だからきっと大丈夫だよね」

「スレイさん…」

表情を和らげるライラに笑いかけると、今度こそ彼女の表情に笑みが戻る。

向き合わなければならないことはたくさんある。アリーシャのこともそうだが、ロゼのことも放ってはおけない。災渦の顕主に立ち向かうための力も手に入れなければならないし、世界を覆う穢れを何とかするために加護してくれる天族も探さねばならない。

―――焦るな。冷静になれ。

ライラの言う通りだ。全部が一度に出来るわけも無い以上、焦れば必ず好機を逃す。ならば一つずつ、確実にこなせば良い。そのために力を貸してくれる仲間が、スレイにはたくさんいるのだから。

「ロゼのことも心配だけど、まずはアリーシャだ。また力を貸してくれる?」

「ええ、もちろ…」

「あら、結局暗殺ギルドも何とかするつもり?」

ふらりと木の陰から姿を現したシルエット。焚き火の灯りに浮かぶそれは傘の形に円を描き、その持ち主を一瞬で悟らせる。

「エ、エドナ?!いつから?」

「大臣達はアリーシャのことを…辺りからね」

「ほぼ最初から?!」

思い返してみれば、ライラに語った内容はその殆どが益体も無い愚痴の類で、自分の未熟さを吐露したようなものだから、人に聞かれていると知られれば恥ずかしい。しかも相手はあのエドナだ。思う様からかわれるだろうと覚悟して身構えたスレイだったが、予想に反してエドナは何も言わない。座ったスレイを見下ろしたまま、何を言うでもじっと見下ろしてくる。

「え~っと、エドナ…?」

戸惑ったスレイが首を傾げると、エドナは特に面白くもなさそうな顔で一言ぼそりと呟いた。

「あんまり悩み多いと禿げるわよ」

「禿げっ…?!」

リアルに想像したくない未来を持ち出されて、スレイは言葉を失った。禿げは遺伝だと聞くが、スレイには生憎両親どちらの頭も記憶にないから、毛髪が豊かだったかどうかなど知る由も無い。完全に博打だ。

エドナはそれ以上何も言わなかった。こういう場面では意外に口数の多い彼女にしては珍しいな、と不躾なのを承知で顔を見ると、その表情はどこか寂しげな色を抱えているようにも見える。

もしかして。原因に思い当たったスレイは、彼女のデリケートな部分に触れる台詞を恐る恐る口に出す。

「お兄さんのことなら忘れてないよ。ちゃんと覚えてるから。…絶対、元に戻す方法探そう?」

「っ!!」

「痛っ?!エドナ?!」

てっきりアリーシャやロゼにかまけて自分の兄を忘れられていると感じたのだろうと思ったのだが、どうもそのスレイの見立ては見当違いだったらしい。無言で繰り出された傘の一撃が、言葉よりも雄弁にエドナの不満を語っていた。

何度か無言の内にそうやって傘を突き立てた後、憤然とした様子で去っていくエドナの背を、スレイは呆然として見送った。そのスレイを見かねたように、ライラが苦笑しながら口を開く。

「あ、あの…。多分エドナさんは、『何でもかんでも自分一人で背負い込むな』、と言いたかったのだと思いますけど…」

「へ?」

言われてみれば彼女の言葉は「あまり悩むな」と言っている風に取れなくも無い。エドナは言葉こそ素直で無いものの、人を気遣う優しさは捨てきれない。そもそもエドナはディンタジェルでもアリーシャを助けたいと願ったスレイの背を押してくれているのだ。今このタイミングで兄を優先して欲しいと言うことは考え辛い。にも関わらず、スレイは折角の彼女の気遣いを曲解してしまったことになる。

明日になったら謝らないと、と考えながら頭を掻くスレイに、ライラが励ます調子で声をかけてくれる。

「スレイさん。必ず、アリーシャさんを助け出しましょうね」

「うん!…ありがとう、ライラ」

ライラの言葉に大きく頷いて、スレイは頭上の月を見上げる。

――――待ってて、もうすぐ助けに行くから。

胸中で月に語りかける。

もしどこかでアリーシャがこの月を見ているのなら、少しは気持ちが届くと良いのに。

夢見がちだと理解しつつも心のどこかでほんの少し、そんなことを思った。

 

 

「じゃ、あたしはここまでね。ちょっと用事もあるし。気をつけてねー」

城の地下の倉庫に抜けるという隠し通路の入り口までスレイ達を案内したロゼは、軽い調子でそう言った。

「うん。本当にありがとう、ロゼ」

言ってスレイは頭を下げる。「用事」の中身は気にはかかるが、何せ今は時間が無い。アリーシャの安全の確保が最優先だった。

城内に侵入する前に、物陰に隠れて見回りの兵士をやり過ごした、その時に聞いた噂がスレイの脳内から離れない。

曰く、バルトロは遂に長年邪魔者扱いしてきたアリーシャを始末しようとしている。マーリンドの住人の声を何とか封殺し、病気に見せかけてアリーシャを暗殺するつもりなのだと。

元々アリーシャは王族というには余りにも傍流の家の出で、本来ならば政に口を出せるような身分では無い。国の英雄であるマルトランの弟子という立場もあり、その影響力はやや大きくはなったものの、本来ならば発言を笑い飛ばされる以上の存在感は無かったのだ。

その状況が変えたのがマーリンドでの一件である。絶対に解決不可能と思われていた疫病の街を、アリーシャが救った。他の誰を頼ってもどうにもならなかった危機を、導師と共に変えてしまったアリーシャを慕う声が上がり始め、城内にも彼女を特別視する者が現れる。導師と共に国に取り込んでしまおうという声も上がり始めたが、アリーシャが権力を持ってしまえば、長年彼女を虐げてきたバルトロの地位は確実に危うくなる。だからその声が大きくなり、幼い王の耳に入る前に消してしまおうと、要はそういう事らしかった。

早ければ数日の内にも結果が出るだろうと話し合う兵士の声に、スレイの背筋は凍った。本当にギリギリだったのだ。もしロゼ達がいなければ、そう考えるとぞっとする。

「そうそう、後はこれね」

スレイの心情を知ってか知らずか、ロゼは常の明るい様子を崩さずにスレイの手をむんずと掴み、空いた手で懐を探って目的の物を見つけ出すと、それをスレイの手に押し付ける。

「これ…。ロゼ…?」

艶々とした木の感触に、金属の冷たい重み。経年の色も露わな煙管と、銀で出来たサークレット。それはスレイ達が道案内の代償としてロゼに渡したもので、役目を全うしたロゼが今更返す必要は無い筈だった。

困惑したスレイが問うようにロゼの顔を見返すと、彼女は悪戯の成功した子供のような顔で笑う。

「思った程のことはなかったしね。スレイも結局指名手配はされてなかったし。それ、どっちも大切なものなんでしょ?」

「でも…」

「大丈夫。それに、あたしは単にスレイ達の覚悟が見たかっただけ。囚われのお姫様のために、どれだけの物が差し出せるかっていう覚悟をね」

スレイもミクリオも、ばっちり見せてくれたでしょ。

そう言う彼女の表情は軽い調子の割には至極真面目なものだった。どうやら煙管やサークレットを返すための方便ではなく、事実スレイ達の覚悟を試していたらしい。そうとわかれば無理に彼女に煙管を渡す必要性も無い。戸惑いながらも品物を納め、礼を言おうと顔を上げれば、ロゼは何時に無く真剣な眼差しをスレイ達に向けていた。

「あたしは仲間を大事にしない奴を信用しない。例え仲間を守るために何かを犠牲にしなきゃいけなくたって、それを惜しむような奴をあたしは絶対に認めない。逆にそれが出来る奴らなら、窮地に立たされてもあたし等を売らない。だから今回は手を貸したし、今後もあんた等が変わらないなら助力はするよ。でも覚えといて」

一端そこで言葉を切って、ロゼはスッと目を細める。暗所の中で燃える蝋燭の光を弾いた青色が酷く暗い光を放つ。

チリ、と痛い程の殺気にスレイの肌が粟立った。いっそ目で見えないのが不思議な程、濃厚な殺意に呼吸すら止まる。

「あたしの仲間を傷つけることがあったら、あたしは絶対にあんたを許さない。例え世界を救っても、あたしの家族を傷つける奴はあたしの敵。何が起こってもそれは絶対に変わらないから。もしあんたが風の骨の情報を安易に漏らしたりしたら…」

殺すよ、と唇の動きと首を掻き切る動作で伝えた彼女は、一転してその表情を変える。明るくサバサバした、拘りの無い笑顔。「いつものロゼ」の顔をして、彼女は言葉を失うスレイ達に背を向ける。ひらひらと肩越しに手を振る彼女の動作は軽やかで、先ほどの氷のような殺気は嘘のように消えていた。

「…暗殺者、なんだな。本当に」

「うん。オレも時々忘れそうになるけど」

ミクリオの言葉に頷いて、スレイは闇の中に消えるロゼの背中を見送った。

そう、彼女は暗殺者なのだ。頭でわかっていただけの事実が、リアルな形を持ってスレイの脳裏に刻まれる。

ロゼはあの明るい笑顔の仮面の下に、一体どれだけの闇を飼っているのだろう。出来ることならば救いたい。そう願うのはスレイの傲慢なのだろうか。

そんなことを考えながらロゼの消えた闇を見詰めてたスレイの背中に、エドナの傘が突き刺さる。

「とにかく、今はあのお姫様が先でしょ」

鋭い痛みにスレイが悲鳴を上げれば、静かにしなさい、と理不尽なお叱りが返ってくる。流石に抗議しようと振り向くが、予想外に緊張したエドナの表情にスレイの顔もまた引き締まる。

「本当に…時間ないわよ」

「スレイさん…」

通路の奥を見遣るエドナとライラ、その方向に目を転じれば闇に閉ざされた空気の奥から、確かに見知った気配が流れてくる。

肌に突き刺さる感触、胸が悪くなるようなどんやり凝ったそれは、この街から一掃された筈のもの。それだけならまだしも、漂ってくるそれにはどこか懐かしいような奇妙な気配も混じっている。

「これは、穢れ…?しかもこの気配。まさか…」

スレイと同時にそれを認識したミクリオが、その続きを言うことを拒むように口を噤む。しかし穢れに懐かしい気を感じるのは確かなことで、それは天族のみならずスレイにすらもはっきりと感じられる。このハイランド城内でスレイがそんな感情を抱く相手はただ一人。

「アリーシャ…!!」

この穢れ、そしてこの気配に何の意味があるのか。悟った瞬間スレイは弾かれたように走り出す。

タイムリミットはもう目前に迫っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。