ぼくがかんがえたさいきょうのゼスティリア   作:ほーこ

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従士パワーアップイベント捏造です。
従士は導師の助けとなるもの。この前提でアリーシャが仲間になったパターンを模索してみました。


従士パワーアップイベント編
次の一歩を今ここから 1


見渡す限りの草原。稀に見える木々や岩、そしてこの草原の所々に点在する謎の歴史建造物はとりあえず今の所は視界に入らず、地平線の彼方まで続くかと錯覚させるような草の緑と空の青のコントラストが目に痛い程だ。

凱旋草海。

草の海と書くだけのことはある。なるほど、この草原はいかにも広大だ。

アリーシャは半ばうんざりした気分でそんな事を考えながら、手にした槍を斜に構える。奇声を上げて飛びかかってきた鳥の憑魔の鋭い爪を受け止める。掌に食い込む重い一撃を押し返し、一端離れた所をすかさず薙ぎ払った。

教皇を探すため、ペンドラゴを出て二日。広大な草原の海を渡るには憑魔との戦いは避けられない。今日もこれが五度目の戦闘だ。

「アリーシャ!」

「私は大丈夫です!ミクリオ様はスレイの援護を!」

「了解!」

地に落ちた憑魔には目もくれず、次の標的に視線を移す。憑魔は全部で五体。それらは全て鳥型だった。斧に似た嘴を持つ地を駆ける鳥が三体と、図体のでかい鳥が二体。その内図体のでかい方の一羽は今落とし、今一羽はミクリオの術で悲鳴を上げている。その隙に間合いを詰めるスレイの位置を確認して、アリーシャは彼の背後を守るように移動する。

スレイの右目は今殆ど機能していない。一番息の合うミクリオが付きっ切りで援護してはいるが、そもそもスレイの不調の原因はアリーシャの存在にあるのだから、戦闘中の隙くらいカバーしたかった。レディレイクの牢から救い出されて以来、そうやって常にスレイの状況を確認しながら戦っているから、既に彼の動きを目で追うのは癖になっている。

だから気付いてしまった。

本人は必死に隠そうとしているらしいのだが、どうにも今日のスレイは動きが鈍い。目のせいだけではない。右目が見えなくなってからスレイの音や気配に対する感覚は鋭敏になっていて、敵の気配を読み違えることは寧ろ減ったといってもいい。元々山育ちのせいか目も耳も常人より良いし、身体能力だって悪くない。右目が見えない状況に慣れたのか、最近では動きも随分良くなっているとアリーシャがミクリオと話したのはつい先日のことだというのに。

体調でも悪いのだろうか。

そう懸念するアリーシャの視線の先で、止めを刺そうと振りかぶったスレイの剣が不意にぶれた。まるで剣の重みに振り回されたかのように体勢を崩すスレイを庇ってすかさずミクリオが前に出る。しかしそのミクリオの右側、暴れるスケイルバードの影になっていた死角から不意をつく形でピーコックが躍り出た。ピーコックは鳥の形はしているものの長時間飛べない憑魔だが、短い滑空には何とか耐える。その滑空での勢いと、鋭い斧のような嘴を使った攻撃の威力はなかなかどうして侮れない。

アリーシャは咄嗟に地面を蹴り、ミクリオとピーコックの間に割って入って、その斧のような嘴の一撃を辛くも止めた。アリーシャの対応を確認したミクリオもまた、スレイが止めを刺し損ねた一羽に最後の術をお見舞いする。悲痛な叫び声をあげて地に落ちた鳥は、そのままバタバタと何度か羽で宙を撃ち、そのまま白い光になって消えていった。

「こっちも終わったわ」

「お怪我はありませんか?」

残りを片付け終わったのだろう、半ば駆け足でエドナとライラがスレイ達に近づいてくる。彼女達の背後、そして自分達の周囲に敵の影が無いことを再度確認して、アリーシャはようやく槍を下ろした。

「スレイ…」

「こんだけ広いと流石に疲れるなぁ。フォローしてくれてありがとう、アリーシャ」

体調が悪いのではないか、そう尋ねようとしたアリーシャの言葉を遮るように、スレイが片手を挙げて礼を言う。それがこれ以上聞くなという拒絶のようで、アリーシャは続ける言葉を見つけられずに結局口を噤んだ。

「…とにかく、結構連戦だったしね。こういうミスも出てくるとシャレにならない。今日はここまでだね」

ミクリオとてスレイの異変に気付いていない筈は無い。彼はアリーシャなどより余程良くスレイを理解している。何せ生まれた時からの付き合いだ。

しかし彼はスレイの異変に言及しないまま、野宿の準備を進言した。彼ならばアリーシャと違って、問答無用でスレイの体温を見るくらいのことは出来るだろうに。

何故ミクリオがそれをしないのか。そんなことはわかっている。

アリーシャは野宿するのに丁度良い場所を探す二人の背を見ながら、胸の内に湧いた感情を噛み殺すように俯いた。

もしスレイの異変が従士反動の所為だとしたら、スレイはきっと必死に隠すし、ミクリオだって悪戯にそれを騒ぎ立てることはしないだろう。

この旅の仲間は皆暖かい。とりわけ歳の若いスレイとミクリオは実直な性質で、アリーシャが気に病むだろうと思われる従士反動の件については、話題に出そうともしなかった。戦闘に関しては上手くミクリオがフォローしてくれてはいるが、片目の視力が失われればそれだけ体力の消耗も激しい筈だ。それなのにスレイはそれを表に出さず、アリーシャに優しい笑顔を向けてくれる。

気遣われている。それがわかるから、酷く辛かった。

「…これじゃあ、同じじゃないか」

無力故に何も出来ない無意味な自分。そんな状況から脱したくてレディレイクを出たはずなのに、結局何も変わっていない。寧ろ、あの頃はアリーシャのせいで辛い思いをする人がいない分、マシだったとすら思える。

「アリーシャ?」

心配げな声に顔を上げると、やはり心配そうな顔をしたスレイが、肩越しにこちらを振り返っている。

「大丈夫、何でもないよ」

この上スレイに心配させるのは余りにも筋が違うというものだろう。胸中に抱えた思いを押し隠してアリーシャは何とか笑顔を作ってみせる。

何とかしなければならない。焦りが炭火のようにちりちりと炎を上げるが、どうすればいいのかわからない。

半ば駆け足でスレイの背を追いながら、アリーシャは誰にも見られないように一瞬だけ俯いて、ぎゅっと唇をかみ締めた。

 

 

「アリーシャ、人参はもう少し小さい方が火が通りやすいよ」

「そ、そうですか?ではこのくらい…」

「小さすぎるよ!それじゃみじん切りだ」

何かの遺跡の残骸。その大きな石を風除けに、野営の準備は始まった。幸いにして枝ぶりの良い木もあり、万が一雨が降っても雨避けには困らない。もっとも、水の天族であるミクリオが、今晩は雨の心配は無いと言ってはいたが。

野営の手順は大体決まっている。エドナが整地している間にスレイやアリーシャが薪を探し、ライラが火の番をしてミクリオが食事の支度をする。水が必要な場面が多い料理では彼の能力がとにかく活きたし、人間であるスレイと生活していたせいで、彼は他の天族よりも料理が得意だ。火加減の調整だけは苦手なようだったが、それはライラが気をつけていたし、切ったり皮を剥いたりの細かな作業は断然ミクリオの天下だったのだ。

ミクリオが切ってくれたお手本を眺めながら、ふとアリーシャはイズチでの夜を思い出す。

スレイだって料理は出来る。初めて会った時手料理を振舞ってくれたのだからそれは確かな話で、しかしアリーシャと再会してから彼は一度も包丁を握っていない。オレは大雑把だから、とスレイは笑っていたが、本当は片目が見えないため刃物を使った細かい作業を避けているだけだとアリーシャは知っている。自分が傷つけば必ずアリーシャが気に病む。だからミクリオは何も言わずに包丁を握るし、スレイは彼の手伝いをするに留まるのだ。

「アリーシャ?どうかした?」

手の止まっていたアリーシャに、怪訝そうな表情でミクリオが問いかける。

「…いいえ、少したまねぎが目に沁みて」

「そう?ならいいけど」

無難な答えでお茶を濁して、アリーシャは胸に兆した思いを汲み取られない内に作業に戻った。尚も訝し気なミクリオの目線を避けるように顔を伏せ、目の前のたまねぎとの格闘を再開する。

スレイが包丁を握れないのならば、代わりに出来るようになろう。使用人に囲まれる生活を送っていたから、台所に入る機会すらろくになく、今は満足に野菜を切ることも出来ないけれど、それでも何とかしたかった。

―――少しでも、例えたった一つでも。

「…君から奪ってしまったものの、代わりになりたいんだ」

焚き火の傍らに座って背中を丸めるスレイを身ながら、彼に聞こえない声量で小さく呟く。

アリーシャがスレイと過ごした時間は決して長くない。ミクリオのように彼の目になることは出来ないし、ライラのように事あるごとに的確な助言を与えることも、エドナのように自信を持って背中を押してやることも出来ない。精々戦闘でミクリオとスレイ二人のフォローをすることと、日常での雑務を請け負うことくらいしか出来ないが、それでも出来ることがあるならば、一つも余すところなくそれをやっていたかった。

たったそれだけのことが、スレイがアリーシャにしてくれた事への恩返しになるとは思わないけれど。それでも非力なアリーシャに出来ることは他にない。

心に浮かんだ思いを再確認するように、胸元で拳をぎゅっと握って、そこでアリーシャは異変に気付く。

「…スレイ?」

焚き火の傍に座ったスレイは、立てた膝に額を預けるような体勢のまま、じっと動かない。包丁を握らなくなったとはいえ、食事前のスレイは食器の準備をしたり保存食を配ったりと忙しく立ち働くのが常で、こんな風にじっとしていることは殆どなかったから、それが酷く珍しかった。

「スレイ?どうかしたのか?」

不審に思ったのだろう、少し離れた場所で野菜を洗っていたミクリオも顔を上げ、怪訝そうな声でスレイを呼ぶが、やはりスレイは顔を上げない。

スレイが仲間の声を無視するなど、それこそ完全なる異常事態である。それぞれ野営の支度をしていたライラとエドナも異変に気付いて顔を上げ、本格的にミクリオが腰を上げた。

「スレイ?」

全員がスレイを囲むようにして駆け寄ってきたが、手を伸ばしたのはアリーシャが一番早かった。

恐る恐る肩に手をかける。もしかしたら疲れて眠っているのかもしれない。そう思ったのも束の間、アリーシャは指先に感じた体温の異常さに気付いて息を呑んだ。

「スレイ?!」

熱い。まるで風呂の湯でも触っているかのような温度だった。

思わず軽く揺すると何の抵抗も無くぐらりとスレイの体が傾ぐ。どさりと鈍い音を立てて地面に転がったスレイに、ライラが小さく悲鳴を上げた。

「スレイさん!」

「おい、スレイ?!」

どうやら辛うじて意識はあるらしい。呼ぶ声に応じようとして緩慢な動作で顔を上げるが、最早上半身を起こす力も無いのか、半ばで再び地面に沈んだ。それだけで酷く呼吸を荒げるスレイに、そのまま寝ていろとミクリオが言うと酷く大儀そうに頷く。

やはり体調が悪かったのか。

そう思いながらアリーシャが急いで額に手をやると、掌に酷く熱かった。湿った感触は汗だろう。既に襟元は変色するほど濡れていて、しかもこんなに熱が高いのに体が僅かに震えている。まだ熱が上がる証拠だ。

「誰か、急いで毛布を!ミクリオ様、清潔な布を濡らして…」

一刻も早く街に連れて行き、医者に見せねばならないが、この状態のまま連れまわす訳にはいかない。一先ず処置を、とスレイを抱き起こしながらアリーシャが慌てる頭で何とか必要な事項をまとめていた時だった。

やはり緩慢な動きで上げられた手が顔に触れる。食事時だったせいでグローブは外され、汗ばんだ指は酷く火照っている。その指が、まるで顔を確認するようにアリーシャの輪郭を撫で、髪に指を滑らせた後、肩の甲冑に触れた。

「…アリー、シャ?」

一通り調べ終わると、スレイはまるで問いかけるように掠れた声で名前を呼んだ。

「スレイ…?まさか…」

疑問符のついた彼の言葉の意味に気付いて、声が震える。

スレイには意識があり、しかも目に外傷があるわけも無い。普通ならば自分を抱き起こしているのが誰か、指で触って確認する必要などない。スレイを抱き起こしているアリーシャと彼の顔の位置はまさに目と鼻の先、掌二枚分も離れてはいないのだから。

「まさか…見えないの…?」

恐怖に震える声で問う。どうか違っていてくれと胸の内で願いながら、しかし頭では既に彼の答えを予期していた。

「…ご、めん」

不要な謝罪を口にしながら、彼は困ったような顔で笑う。

こんな時まで笑うのか、とアリーシャは絶望感に打ちひしがれた頭でそんな事を考えた。

 

 

その夜は徹夜になった。

手持ちの薬草を煎じて飲ませ、ミクリオが手伝って汗に濡れた衣服を替えた。その間にアリーシャはマントや上着、布の類を目一杯使って寝床を作り、スレイを寝かせて様子を見守る。

本当ならばすぐにでも医者を引っ張ってきたかったが、身動きの取れないスレイの周りから人員を割くのは愚作でしかない。天族の皆にスレイを任せて自分一人で街に戻ることも考えたが、夜の凱旋草海を単独で渡るのは自殺行為だと、ミクリオ達から強く止められてしまった。

朝になったら自分が背負う、とミクリオは軽く言ったが、レディレイクの時と今では街までの距離がまるで違う。そもそもミクリオよりもスレイの方が体格が良いのだから長距離を背負って歩くのは難しいだろうし、膂力の点では頼りになるエドナではどう担いでもスレイを引きずってしまう。何か方法は無いか、そう考えながらまんじりともせずに夜を明かしたアリーシャは、明け方ごろにある物音を聞いて立ち上がった。

車輪の回る音、そして馬の蹄の音―――馬車の音である。

野営をしていた岩陰を出て周囲を見回す。夜明けが近いとはいっても、灯りに乏しい草の海は当然暗い。その暗がりに仄かに浮かぶように、白い幌をかけた馬車が近づいてくるのが見えた。

「おーい!!」

槍を放り出して音の方へと走り、こちらに向かってくる影に向かって呼ばわるも、馬車は一向に止まる様子を見せない。このところ治安が悪化して野党も増えているから、それを警戒しているのかもしれない。

このままでは行ってしまう。アリーシャは焦った。

スレイを運ぶためにどうしても乗り物は要りようだ。担いで歩いたのではいつ街につくかわかったものではないし、スレイにかかる負担も大きい。何よりもい憑魔に襲われるかわかったものではないのだ。弱った人間を担いでのろのろ歩いていれば、彼等の格好の的になってしまう。

ここで馬車に巡りあえたのは一つの奇跡だ。この機を逃すわけにはいかない。

幸いにも馬車のスピードはそう速くない。それを見て取ったアリーシャは思い切って地面を蹴り、馬車の前に飛び出した。

「頼む、止まってくれ!!」

鍛錬で鍛えた声を腹の底から張り上げる。両手を広げて大きく振り、武器を持っていないこともアピールした。

「うわっ!」

御者席の男は突然目の前に飛び出してきたアリーシャの姿に目を見開き、咄嗟に手綱を引いて馬を止める。前足を上げた馬の蹄に危うく蹴られそうにはなったものの、アリーシャの一歩前の距離で何とか馬車は止まった。

「何してるんだ、危ないだろ!」

「飛び出してすまない。しかし頼む、近くの町まで馬車に乗せてはもらえないか?病人がいるんだ」

「病人?」

訝しげに瞳を眇めた男はまだ若い。二十代の前半か半ば、そのくらいに見えるのにそうやって辺りを見回す視線は酷く鋭い。馬車を止め、身軽に御者席から飛び降りてくる動きもさることながら、単純に周囲を確認する動作一つ取っても驚く程に隙が無い。

一体何をしている男なのだろう、そう思った矢先だった。

「トル?」

御者席の後ろ、幌の隙間から一人の人物がひょっこりと顔を覗かせる。寝起きなのだろう、赤に近い茶色の髪はあちこちが跳ねていたが、それでも涼やかなブルーの瞳は異変を察知して警戒の色を見せている。

アリーシャは彼女を知っている。何を隠そう、牢を出てお尋ね者になったアリーシャとスレイを国境越えさせてくれた恩人だ。その時馬車を御していたのはエギーユという三十過ぎの男だったはずだが、今日はその姿は見えなかった。

「…ロゼ?」

「アリーシャ姫?何してんの、こんな時間にこんな所で。スレイ達は?」

アリーシャが呼ぶと、ロゼはきょとんと首を傾げ、アリーシャと共にいるはずのもう一人を探して、ブルーの瞳で周囲を探る。自身も導師としての資格を備える彼女は、当然ミクリオ達の存在も認知していて、その上でアリーシャの傍に彼等の姿が無いことをいぶかしんでいるのだろう。

「スレイは、そこの岩陰に…」

「なんか病人だってさ。どうする、頭領?」

「病気って…スレイが?」

トル、と呼ばれた男の言葉に、ロゼの表情が俄かに真剣なものに変わる。彼女の問いにアリーシャが深刻な顔で頷くと、ロゼはそれだけで全て了解したような表情で頷いた。運ぶのを手伝ってくれるつもりなのだろう、軽い身のこなしで馬車を下りて幌の後ろを開き、荷物を寄せて場所を作ってくれる。

「スレイは?」

「こっちに」

短いやり取りを交わしながらスレイを寝かせた岩陰に案内すると、スレイを守るように囲んでいた天族の三人が、予想外の人物の来訪に目を見開いた。

「ロゼ?!」

「ロゼさん!どうしてここに?」

「たまたま通りかかっただけ。とにかく細かいことは後。今はこっちが優先でしょ」

言いながらスレイを抱え起こすロゼを手伝って、アリーシャは反対側の肩に自分の肩をもぐりこませる。その場の後始末はライラ達に任せて、トルが準備してくれていた簡易の寝床にスレイを寝かせると、トルが水で濡らした手ぬぐいをスレイの額に乗せてくれた。

アリーシャが軽く頭を下げて謝意を伝えると、彼は茶目っ気たっぷりのウインクでそれに応えて、殆ど馬車を揺らさない身軽な動きで再び御者席に飛び乗った。

「頭領、出して良い?」

「ちょっと待って。…はい、オッケー」

遅れてやってきたライラ達が馬車に乗り込むのを確認して、ロゼが出発の合図を出す。馬車の中にデゼルの姿は見えなかったから、きっと気を使ってロゼの中に入ってくれているのだろう。スレイを寝かせれば後は全員が座るだけでいっぱいの小さな馬車。スレイの負担にならないようにライラ達はスレイの外に出たまま、小さくなって肩を寄せ合う。

ラストンベルへ、と告げるロゼの声が遠い。思えば昨晩は徹夜、昼間も戦い通しで体は疲れきっている。

がらがらと響く車輪の音を聞きながら、アリーシャはいつしか浅い眠りに落ちていった。

 

 

ラストンベルに着いたのは夕方だった。

宿の手配を終えてスレイを部屋に運ぶところまで手伝ってくれたロゼとトルは、スレイが落ち着いたのを見届けて宿を去った。雑踏に消えていく二人の背が見えなくなるまで頭を下げ続けたアリーシャは、そのままミクリオ達と別れ、必要なものの買出しと医者を呼ぶために街に出る。

日の落ちようとしているこの時刻でも、商人の呼び声で賑やかな市街。軒先で客を呼んでいる商人の何人かに医者の居所を尋ねて回り、ついでに薬や滋養のある食べ物を買い足しながら、教えられた通りの裏側に足を向けた。

気になる言葉が聞こえたのはその時だった。

「ガフェリス遺跡?…ってあのバルバレイ牧草地の?」

「ああ。また盗掘に入った連中がいたらしいんだ。まあ今更大したお宝は見つからなかったらしいが、崩れてた通路の奥から謎の石版が見つかったらしいぜ。それがお宝の隠し場所を示してるんじゃないかって、連中必死だよ。あちこちに声かけて、心当たりは無いかって尋ねて回ってる」

「で、何だよその…えーっと、従者の…?」

「『従者の秘儀』だろ。他にも小難しいことが色々書いてあったらしいぜ。それが暗号なんじゃないかって、今連中必死になって考えてるよ」

「はっ。あんなゴロツキ共がどんなに考えたって、暗号なんか解けるもんかい。まだ俺の方がマシな頭の作りしてらぁ。どうせ宝なんてありゃしねえ。真面目に働きゃいいのに、一攫千金狙うから無駄な労力使う羽目になるんだよ」

話していたのは商人風の男と職人風の男。どちらも四十絡みで、片手に酒のグラスを持っている。

仕事を終えて一杯やっている最中の他愛無い噂話。しかしその内容は、今のアリーシャにはとても聞き流すことは出来ないものだった。

従者。どんな言語で書かれていたのかはわからないが、その単語は従士とほぼ同義だ。それが遺跡から発掘されたとするならば、導師の従士である自分と何らかの関わりを持っていても不思議ではない。何しろこのローランスには、導師の試練と関わりのある遺跡が他にもあるのだから。

「団欒中にすまない!その話、もう少し詳しく聞かせてもらえないだろうか!」

「何だい姉ちゃん。姉ちゃんも一攫千金狙ってるクチかい?」

「やめとけやめとけ。石版持ってるのはこの辺の若いゴロツキ共だが、碌な奴らじゃない。姉ちゃんみたいな若いベッピンが関わるもんじゃないよ。何されるかわかったもんじゃない」

「お気遣いには感謝します。それでも…どうしても、知らなければならないのです」

言ってアリーシャは再度頭を下げる。若い娘にそうまでされて嫌という男はいないだろうし、彼等は強かに酔ってもいた。そうまで言うならばと、ゴロツキがたまり場にしている酒場を教えてくれた彼等にアリーシャは再び頭を下げる。礼として買った荷物の中から酒のあてになりそうなものを幾つか渡すと、彼等は目じりを下げて喜んだ。

情報は得た。とりあえず今は医者だ。

ただでさえ予定よりも時間が押している。通りを抜けた場所にある小さな医療院、半ば走るようにして訪ねたその場所で老齢の医者に事情を話し、宿に連れ帰る頃にはすっかり日も沈んでしまっていた。

「…流行り病の兆候は無いね。旅暮らしということでしたが、疲れが出たんでしょうな。目の方は…ちょっとわからんね。高熱のせいで見えなくなることもあるが、そこまで大事じゃないでしょう。多分精神的な疲れからくる一時的なものだとは思うが、まあ時間を置いても良くならないようなら、一度都の大きな医療院で見てもらう他ないね」

胸の音を聞いたり脈を取ったり触診したりと、一通り診察を終えてからそう言った医師は、殆ど禿げ上がった頭を掻いて一つ息をついた。マーリンドの噂は医療関係者には有名だったようで、そこにいたことがあるというアリーシャの話を聞いた時にはかなり表情を険しくしていたが、今はそれも和らいでいる。大したことはないだろう、という見立てをアリーシャに告げて幾つかの薬を処方し、後は安静にして休息を取れと言い置いてあっさり医療院に帰ってしまった。

とりあえず流行り病では無いという結果を宿の店主に告げると、こちらも大いに胸を撫で下ろしたようで、消化に良さそうな料理を差し入れてくれる。もしも流行り病ならば、宿を閉めねばならないかもしれない大問題だ。それでも部屋を貸してくれたのだから、人心の荒んでいる今のご時勢にしては、随分善良な人間だといっていいだろう。

ミクリオに手伝ってもらって食事を終え、スレイはすっかり落ち着いて眠っている。熱は未だに高いが、昨晩のように苦しんでいる様子は無く、その眠りは穏やかだ。

時刻は既に夜半を過ぎている。昼間付きっ切りで面倒を見ていたミクリオとエドナはくたびれきって眠っている。

ベッドの傍らに椅子を寄せ、アリーシャはそこに座って眠るスレイの顔を見下ろす。赤い顔に浮かぶ汗、ぬるくなった布でそれを拭って、もう一度布を絞りなおす。それくらいしか出来ることが無いのがもどかしい。

きっとこの状態だって、従士反動と無関係ではないのに―――。

ギリ、とかみ締めた歯の隙間から、知らず小さなうめき声が漏れる。焦燥感で頭がおかしくなりそうだった。

その声を聞きつけたのだろう、向かい側に座っていたライラが顔を上げた。

「アリーシャさん。気を落とさないでください。スレイさんが倒れたのは、アリーシャさんのせいではありませんわ」

「でも…」

「確かに従士反動は導師に負担がかかるもの。でも、今回スレイさんが倒れる程消耗してしまったのは、きっと枢機卿の穢れに当てられたからだと思います。あれ程の穢れを受け流せるほど、スレイさんの領域は強固なものでは無かった。それに、旅に出てから色んなことがありましたし、きっと疲れも溜まっていたはずです。穢れに当てられて、それが一気に出ただけですわ」

宥めるような優しい声。しかし、彼女の言葉を聴いてそれで誤魔化されるほどアリーシャは子供では無い。育った環境のせいだろう。大丈夫、その言葉の裏側に隠された本当の意味に、アリーシャは酷く敏感だった。

「ありがとうございます、ライラ様。でも…慰めは不要です。スレイが穢れに当てられて私に何の影響も無いのは、私が受けたダメージもスレイが一身に負っているから。そうでは無いのですか?」

「それは…」

言い淀むライラの言葉が全てだった。

従士契約についてライラが詳しく語ったことは無い。それが彼女の誓約に触れるからなのか、それとも単純にアリーシャのことを慮ってのことなのか、それはアリーシャにはわからない。しかし、今までの経験を踏まえると、その契約の内容は何となくだが想像できる。

「導師は従士の負うリスクをも背負う。…従士に己を守るだけの力が無ければ、そのダメージは導師が背負う。そうなのですね?」

「アリーシャさん…」

「何故ですか…?!」

スレイを起こしてはいけない。その一心で叫びたい衝動は堪えたが、それでも口から出た言葉は酷く切実な響きを持っていた。

「従士は導師を支える者。なのに何故、スレイの負担になるのです?私はこんなつもりで、スレイについてきた訳では無かったのにっ…!」

平和な故郷が見たかった。自分の夢はきっとスレイの夢に繋がっている、そう思ったから、スレイの力になるためにアリーシャは差し出された手を取った。

庇ってもらいたかったわけでも、苦境から連れ出してもらいたかったわけでもなかった。自分の夢のため、そしてスレイの夢のために、彼の力になりたかった。彼の支えになりたかったのだ。

だが実際はどうだ。アリーシャが傍にいるために、スレイの負担は増すばかり。僅かに槍を扱えるとはいっても、そんなものは大した役にも立たない。そもそも天族の力があればスレイにはアリーシャの助力など殆ど必要無いに等しい。唯一メリットらしいメリットといえば、他の仲間と違って人間の目に映ることだが、一度レディレイクから出てしまえば、貴族暮らしで世間知らずなアリーシャに出来ることなど幾らも無い。ずっと天族とともに暮らしてきたスレイよりはマシだが、アリーシャがいたからといって事態が好転したことなど殆どない。ロゼ達セキレイの羽の方が余程スレイの旅に貢献できている。

「私に力が足りないのですか?ならばどうすれば良いのです?!このままなら、スレイと別れた方がよほど…!!」

「アリーシャさん」

いつの間に立ち上がったのだろう。気付かぬ内にアリーシャの背後に回ったライラが、アリーシャの頭を抱くようにしながら、激昂を抑えるように耳元で低く囁く。穏やかながらも反論を許さないその強さに、アリーシャも思わず言葉の続きを飲み込んだ。

「貴方の存在は、この先旅が続けば続くほど、スレイさんにとって大きくなるでしょう。別れた方が良いなんて、そんなことは絶対にありません。反動の件にしてもそうです。スレイさんの力が成長しているように、アリーシャさんの力も成長しています。貴方が手を伸ばすことをやめなければ、願いに届く日が必ず来ます。…それに、貴方がそう思っていないだけで、貴方がスレイさんのためにしていること、私達のためにやって下さっていることはたくさんあります。どうか、貴方自身の存在を見誤らないでください」

「ライラ様…」

ライラの腕の温度はまるでいつか感じた炎のそれ、記憶にも遠い母の腕の温度のようで。

アリーシャが落ち着いたと判じたのかライラがするりと腕を解く、それがほんの少し寂しい気がした。これではまるで幼子のようだ。

否、とアリーシャは己の思考を否定する。

幼子の時ですら、誰かの腕の温度を愛しいと、そんなことを思ったことは殆ど無かった。誰かの腕に抱かれた記憶など殆どなく、ただひたすら家の恥にならぬよう、姿勢正しく己の足で歩くことに力を注いで生きてきたのだから。

思えば自分の行動が正しいか正しくないか、常にそんなことで気を揉んでいた気がする。家の恥にならないか、王女の振る舞いとして正しいか、騎士として誇れるか。そんなことばかり考えて生きてきたけれど、果たしてその行動の中の何割がアリーシャの「やりたいこと」だったのだろう。

自分は何がしたいのか。そんな今更すぎる疑問の答えをアリーシャは持っていない。それに気付いて途方に暮れる。

「少し、外の風に当たってきますね。何かあったら呼んでください」

そう声をかけてライラが部屋を後にしたのは、アリーシャが気持ちの整理をつけるための気遣いだろう。ドアの向こうに消えていくライラの背中を見送って、アリーシャはひとつため息をついた。

「私自身の存在、か…」

見誤るも何も、アリーシャは自分の存在すらも正しく把握していない。属する場所が無いことが心許なくて、だから余計に従士としての使命に固執しているのだと、アリーシャはこの時ようやく自覚した。

こんな自分が、何をスレイ達にしているというのだろう。自分のやりたいこともわからない、姫という、そして騎士という立場を失ってしまえばこれ程に脆くて弱い自分が、彼等に何か出来ているとはとても思えない。

眠るスレイの顔を見下ろしながら、アリーシャは彼と出会ってからの日々をつらつらと思い返してみる。最初は少しずれた青年だと思ったが、彼の語る言葉には王宮の人間の言葉から常に感じていた欺瞞や軽蔑の色は無く、何もかもが真っ直ぐでそれが酷く気持ち良かった。人とはこんな風にもあれるのだと、妙に感動したのを覚えている。

「…やっぱり、私がもらってばかりだ」

一人ごちて、スレイの手ぬぐいに手を伸ばす。その手が触れる前に、スレイが小さく呻いて軽く身じろぎした。

「スレイ?」

「う…ん…」

苦痛で呻いているのではない、表情からそう判断してアリーシャはそっと胸を撫で下ろす。

どうやら覚醒したらしいスレイは重そうに瞼を上げ、見えていないはずの目を必死に眇めて周囲の状況を知ろうとする。見えないのだ、という事実に慣れていないのだろう。何度か首を傾げてから、ようやく自分の状態を思い出したらしい。アリーシャの気配を辿って手を伸ばし、布団についたアリーシャの手を取って暫く考える風にしていたが、やがてぱっと表情を輝かせながら口を開いた。

「アリーシャでしょ?」

「あ、ああ。よくわかったな」

「ミクリオより柔らかい手だけどタコがあるから、アリーシャかなって。当たりだった」

無邪気にそう言ってスレイは笑う。しかし苦境に反して笑顔の彼に、アリーシャは笑顔では返せなかった。

もやもやと、胸の中でわだかまる思い。今の今まで飲み込んでいたそれが、スレイの笑顔を見た途端に急速に膨れ上がり、唐突に弾ける。

「…どうして」

「え?」

まるで責めるような場違いなアリーシャの言葉。向けられたスレイも咄嗟に反応できず、短い声は明らかに困惑の色に染まっていた。

「どうして君は責めないんだ。ライラ様は枢機卿の穢れの影響だって言っていたけれど、それでも私のせいでスレイが要らぬ苦労を背負いこんでいることに変わりは無いだろう。なのに何で誰も私を責めようとしない?ミクリオ様も、君も、ただ黙って私を受け入れようとする。何故だ?」

「どうしてって…」

掠れた声、呟くような声音。スレイが辛いのはわかりきっているのに、こんなことで無駄な体力を使わせることこそ迷惑だ。わかっているのに止まらなかった。

「目が…見えないんだぞ。怖くないの?辛くないの?そんなわけ無い!」

「アリーシャ…」

そろそろと、探るように頬に伸びてきた手が、はっきりと慰める動きに変わる。その掌の熱さに、改めてスレイの状態を思い知り、身勝手に喚き散らしている自分がほとほと嫌になるが、それでも一度吐き出したものは最早止めようがなかった。

「私は平気だから…だから、頼むから…無理して笑うだけは止めてくれ…」

何て身勝手な理屈なのだろう。優しくされるのは嫌だなどと一体どの口がそう言うのか。その癖スレイに冷たく当たられればきっと傷つくだろう自分をアリーシャは知っている。知っているのに、それでも慰めのように笑いかけられるのは辛かった。

視界が奪われる恐怖。それが一体どれ程のものなのか、アリーシャは知らない。未だかつて経験したことの無い恐怖、想像しただけで背筋が凍る思いがするのに、スレイは実際にその恐怖に耐え、アリーシャの前で笑っている。そう思うと堪らなかった。

結局のところ、罪悪感に耐えかねて、スレイに当たっているだけなのだ。そう思えば更にに情けなさが募ったが、それでもこのまま今の状況に甘んじるのは余りに辛い。いっそ一人で凱旋草海に放り出された方がまだましだ。

さあ、どうかぶつけてくれ。

甘んじて受けることしか出来ないけれど、せめてどれだけ罵られても涙だけは零すまい。そう覚悟してぎゅっと唇をかみ締める。

「…と言われてもなぁ」

ぶつぶつ言いながら、スレイの指がアリーシャの頬の線をなぞるように動く。鼻の位置、耳の位置、と確認するように動くそれに、もしかして叩かれるのか、と思わず目を閉じた時だった。

むぎゅ。

唐突に口元の横が左右に引かれる。大して力は入っていないから痛くは無いが、随分と間抜けな顔になっているだろうことは予測がついた。

「ふ、ふれぃ…?」

「オレが今アリーシャに不満があるとすれば、アリーシャが笑ってないっていうことくらいだよ。これじゃ折角ハイランドからさらって来た意味が無いじゃないか」

「ふぁ、ふぁらってひたって…」

「確かに目が見えないことは怖いよ。すごく怖い。でも、ライラも一時的な物だって言ってたし、そんなに心配はしてないんだ。それに、もしずっと見えないままだとしても、オレには一生懸命目になってくれようとする仲間がいっぱいいるから、きっと耐えられる」

言ってスレイは仄かに笑う。笑うその目と視線は合わないけれど、彼の言葉が嘘や虚勢でないことくらいはアリーシャにもわかる。

「いざとなったらデゼルに弟子入りでもしようかな。オレは天族じゃないし、時間はかかるかもしれないけど、コツがわかれば案外何とかなるんじゃないかな」

「なっ?!」

冗談めかしてスレイは笑うが、それこそアリーシャにとっては冗談では済まない。

世界中の遺跡を冒険し過去の知恵を学んで、天族と人が手を携えられる世界を築く。彼の夢であり、導師の使命でもあるその目標は、アリーシャごときのために犠牲にしていい物では絶対に無い。

「何を言うんだ!それでは君の夢が…!」

「大丈夫」

スレイの手を引き剥がし、思わず声を大きくしかけた。そのアリーシャの口を人差し指で塞いで、スレイは笑みを深くする。

「オレが諦めない限り、オレの夢は終わらない」

「スレイ…」

「だから、アリーシャには笑っていて欲しいんだ。無理言ってるのはわかってる。でも、守るものが傍にあれば…オレはきっと頑張れる、から」

そう言うスレイの声が段々細くなり、徐々に途切れがちになっていく。熱も下がっていないのだ。体が限界を訴えているのは明らかだった。それでも必死に瞼を上げようとするスレイの額に、絞りなおした布を置き、アリーシャはスレイの耳元にそっとささやきかける。

「ありがとう、スレイ。勇気が出た。…今日はもう休んで」

「ん…」

アリーシャの言葉に微かに頷いて、スレイの瞼が完全に落ちる。程なく聞こえてきた寝息を確認して、アリーシャは座っていた椅子から腰を上げた。

「…守る物が傍にあれば、か。君も同じなんだな」

騎士は守るもののために強くあれ。

それは師がアリーシャに与えた教えであり、アリーシャの行動の支えになっていた軸でもある。師匠以外殆ど味方を持たなかったアリーシャは、挫けそうになる度にこの言葉を思い出し、笑顔で暮らす民の姿を夢想して、着いた膝を再び上げてきたのだ。

そして今、国を離れ、姫でもなく騎士でもない丸裸の「アリーシャ」が守るべきもの、守りたいと思うものはただ一つ。

「…君の夢は終わらせない。私が守ってみせるよ」

そのために必要なのがアリーシャの笑顔であるというのなら、何が何でも笑ってみせる。

そしてスレイの隣で笑うために、今アリーシャに必要なのは―――

アリーシャは部屋の隅に立て掛けていた槍を手に取り、柄の感触を馴染ませるように手を滑らせる。ひやりと冷たい柄の感触に、背筋の伸びる思いがした。

「師匠…どうか、力を貸してください」

ぐっと柄を握り締めて小声で故国の師に願う。

スレイは夢のためにアリーシャの笑顔が必要だと言ってくれた。しかし今のアリーシャを形作っているのは、騎士であり姫であった頃の経験と、騎士の心得を説いてきた師の教え。国を離れても心までは変わらない。守られてばかりでは、弱いままではアリーシャはきっと笑えない。

手を伸ばすことをやめなければきっと届くとライラは言った。ならば必死で手を伸ばそう。全身全霊で、やれることの全てをやろう。

手持ちの道具の中から必要そうなものをまとめて袋に移し、宿の店主あてにスレイの食事を部屋に差し入れて欲しい旨を手紙にしたためる。それらと槍だけを持ってアリーシャはそっと部屋を出た。ドアを施錠し、鍵はドアの下の隙間から室内に押し込み、手紙は隙間から頭半分出す程度に挟んでおく。これなら朝、空いた部屋を掃除しに来た時に宿の人間が気づいてくれるだろう。

宿の玄関を出て、深夜を回った町に出る。目指すは夕方に聞いたごろつきの溜り場。裏通りに面した小汚い酒場は、深夜を回ったこの時刻にも煌々と明かりが点り、下卑た笑い声に溢れていた。

末端とはいえ王族の生まれ。勿論こんな時間にこんな場所に来るのは初めてだ。しかし、怖くはない。

―――強くなりたい。

その思いが、アリーシャの恐怖を消し飛ばす。

「失礼する!!」

喧騒にかき消されないよう、腹から声を張り上げて、アリーシャは塗装の剥げた両開きの扉を押し開けた。

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