ぼくがかんがえたさいきょうのゼスティリア   作:ほーこ

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ぱかりと目を開けて、視界に飛び込んできた見慣れない天井に二、三度目を瞬かせる。

―――何かが変だ。

酷い違和感の正体を突き詰めるように暫く考え込んで、違和感の正体を掴むと同時に飛び起きた。

「アリーシャ!!」

―――だって、見える筈が無いのだ。天井なんて。

今のスレイは枢機卿の強烈な穢れと、その穢れからアリーシャを守った反動で視力すら失っている状態の筈である。それなのに今は信じられない程身体が軽い。今まではこんなに急激に体調が戻ることは無かった。それこそ風邪と同じだ。起き上がれる程度に回復した後、ある程度段階を踏んで治っていく。しかし今は、身体の重さどころか、アリーシャと合流してから常に付きまとっていた右目の闇すらどこかに行っていた。ならば、単純に回復したのではなく、原因の方――つまり従士のアリーシャがスレイの領域を離れたと考えるのが普通だ。

「起きたんですね、スレイさん」

「おはよう。…もうとっくにお昼過ぎてるけど」

「ライラ、エドナ。アリーシャは?!」

ほっとしたような表情でベッド脇の椅子から腰を上げたライラに詰め寄ると、彼女はどこかばつが悪そうな表情で目を逸らす。

「アリーシャさんは…」

言葉を濁すライラに焦れてエドナを見遣れば、彼女も黙って首を振る。恐らく知らない、という意味だろう。

「これ」

代わりとばかりに差し出された紙を開けば、そこには女性らしい流麗な文字で、アリーシャの決意が綴られていた。

「なっ…」

どこに行く、とも、何をする、とも書かれていない。ただ戻らなければ先に行けと、それだけの内容だった。思わず絶句したスレイは、助けを求めるように見慣れた親友の顔を捜したが、見れば彼の姿も無い。よくよく気配を辿っても、感じるのはライラの火と、エドナの大地の気だけ、幼い頃から身近に感じ続けてきた清冽な水の気配はどこにも感じない。

「まさか…ミクリオまで…?」

「必ず連れ戻すって夜明け前に外に出てってそれっきりよ。どこに行ったのかはワタシ達も知らないわ」

「そんな…」

スレイがいなければ天族であるミクリオは本来の力を発揮しきれないし、そもそも浄化の力を振るえない。アリーシャもミクリオも武術には長けているから、相手が人間ならば余程のことが無い限り心配は無いが、もし強力な憑魔と行き逢うことになれば。

「っ、オレも探しに行く!!」

酷く胸騒ぎがする。

スレイは布団を跳ね除け、脇に置いていた着替えとマントを掴んで立ち上がった。

暢気に寝ている場合では無い。じっとしてなどいられない。急げ、とスレイの頭の中で何かが警鐘を鳴らしていた。

「でもスレイさん。闇雲に探し回って入れ違いになっては…」

「それでもここで待ってるなんて出来ないよ!」

汗で湿ったシャツを脱ぎ捨て、旅の支度を整える。そうしながら頭の中でアリーシャ達が行きそうな場所を並べ、探す順序を組み立てる。

扉がノックされたのはその時だった。

「スレイ、起きてるー?」

スレイがドアを開けると、隙間から赤い頭が顔を出す。彼女は顔の前で指を金の形に丸く形作りながら、お困りの様子みたいだね、と言ってにっと笑う。

「今ならガフェリス遺跡まで馬のレンタル、お安くしとくよー。騎手付きで二千でどう?」

「ロゼ?!」

突然の登場に目を白黒させるスレイを無視して、「ちなみに」とロゼは続ける。

「アリーシャ姫とミクリオもそこにいるよ」

彼女の言葉を聞くなりスレイは鞄を漁って財布を捜す。掴んだ皮の質感を丸ごとごとロゼに押し付けた。

彼女は財布の中からきっちり二千ガルドを数えて抜き出して懐にしまう。財布をスレイに投げ返しながら、まいど、と言って明るく笑った。

 

 

 

**********

 

 

 

「そろそろ休憩にしましょう」 

アリーシャは肩に担いだ槍を下ろしながらそう言って、返事を聞かずに荷物を開けた。

鉄格子を何とか出来るというザビーダの言葉に嘘はなかった。ミクリオとアリーシャに自分に掴まるように言った彼はほんの少し身構えて、まるで幅跳びでもするような格好で地面を蹴り、そうして気づいた時にはアリーシャ達は鉄格子を越えていた。覚悟していた反動や痛みは無い。ただ一瞬羽で頬を撫でるような風を切る感覚があって、それで魔法のような瞬間移動は終わりだった。そこにあった地下に向かう階段を降り、もう二時間も歩いただろうか。

スレイがいない今、アリーシャ達に憑魔を浄化する術はない。ホーリーボトルで憑魔を遠ざけ、それでも行き会えば身を隠す。常に周囲を警戒しながらの歩みは遅く、二時間歩いた割にはいっかな進んだ気がしない。

進んだ気がしない分、先を急ぎたい気はあるのだが、神経を尖らせているせいで体力の消耗が激しい。ミクリオは特に顕著で、顔には出さないようにしているものの、明らかに先程から歩く足に力が無い。普段はそれなりに無駄話もするというのに、いつからか返事以外に彼の声を聞かなくなった。

先程から何か急いている様子の彼は、それでも休もうとは決して言わない。今も、殆ど無理矢理荷物を降ろして火の準備を始めるアリーシャに、不満げな様子を見せている。

「アリーシャ、僕ならまだ大丈夫だ。先に…」

「私が休みたいのです。申し訳ありませんがお付きあい頂けますか?」

こう言ってしまえばミクリオは何も言えない。案の定、「なら構わないが…」とどこか不満そうながらも引き下がる。本来ならば急いているのは力を求めているアリーシャのはずなのに、これではあべこべだ。

何故、ここまで必死になってくれるのだろう。

問いたい気持ちは勿論あるが、今はミクリオの休息が優先だった。

相当消耗していたのだろう、壁にもたれてうずくまったミクリオは、程なく寝息をたて始める。起こさないように注意しながらアリーシャは携帯用の金属の茶器で湯を沸かし、やはり携帯用の茶の包みを放り込んで、二つに注ぎ分けた片方をザビーダに渡す。

「お、悪いねー」

「お力添え頂いたお礼です。それより、ザビーダ様にお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「可愛い女の子の頼みとあらば、と言いたいところだが…内容によるな」

「何故私にザビーダ様のお姿が見えるのか、理由をご存知でしょうか?」

言動、行動から察するに、恐らく彼は天族の中でも年長の方だろう。ライラは誓約のせいで話せないことも多いから、あてにするのはリスクが大きい。今、彼に質問する機会を逃せば、真実を知る機会は無くなってしまうかもしれない。

従者反動についてアリーシャに知らせなかったのは、純粋にスレイの優しさが故だろう。しかし、知っていればもっとスレイの負担にならないように振る舞えたかもしれないと思えば悔いが残った。アリーシャは二度と己の無知故に後悔したくない。

すがる思いでザビーダの顔を見上げると、彼はいつものふざけたような笑みでも、嫌味な薄笑いでもない表情でまじまじとアリーシャを見返した。暫くそうやってアリーシャの顔を見つめると、何故か不機嫌そうに眉をしかめ、ぼそりと口の中で呟く。

「そんなことまで黙ってるのか、あいつは」

「え?」

「いや、こっちの話だ。――何で普通の人間に天族が見えるのかって?」

「ええ。私にはスレイ程の霊応力はありません。スレイの領域から離れれば、天族様のお姿は見えないはずなのに…」

「なのにアリーシャちゃんには俺達が見える、と。まあ、別に不思議なことじゃない。天族が見えないのが“普通の”人間だとしたら、アリーシャちゃんは既に普通の人間じゃなくなった。それだけの話だ」

「それはどういう…?」

要領を得ない話に思わずアリーシャは眉をひそめる。教えを請うにしては余りに礼を失した態度だったが、それを咎めるでもなくザビーダは続ける。

「そもそも、俺達天族が見えること自体は何も特別なことじゃない。持って生まれた才能なんてものはいらないし、途中で見えるようになっても何も可笑しくない。じゃあ何で大半の人間が俺達のことが見えないかっていうと…」

「いうと…?」

一旦言葉を切ったザビーダに、アリーシャは固唾を飲んで続きを待つ。その様子にザビーダは少し笑った。何の含みもない笑みを浮かべた彼には、意外なほど邪気がない。風体のせいで無頼漢のように見えるが、表情だけ見れば気さくで頼れる人柄のようにも見える。

こんな顔も出来るのか、と内心で驚くアリーシャを他所にザビーダは続ける。

「まあ、簡単に言えば俺達の存在が弱いからだな。それこそ人間にしてみりゃ幽霊みたいなもんだ。いないと思って見れば、それだけで見えなくなっちまう。逆に居ると思って見れば誰でも見えるが、これがなかなか難しいみたいだな」

「しかし、私は幼い頃より天族様の存在を信じていました。私たけじゃありません、数こそ減りましたが、教会にだって信心深い神職者はまだまだ残っています」

「そりゃそうだ。いいか?教会で奉ってる天族ってのは、叡知に富み慈悲深く、更には自然を意のままに操り、人を見守り導く…まあなんだ、とにかく凄い存在なわけだろ?残念なことに実際の天族はそんなにご立派なもんじゃない。つまり、教会や信者が信じてるのは天族って名前の『何か』であって、俺達じゃない」

「そんな…」

レディレイクで地の主の器を祀ることに協力してくれた神官の顔を思い出す。彼の性質はこの荒れた時代の聖職者としては得難いもので、なのにその信仰心故にあれだけ慕っている天族が見えないのだとしたら、それは何と不幸な話なのだろう。

肩を落とすアリーシャに、ザビーダは苦笑しながらカップを傾ける。

「まあ、天族と人間の関係は変わっちまって長いからなぁ。神として崇めるのが当たり前になった世の中じゃ、殆どの人間に俺達が見えないのは無理も無い話だ。一度根付いちまった文化は簡単には消えねえ。…胸糞悪いことにな」

「ザビーダ様…?」

明らかな嫌悪の表情で吐き捨てるザビーダに、理由を問うように彼を呼ぶ。ザビーダははっとしたように目を見開き、暫く間を置いた後に短く「何でもない」とだけ言ってカップを置いた。

「ごちそーさん。そろそろミク坊起こそうや。夜が明けちまうぜ?」

「…そう、ですね」

彼は何かを隠している。

アリーシャは半ばそう確信していたが、飄々としながらもどこか拒絶するような冷たさを見せるザビーダの態度が、言葉よりも雄弁に聞いてくれるなと語っていた。

正確な年齢はわからないが、ザビーダは恐らくかなりの年月を生きている。ならば人に聞かれたくことの一つや二つもあるだろうし、そもそも彼は気まぐれでアリーシャ達に協力してくれているだけなのだ。腹を割って心情を語り合う程気の置ける中では無い。

アリーシャはそれ以上問うことは諦めて、体を丸めて眠るミクリオを不憫に思いながらも、彼を起こすためにその肩に手をかけた。

 

 

「…やはり殆ど盗掘済みか。開けられたのは最近じゃなさそうだが…」

「通路が崩れる前でしょうか?」

「そうだろうな。あの崩れ方では普通の人間は入ってこられないだろうし、物に対する執着が薄い天族が盗掘するとは思えない。第一、盗掘したところでメリットが無い。盗掘品を持ってたところで売り飛ばす先が無い」

「ま、キラキラしたのが好きな天族もいないわけじゃないが…わざわざ人間の作った物を盗む物好きは少数派だろうな」

中身が空っぽの石棺を開けては首を振り、従士の力に関するヒントを探して早二時間程経っただろうか。

ここまで来ると最近人の出入りがあった様子は無く、通路にも石棺にも厚く埃が堆積している。その癖石棺を覗いても、出てくるのはガラクタばかりで、重い蓋を開ける度に疲労感が増すばかりだ。

ミクリオは部屋に並んだ最後の石棺を開けて溜息をつき、ザビーダはその様子を石棺の上に座って眺めながら欠伸をかみ殺している。どうやら積極的に探すのを手伝う気は無いらしく、部屋の探索をするのは専らミクリオとアリーシャのみだった。

「残るはあちらだけ、ですね」

言いながらアリーシャは緊張で表情が強張るのを感じた。

部屋から伸びた一筋の通路、その向こうからは明らかに異質な気配が漂っている。アリーシャが見てもわかる濃い穢れ、そして肌を刺す敵意と恨みの気配。

「ああ…」

アリーシャと同じくミクリオも警戒しているのだろう。答える声が低かった。

スレイを欠く今、天族であるミクリオは全力を発揮するのが難しい。天族の力は本来導師が居てこそ十全に発揮出来るもので、単体で使う術は本来の力とは程遠いのだ。おまけに浄化の力も使えないから、憑魔と行き会えば逃げるか殺すしか無いが、殺してしまえばその憑魔の発した穢れはその場にそのまま滞留する。そうなれば導師の領域から出てしまっているミクリオの身が危ない。闇雲に突っ込むことだけは避けなければならなかった。

「この気配は…多分変異憑魔だな。一筋縄で行く相手じゃねえ。辞めるか?」

奥の気配を探るようにじっと視線を注いでいたザビーダが、真面目な顔でアリーシャに問う。その表情を見る限り、彼の言葉に嘘は無い。

変異憑魔。それは長きに渡って天族を食らって取り込み、力を増して肥大化した憑魔のことである。行き会う人々の気を狂わせ、または穢れを移してばら撒く、天災に近い存在。

この二百年の間にそういう個体は徐々に数を増やし、ますますこの災厄の時代の闇に拍車をかけている。スレイとライラですら今のところ浄化は出来ず、ただ避けて通るしか術の無い強大な敵である。

近くに行けば逃げるだけでも相当な危険を伴う。まともにやり合うなど以ての外だ。

一人ならば散る覚悟も出来る。しかし今はミクリオが一緒だ。アリーシャは躊躇いを隠せなかったが、当の本人には迷いの色は見えなかった。

「ここで辞めるなら最初から来ないさ。…行けるか?アリーシャ」

「ミクリオ様、ここはやはり戻った方が…」

「強敵がいるってことは、多分求めてる物が近いってことだ。ここで諦めるのか?」

「しかし…。余り強い穢れはミクリオ様のお体に障ります」

「僕なら心配ない。まだ元気だし、霊霧の衣である程度防げる。…従士の力、手に入れたいかい?正直に答えてくれ」

真っ直ぐに見据えられて言葉に詰まる。

正直、スレイの負担にならなくて良くなるというなら、我が身の危険などどうでも良い。是非とも挑戦してみたかった。

しかし、それで死んでしまっては元も子もない。アリーシャは死にたいのではない、強くなりたいのだ。伴う危険は厭いはしないが、勝てないとわかっている敵相手に玉砕するほど馬鹿でも無い。

変異憑魔が相手ならば、それは今のアリーシャにとって勝てない敵に挑むも同義。しかし、従士の力は彼の憑魔を倒さねば手に入らぬと決まった話でもない。

悩んだ末にアリーシャは口を開いた。

「…敵の目を盗んで、室内の様子を見ることは出来ますか?」

ミクリオが修行の末に手に入れた霊霧の衣。穢れを避け、憑魔の視線を逸らすその技は、枢機卿の配下の監視の網を見事潜ってみせた。

アリーシャの言葉にミクリオが頷く。

「短時間なら問題無いよ。穢れが強くても弱くても、耐久時間にそう差は無い。枢機卿の穢れにもある程度は耐えたんだ。変異憑魔にも通用するはずだ」

「もし手がかりを掴めないようなら、今回の噂はきっと真実では無かった、そう思って諦めます。…お付き合い願えますか?」

「よし、やろう」

「ミクリオ様!」

もし見破られたら命は無い。その危険な賭けにあっさりと了承の意を示した彼の腕を思わず掴む。

「何故、そこまでしてくれるのですか?下手をすれば命すら危ういのですよ?」

「言っただろ?仲間なんだから当然だ」

「当然な筈がありません!この危険はスレイの―導師の旅に不可欠なものでは無い。避けて通れる道なのです。その道を敢えて行くのは私の我がまま、それをどうして…」

「それは…」

言い募るアリーシャに、ミクリオは一瞬表情を曇らせた。

痛みを堪えるような顔。或いは叱責を恐れる子供の顔。余りにもこの場にそぐわない彼の表情に、アリーシャは更に重ねようとした言葉を思わず飲み込む。

「ミクリオ様…?」

「…ごめん、アリーシャ。でも、僕がやりたいんだ。アリーシャのためじゃない、僕のために」

「それは…どういう…?」

問いかけてアリーシャは言葉を止めた。まるで痛みを堪えるようなミクリオの表情に気付いたからだ。

思えば彼はこの遺跡で再会してから、しばしばそんな表情を見せていた。特に、アリーシャが彼女について来てくれるミクリオの真意を尋ねると、必ずと言って良いほど表情を歪める。

アリーシャは暫くの逡巡の末、掴んでいた腕を放し、指三本分ほど高いミクリオの目を僅かに見上げる。夕焼けの色を反射する水面のような瞳に、漣のように何かの感情が揺らいでいるのがよく見えた。

「…わかりました。無事に戻って、話せると思う時がきたら話して下さい。それまでは、好意に甘えさせて頂きます」

「アリーシャ…」

「ほい、決定だな。いやぁ、若いって良いねえ。大人は置いてけぼりだわ」

パン、と一つ大きく手を鳴らして、ザビーダが会話の流れを無理やり断ち切る。恐らく状況に飽きたのだろう。風の天族の特性なのか彼自身の気質なのか、まるで秋の風のように気まぐれで、まるで捕らえどころが無い。

まさか、一緒に来るつもりなのだろうか。

危険性を考えれば正気の沙汰ではない。しかしアリーシャが見る限り、彼はついて来る気満々なようで、何かを待っているような目をミクリオに向けている。

ミクリオもザビーダの意図を悟ったのだろう。何も言わず呆れたように深々と息を吐き出してから、自分の傍を離れるな、とどこか疲れた声でそう言った。

 

 

その憑魔は蜘蛛とザリガニを足して二で割ったような格好をしていた。勿論、大きさは比較にならない。相当の数の天族を喰って育ったのだろう、その全長は三メートル程もあるだろうか。反り返った節の多い尾の先は鋭利で、刺されば単なる怪我では済まないことは遠目に見ても明らかだった。

「ありゃ蠍だな」

霊霧の衣の内側から穢れを振りまくその生物の姿を確認してそう呟いたのはザビーダだ。

「さそり、ですか?」

聞き慣れない名前に首を傾げるアリーシャに、ザビーダは一つ頷く。

「ああ。そういやハイランドにはいなかったか。砂漠や乾燥地帯によく住む生き物だ。尾の先に毒がある。種類にもよるが、ただの蠍でも一撃で人間を殺すような毒を持ってる奴もいる。あいつも当然持ってると思って良いだろうな」

「憑魔の毒か…。恐らく僕等にも有効だろうな」

「まあ、あいつの存在が俺達に対する毒みたいなもんだからなぁ。当然効くだろうさ」

「…絶対に見つかるわけにはいきませんね。早く確認を済ませましょう」

年月を経た変異憑魔。今のアリーシャ達では逆立ちしても勝てない相手である。

霊霧の衣を張っている間は、ミクリオに急激な動きは難しい。だから歩く速度で精一杯憑魔から遠ざかり、三人は目を細めてそう広くは無い部屋を見渡した。

部屋の中はまるで黒い霧が立ち込めているのようだった。漂う穢れがそれだけ濃い。視界の利かない中、時間だけが一秒、また一秒と過ぎていく。隣に感じるミクリオの息が徐々に上がっていく。ただでさえ夜を徹しての早駆けで体力を使い、スレイの領域外で穢れに晒され続けているのだ。長時間は耐えられまい。

―――早く。早く。

焦るアリーシャは唇を噛みながら部屋を見渡した。そうしながらも変異憑魔への警戒は怠らない。もし入り口を塞がれそうになったら、その時は何が何でもミクリオ達を逃がさねばならない。神経を精一杯尖らせてかの憑魔の動きを探り、そしてアリーシャは気がついた。

「あれは…」

穢れの中にあって、何かが鈍い輝きを放っている。変異憑魔のすぐ傍、床の割れ目に引っかかるようにして転がるそれは、どうやら両の手で握り込めるほどの大きさの玉であるようだった。

以前マーリンドでアリーシャは、その玉によく似た玉を見た。現実とは異なる世界の記憶を見せる玉だった。

「大地の、記憶…?」

「本当だ。あれは確かに大地の記憶だ。…もっと近づかないと」

まるで変異憑魔は大地の記憶を守っているかのように、傍について離れない。一定の軌道を描きながら玉の周辺を回る憑魔に気付かれないよう、アリーシャ達は細心の注意を払って大地の記憶を回収しなければならなかった。

「…行くよ」

一度深く息を吐き、ミクリオがゆっくりと歩を進める。変異憑魔が一番遠ざかる時を狙って大地の記憶に近寄り、アリーシャがそれに手を伸ばす。

指先に触れる滑らかな感触。それはガラスに似ていたが冷たくは無い。温い水に触れた時のような奇妙な温度があって、その温度を認識すると同時に耳元で声が弾けた。

 

―――『もうたくさん!!天族なんかと関わったせいで!!』

 

―――『何故だ?!何故裏切った?!何故だ!!』

 

―――『何で誰もわかってくれない?!俺は、俺は世界のために――!!』

 

―――『嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!頼む!!もう解放してくれ!!』

 

次々と映像と声とがフラッシュバックしては消えていく。

男もいれば女もいた。壮年の者もいれば、年端の行かない少年少女もいた。共通しているのは皆が皆絶望の底にいること、そして絶望の声を上げる彼らの傍には彼らを支える人の姿が一人として見えないことだった。

そして―――

「これは…何だ…?」

震える声でアリーシャが呟く。他の二人は声も出ない様子で、恨み言を吐く彼らの様子を見つめている。

 

―――『関わらなければ良かった。天族なんて!!』

 

―――『天族のせいだ、何もかも…!!』

 

―――『見えなければ良かった。声が聞こえなければ、こんな目には…』

 

次々と紡がれる天族への恨み言。血を吐くような叫びは、天族と関わった己の人生への呪詛に等しい。

絶望で濁った目であらぬ方向を見つめながら、彼らはただこの場にいない天族へ、恨みの言葉を投げ続けた。

「これ、は…」

「…多分、かつての導師連中だ。何人か見た顔がある」

名前も碌に覚えちゃいないがな、と吐き捨てたのはザビーダだ。

「契約してた天族と仲違いして見捨てられたんだろうさ。そういう例は腐るほどある。使命に潰されて天族に見捨てられ、人間とも交われず、歴史に残らず埋もれていった導師なんてのはな」

「天族が人間を…?!」

「所詮、天族にとっちゃ人間なんて数十年生きれば死んじまう儚い生き物だ。穢れを生むだけ有害だ、殺しちまおうだなんて真面目に言う連中だっているくらいだしな。ついてこられねえと判断すれば、人間を捨てる主神だって少なくない。ま、皆がお前さん達みたいに仲良しこよしって訳じゃないってことだ」

「そんな…馬鹿な…」

呆然と呟くミクリオの言葉を、嫌悪に表情を歪ませたザビーダが笑い飛ばす。

「人間と天族は決定的に違う生き物なんだよ。分かり合えるなんて幻想だ。だから今に至るも災厄の時代なんてものがのさばってる。顕主を倒せる導師なんてそうそういない。ましてや共存なんて夢のまた夢、ってもんだな。…幻滅したか?」

最後の言葉はアリーシャに向けられたものだろう。呆然とするアリーシャに向けられた彼の視線は、どこか哀れんでいるようにも見えた。

「天族なんてもんは所詮この程度だ。導師もな。災厄の時代は簡単には終わらねえ。穢れに堕ちた奴は救えねえ。そういう風に世界はなってる。…あの坊ちゃんにも言っとけ。叶わない夢は早々に諦めて、人間は人間らしく、地に足つけて生きろってな。じゃねえと、あの坊やもお前さんも、人の群れにも戻れなくなるぜ」

「スレイ…」

膝をつき、恨み言を吐く彼らの姿にスレイが重なる。

導師の力は絶大だ。人前で力を振るえば、ザビーダの言うように一般人の生活に戻るのは殆ど不可能になるだろう。どこに行っても救いを求める声はついて回り、それこそ導師を神のように崇める人々もきっと出てくる。スレイの人柄が誠実であればあるほど、彼は人の願いに押しつぶされることになる。

アリーシャは玉が見せる導師の姿に目をやった。何故、と何度も繰り返す彼の顔に浮かぶ絶望。空を掴む指は何を求めてのことだろうか。

彼の年齢は精々二十代前半といったところか。若い顔はやつれ、見開いた瞳には狂気すら浮かんでいるが、元はきっと快活な若者だったのだろう。顔立ちも秀麗で、良く見ればどこかミクリオに似ているようにも見えた。

「見捨てた…。天族が、導師を…人間を…」

呻くように呟くミクリオの表情が酷く暗い。

ライラ達がスレイを見捨てるなどとは俄かに信じられる話では無い。誓約に縛られ、重要なことが語れなくとも、彼女は今出来る精一杯の力でスレイを助けているようにアリーシャには思えた。

しかし、もしザビーダの言うように、天族と人間の価値観が根底から異なっているとするならば―――。

頭を過ぎった考えに、ぞくりと肌が粟立つ。不吉な考えを振り払うように勢い良く頭を上げると、見上げた視界がゆらりと揺れて、端からゆっくりと消えていく。幻が終わるのだ、と気付いたアリーシャが慌ててミクリオの袖を掴む。それに気付いて、俯いてたミクリオがはっと顔を上げた。

幻を見ている間、変異憑魔の行方は追えない。気付けばすぐ目の前に変異憑魔が待ち構えている可能性すらあるのだ。

揺らぐ景色を見守りながら、アリーシャは片手で槍を強く握り締める。一瞬でも感じた天族に対する疑念を、握り潰してしまいたかった。

 

 

幻がゆっくりと融けて行く。その様をアリーシャは息を詰めたまま見守っていた。

後に現れたのは日の差さない暗い石造りの遺構、あちらこちらに設置された大振りの石棺。そしてその石棺の前に蹲るようにして、人間の大人を優に超える大きさの、強大な憑魔が何かを待っていた。

気付かれているのだろうか。そう思ったアリーシャは思わず身を固くしたが、幻が完全に融けて消えても憑魔が動く気配は無い。恐らく何かがいることには気付いたのだろうが、場所の特定までは出来ていないのだろう。ミクリオの霊霧の衣は、まだその効力を失っていない。

「とにかく、早く出ましょう」

「っ、ああ…」

頷いたミクリオの息が荒い。完全に上がった息、一歩歩くごとに表情が歪む。霊霧の衣も早駆けと同じく体力を削る技だ。この部屋に入ってから今までの時間を思えば、いつミクリオの限界が訪れてもおかしくは無かった。

「頑張れよ、ミク坊」

「だい、じょうぶ、だ…」

途切れ途切れに言葉を返すミクリオに、良いから喋るなとザビーダが釘を刺す。どうやらこの男、意外に面倒見の良い性分なのは間違いないようで、既に足元の怪しいミクリオの体重を殆ど一人で支えていた。

「もう少しで出口です」

別段広いわけでは無い部屋だ。細い通路は既に目の前で、そこを抜ければ憑魔の目は届かない。この手の生き物は余り視力が良くないのだ。抜けてしまいさえすれば、ミクリオに休憩を取らせることも可能だろう。

頑張れ、と励ますことしか出来ない己の身が歯痒い。ここまで付き合わせたというのに、結局導師の苦難を再確認させられただけで、益のある何かを見つけることは出来なかった。過去に天族に見捨てられた導師がいるという情報は得ることが出来たが、それが何になるというのだろう。

―――少なくとも、スレイには関係の無い話だ。その筈だ。

脳裏に過ぎった映像を、頭を振って追い払う。よしんばライラ達が裏切ったとしても、スレイにはミクリオがいるし自分もいる。完全に孤立することだけは在り得ない。

だから大丈夫、とアリーシャが自分に言い聞かせ、通路に至る最後の一歩を踏み出した時だった。

「くっ…」

短い呻きと共に、霊霧の衣が一瞬揺らぎを見せた。完全に解けたわけではない。体力はほぼ限界だろうに、ミクリオは持ち堪えて見せた。

しかし、その一瞬、その僅かな揺らぎが決定打となった。

「危ねえ!!」

反対側でミクリオの体重を支えていたザビーダが、ミクリオごとアリーシャの体重を下に引き落とす。肩を強く掴まれてつんのめるように地に伏せたアリーシャの頭上を、憑魔の尾が勢いよく通り過ぎた。憑魔の尾は先端に人の頭程もある瘤をつけ、そこに短剣のような鋭い刺を具えている。その先端を固い石壁に食い込ませ、憑魔は蛇の威嚇音のような声で黴臭い空気を揺るがせた。

「気付かれた!!走れ!!」

仕損じたことを怒っているのだろう。闇雲に尾を振って石壁から刺を抜こうとする憑魔は、何度も威嚇音に近い鳴き声を上げる。否、恐らく鳴いているので無く、身体のどこかを震わせているのだろう。金物を擦り合わせるような音が神経に障って酷く不快だった。憑魔は更に四対ある足を踏み鳴らし、頭に程近いところにある鋏を振り回しながら、狭い所に逃げ込もうとする獲物を捕らえようと躍起になっている。

自力で立てないミクリオを担ぎ上げ、ザビーダが走り出す。彼の後を追う様にアリーシャも走った。追いつかれればそれがアリーシャ達の最期の時だ。尾を抜くのに手間取っている内に、何とか通路の崩れた奈落の向こうに抜けてしまえば憑魔とはいえ追ってはこられない。天族と同じで、特殊な術が無ければ壁や格子をすり抜けることは敵わないし、あの形態では空も飛べない。しかもあれだけの巨躯だ。通路が狭ければ自由に動き回ることは出来ない。身体の構造を見る限り、狭い所に出入りすること自体は不可能でなさそうだが、それでもスピードは落ちるだろう。節足動物の足は速い。少しでも速度を落としてくれるならそれだけでも有難かった。

「おい、ミク坊。生きてるか」

階段を上がりきったところでザビーダが肩のミクリオを下ろす。いくら細身とはいえ、やや小柄であるという程度の十代後半の男子を抱えて走るのは、いかにザビーダが体格に恵まれているといっても少々厳しい。その上、遠距離から天響術を使えるザビーダは、この中では唯一変異憑魔に対抗出来る戦力である。今のミクリオではとても攻撃術は使えないし、接近せねば戦えないアリーシャではたちまち憑魔に叩き殺されてしまう。ザビーダの両手が空いているに越したことは無いのだ。

「ミクリオ様は私が。ザビーダ様は後ろの警戒を」

「よっしゃ。任せたぜ、アリーシャちゃん」

当然抱え上げることは出来ないが、肩を貸すことくらいは出来る。

幸いなことに、ミクリオ自身も僅かだが足に力を取り戻していた。それでも普通に走ることは出来ないから、アリーシャの肩に体重を預けて、走るというには遅いペースで進むのが精一杯。この遺跡の最奥部の通路が狭いのが幸いして、それでも憑魔が追いついてくる気配は無かった。

「…振り切った、のでしょうか?」

更に上層に繋がる階段に足をかけ、アリーシャは再び後ろを確認する。あの濃い穢れの気配は、今のところ漂い出てくる様子は無かった。

「わからん。が、用心するに越したことはない。さっさとこんな遺跡からはおさらばと行こうや」

「はい」

結局従士の力は手に入らなかった。それを残念に思う気持ちはあれど、今この場で口に出さないだけの分別は持ち合わせている。

アリーシャはザビーダの言葉に頷いて、ミクリオの体重を支えながら階段を上がった。ところどころザビーダに助けてもらいながら上りきり、再び広い通路に出た辺りでほんの少し胸を撫で下ろす。

ここまで来れば、目指す奈落はすぐそこだ。

遠目に見えるそれに向かって、アリーシャが更に一歩を踏み出した時だった。

「っ、上!!」

悲鳴じみたザビーダの声に、アリーシャは咄嗟にミクリオを抱え込んで横に跳んだ。そのアリーシャが居たまさにその場所に、天井から落下する勢いで降りてきた憑魔の尾が突き立つ。今度は深く突き刺すへまはせず、地面から引き抜いたそれを振り回しながら、蠍型の憑魔は鼓膜を揺さぶる警戒音を撒き散らした。

「…まさか、通路の外の割れ目を通って?この巨体で?!」

「蠍ってのは元々蜘蛛の仲間…。胴体分の隙間があればそれで十分ってか。冗談きついぜ、まったく」

言いながら苦りきった笑みを浮かべるザビーダは、既に詠唱の姿勢に入っていた。尾の届かないギリギリの位置、そこに下がって構えた彼の背後には、アリーシャ達が目指している奈落が見えている。そのザビーダとアリーシャ達の間を、巨大な蠍が遮る形だ。アリーシャ達が助かるためには、走るのも覚束ないミクリオを抱えて、何とか憑魔の横をすり抜けなければならない。

チャンスは一度。ザビーダの術に憑魔が怯んだその瞬間しかない。

「…ミクリオ様。ザビーダ様の術が発動した瞬間、奴の横を走り抜けます。身体が辛いかとは思いますが、どうかご辛抱ください」

言いながらミクリオの様子を確かめる。顔色は酷く悪いが、息は随分平常に戻った。元々霊霧の衣の反動は、従士反動とは種類が異なる。休めば治る程度のもので、決定的なダメージを受けるわけではないのだ。強いて言うなら走って疲れた状態と似ている。

大丈夫。ほんの短い距離ならばミクリオは耐える。

それを確認して、アリーシャはザビーダの様子を窺った。不穏な気配を察知したのだろう。今は憑魔の注意も専らザビーダに向いていて、その尾の攻撃を器用に避けながら、ザビーダはぶつぶつと詠唱を続けている。

ミクリオの腕を自分の肩にしっかりと回し、体重を支える。そうしながらアリーシャはザビーダの術が完成する瞬間を、息を詰めて待った。

「アベンジャーバイト!!」

ザビーダの雄叫びと共に現れた風の獣。その鋭い牙が過たずに蠍の背に食い込む。憑魔が衝撃に耐えかねてべたりと腹を地面に着いたその隙を、アリーシャは見逃さなかった。

「行きます!!」

肩に回したミクリオの腕を握り、片手の槍でいつでも尾の一撃を払えるように警戒しながら、アリーシャは精一杯の速度で走り出す。人の腕程もある太さの節が連なって出来た肢の傍を抜け、いつでも奈落を越えられるように身構えるザビーダの元を目指そうと、更に足に力を込める。

何とかアリーシャについて走っていたミクリオの膝が、突然力を失ったように折れたのはその時だった。

「ミクリオ様?!」

「ごめ…、アリーシャ、逃げ…」

「そんなこと…!!」

完全に地に膝を着いたミクリオに気を取られてアリーシャは足を止めた。置いて行くことは出来ない。慌てて腕を取って立ち上がらせようとしてみるが、まるで力の入っていない身体は重く、アリーシャは踏鞴を踏んでつんのめる。

「アリーシャ!!」

ザビーダの切羽詰った叫び声。もう術の効力が切れる。見たところ大したダメージは食らっていないようだから、すぐにも憑魔は立ち上がるだろう。今の自分達など尾の一薙ぎ、それで終わってしまう。

「行って、アリーシャ…」

「出来ません!!」

無意味な応酬のすぐ後に、ギチ、と鎧が鳴るような音がして、憑魔が肢を踏みしめる気配がした。まともに立ってしまえば横を抜けることは叶わない。これが本当に最後の機会だ。

「アリーシャ!!僕は良い、逃げろ!!」

君だけでも、と苦しい息の下で叫ぶミクリオの声は切実で、しかしだからこそアリーシャの腹はそこで据わった。

―――何か無いか。

見渡した視界に引っかかったのは、先程の部屋に続く通路とは別の細い通路。探索した時に通ったが、袋小路の小部屋に続いているだけの道で、だから今までのどの通路よりも格段に狭い。二人も並んで歩けば窮屈に感じる程だった。

「…少々失礼をしてしまうかもしれませんが」

二人で逃げるには両手が要る。武器は必要だが今は邪魔だ。

アリーシャはまず右手の槍を振りかぶり、今しがた自分達が走って来た方角――奥の方へと思い切り放り投げる。刃が欠ける恐れはあったが、最悪折れなければそれで良い。ガシャン、と透明感の無い音を立てて、遥か後方に槍が落ちたのを見届けると、アリーシャはすぐにうずくまって苦しげな息を吐くミクリオの傍で膝を折った。青い顔で見上げてくるミクリオに首だけで礼をして、アリーシャはそのまま一気に彼の身体を肩に担ぎ上げる。

「ア、アリーシャ?!」

「ご容赦を、ミクリオ様!ザビーダ様!援護をお願いします!!」

「任せろ!!」

言いながらザビーダが、アリーシャを狙って振り上げられた尾目掛けてペンデュラムを放つ。巻きつけてしまったら引きずられるのはザビーダの方なので、弾いて注意を逸らすだけ。しかしその僅かな間がアリーシャ達を救った。

細身とはいえ、十代後半の男子だ。アリーシャが抱えるには些か重い。しかし今はそんなことで足を止めている暇は無いから、とにかく必死にアリーシャは走った。とにかく憑魔の間合いの外へ。動けないミクリオを抱えたままでは、受けた一撃が確実に致命傷になってしまう。

地面に足を着く度に突き抜けるような衝撃が走ったが今は無視する。僅か二十歩程の距離が十倍にも感じたが、実際のところは十秒も時間はかかっていない。ミクリオを下ろして転がった槍を掴み、無礼を承知で半ばミクリオを引きずるようにして遺跡の奥へと向かってひた走った。

「何とか生きて待ってろ!!」

時間稼ぎをしてくれていたザビーダの声を背中に聞く。閉じた遺跡には在り得ない風の走る音を聞いて、アリーシャはザビーダがこの場を離脱したことを悟った。

助勢に心の中で感謝しながら、アリーシャの視線は目指す場所を確かに捉える。

―――早く、早く。

「アベンジャーバイト!!」

渡った奈落の向こうから、ザビーダが再び術を放つ。これ以上離れては術が届かない。だからこれが最後の援護だ。

憑魔が再び地面に沈んだの背後から響く音で知り、アリーシャは不自由な姿勢のミクリオに肩を貸し、ようやく目当ての通路に走りこむ。振り向くことなく通路を抜け、ザビーダの身長でギリギリだった入り口を抜けてようやく、ミクリオ諸共床に倒れ込み、破れそうな肺に必死に空気を取り込んだ。

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