羽丘の彼女達
宇田川家の朝は、それなりに早い。
「あこ〜?そろそろ起きないと、余裕が無くなるぞ」
まだパジャマ姿の巴は、コンコンと、あこの部屋に通じる扉をノック。少し待つと扉が開いて、あこが眠そうに目を擦って部屋から出てきた。
「んー……おはよ、おねーちゃん」
「おはよ。顔洗って来い、もうご飯は出来てるからさ」
「はーい……」
のそのそと洗面所に歩いていく、あこの背中を見送ってから巴はリビングへ。先に朝食を食べるためだ。
本当は巴も、あこと一緒に朝食を食べたい。だけど、どこぞの寝坊助を起こすのに、多少早く家を出る必要があった。
「うーん。まだちょっと、こう、深淵の闇へ誘う悪魔の呼び声が……妾を……」
「素直に眠いって言えばいいのに」
「それじゃカッコ良くないじゃん!」
「……そうか……」
あこが着替えまで終えてリビングに来た時には、巴の朝食は半分ほど無くなっていた。
眠い時すらカッコ良さを追い求める熱心さには巴も感心するが、その結果が変な口調では変な笑いも浮かぶというものだ。
「ところで、おねーちゃん。今日もモカちんの所に行くんだ?」
「モカを放っておくと間違いなく遅刻するしな。まっ、小学生からだから慣れたもんだけどさ」
小学生の頃と比べて、自分で起きれる頻度が高くなったとはいえ、やはりまだ自力で起きれない事も多かった。
自力で起きれるようになっただけマシか、と蘭達と話したのは最近のことである。
あこが半分くらい食べたタイミングで巴は朝食を食べ終えた。時計を見れば、予定通りの時間で今まで進んでいる。
「ごちそうさまっと。あこ、悪いけど先に行くからな。一応言っておくけど、遅刻はするなよ?」
「うん。行ってらっしゃい、おねーちゃん!」
皿を片付けて巴はリビングを出た。後、やることといえば歯を磨いて制服に着替えることくらいである。
集合場所はモカの家の前。3人はもう待っていた。
「巴ちゃん、おはよう」
「ともえー、おはよー」
「おはよう」
「みんな、おはよう。モカはまだか?」
玄関の方に目をやるが、モカはまだ来ていないようだった。
「起きてはいるんだけどね」
「なら良かった。モカを起こすのは大変だしな」
小学生の時を思い出したのだろう。4人は顔を見合わせて懐かしさが混じった苦笑いで、モカの家の方を見た。
「いやー、お待たせー」
それから5分ほどの時間が経過したくらいで、モカは4人と合流する。片手に食べかけのパンを持っていた。
「おはようモカ。なんだ、食べながら行くのか?」
「行儀悪いぞー」
「大丈夫、だいじょーぶ」
「……何が?」
何かは分からないが、とにかく大丈夫らしい。そんなモカを迎えて、5人で学校へ歩き出す。
「今更言うのもアレだけどさ、今日って数学の小テストあったよな」
「やめて、思い出させないで」
「ひまり……その調子だと、大分ヤバいんでしょ」
頭を抱えるひまりに蘭が言う。蘭の言う通り、ひまりか今回の小テスト範囲は苦手としている分野だった。
「そーなんだけどさぁ……はぁ、憂鬱」
「ひーちゃんファイトー」
「そういうモカは……余裕だよね」
「ぶいぶい」
今までモカが平均以下を取ったところなんて見た事が無かった。何だかんだでモカは優秀なのだ。
……ただ、近くに紗夜と日菜というチート姉妹が居るから忘れられがちなのだが。
「ひまりちゃん、頑張って!」
「ううっ、つぐの優しさが身に染みる……」
ひまりはガックリと肩を落として、しかし直後にグワッと身体を起こした。
「ところで、今度のライブは何時にする!?」
「現実逃避は良くないんじゃない?」
「しゃらーっぷ!蘭だってライブしたいでしょ!?」
あ、これ面倒くさいひまりだ。
蘭の脳内には、かつての"こまけぇ事はいいんだよ!"としか言わなかった幼い涼夜が現れていた。
「それは……」
「こらこら、ひまり。蘭も困ってるだろ」
「巴もライブしたいよね!」
「あ、ああ。そうだな、最近はスタジオ練ばっかりだし、そろそろライブで豪快にドラムを叩きたい気持ちはあるな」
半ば勢いに圧されるように巴は頷いた。強引に頷かされたように見えるが、今言ったように身体が疼いているというのも事実だった。
「だよねだよね!よし、忘れないうちに涼夜にメールしておこうっと!」
ひまりは女子高生らしい早業でキーボードを打ってメールを送る。
そんなひまりを見て、つぐみは不思議そうに首をかしげて言った。
「でも、ライブと小テストと、何も関係ないよね?」
「つぐーーっ!現実逃避くらいはさせてよぉー!」
つぐみは意外と容赦ない所がある。そんな一面に不意打たれたひまりは、無理やり現実に引き戻されたのだった。
「うう……憂鬱だぁ」
「諦めなよ」
そうこうしている内に、雲梯……もとい、デザイン性の高い校門が見えてきた。
それと一緒に、何名かの生徒が校門の前に陣取っているのも。その中には紗夜の姿もあった。
「あれ、風紀委員が陣取ってる」
「えっ?……本当だ」
「うわぁ……今日じゃなかった筈なんだけど、服装検査」
「平気なのは分かってるけど、受けたくはないよね〜」
例え自分が大丈夫だと分かっていても、検査の類いを受けると少々不安になってしまうのは、5人だけではないだろう。
「おはよう紗夜。服装検査って今日だっけ?」
「おはようございます皆さん。今日は抜き打ちです……まあ、貴女達には関係無いようですが」
「服装はキッチリしてるからねぇ〜」
5人は今までに、こういった検査で引っかかった事は無い。生真面目なつぐみは勿論、メンバーの中では不真面目な方の蘭も、服装はキッチリしているからだ。
「もう行って良いか?ひまりのテスト準備もあるし」
「…………ええ。問題は無さそうですし、構いませんよ」
上から下までキッチリ見て、特に問題は無いと紗夜は判断した。過去に幾人の校則違反者を取り締まってきた紗夜の目は、正確無比だと知られている。
その紗夜が問題ないと判断したのだから、問題は無いのだろう。
「お仕事、頑張ってくださいね!」
「羽沢さんも、生徒会のお仕事を頑張ってください。……そして待ちなさい今井さん、私の目は誤魔化せませんよ」
「げっ、紗夜。今日って服装検査だっけ?」
「抜き打ちです」
後ろで風紀委員の仕事を全うしている紗夜の声を聞きながら、蘭達は校舎の中へと入っていった。
「あー……心臓に悪い」
「いいものではないよね、仕方ないけど」
上履きに履き替えて教室を目指していると、自販機の前で、うんうんと唸っている、見覚えのあるライトグリーンの髪の女子が居た。
「あれ、日菜じゃん」
「んー?おお、らんらん達じゃん。どったの?ジュース買いに来た?」
「違うけど、せっかく会ったから挨拶しておこうと思って」
「ふーん。そうなんだ」
朝だからなのか、あるいは紗夜が傍に居ないからか。ローテンションな日菜というレアなものを見た5人は、今日は雨でも降るのかと失礼にも思った。
「ならついでに、あたしの悩みに答えてってよ。リンゴとオレンジだったら、どっちがいいかな?」
指さしたのは、紙パックのジュースの自販機。リンゴにするかオレンジにするかで悩んでいたらしい。
「アタシはリンゴ」
「オレンジ」
「オレンジ、かなぁ?」
「モカちゃんはリンゴー」
「オレンジー」
「それじゃあ、オレンジにしますか」
3対2でオレンジが多かった。日菜はオレンジジュースのボタンを押して、ストローを紙パックに突き刺す。
そんな日菜を見て、巴は思い出したように言った。
「そういえば、今回も学年一位おめでとう。やっぱ流石だな」
「ん?ああ、そうだね。まあ楽勝だったし、祝われるほどの事じゃないかな」
「おお、流石……」
本当に当然だと思っているからか、大して喜びを見せる事も無い。そんな王者の風格に、ひまりが思わず言葉を漏らした。
「何かコツとかあるの?」
ひまりは続いて聞いた。ひまりでなくとも、もし楽ができる方法があるなら、それを真似したいというのは当然の事だろう。
「コツ?」
「そうそう。なんか、こうすれば問題は楽勝!みたいな」
「そうだなぁ……」
しかし、相手は日菜だ。常識が通用しない天才だ。その答えは楽とは程遠かった。
「取り敢えず、参考書を片っ端から……一教科につき20冊くらい頭に入れてれば何とかなるよ。あたしはそうやってるから」
「それ、日菜みたいな記憶能力が無かったら役に立たない方法だよね」
今日の夕飯のメニューを話すような気軽さで放たれたトンデモ発言は、日菜が天才なのだと再認識するのに十分すぎる威力を持っていた。
普段は涼夜や、あこと大真面目にバカ話に興じているだけに、余計に。
「さ、参考にならない……流石は日菜」
「まあ日菜だからな……」
「日菜ちゃんだし、仕方ないよ。諦めて地道に頑張らないと」
「うーん、この酷い言われよう。あたしへの信頼が凄くて泣けてくるね」
一息でジュースを飲み干して、ゴミ箱にポイ捨てして日菜は歩き出した。もう教室に戻るらしい。
「じゃあ放課後に、バイビー」
「じゃあねー」
日菜とは反対側に5人は歩き出す。日菜とは教室の位置が真逆なのだ。
「……あ、涼夜から返信来た」
「なんて言ってる?」
「『土曜か日曜にいつものライブハウスが空いてるけど、どうする?』だって」
「はやっ」
確認の速さに思わずそう言ってしまう。5人は自分の予定を頭に浮かべた。
「……どうする?」
「あたしは別に、どっちでも」
「紗夜さんと日菜ちゃんにも聞かなきゃね」
「予定が合う方でいいだろ。アタシも蘭と同じで、どっちでも良いけど」
「おー、今週かぁ。良いですな〜」
意外に近い次のライブに心を踊らせながら、5人は今日の授業を受けるために教室へと向かうのだった。
◇◇
放課後、つぐみは生徒会の仕事に向かい、ひまりはツイストサーブを極めに部活へ赴く。
残ったのは3人だけだが、抜けた二人の穴を埋めるように紗夜と日菜が合流するので、人数的には変化の無い帰宅路であった。
「へぇー、今週にやるんだ。ライブ」
「セットリストは決まっているのですか?」
「まだ。どうしようかなって考えてるとこ」
久しぶりのライブだ。いつものセットリストでも良いだろうが、何か別のセットリストで演るのもアリかもしれない。
蘭が生き生きとした顔で考えているのを見て、モカはどこか満足げに、巴は嬉しそうにしていた。
「じゃあ何もかも未定か」
「だけど、ギターは紗夜で行こうかなって考えてる」
「おねーちゃんで?」
Afterglowは最近注目されているバンドとして名前が挙がるようになってきている。
原因は色々とあるが、その一因となっているのがライブ毎のメンバー交代だ。
モカが紗夜や日菜に、巴があこに、それぞれ入れ替わったりする。
これは涼夜がメンバー全員を如何にかして活躍させたいと思った末の苦肉の策であり、当初は戸惑いでもって迎えられた。
「そう。紗夜が良ければだけど」
「断る理由はありません。私で良ければ」
ガールズバンドとしては目新しい手法は人目を引き、内容の善し悪しに関わらず話題には挙がるようになったのは幸か不幸か。
とにかく、Afterglowという名前は"変な事をやっている子供たちの集まり"から"変な事をやっているバンドグループ"という認識の変化を遂げていた。
「じゃあドラムは、アタシじゃなくて、あこにならないか?紗夜のギターと、あこのドラムって相性良いし」
「そうなるかな。あこの予定が合えば……」
「ふっふっふー」
蘭の言葉を遮るように何処からか聞こえる声。ガサガサっと草むらが揺れたかと思うと、次の瞬間には誰かが飛び出してきた。
「あこを、呼んだね!とうっ!」
ダンッ!と勢い良く踏み切り、前方に二回転してから姿勢を低く着地。そして決めポーズ。
いきなりアクロバティックな動きで現れた、あこはドヤ顔であった。
「あ!野生の あこりん が 飛び出してきた!」
「野生言うなし……ああ、こんなに葉っぱを付けて。一体どれくらい隠れてたんだ?」
「さっきだよ。おねーちゃん達の姿が向こうから見えたから、ズガガーンってなるような登場してみたんだ!
ねぇねぇ、これ次のライブでやって良い?」
巴は日菜にツッコミを入れつつ、あこの髪に付いた木の葉なんかを取った。あこは巴にされるがまま、蘭の方をキラキラした目で見る。
「……まあ、あこ目当ての人も居るし、良いんじゃないかな」
「やった!これで、あこの……じゃなくて。わらわのカッコよさがまた上がるかな?」
「あこりん の カッコよさ が 2上がった!」
「なっちゃん本当!?」
「なっちゃんアイは嘘をつかないんですぞ〜」
「やったぁ!」
勝手に盛り上がる、あこと日菜の後ろを蘭達はゆっくりと付いて行く。盛り上がる2人の邪魔をしたくなかったというのもあるが、ついていけないという理由が大半を占めていた。
「……なんでさっきから、日菜はシステムメッセージ風の片言なんだ?」
「あこさんが喜ぶからではないでしょうか」
「日菜って、あこには特に甘い気がする」
「シンパシー感じたんじゃないかな〜?」
日菜の事だから深くは考えていないだろうが、きっとそうだと紗夜は考えていた。
「つまり、世界は滅亡するんだよ!」
「なんだって!それは本当なの?」
茶番を始めた日菜とあこを、2人の姉は勿論、蘭やモカでさえも何処か生暖かい目で見ていたのだった。
おまけ(別に見なくて良い)・プロフィール:氷川姉妹編
自称:凡人の天才おねーちゃん
氷川 紗夜
バンド:Roselia Afterglow
パート:ギター
学校:花咲川女子学園 羽丘女子学園
学年:高校2年生
誕生日:3月20日
星座:魚座
好きな食べ物:ガム・キャンディ、ジャンクフード(特にフライドポテト)
嫌いな食べ物:にんじん なし
出来れば食べたくない物:にんじん、野菜ジュース(にんじんに似た色の物)
趣味:無いけど、強いて言うならAfterglowの活動、巴とのお姉ちゃん会合
特技:特に無し(何でも出来るから逆に秀でたものが無い)
部活:弓道部 天文部
氷川のおねーちゃん。別名、氷川姉妹の頭脳労働担当。日菜が居なければ、十二分に天才として呼ばれていたであろう才能がある。
原作同様にコンプレックスは持っているが、万能の天才だと思っていた日菜が、人の心を理解しないから孤立していく所を見て「あ、これは私が助けないとダメな奴だ」と庇護欲が勝った事と、"
その結果、優しい性格のまま成長した、穏やかおねーちゃんと化した。この作品では、原作の最初期で見られた狂犬紗夜の姿は無い。
ここに居るのは、唯のポテト大好きシスコンおねーちゃんだぁ!
にんじんが出来れば食べたくない物に移っている理由は、幼い頃から日菜の分まで食べ過ぎて嫌でも慣れてしまったから。でも、にんじんを食べている間だけは一切の味覚が消えているらしく、だから嫌なんだとか。
野菜ジュースは、にんじんの色に似ている物に限って、にんじんを連想させるから飲みたくない。
自称:凡人。なお、それを巴の前で言ったら無言で腹パンされた模様。巴曰く「紗夜のような凡人が居てたまるか」
アプリ内イベントの色々を見ると分かるが、日菜の壁が高すぎるだけで紗夜も十二分にマジキチスペックを持っている。
特技が無いのは何でも出来るから。何でも出来るって事は、裏を返せば特に優れた物がないって事だ。器用万能とも言う。
また、クリスマスの夜に家から飛び出した体験が原因で天文部に入った。
人の心を分かろうとしない大天才
氷川 日菜
バンド:Pastel*Palettes Afterglow
パート:ギター
学校:羽丘女子学園
学年:高校2年生
誕生日:3月20日
星座:魚座
好きな食べ物:ガム・キャンディ、ジャンクフード
嫌いな食べ物:豆腐湯葉などの味が薄いもの、にんじん
趣味:アロマオイル作り、人間観察(好きな人限定)、Afterglowの活動
特技:すんごい記憶能力
部活:天文部
個人的に、どうしてこうなったキャラのNo.2。
人の心が分からない畜生キャラで行こうと思ったら、いつの間にか好きな人限定で全てを理解しようとするキャラに変貌を遂げていた。
氷川の妹の方。別名、氷川姉妹の実働担当。あこと特に仲が良い。
万能の天才だが、人の心だけは分からない……というより、分かろうとしない。
無神経な発言をしまくった結果、人が離れていった過去がある。が、当人は全く悪びれていないし反省もしていない。
原作の日菜は人の気持ちを汲み取るのが苦手(ビジュアルブックより)と言われているが、当作の日菜は一部の例外を除いて汲み取ろうとすらしないので余計に酷い。
普段は考え事を紗夜に全て任せて、自分は思考を停止しているから、頭の中は空っぽらしい。あことバカっぽい話で盛り上がれるのはそのため。
一度思考を回せば天才と呼ばれるに相応しい力を見せてくれる筈。滅多にないけど。
苦手な物にある、にんじんは、幼い頃の苦手を引きずっているから。この作品では紗夜が全てを食べて、しかも怒る筈の親が共働きで家に居ないので、克服が出来ていない。
特技のすんごい記憶能力は、正式な名前こそ違えど公式設定。一度見たらすぐに覚えてすぐに出来る、天才と呼ばれる所以みたいな能力。
紗夜との一番の差別点にして、日菜の根幹を支えるチート能力。
天才設定かつシスコンなので、筆者目線だとマジで動かしやすい。
クッソどうでもいい情報だが、作品内では"
だから口調が真面目そうでも実は真面目じゃない時もあるし、その逆もある。
また、日菜と千聖の不在が相まってパスパレの結成は不可能に近くなった。彩ちゃんすまん。
部活に入る動機が異なり、クリスマスの夜に家から飛び出した体験が原因で天文部に入っている。