今しか出来ない事をやろう   作:因幡の白ウサギ

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そのあとの話

「紗夜、どうして?」

 

「何がですか?」

 

 更衣室で着替えている最中、蘭は思った事を紗夜に聞いてみる事にした。

 ロッカーの扉で遮られた向こうから聞こえる紗夜の声に、蘭は疑問をぶつけていく。

 

「なんであの人……湊さんをAfterglowに迎え入れたのかなって思ってさ」

 

「不満でした?」

 

「……そういうわけじゃないけど」

 

 そんな事を言っている割には、明らかに不満を押し殺したような声色だった。本人は隠せているつもりなのだろうが、普段より明らかに声のトーンが低い。

 こんなに分かりやすいのなら、あこだって騙されはしないだろう。

 

 まあ、初対面でメンバーを引き抜きにかかり、しかも「黙って見ていろ(意訳)」なんて言われれば、好意的に見ろというのも無理だろうが。

 

「てっきり断るものだと思ってたからさ」

 

 蘭には分からなかったのだ。どうして紗夜が、自分をダシにした条件を提示してまで友希那を迎え入れたかったのかが。

 

「…………まあ確かに。美竹さんの言う通り、最初は断ろうと思っていましたよ」

 

 ハンガーを掛けるカチャッという音が向こうからして、続いて衣擦れの音。声がくぐもっているのは、服を脱いでいる最中だからだろう。

 

「じゃあ、なんで?考えを変える理由があったって事だよね?」

 

 今度はひまりの声。紗夜の真意が気になっていたのは蘭だけではないようだ。

 その際、なんとなく視界に入ったからという理由でチラリと上半身下着姿のひまりを蘭は見て、そしてすぐに後悔した。

 

 デカイな。という言葉で、蘭がどの部分を注目したのかを大体は理解できるとは思う。最初に注目したそこもヤバいが、しかし次に目が移った、その下の細さも地味に反則級なんじゃないかと蘭は思った。

 ひまり、それで腰周り気にしてるなんて巫山戯た事を言っていたのか。思わず舌打ちしなかったのを誰か褒めて欲しい。

 

「そうですね。なんと言ったらいいのか……」

 

 黙り込む紗夜。沈黙が支配する更衣室。少しの間、着替えの音だけが空間を埋め尽くしていたが、やがて紗夜が口を開いた。

 

「……理由の一つとしては、美竹さん。貴女にあるんです」

 

「あたしに?」

 

 何故そこで蘭の名前が出てくるんだろうか。それが分からないから蘭達は疑問符を浮かべる事しかできず、分からない事を分かっているから紗夜はすぐに言葉を繋いだ。

 

「ええ。ボーカルを独学でやるというのも、色々と限界があるでしょう」

 

 ギターやベースといった楽器の指南書はある。本屋のコーナーにでも行けば、それこそ豊富すぎて逆に何を選べば良いのか分からなくなる量だ。

 だがボーカルはというと、これはあまり無い。人それぞれに違う声域や出せる音の限界が異なってくるからなのか、楽器とは比べるのも烏滸がましいレベルで量が少ないのである。

 

「だから、その手の道で先を行く人が間近に居れば刺激になる。そして技術も盗める……というのは言い方が悪いですが、私にとっての日菜のような存在に、湊さんにはなって貰いたかったんです」

 

 超えるべき壁。あるいは、近くに居るだけで喚起されるようなライバル。

 そんな存在として友希那が欲しかったのだと紗夜は語った。

 

「盗むって……言い分は理解できるけど、なんか嫌だな」

 

「考え方の問題ですよ。技術は盗むだけでは唯のパクリでしょうが、モノにして自分用に発展させてしまえば立派に胸を張って自分のだと主張できる……何も、目新しい事を確立するだけが技術ではない。違いますか?」

 

 ひょっこりと、紗夜の顔がロッカーで遮られた向こうから出てきた。

 どこまでも冷静さを崩さないその目からは考えが読めない。それが本心かもしれないし、建前かもしれない。どちらが真実なのかを見極める術を、蘭は持ち合わせてはいなかった。

 

「……考え方か」

 

 だが、別にどちらでもいいだろう。本心からなら、それはそれで構わない。そして例え建前だったとしても、結果として悪い方には転がらないだろうから。

 今までもそうだった。なら今回もそうだろう。そんな信頼という名の思考放棄と共に蘭は頷いた。

 

「ええ。要は物の考え方ですよ。………さて、そろそろ行きましょうか」

 

 ガチャンとロッカーが閉められる音がした。その音を皮切りにして、周りからも次々と同じような音が聞こえてくる。

 それに追従するように、蘭もロッカーを閉じて荷物を持った。

 

「あの人の歌、楽しみだなー」

 

「いい席は取られてるかもね。ファンも多そうだし」

 

「場所なら、おねーちゃん達が取っててくれてるかも?」

 

「どうかな……」

 

 紗夜を先頭に更衣室から5人が出る。先頭を歩く紗夜は、ただ無言で、観客席の方へと歩いていた。

 

 

 

 

 もう時間は遅い筈だが、未だにどよめきが収まることが無い人混みの中、メンバーはステージから左後方の場所に陣取って、友希那の出番を待っていた。

 

「りんりん、大丈夫?なんか顔が白いような気がするんだけど……」

 

「あ、あこちゃ……私、もう、無理かも…………」

 

「が、頑張って!あと少し、少しだけだから!」

 

 死にかけの燐子を必死にあこが応援する傍ら、紗夜と日菜はそれぞれ違う面持ちでステージを見つめている。

 

「おねーちゃんが別の人とねぇ……意外だなぁ。てっきり、そういう事はしないと思ってたから」

 

「…………まあ、色々あるのよ。色々とね」

 

「ふーん」

 

 日菜も深く詮索するつもりは無いのだろう、両手を頭の後ろにやりながら欠伸を噛み殺していた。

 

「まっ、あたし的にはどうでもいいけどね。どっちにしたって、どうせ変わらないんだし。そうでしょ?」

 

「まあ、そうね」

 

 日菜がステージを見つめる目は何処までも緩やかで、そして何処までも眠そうであった。ともすれば、次の瞬間には寝てしまいそうなくらいに。

 そんな様子を見かねた紗夜は、溜息と一緒に呆れを言葉に込めた。

 

「……寝たいなら先に帰ってて良いわよ」

 

「おねーちゃんはー、あたしに空きっ腹を抱えて帰れと申すかー。この後の打ち上げのために、お腹を空かせているのにー」

 

「嫌ならしっかりしなさい。演奏を聴きに来ているのだから、その態度は失礼よ」

 

「はーい」

 

 そんなやり取りを交わしている氷川姉妹より少し前の位置で、蘭は真面目な目でステージを見つめていた。

 その目には複雑な思いが絡み合っているのだろう。言葉に出来ない感情未満の断片が、瞳に浮き上がっては沈んでいた。

 

 そんな蘭の意識を乱したのは、背後から飛びついてきたひまりだった。

 

「らーん。そんな怖い顔しちゃって、さっきのがそんなに気に入らなかったの?」

 

「……別に。そういうわけじゃ」

 

「そうやって誤魔化しても〜、顔に出てるぞー。うりうりー」

 

「ちょ、ひまり、やめてって!」

 

 ぐにぐにとひまりに頬を弄られて何とか普段の調子を僅かに取り戻せたが、ひまりがそうしなければ誰も蘭に近寄ろうとはしなかっただろう。

 現に、蘭の周辺だけ微妙に空間が空いていた。結構な混雑の筈なのに、ここだけ空いていた。

 

「それにしてもさ。もしかして、このお客さん全員が湊さんのファンとかなのかな?」

 

「……だろうね」

 

 友希那を除けば、もうめぼしいバンドも残っていない。その可能性は高いだろうと蘭は思っていた。

 

 その予想が当たっていたと分かったのは、友希那がステージに現れた瞬間から会場の熱量が静かに上がった時だ。

 

「……来た」

 

「おお……ステージに上がるだけで、こんなに……」

 

 まだ姿を見せただけだというのに、観客の熱気が最高潮に達しかけている。友希那と観客達が纏う雰囲気に蘭は気圧された。

 声は消え、呼吸音すら響きそうな静寂の中で、友希那は堂々としている。その様子は、友希那が場馴れしている事を言外に示していた。

 

 そしてマイクを持ち──静かに、歌い出す。

 

 

(こ、れは……っ!?)

 

 蘭の肌がぞくりと粟立った。

 

 歌姫などと呼ばれていたから、それなりの実力はある事は分かっていた。分かってはいた筈なのだ。

 しかし、友希那の歌声は蘭の予想を遥かに超えていた。予想を上回るほど強く、そして美しい声が胸と鼓膜を打つ。

 

「────」

 

 ひまりも何も言えずに友希那をただ呆然と見つめていた。その声に聞き惚れている、といった感じだった。

 

「……へえ、流石にやるかぁ」

 

「伊達に歌姫などと呼ばれてはいない、という事ね」

 

 眠そうな目のまま、日菜が素直な賞賛を口にした横で紗夜も頷いた。

 

 声だけで人の気分を高揚させるだなんて、そうそう出来ることではないのは承知している。

 それを当然のように出来る友希那は、やはり並大抵の実力ではないのだろう。流石に歌姫などと呼ばれて注目されているだけの事はあるようだ。

 

「これは、私も頑張らなければいけないわね」

 

「頑張れー」

 

 紗夜は小さく頷いた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 《リサ。私は今日、やっとバンドメンバーを見つけられたわ》

 

 普段通りに見えて、でも何処か嬉しそうに友希那は語る。友希那らしくないけど、それくらい嬉しかったって事なんだろうなって分かった。

 

「そうなんだ……やっと、見つかったんだね」

 

 立ち上がって窓際まで歩く。シャッとカーテンを開けば、すぐ側には友希那の部屋に電気の点いている様子が伺えた。

 そして窓ガラスに反射するアタシの顔は、なんとも言えない表情を作ってそれを聞いている。

 

 《ええ、やっとよ。やっと始まったの。この調子で最低でも1人、出来れば3人、見つけてみせるわ》

 

「…………ねえ友希那。そのバンドを組む人って、どんな人なの?」

 

 友希那が認めたって事は、つまり凄い演奏技術を持つ人なんだろうなって事は分かる。だけど、それ以外は?

 友希那は幼いところが多いから、もしかすると騙されていたりするかもしれない。あるいは、その性格が最悪に近かったりしたら?

 

 ……杞憂といえばそうだし、音楽から遠のいたアタシが偉そうに気にする事じゃない。だけどやっぱり、気になっちゃうんだよ。

 そんなアタシの思いは、次の友希那の言葉で驚愕に変わる。

 

 《氷川紗夜って女子高生よ。貴女も知っている筈よね、だって毎回服装検査で引っ掛かっているもの》

 

「えっ?もしかして、あの紗夜なの!?風紀委員の!」

 

 《ええ、そうよ。その紗夜で間違いないわ》

 

 紗夜といえば、アタシの中では大真面目で成績もトップの典型的な優等生ってイメージだったし、実際にその通りの事しかしてなかったから、音楽活動なんて欠片も興味ないと思っていたのに。

 

「い、意外……それで、紗夜は何やってるの?」

 

 《ギター。申し分ない実力だったわ。あれでソロなら最高だったのだけど……》

 

 そんな友希那の言葉に、アタシは引っ掛かりを覚えた。"ソロなら最高だった"?

 

「あのー、友希那?」

 

 《どうしたの?私、もうそろそろ寝ないといけないから手短にね》

 

「紗夜って、他のバンドに居たの?」

 

 《ええ。だけど私は譲れなかったわ》

 

 友希那の返事に、アタシは内心で頭を抱えた。友希那が何をしたのかは大体の想像が出来るけど、まさかそんな事をするなんて思わなかったんだ。

 

「他のメンバーも居ただろうに、良く許したよね……」

 

 《条件付きなのよ》

 

「条件?」

 

 《私はこのバンドのギターを辞めるつもりはないけれど、貴女も諦めないのは分かっている。

 だから、私の代わりのギターが見つかるまで、貴女には私達のバンドに参加してもらう。その代わりに私はバンドを組む……と言われたわ》

 

「それは……まあ、そうだよね」

 

 アタシ達の世代が作るバンドって大体は友達同士とかで作られてるから、そりゃ離れたがりはしないよ……。

 

「それで、友希那が参加したバンド名は?」

 

 アタシは軽い気持ちで聞いていた。あの紗夜がバンドを組んでいるという事実が、アタシに好奇心を与えていたんだ。

 どんな人達と組んでるんだろう、やっぱり優等生みたいな人達とかな。なんて。

 

 《バンド名なんて、リサが聞いてどうするのよ》

 

「いいじゃんいいじゃん!ほら、教えてよ〜」

 

 《……仕方ないわね。1度だけよ》

 

 この時は、間違いなく聞いたことないバンドだろうし、明日の学校で友達に聞いてみても良いかも。なんて考えていた。

 

 《バンド名は──》

 

「バンド名は……?」

 

 だから、()()()()()()()()()その名前が友希那の口から出た事は、大きな衝撃だった。

 

 《──Afterglowよ》

 

「へー、Afterglow……えっ?」

 

 Afterglow。その別名は、変人達の集まり

 


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