R.I.P.   作:石井一才

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第三話 今、剣を抜け、お前の名前は正義(3)

 

 夜になり、隼人はパーカーのフードを目深にかぶり、伊達眼鏡をかけ、黒いマスクを着けると、売人(プッシャー)の巡回しているルートの一つ、歌舞伎町の裏通りに向かった。

 カラオケや居酒屋、無料案内所、風俗店のネオンが毒々しく光っている。発情する蛍のように、街全体が点滅し、輝いている。

 

 今までどれだけ探し回っても、蜘蛛の怪人(ウルズ)の噂を聞くことはできなかった。Shock-ARの中毒性は覚醒剤をも上回るし、使用すれば怪人(ウルズ)への変態の可能性もある。というのに、蜘蛛の怪人(ウルズ)の話はまるで聞かない。RIDERが蜘蛛の怪人(ウルズ)を駆除した記録はないが、もしかしたら、反社会組織の抗争に巻き込まれて既に死亡しているという可能性もある。

 

 それならば、死んだということを確認しなければならない。

 

 黒塗りのバンがゆっくりと裏通りを走り、こちらに近づいてくる。

 隼人はそれに向けて手を上げる。

 

 独自に捜査を始めて一年、隼人は初めて売人(プッシャー)の車を止めた。

 

「なんか用か?」

 助手席の窓が下がり、顔に入れ墨を入れた男が気だるげに尋ねる。

「ゲキが欲しい」

 

 ゲキ、とはShock-ARの隠語だ。()()を縮めてゲキ。古典的で単純だが、伝わりやすい。

 

「何の話だよ」

 入れ墨は困惑した風を装って吐き捨てる。だが、それが演技であることは明らかだ。

「俺をおまわりだと思ってるのか」

「違うのか?」

 

 警察官が犯罪者を見抜けるように、犯罪者も警察官を見抜ける。おとり捜査に従事するような刑事は特別な訓練を受け、それは一定の効果を上げているようだが、隼人の自己流の方法ではやはり無駄だったようだ。

 

 隼人は自らの左手を掲げた。その小指は数ヶ月前、怪人(ウルズ)相手の戦闘で吹き飛んだ。が、もちろん相手はそんなことは知らない。

 

「元、だよ」

 

 小指のない左手を見て、少なくとも現在は警察官ではないと確信したのか、入れ墨の顔から緊張感が抜ける。

 

「乗れよ」

 

 同乗者によって、バンのスライドドアが開かれる。身を硬くした隼人を男は急かした。

 

「Shock-ARなんて持ち歩いてるわけねえだろ。特別な場所があんだよ。俺たちが貰うのはそこまでの送料だ」

 

 隼人は意を決し、バンに乗り込む。

 ほどなくしてバンは発車した。

 

 車中にいるのは運転手を含めて三人の男。運転席と助手席と、隼人の隣に一人座っている。彼らは全員無言で、軽薄そうだった助手席の入れ墨男すら一言も発さない。聞こえるのは獣の鳴き声のようなエンジン音だけだ。窓は黒いスモークガラスで覆われ、どこを走っているのかはわからない。

 

 一体どこに連れて行かれるというのか。こいつらがShock-ARの在処を知っているというのも嘘かもしれない。どこか人気のないところに攫われて、半殺しの目に遭うかもしれない。

 

 だが、もうじたばたしても、どうしようもない。

 

 隼人はパーカーの下で腰に巻きつけておいたベルト型注入器をぐっと握りしめた。

 

 

 

 時間の感覚も狂い、一体どれほどの時間バンで揺られていたのか見当もつかない。十分か一時間か、二時間か。まるで永遠のような時間を暗闇で過ごした後、バンが停車した。

 

 停まったのは、郊外の廃病院前だった。住宅地からも少し離れているようで、都内のはずなのにまるで田舎のように薄暗かった。点在する街灯も、飛び飛びに割られて蛍光灯を盗まれているせいで、用をなさない。

「ここか? 廃墟に見えるが」

「そこが素人の浅はかさ。ついてきな」

 助手席の入れ墨は人差し指をくいくいと曲げ、廃病院に向かって歩き出した。バンは男と隼人を置いて出発する。中心部に戻り、また新たな買い手を求めて繁華街を流すのだろう。仕事熱心なことだ。

 

 腐ったフェンスをくぐり抜け、雑草だらけの元駐車場を歩き、病院の建物前まで来たところで、入れ墨が隼人に手を差し出した。

 その手をじっと見つめる隼人に対して、入れ墨は苛立たしげに声を荒げた。

「察しわりいな。金だよ、金。ここまでの案内代」

 入れ墨は顔を歪めて催促する。隼人はジーンズの尻ポケットからマネークリップで挟んだ札束を取り出す。普段はもちろん財布を使っているが、保険証や、免許証などの身分が割れそうなものを携帯するわけにはいかない。

 

「いくらだ」

 

 隼人の手の中にある虎の子の札束をちらっと入れ墨は見た。

 

「ええーと……五十」

「ぼるなよ。タクシー代だけで五万か?」

「くそっ。三十でいい」

 隼人はマネークリップから一万円札を三枚取り出し、入れ墨の手に握らせた。

 

 入れ墨は地面を蹴るようにして歩きながら、病院へと近づく。

 玄関は、元はガラスの自動扉があったのだろうが、既に叩き割られており、代わりにプレハブ材が打ち付けられている。

 

 入れ墨はその木の板をがんがんと拳の背で殴った。

 

 プレハブ材の一部、ちょうど人間の目の高さほどにある部分がぎこちなく開き、濁った両目が隙間から覗く。

「ホッパーキング」

「クロスファイア」と入れ墨は答えた。

 

 目抜き扉が閉められ、プレハブ材が苦しそうにスライドし始める。一人分通れそうな隙間ができると、男は隼人に手招きしてからそこにくぐり込んだ。隼人もそれに続く。

 

 中ではスキー帽をかぶった男がパイプ椅子に座っていた。その脇が拳銃で膨らんでいることを隼人は見て取る。

 

「ご新規様だ。元おまわりだってよ」

 

 隼人は入れ墨男の首の後ろを掴んで引き寄せた。

 

「余計なことを言うな」

「おー。怖い怖い」

 おどけたように入れ墨は肩をすくめた。そんなやり取りを一切無視して、スキー帽が顎をしゃくる。入れ墨と隼人はその指示に従って、薄暗い病院を奥へと進んだ。

 

 病院内は埃っぽく、薄暗い。ここに大勢の人間がやって来て治療を受けていたなど、悪い冗談のように思える。

 

 しばらく進むと、エントランスの中央に地下へと続く階段が現れる。無機質で角ばった病院の内装の中で、その階段だけは酷く乱雑だった。まるで地獄で罪人に作らせたようだ。

 

「この先にShock-ARがある。お望みならどんなドラッグでも」

「どうも」

 隼人は気の入っていない感謝を述べると、躊躇なく足を踏み出し、階段を降り始めた。

 

 背後で入れ墨が口笛を吹くのが聞こえた。

「ふつうの奴は、ちょっとはビビるけどな」

 隼人はそれを無視して、階段を降り続けた。

 

 階段は土竜の掘ったように曲がりくねっていて、先など一切見えない。

 

 やがて薄紫色の光が差し込んだかと思うと、隼人の視界に巨大なホールが飛び込んできた。

 

 紫の光と乱暴なクラブミュージックに満ちたホールにはラリっていると思われる男女がまばらに立っている。更にその向こうには人だかりができて、金網で閉じられた巨大なリングのようなものを囲んで歓声を上げている。格闘技のショーでもやっているのだろうか。

 

 ホール全体に焦げた匂いが満ちていて、天井に滞留するマリファナの煙を見るまでもなく、ここがドラッグを取引し、使用するための場であることがわかる。こんな廃病院を買い取って、地下まで改造するような資金力があるのはマフィアか暴力団しかあり得ない。ということは、()()()も相当あるはずだ。

 

 ホールの人間と思われる黒服の男が近づき、隼人に向かって一礼した。

「ようこそ、ピノキオ様」

「ピノキオ?」

「ここでは名前は問われません。皆、ピノキオ様です」

「ここは鯨の腹の中ということか」

「もちろん、ピノキオ様同士で名乗られるのは構いません。そうでなければ、用をなしませんからね……私共が提供するのはアルコールだけです」

 

 場を貸し与えているだけ、という形態らしい。どうやら更にここでShock-ARの売人を探さなければならないらしい。

 

「ご注文は?」

「……ギネスを瓶で」

 

 黒服の男は再び一礼し、どこかへ消えていった。

 

 この二年間の私的な捜査の中で、恐らく最も薬物汚染の現場に近づいた瞬間だ。情報をかき集められるだけ集めたい。

 

 隼人はとりあえず手近にいた男女に声をかけた。

「何をキメてるんだ。ゲキか?」

「あああん?」と振り向いた男はヴェポライザーをつまんでいた。聞かなくてもわかった。大麻だ。

「いや、いい。それ誰から買った?」

「あそこにいる売人(プッシャー)だよ。ヘソだか、ゴマだか言う変な名前の奴」

「それはもうヘソのゴマじゃん」

 同じくヴェポライザーを咥えていた女の方がげらげらと笑い出す。その笑いは男の方にも伝染し、二人は腹を抱えて床を転がった。

 

「蜘蛛の姿をした怪人(ウルズ)の噂を聞いたことがあるか?」

 隼人の質問ももはや耳に届いていない。二人は無限に連なるトリップの波に飲まれて、笑い続けている。

 

 やはりラリってる奴ではなく、売人(プッシャー)に尋ねるべきだ。

 

 そこで黒服の男が戻ってきて、うやうやしく隼人にギネスの瓶を渡した。マスクをずらし、既に栓の空いたそれをとりあえず口に運ぶ。独特の苦味が隼人の喉に絡みついた。

 

「蜘蛛の怪人(ウルズ)を探してんの?」

 

 少年のような声がして、隼人は顔を隠すマスクを戻してから振り向いた。

 

 そこにいたのは長身痩躯の銀髪の青年だった。まるで高校生のようにも見える幼い顔立ちで、吹けば飛ぶような線の細い身体をしている。

 

「知ってるのか?」

「俺はラブ。金さえ貰えれば何でも売ってやれるよ。武器だろうが、情報だろうが、Shock-ARだろうがね」

「そんなことは訊いてない。蜘蛛の怪人(ウルズ)について知ってるのか、って訊いてるんだ」

 ラブと名乗った青年は屈託のない笑みを浮かべると、右手を差し出し、親指と人差し指をこすり合わせた。幼く見えるが、やけに古典的なジェスチュアを知っている。

 隼人はマネークリップから一万円札を一枚抜き出すと、ラブに手渡した。今夜はとんだ散財だ。

 

「何も知らない、ってことを知ってるよ」

 満足げに一万円札をポケットに突っ込みながら、事も無げにラブは言った。

 隼人は正面にいるこの青年を殴りつけないよう我慢せねばならなかった。

 

「……ちなみにShock-ARはいくらする」

「グラムで十、かな。今の相場は」

「やけに安いな」

「馬鹿言わないでよ、おっさん。一万じゃないよ、十万円だよ」

 覚醒剤のおよそ四倍。一瞬目眩がした。相場が高くなれば、使用者の数が抑制されると思うのは間違いだ。Shock-ARは高い中毒性を誇る。中毒者はShock-ARを買う金を手に入れるためなら、盗みだろうが人殺しだろうがなんだってするし、怪人(ウルズ)に変態すればそれらの犯罪行為はいとも簡単に行えるのだ。元締めが価格を吊り上げるのは当然と言えた。

 

「一つ寄越せ」

 

 隼人は唸るように言うと、マネークリップから再び金を抜き出す。今度は一万円札を二十枚。だが、ラブが札束を取ろうとした瞬間、ぱっと上げてそれを避けた。

 

「今度は本当にあるんだろうな」

「あるあるって。ほら」

 ラブは自分のコートを開いて見せる。その内ポケットにはShock-ARのカプセルがいくつも入っていた。

 

 隼人は金を渡し、ラブからShock-ARのカプセルを一つ受け取った。

 

 これでいつでもベルトを使うことができる。蜘蛛の怪人(ウルズ)と戦う手段は整った。後は見つけるだけだ。

 

 そのままカプセルをポケットにしまった隼人を見て、のぞき込むようにラブは顔を突き出した。

 

「あれ? ここで使わないの? ここなら変態しても大丈夫だよ」

 

 ほら、とラブが指し示した先は、ホールの奥にある金網リングだ。観衆の隙間をよく見ると、リングの中では異形の化物が組み合っている。

 

「あそこの中なら、怪人(ウルズ)になっても文句は言われない。希望者がいれば、怪人(ウルズ)同士でも戦えるよ。Shock-ARのトリップは、やっぱりあの姿で暴れ回ってこそだもんね。もちろん死人も出るけど、それはここの人が処理してくれるし」

 

「設備が整ってるんだな、ここは」

 皮肉のつもりで言った隼人の言葉を、ラブは額面通りに受け取り、ほくほくとした笑顔を浮かべた。

「そうでしょ。俺も二ヶ月前からここに来てるんだけどね。一番居心地いいよ」

 まるで自分のおもちゃを自慢する子供だ。

 

「ねえ今Shock-AR使わないんなら、他のは要らない? エスもクサもあるよ。それともLSDとかの方がいい? 冒険したいってんなら、ロシアの新しい安い奴とか……」

「要らん」

 隼人は手を振るが、ラブはまるで親戚の子供のようにまとわりついてくる。

「ええー、もったいないよ。こんなとこまで来たのに。他の売人(プッシャー)もいるから大きな声じゃ言えないけどさ、結構良心的な値段でやってるんだよ俺」

 

 どうも何か買うまで離れる気はなさそうだ。厄介な売人(プッシャー)に声をかけてしまったものだ。大麻でも一つまみ買えば追っ払えるかもしれないと思ったが、そうすると今度は隼人が吸うまで一緒にいるかもしれない。それは流石にまずい。

 

 そのとき、クラブミュージックにまぎれて、背後で男の大きな声が聞こえた。

 

「頼むよ。売ってくれよ!」

 

 ラブを近づけないようにしながら、後ろを振り向く。ぼろぼろの服を着た中年の男が一人の売人(プッシャー)の足にしがみついていた。

「あんたが金持ってないのなんて皆知ってんだよ、おっさん。離せ!」

「金ならなんとかする。銀行だって……」

 言い終えるのを待たず、売人(プッシャー)は中年の顎を蹴り飛ばした。

「俺にこんなことをして……スパイディが黙ってないぞ……」

 痛みにあえぎながら呟く中年の後頭部に売人(プッシャー)は唾を吐きかけた。

「御託はいいから金を持ってこい。こっちはボランティアじゃねえんだよ」

 売人(プッシャー)怪人(ウルズ)同士の殺し合いを観戦しに、リングの方へと歩き去っていった。

 

「たまにいるんだよね。ああいう周りがなんも見えていない中毒者(ジャンキー)が。そのうち出禁になるよ」

 馴れ馴れしげに肩を叩こうとしてきたラブの手を避け、隼人はその中年に近づいた。しゃがみ込み、中年を起こしてやる。

 

「あんた……」

「お前、今スパイディと言ったな。蜘蛛の怪人(ウルズ)について何か知ってるのか?」

「蜘蛛の……? あ、ああ、そうだ! 俺の友達だ!」

 

 中年は落ち窪んだ眼窩の中で異様に瞳を光らせながら、何度も何度も頷いた。

 

「スパイディを探してるのか? スパイディのいるところまで連れて行ってやるよ! 代わりに、代わりにヤクを何でもいいからくれ!」

 

 隼人はポケットからさっき買ったばかりのShock-ARを取り出すと、少し迷った後、ポケットにしまった。

 

「なんで!」

「おい、ラブ」

「あいあい。なんでしょう、ご主人様」

「こいつにシャブを三グラムほど渡してやれ」

 隼人はマネークリップから適当に金を抜き出すと、ラブに渡した。

「もったいない。ドブに捨てるようなもんだと思うけどね」

 ぶつくさ言いながら、ラブはポケットから覚醒剤が熱密封されたビニールの小袋を取り出し、中年の男に向かって投げた。

 

「ゲキを、Shock-ARをくれよ!」

「今お前に怪人(ウルズ)に変態されたら、たまらんからな。そのスパイディって奴のいるところまで連れて行ったら、渡してやる」

「本当だな! 嘘をついてないな!」

 

 異様な熱意で何度も念押ししたあと、中年の男は立ち上がり、ラブから貰った覚醒剤の小袋を破ると、粉薬のように飲み下した。

 

「あーあ。もったいな」

「クソアイスを飲んだらちょっとしゃっきりした。ついてきな……えーと、あんた名前は」

 

 少し考えた後、隼人は答えた。

 

「ピノキオだ」

「なら、嘘をつけば鼻が伸びるはずだな」

 

 中年はにやりと笑う。たるんだ頬の皮膚が醜い皺を作る。

 

 手招きする中年に付き従って、隼人はホールを後にした。

 

 階段に足をかけたとき、背後からラブの声が聞こえた気がした。

 

「またいつでも来なよ。待ってるからさー」

 

 




まだ変身しないのか!いい加減にしろ!
ご安心ください。次回、ついに変身します。
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