R.I.P.   作:石井一才

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第四話 今、剣を抜け、お前の名前は正義(4)

 

 

 階段を上り、病院を出ようとしたところでスキー帽に、迎えを呼ぶか、と尋ねられたが中年はそれを断った。

 

「スパイディは近くで待ってる。俺がヤクを持ってくるのをスパイディは待ってるんだ」

 そう言うと中年は地面を蹴りつけ、ジャンプするように歩き出した。隼人もそれを大股で歩いて追いかける。

 

 

 夜の空気の匂いは僅かな自己嫌悪と自身の力の拡大感をもたらす。隼人はポケットの中でShock-ARのカプセルを握りしめた。ところどころに屹立する無事な街灯には幾種もの蛾がまとわりつき、そのうちの何匹かは自らが求めた光によって羽を焼かれ落下していく。

 

 十分ほど歩くと、住宅地らしき場所に入ってきた。田舎特有の巨大な敷地と、それを塞ぐブロック塀がぐねぐねとした道路に沿って建てられている。時刻は既に夜半過ぎ。立ち並ぶ家々に灯りはなかった。

 

 中年は小道を入ると更に進む。舗装されていない道を抜けると、巨大な工場《こうば》とそれに併設された一軒家が現れた。

 

 工場は既に使用されておらず廃材が外壁に立てかけられている。敷地には腰の高さほどの雑草が生い茂り、家の方にも住人はいないようで玄関に蜘蛛の巣が張っている。

 

「ここにそのスパイディがいるのか」

「ああ……ああそうだ! あの工場の中で待ってる」

「お前から中に入れ」

 

 隼人は顎で工場の方を示した。中年はえっぐ、と一つげっぷをすると、先程までの軽々しい足取りとは打って変わってゆっくりと工場に向けて近づいた。隼人はその後ろを一定の距離を保ってついていく。

 

 中年は工場の扉を開く。半ば腐っていた扉の蝶番が外れ、草薮の中へ倒れ込む。

 

 月明かりすら届かない工場の中は塗りつぶしたような暗闇だった。そこを隼人が覗き込もうとした瞬間、中年は闇の中へと素早く飛び込んだ。

「おい!」

 隼人は思わず駆け出す。同時に脇に吊るしておいた伸縮式の特殊警棒を抜いて、思い切り振り出す。四一四〇カスタムスチールの二六インチだ。怪人《ウルズ》相手でも怯ませる程度の効果はある。

 

 

 だが工場は漆黒に満ちていた。目をつむっているのと変わらない暗さの中で、隼人は自分の目が慣れるのを待ちながら耳を澄ませた。XDを装備していればどんな些細な音でも聞き逃さないし、夜目になるのも早い。だが、今は生身だった。

 

 そのとき背後から何者かに組み付かれる。汗のすえた臭い、埃が鼻をつく。隼人は無理矢理振り返り、腰にしがみついているその背中に警棒の柄を叩きつけた。唸り声が上がり、襲撃者の正体が中年であることを確信する。

 

 スパイディなどいなかったのだ。

 

 揉み合いになりながらも、中年の手が隼人のジーンズのポケットに伸びる。

 隼人は警棒でその腕を殴りつけたが、距離が近すぎる上に体勢が不安定で威力が出ない。中年はそのままShock-ARのカプセルを奪い取ると、隼人を突き飛ばした。

 

 ようやく闇に慣れてきた目で、クリスマスプレゼントを貰った子供のようにカプセルを両手で握りしめる中年の男を睨みつける。

「騙しやがったな。ヤク中が」

「報酬を先に貰っただけだ! 今から会わせてやるよスパイディに!」

 言うが否や、中年はシャツの袖をめくり上げ、注射痕だらけの右腕の肌を露出させると、その静脈にShock-ARカプセルを突き刺した。中年がボタンを押すと、内部のインジェクターが空気の漏れたような音を立ててピストンし、Shock-ARを中年の体内に注入した。

 

 中年は笑い声と泣き声と怒声の混ざったような咆哮を上げた。事実そうなのだ。このドラッグは使用者の全感情を綯交ぜにしたままで、極限まで最大化させる。

 

 中年は空になったカプセルを握り潰す。割れたプラスチックの破片が黒く汚れた手の平に食い込み、血が流れ落ちる。

 

 中年の身体がみるみるうちに変態していく。まるで空気入れで膨らまされるカートゥーンキャラクタのように中年の身体は肥大化していく。シャツのボタンやズボンのジッパーが弾け飛び、やがて衣服そのものが裂け落ちる。

 

 細く密集した体毛が生え始めたその身体は黄と黒の入り交じった色へと変わっていく。

 

 そして頭部すらも変態していく。粘土で作られた人形のように、中年の顔面は崩れ去り、代わりに緑色の複眼や、毛の生えた触肢や鋏角が現れる。

 

 そして現れたのは、隼人が追い求めてきた相手だった。

 

 

 蜘蛛の怪人(ウルズ)

 

 母衣優一の仇。

 

 

 隼人は叫び声を上げると、変態を終える直前のスパイディ《傍点》の脳天に警棒を振り下ろした。岩を叩いたような激震が隼人の手に走る。よろめいたスパイディの頭に続けて何度も何度も警棒を振り下ろす。そこに特殊部隊員としての技術はなかった。そこにいたのは七年前の、まだ警察官を目指していた頃の伊祭隼人だった。

 

 だがその暴力も止まる。完全に変態を終えたスパイディが六本ある腕のうち、一本の手で隼人の警棒を掴んだのだ。そしてもう一つの手が隼人の腕を握り、いとも簡単に吊り上げる。隼人の身体が宙に浮く。

 

「スパイディは痛かったってよ。すごい怒ってる」

 そう言うと怪人(ウルズ)は警棒を投げ捨て、サンドバッグのように隼人の身体を五つの拳で殴り始めた。受け身もとれぬまま、隼人は台風に揉まれるぼろ布のように、その暴力の嵐に蹂躙されるしかない。無軌道に殴りつけられ、全身に痛みが走る。

 

 興奮したスパイディは隼人の身体を投げ捨てた。コンクリートの工場の床に叩きつけられる痛みは感じなかった。既に隼人が感じることのできる苦痛の限界量を振り切っていた。

 

 激痛を訴える脳が真暗闇の工場の中に白い火花を見せる。点滅する視野の中で、こちらに近づいてくる蜘蛛の化物。隼人はなんとか立ち上がると、物陰に向かって走り出した。

 

「隠れんぼは苦手だが、ゲキをくれたお礼に付き合うよ」

 

 走る最中に何かに足を引っかけた。それは運良く何かのスイッチだったらしく、工場の設備が動き出しモーター音がわめき出す。これでShock-ARによって鋭敏化した奴の聴覚をいくらかは誤魔化せる。

 

 隼人は息を潜めて溶接機材の後ろに隠れる。機材に背をつけて座り込む。あまりの激痛に叫び出したいが、今は呻き声一つ漏らしてはならない。なんとかあのスパイディに気づかれないように、ここを抜け出さなくてはならない。

 

 そう考えた自分を、隼人は殴った。

 

 もう一度逃げ出そうとした自分を、力の入らない拳で殴った。

 

 隼人は隙間からスパイディを確認する。スパイディはふらふらと歩きながら、物陰を覗いては笑い声を上げる。

 奴は怪人(ウルズ)になること自体が目的となってしまった重度の中毒者(ジャンキー)だ。Shock-ARも普通の薬物同様で、使用すればするほど耐性がつき、より多くの量を摂取することができる。今は一本のShock-ARしか使用していないため、普通の怪人(ウルズ)と変わらないが、これ以上奴がShock-ARを手に入れれば、XDを着装したRIDERが複数人かかっても倒せるか怪しい相手となる。そんな奴をこのまま野に放つことはできない。

 

 だが、と隼人は自分の腰を見下ろす。そこには空のベルトが巻きついている。

 

 武器を持たない今の自分では奴の格好の餌食になるだけだ。

 

 そのとき、何者かが隼人の肩を叩いた。

 

 隼人は半ば無意識にその手を掴み、親指を捻り上げる。

「ちょ、ちょいちょい。ギブギブギブ」

 その手の主はラブと名乗った先刻の売人(プッシャー)だった。小声で悲鳴を上げると、隼人の腕をタップしている。

 

 そのとき、自分の顔を隠すものが何もないことに気づいた。マスクは落ち、パーカーのフードはスパイディに殴られたときに破れている。

 

 咄嗟にラブから顔をそむけ、囁き声で怒鳴る。

「こんなところで何をしてる」

「いやあ、あんまり怪しすぎたのにほいほいついていくからさ。尾行しちゃった」

 

 その言葉を聞きながら周囲を見回すと、近くに溶接用のマスクが一つ転がっていた。工場の若い人間が使っていたのか、髑髏を象った洒落た意匠だ。隼人の趣味ではないが、選り好みはしていられない。それを素早く拾い上げ、頭に被る。奇跡的にぴったりだった。

 

 ようやく人心地がつき、ラブに向き直る。

 

「何? 今さら顔を隠すような間柄じゃないじゃん。水臭いなあ」

 隼人はポケットからマネークリップで挟んだ札束を取り出すと、ラブの目の前に叩きつけた。

「これでありったけのShock-ARを寄越せ」

 ラブは素早く札束を拾うと、一枚ずつめくり抜け目なく検分した。

「払いっぷりいいねえ。その男気に免じて、ちょっとサービスしよう」

 そう言ってコートに手を突っ込み、乱雑に掴んだShock-ARのカプセルを隼人に手渡す。その数、五本。隼人は四本をジーンズのポケットにしまい、残りの一本を握りしめた。

 

 再び隙間からスパイディの位置を確認する。奴はまるで見当違いの方を探し回っていた。

 

 立ち上がりかけた隼人の服の裾をラブが引っ張った。

 

「待って。あんた初めて(バージン)だよね」

「それがどうした。何か問題あるのか」

 気勢を削がれた苛立ち混じりで隼人は答える。

 

「もしかして素で使う気? 映画も音楽もセックスもなし? そんなの勿体ないよ」

「俺はトビたいわけじゃない」

「ああ、わかったわかった。変態したいんでしょ。でも、それなら余計何か要るって。素寒貧で怪人(ウルズ)に変態できるのなんて玄人だけだよ」

 

 ラブの言うことは正しい。このベルトは変態作用を統御するXDと違い、ただの注入器に過ぎない。強烈なトリップをせねば、変態はできない。

 

 隼人は立ち上がった。

 

「やるなら楽しまないと」

 

 そう言うとラブは闇の向こうへと消えていった。

 

 隼人は一歩ずつスパイディへと近づく。

 

 これまで隼人たちの立てる物音を隠していた機材が急に動作を停止する。暗闇が吸い取ってしまったかのようにモーター音が掻き消える。

 

 隼人の足音に気づき、スパイディが振り向いた。

 

 その瞬間、工場中に強烈な光が満ちる。突如として、照明のスイッチが入れられたのだ。工場の入口の方を見ると、ピースサインを作ったラブの右手が物陰から突き出されていた。

 

「隠れんぼはもういいのか?」

 スパイディの触肢がくねくねとうごめく。蛍光灯の光に複眼がきらめく。怪人《ウルズ》と化した奴の表情はうかがい知れないが、声音で楽しんでいるのがわかる。

 

「ああ。充分だ」

 

 隼人はプラスチックのカプセルを手の平の中で握る。

 

 そのとき隼人の脳内に蘇ったのは、XDを着装するための研修会で講習をする研究部員の姿だ。

『作戦に不必要なトリップ感を避けるためにも、着装時の精神集中は欠かしてはなりません。最も重要なのは無言であることです。出撃時に散見される全員での声がけも禁止です。たった一言でもいけません。その単純な一言が、もし着装者にとって特別な意味を持つ言葉だったとしたら? 麻薬服用時における強力で単純な一言は、時として自己暗示的効果をも伴って、苛烈なトリップを引き起こすのです。その先に何が待っているかは、皆さんは既に御存知のはずでしょう』

 

 怪人(ウルズ)への変態。

 

 だが、今の隼人が望んでいるのはそれだ。

 

 隼人はベルトのスイッチを押す。同時に空洞部がベルトから飛び出す。

 

 そこにShock-ARのカプセルを挿入する。

 

 強力で単純な一言。

 

 早く押せとばかりにベルトからレバーが立ち上がる。

 

 今の自分を根本から変貌させてしまうような一言。

 

 あのとき逃げ出した自分ではなく、目の前にいるこいつを殺すことのできる存在へと変えるたった一言。

 

 そのとき心中に一つの言葉が浮かぶ。ただ隼人はそれを叫ぶだけでよかった。

 

 

「変身!」

 

 

 殴るようにしてレバーを叩く。ベルトから針が飛び出し、隼人の鼠径部の静脈に突き刺さる。そしてShock-ARがその針を通って注入された。

 

 Shock-AR内に含まれるエルトシチニンは静脈を通って心臓に流れ込み、そしてそこから動脈を通して全身へと送り込まれる。

 

 戦場の声が聞こえた。遥かな怒号。舞い散る銃声。そして剣と天秤を抱え、目隠しをした正義の女神が顕現する。

 

 全身を駆け巡るShock-ARと共に自らの身体が砕けて、溶けて、揮発して、全く新しいものになっていくのを感じる。

 

 そこにXDを着装するときに感じるような全身をばらばらにされたような痛みはなかった。ただ新しい自分の誕生に打ち震える喜びだけがあった。天使が祝福の喇叭を吹き鳴らす。暖かな神の手が頭を撫でる。この瞬間を待ち望んでいた母が、父が、世界の全てが歓喜の歓声を上げる。

 

 

 そうして、伊祭隼人は消え去った。

 

 





ついに変身! 長かった!
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