では、どーぞ。
初めはなんでもなかった。
いつものように起きて、いつものように起こして。いつものように彼を送り出す。
…うん。本当に、それだけ。
ほんのちょっとの違和感はあったけど、でも、それだけ。開いた窓の側に立ってたら風が吹いたような気がした。
そんな感じの、気にも留めないような小さな違和感があっただけ。
けど、それは全然小さなことじゃなかったの。
日に日に大きくなる違和感はいつの間にか目に見えるものになってて、気が付いたら、…自分の手元を離れてた。
最初は良かったの。
お腹が大きくなっていくことが本当に嬉しくて。彼と共有できることが心から幸せで。苛立ちなんて、ちっとも感じなかった。
…でも、ちょっとずつ変わっていった。
自分でも気がつかないうちにどんどんわがままになっていって、普段なら気にしないことに苛立ちを覚えて、彼に…辛く当たった。
キスしたくなるような寝顔に眉間を寄せた。
微笑んでたはずのドジに怒りを覚えた。
一緒にベッドに入る約束を破られて、怒鳴った。
お母さんには、仕方ないこと、って言われたけど、自分が許せなかった。
…だって彼は、こんなにわがままになった私を、嫌な顔一つしないで毎日支えてくれたんだもの。
起こすのが嫌だって言えば、次の日から自分で起きてくれて。
失敗とも言えない失敗をする度に文句を言ったら、同じ間違いをすることはなくなって。
二人の時間を減らしたくないって言ったら、仕事を休んでずっと家にいてくれた。
そうしてくれたことが嬉しくて。なのに、何もかもに苛立って。
私はとうとう、苛立ちを全部ぶちまけてしまった。
子供ですら言わないような自分勝手なことを彼にぶつけた。
ぶつけて、ぶつけてぶつけてぶつけて。なにもかもをぶつけきって。
それから私は彼に聞くことができた。
どうして何も言い返そうとしないの?
どうして私の側から離れてくれないの?
どうして文句も言わずにいてくれるの?
って。
怒鳴り疲れてヘトヘトで、頭もクラクラして、近くにあったソファに腰掛けて、そうなってから、本当に聞きたかった事を聞けた。
ホント、おかしくなってたのよね、私。
なのに、そんなにおかしくなってたのに、彼は側まで来て私を抱き締めてくれた。
『僕は、ゼシカのことが好きだから、大好きだから、何をされても平気だよ。きつく当たられても、怒鳴られても、全然平気。痛くも痒くも無い。
だけど、ゼシカが苦しそうにしてるのだけは我慢出来ないんだ。
怒りたくもないのに怒って、したくもないのに怒鳴って…。そんな風に自分で自分を傷つける姿を見たくないんだ。
だから僕は、君が楽になれるなら、どんなことだってする。どんなことだって受け止められる。
ゼシカと、この子のためなら、僕は全てを捧げられるんだ。
…それに、僕が一番幸せなのは、ゼシカの隣にいることだから。離れたりなんてできないよ』
…今思い返すとにやけちゃうような歯の浮いたセリフだけど…。
その時の私にとって、これ以上無い、言葉だった。
最初、呆気にとられてポカンとしてた。
何を言ってるのか分からなかったから。
だけど、次第に意味が理解できてきて。彼の、微笑んだ顔を見て。
それまで忘れちゃってた気持ちを、思い出した。
抱き締めてくれてた彼の手をわざと押し退けて、少しそっぽを向いて、すぐに向き直って、キスをした。
自分が変になってから初めてしたいと思ってした、キス。
それからは、もう平気だった。
いつも通り、寝顔に口付けをしてから彼を起こせるようになって。
小さな躓きを、冗談と一緒に指差しして言えるようになった。
…二人の時間は減らしたくなかったからちょっとの間甘えてたけど、でも、無理強いするほどじゃなくなった。
…本当に、良かった。
あの日、彼の言葉がなければ私たちはもっとどうにもならないくらい、大変なことになってたかもしれない。
そう思うと、今でも怖い。
多分、別れることはなかったとしても、今みたいに家族四人で仲良く暮らせてたとは思えない。そのくらい、大変な時期だった。
でも、そのおかげで私たちは今まで以上に強い絆で結ばれることができた。
そういう意味では、悪いばかりのことじゃなかったのかな?
なんて、全部終わった今だから言えるんだけどね。
そうそう、二人が生まれた時も大変だったわ。
こっちは一人のつもりだったのに、いざ産んでみたら、もう一人いるって言われたんだもの。驚かないはずないわ。
正直、産むのは大変だったけど、でも、その分嬉しかった。
産むのが辛くて泣いてたのか、嬉しくて泣いてたのか、分かんなくなるくらい大変だったけど、間違いなく嬉しかった。
それからの日々は、メタルスライムの逃げ足よりも速く進んでいったわ。
初めはタネくらいちっちゃかったのに、気がついたら歩けるほど大きくなってて、すぐに言葉を話せるようになった。
かと思えば、二人同時にとんでもない熱を出したから、彼とおかあさんとの三人で付きっ切りで看病して…
こっちは疲れてても、二人はお構い何し『遊んで、遊んで』なんて言うから、ついつい無理しちゃって、今度は私たちの方が体調を崩したりしてた。
頃合いかな?って思って始めたお勉強は好き嫌いが激しくてどうすればいいか凄く悩んだし、滅多に喧嘩しない二人が言い合いを始めちゃってどうやって止めればいいか彼と頭を抱えたわ。
本当、思い返せば濃過ぎる毎日だったのよね。
この七年間、辛い事も大変なこともあったけど、それ以上に嬉しいことや楽しいこと、何より、幸せなことがもっともっと沢山あった。
そしてきっと、これからももっともっと増えていくんだと思う。ううん、増えるわ。間違い無く、絶対にね。
だって、私と彼だけじゃ無くて、ウェーナーとルイーサがいるんだもの。それだけは断言できるわ。
…だから、私達はこの前決めたの。
二人を立派に育てる事。
必要の無い苦しみや悲しみを教えない事。
絶対に、二人を守り抜く事。
気が付いたら大きくなってるこの子達に、親の私たちが出来ることなんて多分、それだけ。
だから、私たちは私たちの決めたことを全力で護り通す。
その決意を忘れないために、ここに記しておくわ。
…こんなの、あの子達には恥ずかしかって見せられないわね。
「母さん、なにしてるの。日記?」
寝室のドアを開けて入ってきたのは、寝癖でボサついた頭の瞼をこするウェーナー。
…なるほど、日記っていうのは良いわね。書き続ければ決意を忘れることはないでしょうし、大人になった二人に出来る話も増えるわ。
「あら、起きたのね。そう、日記よ。
待ってて、すぐ朝ごはんにするから。あ、まだ起きてないようならルイーサも起こしてきて」
何気ないウェーナーの一言で、私の新しいことが決まる。
忘れないために記そうとしたこの想いは、今日の夜からは日々を書き留める大事な行為になる。
そう考えると、ちょっとめんどくさがりな私でも続けられそうね。
「うん、分かった!」
寝起きにも関わらず元気な返事は、日記を書いてて眠れてない私に元気をくれた。
…さて。今日も一日頑張りましょうか!
To be next story.
結婚生活は妊娠した母親を如何にケア出来るかでその後の家族関係が左右される、なんて話を以前聞いたことがあります。
…果たして、主人公のとった行動は実用向きなのか…。自信はありませんが、ゼシカ的にはこれで良かったので問題ないです!(現実逃避)
ちなみに、時系列は四十四話の始まりよりも少し前からになってます。
それではまた次回。
さよーならー。