カンピオーネ! 魔刃の王の物語   作:一日

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第九話 まつろわぬアテナ

 結局、体を使うことは何でも、走ることが基本だ。

 

 アテナの呼び出したフクロウと蛇の大群から逃げる護堂は、つくづくと思う。

 

 今まで何度も危ない目に遭ってきたが、いちばん役に立つのはウルスラグナの権能よりも、親からもらった二本の足なのだ。

 

 戦うにしても逃げるにしても、走れなければ始まらない。

 

 そんな実感があるから、野球をやめた今でも、走り込みは毎日続けている。

 

 いやな話だが、、あまりにも荒事に巻き込まれる回数が多いので、つい体力作りなど考えてしまうのだ。実際、日々鍛えてなければ、ここまで走れない。

 

 ━とはいえ。

 

 空から迫るフクロウや稲妻めいた速さで這い寄る蛇を振り切れるほどの、人間離れした走力はさすがにない。

 

 しかも、いつの間にか数が増えている。

 

 どこから出てきたのか、フクロウも蛇もすでに一〇〇を超える大群に膨れ上がっていた。

 

 「全ての邪悪なる者よ、我を恐れよ! 力ある者も不義なる者も、我を討つ能わず。━我は最強にして、あらゆる障碍を打ち破る者なり!」

 

 護堂が言霊を誦すと、黄金の輝きが一瞬だけ閃く。

 

 ただそれだけで、殺到する寸前だったアテナの下僕どもは全て一斉に、首と胴を寸断されて塵と消えた。

 

 まともな生き物ではないせいか、ひとつも死骸は残らない。

 

 「ほう……。やはり、奇妙な武具を隠し持っているようだな。切り裂くもの、断ち切る何か━剣の言霊か。なかなかに凝った趣向だな」

 

 後方から、余裕さえ漂わせてアテナの声が追いかけてくる。

 

 言ってろ。

 

 すぐに、この剣の厄介さがわかるようになる。

 

 「ならば、妾もすこし遊ぶか。━かような石の都では、童の権能もいささか振るいがいがないのだが、この程度の芸はできる。それ!」

 

 「…………そんなの、ありか?」

 

 つい振り返ってしまった護堂は、背後の後継を見て呆れた。

 

 アテナの足元。

 

 固いコンクリートの路面が大きく隆起し、女神を乗せたまま鎌首をもたげた。

 

 そう、砂と砂利をセメントで凝固させただけの冷たい物体が、見上げんばかりの高さにまで盛り上がり、巨大な蛇のように鎌首をもたげたのだ。

 

 気づけば、コンクリート造りの大蛇が、ほんの数十秒で完成していた。

 

 全長二、三十メートルはある。

 

 蛇の頭上には、銀髪をなびかせてアテナが直立していた。

 

 これも神力なのか、単にバランス感覚が普通でないのか、あんな不安定そうな場所で、優雅に地上を見下ろしている━。

 

 「さあ、我が牙よ。神殺しを押し潰せ!」

 

 アテナが立つ大蛇の頭は、首都高の高架線よりも遙かに高い位置にあった。

 

 「くそッ、好き勝手やりやがって!」

 

 大蛇を生み出した後の路面は、ひどい有様だった。

 

 コンクリートを根こそぎ剥がし取ったため、まるで大河の水が干上がったように、深く長い溝ができている。

 

 あの路を再び車両が走れるようになるまで、どれだけの時間と費用がかかることか。

 

 護堂は愚痴りながらも走る。

 

 もうすぐ。

 

 もうすぐ完全に人のいない場所まで辿り着く。

 

 この辺りにはまだマンションやホテルなどがあるので、周囲への被害が少し心配なのだ。

 

 汐留川を超えると、背の高い木々が鬱蒼と生い茂る森━都心の真っ只中のくせに、緑あふれる森が右手に見えてきた。

 

 ここが護堂の目的地だった。

 

 ━浜離宮恩賜庭園。

 

 開園時間はとっくに終わっているから、無人のはずだ。火降り庭園なので、アテナや自分が暴れても誰かを巻き込む心配はない。

 

 しかも、ここを囲む壁は低い。

 

 身の軽い者なら、余裕でよじ登り、乗り越えることができる。

 

 裏口をふさぐ申し訳程度の柵を乗り越え、低い壁を登攀して不法侵入を果たす。

 

 護堂は壁の上から、追いかけてくる大蛇を眺めた。

 

 車道に放置されていた二輪や四輪車、電柱や歩道のガードレールを押し潰しながら、こちらを猛追してくる。

 

 自分の姿を十分にさらしながら、護堂は庭園の中へ飛び降りた。

 

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 「黄金の剣……戦士の力だな」

 

 回復を終えた榊は、アテナに気づかれぬよう離れた所から戦いの趨勢を見守っていた。

 

 決して面倒臭いからではなく、『猪』のような広範囲攻撃に巻き込まれる危険性等を考慮してのことだ。それに、傷は治っても、呪力自体は回復しきっていない。

 

 「あの力……俺の権能に近いな。あの馬鹿と引き分けた以上、なにかしら切り札を持っているとは思っていたが……太陽の力だけじゃなかったか」

 

 流石は勝利の神から簒奪しただけあって、大抵の状況に対応できそうな力だ。それに、復活の力まであるとは……

 

 「おっと、そろそろ出番か」

 

 ついつい如何にして護堂に勝つか、を考えていた榊だが、その目は抜かりなく戦局を見つめていた。

 

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 コンクリートの蛇に突撃を命じたかと思えば、黒い鎌を呼び出しアテナ自らが護堂へと斬りかかる。

 

 矢継ぎ早に攻撃を仕掛けることで、聖句を唱えさせない腹積もりなのだろう。

 

 だが、聖句を唱えずともある程度は権能を使うことができる。

 

 ごろごろと不格好に地面を転がって回避しながら、護堂を丸飲みにせんと頭上から迫る蛇の首を落とす。

 

 首を切り落とされた蛇は、バラバラになりながらコンクリートの塊を護堂へと降らせる。

 

 それも何とか避けるが、避けた先ではアテナが待ち受けていた。

 

 これこそがアテナの狙い。そう気づいても時すでに遅し。とても、回避できるタイミングではない。

 

 護堂が『戦士』を力を諦め、『駱駝』の力を使う覚悟を決めた瞬間、すぐ傍を何かが猛烈な速度で走り抜けるのを感じた。

 

 耳障りな音と共にアテナが弾き飛ばされる。

 

 「くッ!? 貴様のその神速、もしや━」

 

 「おっと、そいつは企業秘密だ」

 

 余計なことを喋られないようにするためか、すぐさま距離を詰めて短剣と鎌で熾烈な剣劇を繰り広げる。

 

 「ぼさっとするな、護堂!」

 

 思わずその戦いに見入っていた護堂は、榊の声で再び聖句を紡ぎだす。

 

 「その昔、古代世界の頂点に君臨するのは女神だった。神に仕え、人々を統治するのは女王の役割だった。だから神々の長も女神━翼ある蛇の女神だった。だが、彼女たちが至高の座を逐われる時が来る。武力を持つ男たちが謀反を起こし、女権社会が終わったからだ」

 

 護堂はつぶやき、最強の『剣』を精錬する。

 

 ここで全ての言霊を使い、アテナの神格に大きな瑕を穿つ。

 

 それを足掛かりに、攻略を果たす。

 

 榊が足止めしてる今ならば、存分に剣を鍛えることができる。

 

 「女王の時代が終わり、王の時代が始まった。同時に至高の神も、母なる地母神から厳格な父神へと成り代わった。ゼウスをはじめとする、神王の誕生だ」

 

 いま目の前にいるのは、かつて地中海に君臨した神界の女王だ。

 

 そう、かつての女王。

 

 落魄し、まつろわされた女王。

 

 その過去を暴く言霊こそが、アテナにとっては最も鋭い利剣となる。

 

 「古きアテナとその分身たちは、王である神の妻、妹、あるいは娘におとしめられ、かつての栄光を失った。神話の改竄が行われたんだ」

 

 「…………黙れ」

 

 静かな怒りをこめて、アテナがつぶやいた。

 

 「アテナは王の娘となった。メティスは凌辱され、智慧だけ奪われた。メドゥサは魔物にまで堕とされた。それだけじゃない。ギリシア神話のヘラもアルテミスもヘカテーも、全て敗北した地母神だ。あなたと起源を同じくする、生命と死の女神たちだ!」

 

 「黙れと言っている! その言霊、まこと穢らわしい!」

 

 アテナが怒っている。

 

 これはいい兆候だが、まだ我を忘れるほどではない。だったら計画通りに斬撃を喰らわせてやる。

 

 「敗れた地母神は、翼ある蛇として神話で語られるようになる。翼ある蛇━つまり、竜だ。数々の英雄神話に登場する、邪悪な竜。英雄や神に退治される竜たちは、敗北した地母神をおとしめ、おぞましく描いた姿だ!」

 

 悪しき魔物であった故に討たれたのではない。

 

 勝者の側が、邪悪な魔物だから滅ぼしたと物語を捏造しただけなのだ。

 

 こうして翼ある蛇は聖獣から魔獣へと堕落し、地母神の神性は根本から否定される。故に、この言霊はアテナを引き裂く狂猛無比な『剣』となる

 

 黄金の光が全て、榊の左手へと集まる。アイコンタクトも無しにこちらの意図を読んでくれる辺り、伊達に長い付き合いではないということだろう。

 

 アテナの漆黒の鎌と榊の手に握られた黄金の剣が鍔迫り合う。

 

 同時に、アテナの足元から闇が広がっていく。

 

 ━寒い。

 

 闇の拡散と同時に、気温まで下がりだした。

 

 いきなり真冬が来たかのような、肌を切る寒さだった。

 

 「その一刀を受けるわけにはいかぬな。いかな不死の妾といえども、直に神格を斬られては堪らぬ。暗き禁忌の力を以て、打ち破ってみせよう!」

 

 アテナは黒き鎌を握る腕に、力をこめる。

 

 黄金の剣を押し戻そうと、あらん限りの神力を燃やしている。

 

 そのせいか、少しずつ榊が押されていく。

 

 「なめるな……汝が剛力にて、我が敵を押しつぶせ『野牛(ウルズ)』!」

 

 その聖句からして『雄牛』と同じ能力なのだろう。すこしずつアテナを押し返していく。

 

 いつの間にか、広がる闇が夜空を覆い隠し、月と星々の光さえも消え失せた。混じりっけなしの暗黒が辺りを包み込んでいく。

 

 黄金の剣以外、一筋の光も許さぬ闇。

 

 それでも、護堂の目は深淵のような暗黒を見通せる。━だから、驚愕した。

 

 周囲に生える草や花が、あっという間に枯れ果てた。

 

 木々もしぼんでいく。

 

 大樹も小木もことごとく萎え、一瞬で実は塵となり、枝はしおれ、幹は乾涸らびた棒切れのように縮んでしまった。

 

 夜泣きする虫の音まで消えた。

 

 ━これは『死』だ。

 

 滅びと死をもたらす、冥府神としての力。アテナは黒き鎌に、自身が持つ最も危険な神力を注ぎ込んでいるのだ。

 

 「妾は冬を招き、死を振りまく者。冷たい冥府の支配者。刈り取り、奪い去る略奪の女王。その妾が命ずる。草薙護堂よ、名も知らぬ魔王よ、死せる王となり、骸をさらせ!」

 

 その言霊が耳から侵入し、護堂らを蝕もうとする。

 

 「イメージを変えろ、護堂! この剣ならアテナが生み出した鎌も斬れるはずだ!」

 

 榊の言葉を聴き、イメージを切り替える。

 

 アテナを斬るつもりだったから、鎌で受け止められた。だが、この黒き鎌もアテナの一部なのだ。だったら、『剣』で諸共に切り裂けるはずではないか。

 

 これはアテナを━アテナだけを倒す、必殺の『剣』なのだから!

 

 斬。

 

 黒き鎌ごと、護堂はアテナを斬った。

 

 アテナが地に倒れ伏す。それを追う形で榊も倒れた。

 

 したたかに『死』の言霊を浴びたのだろう。

 

 駆け寄って、アテナから少し離れた場所へ移動させる。

 

 「にいさん!」

 

 「耳元で叫ぶなよ」

 

 呼びかけるとすぐに反応が返ってきた。しかし、自らの足で立つことすらできないほど消耗しているようだ。

 

 「俺のことはいいからさっさとアテナにとどめをさすんだ! 奴はまだ死んじゃいないぞ!」

 

 心配ではあったが、護堂は神とカンピオーネのでたらめな生命力をよく知っている。心配は戦いが終わってからすればいいことだ。そう割り切って、最後の切り札を切る。

 

 東の空を指さしながら、護堂は言う。

 

 イメージするのは、白き雄馬。太陽の光を浴びて、真っ白に輝く悍馬の雄姿。

 

 「我が元に来たれ、勝利のために。不死の太陽よ、我がために輝ける駿馬を遣わしたまえ。俊足にして霊妙なる馬よ、汝の主たる光輪を疾く運べ!」

 

 ウルスラグナ第三の化身『白馬』。

 

 古来、『馬』は太陽神と密接に結び付く獣だった。

 

 馬車に乗り、東から西へと駆ける太陽神━これは、多くの文明で普遍的に見いだせる伝承である。オリエント、インド、北欧、中国、バビロニア。いずれも例外ではない。

 

 ギリシアの太陽神アポロンもそうだ。彼と習合したペルシアの光明神ミスラも、同様の神話を持つ。

 

 ならば、ミスラに使えるウルスラグナが化身する白馬も、太陽を運ぶのが道理!

 

 「おお━やはり、来るか。忌々しき駄馬め!」

 

 危険を察知したアテナが飛び起きる。その反応から察するに、智慧の女神としての力でこちらの切り札を察知していたようだ。ならば、対策も練ってあるはず━

 

 一切の光を封じるはずの闇のなかで、東の空だけが紅く燃えていた。

 

 陽が昇ろうとしている。

 

 暁の曙光が東の空を薄紅に染め上げている。

 

 時刻はまだ深夜零時。夜明けが来るのは、五時間以上も先の話だ。

 

 だというのに今、空は明るい。

 

 これこそ『白馬』の化身が持つ、太陽を呼ぶ力だった。

 

 「本当なら、この化身が一番使いづらいんだ。ただ、今回はあなたがやりすぎたおかげで問題なかった。━何しろ『民衆を苦しめる大罪人』にしか使えない化身だからな」

 

 闇の世界を創り出したアテナは、この条件に十分当てはまる。

 

 ……自分を標的にすれば、実はいつでも使えそうな気もする護堂だったが、そこああえて無視してうそぶいた。

 

 「いくぞアテナ! 闇を蹴散らす太陽の火を、たっぷり味わえ!」

 

 光の箭が、太陽神の長槍が、天空から降る。

 

 アテナとその周り十数メートルの一帯が、白い閃光に呑み込まれた。

 

 咎人を灼き尽くす清めの焔だった。

 

 遙か東の空より天かけて、超々高熱のフレアが地上に舞い降りてきたのだ。

 

 「オ、オオオオオオオオオッッッ!!」

 

 さすがのアテナが、苦悶の絶叫をあげる。

 

 夜を追い散らし、冥府神に取って代わる太陽王の焔は、この女神の天敵と言えるだろう。 

 しかし━

 

 

 「ク、ハハハハハ! 妾を舐めるな、草薙護堂よ! すでにこの手は読んでいたぞ!」

 

 アテナの周りを、闇の壁が守っている。

 

 あらゆる光を遮断する、黒き障壁。

 

 かろうじて、それで白き焔を阻んでいる。おそらく、このために闇の神力をひそかに蓄え、隠し持っていたのだろう。

 

 このまま焔の燃焼が終わるまで、アテナが身を守り切れるならば━。

 

 闇の地母神を倒しうる化身は、おそらくない。そして焔が消えれば『白馬』の化身も解け、草薙護堂も異能を失うのだ。

 

 だが、護堂は首を横に振った。

 

 「確かにそれを防ぎきればあんたの勝ちさ。だけど、俺は一人じゃない」

 

 護堂の言葉に、アテナはもう一人の神殺しへと視線を向けた。

 

 太陽の神力でわずかに回復した榊はかろうじて立ち上がり、弓を構え太陽の神力を込めた矢を引き絞る。

 

 「大した障壁だが、こいつの前じゃ無力さ」

 

 余裕が無いため、出力を最大にして矢を放つ。平常時ならばいざ知らず、『白馬』を防ぎながらこの矢をかわすことなどできない。

 

 闇夜を駆け抜ける流星となった矢は、あやまたずアテナの胸を貫いた。

 

 「おのれ、魔王の忌み名に恥じぬ男共め!」

 

 矢の一撃を受けて崩おれたアテナは、そのまま白き焔に呑み込まれていった。

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