とある春の昼下がり。
いまだ燦々と輝く太陽の光に照らされた人間界は平和そのもの。子供達は元気に駆け回り、大人達は仕事に精を出し、年寄り達は若者達を優しく見守って微笑んでいるような何気ない日。
「やだぁぁぁぁ!」
大きな、とても大きな子供の叫びが木霊する。
しかし、補足しよう。
ここでいう子供とは肉体的な年齢の話ではない。精神年齢の話であるという点を。
「アルス様っ、どうしたんですか急にそんな子供みたいに!?」
「やぁぁぁぁだぁぁぁぁ!ロニエが俺に向かって"様"って付けたぁぁぁぁ〜〜〜っ!!」
黒に限りなく近い藍色のローブを見に纏った青年が腰に刺した剣と手に握った長杖を床にぶつけながら駄々を捏ねる。
その有り様は幼児のそれ。
否、それは幼児に失礼か。
ひとまずそこにあるのは何処までもだらしがなく、自分の思い通りにいかないことに対して駄々を捏ねる駄目な大人の鏡のような青年の姿だ。
彼の名をアルス。
周りの整合騎士たちからの呆れの視線を独り占めする公理教会の最高司祭であり、現在進行形で頭を抱え、羞恥に顔を赤らめている少女、ロニエ・アラベルの主人である。
「司祭殿、夫婦漫才はほどほどにして頂きたい。ひとまずは指示を」
「夫婦————っ!!?」
「ん?あぁ、そうだな。とりあえずまだ貴族反乱の余韻は後を引いているというのが現状だろ。レンリ君、その辺はどうなってる?」
「はい、いまだ元辺境伯を中心に怪しい連中が燻っています。市街でも一部武具の流通が多くなっているようで」
「なるほど、地位を失った上位貴族連中が過去に統治していた辺境の元下級貴族に当時に色々と便宜を図ってやっただろう?みたいな感じで脅迫してるってところか」
「ええ。調べたところによるとそれで間違いありません」
「なら、その元辺境伯とパイプを持っていた元下級貴族たちを中心に聴き込みで情報を集めてくれ。そうだな、新人教育がてら2チーム作ろう。レンリ君、ユージオ。頼めるか?」
「分かりました」
「うん、了解。で、新人ってなるとティーゼ、ロニエ、フレニーカだよね?誰を連れて行けばいいんだ?」
「レンリ君は市街で武器の流通ルートの調査。素材の仕入れ先から販売先まで。何処かで裏から手を回してる貴族がいる可能性が高い。こっちはフレニーカを連れて行け。住み慣れた街だ、彼女の土地勘を頼ろう。やってくれるか?レンリ君、フレニーカ」
「はっ!」
「はい、承りました!」
「アルス、僕は?」
「お前は元貴族への聴き込みだ。ティーゼを同行させろ。貴族出身の彼女なら少なからず貴族の家柄や階級事情に精通しているだろう?メインは下級貴族たちだ。更に絞ると上位貴族から熱い出資を受けていた家の周辺事情を調べて欲しい」
「わ、私は大丈夫ですっ!精一杯やらせて頂きます!」
「出資を受けてた家なら昔の恩を盾に脅されてる可能性が高いってことだね?任せて」
「頼んだ。それから出来ればあまり騒ぎは起こさないように頼む。まだ大きな戦争と反乱が終わったばかりだからな。不安な住人が多いだろう。万一の為に一応神器の携行はしつつも目立つから騎士甲冑は避けてくれ」
「了解っ!」
「はいっ!」
それぞれアルスから指示を受けたチームのリーダーが返事をする。彼はそれに頷くと円卓の上に置かれた書類に目を通す。
ケロリと何事もなかったかのように起き上がり、真面目な指示を出すその様子を見てロニエは僅かに呆れると同時にホッと胸を撫で下ろした。
常にこの真面目モードである必要はないが、周りに騎士や修道士達がいる間くらいは外面の心配をして欲しい。
そんな少女の心配をよそに件の男は次々に騎士達へと指示を飛ばし続けていた。
「これは……。キリト、ダークテリトリー側の意見はどうなってる?こちら側の住人とあちら側の住人の混合村の建設の件だ」
「心配ないぜ?一応こっち側の一期生は大体目星がついたし、向こう側もレクスが人材を選定してくれてる。今のところは表立った意見は無い。むしろ反乱とか起きた央都よりも平和じゃないか?」
「まっ、それもそうか。そもそもシェータとイスカーンが居るし何が起こる余地もない。いや、ほんと夫婦様様というか、イウムと亜人の架け橋だな、あの2人」
「だな、でもその架け橋に近々レクスも加わることになりそうだぜ?」
「あぁ、らしいな。近々近況報告がてらからかって来るとしよう」
「キリトくん、アルスくん?話が逸れてるわよ」
「おっと悪い。それじゃあ次は————」
ふざけた一面もある彼の横顔を少女はこれまで何度も盗み見ていた。学生の頃から大戦、貴族の反乱時、そして現在に至るまで。
傍付きをしていた頃は全く想像していなかった。彼の秘書となり、右腕として雲の上の存在でしかなかった整合騎士たちの傍に立つことになろうとはこれっぽっちも。
だから、今の生活は彼女……ロニエにとってはある種の夢の様なものであった。
ノーランガルス修剣学院に入学する僅か数日前から始まった激動の日々。それはロニエからするとアルスを中心に起こっていたとも言える。
アルスと出会い、傍付きとなり、義勇兵として大戦に参加して、貴族反乱の際にも戦場に出向き、整合騎士兼最高司祭秘書になるまで本当にあっという間だった。
そんなあっという間に感じた日々も月日を数えると数年の歳月になる。その間、彼女の周りでは様々なことが起こったし、色々な心情の変化もあった。
だが、ただ一つ変わらないものがあった。
「うーむ……、やっぱりこの辺の話は人界側だけで進めるわけにはいかないよな。キリト、アスナ、ファナティオ。悪いが近日中にダークテリトリー側と会談を設けるから暫くは予定を空けていてくれるか?」
それは、今も変わらずに彼の背中をひたすらに無我夢中になって追いかけていること。
初めはただ、通りすがりに助けてくれた強い人への憧れだった。
その気持ちは徐々に大きくなる。
アルスの傍付きになり、秘書に任命され、徐々に彼の人となりを知った。勇ましいところ、情けないところ、優しいところ、適当なところ、優柔不断なところ、ここぞというときは助けてくれるところ、そしてほんの少し嫌いなところ。
初めは単なる憧れから始まった気持ちは月日を重ねる中で理解へと姿を変えた。羨望から始まった想いは恋になり、愛へと変わりつつある。
単純なきっかけから始まった憧れは時を開かずに恋になり、そんな彼女の想いは彼を知るうちに本当に大きくなった。
情けないところもあるし、いまいち頼り甲斐がない場面もある。結構打たれ弱いし、変に子供っぽい所も多い。
「よし、今日のところはここまで」
アルスの一言で円卓についていた各面々が各々に席を立ち、ある者は任務へ、ある者は休暇に戻る。
そんな彼らとは違い、1人席に残り資料と睨めっこを続けていたアルス。そんな彼に声をかけようと近づいていったキリトが今、アスナに静止され、首根っこを掴まれながらずるずると引き摺られて退室していった。
この場に残ったのはロニエとアルスの2人だけ。
去り際にアスナから"後のことはお願いね"と目配せされたのを見逃さなかったロニエは彼の斜め向かいの席に腰掛け、その様子を見守った。
ふざけた態度を取ったり、適当な印象を残す様な行動も確かに多いがこうして会議の後は資料を読み耽り、頭の中に今回の議題と挙げられた問題点などを頭の中に叩き込んでいる。
そんなアルスの横顔を眺めながら自身も資料の気になった箇所を何度も読み返し腹落ちさせ、議事録をまとめるのはロニエの最近の日課だ。
「…………ん?」
(あっ、鼻の頭掻いてる。ちょっと納得できないところがあるんだ)
「ロニエ、ちょっと議事録見せてくれ」
「はい」
言われて会議中に残していた議事録を渡し、また書類と睨めっこを始めたアルスを少し手持ち無沙汰になりながら見つめる。
相変わらずの黒い藍色の髪と瞳。中性的な顔立ちは身形を整えれば女性と名乗っても気付かれないだろう。そんなことを思いながら彼の横顔を見つめるのも何度目か。
稀に幼児化することもあるが、それを除けば出会った当初よりも落ち着いた性格になっただろう。その中性的な顔が浮かべていた無邪気な子供の様な笑みは自然と身を潜める様になった。
代わりに現れたのはこの新たな司祭としてダークテリトリーと人界の共存を模索するこの世界の指導者としての一面。
数年前に見せたロニエへ剣の指導や神聖術の研究をしているときの楽しげな顔を彼女は久しく見ていない。
「……ロニエ、ここのデュソルバートの提案なんだけど実は似たような内容でレクスから俺に話が来てるんだ。少し拗れそうな案件でな、あとで話を詰めたいから分かりやすい様にこの部分を目立つ様に表記してくれるか?」
「ここですね、わかりました」
頷きつつ、指示された通りに纏めるロニエ。
手早く修正を済ませて再度アルスに議事録を手渡して今度は少し俯いた。
アルスが多忙になってから彼と彼女の関係に進捗は見られない。様々な出来事を経て以前以上の信頼関係を築けているという実感はあった。でも、関係は進んでいないのだ。
最高司祭秘書という肩書きではあるが、やっていることは傍付き時代と大差ない。休日になると偶に一緒に出かけるというところまで変わっていない。ロニエはそれがほんの少し不満だった。
「うん、大体こんなもんだろう」
書類の束を揃えて机から立ち上がる彼に倣う。
そのまま部屋を出ようとする彼の後ろ姿。その背中に小さな埃がちらほらと見受けられる。恐らく駄々を捏ねた時に付いたのだろう。
「アルスさ——————」
「やぁぁぁぁだぁぁぁぁ!」
全て言い合える前に再び駄々を捏ね始めた。
見慣れた光景ではあるのだが、いい加減に慣れて欲しい。それはロニエとしても先輩と呼びたい気持ちはある。だが、もはや立場というものに大きな差ができてしまった今、昔と同じ様に接するというわけにもいかないのだ。
「……チラ」
ほんの一瞬だけ停止して、こちらの様子を伺っていたのをロニエは見逃さなかった。
「アルスさ————」
「やぁぁぁ————」
「ま」
「だぁぁぁぁぁぁ──ー!」
漫才のようなやり取りにロニエは苦笑し、駄々の合間を縫ってはチラチラと何かを期待する様な眼差しを飛ばしてくるアルスに呼びかけた。
「先輩」
「ん、なんだね?」
先輩と呼んでからの動きは速かった。
目にも止まらぬ速度で立ち上がり、乱れた服装を正し、何処か凛々しい表情でキリりと笑む。だが、その服装に無数の埃を付けていてはカッコもつかないもので。
「ほら、埃付いてますよ?もう……。教会の司祭様なんですから身嗜みは気をつけて下さい。先輩がだらしのない格好してると世間からの印象に大きく響くんですからね」
小言をこぼしながらアルスのローブに付いた埃を取る。アルスはそんなロニエの小言に唇を尖らせながらそっぽ向いた。
「わぁってるけどさ、やっぱり堅苦しいのは苦手だ。そりゃ整合騎士どころか修道士まで束ねなきゃいけない訳だから外面も気にしなきゃいけないし、これまで通りにいかないことも多いって理解してるけどさぁ」
ため息を吐いて何処かつまらなそうに、億劫そうに呟いた。
「やっぱ、なんとなく寂しいわ」
……分かっている。
そんなこと、分かっていた。
正式に最高司祭となってからのアルスはロニエから見ると明らかに外面を気にして周囲から求められる振る舞いを見せる目に見えない仮面を被っていた。
かつては楽しげに神聖術の研究を行い、剣を振り、跳ね鹿亭の蜂蜜パイを頬張って笑っていた悪戯好きの青年だったのに。
今ではその顔よりも公理教会の最高司祭としての顔をしていることの方が多い。
それは彼のストレスになっているのだろう。
ロニエが"様"と付けるたびに幼児化するのは彼なりのガス抜きなのだろう。
アスナが会議の度にアルスとロニエを2人きりにするのは少しでもリラックスできる相手と一緒に居させることで司祭としての仮面を剥がす為だった。
少し、ロニエの顔が暗くなったのを察したのかアルスは表情を取り繕うとそのまま部屋を出ようとする。
そんな彼の手を咄嗟に掴んだ。
「ロニエ……?」
「あっ……えっと……」
咄嗟のことだったからロニエは何を言えばいいのか分からず思わず口をパクパクとさせて2度顔を上げては俯いてを繰り返したあと、苦し紛れに顔を上げて捲し立てた。
「こ、今度の安息日!先輩はなにかご予定ありますか!?私が把握してる限り無かったと思うんですが!!?」
「お、おう、なんの予定もない真っ白な休日だが」
「でしたらその日、一緒にお出掛けしましょう!?えっと、ほらっ!近々ユージオ先輩とティーゼが結婚するじゃないですか!?私、まだご祝儀準備できてないんです!ティーゼとは腐れ縁ですし、ユージオ先輩にはお世話になってますから!お願いします!」
「分かった、分かったから落ち着けロニエ!?」
身を乗り出す様に捲し立てたロニエとアルスの距離が殆どゼロになり、顔を赤らめたアルスが慌てながら距離を取る。
アルスの反応にはっとなったロニエも同じように顔を赤らめたが彼とは逆に取られてしまった距離を更に詰める。
「と、とにかく!約束しましたからね!?破ったらアスナ様と騎士団長の前で泣いちゃいますからね!?ついでにキリト先輩とユージオ先輩から先輩の有る事無い事根掘り葉掘り書き出しちゃいますから!?あとアズリカ先生に愚痴っちゃいますよ!?」
「本当強かになったなお前!?全部えげつねぇよ!やめてくれその攻撃は俺にすっごい効くから!わ、分かりましたっ!?分かりましたから!?」
言質をとったロニエはそこでようやく落ち着き、アルスの手は離さないままで部屋を出る。
「今日の予定はあと簡単な書類仕事だけでしたね、追加の分がないか確認してきますから……」
「う、うん、分かった……」
なんとなく気まずい雰囲気が出ている2人。その前に二つの人影が現れた。
「あえっと、今大丈夫か?」
「キリト、ティーゼ?どうした?」
「俺はアルスと詰めておきたい話があったから待ってた」
「私は任務で貴族の情報収集を任されましたので取り敢えずロニエ……というか、アラベル家と繋がりのあった貴族について教えてもらおうかと思ってたんですけど……」
2人の視線がロニエとアルスの繋がれた手に落ちる。
「もしかして、改めた方がいいか?」
「い、いやっ、問題ない!」
「あっ……」
慌てたようにロニエの手から逃れたアルスは照れ隠しするように妙に高いテンションでキリトの元へと歩いていく。
思わず切なげな声を漏らしたロニエ。それに気付かないアルスはそそくさとキリトの隣に並び立つと急かすように歩き出してしまう。申し訳なさそうな顔をしたキリトに向かって首を振ると歩き出した2人をティーゼと共に見送る。
「ロニエ……、その、先輩大丈夫そう?」
「今のところは、ね……。会議中の真面目な顔も他の修道士たちの前での凛とした態度も全部仮面ってわけじゃないけど、でも少し無理してる感じはするかな」
「だよね、ユージオ先輩も心配してたから」
「ごめん」
「なんでロニエが謝るのよ」
「秘書の私がもうちょっと上手く立ち回れれば先輩の負担も少しは減ると思うんだけど」
「そんな事ない……っていうのは少し違う気がするけど、気にしすぎじゃない?アルス先輩もロニエも頑張ってるわよ」
ティーゼの言葉に苦笑しつつ遠ざかるアルスとキリトの後ろ姿を見つめる。
「……そんな事より、聞こえてたわよ?今度の休み、先輩と出掛けるんでしょ?」
「あっ、ごめんなさい。だいぶ切羽詰まっててティーゼたちの婚姻を持ち出して使っちゃって」
「気にしないで。むしろ使えるものは使うべきよ。一緒に聞いてたキリト先輩もがっつぽーず?してたわ」
壁に耳を当てて盗み聞きしながら小さく拳を握り、よしっ!とかやってるキリトの姿が容易に想像できてロニエは小さく笑った。
「……それで?」
「え?」
「何はともあれアルス先輩と出掛けるんでしょ?」
「う、うん」
「何処に行くとか決めてるの?」
「……決めてないです。ほとんどやけになって誘ったみたいなものだから」
「……はぁ……。ロニエ、そのままだと今度のお出掛け間違いなく気不味い休日になるわよ。先輩は基本忙しいし、ロニエも似たり寄ったりでしょ?」
「わ、分かってるわよ」
「……はぁ……」
「溜め息吐きすぎよ」
「気にしないで、なんとなくユージオ先輩と交際したての頃を思い出しただけだから……。はぁ……。情報交換しましょう、貴女はアラベル家と繋がりのあった家族の情報、私は最近街で流行ってる店とか良い景色の場所について。どう?」
「うぅ……、是非お願いします……」
俯き面目なさそうに力無く言うロニエにティーゼは苦笑した。
その頃、ロニエたちの視界からはすっかりキリトとアルスの姿は消えていた。
後書き
はい、取り敢えず1話目を投下します。
舞台としてはUW大戦から数年後、貴族たちの反乱のちょっと後くらい。ロニエが秘書をしている経緯については次回、アルスがアリスの件をどう考えているかは暫く先に書く予定です。
今回、段落下げてみたり、一部フォントを変えたりしてますが、なんとなく多機能ファームの使い方を勉強してみたくなったので使ってみました。もしかすると今回の形式がデフォルトになるかも知れません。
では、次回もよろしくお願いします。