2006年11月下旬
御家(おいえ)の代表格が一堂に会す、集会の儀。
私は父と共に御家の代表として…そして、今日も父の飾りとして共に集会へと赴いた。
「大江山の土蜘蛛様…出雲の恩方朱天童子様の御身はどうだ…」
まず口を開いたのは王国でも実力のある葛城の巫女の代表だった。
それに続いて父が口を開き、恩方様の現状を報告する。
「呪を施し御家で最も力のある巫女に教育を一任しております、さぞや威厳ある土蜘蛛様へと成られる事でしょう」
「さよう、何れ恩方様の御魂戻られし刻…恩方様の御身が只の抜け殻であっては我らの恩方に対する示しがつかぬ」
「才ある燕糸の巫女といったか?所詮は子娘、復活の儀に失敗するとは燕糸も堕ちたものよ」
嫌な笑い声が御堂に響き、父は恥辱を浴びせられた責任を押し付けるかのように私を睨みつけた。
しかし直ぐに葛城の代表へと向き直り、
「なれば、それは葛城の御家も然りだろう
女王の復活に未だ貴重な時間を浪費するのみで、我等の悲願を遅らせている一番の原因となっているではないか」
「貴様、王国の細分家の分際でありながら!!」
「沈まれぇい!!!!」
父の言葉に多くの御家の代表が片膝を上げる、しかし葛城の代表の一喝によって立ちあがった巫女衆はしぶしぶと己が座へ戻った。
「…何にせよ、我らの力が戻り蜘蛛童が我らの力に呼応した事は事実。そして、それは偉大なる女王の恩恵にあらせられることは確か
そうであろう、無冠の算学者よ」
「…そうですとも、我らが教祖様も貴方達の偉大なる衆の発展を望んでおられる
土蜘蛛の女王が復活遊ばされた暁には、永遠の発展が約束されるでしょう」
葛城の代表の言葉と共に彼の影から立ちあがったのは、全身を黒い外套とコートで覆った真っ黒な20代の男だった。
巫女の衣装で白く埋まっている御堂の中では異様に目立っている筈なのに、私は彼の存在を全く認識できていなかった。
さらにおかしなことに、彼の衣装は巫女の物とは全く違う物で…それも鋏角衆の着る現代の洋装にも似た雰囲気でもあり、それよりもやはり真新しいものだったという印象を受けた。
その服装と存在感は周囲の巫女たちを動揺させるには十分すぎるものだった。
「紹介しよう、ウェルダ教…我等能力者そして来訪者を研究していたという魔術士の末裔
その幹部の一人である…」
「老師アグニ・ブランドエストックと申します、お見知りおきを」
葛城の代表の紹介と共に男…アグニは芝居がかった動作で礼をする。
その平然とした態度により一層動揺するように周囲の代表はザワザワと話し合いを始めていた。
「心配は無用、ウェルダ教は土蜘蛛の足元にも及ばぬ弱小組織
しかし知識は本物だ、現に蜘蛛童の発生個所の情報において多くがこの男の予測によるものだからな」
「土蜘蛛による王国の復活が成されれば、卑しき民を纏めるのは必然
我らが教祖様は貴方方への帰属を求められるでしょう」
アグニの媚びへつらうような仕草に、初めは彼を疑いの目で見ていた代表たちの表情も
優越感に浸る様に安心を浮かべて行く。
「この男の要望だが、燕糸の御家は暫くの間倉の図書をアグニに譲って頂きたい」
「…!?」
その提案に私は身を強張らせ、父も私を睨みつけた。
恩方様の現状をアグニに見られ、少しでもおかしな所を葛城に報告されたら
現実的な話ではないが仮に土蜘蛛の王国が復活したとして、燕糸家の地位は地に落ちたモノとなる。
それでは自分達が今まで何をしていたのか本当に意味が無くなってしまう。
しかしアグニはにこりと微笑んで告げた。
「いえ、図書を幾つかお借りするだけですよ…図書を少しお借りすれば私は本部に戻り報告をしなければなりません
そこで然るべき準備をした後に、必ずや恩情を返すべく戻りましょう」
ふぅ…と、私と父はため息をついた。
◆
「おぉ、これは凄い…」
「燕糸の御家は1200年前の大江山の時代から、代々倉の宝物と記録を保管し続けて来ましたさかい」
感嘆の声を漏らすアグニに、私は倉の書物庫を案内する。
師匠もそう言っていたが、初代の遺した魔術がこの世界の常識によって大分効果が弱まっているとはいえ作動していて
それ故に燕糸の倉は大分保存状態が良かったらしい。
「これならば周辺の魔術的な要因も幾つか調べる事ができそうですね、本当に有り難い…」
「いえ、御役に立てたなら光栄ですえ。でも、アグニさんは大人やのに私達巫女の大人みたいになってへんで、羨ましいです…」
アグニは私が思った以上に優しい人だった。
大人なのに巫女の大人にあった狂気は無く、師匠のように理知的で言っている事にも矛盾が無かった。
「私達は能力と言える能力ももたない一般人ですから
ウェルダ教も長い忘却期の中で能力を失った組織ですからね
能力者に仕える事こそ今後の世界をうまく生きていく近道だと思っていますから」
アグニは不可思議な青年だった。
大人達でも様子がおかしいくらいの年齢に達している筈なのにその言葉にはいつもの大人達の言う矛盾が微塵も感じられなかった。
しかし、逆にそういった矛盾が感じられなさすぎるのだ。
正確に塗り固めたパズルのピースのように当てはめられたアグニの言葉に私は不安を覚えていた。
「嘘…ですよね?」
私の言葉に、アグニは書物を取ろうとした手を止めた。
「私にも魔術の師匠がおります、そのお方も狂っていませんでしたが、能力はありました…教えてください!どうして能力を持った人間が狂うのかを…!!アグニさんも、能力者なんやろ!?」
「貴女は本当に、良い師と類稀な才をお持ちのようだ…しかし、今はまだ明かすべきでない事も多いでしょう
貴方もそこまで解っているのならば解る筈ですよ、王国を作らんといしている土蜘蛛の信望者と現代の能力者達の実在を知っているならば尚の事」
アグニは私に振り返り、笑顔で告げた。
「このままだと土蜘蛛の組織は、何れほかの能力者組織に潰されますよ?」
どこまでも無慈悲に嗤いながら、諭すように算学士は本性を見せた。
「やっぱり、そう見越したうえで接触してきとったんやね」
「敏い子ですね…いいや、こういうのは不敬でしたか。」
身構える、しかしこの状況はあまりにも危険だった。
目的がどうであれ、アグニは葛城本家と関わりを持っている。
そんな人物がここで争いを起こしたともなれば真っ先に事の責任が及ぶのは燕糸家だ。
かと言って、私に本意の一部を明かした以上この男が私を逃がす確率はあまりにも低い。
「……そう身構えないでください、私はあなたに何をするつもりもありませんよ」
アグニはそう言うとわざとらしく何もする気がないことを明かすように両手を翻して見せた。
「あなたは余りに強く賢い。
それこそこの組織の燕糸の巫女でさえなければと悔やみきれないほどでしょう。
ですがそれまで、あなたは余りにも非力だ。
それこそ組織を牛耳る無能共に言葉が届かないほどに。
あぁ、天は二物を与えずとはこの事か…燕糸八重架、一つ提案をいたしましょう
私達につく気はありませんか?」
アグニが手を差し伸べてそう言った時、心臓が強く脈打った事が自覚できた。
土蜘蛛衆からの脱却、狂った本家や父の下からの脱出…
しかし、それは終わりゆく土蜘蛛衆に恩方様を置いて見捨てることに他ならない選択だった。
苦しみと重圧からの解放か、押し付けられたあまりに愛しい『元凶』の命か…
どちらを選んでも、どちらかを失う…ならば私の選択は一つだった。
「お断りしますえ」
私はアグニの手を振り払った、ただ断るのではなく燕糸八重架の拒絶として。
魅力的な誘いではあった、私の存在さえいなくなれば父もまた狂気こそ無くならないだろうけれど
少なくとも『彼の娘』は解放されるのではないかという希望もあったからだ。
しかし、それよりも私は既に大切な友達が此処に居る。見捨てるわけにもいかない何も知らない子供がいる。
燕糸の巫女としての責任ではなく、燕糸八重架としてあの子を捨てることはそれこそ私自身を失うことに他ならない。
私はその時になってやっと、何よりあの子に幸せになってほしいんだと気づけたんだと思う。
「…仕方ありませんね、勿体ないとは思いますが…それも人の身で決めた道ならば仕方ない」
アグニはやれやれと呟きながら、蔵の最奥の棚…その裏の壁に記された埃かぶった蜘蛛の紋を撫でて目を細めた。
「では、とても参考になりました。僕はこれで失礼するとしましょう…」
アグニは書物を何冊か抱えて蔵の途へと戻ろうと歩を進める。
そして蔵の戸を開けると振り返って言った。
「さようなら、燕糸八重架」
「さようなら、アグニさん」
決別の意を込め、私もそれに応じた。
アグニさんが出て行った後、とんと背中に何かが寄りかかってきた。
本棚の陰から出てきた恩方様が、私に背中から抱きついてきたのだ。
「…八重架、妾は……」
恩方様は聞いていた…否、アグニはわざと恩方様に聞こえるよう言っていたのだ。
ええ趣味しとる…そう思いながら、私は後ろ手に恩方様の頭を撫でてやった。
「気にする頃は何もありませんえ、そんな事にはさせへんから…もしなったとしても」
私は恩方様を…寂しさばかりに震える恩方様を
「恩方様は、私が守って差し上げますさかい」
守り抜くと決めたのだった。
◆
しかし…時は確実に現実をむしばんでいた。
これは、アグニとの決別から数日たってのことだった…。
私は死霊を狩り、残留思念を蜘蛛童に食わせた巫女の仲間と燕糸家へ凱旋していた。
「八重架様…!!」
御家に着くや否や、八つ目が大慌てで蔵の前に駆け寄ってきた。
その顔は青く、尋常ならざる事態の到来を容易に知らせていた。
「何があったん、八ツ目?」
八つ目は心底申し訳なさそうに頭を下げて、続けた。
「葛城本家、及び分家勢力全体が…残留思念では足りないと、気づいたようです…」
「足りひんって、土蜘蛛様への成長にって?…そんな事どうしようも」
「あるのです」
私の言葉をさえぎって、八つ目は重く鉛となったかのように拳を地に突き
在任が自らの罪状を口から絞り出すかのように重々しく言った。
「蜘蛛童が、栄養を残留思念から食らい足りないというのであれば…我々の組織が未成熟であるのならば、成さねばならぬ方法が…」
やめて、そんな事言ったら…そんな事実行してしまったら…もう、戻れなくなる…
そう、本能が悲鳴を上げていた。
「人間を…蜘蛛童が人間を食らえば、より確実に土蜘蛛へと進化します」
◆
蔵の中で、師匠は天井に手を伸ばし、ダイアルを回すように手を回した。
「まるで歯車のように、歴史を動かすには動力が要る」
そして、忌々しげに眼を細めた。
「その動力はいつだって、人の死ね…」