異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第03話 ブラックゴッド、ホワイトデビル

 

 

『さぁ、中へどうぞ』

 

 盲目の女は、それを感じさせぬ自然な歩みで、私達を奥へと誘った。

 誘われた以上は、それを受けるのが礼儀というものだろう。

 私が先に一歩踏み出せば、自然とアラマが私のあとに続いた。

 

『私、ここに来るのが楽しみだったのですよ。「文字の館」と言えば、当代並ぶもの無しと噂の大図書館ですから』

 

 一応は場所柄に気を使ったのか、エクスクラメーションマークのつかない程度の声量でアラマは私にそう言った。

 短い廊下を抜ければ、果たして彼女の語る評判に違わぬ光景が広がっていた。

 

「……ヘェ」

『うはあ!』

 

 前に一度だけ大聖堂というやつをお目にかかったことがある。

 ニューオーリンズでの仕事を請け負った時、別に信心深いほうでも無いくせに、物見遊山気分でセントルイス大聖堂を覗いたのである。ミシシッピ川の末の末、湿地ばかりのこんな場所の大聖堂たぁどんなもんだと小馬鹿にして見に行ったものだが、いざ中に入ってみれば中々に凄い作りで感心させられたものだった。

 

 あの時見た大伽藍を思わせる、天突ばかりに高く丸い天井が私達を見下ろしている。

 

 丸天井の下には四角形の大広間となっていているが、横壁には窓一つないのに決して暗くはない。

 ドーム状の天井には幾つかの明り取りの窓が設けられて、そこからは陽光が線となって注いでいるからだ。

 円蓋の表面は深い青で塗りつぶされた上に、無数の星に、太陽と月が描かれている。

 一面緑色に染められている側面の壁はと言えば、その上に夥しい白い線の文様が踊っていた。

 よく見るとそれは文様ではなく文字だった。蛇がのたくったような文字が、絡み合う蔦のように壁面に踊っているのだ。それらは私には全く読めないが、しかし模様として見ても未知なる文字列は充分に美しかった。

 

『奥へどうぞ』

 

 フラーヤが、神秘的な感激に動きが止まってしまった私や、同様に固まっていたアラマへと先に進むよう促した。

 正気に戻って私は、先に進むフラーヤのあとを追う。

 広間の中はまるで本棚の林で、幾何学的に並べられたそれらはどれも丈が高く、最上段には私が手を伸ばしても届かないほどだった。収められているのは、私には見慣れた冊子状の本ではなくて、木の棒を軸にした巻物や石版で、それらを整理するためかローブ姿の男達がせわしなく本棚から本棚へと歩き回っている。

 そしてどういう絡繰かは解らないが、盲目の筈の彼女は、まるで見えているかのように本の海の中をスイスイと進んでいく。

 追いかける私たちはと言えば、すれ違うローブ姿の男達を避けたりなんだりしているうちにどんどん遅れているというのに、フラーヤの歩みは淀みが全くないのだ。

 釈然としない思いのまま、私は無理して追いかけるのを諦めた。

 彼女が広間の真ん中に進んでいることは見当がついたからであるし――。

 

『「秘めたる剣の六つの鞘」じゃないですか! まさか東方兵法の奥義書にであえるなんて!』

『これは「ヤスナの書」! マズダの神の聖典がかくも完璧な形で残っているとは! 』

『「遡行戦記」! 双角王も読んだと言われる伝説の一万人の撤退! 』

『え、「エンメルカル紀」!? こんなに古いものが……私は名前を伝え聞いたことしかない書ですよ!』

『かかかかかかか「影の王国への九つの扉」ぁぁぁっ!? せせせ世界に3つしか無いというででで伝説がわたたたたたしのめめめめのまままま――』

 

 こんな調子で本棚の中に珍しい本を見つけるたびに驚いたり喜んだり泡吹いたりしているアラマの、襟首を掴んで歩かせるのに手間がかかったからであった。

 

 

 

 

 

 ようやく大広間の真ん中にたどり着いた頃には、フラーヤは既に準備万端といった調子で待ち構えていた。

 

『さぁ、お座りください』

 

 勧められるまま、大広間の真ん中にでんと置かれた円卓の一角に、私は座った。

 アラマも私の横にちょこんと座る。

 卓上には歓迎のつもりか、酒の香りが漂う土器の水差しが置かれていたが、私は手をつけなかった。

 私が人前で酒を飲むのは、絶対な安全が確保されている時だけで、そういう状況は中々なかった。

 しかしアラマはと言えばそんな私の都合など知ったことはないので、普通にグビグビ酒を呷っていた。

 

『お酒がお気に召さぬようならば、ホルマーの実はいかがですか? よく熟していますのでお口にもあうかと』

 

 どうやって私の様子を察したかは解らないが、フラーヤがそう言えば、ガラスの椀に何やら果実を干したらしいものを載せて、ローブ姿の男が私の前に出してきた。

 アラマの前にも同様に出せば、酒のツマミとばかりにもぐもぐ遠慮なく食べ始める。

 声に出して勧められた以上、断るのは無礼に当たる上に、のんきにもぐもぐ食っているアラマの姿を見ると、なんだか余り警戒するのもアホくさくなって、私はホルマーなる果実を口に投げ込んだ。

 見た目から干しぶどうのようなものを想像していたが、それよりももっと食感が粘質で、甘みもずっと強い。

 だが、不味くはない。むしろ、旅の疲れが残る体には、この甘味が染み渡るように旨いのだ。

 私は酒が飲めない腹いせもこめてことさらバクバクと食らった。傍らのアラマの食いっぷりに影響された訳では無論無い。

 そんな私たちの姿を、フラーヤは例の濁った双眸で、見えぬはずなのに見つめているばかりである。

 

 

 

 

 

『……貴方がたがここに至ることは、この書に記された神託より既に知っていました』

 

 私達がひとしきり飲み食いを終えて、落ち着くのをわざわざ待ってからフラーヤは話し始めた。

 これには私も緩んでいた気を引き締めなおして、椅子にもまっすぐに座り直す。

 前の場合、つまりエゼルの村の時は、私の“役割”を「占い婆さん」が知らせる役を担っていた。

 今回はおそらく、このフラーヤがその役割を担っているのだろう。

 二回目のことだけに、私は特に戸惑いもなくそう辺りをつけていた。

 

『エーラーンのシビュラがク=バウより授かって曰く……』

 

 フラーヤの手元には、一枚の石板が置かれていた。

 そこに刻まれている、何やら楔のような鏃のような妙な形の文字らしき列を彼女は指先でなぞり、その意味する所を唱え始めた。

 

『陽が白羊に入りてのち、太陽が十一回昇りて、砂の原、青き都、大ガラスの導きによりてまれびとぞ来たらん。全ては、蘇る死者と対せんがためなり』

「……蘇る死者?」

 

 何やら聞き慣れぬ単語の連続で意味はさっぱり解らなかったが、そこだけは私にも理解できた。

 蘇る死者……夜な夜な蘇って生者の血を啜る屍のお伽噺は聞いた記憶があるが、よもや今度の相手は亡者というんじゃあるまいな。勘弁してほしい。屍人に復讐されるとしたら、いったい私などは何人相手にせねばならぬことやら。

 

『エーラーンのシビュラの書は、神より授かった言葉で書かれております故、定命たる人の身ではその全てを理解することは難しい……ですが、私にも貴方がたが来ることを意味していることだけは読み解くことができました。おおあガラスのアラマ、真実の神の導きに従い、よくぞ聖なる務めを果たしましたね』

 

 アラマは感激した様子で立ち上がると、腕を交差させながら胸元に両拳を当ててみせた。

 恐らくは彼女たちの間での、十字を切るとか敬礼をするとか、そういう類の仕草なのだろう。

 

『お褒めに預かり、恐悦至極です太陽の使い! 不敗の太陽の御心に従い、一層務めには精進したいと考えています!』

 

 元気いっぱいのアラマの様子に、フラーヤは上品に微笑みを返した。

 

『あなたの仕事については、偉大なる父の父にもお伝え申しておきましょう。必ずや良いお沙汰があるでしょう』

 

 同じような赤い先折れトンガリ帽子を被り、同じ意匠のマントを纏っていることから、彼女たちが同じ組織に属していることは私にも察しがついていた。大ガラスだの太陽の使いだのは、その組織の中での階級を表していて、そして父の父とやらが、組織のなかでの最重要人物というわけだ。

 アラマの口から出てきた言葉を察するに、ミスラ、という神を彼女らは信仰しているらしい。

 要するに、教会の類ということなのだろう――。

 

『さて、まれびと様……』

 

 そんな思考の海に沈められていた私の意識は、フラーヤの呼び声で現実に引き戻された。

 どこ見てない濁った瞳が真っ向、私の瞳を見つめていた。

 

『古来より、「むこうがわ」からの異邦人は、決まって何か、あるいは誰かと戦うために呼ばれ、この地へと舞い降ります。その何かはいまだわかりませぬが、貴方が還るためにはそれを斃す必要があります』

 

 私は彼女の言葉に頷いた。そのことについては、前に一度経験してよぉく知っている。

 

『しかるに、その正体が解るまで、この館に留まってはいかがでしょうか? この「文字の館」は知識の宝庫……必ずやまれびと様のお役に立つと想いますが』

 

 彼女の申し出に私は少し考えた。

 なるほど、右も左も解らないこの街で、多少なりとも事情を通じた連中と共に動ける利点は大きいだろう。

 しかし、私の答えは。

 

「そいつは遠慮しておこう」

 

 であったのだが。

 

 

 

 

 

『どうして太陽の使いフラーヤ様のお誘いを断ったのですかまれびと殿! フラーヤ様は私と同じ不敗の太陽、ミスラの神の徒です。この街において他に信のおける人など、いるはずもありません!』

 

 雑踏をかき分け進む私に、その雑踏に負けない声でアラマは抗議した。

 私は最初、まくし立てながら付いて来る彼女を無視していたのだが、流石に辛抱できずに振り返った。

 

「あのな。俺かりゃすりゃこの街に信じられる手合なんざ独りもいやしないんだよ。彼女がどんだけお偉い人かは知らんが、それこそ俺には知ったこっちゃない」

『んな!』

 

 失敬千万とばかりに、アラマは頬を膨らませた。

 

『ミスラの徒にあって、太陽の使いを任ぜられることがどういうことか、まれびと殿はまるでご存じない! 大ガラスたる私が言うのもおこがましいが、まずは蜂蜜を――』

 

 まくしたてまくる彼女の口を、掌で軽く塞いで黙らせる。

 ため息をひとつついて、私はこの猛烈娘に、私なりの理というやつを問いてみせた。

 

「俺は一匹狼だ。できるならベッドに入る時は寝込みの心配をしないで寝たいんだ。そこを考えるに、あそこは人が多すぎた。フラーヤが仮に信がおける相手だとして、他の連中までそうとは限らんだろう」

『……そうは言ってもまれびと殿は、私に背中を預けて野で共に夜を過ごしたではありませんか!』

「そりゃ他にせん方なかったからだ。こうして街に着いた以上、道案内も別になくていい。不満なら、お前さんはあの館に帰るがいいさ」

 

 この私の言葉に、アラマはさらに心外千万と一層頬を膨らませた。

 

『私は大ガラス、まれびと殿導き手です! こうしてめぐり合わせられたのもミスラのご采配! 地の果て、海尽きるまでお供させていただきますよ!』

「……そうかい」

 

 私は前に向き直って、サンダラーを手綱でひきながら歩みを再開した。

 アラマはプンスカ頭から蒸気機関車みたいに湯気を立てながら付いて来る。

 まぁ、この娘に限って言えば裏表まるで無いのはここまで道行きで良くわかっている

 案内人が独りもいないのも色々と面倒だ。彼女ならば、別に付いてきても害はないだろう。

 そんなことを、私は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』

 

 まれびとが去ったあと、フラーヤは独り、「文字の館」の隠された一室の中にいた。

 見えぬはずの両目で彼女が見つめるのは、壁に刻まれた神像のレリーフである。

 牡牛の首を刃で掻っ切り、流れる血潮で大地に恵みをもたらす、赤い先折れのとんがり帽子に、マントを纏った雄々しき戦神と、その姿の傍らに獅子頭人身、体躯に巻き付く蛇に一対の翼、携えられた錫杖という異形神の姿が、見事な彫刻で描かれていた。

 彼女の濁った瞳が注がれるのは、いったいどちらの神であるのか、視線が読めず窺い知る術はない。

 

『……彼らを追いなさい』

『大ガラスのアラマに任せればよかろうに』

 

 フラーヤが背後の闇に呼びかければ、まるで亡霊のように現れた人影が一つ。

 庇の大きな黒帽子の下には、黒い肌をした相貌がひとつ、闇の中に白目と黒目がはっきりと色分けされた双眸がふたつ備わっている。

 メキシコや南米でインディオ達が着るような、ポンチョめいた外套に身を包み、その下に何を隠しているかは全く解らない。確かなのは、酷く剣呑とした気配を背負った男だということだ。

 

『彼女は所詮、西から来た人間です。信用はできません』

『御意に』

 

 フラーヤの意を受けた男は、現れたときと同じ唐突さで闇の中へと消えた。

 部屋には、フラーヤだけが残された。

 そして相変わらず、彼女の濁った瞳が注がれるのは、2つのうちどちらの神であるのか、窺い知る術はなかった。

 

 

 


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