異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第09話 セメタリー・ウィズアウト・クロッシズ

 

 

 さんさんと降り注ぐ陽光に、私は帽子を脱いで扇子のようにして扇いだ。

 今しがた私が背を預けている日干しレンガの壁もその高さが極めて中途半端で、太陽が私達の肌を焦がすのを防ぐ影すら作ってはくれない。砂の地面に腰を下ろしてみた所で、辛うじて身を隠せる程度の高さしかないのだ。

 私の知る限り、いつも余裕の微笑みを口の端に浮べているイーディスですら、恨めしげに太陽を睨みつけている。平気な顔をしているのはアラマだけだ。流石はなんたらの太陽とかいう神様を信じているだけはあって、灼熱に照らされるのもへっちゃららしかった。いやむしろ普段以上に元気かもしれない。

 

『来ました。やはり追ってきていますね』

 

 アラマが煉瓦壁の欠けた所からその様子を偵察し、言った。

 私は帽子を被り直して、肩に負っていたライフルを胸元へと下ろす。

 銃尾(ブリーチ)に備わった出っ張りに指をかけ引っ張れば、鋼の蓋がくるりとおりて給弾口が露わになる。

 ダスターコートのポケットから50口径弾を一発取り出すと、ポッカリと開いた穴へと放り込んで銃尾を閉じた。これで発射準備は完了した。後は引き金を弾くだけで良い。

 私は壁の所々に空いた穴のひとつからその向こうを窺い見た。

 弾を込めている間に隠れでもしたのか、敵影は見えない。私は銃眼に最適な隙間へと静かに動き、レミントン・ローリングブロックの長い銃身を突き出させた。スコープはつけていなかった。生の眼で、自分自身の瞳で標的を狙い、撃つのだ。

 

『……動いた。右斜め前方』

 

 私の背越しに見ていたイーディスの指示に従って、私も銃口と目線を動かせば、確かに盛り上がった砂の向こうに僅かだが茶色の背が見えた。しかし、まだ撃つには早い。もう少しばかり、そこから出てもらわないと困る。

 微かに南風が吹いて、砂埃が流れるように舞い上がった。

 それに合わせて相手が動くことを期待したが、そう都合良くはいかない。僅かに見える背は微動だにしない。

 ――スコープを使わないのにはちゃんと理由がある。

 今、私が狙っている標的は、否、標的どもは極めて素早い。狭い視界のなかでやつらを捉えるのは恐らく無理だろう。昔ながらの、裸眼で狙う他はないのだ。

 

「……」

 

 私は息を止めた。こうすれば銃身のぶれがなくなる。

 息を止めて、じっと待つ。相手から先に動くの、ただただ待つ。

 こういうのは狩りと同じで、相手との根比べなのだ。先に動いたほうが殺られる。

 

「……ふぅ」

 

 私は息を深く吸って吐いた。息を深く吸って吐くと同時に、銃口を動かした。

 トリッガーを弾けば、ズシンと反動が肩にぶつかり、白煙が銃口から吹き出す。

 遠くで、私の銃弾を受けてやつらの一匹が仰け反り斃れた。先に耐えきれなくなったのは、私と一匹の我慢比べを傍から見ていた別の一匹だった。プレイヤーよりも野次馬が先に焦れてしまうのは、カードでも狩りでも同じこと。胸板のうちの柔らかい部分を貫かれ、緑色の濁った血を撒き散らす。その異形の口からは、金属同士の擦れ合うような異音を吐き出し、両手――と思しきものを天に掲げながら地面へと転がる。

 

『来るぞ!』

『来ますよ!』

 

 イーディスとアラマが同時に叫んだ時には、私は再度ブリーチを開き、次弾を指の間に摘んでいた。

 私の放った銃声が合図にでもなったように、地に伏せ、砂と砂の窪みに隠れていた怪物たちが正体を現す。

 もしも蝗と人が交わって、間に子を成せばこんな見た目になるのだろうか。

 耳障りな金切り声をあげ、恐ろしい勢いで這うように砂地を駆けるのは、バッタのような顔に茶色の昆虫然とした硬い皮膚と人間のような五体を持った化物どもだった。

 『蝗人(マラス)』と、アラマとイーディスの二人はその名を呼んでいた。

 ヤツらは突如として私達を遅い、この廃墟にまで追い詰めていた。四方から迫る連中の正確な数は解らない。とにかく、たくさんだ!

 

「はっ!」

 

 私は掛け声とともに手近な一匹に狙いを定めると、ライフルをぶっ放す。

 レミントン・ローリングブロックは単発式だが、それだけに構造が堅牢で強力な弾丸を装填できる。蝗人の一匹の、その喉首の辺りを見事に食い破り、もんどりうって斃させる。

 だが連射力には欠ける。一匹斃す間に、別の一匹が間合いを狭める。

 私はライフルを一旦手放し、コルトに持ち替えようかと考えた。そして止めた。私の背後で、誰かが得物を構える気配を感じたから。

 ブンッ、と弦の鳴る音がして、頭上を素早く何かが通り過ぎた。迂闊にも鱗の薄い腹側を晒した一匹の蝗人の土手っ腹に、ドスリと太く短い矢が突き立つ。背後の射手は言った。

 

『……全く、ついてなど来るのではなかった』

 

 得物の弩(クロスボウ)に次の矢を番えているのは、エゼルのような長耳の、灰色髪の色男だった。

 今やチャカルの『二番手』の射手となった、動く的ならば100ヤード、動かぬ的ならば200ヤード先に当てて見せると豪語して、私に当て馬役をさせられた色男だった。

 私とアラマ、イーディスとそして色男の四人は、マラカンドの街から北数キロ離れた場所にある荒野の真ん中にいた。

 いや、ここは単なる荒野ではない。ここは丘だ。遠い昔、ズグダ人がマラカンドへと移る前に都としていた丘だ。

 『アフラジヤブの丘』という名のこの場所に、なぜ私達がやって来て、こうして化物共に囲まれているのか。

 まずはその訳を話さなくてはいけないだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『わたくし、アフラシヤブを訪ねたいと思いますが、まれびと殿はいかがされますか?』

 

 チャカルの兵営の食堂の片隅で、アラマと二人向かい合って昼飯をがっついていた時だった。

 木皿に盛られているのは、野菜や肉を煮込んだ汁で米を炊いた料理だった。独特の風味のあるそれを、まぁこういうのも悪くはないかなと、木の匙で掻き込んでいたさなか、同じようにしていたアラマがふと顔を上げて言ったのだ。……どうでも良いことだが、チャカルに属する私はともかく、極々自然に彼女も同じ飼い葉桶から麦を喰らっている訳だが良いのだろうか。まぁ、誰も文句をつけないところ、問題はないということなのだろうけども。

 

「あふら……何だって?」

『アフラシヤブです。そもそも私がこの街を訪ねたのは、アフラシヤブの丘を目指してのことだったのですよ』

 

 彼女は木匙で米を頬張りながら続けて語る。

 

『不敗の太陽、牡牛を屠るものミスラの名において、わたくしの使命は失われた聖典を探すことなのです』

 

 続けて彼女が語った中身を簡単にまとめると、彼女の生まれ育ったドゥラ・エウロポスなる遠方の地より、わざわざ千マイルの旅路を経てこのマラカンドまで彼女が至ったその理由は、『天路歴程(アノドス)』なる失われた経典を探し出すことであるらしい。その経典とやらが隠されている可能性が高いと言われているのが、マラカンドの北にある『アフラシヤブの丘』なんだそうだ。なぜその経典が必要かと言えば、なんでも彼女の崇め奉る神が信者に求めるのは、知識を掻き集め儀式の手法を学び、正しいやりかたで『天への梯子』を立てることであるから、だそうだ。

 

「――時に彼は夢をみた。一つの梯子が地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の遣いたちがそれを上り下りしているのを見た」

『え?』

「いや、なんでもない」

 

 アラマの言葉から、ふと思い出し、特に深い意味など無いが私は、ユダヤ人達が特に深く信心を寄せる方の聖書の一節を諳んじてみせた。天使と格闘を演じてみせた男の物語だった……と思う。

 私は別に信心深いという訳でもない。 神を信じないわけでもないが、教会に通ったり、説教に耳を傾ける程ではない。そもそも、まっとうに信心深い男が人殺し稼業などするものか――。

 私が聖書の中身を覚えているのは、それが父の数少ない遺品で、うっかり無くしてしまうまでは長旅の暇つぶしに良く読んでいたからだ。 聖書ぐらいは地力で読めないと、とは生前の父の口癖だった。 父も私同様学のない男だが、聖書だけは読むことが出来た。 読み書きができるのもそのせいだ。……最も、書く方は結構怪しい部分のほうが多かったりもするのだが、読む方ならばそれなりにこなせる。 西部じゃ読む方もマトモにできるヤツはどれだけいるか怪しいものだ。 つまり西部じゃ私も立派な「教養人」と言うわけだ。だからどうということもないのだけれど。

 

「それで? その無くなった本とやらを探す話と、俺に何の関係があるわけだ?」

 

 全くもって私の問いはそれに尽きる。話を聞けばどこまでの彼女の事情で、私には何の関係性もない。用心棒を頼みたいと言うならば別に構いはしないが、自発的についていく気はさらさらない。私は仮に「教養人」であったとしても「学者」ではない。エラいセンセーがたのように、カビの生えたラテン語のページの、かすれかかった文字を追うような趣味はない。

 

『私はそのアフラシヤブを目指す道すがらでまれびと殿と巡り合ったのですよ。これはつまりミスラのお導きに違いな無いのです』

「……なるほど」

 

 普段ならば一笑に付すような理屈だが、今は状況が状況だ。アラマの経典探しが、私が「こちら」に呼び出された理由と関わっていない、どうして言い切れるだろう。

 

「……まぁここ何日か時間を持て余している所だ。物見遊山代わりに付き合っても良いとは思うが」

 

 マラカンドは大きな街だが、それを治めるナルセー王は豪腕を以て知られる。

 盗みも騙りも殺しも尽きることはないが、かと言ってチャカルがわざわざ出張るほどの騒乱もない。

 この街に来てもう幾日か経ったが、なにがしか状況に変化が起こる風でもなく、街を巡り歩いて時間を潰している有様だ。観光も悪くはないし、飯も美味いが、流石に体がなまってくる。

 私がやぶさかでもない、という返事をすれば、アラマは満面の笑みを浮かべながら身を乗り出した。

 

『行きましょうよ! ぜひ行きましょう! 行かねばなりません!』

 

 金色の瞳をさらにキラキラと輝かせ、アラマは両手を握りしめて叫ぶ。

 

『栄あれ! 栄あれ! 新しき光! 太陽の導きに従いて今、異界の騎士が今、聖なる戦にぞ馳せ参じ――』

『面白そうな話をしているな、御前達は』

 

 大声の祈りを聞きつけたのか、私達の間に顔を割り込ませたのはイーディスだった。

 獣が牙を剥くような、獰猛な微笑みを浮かべているのは、恐らくは彼女も有閑を持て余していたからだろう。手近な椅子を引いてきて、イーディスも話に加わらんとどっかり腰を下ろす。

 

『アフラシヤブに行くというのならば、私も是非同行させたほうが良かろう』

「なんでだ?」

『あそこは危険だからさ。……そもそも御前がたは、あそこがどういう場所が、聞き及んでないと見えるな』

 

 イーディスのこの物言いに噛み付いたのはアラマだ。彼女は素晴らしく物知りだとは私も思うが、自負もあるらしい。

 

『知っていますよ! スグダ人がマラカンドに移る前、旧い都としていた場所です。マラカンドから北に半日ほど進んだ先にある、荒野の丘の上にある廃都です。今は人っ子一人住んでいないと聞いております』

『確かに人は住んでいない。人は、ね』

「つまり人以外は住んでる訳か」

 

 私が横から言えば、イーディスはニヤニヤと笑い返した。

 

『あの手の死者の都(ネクロポリス)は魑魅魍魎共の格好の巣窟だ。いかにまれびとを連れているとは言え、二人で挑むのは少々骨だぞ』

「でもお前さんはチャカルの隊長だろう? 宝探しに付き合う暇などあるのかい?」

 

 イーディスは鼻で笑って答えた。

 

『御前と同じで私も暇を持て余しているんだよ、まれびと殿。それに刃に血を吸わせておかないと、斬れ味が鈍る』

 

 彼女の中では、もう私たちに付いて来るのが既に決っているらしかった。

 私がアラマに「どうする?」と目線で問えば、彼女はやや不満気ながらも首を縦に振った。

 

『……よし。今から出れば少々遅いから、明日の朝だな。ならば支度だ。遠くはないが、遊びに行くのとはわけが違う』

 

 現れた時と同じ唐突さでイーディスは立ち上がると、口笛吹きながら何処かへと行ってしまった。

 残された私たちは顔を見合わせると、とりあえず昼飯の残りを片づけることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、兵営の入り口近くに私たちは集まった。

 私は仕事道具を一式に念のための食料と水、アラマも同様に水と食料、そして私には何のか解らない小道具を満載した鞄をひとつ、私はサンダラーに、アラマは毛むくじゃらの妙な四足獣に担がせていた。その四足獣の姿は、昔新聞で見た南米の「リャマ」なる動物を描いた絵に似ていたが、恐らくは「こちらがわ」固有の動物なのだろう。足腰が頑丈そうで、いかにも家畜向きな印象だった。

 一方イーディスは、私の知る馬に比較的似ている動物に既に跨っていた。「比較的」と言ったのは、その白馬には足が八本もあったからだ。……蛸じゃあるまいし、あれでどうやって自分の足で絡まらずに走れるのか、全くもって不思議だった。

 そして昨日までは予定のメンバーになかった顔ぶれがひとつ、新たに加わっていた。

 イーディスと同じような八本足の白馬にまたがるのは、柳の葉のように細長い尖った耳をした、灰色の長い髪の色男だった。私はその顔に見覚えがあった。今やチャカルの二番手射手になった、弩使いの男だった。

 

「……なんでその色男がここにいるんだ?」

『道案内だ。前に何度かアフラシヤブに行ったことがあると聞いてな』

『不本意だが、これも仕事のうちだ』

 

 色男は、不満を全く隠すことなく、顔に似合わぬ掠れた低い声で言った。

 私を見る眼にはあからさまな嫌悪の情がある。まぁしかたあるまい。

 

「……一応は戦友なんだ。背中は射たんでくれよ」

『……』

 

 肩をすくめながら私が言うのに、色男は何も返さなかった。

 全く、失礼な野郎だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色男の先導のもと、私たちはマラカンドを出発した。

 後を任せるグラダッソとロンジヌスに見送られ、私たちは荒野の道へと繰り出す。

 半日ばかりかけて、畑と畑の間の道を抜け、市外の農村の真ん中を通り、丈の低い草の隣を進めば、気づけば砂利ばかりの荒野へとたどり着いていた。そして暫く空と砂と岩以外は何も見えない退屈極まる風景を通り過ぎれば、突然に、荒野の中にその丘が見えたのだ。

 近づき、その詳細が明らかになるにつれ、芸術など薬にしたくもない私の胸中にも、感動に近い驚きが湧く。

 夥しい、数え切れない程に連なった柱、崩れた土壁に、人面獅子体に翼を生やした異形の像。

 巨大なアーチの門。そこに刻まれた神とも魔物ともつかない姿の数々。

 

 だが、人影は全くない。確かにここは死者の都だ。

 

 私たちはアフラシヤブの丘へと辿り着いた。

 ここで、何が私達を待っているのかも知らずに。

 

 

 


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