異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第22話 クロスファイア・トレイル

 

 

 

 ――人生ってのは、良くも悪くも色んなことが起こる。

 肉親がなくなったり、故郷(ふるさと)がなくなったり、人殺しが稼業になったり、異界へと迷い込んだり、もう一度異界へと迷い込んだりする。

 全てに共通するのは、予兆なんてないし、備えることもできないって点だ。

 運命の蒸気機関車(ジャガーノート)には時刻表なんてものは無く、気まぐれに唐突に走り出す。しかも、一旦動き出せば止まることもなく、降りることもできない。

 後になって、ああコレがアレの予兆だったんだなぁと思い至る時もなくはないが、結局のところ、全ては後の祭りだ。何の意味もありゃしない。

 

 今回もまた、運命ってやつは突然に動き出した。

 

「……?」

 

 唐突に眼が覚めたかと思えば、傍らではキッドも同じように瞼を開き、しきりに左右に瞳を動かしているのが見える。上体を起こしながら、枕代わりにした雑嚢の下からコルトを引き抜く。キッドも同じように例の真鍮フレームのシングル・アクション・アーミーを手にし、聞き耳を立て、自分たちが起きた、その理由を探ろうとしている。

 注意深いガンマンでなければ、生き残ることはできない。

 コヨーテや狼がそうであるように、自然とガンマンは物音や影、あるいは臭いに敏感になっていく。それらは敵か、それ以外の何かが近づくことを知らせてくれる。気づけば、耳に聞こえぬ遠い音すらも、私の体は感知できるようになっていた。その点は、キッドも同じであるらしい。警戒心を引き起こす同じ何かを理由に、そろって眠りから覚めたのだから。

 

『起きてるな』

 

 背後からの気配に跳び起き、振り向きざまに銃口を向け、下ろす。キッドは用心金に指をかけ、くるくると何回か回した後に、ホルスターへと銃を戻した。寝床のテントの、その入口を開いたのはイーディスだった。その傍らには色男の姿も見える。

 

『なにかあったらしい。すぐに王の所まで駆けつけろとのことだ』

 

 それだけ言うとイーディスは一足先にスタスタと王の所へと向かった。色男も一緒だ。

 私とキッドは一瞬顔を見合わせ、すぐに外套を羽織ったりと出立の準備に取り掛かる。

 今までの流れのなかにあってただ一人、例の不思議な翠の本を抱えたまま、涎を垂らして眠りこけているアラマをゆすって起こすと、寝ぼけまなこの彼女を伴って、私達はテントを飛び出し、駆け出した。

 

 ナルセー王の陣幕へとたどり着けば、そこで私とキッドは、自分たちを目覚めさせた何かの正体を知る。

 

『――ひどいです』

 

 アラマが思わずそう漏らしたのは、ナルセー王の前に横たわった、エーラーン人戦士と思しき男の姿だ。

 思しき、とわざわざつけたのは、その顔は血と泥にまみれてひどく汚れ、オマケに傷まで負っているので元の顔立ちや肌の色がよく解らないからだ。

 鎧を途中で捨ててきたのか、本来はその下に着るためのものであろう、綿をつめた厚手の布仕立ての装束を纏った姿だが、ここに至るまでにやっこさんを襲った何かに対してそれは無力でったらしい。グリズリーにでも殴られたように激しく裂け、裂け目からは血と肉と骨が覗いている。

 見ただけでも既に重症だが、独特の呼吸音に、口の端に見える血泡は、この男がオマケに肺をやられていることを何より示している。

 

 この男は助からない。

 戦場で数えきれない死を見送ってきた私には、それが解った。

 

『――』

 

 死に行く男が、絶え絶えの息と共に何か必死に言葉を紡いでいる。

 ナルセー王はかがみ込むようにして男の口に耳をよせ、最後の言葉を聞き漏らすまいと真剣な眼差しを見せていた。

 

『――』

 

 男は必死に、王へと言葉を伝えようとしていた。

 だがその努力も虚しく、言葉は途切れ、代わりに血と共に断末魔が男の口より吹き出した。

 ナルセー王の頬を血に染めて、小刻みに身を震わせたあと、男は動かなくなった。瞼が閉じられることもなく、瞳はどこでもない場所へとぼんやりと向けられている。

 

 死んだ。

 死んだのだ。

 

『……』

 

 ナルセー王は顔を上げ身を起こすと、頬についた血を拭うこともなく、私を含む周りの人間を一通り見渡した後、落ち着いた静かな声で言った。

 

『この伝令は命を賭してここに来た。そして伝えた。全てではないが、確かにワシの耳に言葉は届いた』

 

 王は続けて、死んだ男の遺言を告げた。

 その内容は驚くべきものだった。

 

『マラカンドが陥落(おち)た。それも屍者の軍勢によって』

 

 ――人生ってのは、良くも悪くも色んなことが起こる。

 運命の列車は、行先も告げず、また唐突に走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナルセー王を先頭に、騎軍は砂塵を巻き上げて駆ける。

 王の背後には完全武装の親衛隊が続き、王の傍らを固めるのはイーディス、キッド、色男、そして私だ。

 はもとが成り上がりだけにナルセー王は決断が早い。

 

『マゴス達は一部の者を除き書と共に残れ、重装騎士(グリヴパンヴァル)は一同、ワシに続け。まれびともだ。チャカルの戦士同様、こういう時の為に禄を与えて来たのだからな』

 

 私としてもマラカンドの現状は気になるところだから是非もない。

 かくして鞍のホルスターには装填済みのレミントン・ローリングブロックを差し込み、右手に手綱、左手にはハウダー・ピストルを携えてサンダラーを走らせる。

 色男は例の八本足馬の鞍に呼びの角矢(ボルト)を満載し、イーディス、キッドは遠目にはどちらも普段の様子と変わらないが、剣士は鯉口を一旦切って戻して刃を抜き放ちやすくし、拳銃遣いはホルスターの撃鉄留めを既に外していた。

 

 アラマは置いてきた。

 彼女は抗議したが、そこは私が「まれびと」の名を使って上手く言いくるめた。

 アラマの持つ術の数々は頼もしいことこの上ないが、死んだ伝令が言ったことが正しければ、チャカルの主力部隊が防備のために控えている状況で、マラカンドは陥落したことになる。

 あのチャカルを蹴散らした相手が待つ戦場へと向かうのだ。あるいは、我が身を守るだけで精一杯になるかもしれない。キッドやイーディスや色男は良い。皆、自分の面倒は自分で見れる連中だ。だがアラマには不安が残る。それだけに、彼女を連れて行くわけにはいかなかった。

 

「……」

 

 私は流れ者だ。故郷を亡くした根無し草だ。

 渡鴉(レイヴン)は当て所無く流離うのみで、一箇所にとどまることなどない。

 そんな私が珍しく長く時を過ごしたのがマラカンドの街だ。多少の愛着も湧き始めた所だった。

 アウトローの分際で、珍しく人情の気にでもあてられたように、私は危うさの気配が溢れ出るマラカンドを、敢えて目指す。

 

「この間、観た芝居はなかなかのモンだった」

 

 唐突にキッドが言った。

 眼をやれば、戦いの気配を前に獣のような笑みを顔に浮かべながらも、言葉の端には若干の感傷がのっかっている。

 

「特に主演の女優の演技が良かった。“死ねよ。幸薄きおみなよ!”……やっぱ、良い台詞だねぇ。もう一度、あの劇場で観たいもんだよ」

 

 このアウトロー丸出しの男にも、金以外に戦う理由はあるらしい。

 同じような想いを乗せて、愛馬は私達を戦場へと運ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、私達を待っていたのは、戦場ではなかった。

 死だ。夥しい死が、無数の死が、私達を待ち受けていた。

 

『……』

 

 ナルセー王は声にこそ出さないが、内心が怒りに満ち溢れていることは、その背中の震えで理解できた。

 私はと言えば、足元に斃れる死体のひとつに眼をやった、親が、子に覆いかぶさるようにして死んでいる。哀しいかな、母の努力は実らなかったらしい。

 視線を動かし、あたり一面を見遣る。戦場では見慣れた地獄が、そこにはあった。

 街中央の湧き水の泉から、幾本か伸びた水路の一本。

 それはマラカンドの門のひとつの脇を通り、街周辺の農村部へと豊かな水を供給している。

 だが今やそれも真っ赤に染まり、血の大河と化している。

 幾つもの死骸が浮かび、ともすれば水路がせき止められそうになっていた。

 蝿が群がって、ぶんぶんと嫌な音を撒き散らし、腐臭が不快感をさらに煽った。

 

 亡骸が無数に転がっているのは土の上も同様で、畑は踏み荒らされ、家と家には火が点けられている。昨日の夜から焼けていたのか、殆どが鎮火していたが、まだ一部の家屋……いや、今となっちゃ廃屋ではまだ火が燻っている。焼けた木々の臭いに混じるのは、人の肉が焦がされる悪臭だった。

 どうもこの辺り一帯は、皆殺しの憂き目にあったらしい。

 

『……行くぞ』

 

 ナルセー王は辺りを何度も見渡し、生存者らしい影が見えないことを確かめてから前進の号令を下した。

 私はそれに続きながら、改めて折り重なって死んだ母娘の骸を見た。

 その横顔に見覚えはなかったが、信じてもいない神へと十字を切った。

 アラマを連れてこなかった判断は、間違ってはいなかったらしいと、改めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄のような風景は、街へと近づけば近づくほどに、より一層、むごたらしさを増していった。

 街への入り口は同時に、街の外へと逃れるための出口であるが、恐らくは逃げようと藻掻き、足掻いた人々が、今や骸の山を成していて、ほとんど道を塞いでいた。

 あからさまに傷つき、血にまみれて死んだ者もいれば、上に斃れた者達の重みで内蔵を潰され苦悶に死んだ者もいる。男も女も、老いも若きも関係なく、ただ死だけがそこにある。

 王は鍵によって固く閉ざされた脇道の扉を開き、軍を市内へと入れた。

 街路に転がる死骸はいよいよ多く、中には自ら首を括っているものの連なりさえ見える。

 奇妙なのは外傷によって死んだらしい者は存外少なく、まるで鉱山の毒ガスにあてられた人夫たちのように、胸元をかきむしり、舌を突き出した格好のままの屍が異様に多い。

 

「……たまんねぇな、こりゃ」

 

 だがどんな死に方をしようと、一旦命が躰から飛び出せば、腐臭を放ち、蛆に蝿を群がらせるのは同じだ。

 キッドは首に巻いていた赤いスカーフで、ちょうど銀行や駅馬車の強盗がするように、鼻と口元を覆っている。

 

「オタクら、よく平気ね?」

「なれてるからな」

『右に同じく』

 

 私も臭いのは同じだが、戦場で切り落とされた腕や足の山を枕に寝たこともある私だ。

 当時は医者の腕も悪く、弾の当たった腕や足は切り落とすしかなかったから、そんな山はどこの戦場にもあったものだ。北軍の狙撃兵と対決した時は、死んだ仲間の骸の隣で一晩を明かしたこともある。歴戦の古強者らしい、イーディスも同様なのだろう。意外にも色男はと言えば、今にも吐きそうな青い顔をしているのだが。

 

『この街も終わりか』

 

 イーディスが、小さくつぶやく声に、私も彼女の隻眼が向くほうを見た。

 私とアラマがマラカンドに来て、最初に入った酒場がそこにはあった。

 扉は破れ、ピクリとも動かない足が裏を向けてのびている。

 開いていないのは、見るからに明らかだった。

 もう、開くこともないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 血河屍原を通り過ぎて、ついに一行は街中央部の泉へと達した。

 そこで私達は今日初めて、生きている人間と巡りあった。

 

 

 だが、この街の人間ではなかった。

 その格好は、明らかに私やキッドと同じ――。

 

『まれびと』

 

 ナルセー王がそう呼ぶのに、泉の縁の石段に腰掛けていた男は立ち上がった。

 目深に被った黒い山高帽(トップハット)状軍帽の庇の下からは、形の良い口髭に、理知的な青い瞳が顕になる。手にした得物、真鍮仕立ての機関部を持つライフル銃の、偽の金色と相まって、その瞳の青はいやに深く、そして底しれなく見えた。

 その顔に私は、見覚えがあった。

 その目つきにも、私は見覚えがあった。

 

 だからこそ叫んだ。

 

「伏せろ!」

 

 歴戦の勇者だけあって、ナルセー王の反応はすばやく、殆ど跳ぶようにして馬から降りる。

 つい一瞬前まで王の体があった空間を、銃弾が陶器が割れるような音を放ちながら貫き、背後に居た親衛兵士の一人を馬の上から吹き飛ばす。

 

 

 帽子の男は一切動いてはいない。

 しかし銃弾はどこからか飛んできた。

 

 

 ()()()()()()()()()()を前にすれば、どんな甲冑も意味をなさない。

 鎧ごと心臓を突き破られ、射たれた護衛兵は即死だろう。

 

「伏せろ! 伏せろ! 」

 

 私はレミントンを引き抜きながらサンダラーより転がり降り、キッドにイーディス、色男も慌てて降りて物陰に隠れる。あの帽子の男の相棒の狙撃手は、実に良い腕を持っている。

 馬の上にあっては、射的の的と変わりなくなる。

 だが、味方を射たれたナルセー王の騎士たちは激高し、逆に黒い帽子の男目掛けて殺到する。

 重い銃声が、黒帽子の男とは ()()()から鳴り響く銃声が、新たなる戦士の死を告げる。

 しかしエーラーン人騎士たちの突撃は止まらない。

 

 帽子の男は得物を掲げた。

 

 回転式機関銃(ガトリングガン)のように、ひとつなぎに鳴り響く銃声。

 手品のような素早さでレバーは上下し、真鍮の薬莢が宙を舞う。

 かつて南軍兵士達から、日曜日に弾を込めれば、次の日曜日まで撃ち続けられると畏怖された、驚異の一六連発。

 これを前にすれば、いかなる勇気も武勇も意味をなさない。

 主を失った馬が街路に溢れ出し、その主たちの死体が、街の人々の骸の山へと新たに加わる。

 

 黒帽子の男は、撃ち尽くした一六連発銃、『ヘンリー・リピーティング・ライフル』を床に優しく置くと、代わりのヘンリー銃を背部より魔法のように抜き、構える。

 銃を取り替える隙を撃つことは難しかった。 

 相棒の携えた特注製のシャープス・ライフルが、こちらを狙っているだろうから。

 

 私は、この男たちのことを知っていた。

 よぉく知っていた。なぜなら私と同じ元南軍兵士であり、戦後、同じ稼業に身をやつした男たちなのだから。

 

「“ヘンリー”……“バーナード”……」

 

 それがこの男たちの名前だった。

 新たなる「まれびと」が二人。

 この惨劇を呼び起こしたか否かは知らず、少なくとも、私達の敵であるらしい。

 

 

 

 

 


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