異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第26話 マイ・ディアリング・クレメンタイン

『――なに見ているんだい?』

 

 ベッドの上で身を起こし、まだ朧な、昇ったばかりの朝陽が差し込み始めた窓を眺めていると、傍らのイナンナが不意に訊いてきた。切れ長の鳶色の目が、私の灰色の瞳を覗き込んでくる。白い――と言い切るにはやや黄ばんでしまったている――シーツの下で、その艶のある豊かな肢体をなまめかしく動かし、その体とベッドとで大きな胸を潰しながら、彼女は私を視ていた。

 

「別に……何も見ちゃいないさ」

 

 私はイナンナのウェーブのかかった豊かな黒髪へと指を絡め、掻いた。

 彼女はこそばゆいと、クスクス小さな笑みを漏らすのだ。

 

 ――西部の男には嗜むべき三つの遊びがある、と人は言う。飲む、打つ、買うの三つの事だ。

 

 内、前の二つを、私は余り嗜まない。酒は嫌いではないが、呑めば指先が鈍る。博打は確かに楽しいが、その狂熱もまた意識を呑み込んで盲目にさせる。あのワイルド=ビル=ヒコックだって、黒のAと8のペアの手――五枚目のカードが何だったかは知られていない――を抱いたまま、背中から撃たれてくたばったのだ。私は、そんな先人の例に倣う気はさらさらない。

 

 そんな私でも、買うのは比較的嗜んだほうだった。

 

 西部では野郎どもに加えて女が恐ろしく少なく、商売女達は皆女優のように持て囃されたし、彼女たちはその評判に負けぬように技を磨いていた。そんな彼女たちとの、中身のない会話や、あるいは互いの腹の中を探る丁々発止は、私にはちょっとした愉しみだった。言うなれば、実弾の飛び交わないガンファイトだった。それに、私は仕事の前には後腐れを無くしておきたい性質(タチ)なのである。

 イナンナの酒場を私はちょくちょくと利用していたが、彼女は金次第で春も売るのを副業にしている。そっちのほうでも、彼女と私は今や馴染みの間柄だった。実際、彼女はフランス仕込みの、高級娼婦のように素晴らしい。

 

『聞いたよ。あンた、鷹みたいな眼をしてて、どんな遠くの獲物も見通すって言うじゃないか』

「まぁね」

『そんなあンたが、何も考えずに呆と見ているわけもないだろうさ。ねぇ、なにを見たんだい? 窓の外にさ』

 

 イナンナは興味津々といった調子だった。

 アラマのような学者肌とも見えない彼女は、しかし私のような男の何が面白いのか、あれこれと色々と聞いてきた。戦争中に負った脇腹の傷の由来とか、どんな時もコルトを手放さない理由なんかをだ。

 あの時も、彼女は何気なく、私の遠くを見るような仕草について聞いてきたのだ。

 

「言ったろう。何も観えちゃいないよ」

『でも窓のほうを、じっと見つめていたじゃあないか』

 

 この時、私は酒を飲んでいた訳でもないのに、寝起きの頭だったせいだろうか、いつになく私は感傷的になって、商売女に打ち明けるべきでもない本音を漏らした。

 それは、「こちらがわ」が私の普段生きる西部とはまるで違う、異界の地であることが促したが故かもしれない。

 

「見えているだけさ。俺にはな、今はもう、何も観えちゃいないんだよ」

 

 ――1865年以来、私にとってはずっとそうなのだ。

 例外は、エゼルの村へと迷い込んだ、ただあの時だけのことだ。

 

『あんたも、大変なんだね』

「まぁな」

 

 イナンナは娼婦らしい気楽な調子で、しかしそこに気遣いを忍ばせながら言った。

 私は、あっけらかんと頷いた。今更、思い悩むにはもう当たり前になってしまった、私の生き方だったから。

 

『また、おいでよ』

 

 もう何度目かもわからない、早朝の別れの時、イナンナはいつもと違う調子で、そんなことを言った。

 私は、いつもは聞き流す言葉に興味惹かれ、立ち止まり振り返った。

 

『あンたには、仮の住処かもしれないけれど……それも、帰る場所は必要だろうさ』

 

 あるいは、商売女特有の敏さで、気がついたのかもしれない。私が今や故郷を失った、永遠の流離い人であるということを。金ずくの間柄だが、それでももう、互いに馴染みだ。本音を吐いた私への、彼女なりの気遣いの言葉だったのだろう。

 私は、イナンナの言葉の端に覗く慈愛に照れて、何も返さずにその時は立ち去ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なぜ、今になってそんな他愛のないことを思い返すのか。

 それは言うまでもなく、イナンナが血に塗れ、目の前で倒れているからに他ならない。

 

『……ああ、あンた、暫く振りだね』

 

 血泡を口の端に浮かべながら、しかし彼女は、いつもどおりの、なんでもない調子でそう言ったのだ。

 だが、今や彼女が死にゆくさだめにあることは、私には一見して明らかなことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ロンジヌスを斃し、バーナードを退けた私と色男は、キッドやイーディス、ナルセー王達と合流するために街の外を目指していた。その道すがらで、私はイナンナの店の前を通ったのだ。

 地面に転がる、屍人どもの亡骸。それらに挟まれるようにして、壁にもたれかかる格好で、イナンナが座り込んでいた。それに気づき、私は思わずサンダラーの手綱引いて、彼を半ば無理矢理に止まらせたのだ。

 

『おわっ!?』

 

 私の背中で、つんのめった色男が情けない悲鳴をあげる。

 

「イナンナ!」

 

 呼びかけながらサンダラーより跳び降り、駆け寄る。

 

『……ああ、あンた、暫く振りだね』

 

 イナンナは顔を上げて、私へと微笑みかけた。

 いつもの、店で客たちを相手にするときの顔。ただしその黒髪も肌も、余すところなく血にまみれている。

 胸元の開いた色も鮮やかだったドレスは、砂と血に汚れ、あちこち引きちぎられて襤褸のようになっている。そして、あらわになった肌には幾つも歯型が刻まれ、所々肉がえぐりとられていた。

 

『店を守ろうと思って……頑張ったんだけどね。このザマさね』

 

 イナンナの腹には大きな傷があり、腸(はらわた)こそ漏れ出ていなかったが、止めどなく血は流れ、彼女の足元に赤い海を作っていた。

 彼女のまわりに転がる屍生人(グアール)の胸元には先の鋭い包丁が突き立ち、あるいは脳天に火かき棒を突っ込まれていた。それは、イナンアの奮闘のことをまざまざと私に知らせた。

 

「たいしたもんだよ。結局、店のなかには一歩も入れていないじゃないか」

『へへへ……そうさ。アタシは守ったんだよ。小さくとも、ここはアタシの城だからね』

 

 私が称賛すれば、イナンナは誇らしげに笑みを返してくれた。

 

『……』

 

 イナンナと私のやりとりの間、色男は視線をあさってのほうへと向けていた。

 見るに堪えないのだろう。いたたまれないのだろう。

 ようやく出会った生存者だが、しかしそんな彼女の負った傷は致命のものだ。

 

 彼女は死ぬだろう。戦場で数え切れないぐらい死にふれた私にも、それがハッキリと解った。

 

『……ねぇ、あンた』

「なんだ」

 

 若干の無言の間を挟んで、イナンナはまっすぐに私を見つめ、言った。

 

『アタシを殺しておくれよ』

 

 ……私には、なぜ彼女がそんなことを言うのか、理由は察しがついていた。

 それでも、訊いた。

 

「なぜだ」

『あンたは腕利きだし、苦しまずに、一発でしとめて貰えそうだと思ったからさ』

「違うそうじゃない。なんで俺に殺してほしいなんて言うんだ?」

 

 イナンナの答えは、私の予想した通りのものだった。

 

『アタシはもう終わりさね……助からないことぐらい、よくわかってるよ。でも、だからこそさ、アタシは人として死にたいんだ。死んだ後に、生ける屍になるのなんて、絶対にゴメンだよ』

 

 彼女は、力なくゆっくりと、だらりと垂れていた腕を動かし、自身の心臓を指し示した。

 

『屍人どもは、心臓を刺せばくたばった。なら、あンたはアタシの心臓をぶち抜いておくれよ。そうすれば……蘇らなくて済むってもんじゃないかい?』

 

 あっけらかんと、何でもない調子で彼女が言ったのは、トドメを託す私を気遣ってのことなのだろう。

 

「……解った」

 

 しかし私は彼女に言われるまでもなく、心は冬の湖のように冷たく醒め、無感動にサンダラーのサドルホルスターへと手を伸ばし、レミントンを引き抜いていた。

 前の戦争中、私は何人かの戦友を死なせてやったことが、すでにあったからだ。

 

 ――敵の弾に当たって、そのまま死ねる奴は幸いである。

 何故ならば、天国か地獄へとすんなり行くことができるのだから。

 

 最悪なのは、腹に銃弾を受けて、しかもそのまま死にきれなかった時だ。

 あの戦争のころ、北も南も主力に使っていたライフル弾は、恐ろしく弾速がはやく、標的に当たるとその内側で砕け、散弾みたいに広がるように出来ていた。

 腹に銃弾を受けたやつは、体内に銃弾が散らばってしまうから、医者も取り出す術もなく、匙を投げるしかなかった。つまり凄まじい痛みを腹に抱えたまま、ただ体力が尽きて死ぬのを待つしかなかったのだ。

 

 私は、そんな不運な戦友たちに頼まれて、その頭目掛けて引き金を弾いてきた。

 それ以外に、やりようなどなかった。

 

「安心しろよ」

 

 私はレミントンに弾丸を装填した。

 バッファローを一撃で斃す、50口径弾である。しそんじることなど、ありえない。

 

「一発で終わりさ」

 

 軽い調子でいいながら、イナンナの心臓へと銃口を擬す。

 彼女は、しばらく自分に突きつけられたライフルのことを見つめていたが、不意に、その両まぶたを閉ざした。

 

 私は、素早く引き金を絞った。

 それで何もかもおしまいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

『……』

 

 私と色男は、互いに言葉もなく、サンダラーを走らせた。

 目指すは、合流予定の街の外だ。

 

 私は、淡々と、障害を避けながら馬を走らせる。

 そんな私の胸中に渡来する想いはひとつ。

 『やつら』を、殺すに足る理由がまたひとつ増えたということだった。

 

 

 


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