異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第30話 デイ・オブ・アンガー

 

 

 

 肩に負っていた板切れを地面に落とせば、砂埃があがって、私は思わず噎せ返る。

 一方アラマと言えば、覆いかぶさる茶褐色の帳にも、まるで関心がない。

 黙々と、目を爛々と輝かせながら作業を続けている。

 

『――天にかけて、地にかけて、アクランマカマリ、アブラナタナルバ、セセンゲンバルファランゲス。熱き西風(ゼフィロス)よりわれらを守り給え』

 

 囁き声で、アラマは呟くように呪文を唱える。

 彼女は既に同じ呪文を五度も唱えていたが、彼女曰くそれでもまだ不足であるらしい。

 

『呪文は七度唱えなくてはならないのです。七は、聖なる数字なのです』

 

 アラマはそんな風に言っていた。

 実際、七は「私達の側」でも幸運を示す数字ではある。

 それが「こっち側」でも神聖な数字だというのは、奇妙な類似性に何とも不思議な感覚ではあった。

 

『天にかけて、地にかけて、アクランマカマリ、アブラナタナルバ、セセンゲンバルファランゲス。熱き西風(ゼフィロス)よりわれらを守り給え……』

 

 アラマの唱える七度目の呪文を聞きながら、踵を返す。

 彼女が今、拵えている代物を完成させるには、まだ材料が足りない。まだまだ、より多く建材を集める必要がある。

 私はサンダラーに跨がり、拍車をかけて駆け出し、すぐに目当ての場所に辿り着く。

 砂と岩ばかりの荒野にあって、そこだけはまるで別世界のように、緑色の絨毯を敷き詰めたように、丈の低い草が生え広がっていた。そして草のカーペットの真ん中には小屋がひとつ、ぽつんと立っている。

 恐らくは、マラカンドの周囲を回る牧夫たちが、放牧時の拠点として使っていた小屋なのだろう。

 

 昔、極短期間ではあるが牧童(カウボーイ)をやっていた時期がある。

 

 キツい仕事だが、金にはなる。

 特にロング・ドライブ――西部から東部やカリフォルニアに牛の群れを誘導し運ぶ仕事――は、日照りに大雨に毒蛇に先住民との諍いにコヨーテに追い剥ぎにと、危険はいっぱいだが、成功したときの報酬は大きい。

 

 まだ今の稼業を初めて間もなく、腕も今よりずっと稚拙だった頃、ある仕事の後始末にしくじった事があった。

 連邦保安官に目をつけられた私は、ロング・ドライブをする牧童達の中へと飛び込み、ほとぼりを冷ますことにしたのだ。元が農夫の倅だから、家畜の世話は慣れてるし、戦争の時に習い覚えた馬と銃の扱いは人一倍の自信があった。

 実際、ロング・ドライブの仕事は見事に成功させたし、相応の報酬も手に入った。

 だが私は、二度とやるものかと固く心に誓ったものだった。

 それだけきつかった――戦場とはまた違った種類の過酷さだった――仕事だが、学ぶことも多かった。

 熟練の牧童から教わったのは、牛を運ぶにしてもただ運べば良いというものではなく、移動の時間を使って肥えさせるのが一番効率的だということだ。

 その老カウボーイは、どの時期、どの道を通れば牛たちに途切れなく牧草を食わせながら進むことができるかを熟知していた。カウボーイという仕事は、ああ見えて意外と知識を要するものなのだということを、私は彼から教わったのだ。

 

 今、私が目の前にしている小屋も、マラカンドの牧夫たちが、牧草地を手際よく回れるように拵えたものなのだろう。中には竈もあって、数日寝泊まりできるような準備も整っていたのは既に見ている。

 

 ――まぁ、マラカンドがああなってしまった以上は、もうここを使う者が現れることもないだろうけど。

 そんな感慨と共に私は、小屋の壁板を一枚、新たに引っ剥がす作業に取り掛かる。

 

 もう既に何度も、こうして小屋を解体し、アラマの望む建材を調達し、運んでは戻るのを繰り返している。竈の上に鍋も、積まれた薪も、隅に積んであった毛布も既に持ち出し、今私は小屋自体を壊す段階に入っているのだ。

 この小屋を見つけることが出来たのは実に幸運なことだった。彼女の言う策には、色々と材料が入り用だったから、ここが見つかっていなかったら、アフラシヤブまで二人して取って返す他はなかった。戻るための時間分、準備の為の時間も削られたことだろうし、連中の進路たる街道の途中にこうも悠々とアラマの策の為の工作を拵える時間もなかっただろう。

 

「よし」

 

 私は新たに数枚の板切れを調達すると、サンダラーに鞍に縄で結びつけ、来た道を急ぎ戻る。

 来た道を戻りながら私は、アラマが私に語った策の中身を思い返していた。

 それは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――パズズの怒りを呼び覚ますのです』

 

 アラマの言ったその名前に、私は聞き覚えがあった。

 聞き覚えはあったのだが、それが何だったのかは思い出せない。

 私の怪訝な表情を見て全てを察したのか、アラマはこほんと咳払いをひとつしてから、改まった口調で語る。

 

『アフラシヤブの丘に救っていた蝗人(マラス)たちのことは、まれびと殿もご存知でしょう?』

「ああ」

 

 流石に連中のことを忘れるようなら、私ももう耄碌したということになるだろう。

 

『パズズとは熱風と疫病を運ぶ魔神、そして蝗の雲を司ります。あの蝗人たちこそは、パズズの児らとも呼ばれる、魔神の眷属たちなのです』

 

 この言葉で、私もようやく思い出していた。そういえばアラマが、今言ったのと同じようなことを話していた筈だ。

 

『アフラシヤブは不敗の太陽にて牡牛を屠るものミスラの広き牧場、その牧場を守るは魔神パズズ。パズズは魔神ですが、彼を祀り、供物を捧げる者たちには守り神にもなるのです。そして仇なす者たちには死と病とを撒き散らす……蝗人は、言わばパズズの怒りの使者達なのです』

 

 彼女の言うことは魔法使いの専門用語が多すぎてわかりにくいが、それでも大意は掴むことができる。

 

「……要するに、あの虫人間どもをもう一度呼び出して、あの死体どもにぶつけようって腹か?」

『まさに然りなのです!』

 

 なるほど。

 確かにあの虫男どもは頑丈で手強く、しかも数が多かった。

 あの屍人の軍勢にぶつけて潰しわせるのは、実に格好の策と見える。

 しかしだ。

 

「あいつらは、俺達が皆殺しにしたんじゃないのか?」

 

 当然の疑問が湧いてくる。

 連中とは都合、三度ばかり戦り合ったあわけだが、私にキッドにイーディスに色男に、そしてまだ生きていたロンジヌスにグラダッソに、チャカルの戦士たちに加え、アラマの呼び出した魔獣共までが手当たり次第ちぎっては投げ、ちぎっては投げと連中を殺しに殺したのである。あれだけやって、まだ連中が生き残っているとは、正直信じがたい。

 

『まさか! 彼らが出るのをやめたのは、彼の地に施された術が、相次ぐ攻撃を前に限界を迎えたからにほかならないのです! パズズは、その児らと共に地下の世界を住処とします。地下の世界には、3600000をも凌ぐだけの数の蝗人が、ひしめき合っているとのことなのです!』

 

 三百六十万という数がいったいどこから出てきたが知らないが、とにかくたくさんいるということを言いたいらしい。

 にわかには信じがたい話だが、信じがたいことが起こることが当たり前なのが「こちら側」だ。ましてやアラマの魔法だの神だのについての知識の確かさは、ここに至るまでの旅路のなかで、私は何よりも良く知っている。

 

『ならばこそ、わたくし達が今やるべきは、新たなる術を以て古き術を上書きし、パズズの児ら、蝗人たちの巣とこことを繋ぐことなのです。そのために――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――祭壇を築く必要がある、か」

 

 私は、アラマの言葉を思い出しながら独り呟いた。

 思い返している間に、サンダラーはもと来た場所へと戻っていた。アラマの背中が見える。

 鞍に板切れを結びつけている縄を解き、調達してきた材料を肩に負う。アラマの背後にそれらを下ろせば、彼女は私の方も見ずに新たな板切れを拾い上げ、短刀を使って素早く細工していく。

 気がつけば、祭壇とからは既に半ば出来上がっている様子だった。

 板切れで成る台形の土台。恐らくはその上に小屋から調達してきた鍋が載ることになるのだろう。

 既にアラマの傍らには、儀式に必要だという諸々――染料の入った瓶、葦で作った絵筆、蜂蜜の詰まった小壺、葡萄酒の入った革袋、何かの植物の根っこ、何かの植物の葉っぱを干したもの等々――が既に綺麗に並べられている。

 

「……」

 

 アラマは驚異的な集中力で、言わば簡易祭壇を作り上げているのだ。

 私は静かにサンダラーのもとへと戻り、更なる材料を求めて例の小屋のもとへと向かう。

 

 こんなことをあと二回ばかり借り返せば、材料が揃い、祭壇はほぼその土台が完成する。

 

『仕上げです』

 

 アラマは葦の筆の先を顔料の入った陶器の瓶に浸し、祭壇に様々な図像を描き始める。

 三日月。

 七つの点。

 星。

 稲妻。

 鳥。

 雄牛。

 麦の穂。

 そして、抽象化された樹木。

 これらを何らかの規則にのっとって、独特の間隔を開けながら、描いていていく。

 

『出来ました』

 

 アラマが筆を置いたとき、私は思わずううむと唸っていた。

 学もなく教養もなく、ましてや芸術など理解もできない私だが、ひとつだけ確かだと言えることがある。

 アラマの描いた絵は、実に神秘的で、実に美しいということだ。

 太くシンプルな線が描き出すのは、やはり単純な図像だが、却ってその単純さが神秘の気配を醸し出していた。

 

『――では儀式を始めるのです』

 

 私は、静かに彼女のなすことを見守った。

 

『天にかけて、地にかけて、アクランマカマリ、アブラナタナルバ、セセンゲンバルファランゲス。熱き西風(ゼフィロス)よりわれらを守り給え……』

 

 朗々たる祝詞は、人なき荒野の風へと、次々と吸い込まれていく。

 彼女の他に話す者もない静寂のなか、儀式は粛々と進んでいき、そして終わる。

 

『あとは、結果を御覧じろ、なのです』

 

 祭壇の前に跪いていた、アラマが立ち上がり振り返れば、やはりと言うか自信に満ちた笑顔がそこにある。

 だがそれを見る、私の心情は変化している。

 不安は消え失せ、蒸留酒のように強い期待のストレートだけが、私の胸中にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 丘の稜線にそって身を伏せ、隠れ見ながら待つ。

 例の列車ような音、屍者の群れの奏でる足音は、その大きさを毎秒ごとに増していき、その高鳴りは私達にヤツラの接近を知らせる。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 丘の稜線にそって身を伏せ、隠れ見ながら待つ。

 足音はどんどん大きくなり、最早耳障りな程であった。それでもヤツラの姿は、まだ、見えない。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 丘の稜線にそって身を伏せ、隠れ見ながら待つ。

 

「!」

『!』

 

 そして、私達は見た。

 毛は愚か、頭皮すらもがこぼれ落ちた、腐った禿頭の、その先端の連なりが殆ど同時に現れるのを。

 頭の先は、額ととなり、眉となり、双眸となり、鼻となり、口となり、顎先と成る。

 顎先より下、首、肩、胸、腹、そして足と、最後には五体が明らかと成る。

 

 連中は、遂に姿を現した。

 着々と、アフラシヤブへと向けて歩みを進みている。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは同時に、同じ方を見ていた。

 連中が歩む、その道の途上。

 小さな社。されど、正しく祀られし社。

 

 その社に、意志なき屍者の群れは迫る。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 ヤツラが、こちらの狙い通りに、狙う通りの行動をとるか否かを待つ。

 

 連中が、歩み、迫る。

 アラマが拵えた祭壇へと、迫る。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 ヤツラが、こちらの狙い通りに、狙う通りの行動をとるか否かを待つ。

 

 連中は、自身の行動を理解していない。

 ただ、軍勢の遥か末尾に居座った者たちの、命ずる通りに動いているに過ぎない。

 そこが、私達にとっての狙い目であるのだ。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 連中が進むのを、祭壇のほうへと進むのを、待つ。

 やつらが迫るのを、じりじりと、着実に歩を進めるのを窺う。

 

 連中は気づかない。

 自分たちが進んでいる先に待つ、例えるなら列車をも丸ごと吹っ飛ばせるほどの爆薬を。

 その不死にして止まらず歩みを、とどめる者たちを。

 その者達を、地の底より呼び出す鍵を。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 連中が祭壇を、考えもなしに踏み潰すのを、待つ。

 

 連中は進む。

 俄仕立ての祭壇へと向けて。

 祭壇を屍者が穢さんとすることを、ヤツラは、スツルームの魔術師共は知るまい。

 なにせヤツラは、遥か後方、最後尾に控えているがゆえに。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 連中の足は、今や祭壇の眼の前にして、踏み出した次なる一歩は、俄仕立ての祭壇に向けられる。

 

「!」

『!』

 

 そして踏み潰す。

 簡素なれど、正しく祀られた祭壇が穢される。

 かくして――。

 

「! なんだ!」

『砂が! 土が! まるで間欠泉のように!?』

 

 ――地の底との道は開かれた。

 吹き出る土塊は、新たに湧きいずる人ならざる軍勢の、新たなる鬨の声に違いなかった。

 

 

 


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