異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

48 / 79
第33話 レッド・リバー

 

 

 

 スツルーム野郎の鏡から飛び出した、毒々しい煙。

 深い紫色のなかには、硝子の欠片でも散りばめたようにキラキラと光り輝くものがある。だからと言って美しいという訳ではなく、見るものに恐怖を抱かせる、危うく妖しい輝きだ。

 

 ――嗚呼、思い出すのは、蒸気機関車の吐き出す黒煙。

 

 西部の荒野を征服し、自然を凌駕し、何もかもを踏み潰して進む、あの黒鉄の怪物。私にはサンダラーがいるが為に、あまり乗ることは多くはないが、一度そのはらわたのうちに収まれば、その力を感じずにはいられない、あの威容。

 そんな汽車の吐息を連想させる、魔法使いの吐く紫煙は、生き物のように、宙を這う蛇めいてうねりながら空を走る。幾条にも分かれ、昔、旅の無聊の慰みにと、買った三文小説(ダイム・ノベル)に出てきたような、多頭の怪物(ハイドラ)めいている。

 煙は、その一条一条が、各々別々の屍人へと纏わりつき、鼻から口から、その腐った体内へと入り込んでいく。

 

 ――ぐにゃり。

 

 と、煙を吸った屍生人は、氷のように、雪のように溶けて、まるで肉色のチーズのように姿かたちを変える。

 溶けた屍人達は――それは都合、十人分ぐらいだったろう――、野を駆ける鹿をも凌ぐ素早さで互いに集まり合い、溶け合い、ひとつになっていく。

 時計の針が僅か数秒進む間に現れた、この異様なる光景には、私やキッド、イーディスにアラマ、そして色男はおろか、ヘンリーとバーナードですら銃口をだらしなく下ろして、唖然とした有様であった。

 

 肉塊はひとつになればたちまち姿を再び変じて、瞬く間に新たなる形をつくっていく。

 

 手が生え、足が生え、頭が生え、ズボンが浮き出し、靴が足を覆い、コートが形作られ、帽子が湧き出る。

 全てが赤黒かった人形(ひとがた)のなかに差異が生まれ、色づき始める。

 

 まず表れたのは青。

 次いでは黄色。

 最後には黒と灰色。

 

 私は、思わずアッと声に出していた。

 声には出さねど、ヘンリーやバーナードもこの時ばかりは私と同じ想いを抱いていただろう。

 

 交叉するサーベルのエンブレムをあしらった、黒い庇の広い帽子。

 濃紺の上衣には金ボタンが輝き、水色のズボンには黄色いラインが走る。

 黒ブーツには銀拍車。首には洒落た赤いスカーフをあしらってある。

 

 忘れもしない、その青い姿。

 ああ、幾度となく、煮え湯を呑まされた、北軍(ヤンキー)騎兵のいでたち。

 

 右手には刀身が鈍く輝くサーベルを下げ、そして左手には――意外なる得物がおさまっている。

 

 ――レマットリボルバー?

 

 キッドが奇妙にもその左腰に吊るした、古い古い南軍(ディクシー)の拳銃。

 どう見ても北の騎兵なその男は、なぜか似つかわしくないそれを左に握っている。

 

『――』

 

 死体から産まれた北部男は、俯いていた顔を静かに起こした。

 立派な口ひげ、綺麗に整えられた髪。それだけ見ればいかにも紳士な顔立ちだが、しかしその肌の色は青白く、しかもその双眸は石炭のように“真っ黒”だった。

 そう、本当に、言葉通りに真っ黒なのだ。

 白目と瞳の区別もなく、インクを眼窩に注ぎ込んだかのように、真っ黒なのである。

 私は、寒気を催した。背筋に、嫌な汗が湧くのを、強く感じた。

 

『――』

 

 男は、左手の銃をキッドのほうへと向けた。

 キッドは――動かない。

 ついさっき、スツルーム野郎の鏡のなかを見た時と同じ、まるで、亡霊にでも出会ったかのような、そんな表情のまま、彫像のように固まっている。

 

「――」

 

 私が、何か叫ぼうとする。

 何と叫ぼうかと、自分の頭の中で出来上がる前、言葉の端も出ない内に、男の、引き金にかかった指に力が込められる。

 

 それが、合図になった。

 

 ――銃声。

 そして、肉の弾ける異音。

 

 真っ黒い眼の北軍騎兵の右胸の辺りに、三発の45口径ロングコルト弾は殆ど同時に突き刺さり、その衝撃には怪人の上体も大きく揺らぐ。

 

 最初に動いたのは、恐らくはキッド。

 恐らくはと言ったのは、その素早さが私すらも捉えらぬほどだったからだ。

 

 あの呆けた表情もそのまま、向けられた銃口、引き金にかかった僅かな力の鳴らす軋みに応じて、体のほうが先に動いたのだ。殆ど、一つにしか聞こえない繋がった銃声は、標的に刻まれた弾痕からようやく、実は三発分のものであったことが明らかになる。

 

『――』

 

 人間離れした甲高い絶叫が怪人の喉から迸り、ずれた銃口からは音もなく弾丸が飛び出し地面を穿つ。

 

「――ッシャァッ!」

 

 同時に、キッドは己が前へと跳びながら、上体を左に捻る。

 いつの間にか左手に持ち替えられたコルト・シングル・アクション・アーミーは、ヘンリー銃を構えたヘンリーの、その残像を撃ち射抜いた。

 ヘンリーはキッドとは逆方向に跳びつつ引き金を弾き、やつもまたキッドの残像を撃ち抜いている。

 

「おおおおおおおおおおおおっ!」

 

 私は雄叫びと共に、二丁のコルトの弾倉が尽きるまで乱射した。

 早撃ちは門外漢のバーナード、キッドを狙うヘンリー、そしてスツルーム野郎に新手の怪人も纏めて、銃弾と硝煙で煙に巻くために。

 

「退くぞ!」

 

 状況の不利を悟って、馬首を返しつつ私はさらに叫ぶ。

 事実、キッドに三発も撃ち込まれた筈の怪人騎兵は、地に斃れることもなく、のろのろと私達へと銃口を向けつつある。それだけならまだしも、さらなる状況悪化が、矢継ぎ早に襲いかかってきている。

 

『なああああああああああああああっ!?』

 

 アラマが素っ頓狂な悲鳴をあげたのは、北軍騎兵に続いて湧いて出た、敵の新手に対してだった。

 

 ――咆哮、咆哮、咆哮。

 鋭い爪の生えた脚は地面を蹴り、鋭い牙をむき出しに、黒い鬣をなびかせて、それは迫る。

 

 それは――否、それらは獅子だった。

 アラマが呼んだのと寸分変わらぬ、ライオンの群れだった。ただし、あからさまに、そいつらは敵の車列の内から飛び出してきている!

 

 アラマの獅子と、敵方の獅子がぶつかりあえば、それらはまるで幻だったかのように煙となって掻き消える。

 次々と、こちらがたの獅子が掻き消えていく。

 ヘンリーにバーナード。

 スツルームの魔法使い。

 怪人たる北軍騎兵。

 獅子たちが抑えていた屍人どももこれに加わる。

 

 ――潮時だった。

 

「キッド! イーディス!」

 

 弾の切れたコルトを、素早く交換しながら私が叫べば、イーディスは口笛を吹き、己の馬を呼び寄せる。

 斬り込みを仕掛けて以来、主と付かず離れず追従していた八本脚馬は素早く駆け寄――ろうとした所で、その頭が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「――バーナード!」

 

 私は、声に出して思わず叫んでいた。

 硝煙の向こうには、素早く50口径弾を再装填する、灰色の目の殺し屋の姿が見えた。

 紫煙吐く、シャープス・ライフル。馬もなく、駆けて逃れられる相手ではない。

 

 さぁ、どうする?

 退くにも退けず、進むにも進めず。

 このままではここでおっ死ぬ破目になる。

 

「アラマ! 麦だ! 麦だ!」

 

 私は、咄嗟の思いつきを半ば破れかぶれに言い放つ。

 聡明なアラマは私の突然の思いつきにも金の瞳を輝かせ応じ、鞍の物入れに詰め込んだ、瓶を幾つも引っ張り出す。

 

「撃て! 瓶を撃て!」

 

 ヘンリーとバーナードをコルトで牽制しつつ呼びかければ、色男が素早く得物を構える。

 キッドもまた、例の早業で空薬莢を流れるように弾倉より弾き飛ばし、手品のように鮮やかに再装填していく。

 

「アラマ!」

 

 呼べば、アラマが瓶たちを放り投げた。

 大きな弧を描き飛ぶ瓶の中身は、ゴーズの血。アラマは喉もやぶれよと金切り声で呪文を唱える。

 

 ――撃て!と合図する必要もない。

 瓶が一番宙高く飛んだ所を逃さず、キッドと色男は共に引き金を弾く。

 銃弾と角矢とが、各々瓶を打ち砕き、吹き出す血は最早雨というより空より注ぐ赤い河。

 

『――汝の流す血によりて、我らは救われん!』

 

 アラマの最後の呪文により、赤い河は金の海へと姿を変じた。

 実りに実った麦の穂が、私達とスツルーム野郎どもとの間を美しく遮る。

 

「退け!」

 

 今度こそ本当の潮時だ。

 イーディスは素早くアラマの馬に、キッドは色男の馬へと跳びつく。

 それを確認し、殿を終えて退却しようとする私の双眸が捉えたのは――麦の穂の雨を物ともせず、にじり寄り、こちらに銃口を向ける、北軍騎兵の怪人。

 

 やつの黒い眼と、私の灰色の瞳が交叉する。

 

 ――そして、私は遂に撃たれた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。