異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~ 作:せるじお
フラーヤたちを出迎えた私達が、真っ先にやったのは彼女たちをナルセー王のもとまで連れて行くことだった。
予期せぬ生存者の到着には、アフラシヤブの丘も既に夜深い中にあってもちょっとした騒ぎになり――人一倍大騒ぎしたのは、呼ばれるでもなく駆けつけてきたアラマだった――王の陣幕までたどり着くのには少々骨が折れた。
『よくぞ生き延びてくれていたモノだ。まさに天佑神助――栄えあるマズダの神にも、汝の神たるミスラにも、その御印を示し給うたことを感謝せねばなるまい』
仮の玉座に腰掛けたナルセー王は、跪くフラーヤたちに対して落ち着いた声で労いの言葉をかけた。
王冠を溶接した兜も、銀色に輝く鎧も脱いだラフな姿だが、よくよく見れば身にまとうのは革を鞣した胴衣であり、座っていても抜きやすいように短剣を腰帯に挿し、傍らには長剣を携えた従者を控えさせていて、つまる所、まるで臨戦態勢は解いていないのである。常在戦場たるその姿は、王者であり武将である彼もまたその役割に忠実なプロフェッショナルの一人であることを示していた。
『ここまでの道程、さぞかし難事に満ちていたことであろうよ。本来ならば、我がマラカンドにて何が起こったのか――それを問わねばならぬ所ではあるが、もう夜も更けた時分ゆえ、それは日が昇ってからに致そうぞ』
『お心遣い、感謝いたします』
頭を垂れるフラーヤは相変わらずの、見えぬはずの眼で目明きと変わらぬ優美な所作だ。
怪我一つないその姿に、私の隣でアラマがグスグスと嬉し涙に加え鼻水まで垂らしている。
折角のキレイな顔が台無しになっているが、それでもさっきまでよりはマシなぐらいで、フラーヤと再会した直後などは、まるで赤ん坊みたいにワンワンと泣き出したのだから閉口させられた。まぁ、切った張ったの修羅場を潜り抜け、緊張の途切れる暇もなかった所で、死んだと思っていた同胞に再会できたのだから、アラマが泣くほどに感極まったのも無理はないのであるが。
『おっと――これは失礼した。
ナルセー王が冗談めかした調子で声をかけたのは、フラーヤの右側で俯くもう一人の男に対してだ。
地面に跪くフラーヤに対し、その男は敷物の胡座をかいているという時点で、この男の立場が他の連中とは少々違うことは明らかだが、ナルセー王の使うやや丁重な口ぶりがそれを更に裏打ちする。
フードによって頭はスッポリと覆われ、その顔を窺うことはできないが、その縦にも横にも膨れ上がった巨躯は、忘れようにも仕様がない。
『なぁ、ロクシャンよ。よくぞ生き延びてくれたものよ』
スピタメン家のロクシャン――マラカンドのズグダ人の頭目。
ナルセー王をあの街の表の支配者とするならば、いわば裏の支配者と言える大商人。
とっくにくたばったとばかり思っていたのだが、
『……オウモソクサイナク、ジツニアリガタシ』
しかしフードの下から漏れ出て来たのは、何とも聞き取りづらい嗄れた声だった。
記憶の中にある、
『うむ。貴公が健在とあらば、街の再建もいち早く成し遂げられようというものよな』
だがナルセー王からすれば、とにかくロクシャンが生き延びたという事実が重要であるらしく、どんな様であるかはどうでも良いことらしい。聞き取りづらいズグダ人の長の言葉にも、上機嫌にうなずいてみせている。
『――寝所の用意ができたようだ。
陣幕の入り口の布をめくり、マゴスが王のことを窺っているのを見留た所で、ナルセー王は二人に退出を促した。
ロクシャンはよろよろと立ち上がり、それをフラーヤが横から支える。……盲人がそうでない者を支えるとは、何とも妙な光景である。アラマが慌てて立ち上がって手助けしようとするが、やはり盲人にあるまじき素早い反応でフラーヤは顔をこちらに向けると、首を横に振って遠慮した。
「……」
陣幕の隅っこ、出口に近い方に私とアラマは控えていたのだが、ふと気になった私は体勢を変えてロクシャンの、そのフードに包まれた顔を覗き見ようと試みた。
果たして、その瞳だけを私は見ることが出来た。
顔を隙間なく覆う白布の間で、僅かに覗く双眸は単に火傷や怪我とは思えない程に淀み、濁っているように私には感じられた。――ぞくり、と背骨に冷たい感覚が走るが、この時は静かにやっこさんの背中を見送った。
『あからさまに、怪しくはないか?』
開口一番に、色男が言い放ったのはそれだった。
『んなっ!?』
アラマが遺憾心外と眼を見開き抗議の声を挙げるも、イーディスとキッドは色男へと頷き返した。
私はと言えば黙して語らず、首肯もすることもなく、頭を振ることもしなかったが、アラマ以外の三人とおおよそ同じ意見だった。
怪しい、というのはフラーヤたちのことである。
あれほどの、マラカンドでの殺戮の後に、今更のように姿を現した、彼女たちのことである。
『スツルームの魔術師どもの目的はわからないが、いずれにせよ連中はマラカンドの街を襲った。もし私が連中の立場なら、真っ先に仕留めに掛かるのはナルセー王か、さもなくばスピタメン家のロクシャンだ』
色男の言う通り、まず相手の指揮官や士官を狙い撃ちにするのは戦いの定石だ。実際、私も前の戦争の時は何人の
『しかし、不敗の太陽、牡牛を屠るものミスラの徒にして、「太陽の使い」であられるフラーヤ殿を疑うなど! 礼を失しているのです! 冒涜なのです!』
当然、アラマは食ってかかる。ロクシャンはともかくとしても、同道したフラーヤは彼女にとっては同胞なのだから。
とは言え、食ってかかりはするのだがそこはかとなく、彼女の語気には迷いが見える。アラマには珍しいことだが、その理由は私にも察しがつく。
『あのスツルーム一党との戦いの折、
そう、まさに今イーディスが言ったのと同じことを、アラマも内心考えていたのであろう、ということだ。
アラマは些か、思い込んだら一直線な所はあるやもしれぬが聡明な少女だ。事実を想いで捻じ曲げるようなことは、彼女にはできない。
『それは、それは確かに確かかもしれないのですが、それでも、フラーヤ殿があの忌まわしきスツルーム共の仲間などと! 認められないのです! 証拠も、何一つありはしないのです!』
かといって易々認めるアラマでもない。
それに彼女の言うことも一理あって、怪しくはあろうともただそれだけであって、それ以上ではない。
だからこそ、私達は彼女をナルセー王の所まで通したし、なにより今の私達は雇われ人なのだ。手前勝手な仕事をする訳にもいかない。
ナルセー王の腹の中の実際はともかく、少なくとも彼は二人に寝床まで用意したのだから、勝手に動かなくて正解ではあった訳だ。
――それでも、疑惑はなくならない。
「本人の意志とは限らねェだろうサ」
アラマとイーディスの議論に割って入ったのは、葉巻を燻らせるキッドである。
やっこさんはいつものように、シェークスピアとかいう男のものと思しき言葉を引用しつつ言う。
「“この世界は全てこれ一つの舞台、人間は男女を問わず全てこれ役者にすぎぬ”――人間ってのは神様の書いた筋書きを演じる他ない生き物であるが、その実、脚本家が他にいないという訳でもない」
『……操られていると言うのですか?』
キッドの解りにくく回りくどい言葉遊びも、アラマは簡潔に解きほぐしてみせる。
やっこさんはニヤリと悪戯小僧めいた微笑みを浮かべると、話を続けた。
「そういう術もあるんじゃあないのかね? 御伽噺じゃ、その手のことはよーく聞くもんだが」
『……』
アラマは口元に手を当てて考える。
その表情から察するに、思い当たる所がないわけでもないらしいが――。
『いえ、その手の術は術者が死ねば効力を失う筈。いくらスツルームの魔術師であろうとも、首を刎ねられてなお生き永らえて呪を紡ぐとは考えられないなのです』
『となると、やはり他の術者がまだ生き残っていると?』
あるいは、イーディスの推測が正しいのかもしれない。
いずれにせよ、ロクシャンとフラーヤが怪しいのは確かなことなのだ。
「手分けして見張るとしよう。アラマ以外、俺たち四人で夜明けまで交代でだ」
――私はっ!?
という顔をアラマが見せたので、すかさず彼女にも指図をくれる。
「アラマは例の、緑色の石板の中身を読み解いてくれ」
『「
「ああ、そうだ」
私は、即座にうなずき返した。
――スツルームの呪術師が、何を喚び出す為に、この丘を目指しているのか、それが私には謎だったのですが……この書を紐解いていると、その謎がこの中にあるのではと、そんな感触があるのです。
アラマが言った通りなのかもしれない。彼女が、探し求めてきた聖なる書と信じて疑わぬ
フラーヤとロクシャン、そして同行していた若干の生存者たちが休んでいる筈のテントを、宵闇に隠れながら窺える場所へと身を潜める。
そこで初めて気づいたのであるが、どうもナルセー王も彼女らを怪しいとは思っていたらしく、別の暗がりに親衛隊の一人が、ほぼ完全武装で隠れているのが解った。
実にうまく隠れているが、元
「……」
頬でホイットワースの銃身に触れ、その冷たさを味わい、意識を研ぎ澄ます。
テントの出入り口は二つ。その一方を私と色男が、反対側にあるもう一方をキッドとイーディスが交代で見張る。足元に置かれた、こっちに来てからはめっきり見ることのなかった懐中時計にちらりと視線を下ろせば、交代まであと十分程度になっていた。
――読みが外れたか?
ふと、そんな考えが頭を過る。
既に色男ととの交代は三度目になろうとしているし、夜明けだって近い。しかしフラーヤたちのテントの静けさは寝静まっているとしか思えない、凪の海のような動きの無さなのだ。
無論、彼女らが何らかの行動を起こすのは今晩ではなくて、日が昇ったその後かもしれず、あるいは次の晩か、明後日の晩かもしれない。あるいは、マラカンドに戻ってからかもしれない。だが少なくとも、もう夜が明けるまでの、その僅かに残された時間のあいだでは、もうないのではないか――そんな風に、私は考えるようになっていた。
だが、読みは外れていなかったのだ。
私の安易で楽観的な見通しは、ほんの数分も経たないうちに打ち砕かれてしまったのだから。
「……ン?」
事は、もう色男と交代しようという、まさにその頃に始まった。
マゴスが三人、何やらそれぞれ籠を抱えて、フラーヤたちのテントへと歩いてくる。――今になって思えば、コイツラは何をしにやってきたのだろうか。恐らくはナルセー王の使いか何かで来たのであろうが、当時は問い質す暇もなかったし、その後起こった大騒動の陰に隠れてすっかり忘れてしまったから、今となっては何もかも謎だ。
ともかく、連中はやってきて、テントのなかへと入っていった。恐らくは、入っていったタイミングが悪かったのであろうが、連中が何と出くわしたのかは、テントに隠されていて私には未だに解らないままだ。それに加えて――。
『まれびと殿! まれびと殿! まれびとどのぉぉぉぉぉぉぉっ!』
――宵闇を吹き飛ばし、
「バッ――!?」
『!?』
馬鹿、大きな声出すな、などと思わず声に出しそうになって、慌てて口元を手で押さえる。
視線が一瞬逸れたその瞬間に、視界の外側で、轟音が鳴り響き、私もアラマも驚きに身が固まる。特にアラマなどは、例の緑の金属製の本を上に掲げたままの、間抜けな体勢のまま止まってしまっていた。
鳴り響いた轟音は、何水気のあるものがグシャリと潰れる音に似ていた。
続いての轟音は砲撃のそれに似ていて、事実爆風めいた旋風が同時に巻き起こる。
驚く私とアラマの目の前で、白い何かが彼方へと吹き飛んでいく。竜巻めいた衝撃波に、テントが巻き上げられ、崩れ倒れる。
『UGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!』
現れたのは、およそ人の喉には出せるはずもない咆哮を放つロクシャンの姿だった。
顔を隠していたフードが外れ、白布に覆っても隠しきれない
『なっ!?
アラマの言う通り、ロクシャンは既に生きる屍になっていたのだ。
その右手にはマゴスの頭が握りしめられ、怪力に潰されたのか顔を覆う白頭巾は血で真っ赤に染まっている。傍らには暴走したバッファローの群れに轢き殺された死骸めいたモノも転がっているが、恐らくは先に叩き潰されたマゴスの一人だろう。だとすれば、さっき視界を過ぎった白い何かは、残った最後のマゴスだったのだろうか。
『UGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!』
白く濁った双眸が私へと向き、歯が欠け抜けてボロボロになった真っ赤な口を開き、吠える。
「うるせぇよ」
即座に私は引き金を弾き、無防備な胸元へと.451口径の鉛弾を撃ち込んだ。
屍生人は、心臓を砕くか首を切り落せば地獄に還る。ロクシャンもまた、ロンジヌスたちと同じようにまことの死者へと戻る――筈であった。
「っ!?」
だがロクシャンは斃れない。銃撃に仰け反りこそすれ、ただそれだけである。
自分を撃った私へと、再び腐った瞳を向けて、おぞましい咆哮を、酸っぱい臭いの唾と共に吐き出す。
ホイットワースを捨て、コルトの銃把へと手を伸ばす。
ヤツが地面を蹴って、私を目掛けて跳んだのは、それと殆ど同時のことであった。