異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~   作:せるじお

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第1幕 ゼイ・コール・“ハー”・セメタリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――世紀末の年、森深いアメリカのとある街にての話だ。

 

 

 

 

 雑踏の中を縫うように歩みながら、目的地を目指して歩む。寄り付いてくる蝿だの羽虫だのを払いながら、黙々と進む。基本住みよいこの街も夏の暑さだけはたまらない。じめじめとしているし、虫がやたらと湧くのが鬱陶しいのだ。まぁその虫が湧く所以こそ、この街が栄えている理由、スウィートウォーターという名前の由来となっている豊かな湧き水にあるのだから、余り文句を言ったもんでもない。

 昨夜の雨に泥濘む地面を、泥を跳ね飛ばしながら前進する。革のブーツが汚れるが、元より野山を駆け回っているが為に傷だらけ汚れまみれだから気にしない。幸い、ダンスホールだの日曜日の礼拝だの、身だしなみを整えて行かねばならないような所は今でも無縁だから、問題は全く無い。そもそもたまに街に降りてきた所で、行く所と言えば雑貨屋と銃砲店と新聞屋と銀行屋ぐらいのモンで、それもやることを済ませば長居をすることもない。

 

 些か時間をかけて、街外れまでやって来る。

 呼び出されたのは、酒場(サルーン)『サンダウナー』だった。このスウィートウォーターきっての大きな酒場でありながら、地元の人間はほとんど通うことはないという変わった店だった。

 

 もともとウェルズ・ファーゴの駅馬車が州と州とを跨ぐ時に、水だの何だのを補充する為にと拵えた中継基地が元になっていて、その立地の良さからそのまま鉄道の中継駅にもなっているのがこのスウィートウォーターの街だ。先に街があって後から駅が出来たもんだから、鉄道駅が元々の街の中心から外れた場所に立っている。故に駅の近辺は旅客向けの宿だの酒場だの雑貨屋だのが軒を連ねていて、『サンダウナー』もそんな余所者向けの酒場のひとつだった。つまり、ここでは数少ない街の知り合い顔なじみと出くわす確率は低いってこった。

 

 気の乗らない今度の呼び出しについて言えば、この点だけが唯一好ましいことだと言えた。

 無論、あの野郎も私がそう思うだろうことを予測してこの店を選んだのだろう。普段、私が引きこもっている山の上森の中の小屋まで出向くような殊勝な態度は、あの男には期待できない。

 

 はぁ、と、思わず溜息をつく。爺臭いので嫌なのだが、実際もう私の年齢は『オッサン』――エゼルやキッドにそう呼ばれていたのも、もう懐かしい思い出だ――をとうに通り過ぎてしまっている。日々の活計(たつき)たる狩猟のために野山を駆けずり回っているから、年齢を考えると極めて稀な元気さであるし、私と同世代のご同業連中はその半分が監獄のなかで、もう半分は棺桶のなかに入っているような有様だ。正直な所、自分がここまで生き残ってきたことに、一番驚いているのが私自身だ。あるいは、人様とは少々違う経験(・・・・・・)を重ねてきたお陰だろうか。全く、天に(ましま)す我らが神様の、お考えというやつはつくづく理解に苦しむ。

 

「――おい」

 

 私は振り返り、そこで町並みをぼんやりと眺めていた連れ(・・)に呼びかける。

 

「行くぞ」

「……」

 

 顎をしゃっくてついて来るように促せば、茫洋として考えの読めない灰色の瞳で私を見ては、一言も口をきくこともなく、とてとてと歩み寄ってくる。……全く、普段は余り来ない駅周りにやって来たからといって、ぼうっとし過ぎだ。私が声をかけなければ、そのまま置いていく形になったろう。毛皮や肉を卸しに行く時と、生活に必要な諸々を買い出しに行く時以外は山からほぼ降りない私と違い、週イチで勉強のために――学校で先生をやっている妙齢のご婦人に、特別に謝礼を出して個人授業をやってもらっているのだ――街に来ているのだから、そう珍しがることもあるまいに。

 

 私よりも頭2つ3つも背の低い連れを伴って、スィングドアを抜けて酒場のなかに入る。酒と煙草の臭いが、淀んだ空気と共に外へと流れて来て、私は若干顔をしかめた。

 まだ真っ昼間を僅かに過ぎたに過ぎない時刻にも関わらず、店内は酔っ払いたちで大いに賑わっている。近頃街外れの森で金が出たものだから、この街はにわか景気に湧いていて、余所者がえらく増えたのが、半ば世捨て人の私の眼からも明らかな程だった。だから私らが店に入ってくる姿も、ごく僅かな例外を除けば注意注目する者など誰もいない。

 ではその極僅かな例外とは誰かと言えば、店の主やウェイターは当然として、一番奥のテーブルでパイプより紫煙を燻らせていた赤毛の男だった。その男は私達の姿に気がつくと、にこやかに微笑み、手を振った。

 私は辟易とした顔で、連れは相変わらずの無表情でこれに応じつつ、酔客の群れを縫ってその円卓へと近づいていく。その間にも、赤毛の男は私らに断りなく指を鳴らして店員を呼ぶと、勝手にビールを注文していた。……全く、前あったときも私は、昼間から酒を飲むような真似は原則控えていると教えたはずなのだが。だがあの男の記憶力の凄まじさを考えると、こっちをおちょくるために解っていて敢えてやっているやもしれない。そういうことを平気でする性分なのだ、この赤毛の男は。

 

 

「やぁ久しぶりだね。 ちょいと見ない内に、随分と老けたもんじゃあないか」

 

 

 赤毛の男は人好きのする笑みに、笑っていない青い双眸を添えて私らを迎え入れた。

 対する私はと言えば、軽口に応ずることもなく、乱暴に椅子をひいてドッカリと座ってみせる。好きで来たわけじゃねぇぞという意思表示だ。赤毛の男は苦笑し、対照的に静かに座った我が連れへとウィンクをしてみせている。

 

「……」

 

 連れは静かに、座っただけで、一言も発しないし、眉一つ動かさない。全くの無反応。私ら二人の無礼な対応にも赤毛の男は肩を竦め、やれやれと首を横に振り呆れを仕草で示したのみだった。パイプの中身を吸い、煙で器用に輪っかを作る。連れのほうはと言えば、無感動な瞳で輪っかが消えるまでを追いかけていた。その顔に浮かんだぼんやりとした表情は年齢以上に――といっても私はこの連れの本当の歳など知らないのであるが――幼く見えた。

 

「子どもを引き取った、とは噂で聞いていたけど、まさか本当だったとはね。でも前に会った時は連れてきてくれなかったじゃないか。いったいどういう風の吹き回しだい?」

「いいから、要件を話せよ」

 

 この赤毛男に好きに喋らせてると、無駄に話が長くなる。やや強引に話を遮ってやるが、やはり人好きのする笑みのまま、その表情は変わらない。私はこの男が、今浮かべている顔以外の表情をした所を見たことがない。それは――『人殺し』をしている時ですら、僅かに口髭の下で犬歯を剥き出しにするぐらいで、それ以外はまるで顔が変わらないのだ。

 

 そうこの赤毛男は、出会った時からまるで変わらない。

 暑い季節に出逢えば、いつも白の上下に空色のネッカチーフ、そして庇の広いパナマ帽。

 寒い季節に出逢えば、いつも喪服のような黒尽くめに、深紅のタイにインバネスコート。

 今は夏だから、白を基調とした格好のほうをしていた。

 

 変わらないのは服装だけではなくて、燃えるような赤毛、空のような青の瞳、形よく整えられた口髭と――容姿容貌もまるで変わっていない。最初にこいつと出くわしてから結構な時間が経った筈だが、不可思議なぐらいに若いままで変化がないのだ。恐らくは努力して見た目を作っている(・・・・・)のだろうが、それにしても恐るべき技だと言えた。

 

「まぁ待ちたまえよ。孔子(コンフーシャス)曰く『急いては事を仕損じる』だ。まずはビールでも飲もうじゃないか」

 

 アイルランド系の癖に――その言葉に端々に覗く訛りから、これは明らかだった――清国人みたいなことを言う男だ。赤毛男が勝手に注文したビールが運ばれてくる。連れのほうには店主が気を利かせてくれたのか瓶入りのソーダポップが置かれた。

 

「……」

 

 変わらぬ無表情ではあるが、こころなしか嬉しそうに見える。やはり年相応に甘いものは好きなのだ。

 私はと言えば、運ばれてきたビールを暫時睨みつけると、ため息をひとつ挟んだ後に、結局それを口にした。現役の頃の私ならば、絶対にあり得ない行動だが――だが、今の私には関係のないことだった。

 

 

 誰にだって、いつかは足を洗う時が来る。

 

 

 それは私にとってもそうだった。標的は人から獣へと代わり、住処は荒野から野山へと代わった。

 他のガンマンがしないような仕事をいくつもこなし、こちら側では在り得ざる怪物たちを斃して得た報酬が、それを可能にしてくれた。だが、足を洗ったからと言って過去が消えるわけじゃあない。だからこうして時々、昔の仕事へと舞い戻らざるを得ない場合がある。

 

 だから、この一杯を飲んだら、暫くは酒はお預けだ。

 たっぷりと、味わって飲むことにした。連れのほうも、ちびちびとソーダ水を飲んでいることだしな。

 

 

 

 

「それで――ピンカートンの探偵殿は一体全体、どんな揉め事を持ち込んでくれるわけだ?」

 

 

 

 

 ビールを目一杯時間をかけて味わった後、私は単刀直入に聞いてきた。赤毛の男は、髭の下で口の端を僅かに吊り上げると、私が素直に聞いてきたのを話が解ると軽く頷きを返す。

 

 私はこの赤毛の男のことを『オプ』と呼んでいた。理由はそのまま、この男がピンカートン探偵社の私立探偵(オペラティヴ)だからだ。本名は知らないし、知ることもないだろう。何せこの男は会うたびに名前も肩書も全く別に変わってしまうからで、不変なのはその姿かたちと探偵であるという事実だけだ。

 

 ――ピンカートン探偵社。

 アメリカ最大の私立探偵社であり、ここに雇われた探偵たちはこの国で最も優秀であり、なおかつ最も悪名高い男たちだ。腕利きの用心棒であり、賞金稼ぎであり、そして探偵である。人探しに人狩り、要人警護からスト破りまで、報酬次第で何でもこなし、実業家連中はおろか政府機関からの仕事も大々的に請け負う。

 

 オプはそのピンカートンの探偵たちのなかでも、随一の腕利きだ。

 引退直前にそんな男と轡を並べてひと仕事やってしまったのが運の尽きだ。厄介事を時折、こんな風に持ち込んでくるようになってしまったのだから。

 オプは、ブライヤー・パイプを一際大きく吸うと、紫煙を吐き出しながら、こう話を切り出したのだ。

 

「ニューメキシコにコラジンという街があるのを、知ってるかい?」

 

 ああ、なるほど。

 だから私に声がかかったわけか。ニューメキシコは、仕事柄特に何度も赴いた場所だから、土地勘は確かに人一倍あるのは確かだ。実際その街も一度だけ訪れた事がある。と言っても仕事の途中で立ち寄った程度なのだが、事実は事実なのでうなずいておく。

 

「そのコラジンの街では何年か前に、宝石鉱山が見つかってね。随分と羽振りが良いわけなんだけど、ところが街で一番大きな採掘会社の社長さんが、我が社に急な相談を持ち込んできたのさ。なんでも聞くところによれば、鉱夫たちが不穏な動きを見せていると、鉱山会社の社長さんから相談があってね。軽く探りを入れてみた所、『モリー・マグワイアズ』みたいな秘密結社が裏で何やら暗躍してるみたいなのさ」

「今日日流行りの労働運動とやらじゃないのか? 新聞で読んだぜ」

「それならわざわざ君をあの山から引っ張り出すまでもないさ」

 

 オプは首を横に振りながら言い、最後に「君みたいな男でも新聞は読むんだね」などと付け加える。

 ぶちのめすぞ、この野郎――と目つきで伝えてみるが、向こうは意に介することなく話を続ける。

 

 余談だが、『モリー・マグワイアズ』というのは今から2、30年ほど前に、ペンシルベニアで暴れまわったアイルランド人どもの犯罪結社のことだ。あの辺りには炭鉱が多いが、その炭鉱の鉱夫どもの間で根を張っていたという秘密結社で、誘拐に強盗に殺人にと、悪事なら何でもやったと――そういう噂が今尚生き続けている。炭鉱主に雇われたピンカートンの探偵連中に一網打尽にされたとのことだが、その実態だのといったことは所詮は部外者である私の知ったことではない。

 

「どうも、先住民たちの神を奉ずる新興宗教団体らしくてね、じわじわと鉱夫たちの間に信者を増やしていて、その数は社長さんも把握できないぐらいになっているみたいでね。加えて言えば鉱山脇の飯場街じゃ行方不明者や不審な死に方をする鉱夫や娼婦が着々と増えている有様で、まあ、この教団がなにがしかやらかしているのはもう間違いないわけだよ」

「つまりその教団とやらを片付けりゃ良いわけか」

「話が早くて、実に助かる」

 

 オプは床に置いてあった革のブリーフケースから、書類の束をだして私へと投げて寄越す。

 元アウトローにしちゃ珍しく文字の読みが出来るのが私だ(書く方は相当に怪しいが)。オプに読み上げてもらうこともなく、自力で一通り黙読してみる。中身はその宝石鉱山に巣食う教団とやらについての情報だった。で、あったのだが――。

 

「これだけか?」

「今のところはね」

 

 私は呆れたと鼻をフンと鳴らし、紙束を机の上に放り投げる。

 書類に書かれていたのは鉱山の場所と地図、鉱山で何が採れるかだの鉱山会社の経営状態についてだのの諸々であって、今度の仕事に必要な情報――相手方の人数、幹部が誰で、誰を始末するべきなのかなど、そういった情報は殆ど何も載っていないのだから。

 

「君のご不満はこちらも理解している所さ。だが、白状させてもらうと、先に潜入された我らがピンカートンの優秀な探偵が一名、既に消息を絶っているんだ。この事実だけでも、事態がいかに深刻であるかが理解できたかと思う」

 

 オプがさっき挙げたモリー・マグワイアズの件などは、鉱夫に化けたピンカートンの探偵の潜入捜査で組織の尻尾を掴み、そこから一挙に検挙へと持っていったと聞くから、その得意の戦法をハナから潰されてるという訳だ。成程、確かにそいつは穏やかじゃあない。

 

「教団の規模は我々の当初の想定よりもずっと大きいし、その力も相当に強いものみたいなんだ。本社では探偵を増員して事に当たると決まったけど、僕に言わせるとそれだけじゃまだ不足だ」

 

 オプは私の眼を真っ直ぐに見つめてきた。

 私はと言えば欠伸を大きく吐いて、涙を拭いながら問う。

 

「そこでなんで俺なんだ? おたくの所の探偵連中は腕利き揃いだし、助っ人を雇うにしても俺よか若くて使いでの良い連中が他にごまんといるだろうによ」

 

 この問いには、オプは指を立てながら順繰りに説明を加えていく。

 

「まず第一に、君は僕の知りうる限り、最高のガンマンだということ。第二に、ニューメキシコの地理や自然に通じているということ。そして第三にだけど――」

 

 オプはちょっと間を空けて、こいつ的にはこれが一番肝心だと思っているであろう理由を挙げた。

 

「向こうも、君と同じぐらいの腕前の用心棒を雇っているらしいってこと。これは例の先に潜入していて、恐らくは既に消されただろうウチの探偵の最後の報告からも確からしい情報だ」

「この紙切れには何もなかったぞ」

「紙面に記すのは、絶対確実な情報だけでね。今言った話が本当に事実かは、これから君と僕とが確かめに行くのさ」

 

 当然の疑問に、オプはもう私が仕事を引き受ける前提でのたまって下さる。

 

「俺は引退したんだって口酸っぱく言っただろうがよ、前の仕事の時に」

「でも結局、君は引き受けるんだろうねって予言した筈だがね僕は。それで、予言は正しかったのか否か、それが問題だ」

「……」

 

 私は腕組をして考え込んでしまった。

 

 実際の所、オプからの仕事を引き受けるメリットは余り無い。確かにオプからはアウトロー界隈の最新の事情、それもこんな田舎町の新聞なんかには載らないような情報まで聞くことが出来る。(余談だが、近頃はワイルドバンチって連中が暴れまわっているらしい。)しかしそれだって別になくて困るもんでもない。裏社会の情報を求めるのは、単に人生の大半を費やした仕事からくる習性を引きずっているにすぎないのだ。金だって慎ましく余生を過ごすだけなら充分過ぎるぐらいにあるし、猟師としての腕は生憎と悪くはないので、自分と連れの分ぐらいは稼ぐことも出来る。オプは私の過去を知っているから、それを種に強請りをかけて仕事を強要することも出来なくはないが、そしたらその時はその時で、家を引き払ってトンズラこくだけのことだ。スウィートウォーターはありふれた田舎町でしかないから、同じような雰囲気の移住先はすぐに見つかることだろう。

 

 

 じゃあなぜ、私はこの探偵の持ち込む仕事をこれまでも引き受けてきたのか。

 

 

 自分でもその理由はよくわからない。言うなれば――結局の所、これが私の『仕事』だからなのかもしれない。

 南北戦争(前の戦争)が終わって以来、ずっとこうして生きてきたのだ。多少老いさらばえたとは言え、今更易易と生き方ばかりは変えられない。そのことを、この探偵野郎も理解しているから、こうして私を呼び出したわけだ。

 

「言っとくが、たぶんこれが最後だぜ。正直言ってな、最近じゃ足腰がガタついて来たし、眼の方だって昔ほどじゃないんだ」

「僕の記憶だと、その台詞前も言ってなかったかい?」

「……ほれ見ろ。忘れっぽくもなってる」 

「そんだけ減らず口が叩けるなら、まだまだ元気だと思うがね」

「言ってろよ――それで? その用心棒とやらはどんなやつなんだ? あるいは知ってるやつかも知れん」

 

 要するに今度の仕事を引き受けたと私は言った訳で、それを理解したオプは、私にも解るようあからさまな笑みを浮かべて見せた。その作り笑いを浮かべたまま、器用にパイプをひと吸いすると、煙を吐きつつ言った。

 

「それがだね。どうにも妙というか、まるで三文小説(ダイム・ノベル)みたいな話で恐縮なんだが――その用心棒とやらは『鎧』に『兜』を纏った怪人だって話なんだ」

「鎧に……兜だぁ?」

 

 一気に話が胡散臭くなって来たが、そんな印象はオプの次の言葉で吹き飛んだ。

 

「その兜は実に奇妙な形で、目の部分がガラスに覆われ、鳥の嘴のような(・・・・・・・)、そんな意匠が――」

「おい」

 

 私は身をずいと乗り出して、オプの言葉を遮っていた。

 珍しくオプは自然な驚き顔を見せたりしていたが、私はそんなことにも気づかず、逸る心を抑え込んで平静を繕っていた。

 

「その話、もっと詳しく聞かせろ」

 

 ひょっとすると今度の仕事は、老後の手慰み、日雇いガンマンの仕事などではなくて、『あちらがわ』絡みの、それもあの忌々しいスツルーム一派が出てくるのやもしれないのだ。それも、『こちらがわ』で。それは今まで、一度たりとも無かった話だった。

 

 

 

 

 

 結局、オプも大したことを知っている訳ではなかった。

 それも当然で、情報源の先に潜入した探偵は、恐らくはもう消された後であるらしく、オプの手の内にあるのは、まさにその瀬戸際に送りつけてきた未整理かつ断片的な知らせでしかないのだ。

 

 だがそれでも、私に『むこうがわ』の臭いを嗅ぎ取らせるに充分な、きな臭い気配がそこにはある。

 

「よし、決まりだ。3日後には、その『トラパランダ鉱山』に向けて出発するとしよう。こっちは準備を済ませるから、そっちは汽車の切符をとっておいてくれ」

「それはもう押さえてある。鉄道会社の旦那(ミスター・チューチュー)たちはウチのお得意様だからね。逆に色々と融通もきくわけでね」

「なら、その融通とやらをきかして、切符をもう一枚――コイツのぶんだ」

 

 私が、ことここに至るまでずっと黙りっぱなしの連れを親指でさしながら言えば、オプは怪訝な表情を見せる。

 

「……生憎だけどね。今度の仕事は観光をしてる暇はないんだよ」

「そりゃ承知の上さ。その上で連れて行くと言ってんだ」

「いやね、君。こんな――」

 

 オプは私と連れとを交互に何度も見ながら、戸惑いを隠さずに言った。

 

「こんな御嬢さん(・・・・)を鉱山に連れて行って、どうしようって言うのさ?」

 

 そう、私の連れは御嬢さんだ。

 正確な年齢は私も知らないが、外見から判断するにようやく十代の半ばになろうかという頃合いだろう。肩口で切りそろえた髪、無感動な、しかし人形のような美しい顔。小さな体を、黒い男物の上下で覆っている。

 

 まず彼女をひと目見た時、真っ先に人目を惹くのは、その灰色(・・)の髪だ。まるで灰を被ったかのようなその髪を見た時、私がこいつと出会ったばかりのころ、腹をすかしたこいつを連れて入った最初の店、イタリア系の雑貨屋の主は思わずこう声を挙げたもんだった。

 

 ――『(チェネレ)ッ!』と。以来、これがこいつの名前になった。

 何故って? 本当の名前はって? そんなものは私すら知らんのだ。それもその筈だ。

 

「なぁ御嬢さんだって、埃臭くて垢塗れの男たちだらけの場所になんて行きたくはないだろう? ここでお留守番をするべきだとは思わないかい?」

「――」

「なぁ、御嬢さん。何とか言って「無駄だぜ」……急に言葉を遮らんでくれよ。それに何で無駄だなんて言うわけだい?」

「そりゃこいつはな――口がきけんのだ」

 

 そうなのだ。チェネレは私と出会ってからこのかた、もう何年も経つにも関わらず、一言も口をきいたことがない。だから私はこいつの本当の名前も、年齢も、出身地も、その他こいつの詳しい来歴については何も知らないのだ。

 

「……唖なのかい? 耳が悪いとか?」

「いや。医者が言うには体の方は健康そのものだそうだが――問題は心のほうでな。まぁ二親を目の前で殺されて焼かれれば、そうなってもおかしくはないだろうさ」

「……」

 

 私がチェネレと出会ったのは、引退の直前のことで、夜道を星を頼りに進んでいた時に、不意に馬車道の上で燃え盛る駅馬車を見つけたのがきっかけだった。

 

 燃え盛る二人分の亡骸、男と女の屍を、この娘は無表情で、ただじっと眺めていた。

 なんの感情も映さない、その灰色の瞳を見た時、私はなにか縁を感じるところがあって、彼女を引き取った訳だ。今にして思えば――それは大正解であったのだが。

 

「ましてやだよ。そんな娘をつれて、いったいどうしようって――」

 

 オプの抗議の声は、突然に止まる。

 そりゃそうだろう、まるで音もなく抜き放たれた拳銃の、その銃口が、その顔に向けて擬せられていれば。

 

 チェネレの、少女の小さな手には、それに不釣り合いでありながら、だが同時に恐ろしく自然な形で大きな大きな拳銃が握られている。このまだ十代の少女は、こんな大きな銃を、静かに、そして素早く抜き放って見せたのだ。

 

 一度見たら、決して忘れることのできない、独特のフォルム。長く伸びた銃身。その下に備わった箱型の弾倉。箒の柄のような不細工な銃把。コルトのものとも、スミス&ウェッソンのものとも、レミントンのものとも違う、全く新しい姿。海を越えて皇帝の支配する異国、ドイツからやって来た、舶来品の機械拳銃(・・・・)。最新式の、絡繰り仕掛けの死神。

 

 

 その名は――『マウザーC96』。

 それが、チェネレの得物だった。

 

 

「大したもんだろ。こんな拳銃を、まるでドク・ホリディやワイルド・ビル・ヒコックみたいに使うんだぜ」

「……そう言えばこのスウィートウォーターに来る途中で、妙な噂を聞いたよ」

 

 私の軽口に応じることもなく、オプは喘ぐように言った。

 

「大都市から遠い田舎の、それも州境の町だから、このスウィートウォーターには時折無法者や賞金首が逃げ込んでくるとね。でも、そんな無法者や賞金首は決して町から出ることは出来ないそうだ。なぜなら――」

 

 オプは唾を飲み込むと、平静を取り戻そうとしてのか、パイプの煙を一際強く吸って吐く。

 

「妙なイタリア語の渾名をもっている、少女の姿をした死神にみんな消されてしまうからなんだとさ。その少女は本当の名前は誰も知らないけど、その渾名は誰もが知っている。人呼んで――」

 

 そしてオプはその名を呼んだ。

 

「――『墓場の灰(チェネリ・デル・カンポサント)』。よもや実在して、それが目の前にいるとはね」

 

 そう――人は彼女を『墓場』と呼ぶ。

 彼女こそ、私が引退した最大の理由であり、私の技術を受け継いだ『こちらがわ』では唯一の後継者だった。

 

 

 

 

 


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