ショートスピアは裏切らない   作:三田六郎

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キッカさんの業務日誌
ep.1 親の言葉は侮れない


『いいかいキッカ。喧嘩になったら、まず目を狙いなさい』

 

三歳の夏、父にそう教えられた。大抵の子供は顔面パンチにビビって戦意を喪う。時折いる気合いの入ったガキ大将でも、視界を潰されれば恐慌に陥らざるを得ない。子供の喧嘩など、ビビらせたもん勝ちだ。但し、露骨にやっては駄目だ。見え見えの手は反撃を招きやすく、危険が増す。故に、やはり先手必勝を狙え。

笑顔でそう説く父には、子供ながらにドン引きだったと、キッカはかつての情景を振り返る。

 

空が碧い。見慣れたクラナガンの空のスカイブルーではない。碧玉を溶かし混んだかのような、煌めくエメラルドの大気が、空を覆っている。こちらもまた、三年も見ていれば嫌が応にも慣れてしまう。いつの間にか、これもまた味があると思える。そうなって初めて、先任から一人前と認められるのだ。

 広い次元世界をいくつか回れば、こういった景色は結構な回数を見ることができる。大して珍しいものではない。

 

視線を下げる。いつまでも空ばかり見ていては、仕事もろくに終わらない。視界に入るのは、鬱屈した表情をその顔に貼り付けた男達である。身形は一様に薄汚れており、粗野な印象を受ける。半数ほどは気を失っていた。その眼光は暗く沈んでいるが、彼らは皆して親の仇に送るような熱い──敵意に満ち溢れた──視線を、キッカに注いでいた。

思わず、溜め息を漏らす。彼らは揃いの拘束具──リングバインドにより後ろ手に縛られ、ついでとばかりに両足も縛られている。勿論、武装解除も済んでいた。芋虫さながら地面に転がりながらキッカを睨み上げることしか出来ない癖に、何とも気丈なものだ。もっとも、これからの展開を考えれば彼等の気持ちもわからなくはない。が、言葉を掛けるでもない。そんなことを口にした途端、罵詈雑言の嵐が叩き付けられることは、目に見えていた。

 

「ひい、ふう、みぃの……十と三、か。やっぱり五人足りない」

 

戦闘後、キッカは初めて声を出した。男たちを縛り上げる作業の間も黙していたが、ここに来ては口も開く。改めて確認した情報を周囲を警戒している同僚達に伝えて行く。戦闘に参加した人員は全部で八名だが、この場にいるのはキッカを含め三人。所謂見張り役である。他の五人は、逃げ出した奴等を追撃に出ている。

どいつもこいつも荒事慣れした蛮族のような武闘派である。彼らが官権の一翼を担っていることに、不安を覚えるほどである。数では同じだが、実力差は歴然。すぐさま追加で五人の芋虫が運ばれてくるだろう。ジャンケンに負けたキッカ以下三人はそれを待つばかりであった。

 残った仕事は形だけである。

 

「クソッ、管理局の狗め!!」

 

すっかり緊張感の無いキッカ達に思うところがあったのか、芋虫男の一人が、いかにも使い古された罵声を浴びせる。浴びせられた側も、最早耳にタコである。彼らに捕まった犯罪者は皆押し並べてこの言葉を口にするのだから、何らかのマニュアルでもあるのかと疑ってしまう。

 そんなキッカの内心も無視して、男は唾を飛ばし続ける。

 

「ここは我々の国! 我々の星だ! 貴様等よそ者風情に、明け渡してなるものか!」

 

彼に呼応してか、他の芋虫達からも威勢のいい賛同の声、キッカ等への雑言が沸き上がる。それはよろしいのだが、彼らは自らの体勢を忘れているのだろうか。地面に転がりながらやいのやいのと騒ぎ立てる数人の男たちの図は、中々にシュールであった。

この手合いには腐るほど出会ってきたが、まともに応えてもキリがないことをキッカは知っている。しかし、今の彼女は暇であった。依然として、同僚の捕物は続いている。空を見て時間を潰しても良いが、それも過ぎれば首が痛くなる。キッカはゆっくりとしゃがみこんで、芋虫のうちの一人、真っ先に声をあげた中年の男と視線を合わせた。色素の薄い、鳶色の瞳が男に突き刺さる。

 

「いやね、私らの仕事は、別に侵略しにきたわけじゃなくてさ。むしろあんた方の政府からの依頼で駐在してるわけでね。流石に分かるでしょ、そろそろさ。何年やってんだって話よ、お互いに。あんた等も、うちでどうこうしようってんじゃないの。そっちの政府に引き渡すことになってるから、文句があるならそこでお願いします」

 

「黙れ小娘が! 元はと言えば貴様等が口を挟まなければ!」

 

やはり、人の話を聞かない。紋切り型のリアクションに、分かっていたことだがキッカは失望していた。彼らとて各個の主義信条利益の下で行動しているだろうに、こうも同じ反応をされては芸がない。オリジナリティとか、そういうものは彼等の組織活動には必要ないのだろう。

身をよじりながらも高説を打ち続ける芋虫には悪いが、キッカはもう話を聞いていなかった。よいしょと立ち上がり、濃紺色のズボンのシワを伸ばす。バリアジャケットなので手入れは不要だが、見た目がよれているのは宜しくない。一応は、キッカとて女なのだから見た目に気を配らないでもないのだ。その配分が、他の女子連中よりも低いことは自他ともに認めるところである。

 

 ともあれキッカは、またぞろ騒ぎ出す男たちを完全に無視して、ふと、先ほど脳裏に浮かんでいた古い記憶に思いを馳せていた。

何故今になって、二十年も前の風景を思い出したのだろうか。それも、父にまつわることを。

感傷的になっているのか。どうもらしくない。特別何かあるわけでもない、普段通りの任務である。現地政府に委託された、反抗分子の捕縛任務。かれこれ五年近く従事しているが、この世界は中々落ち着いてくれない。捕まえても捕まえても、雨後の竹の子じみた頻度で、新手が現れる。

いい加減にすればいい。何事も、丁度良い地点がある。そのポイントを見切れないものは、最終的にどん詰まりに陥るのだというのが、キッカの持論であった。

 

そう考えると、今の自分はどこに立っているのか。自身の立ち位地もそうだが、何よりも己の本分を見極めるのが、中々に難しい。それは熱意だったり目標だったり、使命感、正義感、あるいは野心や出世欲と呼ばれるものへ向かって行く何かである。局員として六年ほど勤めているが、キッカには未だに「これだ」と思える答えは見つかっていない。仕事を続けているのは、惰性に近いものがある。歴とした目標を掲げている分、芋虫達の方がましかもしれない。あまり偉そうなことは言えない身分である。

つらつらと考えていると、見張り役の一人がキッカを呼び止めた。

 

「陸曹、追撃組からの連絡です。逃走した五人の内、四人を確保。一人はまだ捕捉できていないようで、まだ暫くは追跡を続けるとのことで」

 

 仲間からの報告を伝えるのは、キッカの三歳年下の、二等陸士である。まだ若い、二十歳にもならない溌剌とした青年である。短く刈り込んだ金髪が、よく似合っている。

 

「ありゃ、あの人らでも取り逃がすか。結構な手練れかな、そいつは」

 

「先ほどの戦闘記録では、簡易判定ですが、最大出力でAランク近い奴が居ましたから。おそらくそいつでしょう」

 

「ああ、あの派手に立ち回ってた奴ね。確かに、動きはやたら機敏だった」

 

今しがたの戦闘劇、ほぼ一方的に局員側の攻撃で蹴散らしたレベルの戦いだが、反抗分子の中に一際良い動きをする者がいた。とは言え訓練された複数の局員を相手にしては、逃げに徹するので精一杯だったようにキッカには見えていたが、案外と粘るものである。キッカ自身は直接対峙したわけではないが、端から見てもそこまでの腕前には見えなかったのだ。魔力はそこそこに感じられたが、あれで武闘派陸士五人から逃げ切れるものかと、疑問は残る。陸士達のランクが軒並みBランクであるとはいえ、戦歴も経験も圧倒的に彼等が上である。魔力量だけでひっくり返る戦場というものは、現実には滅多に無い。

 

そこで、頭上を飛び交う会話内容が琴線に触れたのか、転がっていた男達が不適な笑みを浮かべた。取って置きの自慢話をしたくてたまらない、糞餓鬼のような笑みだ。これは聞いてやるべきかと、キッカは水を振った。

 

「なんか用かね?」

 

「クックックッ、貴様等、まさかもう終わった気でいたのではないだろうな? その傲慢が、貴様等自身に報いとなって襲いかかるのだ」

 

「そう言うのいいんで、言いたいことあるならさっさと話しなさいって」

 

露骨に眉を寄せて見せれば、相手は我が意を得たりと得意気な顔を晒す。それでいい。いい気になって口が軽くなるのは、この手合いのテンプレートである。

 そんな思惑も知らずにか、男は更に舌を滑らす。仲間の誰もそれを止めないのだから、彼らの程度はたかが知れていた。

 

「貴様等に、あいつは捕らえられん。気付いているだろうが、あいつは我々の中でも頭抜けた魔導師。貴様等ごとき雑兵、為す術もなく返り討ちに遭うことだろう」

 

 どうやら彼等にとっての切り札はまだ残っていたらしい。だが、とキッカは思う。

 

「よく言えるよ、まったく。あんた、じゃあ何でさっき本気出さなかったの、そいつは」

 

「ククク、つくづく間抜けめ。まさか、我々が無策のままに貴様等に姿をさらしたと思っているのか……?」

 

この言い様、罠でもあるのか。俄に空気が張り詰めた。含みのある言葉に、三人の局員は各々反応を見せた。キッカはやはり眉を寄せ、二等陸士はしきりに周囲を窺い、もう一人は追撃組に通信をいれている。最後の一人はキッカの一つ年下の、やはり二等陸士である。派手な赤髪だが、多少気が弱い青年である。つまるところ、追撃に行ってしまった班長達先任を除いた、この場での最先任は陸曹であるキッカだった。

 仕事はまだ続くようだ。消化試合をしていたはずが、延長戦に突入した気分である。

 

「何する気だよ」

 

「馬鹿め、答えると思ったのか? 精々気を張り巡らせることだな」

 

「そりゃあ、私らに忠告してくれてんの? それこそ解せんね。あ? おい。あんた等、余計な真似したら罪状が増えるだけじゃ済まんよ」

 

「知ったことか。貴様等の法などが我々に通じると思い上がるな、小娘が」

 

男達は、そこまで言って完全に黙りこんでしまった。鎮圧直後の態度に似ているが、そこに浮かぶ感情に決定的な違いがあった。今の彼らにあるのは、挑戦的ないけ好かないにやけ面である。

 これ以上は喋りそうにないと見て、キッカは男の顔面を蹴り飛ばす。容赦の無い一撃がにやけ面を沈黙させた。一挙に喧しくなった芋虫達の喚き声を頭からシャットアウトして、彼女は二人の同僚に向き合った。

 

「班長達に連絡はついた?」

 

「はい、あちらは異常無しだそうです。こちらからは、まだ何かある、注意されたしと伝えました」

 

「追加で、極力早く帰投してくれとも伝えて。早いとこ引き上げたい。一人くらいならまた次にしようってね。さて、こっちはこっちで索敵強化な。サーチャーを密に。反応の一つも見逃さないようにね」

 

了解、と重なった返事に満足しつつ、キッカは頭を掻いた。灰色の長い髪が、さらりと波打つ。いつからか、風が強くなっている。砂埃がやたら発生する点は、この世界の数ある欠点のうちの一つだった。

仲間の意識を飛ばされたことがそんなに気に入らなかったのか、未だに騒ぎ立てる五、六人の男達も順番に蹴りを入れ、沈黙させて行く。いい加減聞くに耐えなくなっていた。頓狂な悲鳴と鼻血だけを残し、彼らは静かになった。この程度の仕打ちは日常茶飯事なので、今更規則がどうとか言う者はこの班には居ない。

 

デバイスにかじりついて魔力反応に目を光らせる二人を横目に、キッカは手の内の相棒で肩を二度ほど叩いた。彼女のデバイスはサーチャー等の補助魔法に秀でていないので、警戒は大抵アナログ頼みである。今も、周囲を見張るのはキッカの目と耳であった。

 

辺りは、遮蔽物ばかりの林地である。罠を仕掛けるなり、伏兵を潜ませるなり、パターンの幅が広い。誘い込み型のトラップなども危惧したが、その規模の反応はサーチャーには映っていない。

とすると、やはり鍵となるのは取り逃がした残り一人の存在か。あれが一体何をやらかしてくるのか、そう言うことなのだろう。

今一、男達の意図が読めない。彼らは、キッカ達に何をさせたかったのか。危機感を煽るような文句を吐けば、警戒心も増す。そんなことをしては不意討ちの意味も薄れるだろうに。こちらの警戒が厳重になることで、彼らに利があるわけも無かろう。

もしくはハッタリだったのか。それにしては、言葉に自信がありすぎる。その上、あの局面で虚勢を張る意味など無いことは、誰にだって分かることだ。……もう少し尋問しても良かったかもしれない。黙らせるのを早まったか?

 

感覚を研ぎ澄ませながらも、思考は止まらない。左肩に担いだ相棒も、妙に収まりが悪い。どうにも落ち着かない。汗が頬を伝う。心が乱されている。これを意図しての弄言だったならば、成る程、芋虫男達は大した策士である。

 

「なぁんて、ねッ!」

 

背後。キッカは躊躇なく相棒を振り抜いた。利き腕の左。手応え有り。寸暇無く一閃を描いた一撃は、確りと獲物を捕らえていた。

 

「げっぼばあ!?」

 

 悲鳴をあげて何かが吹き飛ぶ。しかし、姿が見えない。事態に気づいた二等陸士の二人が焦って振り向くが、彼らの目にはデバイスを振り抜いたキッカが見えるだけである。サーチャーにも、依然として反応は無い。

 

「おい、奇襲なら一撃で決めなきゃ駄目でしょう。あと殴られたからって声出すな、間抜け」

 

「ぐっ、が、クソォォ!?」

 

次の瞬間、空間がブレる。何もなかった筈の虚空から、滲み出すように男の姿が現れた。キッカはこの現象を知っていた。この世界では珍しいが、クラナガンでは幾人かの使い手とも会ったことがある。

 痛みにのたうつ男にデバイスを突き付けながら、キッカは軽い調子で語り掛けた。

 

「幻術魔法……確か、オプティックハイドとか言ったかな、その類いか。流石Aランク、変わった魔法使えるね」

 

「くっ、ゲホッ、嘗めやがってェ……」

 

「しかし、解せん。あんたどうして、サーチャーに映ってないの。デバイスは正常だし、まさか、あっちの奴らが見落としたってことはあるまいし」

 

ちらりと眼だけで問い掛ければ、金髪も赤髪もぶんぶんと首を横に振っている。その必死さから見て、嘘はない。不可解な現象に、二人の若者は揃って困惑しているようであった。かく言うキッカも、手品のトリックは気になるところだった。

 マジシャンとて飯の種を易々と明かしはすまい。どうしても知りたいならば、手段は幾つかに絞られる。交渉するとか、弟子入りするとか。これからキッカが行うのはまた別の、単純明快な方法である。

 

「実力行使って奴さ。ふん縛って聞き出してやるから、神妙にするといいよ」

 

「管理局の狗めぇぇぇ!!」

 

「まぁたそれか。聞き飽きたって、言ってんだろが」

 

激昂し、キッカに飛びかかるかと思われた幻術魔法の男は、再び姿を消した。最優先で自らの有利を作りにいけるあたりは、意外にも冷静である。

 目の前で急に消失した人間は、やはりサーチャーには影すら映り込まない。余程高レベルな魔力隠蔽術を持っているのか。それとも、何らかの特殊なスキルか。技術のお粗末振りを考えれば、おそらく後者であろう。

とは言え。

 

「種のばれた手品じゃ、私は騙せないよぉ、っと」

 

「うぎゃあああ!?」

 

一足飛びで、キッカは地面を蹴った。その動きは豹を思わせる。急に飛び掛かってきたキッカに目を白黒させている赤髪の陸士のすぐ後ろを、相棒で思い切り突く。近代ベルカ式の武骨な相棒は、容赦無く幻術男の眉間を貫く。殺しはしないが、かなり痛いことに変わりはない。

 

「背中しか狙えないの、あんた? 折角消えてるんだ。もう少し頭捻れよ」

 

 戦闘は、呆気ないほどすぐに終わった。倒れ伏しピクピクと痙攣している敵魔導師に、陸士二人が速やかにバインドを施していく。最後に少しとは言え一杯食わされたのが頭に来たのか、かなり手荒く芋虫にされている。

 

キッカは男が取り落としたものを拾い、眺める。幻術男の武装は、横流し品の当局製デバイスだった。総合性能は高くないが、バランスは良い。わざわざ背後に回り込まずとも、定評のある機動力を活かして死角から魔力弾の一発でも撃たれれば、キッカ達もかなり苦戦しただろうに。

 近接の間合いは、近代ベルカ式を使うキッカの得意とする間合いであった。その範囲なら、姿が見えなくても勘とスキルで賄えるのだ。

発想が貧困なのか。それとも出来なかった事情でもあるのか。何にせよ、あたかもジョーカーの様にちらつかされたカードが、とんだブタであったことは確かである。期待していたお仲間達も、エースの体たらくを聞けば浮かばれまい。

 

そうこうしている内に、追撃に出ていた五人が帰ってきた。その内四人は肩に簀巻きにされた芋虫を担いでいる。全員確保、確認。ようやく、今日の仕事は終わった。やけに疲れる一日だったと、キッカは肩を回す。

 残り一人と言うところで獲物を逃したのが余程悔しかったらしい。小突き回してくる先任達をあしらいながら、彼女達は拠点へと足を向けた。

 

相も変わらず、空は妖しい碧に煌めいていた。

 

◆◆◆

 

キッカ達陸士部隊の拠点は、この世界の首都に間借りしている、管理局現地支部である。所属する戦力の殆どが陸士であり、管轄は建前上は地上本部になっている。実際は本局のテコ入れや口出しもしょっちゅうなのだが、それはまあ仕方の無いことであった。この支部は、成り立ちが少々複雑なのだ。

 

捕まえた反抗勢力達は、現地政府に引き渡すまでは支部の拘置所に拘束される。軽い尋問と、形骸化した調書作成。あとは見張り。これらの仕事が、まだ残っていた。キッカは運悪く、上司からこれらの内デスクワークを一手に任されてしまった。

憮然とした表情のままデスクに向かい、端末に指を走らせる。キッカは、そこそこの美人である。だが、残念ながら色気の無さも支部随一である。そのためか、仕事に励む彼女を茶化す同僚こそ居れど、肩代わりを申し出る好人物はついぞ現れなかった。

 

 一時間程して、残業は終わった。データをまとめ、端末の電源を落とす。現場仕事からの内勤に、流石のキッカも軽くない疲労を感じていた。白い指で、こめかみと眉間を揉み解す。それだけで、大分楽になるものである。

 

「よう、お疲れさん。終わったか?」

 

「あ、班長。はい、今上がったところです」

 

労いの言葉を掛けたのは、よく日焼けした、見るからに現場主義な男──班長であった。香ばしい匂いがキッカの鼻をくすぐる。班長の手には、湯気のたつマグカップが二つあった。外見からは想像もつかないが、彼の淹れるコーヒーは絶品である。有り難く、キッカは相伴に預かることにした。

 

「ほれ」

 

「いただきます」

 

片方をキッカに渡すと、班長は手近な椅子を引っ張りだし、どかりと腰を落とした。ここで一服入れる腹積もりらしい。丁度良かった。キッカにも、聞きたいことがあったのだ。

 

「あいつ等、何か吐きましたか?」

 

「ああ、だが、大した成果はないな。大きなアジトもなけりゃ、主流派との繋がりも薄い。ありゃあ完全に先走った下ッ端どもだ」

 

「武器は官給の横流しでしたが」

 

「そっちも毎度のことさ。地下組織から出回ってる掻っ払い品だよ。有力な証拠にゃならん」

 

御苦労なことだよ、まったく。班長は愚痴るようにこぼす。先日三十になったばかりの三等陸尉だ。尉官であるだけ、彼の職責はそれなりに大きい。気苦労も多いのだろう。その鬱憤を晴らすように現場では暴れまわるのだから、部下としては厄介なものである。

 

「そういえば、最後に私らで捕まえた奴なんですけど」

 

「ああ、あのサーチャーに映らなかったって奴か」

 

「はい、一応の予想は出来てるんですが。何か分かりました?」

 

「おう、それなんだがな、多分お前の予想通りだよ」

 

「てことは、レアスキルですか」

 

うむ、と班長は頷いた。班長曰く、筋骨粒々な『善良なお兄さんたち』で立て続けに詰め寄ったところ、あっさりと暴露したらしい。そのむさ苦しい画を想像して、キッカの顔に苦味が走る。口に含んだコーヒーのせいではない。

 

幻術男の手品の種は、いたってシンプルなものであった。彼の魔力には、周囲の魔力に波長を同化させる特性があったのだ。平たく言えばカメレオンのようなステルス機能である。そのレアスキルに不可視魔法を組み合わせることで、文字通り『姿無き兵士』となっていたのである。

この世界は、独特の環境下にある。大気中の含有魔力が多く、視認できるほどの魔力が碧の光となって空に渦巻いていた。それ故通常設定のサーチャーではノイズが大きく、この支部の陸士部隊ではサーチャーの感度を絞るのが通例である。そのせいで、背景に溶け込んだ幻術男の魔力反応を拾えなかったのだと判明した。

「へぇ、便利なスキルですねぇ。風呂とか覗き放題じゃないの。男の夢って奴ですか?」

 

「否定はしないが、その感想を口に出すお前も大概に阿呆だな」

 

「女に幻想抱く坊主は、うちの支部に居ませんでしょ」

 

「いやぁ、サンバーやルクラ辺りは、まだまだ青いぞ。俺から言わせりゃあ、お前だってまだまだ小娘なんだが……なんと言うか、どうもお前はババ臭いんだよ」

 

「訴えたら勝てるレベルですよ、その発言」

 

「自覚がないのか? こりゃあ、重症だ」

 

ずるずるとコーヒーを啜りながら、キッカはジトリとした目線を投げ掛けるが、班長に懲りた様子はない。どころか、ぬけぬけと軽口まで返す。まぁ、良い。いや、良くはないが、こんなことで過敏に反応していては、男ばかりのこの支部ではやっていけないのだ。逆に考えれば、ここでやっていくためにキッカは女子力維持を切り捨るしかなかったとも言える。不可抗力である。断じて、彼女自身がババ臭いわけではない。

かつて同姓の友人から散々に扱き下ろされたことは脳内から除外し、キッカは思考を先程までの話題に向けた。

 

「まぁ何にせよ、大層なこと言ってた割りには、とんだしょんぼりした結果でしたね」

 

「言ってやるなよ。あいつ等の中では、あれだけの魔法が使えりゃ腕利きを名乗るにゃ充分だったんだろう。窮地にエースを頼りたくなるのは、人間の性だよ」

 

「まさしく、井の中の蛙」

 

「だが、冷静に考えりゃ恐ろしく厄介な敵だよ。探知も効かず、視覚にも頼れない。一対一ならまだしも、乱戦になっちゃあとことんこっちが不利になる。戦術の幅も広がる。能力だけを見れば、是非うちに欲しいところだ」

 

 管理局お得意の『犯罪者の更正を見越した社会奉仕活動』で徴発して、現地協力者として取り込むことはできる。が、アレは流石に要らないなと、キッカは思う。班長も、『能力だけを見れば』と言っている辺り、冗談で言っているのだろう。

 残念な味方は、時として頭の悪い敵より厄介だ。例えそれが、レアスキルホルダーであろうとも。希少価値が有用性に直結しないことは、現場の人間なら誰でも知っている。

 

「あれ、接敵時は結構乱戦でしたよね? なんであいつはあのスキル使わなかったんでしょう」

 

「ああ、それがな。俺達が不意打ち気味に接触しただろ? そのせいでテンパってたらしい。仲間が捕まってる内にちょっと落ち着いて、発動してから、お前ら留守組の様子をこっそり覗いてたんだとよ。その点じゃ、無駄足踏んでた俺達はまんまと嵌められたわけだが」

 

最初からしょうもないのか。成る程、つくづく残念な男である。しかし、と言うことは。幻術男は仲間達が意識を蹴り飛ばされるシーンを黙ってみていたのだろうか。それはそれで、何だか薄情な話だ。

 

「ひどい奴だなぁ」

 

「お前が言うな。ルクラのデバイス記録で見たがな、アレ、現場じゃ何も言ってなかったが、サンバーもルクラも結構引いてたみたいだぞ」

 

「ハン、あいつ等もまだまだ甘ちゃんてことですよ」

 

 ちょっとばかり年長を気取って、ニヒルな笑みでも作ってみる。にやぁり。客観的に見れば美人顔であるし、涼やかな灰色の髪も相まってかなり絵にはなる。だが、対する班長の反応は冷ややかだった。

 

「いや、マジで。その直ぐ後にゃ見えない敵相手に大立ち回りだ。魔法だって身体強化だけだったろ。お前のインファイトがトンデモだってのには、俺達なら慣れてるが、あいつ等はそうでもない。サンバーの奴なんて『流石はキッカさん。マジパネッス』とか喧しいんだ」

 

「マジすか」

 

若々しい金髪の陸士は、どうやらキッカの過激な魅力にメロメロらしい。嘘である。任官三ヶ月目の新米管理局員には、ちょっとした暴力行為もまだまだ刺激的なのだ。この三ヶ月で彼は随分と成長──模範的な局員理念から見れば、好ましからざる方向に──したものだが、それでもまだ陸士訓練校の訓示は抜けきっていない。現場ではポカることも減ってきたが、教育を続ける必要はありそうだ。これも、何だかんだでキッカの仕事になるのだろう。またも苦虫を噛み潰した渋面を作る。最近こんな顔ばかりしている気がするが、乙女の眉間に皺が出来たらどうしてくれよう。と、キッカは我ながら空寒いことを考えていた。

目を煌めかせる金髪の次に浮かぶのは、気弱な赤髪のドン引きした面である。簡単に思い描けるだけに、その顔が己に向けられていることを思うとどうにも面白くない。と言うか、腹立たしい。

 

「つっても、サンバーは兎も角、ルクラの奴は一緒にやりだしてからもう二年でしょ。今更あの程度のことで引くなと言いたい」

 

「そりゃあ、俺も思わんでもないが。あいつは、そもそも根が優しいというか、まぁ、ナイーブな奴だからな」

 

「ルクラのくせに生意気な。配置換えしません? 後方支援とかのが向いてますよ、あいつは。粗野な班長達と同じ釜の飯食ってる割りには、ドンパチ慣れしませんもん」

 

「おい、粗野って言ったかお前」

 

「さぁ? で、ルクラのことですよ。あいつもやればできるんだが、今のままじゃあ力を発揮する前に自爆しそうで不安です」

 

 惜しいというか、勿体ないというか。キッカは独りごちた。話題の青年は、決して未熟なわけではない。仮にも未成熟な管理世界での駐在部隊の一員なのだ。一年以上にわたりアウェーで生き抜く技能を有しているのは、確かである。

 

「しかしな、本人が外勤希望なんだからしょうがないだろ。汲んでやらんと、ただでさえ人手不足なのに辞められちまうと困るだろ。支部長にどやされるのは俺だぞ? 俺だって班長として気には掛けているんだ。なるべくお前と行動させてるのも、その一環なんだがな」

 

「……私ってそんなに喧嘩ッ早いですか?」

 

「いや、お前はうちの中でもクールな部類だ。頭も結構回るし、細かいことにも気がつく。だから任せられる。他の面子だと中身は勿論、見てくれからして乱暴だからな。新米坊やを無駄にびびらせちまっただろう」

 

「それは、誉めてくれてるんですか?」

 

「一応な」

 

「どーも」

 

「加えて、お前は荒事に巻き込まれる確率も、何故か高い」

 

「それについては私も遺憾ですよ、まったく」

 

気弱な青年が何を思って陸士となったのか、キッカはあまり深く聞いたことがなかった。淡白に見えるが、これは個人間の距離感の問題だ。同僚として仲は悪くないのだが、お互いにそこまで干渉したがる質でなかったことも関係している。

 ただ、彼自身が望んでこの世界に配属されたということは、知っていた。会ってから半年ほど経った頃、偶々居合わせた飲みの席でのことだ。奇特な奴だと、そんなことを思ったせいかよく覚えている。彼にも、抱えている何かがあると感じられた。

 

 ともあれ、班長が言うように──認めるのは非常に癪だが──配属当初からキッカとよく行動を共にしていたお陰か、ルクラは彼基準でのそれなりな進歩を果たしていた。当初は、どうやって訓練校を卒業したのかと疑ったほどに気が弱かったのだが、今では目の前で人間が一人吹っ飛んでも悲鳴をあげないぐらいには、腰が据わっている。

思い返すと、キッカが持ち込んだ厄介事で一番割りを食っていたのは、巻き込まれまくっていた彼かもしれない。そりゃあ、根性も付くか。でもまだまだなんだよなぁ。もしくはキッカが求めすぎているだけなのだろうか。

 

「しかし、キッカよう」

 

部下二人について談じていれば、班長がいつの間に用意したのか、キッカから見れば不愉快な顔──言うなれば微笑ましいモノを見るぬるまった笑み──で、突然言葉を挟んだ。嫌な予感がする。こういう時の直感は往々にして的中率が高いのだから、やりきれない。

 

「……なんすか」

 

「いや、な。なんだかんだ言いながら、結局いい先輩してんじゃないか、お前も。陸曹どのに後進を預けたのは、あながち間違っちゃいなかったようで嬉しいね」

 

「……なんか、不穏当な言い分ですね。何企んでます? 今日だって、ジャンケン負けた私に二人押し付けて。あれ、年功序列の振りして意図的に私ら三人残したでしょ」

 

「ンー? 聞こえんなぁ? さぁて、世間話はこれぐらいにして、そろそろ上がろうぜ。いやぁ、やはり部下との交流は大事だな。こうして互いの理解を深めることで、我らが班の結束は固くなってゆくのだよ」

 

 傍目にも嘘臭い単語を羅列する上司に、キッカは精一杯の嫌な顔で答えた。具体的には、一週間貯めた生ゴミの袋をぐんにゃり踏んづけてしまった時のような、腹の底からの嫌な顔である。

 

「くっくっく、まぁ、精々楽しみにしとけ」

 

それを捨て台詞に、班長はとうに空になっていたマグカップを回収すると、軽やかな足取りでオフィスを後にした。ぽつねんと残されたのは、キッカ一人。気がつけばかなり時間が過ぎていたのか、窓の外は真っ暗である。夜になれば魔力光も闇の帳へと吸い込まれ、碧の空は穏やかに暗く染まっていた。

 急に静かになったオフィスで、ぽつりと呟く。

 

「流行ってんのかね」

 

 こんなやり取りを、少し前にもした気がする。あからさまな『何かあるぞ』アピールを一日の内に二回経験するとは。貴重な経験だ。嫌な貴重もあったものである。

 

休憩していた筈なのに、えもいわれぬ疲労感がキッカを襲っていた。盛大に溜め息を吐いて、おもむろに立ち上がった。ついでに伸びをすれば、関節が小気味のいい音を立てる。無性に疲れていた。書類の提出は、明日でいい。こんな日は、熱いシャワーを浴びてさっさと寝るに限る。

 陸士の宿舎は支部と同じ敷地内にあり、地続きになっている。お陰でわざわざ外に出る必要もなく、キッカは人気のまばらな通路を歩く。

職務は夜勤組に引き継がれ、今は勤務外。自由時間である。市街に繰り出している輩も多くいるだろう。件のサンバーなど、先輩に連れられ悪い遊びに連日連れ回されていた。娯楽の総量で言えばクラナガンの方が当然ながら充実しているのだが、この世界の混沌とした歓楽街には男達を魅了してやまない野放図な魅力でもあるのだろうか。

 

女の身であるキッカには、多分分からない世界だ……そう言うことにしていた方が、体裁がいい。

 

ふあ、と欠伸を一つ。誰も見ていないので、大口を開けてしまった。どこかの次元世界にいるはずの友人が見れば、これだからキッカはと嘆いたことだろう。思った以上に、眠かった。下手をすれば、部屋に帰るなりそのままベッドに倒れ込んでしまいそうだった。

 

五分ほど歩けば部屋に着いた。心なしか覚束ない動作で、キッカは隊服を脱ぎ、無造作にラックに放った。スカートも皺ができないように延ばして、こちらも放る。ワイシャツ一枚になったところで、やはり力尽きた。そのままの格好でベッドに沈む。シャワーは明日の朝に浴びればいい。

 

微睡む頭には、様々なことが浮かび、渾然として消えていく。その中には、父のこと、後輩のこと、上司のこと、己のこと、あらゆるものが混ざっていた。

ふと、とある言葉が浮かび上がる。それを言った父の顔も、同じようにまぶたの裏に鮮明に甦っていた。幼い記憶。あれは、五歳ぐらいの頃だったか。

 

『なに、喧嘩を売られた? 相手は? 男子? 買ったのか。それでこそ我が娘だよ。勿論目を狙ったんだろう? ん? 相手の親に怒られただって? 子供の喧嘩に親が口を出すなんて、無粋な話だ。それなら、目を狙うのは止めときなさい。保護者呼び出しとかされたら、キッカも面倒だろう。じゃあどこを狙えばいいかって? 決まってるだろう、眉間を狙いなさい。大抵はそれで舎弟にできるよ』

 

 意味が分からない。堪りかねて、理由を聞いた。

 

『眉間は急所だからよく効くが、狭い。それを狙うなんて、凄い奴だ。そんな人の舎弟には是非ともなりたいだろう? すごい奴は眉間を狙うのさ。いつしかそのすごさをみんな分かることになるから、出世も早くなる。つまり、眉間を狙うと出世できるのさ』

 

とんだ暴論もあったものだ。これにもドン引きした記憶がある。引きっぷりに何を勘違いしたが、父はその後延々と眉間の狙い方を解説してきたものだ。懐かしい幼少時の記憶は、大抵こんな感じだった気がする。

碌でもねぇ。あれ? そう言えば、今日は誰かの眉間を突いた気がしないでもない。無意識でやっていた。こんな事ばかり体で覚えている自分につくづく呆れながら、キッカは迫り寄る睡魔に身を任せた。

 

例えふざけ倒した内容でも、親の言葉というものは子供の成長に結構な影響を及ぼすものだ。不思議なことに、それは無意識の内に子の行動を誘導し、人生の岐路にも関与することがある。

そんな眉唾な話を、後日、キッカは身をもって実感することとなる。

 

◆◆◆

 

それは、班長と駄弁った日から何日か経った頃である。朝一番、通常勤務に臨もうとしていたキッカに、上司からの呼び出しが入った。しかも直近の上役ではなく、二、三段階すっ飛ばした陸士部長からの呼び出しである。ヒラの陸士であるキッカが名指しされるなど、正直言って御免被りたかった。

 

とはいえ、命令は命令である。木っ端役人でしかないキッカは観念して、ひそひそと後ろ指を指す同僚達に見送られながら、部長室に出頭した。

 学生時代の職員室がアウェーであるように、上司の部屋というものはそれだけで忌避したい場所である。自らに落ち度がなくとも、それは変わらない。いや、ないはずだ。ない、と思う。不安に後押しされてか、頭を過るのは減給とか懲罰とか、嫌な単語ばかりである。厳めしいと評判の陸士部長の顰めっ面が、目に浮かんだ。

 

ところが、部屋に入った直後に彼女の目に入ったのは、アルカイックスマイルを浮かべた二人の中年男性であった。一人は陸士部長、もう一人は──

 

「班長? どうしてこちらに」

 

「よく来たなキッカ。それは、追って話す。まずは、部長から通達及び辞令がある」

 

デスクにどっしりと構えた陸士部長の側には、直接の上司たる班長が立っていた。表情には出さないが、キッカは回れ右をしたい気分だった。朝っぱらから見せられるには、野郎二人の笑顔はあまりにも胡散臭く、嫌な予感しかしない。ふと、直感した。先日の『嫌な予感』も、この件に違いないと。

案の定陸士部長の切り出した話は、キッカが想像していたのとは別の部類で厄介なものだった。

 

「異常現象、でありますか?」

 

「うむ、近頃幾つかの班から報告が上がっていてな。その頻度から見ても、そろそろ放置できる段階を越えたために、この度調査に乗り出すこととなった」

 

なんでも、『魔法の発動がうまくいかなくなる』事態が、現場のあちらこちらで確認されているらしい。最初は当事者達もデバイスの不調や本人のミスを疑っていたのだが、それらの要因を廃してもまだ続いているようだ。酷いときには、『発動していた魔法自体が消滅する』らしい。

これは、魔力濃度の濃いこの世界では考えられないことだった。魔力が多いということはそれだけ魔力結合力も強くなり、リンカーコアを持つ者ならば余程のポンコツでもない限り魔法の使用は楽になる。

 

確かに異常現象である。だが、そうなると話は結構な大事ではないのか。ひいては支部全体に関係する問題となりうるならば、近々大掛かりな調査部隊でも組織すれば良いのでは……?

そんな疑問が顔に出ていたのだろう。陸士部長は話題の深刻さにも関わらず、不動のアルカイックスマイルを浮かべたまま言葉を続けた。逆に怖い。

 

「やがては支部全体の課題となるが、今は総合的な情報量が少なすぎるのだよ。そこで、当面の情報収集と初期調査を目的とした部隊を、私の監督下で派遣することになった。現場レベルでの違和感を細微な点にまで拾えるだろうとの部長会の判断だ」

 

部長会と言うのは、支部長直下の最高意思決定機関である。クラナガン地上本部から委ねられた裁量権の範囲内で支部の方針・対策を策定していくのである。各部門の部長クラスからなるこの会議は権威も高く、ここでの決定はほとんど支部の最終決定である。

 

「こうした問題での初期調査は最終段階までの指針となるからな。現場を知らない奴らに見当違いな推論を立てられても困るだろう。その点では、我々陸士部隊以上に実情を知る部署はない。我々の手柄……ごほん、責任を果たすためにも、本件の担当をぶん捕ってきたのだよ」

 

言い切った部長の、なんと自慢げなことか。やけにテカテカした顔をしていると思えば、なんてことはない。

 こうした事件性のある議題では、支部内で一定の地位を持つ『本局』からの出向組──所謂『天下り幹部』が強権を発動して、担当をかっ拐っていくことが度々ある。機嫌がいいのは、普段から折り合いの悪い彼らを部長会でやり込めることが出来たからだろう。要はドヤ顔であった。

 

「そんなことが……。しかし、初めて耳にしましたが」

 

「そうだろうな。会議はオフレコで行われた。全隊への通達はこれからだからな」

 

ふむ、成る程。ここまではいい。この話自体は、キッカにも異論はなかった。実働する自分達が調査方針をある程度決められるは、無駄な軋轢を生まない喜ばしいことである。

 しかし、根本的な疑問は解決していなかった。

 

「あの、部長、どうしてその話を私などに……?」

 

重ねて言うが、キッカはヒラの、正確には平よりちょっと上ぐらいの一陸士である。このような情報を部長から直々に伝えられるほどの責任者ではない。

しかもまだ未開封の情報をいち早く聞かされたのだという。これは絶対に何かの前フリだ。

 

班長が言った『通達』とはこれであろう。ならば、もう一つの『辞令』というのが、このあとに控えている。陸士部長も、それまでの弛んだ面をキリッと引き締め、常の厳かな空気を纏い始めた。

 

ほうら、来るぞ。

 

「うむ。調査部隊の人員を決めるに当たって、私は各班長に意見を求めた。これは臨時業務であるから、通常業務を維持しつつ隊員を選出せねばならんかったのでな。調整には難航した」

 

「はい」

 

「そこで、そこにいるハリアー三尉から具申があってな。『私の下に、階級は低いが使える人間がいる』とな」

 

「それで……」

 

「そう、君の名前が上がった。これに当たって君の業績を確認したのだが、成る程中々優秀であると判断した。他班長からの強い推薦も無かったことだし、ならばと言うわけだ」

 

それは、つまり、そういうことか。光栄に思いたまえよ、と言わんばかりの部隊長に気付かれないように、キッカは横目に班長──ハリアー陸三尉を睨み付けた。余計なことしてくれやがる。そんな部下の怨念も、彼にとっては苦にもならない。むしろ笑い飛ばす人間である。あのアルカイックスマイルは、大笑いを堪えるための微笑であった。

 

「キッカ・ナカジマ陸曹」

 

「はっ」

 

陸士部長が、ミッドチルダには珍しい響きの音を、異世界の文化に由来を持つ、キッカの名を呼ぶ。

 呼応、敬礼。背筋をピンと伸ばし、おまけに踵を打ち鳴らしてやれば、最高だ。訓練校で叩き込まれた一連の動作は、反射的に返せるぐらいには体に染み着いていた。

 

「仮称『魔力減退現象』と名付けられた当件の初期調査部隊の隊長に、陸曹を任命する」

 

「はっ」

 

「これは特命である。当部隊は特務部隊として招集されるため、その職責は重要である。隊員および隊内人事は追って通達するが、彼らの指揮はナカジマ陸曹が一任するものとする」

 

「はい」

 

「これに当たって指揮権強化のため、陸曹を一階級昇進させることとなった。本時刻より、君はナカジマ陸曹長となる。おめでとう」

 

「はっ、有り難う御座います」

 

ここまで言って、陸士部長は厳格な声音を少し緩めた。

 

「これは陸士部隊の沽券を懸けた任務だと心したまえ。君には期待しているよ」

 

「はっ、全力を尽くす所存であります」

 

キッカの返答に満足したのか、陸士部長は二、三度鷹揚に頷くと、退出の許可を出した。一礼し、促されるままにキッカは部屋を出る。女には高い身長に灰色の長い髪が靡き、その一挙手一投足は様になっていた。内心は、いざ知らずである。

 

 外面にはクールを気取りきった彼女の頭では、先日思い出した父の教訓がぐるぐるとリフレインしていた。

 

『眉間を狙うと出世できるのさ』

 

──マジだったかよ。

 

 

◇◇◇

 

扉を潜っていくその後ろ姿を見て、部屋の主である陸士部長は、うむ、ともう一つ頷く。そこから首も動かさず、控えていたハリアーに無言で問い掛けた。

ハリアーは、分かっているとばかりに一言。実績があると言ってもたかだか陸曹を一部隊の責任者に推薦したのは、彼なのだ。

 

「ええ、あれは私の部下です。陸曹長がミスをした時には私が責任を取ります」

 

「仕出かしてからでは困るのだがな。まぁ、君がそこまで言い切るからには、期待外れにならないことを願うよ」

 

特務といえど、初期調査と情報収集が主務の当部隊の規模は大きくない。通常シフトに換算するならば、一班レベル、四人から八人の少数部隊である。

 だからこそ、陸曹長クラスの階級でも責任者が務まる。本来ならば陸曹でも班長程度なら任せられるのだが、この場合の昇進は主に対外的な、陸士部隊以外への影響を考慮してのものでもあった。

 

キッカを推したハリアーには、一つの思惑があった。と言うのも、この任務を通じて現場指揮官としてのキッカを育てようと画策していた。

陸士部隊は、慢性的に人で不足であるが、今のハリアー班は八人。それもそこそこの古参が班長を含めて五人おり、補充の新米が多い他所に比べればまだ余裕があった。いくらか班員が抜けても、カバーする余地がある。

ここで彼女を育てることは、今後に意味を持つだろう。それだけの価値、素質がキッカにはある。ハリアーはそういう意味でキッカを買っていた。

 

「五年もこの世界にいて、逃げ帰る素振り一つ見せない女です。応えて見せますよ、あいつなら」

 

そんな親心にも似た上司の信頼があったことを、キッカはまだ知らない。

 

 

 

⇒To be continued

 

 


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