私の声は届きませんでした。
マイクの音声が切られていたからです。もちろん本気を出せば肉声だけでファンのみなさんに声を届かせることは出来ます。ですが私はそうしませんでした。
舞台の袖で、何か言いたげなプロデューサーが、マイクのリモコンを持って立っていたからです。
私は自分を虐げることは大好きです。しかし他人を虐げることは良しとしません。ファンのみなさんへの挨拶もそこそこに、プロデューサーの元へと行きました。
「よかったよ冬香。これで名実共に、君は美城プロダクションのトップアイドルの一人だ」
「ありがとうございます」
「だけど僕は、君をトップだとは思わない。少なくとも今の君を」
「なぜ、でございましょうか」
「プロ意識がないからだ」
それはまあ、ないでしょう。
私は趣味や道楽でアイドルをやっています。もし明日アイドルを辞めることになってもさほど後悔はありません。
「君はファンのみなさんの期待を裏切ろうとしたね。神谷さんから聞いたよ」
「奈緒からですか?」
「うん。たまたま街で見かけてスカウトしたんだ。そしたら友人だって聞いてね。冬香の話をしたんだ」
「そんな関係があったとは」
「神谷さんは言ってたよ。あれで冬香は結構飽き性なんだって。そろそろアイドルに飽きて、変なことをしようとするって。君の……なんて言っていいか分からないけど、本性のことも教えてもらった」
「性癖と言って欲しいです」
「ああ、うん。それでいいんだ」
「むしろそれ以外に何が?」
「女子高生だろう、君は」
「はい。ピッチピチです」
「おじさんか。まあ、それで、だ。君はどうしたい?」
「犯されたいです」
「えぇ……。途端にストレートに来るね。びっくりしたよ」
「隠す意味がなくなりましたから。あっ、でもプロデューサーは嫌です。清楚すぎます。もっと脂ぎってから出直して下さい」
「それは無理だなあ。営業があるからね。ってそうじゃなくて、アイドルとしてどうしたい、って話なんだよ」
「うーん、特にはないですわ」
「そうか。それじゃあ君には明後日から温泉のロケに行ってもらう」
「……へ?」
話の方向性が急に方向転換しました。
今ちょっとシリアスなシーンでしたのに。温泉のロケとは?
「僕は考えたんだ。君は未来ある子供だ! 頭も良くて気立てもいい! なのに破滅への道を歩もうとしてる! そんな子を放っておいていいわけがない! だから君のプロデューサーとして僕は一層頑張ると決めた!」
「いや、頑張らないで下さい。てきとーに枕営業でもさせてていいですよ」
「冬香!」
「ひゃ、ひゃい!」
プロデューサーにがっしり肩を掴まれました。
近い、ちかい。
「君は子供だ。将来のことなんて想像できないだろう。君が変なことをして、将来後悔したらどうするんだ!」
「そ、それもプレイの一環として受け入れます! むしろばっちこい!」
「バカ!」
「もっとなじって!」
「アホ、マヌケ!」
「あぁん! もっと!」
「君はとんでもない性癖を持ってるなあ!」
「その調子です! 次は更に感情を込めて!」
「分かった! ――って違う! いやでも、わかった! こうしよう。僕は君に仕事を持ってくる。だけど次からはある程度要望も聞くし、その、なんだ。溜まったら僕が今みたいに発散させる。だからアイドルを続けなさい」
「えー、プロデューサーはタイプじゃないんですが」
「楽しんでたじゃないか」
「不意打ちだったからです。今はもう覚悟が決まったので、何をしても無駄ですよ。不感にして鉄の女。どうも、逢坂冬香でございます」
私は安い女です。意識高いやつになど屈しも感じもしません。もっと舐め腐っていただきたい。
「……まあ、いいよ。冬香、君の最初の目標はなんだ」
「完璧清楚な私を、最底辺の男に惨たらしく犯させることです」
「そうだ! 今暴露したら、願いが叶わないぞ!」
「はっ!」
そ、そうでした。
私はなんて愚かなことを……
冬香、猛省です。一時の快楽に惑わされて大義を失うなど、逢坂家の人間失格でした。
「ふっ、お前には負けたぜ。いいだろう、この私を煮るなり焼くなり好きにすればいい。出来るだけ熱い温度で頼むぜ」
「さっきからコロコロキャラが変わるな、君は! そっちが本性か」
「まあ、割と。シモの方では突っ込まれたいですが、日常ではボケていたいです」
「最低の心情をありがとう。この分だとバラエティの仕事を持って来ても大丈夫そうだな」
「過激なやつですか?」
「いや、スタジオでVTR見てコメントするタイプ」
「嫌です。もっと過激なロケに行かせて下さい。要望を聞くと言ったではありませんか」
「……はあ。そうだったな。じゃあ、そっちも少し取ってこよう」
「やったあ! プロデューサー大好き! タイプではありませんが」
「そ・の・代・わ・り! 他の仕事もきっちりこなしてもらうぞ」
「分かりました。飴とムチですね。私の場合、ムチが飴で飴がムチなのですが」
「ややこしいな!」
その時、後ろから歓声が聞こえて来ました。
どうやら次のセットリストに移ったようです。ここでは邪魔だから、と私達は移動しました。
「高垣さんの所に挨拶に行くぞ。これから長い付き合いになるんだから」
「長い付き合い?」
「言ってなかったか。冬香にはユニットを組んでもらう。高垣さんはメンバーの一人だ」
「え!?」
「まだ確定じゃないけどな。他の事務所のアイドルさんとも合同になりそうで、プロデューサーレベルの話でしかないんだ」
「私、ユニットは嫌です。組むなら奈緒か幸子様がいいです」
「ユニットの方向性的にダメだ」
「性的にダメ?」
「一部分をピックアップするな!」
そうこうしている内に高垣さんの楽屋前に着きました。
ノックをしてプロデューサーが中へ。私も後に続いて、二人で頭を下げました。
「高垣さん、今日はありがとうございました」
「いいえ。同じ事務所ですから、気を使わないで下さい。冬香ちゃんも、とってもお歌が上手いのね」
「戦いの中で成長する女。どうも、逢坂冬香でございます。今日はありがとうございました。それと……ステージの和を乱してしまってすみません」
私が前に出ようとするあまり、高垣さんは気を使ってサポートに回ってくれました。
今回はフェスではありませんでしたから、勝った負けたではなく、いかにお客さんを盛り上げるかが大事です。
それを私は一人でよがってしまって。
まだまだアイドル業界は、奥が深いようです。
「若い子が成長するときはサポートする、当然です。私もいい経験が出来ました」
「お、お姉様……」
「お姉様?」
「いえ、なんでもありませんわ」
何という包容力でしょう。
まだ私にはない魅力ですね。
「高垣さん、ライブの最中で申し訳ないのですが、この度はご挨拶に伺いました。そう遠くない未来、この逢坂冬香とユニットを組んでもらうことになるかもしれません」
「まあ。素敵な提案ですね。デュオですか?」
「メンバーは全員で五人を予定しています」
「五人……ふぁいぶ多いですね」
「えっ?」
「えっ?」
「ああ、えっと、それで総合プロデュースは僕がやることになりそうです。またよろしくお願いします」
「相嘉さんが。私、とっても嬉しいです。セルフプロデュースは寂しいですから」
ほう。
どうやらお二人は、過去に何かあったみたいですね。
「スキャンダルですか?」
「んなわけあるか。それでは、失礼します。冬香も頭を下げて」
「子供扱いしないで下さい。そのくらい分かってますよ。高垣さん、失礼いたしました」
「はい。この後のライブも一緒に頑張りましょうね」
私達はお姉様――高垣さんの楽屋を後にしました。
そしてまた、ステージへ。
その日のライブはかなり盛り上がりました。
特に高垣さんと私のデュオは、この日を境に殿堂入りしました。高垣さんと歌うと私のパフォーマンスはどんどん向上するのです。
この人と一緒にユニットが組めるなら、もう少しアイドルやろうかな、なんて。
思ってしまうのでした。
◇
「私もうアイドル辞めます!」
「ダメだ!」
「だって、だってぇ!」
震える指でプロデューサーの持ってきた書類を指さします。
そこには『冬香ちゃんの一週間ご褒美旅』と書いてありました。要はマッサージや温泉、サウナを経験するタイプのロケ番組の企画書です。
「一週間もリラックスさせられるなんて、我慢できません!」
「需要があるんだ! 世の女の子たちは、冬香がどうやって美容ケアしてるか気になるんだよ!」
「朝と昼と夜のSM! 幸子様を崇める! 私の美容の秘訣はそれだけです! はいこの話終わりー。もうしなーい。私のロケは滝行とか激痛マッサージにして下さい」
「そんなこと地上波に乗せられるわけないだろ! 大人になれ、冬香」
「大人に……ごくり。ふへへ。それはどういう意味ですか?」
「黙ってロケに行けって意味だ」
「ロケ嫌ああああああああ!」
「今なら豪華な夕食もあるぞ」
「そんなものいらないです! せめて精◯ぶっかけるとか、豚の口移しで食べさせて下さい」
「食べ物を粗末にするな」
「そ、それは! ぐぬぬ……ごめんなさい」
「じゃあロケ行くぞ」
「いや! せめてご褒美が欲しいです! 幸子様か高垣お姉様か奈緒と仕事を下さい! それか枕営業でもいいです」
「ワガママ言うんじゃありません!」
私達は事務所で喧嘩していました。
プロデューサーが嫌がることばかりするからです。
「またやってんのか冬香」
「な、奈緒。違うんです、プロデューサーが悪いんです」
「そうか」
「はい」
「冬香、ちゃんとプロデューサーの言うこと聞け」
「そ、そんな!」
親友にまで裏切られました。
スカウトされて事務所に入った奈緒ですが、めでたく相嘉プロデューサーの担当になり、私達と同じ部屋にいます。
こないだまでは不安そうにキョロキョロしてたというのに、今はこの態度。
私の味方はこの事務所にはいないようです。
「冬香さん、あまりプロデューサーを困らせてはダメですよぉ」
「ま、まゆちゃ?! でもっ!」
「ダメですよぉ」
「はい……」
まゆちゃんは歳下ながら、すごく迫力があります。
最近はプライベートでも付き合いがあって、よく二人で遊びに行くのですがその時は普通の女の子なのに、事務所にいるとなぜか異様な迫力を見せてきます。
「冬香、行くぞ」
「はい……」
「今回のロケ上手く行ったら、レッスン三倍マシにしてやるから」
「本当ですか!?」
それならそうと早く言って欲しいものです。
まったく、プロデューサーは焦らし上手で困ります。ムチがあれば頑張れる馬みたいな女。どうも、逢坂冬香でございます。
まあ最近はアイドルも楽しくなってきたんで、いいんですけどね。
ユニットも悪くないです。むしろいい感じまであります。特にユニット・メンバーの一人である如月千早さんからは、本当に学ぶことも多くて勉強になります。
他のメンバーについてはまあ……おいおい話すことにしますか。
私のアイドル活動はあの日、ライブの時から始まったのかもしれませんね。
「さあ、今日からお世話になる一流エステティシャンの方々だ。挨拶して!」
……やっぱり辞めたいかもしれません。