第13話 冬香とシンデレラ・プロジェクト
度重なる美容ロケと旅番組ロケで疲労なし、不満あり、お肌ツルツル。どうも、逢坂冬香でございます。
メディア関連のお仕事も大切ですが、本業はアイドル。日々のレッスンやユニットのチームワークの育みも疎かには出来ません。最近はまた事務所で過ごすことが増えてきました。
美城プロダクションはアットホームな職場です。それぞれのプロデューサーに応じて個室が与えられ、プロデュースするアイドルを囲うことが許されています。アイドルのみなさんはレッスン前後や仕事の前後をここで過ごすことが多いようですよ。芸能界は飛び入りのお仕事が多いので、事務所にいると不意に仕事がもらえたりするからでしょうか。単純に仲が良いから、かもしれませんけど。
私みたいに。
「うりうりー」
「だー! やめろ鬱陶しい!」
暇そうにしてる奈緒のほっぺたをうりうり。
柔らかい感触です。この素材でベッドを作りたいですね。
「ごろごろー」
「肩の上に乗るな! 猫かっ!」
「それどうやってるんですかぁ」
「単純な体重の移動ですよ。自分の重さを自分の中に分散させて消し去ってるんです」
「まゆでも出来ますか? プロデューサーの肩に乗ったりとか……」
「体幹と腹筋さえあれば可能ですよ」
「やめとけやめとけ。こいつの言うことは真に受けちゃダメだぞ」
「ひどいですなおー。長期ロケでお疲れの冬香さんが久しぶりに帰ってきたのに。もっと構ってくださーい」
「ご褒美ロケだって聞いてるぞ。それに毎晩電話してただろ」
「人肌が恋しいんですよ。奈緒は乙女心が分かってませんね。そんなんだから太眉なんですよ」
「眉毛は関係ないだろっ!」
「まゆは太ってないですよぉ」
「えっ?」
「えっ?」
「ああっ! ふとまゆだから……」
「高垣お姉様が聞いたら爆笑しそうですね」
まゆちゃんは恥ずかしそうに縮こまってしまいました。
そんな風に可愛いと清楚系ド淫乱美少女の私が襲っちゃいますよーぐへへ。
「……おっと。プロデューサーが来ますね」
「はい。珈琲を淹れましょうねぇ」
「なんで分かるんだよ」
「「足音です」」
私とまゆさんの綺麗にはもった声を聞いて奈緒が口端をピクピクさせたのと同時に、プロデューサーが入って来ました。
手にはいくつかの書類とファイルがあります。どうやらまた仕事を取って来たみたいですね。
「みんなおはよう!」
「おはようさん」
「おはようございますぅ」
「おはようございます」
「みんな元気そうだね。安心したよ」
「プロデューサーこそ元気そうで安心しました。今珈琲を淹れてますからねぇ」
「うん、ありがとうまゆ。それで……冬香、ちょっと来てくれ」
「はいはい、逢坂冬香でございますよ」
私だけ面談室に呼ばれました。
詳しいことは知りませんが、プロデューサーは美城プロダクション内でそこそこ信用を得ているようです。与えられている部屋も他の部屋より大きく、仮眠室や簡単なキッチンなんかが併設されてます。今いる面談室もそんな部屋のひとつですね。
「実はね……って冬香、なんで服を脱いでるんだ」
「えっ? プロデューサーのどうしようもなくなった性欲を処理するために呼ばれたんじゃないんですか? プロデューサーはタイプではありませんが、友人二人が近くにいるというシチュエーションと相殺して許してあげます」
「冬香」
「はい、逢坂冬香でございます」
「服を着なさい」
「はい」
服を脱いでた、と言ってもセーターを脱いだだけなんですけどね。
セーターを着ようとして、はたと気がつきました。一旦手を止めてセーターを片腕にだけ通します。
「片足にぱんつをぶら下げたえっちシチュエーションを腕とセーターで再現してみました」
「早く服を着なさい」
「興奮しますか? えちえちですか?」
「冬香」
「はい」
「服を着なさい」
「はい」
今度こそ言われた通りにセーターを着ました。
そう、言われた通りに。従順な女ですからね、私は。私をペットとして飼いたい素敵な殿方(私基準)いつでも募集中です。
「実は新規プロジェクトで大型アイドル候補生が14人入ったんだ」
「そういえば募集してましたね。この間スタジオで面接したと聞き及んでいます」
「流石耳が早いな」
「耳年増ですから」
「ちょっと意味が違うけど、うん。それでな、デビューする新人さんをバックダンサーとして使って欲しいんだ」
「ほう」
私は少々普通とは違うやり方をしましたが、新人アイドルはまず先輩の尻に乗っかることが多いとか。
美城プロダクションのトップアイドルは大人の方が多いですし、年齢的にも私はちょうどいいのかもしれません。
「構いませんよ」
「ありがとう冬香」
「その代わり、後でご褒美を下さい」
「………………どんな?」
「奈緒と二人でやる番組を下さい。内容は出来るだけ自由がいいです」
「なんだそんなことか」
プロデューサーはほっとした顔をしました。
「いいよ、その条件で。後で顔合わせするから、アドバイスもしてやってくれ」
「了解致しました」
「うん、すごいいい笑顔で返事してもらっておいてごめんだけど。不安になってきた。僕のことを新人アイドルだと思ってアドバイスしてみてくれ」
「はい」
席を立ってプロデューサーと距離を取ってから、真っ直ぐ目を見て、深呼吸をひとつ。
堂々とした顔で。
「先ず、フェスをハシゴして格下アイドルを蹂躙します」
「待った!」
「はい?」
「そんなの出来るのは冬香だけだからな?」
「むう」
「能力的な面で冬香のアドバイスは、残念ながらあんまり意味がないかもしれない。もっと精神的なアドバイスをしてあげてくれないかな」
「分かりました」
「じゃあ、もう一度だ」
「はい」
深呼吸をして、もう一度。
「枕営業はばっちこいの精神!」
「違う! いやもう分かってたけどね!」
「言い換えると、仕事を選ばないと言うことですね。どんな仕事でも誠心誠意務めるのが大切です。現場で信頼が得られないとスタッフさんは付いてきてくれないですし、次の仕事ももらえませんから」
「おおう……。急にまともなアドバイスするな。そう、そう言う感じだよ。やれば出来るじゃないか」
「やれば出来る女ですからね。いえ、すぐヤれる女ですから」
「その言い換えは確実にいらないね。というか冬香、本性だすなよ」
「なんでですか?」
「みんなお前に憧れてるからさ。それに普通に倫理違反だ」
「なるほど、盲点でした」
「盲目の間違いじゃないか?」
これは一本取られました。
「それじゃあちょっとお着替えしてきますね」
「どうして?」
「先輩アイドルとしてご挨拶をするのですよね。なのでトラ柄のファーとサングラス、高いピンヒールが必須かなと」
「いつの時代の大女優を想定しているんだい。普通でいいから」
「はーい」
新人アイドルに「オーホッホッホ!」とか言いながら高圧的に話しかけて、後々「この私がこんな小娘ごときにッ! 覚えてなさい!」とか言いながら永遠に負ける役とかやってみたかったのですが、仕方ありませんね。
◇◇◇◇◇
「どうも、逢坂冬香でございます」
やべえ、本物だ。
シンデレラ・プロジェクト候補生達はそんなことを思った。
自分達のプロデューサーの同僚が連れて来たトップアイドル逢坂冬香。
清楚系アイドルとしてデビューした彼女が瞬く間にランクを駆け上がり、美城の頂点の一角にまで上り詰めた話は最早伝説のひとつとして語り継がれている。
普通の女の子でも憧れる人間が多い彼女だ。アイドルの卵達の憧れは当然それ以上。
候補生達は駆け寄ろうとしたが、しかし、出来なかった。
それは、例えるなら絵だ。
可愛い物や美しい物を見たとき、人は近寄りたくなるが、有名な絵画の様にあまりにも美しいと、どこか神秘的で近寄りがたい。
彼女達から見て冬香は近寄りがたいものに見えた。
それも仕方のないことかもしれない。冬香の所作は基本的に完璧で、歩き方や指先の動きなど全てが洗練されている。元来の美貌もあるが、常に微笑んでいることがその魅力を一層引き出していた。
極め付けはお辞儀だ。
冬香から見れば圧倒的に格下の自分達に「よろしくお願いします」と言って頭を下げるその姿勢は、どこまでも美しかった。まるで頭を下げる仕草だけを、何度も練習したかのように。もちろんトップアイドルたる彼女が、そんなわけはないのだが。
「あなたがシンデレラ・プロジェクトのプロデューサーさんですね。本日はお招きいただきありがとうございます」
そして自分達のプロデューサーにもにこやかに挨拶した。
彼は非常に強面で、体格も大きい。
まだ慣れてないアイドルも多く、急に扉から出て来たときなんかは悲鳴を上げてしまうこともある。
それなのに冬香は見惚れるような笑顔で握手までしていた。
誰に対しても礼を尽くす。格下だから、人相が怖いからと分け隔てしない。
これがトップアイドルなのだ、と嫌でも差を分からされた。
プロ意識が違う。
「……みなさん、ご挨拶を」
時が動き出した。
慌てて全員で挨拶を返す。本来ならば自分達から挨拶しなければならないのに、冬香はにっこり笑ってくれた。
無礼をしても許してくれる包容力がある。
「今回はこの子達の誰かをバックダンサーに、というお話のようですが」
「はい。ですがデビューが決まっているグループが2つしかありません。そのどちらかということになってしまいます。申し訳ありません」
「いえいえ、お気になさらず。私以外には誰かに依頼しましたか?」
「城ヶ崎美嘉さんにもお願いしています」
「まあ、美嘉さんにも。豪華なデビューになりそうですね」
「恐縮です」
冬香はプロデューサーから資料を受け取り、さっと目を通した。
どちらを選ぶか吟味しているのだろう。
ニュージェネレーションとラブライカはもちろんのこと、何故か他のメンバーまで「ゴクリ」と生唾を飲む。
「それでは、ラブライカのお二人にお願いしてもよろしいでしょうか?」
「やったあ!」
「ハラショー! やりましたね、ミナミ!」
美波とアナスタシアは飛び上がって喜んだ。
反対に未央と卯月は落ち込み、凛が慰めている。二人は冬香のファンだったのだ。ちなみに凛は「なんかテレビで見たことある人」くらいにしか知らなかった。
「ありがとうございます」
シンデレラ・プロジェクトのプロデューサーも、内心ほっとしていた。
こちらからお願いしているので要望を伝えられなかったが、ラブライカを冬香に、ニュージェネレーションを美嘉に頼みたかった。そちらの方が相性が良いと思ったのだ。
もしかしたら、こちらの意図を汲んでくれたのかもしれない。
冬香の気立ての良さならあり得る。
「それではあらためて、よろしくお願いしますね。新田さん、アナスタシアさん」
「こちらこそよろしくお願いします!」
「私も、よろしくお願いします、ね?」
「お二人とも敬語は使わなくて大丈夫ですよ。むしろやめてもらえると嬉しいです。なんだかくすぐったくて苦手なので」
「そ、そう? それじゃあえっと、よろしくね冬香ちゃん」
「……ごめんなさい、冬香。アーニャまだ、日本語あまり上手くないです。だからタメ口、そんなに使えません」
「そうですか。それならそれで構いませんよ。話しやすい言葉で話しかけて下さいね」
冬香はにっこり笑った。
そして美波の方を向く。
「さっき資料を、拝見させていただいたのですが、新田さんは大学生なんだとか。サークルなどには所属しているのですか?」
「うん。ラクロスサークルに入ってるんだ」
「ラクロス?」
「ラクロス!」
「ラ・ク・ロ・ス……なるほど、そういうのもあるんですね。勉強になります」
「? えっと、どういたしまして?」
「ところでやはり、サークルだと飲み会とかあるんでしょうか。飲まされすぎて前後不覚に……とか」
「ううん。私のサークルは女子がメインだから、そういうのはあんまり」
「ふーん、そうですか……はーん」
「心配してくれてありがとうね、冬香ちゃん」
「えっ? ああ、はい。どういたしまして」
アイドルにとって、暗い過去は時に致命傷になる。
冬香はそれを心配してくれたのだろう、と美波は思った。どこまでも気が利く子だ。
美波の中で冬香への評価は、最早不動のものになっていた。
今度は冬香はアナスタシアの方を向いた。
「アナスタシアさんはロシア人と日本人のハーフなんですよね」
「ダー。パパがロシア人でママが日本人です」
「ご尊父はやはり、屈強な体格をしてるのでしょうか」
「パパはとてもマッチョです。タックルで木を倒します、ね」
「素晴らしい! いつか是非に、お家に招待して下さい」
「ニェット。アーニャのお家は北海道……遠いです」
「私がポケットマネーでどうにかしますよ。アナスタシアさんもご両親に会いたいでしょう」
「冬香!」
アナスタシアは冬香に抱きついた。
感極まってしまったのだ。
アナスタシアはホームシックだった。友人がいないわけではないが、やはり両親に会えないのは寂しいのだ。それに、故郷の夜空も。大自然の中で育ったアナスタシアに東京の夜空は暗すぎた。
冬香はそんなアナスタシアの寂しさを汲み取ってああ言ってくれたのだろう。初対面の冬香が「家に招待してほしい」なんて、それ以外の動機で言うわけがない。
世間知らずのアナスタシアでもそれくらいは分かった。
「冬香、悪いけどそろそろレッスンの時間だ」
「楽しい時間は過ぎるのが早いものですね。それではそろそろお暇させていただきます。本日は貴重な時間をありがとうございました」
またしても冬香が先に頭を下げてしまった。
慌ててこちらも頭を下げる。
「冬香。最後に、みんなにアドバイスがあれば言ってあげるといい」
「そうですね。メンタルや能力的なことはこの先レッスンで身につくでしょうから、大切なことをひとつだけ」
息を殺して、出来るだけ静かにする。
冬香の口から出るものはため息ひとつ聞き漏らさない。冗談抜きにそれくらい気合いを入れて、アイドル候補生達は冬香の言葉を聞こうとしていた。
「芸能界には良い人も悪い人もいます。権力を持ってる人もいます。みなさんではどうにもならないことが起きるかもしれません。大人に言いづらいこともあるでしょう。ですからそんな時は、この逢坂冬香までご一報ください。必ずみなさんの一助となることを、逢坂家の名にかけて約束します」
それは、想像していたアドバイスではなかった。
レッスンや営業のノウハウを言われると思っていた。そういったことは、現役の先輩からしか聞けないからだ。
「はい!」
しかしアイドル候補生達の返事はそろっていた。
小手先のことではない。
アイドルとしてもっと大事な根幹の部分――そう、“優しさ”を教えてもらったと、彼女達は感じていた。
それを理解出来ない愚かな人間は、ここにはいなかった。
そして逢坂冬香は今度こそ立ち去った。
「ふぅ――……」
誰とはなしにため息をつく。
まるでライブを見終わったファンのようだ。
美城プロダクションには数多くのアイドルがいて、トップアイドルも何人かいるが、こうして間近で話す機会は少ない。
芸能界に入りたての彼女達は緊張しっぱなしで、やっと気が抜けた。
「逢坂さん優しかったなあ」
と言ったのは多田李衣菜。
彼女が目指すのは『ロックなアイドル』であり『清楚系アイドル』の冬香とは方向性が真逆なのだが、それでも得るものはあったようだ。
李衣菜の言葉に返事をする者はそう多くはなかった。
余韻に浸っていたのだ。
本物のトップアイドルと触れ合えたこと、将来あるべき姿を見た経験を出来るだけ胸に刻もうとしていた。