ある冬の朝。
私はベッドの上で目を覚ました。
冬の朝はとても寒くて、まるで針で体を刺されたようで、少し濡れてしまいます。
私は寝るとき、いつも全裸です。これは夜中、もし私の寝込みを襲いに来て下さった方がいらっしゃった時の配慮――エチケットなのです。乙女なら当然の嗜みです。女子高生はみんなやってます。
さて、これから学校に行くので、制服を着なければなりません。ですがその前に、やるべきことがございます。毎朝の日課、ルーティーンというモノです。
「今日も私をお導き下さい」
これも乙女の嗜みです。
今時の女子高生の朝といえばメイク、髪のセット、そしてオナホールに全裸土下座、必ずこれらをやります。
オナホール。
男性を気持ちよくするためだけにこの世界に産み落とされた物。使い終われば、ゴミのように捨てられる。加えて日々より男性を悦ばせる為に、進化していらっしゃいます。
それはまさしく、私にとって理想です。
いえ、世の中の全女性の憧れでございます。
なので私は毎朝、オナホールに土下座しているのです。この時、土下座のフォームのチェックもしております。
たっぷり十分ほど祈りを捧げた後、ようやっと着替え出す――わけではありません。
一旦五回ほど、自分で達しておきます。
これをしておかないと、落ち着かないのです。こないだうっかり忘れた日など、授業中に……うふふ。あの時はヒヤヒヤしたものです。ですがその背徳感が私を更に昂らせ――
「ふぅ……」
虚しい。
事が終わった後は、いつだって虚しいものです。
ですが泣き言ばかり言ってられません。
かの松下幸之助様はおっしゃいました。
“山は西からでも東からでも登れる。自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。”
つまり松下様はこう伝えたかったのです。
前の穴に飽きたら後ろの穴がある、と。
流石松下様です。私は感謝の念を感じずにはいられません。
私は下半身へと手を伸ばしました。
起床してから一時間半後、ようやく学校に行く支度をし始めます。
制服はしっかり校則通りに、メイクは薄く。
この姿の自分が一番男性映えすることを、劣情を抱かせることを、私は理解しているのです。
私の家――逢坂家はかなりの良家です。
なのでその気になれば専属の運転手に送り迎えしてもらえるのですが、もちろん私は歩いて学校に向かいます。
痴漢される機会をわざわざ見逃す私ではございません。
もっとも、実際に痴漢された事はまだないのですが……原因は私にも分かりません。
本当に何故なのでしょう?
いかにも世間慣れしていない、清楚な美少女が電車に乗っているというのに……
スカートが長すぎるのがダメなのでしょうか。あるいは、制服をキッチリ着過ぎているのかもしません。ですが、スカートの丈を短くしたり、制服を着崩す事はしたくないのです。
だってビッチな格好をして痴漢される、ではつまらないでしょう。
いかにも清楚な自分が痴漢されるのが、私にとってはたまらなく刺激的に感じるのです。
◇◇◇◇◇
一人のプロデューサーがいた。
彼は駆け出しで、担当アイドルも一人しかいないし、曲も二曲ほどしか作曲していない。
それでも美城プロダクションという大きなプロダクションのプロデューサーを任されているあたり、彼は優秀な男なのだろう。
そんな優秀な彼は……困っていた。
一時間ほど前、彼はアシスタントである千川ちひろから「アイドルをスカウトしてきて下さい」と言われ、会社から追い出されたのだ。
結果から言えば、彼にはスカウトの才能がなかった。
痩せ型で平均的な身長の彼は、そう怖がられるような見た目でもない。なので初見の印象で敬遠される、ということはないのだが、生真面目な彼は女の子を口説き落とすのが絶望的なまでに下手だった。
(なんか違うんだよなぁ……)
そして何より、彼のやる気だ。
今は16時――下校時間だ。女の子自体はそれなりにいる。
食生活が良くなったせいか、はたまたメイクが進化しているおかげか、見た目が綺麗な女の子も少なくはない。
しかし、どうにも「ティン」と来るものがないのだ。
当たり前のことだが、トップアイドルの原石など、そう何処にでもいるものではない。
ましてや未熟とはいえ、養成所で数多くのアイドルを見て来たプロデューサーのお眼鏡に叶う女の子など、そうはいないだろう。
場所を変えようか。
そう思い、歩き出そうとした瞬間――
――彼は圧倒的な『美』を見た。
彼女は、ただ歩いていた。
たったそれだけの事で、そこがただの雑多な通りではなく、豪奢なブロードウェイへと変わる。
周りの者をねじ伏せる美ではない。
周りを輝かせ、その輝きでもって己を照らす。周りをも取り込む圧倒的な美。
彼女に惹かれ声をかけようとする者もいたが、勇気が出ないのか、はたまた彼女の持つ“何か”に当てられたのか、結局誰も話しかけることはなかった。
(彼女だ……)
正しく「ティン」と来た。
彼女こそトップアイドルの原石。
アイドルのために生まれてきたような存在。
それが一目で分かった。
スカウト、しよう。
いや、しなければならない!
プロデューサーはそう決心したものの、直ぐに踏み出せなかった。
彼女に話しかけることは、まるで奴隷が貴族に話しかけるかのような、禁忌を犯しているような感覚がしたのだ。
それでも彼はプロデューサーで、これは仕事だ。
一歩、また一歩と、彼女に向かって歩く。
彼女に近づけば近づくほど圧力がますようで、足がどんどん重くなっていった。比例するように、心臓も激しくなっている。
「あの!」
それでもなんとか、プロデューサーは彼女に話しかけた。
「はい、なんでしょう」
「わ、わたくしですね、その――」
「歳上の方に失礼だとは思いますが、先ずは深呼吸をして、落ち着いてはいかがでしょうか。声が上ずっていますよ」
子供を諭すように、彼女は言った。
女子高生に落ち着くよう諭されるなんて、社会人失格だ。プロデューサーはちょっと落ち込みながら、言われた通り深呼吸した。すると驚くほどに体から、緊張が抜けていくのを感じた。
落ち着くと、彼女の整った顔がよく見える。
プロデューサーはまた心臓が跳ねるのを感じた。
「見たところ社会人かとお見受けしますが、何の用で?」
「346プロダクションでプロデューサーをさせていただいている『
慣れた手つきで名刺を渡す。
346プロダクションは知名度のある会社だ。
これで怪しいキャッチやナンパだとは思われないはず。
「僕はこういったことが苦手なので単刀直入に言いますが、アイドルに興味はありませんか?」
「アイドル、ですか?」
「はい、アイドルです!」
彼女はちょっと悩んだ後、小さく言った。
「アイドル……マクラ営業……中年太りの大御所……AV堕ち……輿水幸子様………」
「はい?」
「いえ、なんでも」
何を言ったのか、プロデューサーには聞き取れなかった。
きっとアイドルになった時の不安とか、デビューした後成功出来るかとか、そういったことが思わず口をついて出たのだろう。
可愛らしいところもあるものだ。
プロデューサーはほっこり笑った。
「お受けしますわ、アイドル」
「本当ですか!?」
「ええ」
どんな心境の変化か、即座に同意してくれた。
このままトントン拍子にデビューしてライブを……となればいいのだが、ことはそう単純ではない。
彼女のご両親にいくつかの書類にサインしてもらわなければならないし、他のプロデューサーや千川ちひろも同席での面接も受けてもらう必要がある。
学校が疎かにならないようレッスンの日取りを組み、ある程度形になってきたら記者会見を通じてデビュー。
とにかく、やることは山積みだ。
しかし目の前で笑う彼女の笑顔を見て、プロデューサーは確信した。
彼女ならなんの問題もなく、それらを全てこなせる、と。
「聞き忘れてました。お名前を教えてもらっても?」
「逢坂冬香と申します。逢引の逢に坂の下の坂で逢坂。冬の香りで冬香です。これからよろしくお願いしますね、相嘉さん」
――相嘉プロデューサーの予感は正しい。
今彼の目の前で礼儀正しく自己紹介しているこの少女は、正に神に愛されたとしか思えない才能を有している。
その気になれば、どの世界でだって頂点に立てるだろう。
しかし相嘉プロデューサーはたった一つ、読み間違えをした。
彼女に頂点に立つ気などさらさらない。
いや、一度くらいは頂点に立ってもいいと考えている。
だがゴールはそこではないのだ。
頂点から下へ。
最も汚濁の塗れた下へ。
それこそが彼女の望み。
逢坂冬香はドMである。
世界最高の才能を持ったドMなのだ。