清楚系ド淫乱アイドル『逢坂冬香』   作: junk

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第3話 デビュー

 『幸運エンジェル』というアイドルユニットを知っているだろうか。

 ファンのみんなに幸せを。

 そんなことを大真面目に考えていた、馬鹿なユニットである。

 馬鹿も貫き通せば信念。

 彼女たちは地方巡業や握手会――地道な仕事を繰り返し、本当にファンのために努力していた。

 そんな真摯な姿がファンの心を掴んだのか、トップアイドルとは程遠かったが、徐々にファンも増えていった。

 

 しかし幸運エンジェルはもうこの世に存在しない。

 

 彼女たちはどうしようもない現実、芸能界の闇に触れ、潰れたのだ。

 芸能界にはよくあること。

 過去何万というアイドルの卵達が、そうしてこの業界を去っていった。

 芸能界の長い歴史に、また一つ悲劇が刻まれるだけ。きっと直ぐに忘れ去られるだろう。誰もがそう思った。

 だが幸運エンジェルはそうはならなかった。

 幸か不幸か、メンバー全員がトップアイドルに近い才能を持ち。そしてリーダーの東豪寺麗華は――幸運エンジェル時代には不正を嫌い隠していたが――東豪寺プロダクションの令嬢だったのだ。

 復活は簡単だった。

 そして彼女達は誓った。

 この馬鹿げた――ファンのために尽くしてきた者が損する、愚かな芸能界を潰すと。

 そのためには、何を利用するのにも躊躇わない。

 あれほど遠ざけていた東豪寺プロダクションの力を、麗華は嬉々として振りかざした。

 元々の高い実力と、歪な権力の力。

 元幸運エンジェルのメンバー達は、瞬く間に人気になっていった。

 

 今の彼女達の名前は『魔王エンジェル』。

 そして逢坂冬香の初めてのフェス相手でもある。

 

 

   ◇

 

 

「くふふ……」

 

 つい笑みが溢れてしまいました。

 私ったらはしたない……

 

 座右の銘は『七転八倒を超えてその先へ』。どうも、逢坂冬香でございます。

 

 私は今、一人で部屋におります。

 昨日相嘉プロデューサーから言い渡された私のデビュー戦の相手、魔王エンジェルさん達について調べておりました。

 彼女達は良い。ああ、実に良いですわあ。

 具体的に申しますと、上の口と下の口から涎が出るくらい良いです。もうぐちょぐちょです。

 

 ……失礼、少々お花を摘みに。

 

 ふう、ただいま戻りました。

 “色々”とさっぱりしました……ふふ。

 それで、なんの話でしたっけ……そうそう、聞けばリーダーの東豪寺さんはプロダクションの社長令嬢のようで、審査員の買収、曲やキャラクター・イメージの乗っ取り、悪評の流布、あらゆる卑怯な手段を使って芸能界を生き抜いてきたそうではありませんか。

 今回彼女達のようなAランクアイドルが、駆け出しアイドルの私とフェスを組んで下さったのも、新人アイドル潰しの一環ということでございましょう。

 

 魔王エンジェルのファンで固められた、アウェイ一色のステージ。

 一月かけて仕上げてきた私が必死に歌って踊っても、誰も見向きもせず、それどころか「うるせえ! 魔王エンジェルちゃん達の声が聞こえねえだろうが!」と野次を投げかけてくる始末。きっとサクラも忍び込ませていらっしゃるでしょうから、運が良ければ物を投げて下さるかもしれません!

 

 たまらない――ああ、たまりませんっ!

 

 私は相嘉プロデューサーさんを誤解しておりました。

 清潔感にあふれ、仕事は丁寧、いつも紳士的でレッスンの後の差し入れは欠かさず、何をしてても私のことを心配してくれる。非常に優秀ながら、人が良すぎて悪意を見抜けない。あとなんとなく遅漏っぽい――そんなつまらない殿方だと、私は誤解しておりました。

 あれはすべて、私を上げて落とすための演技。でなければ普通の方が、悪名高い魔王エンジェルといきなりフェスを組ませるはずありませんもの。まさか魔王エンジェルからのフェスの打診を、素直に彼女達が私とフェスをしたいと思っている、なんて額面通りに受け取るはずありませんから。

 申し訳ありません、相嘉プロデューサーさん。貴方が素敵な感性の持ち主だと、私は気がついていませんでした……

 私の全裸土下座でここはひとつ、許して下さいね。まあ許していただかなくても構わない、というかそちらの方が嬉しいのですが……

 

 さて、本来なら明日のフェスに備えて寝なくてはならないのですが、私は三十分ほど寝れば疲労や体力をすべて回復できるので、夜更かしをしたいと思います。

 やるべきこと――それは明日のフェスに備え、魔王エンジェルのネット掲示板に張り付き、ひたすら私を罵ることです。SNSで叩くことも忘れません。

 これに感化されて、一部の人間が暴動でも起こしてくれたら嬉しいのですが……

 それはいくらなんでも望みすぎというものでございましょう。

 私に出来ることはただ一つ。

 いかに私がアウェイの空気を作れるか、それだけです。

 

 ところでこれって、自演に含まれるのでしょうか……?

 

 

   ◇

 

 

 相嘉プロデューサーは困惑していた。

 

 今日は記念すべき、冬香のデビューの日だ。

 魔王エンジェルさん達からフェスの打診があったときは、とても嬉しい気持ちになった。Aランクアイドルが、切磋琢磨するために、デビューしたてのアイドルとフェスを組んでくれる。

 やっぱりアイドルは最高だ! と相嘉プロデューサーは喜んだ。

 しかしこの空気はなんだろう。

 スタッフもファンも、まるで冬香を邪魔者のように扱っている。

 

 セットもそうだ。

 魔王エンジェルの方は派手なレーザーや多量のスモーク、それから電灯の色もとりどりなのに対し、冬香の方はマイクとライトだけ……本当に最低限の設備しかない。

 Aランクアイドルと今日デビューのアイドル。格差があるのは仕方ないと思うが、これは流石に……

 

「レディースアンドジェントルメンッ!」

 

 そんな相嘉の疑問をよそに、とうとうフェスが始まった。

 ハコユレ――お客さん達の盛り上がりは、かなりあるように感じる。

 ただ、その盛り上がりが冬香の方に向いてるかと言われると、否だ。

 

「先ずはご存知、闇から舞い上がった堕天使『魔王エンジェル』!」

 

 熱狂的な歓声が湧き上がった。

 相嘉プロデューサーはステージ裏にいたが、声が聞こえるどころか、振動で床が震えているくらいだ。

 デビューしたてのアイドルが、これだけの歓声をもらえるのは難しい。

 この歓声が冬香の時にも起きるんだ……相嘉プロデューサーはフェスを受けて良かったと思った。

 

「お次は新人アイドル『逢坂冬香』ちゃんだ!」

 

 ピタリと、声が止まった。

 まるで誰もいなくなったような――いや、誰かを非難するような沈黙だ。

 これほど多くの人間がいるのに、誰も言葉を発さない。それがこんなに嫌な威圧感になるなんて。

 どうしてこんな……

 いやそもそも、こんな状況で前に立たされた冬香は?

 ステージ裏にいる相嘉でさえ、冷や汗が止まらないんだ。きっと彼女は――

 

(冬香!)

 

 相嘉は慌てて、ステージを見た。

 そこには――

 

 ――とびっきりの笑顔を振りまく冬香がいた。

 

 出会ったときから、魅力的な笑顔をする女の子だった。マストレとのビジュアルレッスンで、それはより一層磨かれたと思う。それでも、それでもここまでの笑顔を、相嘉は見たことがなかった。

 相嘉の不安を消し飛ばすような、本当に楽しそうな笑み。

 

(そうか……こんな空気の中でも、お客さんと触れ合えて楽しいのか)

 

 健気な冬香を見て、不意に相嘉は泣きそうになった。

 こんな苦境に立たされて、辛くないわけがないのに。それでもファンに見てもらえることが嬉しいと、冬香は……

 

 やがて挨拶も終わり、曲が流れ出した。

 お客さん達は魔王エンジェルの方にだけ集まり、冬香のステージの前には誰もいない。

 冬香の曲は『Snow World』。

 相嘉が作った渾身の曲だ。

 冬香の儚さと力強さを、相嘉なりに最大限まで表現したと思う。その分難しい曲になってしまったが、冬香は見事に――いや、期待以上に歌いこなした。

 素晴らしい曲だ。

 絶対の自信を持ってそう言える。

 しかし、どんなに素晴らしい曲だとしても、誰も聞いていないなら何の意味もない。

 

 ――冬香の前には、誰もいない。

 

 それは冬香が歌い出しても変わらなかった。

 たった一人ステージの上で『Snow World』を歌っている。

 こんな悲しいステージがあるだろうか。

 これまでの一ヶ月は何だったんだろう。こんな、こんなもののために、冬香はひたすらレッスンを受けて。

 もう冬香は立ち直れないかもしれない。

 そう思わせるには充分なほど、冬香の初デビューは酷かった。

 

「……え?」

 

 冬香は歌い続けていた。

 それも一層輝きを増して。

 楽しくて楽しくしょうがない。心の底からそう思っているのが伝わってくる。

 一体どうして……?

 辛くはないのか……?

 

「信頼ですよ」

 

 声をかけてきたのは、アシスタントの千川ちひろだった。

 

「この一ヶ月、冬香ちゃんは文句の一つも言わずに、マストレさんのあの厳しいレッスンを受けてきました」

 

 そうだ。

 冬香がどれだけ頑張ったのか一番知っているのは、他でもない相嘉だ。

 見てるこっちが辛くなるようなマストレのレッスンを、冬香は弱音の一つも吐かずに、一生懸命やっていた。

 目頭が熱くなるのを、相嘉は感じた。

 

「その冬香ちゃんのサポートをずっとしてきたのは、プロデューサーさんです。欠かさず行ってきたドリンクの差し入れや、熱心なメンタル面のサポート。思い出してください、プロデューサーさん。冬香ちゃんと過ごしてきた、この一ヶ月を」

 

 辛いことは山ほどあった。

 しかしそれも全部、二人で乗り越えてきた。

 

「きっと冬香ちゃんの頭には、マストレさんが教えてくれた技術への信頼と、プロデューサーさんへの信頼があるんです。だからあんなに、冬香ちゃんは頑張れるんだと、そう思いますよ」

 

 ――辛くないはずがない。

 まだ高校生の女の子が、こんな目に遭わされて。

 辛くないわけがないんだ。

 それでも冬香は、たった一人歌い続けている。お客さんのために、あんなに笑顔で――!

 僕への信頼が、少しでも力になるのなら。

 応援しないわけにはいかない。

 

「頑張れーーー!」

 

 こんなに大きい声が出せたんだ、と自分でも驚くほどの声が出た。

 隣で千川さんが笑っているが、関係ない。

 相嘉はもっと声を張り上げた。

 頬を熱いものが流れていくのを感じた。

 

「威勢がいいな、相嘉」

「マストレさん! 来てくださったんですか」

「可愛い教え子の初デビューだからな。それに存外、私も暇なのさ」

 

 そんなわけがない。

 マストレは引っ張りだこの超人気トレーナーだ。そのスケジュールは分単位だろう。

 それでも冬香のために来てくれたのが、たまらなく嬉しかった。

 

「不安になる気持ちは分からんでもない。だがまあ、安心して見てるといい」

「どういうことです?」

「逢坂の才能は、この程度まったく問題にしないということだ」

 

 マストレは不敵に笑った。

 

「――そろそろ始まるぞ、反撃が」






冬香の噂その1
「試しにやってみたらちょっとだけ北斗神拳が使えた」

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