なんだ、あの化け物は……!
魔王エンジェルから見て、冬香への率直な感想だった。
麗華と冬香、名前が似ているから。
今回の『新人潰し』で冬香を選んだのは、そんな簡単な理由だ。とはいえ“如何に目立つか”が重要なアイドル業界、キャラ被りはもちろん、名前が似てるというだけで思わぬ結果を生みかねない。少なくとも麗華から見れば、潰すには十分な理由だった。
それに――美城プロダクションには、否、美城プロダクションで働く一人のプロデューサーと、魔王エンジェルには浅からぬ縁がある。麗華は否定するだろうが、彼女の深層心理には、美城プロダクションへの対抗心があったのだろう。
冬香と魔王エンジェルには、大きな差がある。
ファンの数はもちろん、実力や機材、場馴れなど、魔王エンジェルが負ける要因はどこにもない。
しかし一夜にして頂点の一角に立った765プロダクションや、わずか一年でSランクアイドルにまで上り詰めた高垣楓のような例がある以上、麗華は決して新人アイドルを舐めてはいない。
だから周到な準備をして、新人アイドルを潰すのだ。
事前準備は完璧だった。
調べた限り、冬香のプロデューサーは相嘉奏佳。プロデューサーの経験としては日が浅いが、それでもB級アイドルを一人、A級アイドルを一人育てたやり手だ。そして何より、今いるプロデューサーの中では恐らく、最も作詞・作曲能力に長けている。
とはいえやはり経験は乏しく、芸能界の裏事情には精通していない。元来お人好しということもあり、妨害工作の方にまでは頭が回らないだろう。
観客も魔王エンジェルのファンで固めた。
例えば選挙――政治家がやるような大きい選挙ではない、そう、学校の生徒会長選挙があったとして。
壇上で喋る立候補者の言葉など、ほとんどの人間が聞いていない。
では何を根拠に投票するかと言えば、先ず九割がた知り合いに投票する。立候補者に知り合いがいなければ、可愛い女の子やカッコいい男の子、つまりルックスだけで判断するのが大多数。公約に耳を傾けて判断する生徒など、それ以下の人数しかいないだろう。
アイドルのファンは知り合いどころか、言わば『信者』だ。
フェスで観客を自分達のファンで固めたということは、選挙において知り合いだけで固めた以上の効果がある。
だが稀に――圧倒的なカリスマを持った人間が、たった一度の演説で全ての人間を虜にすることがある。
裏工作をしてきたとはいえ。
膨大な資金に物を言わせてきたとはいえ。
そんな物は関係ないと、一瞬で全てを薙ぎ払う何かを持っている人間が、確かに存在するのだ。
魔王エンジェルはA級アイドルだ。
あまりアイドルに詳しくない、一般の人間には実力しか通用しない。買収することも、脅すことも不可能なのだから。
そんな一般層を取り込んで初めてA級アイドル。
魔王エンジェルには実力もあった。
事前準備、裏工作、そして実力。
全てが圧倒的に上。
万に一つも負けはない。
そんな勝負をあの化け物は……薙ぎ払ったのだ。
実力があるからこそ分かってしまった。
あれは化け物だ。
麗華が用意した策は所詮、人間相手を想定した物。実力があるといっても、それは人間の物差しの中での話。人間が知恵を振り絞って武器やら作戦やらを用意したところで、津波や嵐に勝てないように……魔王エンジェルは逢坂冬香に負けたのだ。
――逢坂冬香は化け物だ。
それが魔王エンジェルから見て、率直な感想だった。
(あの表情にあのインタビュー……アイドルが楽しくて仕方がないってか? 相手にするだけ損だな、アレは。今回は天災に巻き込まれたと思うしかねーな)
何より厄介なのは、冬香に自分が化け物だという自覚がないことだ、と麗華は思っている。
欲があればそれに付け込むことも出来たかもしれないが、あの感じはそれもなさそうだ。
潔白はアイドルにとって大きな武器になる。
認めたくないが、正にアイドルのために生まれて来たような女……
正直、心が折れた。もう二度と会いたくない。
魔王エンジェルの仲間や東豪寺プロダクションの運営――背負うものがあるからなんとか冷静でいられるが、麗華一人だったら泣いてたかもしれない。というか泣きたい。
本当になんなんだよあいつ。もうどっか行けよ。
「で、どうすんだよ麗華ぁ」
メンバーの一人――朝比奈りんが麗華に声をかける。
どうすんだよ、と言われても、どうしようもない。
りんの質問は「隕石が降って来るらしいけど、どうする?」と言っているようなものだ。
とはいえ麗華にもプライドはある。
冬香にもう関わりたくはないが、別のアプローチで……
「……他の美城の新人を潰す」
麗華の耳はあらゆる所にある。
まだ公表されていないが、美城プロダクションの新しい企画――シンデレラ・プロジェクト。
かなり大規模なプロジェクトだ。流石の麗華も、潰すには大掛かりな準備が必要だからと避けていた。巨額の資金が動いているので、千川ちひろが動く可能性もある。
それでもあの化け物と戦うよりはマシだ。
「シンデレラ・プロジェクト……いいの、麗華?」
「なにが?」
「だって、担当プロデューサーはあの人だよ?」
三人目のメンバーである三条ともみが、心配そうな声をかけてくる。
魔王エンジェルが幸運エンジェルだったころ、麗華は社長令嬢でもプロデューサーでもなく、一人のアイドルだった。
幸運エンジェルには、プロデューサーがいた。
彼は――よく笑う人だった。
決して大声で笑うわけではないが、いつもニコニコとしていて、愛嬌があり、麗華達のことを気にかけてばかりいた。
幸運エンジェルとプロデューサー。
二人三脚だった。
しかし事件は起きた。
ある日プロデューサーがとってきた、フェスの仕事。それは麗華達が前からずっと願っていた仕事だった。
憧れのアイドル『雪月花』。
彼女達とのフェスだったのだ。
麗華達は喜んだ。プロデューサーも、いつもより笑っていた気がする。
無邪気なもんだと、あの頃を思うと、麗華は妙に腹が立つ。
結末はなんてことない。雪月花が勝って、幸運エンジェルが負けた。
実力は拮抗していた――いや、幸運エンジェルがわずかに勝ってたように思う。
ただ、向こうは裏工作をして、こっちはしなかった。たったそれだけの差だった。
その日を境に幸運エンジェルは魔王エンジェルになり、プロデューサーは笑わなくなった。
「私達も妨害や裏工作をしよう」
麗華はプロデューサーに持ちかけた。
だが、彼は頑なに首を縦に振らなかった。
経営方針が違うなら仕方ない。麗華はプロデューサーをクビにした。そのプロデューサーが偶々美城に拾われ、今度潰そうとしているプロジェクトを担当している。それだけの話だ。広いようで狭い業界、こんなのはよくあること。
ともみやりんが心配するようなことは、なにも起こらない。
「失礼します!」
ドアが開き、相嘉と冬香が入ってきた。
負けたとはいえ、魔王エンジェルは先輩アイドルだ。向こうが楽屋に挨拶に来るのは、自然なことだろう。
麗華はすぐに表の顔を作る。
ともみは前から無口なので問題ないが、りんは少し不機嫌そうだ。
「本日はこのような場を設けていただき、ありがとうございます! ほら、冬香も」
「はい。先程述べさせていただきましたが、改めてお礼を。ありがとうございます。また誘っていただけたら、これに勝る喜びはありません」
にこりと、冬香が笑った。
その笑顔には一片の穢れもなく、正に夢見る少女そのものだ。
隣に立つプロデューサーも、馬鹿丸出し。アイドルを信じてるって顔だ。
……反吐がでる。
麗華はそう思ったが、グッと堪えて、社交辞令を述べた。
「ところで今回、差し出がましいと思ったのですが、差し入れをご用意しました。差し入れを受け取ったことはあっても、渡したことはなかったので、ちょっと奮発しちゃいました。喜んでいただけると嬉しいな……なんて。うふふふ。トップアイドルのみなさんは、きっと食べ飽きてしまってますよね」
冬香が取り出したのは、少し大きめの箱だった。
「あまり有名ではないのですが、私がご贔屓にさせていただいているお店のショコラです。みなさんで食べて下さい。あっ、感想なんか聞かせてくれると、私とっても嬉しいですっ!」
「わざわざありがとう、冬香ちゃん。でもごめんなさい、私達は何にも用意してないのよ」
「そんな! 今回のイベントに招待して下さっただけで、充分過ぎるほどです。私なんてまだまだ新人ですから、麗華さん方に気を遣って貰う必要は、まったくありませんわ」
社長令嬢である麗華は、この手の洋菓子に詳しい。
記憶によればこのロゴは――確かフランスのメーカーだったはずだ。確かに有名ではないが、知る人ぞ知る高級店。通販などやってないし、現地に行かなければまず手に入らない。
(逢坂……偶然の一致だと思ってたけど、こいつの家はあの逢坂家か)
それなりの財力を持つ家を、麗華はほぼ暗記している。
その中に逢坂家という家は、一つしかない。
冬香のことを社交界で見かけたことはない。それなら彼女は、末席ということになる。それでも逢坂家に名を連ねる者なら、やはり関わらない方がいいだろう。
(つーか社長令嬢の所も被ってんのかよ)
夢見る世間知らずのお嬢様。
プロデューサーとの関係。
認めたくないが、冬香と麗華にはいくつか共通点がある。
といってもそれは昔の麗華との共通点であって、今の麗華には関係ないことだが。
「チッ」
りんが不機嫌そうに舌打ちした。
きっと麗華が気を遣っているのが気に食わなかったのだろう。
りんは身内を大切にするあまり、他人を極端に嫌う癖がある。目線で行儀良くするよう言ったが、りんは目を逸らした。
「あの……ごめんなさい。私、何か気分を害されるようなことをしてしまったようで」
「いいえ、気にしないで下さい。冬香ちゃんが悪いんじゃないの。りんもほら、負けて気が立ってるのよ」
冬香は一瞬目を見開いた後、目に見えて動揺しだした。
さっきまで勝利の余韻に浸るあまり、敗者のことなどすっかり忘れてました、という感じだ。
それを見て一層苛立ったのか……遂にりんが机を蹴った。
(馬鹿!)
麗華がそう思った時には既に手遅れ。
机の上にあった三つのカップが落ち――なかった。
いや正確にいうなら、一度落ちはしたのだが、冬香が空中でキャッチしたのだ。
りんとともみ、そして麗華の前にバラバラに配置されていた、それも熱々のコーヒーで満たされているカップを三つとも、一滴も溢さず。手だって相当熱いはずなのに。
「落としましたよ、りんさん」
――ゾッとした。
何がそんなに楽しいのか、目の前で楽しそうに笑う冬香を見て、心底恐ろしいと思った。
こんな人外じみた動きをしているのに、彼女はそれが当たり前だと思っているのだ。
正に怪物。
そうとしか言い様がない。
「冬香は凄いなあ。動きが速すぎて、ブレて見えたよ!」
「まあ。プロデューサーったら、口がお上手ですのね。あの程度、女子高生なら当然の嗜みですわ」
「へえ、そうなんだ」
……なんでこのプロデューサーはこんな鈍感なんだろう。
昔の担当プロデューサーも相当鈍感な方だったが、ここまでではなかった……はずだ。
「ということは、東豪寺さんも出来るのかな?」
そんなわけねーだろ!
麗華は叫びだしそうになるのをグッと堪えて、出来る限り優しく微笑んだ。
「いいえ。冬香ちゃんが特別なだけです。それより、ごめんなさい。そろそろ次の仕事があるので……」
「ああ、申し訳ない! 時間を取らせてしまって。僕たちはお暇させてもらうよ。ほら、冬香」
「はい。重ね重ね、本日はありがとうございました。また機会があれば、ご一緒したく思います」
二人はペコペコ頭を下げながら、楽屋を出ていった。
笑顔で見届けた後、一瞬で素の顔に戻り、麗華は一つ決意した。
「もう絶対あの二人とは仕事しねー」
◇
その日の帰り道。
相嘉プロデューサーは冬香を家まで送ると言ったのだが、冬香は頑なに電車で帰るといって聞かなかった。
そんなに遠慮しなくていいのに……
相嘉はちょっと悲しい気持ちになった。
そんなわけで相嘉は今、一人車を走らせている。
「それにしても、麗華さんいい人だったな……冬香のことも気に入ってくれたみたいだし。そうだ! もう少し冬香が有名になったら、麗華さんと二人でやる番組を作ろう!」
降って湧いた天啓に、相嘉は心が躍るのを感じた。
番組の内容は……麗華と冬香が二人でカフェを巡る、みたいな、二人の会話メインのほのぼのとした物がいいだろう。
相嘉は家までの間、ずっと番組の構想を練っていた。
――東豪寺麗華の受難は続く。
麗華さんて忙しすぎると思うんですよね。
自身がトップアイドルだから、先ずその仕事をしなくちゃいけない。でもプロデューサーがいないから、仕事は自分でとってこないといけない。この時点で結構キツイ。なのにその上、東豪寺プロダクションの運営もしてる。凄い。しかも他のアイドルユニット(レッドショルダーとか)のプロデュースもしてる。暇さえあればうっかりSランクアイドルの佐野美心の勧誘とかもしちゃう。凄い。こんな凄い人なのに新人潰しも怠らない。やばい。麗華さんやばいよ。
【この世界のアイドルランクについて】
・Sランクアイドル 国民的アイドル。ほぼ全ての人間が存在を知っている。
・Aランクアイドル かなり有名なアイドル。アイドルに詳しくない、一般人でも存在を知っている人は数多くいる。
・Bランクアイドル 有名なアイドル。コアなファンが一定数おり、一般人でも知る機会はある。
・Cランクアイドル ファンクラブを開ける程度にはコアなファンがいる。一般人でも知ってる人はいるが、それほどではない。
・Dランクアイドル コアなファンは数える程度しかいない。一般人はほぼ知らない。
・Eランクアイドル アイドルに詳しい人なら、一応存在だけは知ってる程度。
・Fランクアイドル 知名度ゼロ。