それは正に一瞬のことだった。
デビューしてからわずか二ヶ月。冬香はAランクアイドルに登り詰めていた。いや、もうSランクアイドルにさえ手をかけている。
これは驚異的な速度だ。
魔王エンジェルに勝った時既にDランク相当の人気があったが、これはちょっと桁が違う。
前例がないわけではない……確かに765プロダクションなどは一夜にしてAランクアイドルになった。しかし元々それなりに人気だった竜宮小町の後押しがあったし、そもそも下積み時代が長かったおかげで下地はあったからできたことだ。
それが冬香の場合は、正真正銘デビューしたてである。
こんな前例はたった一つ――即ち日高舞しかいない。
冬香の急上昇には次のようなカラクリがある。
先ず片っ端からフェスを吹っかけての蹂躙だ。
Aランク以上のアイドルともなると半年先まで予定がいっぱいなので無理だが、Bランクアイドル以下ならどうにかなる。
都合がつくアイドルに毎日フェスを仕掛け、ファンを根こそぎ奪った。
普通フェスをすればその日の仕事はそこまで。後はクールダウンして休養を……という風になるが、冬香の場合移動中の車でちょっと寝れば全快だ。
フェスをしたその足で雑誌の撮影やインタビュー、ドラマの脇役、テレビ出演。果てはその日中にもう一度フェス、なんて日もあったくらいだ。
それだけやるとパフォーマンスが疎かになりそうなものだが、冬香は一度記憶したことは一度も忘れなかった。
ちょっと働きすぎじゃないだろうか……
相嘉は心配したが、逆に冬香のモチベーションは上がるばかり。最近より一層魅力を増したようにすら思える。
ちょっと休憩した方がいいんじゃないか、なんて持ち掛けてみても、もっと上の方とフェスがしたいです、なんて言われてしまう始末。向上心の塊だ。
少なくとも空元気ではなさそうで安心したが、やっぱり心配な物は心配である。
この日冬香は、初めての主演ドラマの撮影だった。
デビューしたてのアイドルがこれだけ早く主演を務めるのは、やはり異例のことだ。
スタッフにも「事務所のゴリ押しだろ」という空気や戸惑いが蔓延している。
そんな中でも冬香は楽しそうに――むしろいつもより生き生きと演技しているくらいだ。現場入りした時から、ずっと笑顔なほどに。
(初めての主演が嬉しいんだな!)
プロ意識の塊であり、アイドルを心から楽しんでいる冬香のことだ。
きっとそうだろう、と相嘉プロデューサーは確信した。
今回のドラマ『雪の降る中で死ねたら』は、普段は普通の女子高生である主人公なのだが、実は超人的な力を持っており、同じく超人的な力を持つ悪人達を影で倒している……という、アイドルの初主演としてはちょっとどうなの? と思うようなストーリーだ。
相嘉としては恋愛メインの物を演じさせてあげたかったのだが、冬香がこっちの方がいいと断固反対した。
「ハイカット! 次アクションシーンね。スタントさん、お願いしまーす」
会話シーンが終わり、次はいよいよアクションシーンの撮影だ。
冬香とまったく同じ格好をしたスタントマンが現場入りする――のを、冬香が止めた。
「お待ち下さい。アクションシーンを私に演じさせていただけないでしょうか?」
「はっ?」
「このドラマのために、スタントマンとしての技術を一通り勉強して参りました。どうか私に、アクションシーンをやらせて下さいっ!」
「そんなこと言ったって、君ねえ……」
現場がざわつきだす。
当たり前だ。
アイドル本人がアクションシーンをやるなど、聞いたことがない。
それもこのドラマは、設定上、アクションシーンがかなり過激だ。
わざわざ来て下さったスタントマンの方にも申し訳ない。
「監督、僕からもお願いします!」
それでも相嘉は、冬香と一緒に頭を下げた。
アイドルのやりたいことを応援するのが、プロデューサーの仕事だと相嘉は思っている。
ワガママで無茶なお願い事だとしても。これが例え叶わなくとも、後悔がないようにやらせてやりたい。
「……監督さん。私の技量をお疑いでしょう。無理もないことです。なのでここは一つ、テストをしていただけませんか? それをご覧になっての結果でしたら、潔く受け止めます」
監督は冬香の提案を受けた。
結果がどうあれ、監督に冬香を使う気はないだろう。とっとと済ませて、約束は守りましたよ、と言う気に違いない。お嬢様である冬香は、それに気がついてないかもしれないが……
早くやれよ、めんどくせえな。アイドルの道楽に付き合ってる暇はねえんだよ。そんな空気がスタッフの中に走る。実際口に出している人もいるくらいだ。
それでも冬香は、いつも通り笑っていた。
「では監督、私の頬を殴って下さい。スタントマンらしくリアクションを取りますので」
面倒くさそうに、監督が冬香の頬を軽く叩いた。
せいぜいその場でちょっとオーバーに倒れるくらいだろう――その場にいた誰もがそう思った。
しかし冬香がした演技は、まるで物が違った。
殴られた瞬間、まるでダンプカーに轢かれた様な凄まじい勢いで五メートルほど後方に吹き飛び、着地点でバク転。
その後衝撃を殺すように吹き飛びながら地面を蹴り、最後に着地した後ファイティングポーズをとった。
スタッフ全員ぽかんと口を開けている。
監督は「えっ?」という顔で冬香と自分の拳を交互に見つめていた。
たかが小娘の演技だろうとたかを括っていたプロのスタントマンは、何度も目を擦っている。
「お次は監督、私の襟を掴んで下さい」
言われた通り監督が冬香の襟を掴んだ瞬間、冬香が投げ飛ばされた。
まるで歴戦の達人がやるように、監督が冬香のことを投げ飛ばしたのだ。
真相はもちろん違う。
外野からはそう見えるように、冬香が自分で飛んだのだ。
スタッフ全員顎が外れそうなくらい口を開いている。
監督は「もしかしたら俺って超強いのでは?」という顔で冬香と自分の拳を交互に見つめていた。
プロのスタントマンは帰り仕度を始めている。
それからはもう、冬香の独壇場だった。
まるで少年漫画の世界から飛び出て来たかのような技の数々を、冬香が披露する。
沸き立ったスタッフが手を叩いて拍手し、監督がひたすら自分の拳を高々と上げている。
スタントマンはせっかくの休暇を心ゆくまで楽しんだ。
新人アイドルなのに、ドラマのためにここまで仕上げてくるのは素晴らしい!
スタッフ達は信じられないくらいのやる気を見せた。監督も明らかに目つきが違うように見える。冬香本人も、求められている以上のアクションシーンを演じた。
かなり良い物が撮れた――相嘉含め、その場にいた全員がそう思ったことだろう。
後日『アクションシーンには一切のCGは使っておらず、またアクションシーンはスタントマンではなく、逢坂冬香本人が演じております』という触れ込みで放送されたこのドラマは、当初の予想を遥かに上回る視聴率を叩き出した。
特に冬香が車に轢かれながら、ビルの三階から落下するシーンは圧巻という他ない。
当然「流石に嘘だろ」という声も上がったが、メイキング映像を流したことによりこれも直ぐに鎮火。むしろアクションシーンをノリノリで演じる冬香を見て、プロ意識が高い、とまた一つ評価が上がったほどだ。
こうして冬香の初主演ドラマは、無事大成功したのだった。
◇◇◇◇◇
冬香の長所の一つに、営業の上手さが挙げられる。
アイドルになるような容姿の優れた女の子は、これまで大抵ちやほやされて生きてきた。
それ故、慣れていないのだ。
苦労に、目上の人間を敬うことに、下手に出ることに。
もちろんそんな女の子ばかりではないのだが、スカウトされてきた女の子はこの傾向が強い。
特に営業先――つまり偉い人は、それだけ実績を積んでるということで、年配の方の場合がほとんどだ。
おじさん、というだけで若い子が嫌うのも、まあ分からないでもない、と相嘉は思っている。だからこそ相嘉がアイドルと営業先の間に立ち、上手く橋渡しをしてあげないと、と思っていたのだが……
冬香の場合、その心配はないようだ。
「どうかこれからは私をよろしくお願いします。どんな脇役、どんな仕事でも構いません。私を少しでも使ってくれたら、と思います」
小太りな中年男性に、にこやかに話しかける冬香。
顔に浮かぶ笑顔は本当に楽しそうで、まるで恋する乙女のようだ。
色んなアイドルを見てきたはずの男も、もう冬香にメロメロ。そりゃあこんな可愛い女の子が、営業とはいえ自分をここまで慕ってくれて、嬉しくないわけがない。
流石は冬香である。
プロ意識の塊だ。
「いやあ、冬香ちゃんは愛想がいいねえ。おじさん気に入っちゃったよ」
「まあ、そんな。私なんかの愛想がいいだなんて。お上手なんですね」
ちょっとやりすぎでは?
と思うくらい冬香の距離は近い。さりげなく相手のパーソナルスペースに踏み込むのだが、病的なまでに上手いのだ。
加えて、最早相手の思考を読んでるとしか思えないほど、相手の要望に応えるのが上手い。
ちょっとタバコが欲しくなったら直ぐに火をつける役を申し出るし、料理が欲しくなればその人の好みの食べ物をいつのまにか皿によそってる。その身のこなしは、まるで何年も付き添った従者のようだ。
しかし……心配な面もある。
営業の際、相嘉はちひろに頼んで『黒い噂のある営業先』を弾いてもらってる。
流石の相嘉とて、芸能界に闇があるくらい、少しは把握しているのだ。
だが冬香はどうだろうか……?
もし純粋なあの子が、今と同じように“そういう人間”に寄り添ったらと思うと、ゾッとする。
(だからこそ、僕がしっかりしないとな)
その辺りのバランスを取るのが、プロデューサーの仕事だ。
この間の握手会もそうだった。
営業先の人間は例え年配だとしても、身なりは一流だ。しかしアイドルのファンはそうではない――どころか、わざと汚い格好できて、リアクションを楽しむ者すらいる。
冬香はそういうファンにも、非常に愛想良く対応していた。正にアイドルの鑑、といえる。ネットでも冬香の“神対応”が話題になっていた。
誰にでも優しく出来る点は冬香の美点だといえる。
しかし、それが仇となることもある。
例えばファンとの距離が近すぎるあまり刺されたり――ないわけではない。
もちろん相嘉は盾になるつもりだが、いつも側にいられるわけじゃない。今は新人である冬香に付きっ切りだが、他にも担当しているアイドルがいるし、企画や作曲などの仕事もある。
冬香と取引先の会話がひと段落ついたようだ。
今回の取引先はゴールデンにバラエティを持っている大物である。内容は所謂『体当たり物』で、こないだなんかはゲストが野生のワニに餌をあげたとかなんとか。
動物が好きなのか、冬香は目をキラキラさせながらその話を聞いていた。
熱心な営業の成果か、この日冬香は大変気に入られ、なんとそのバラエティのレギュラー入りが決定した。
――司会者として。