逆行TSヒカルの元の流れではどうなっていたのか。
その後の流れをちょっと書いてみました。
向こうと展開が全く違うので、ほのぼのが好きな人にはお勧めできません。
9/23 12:48
すみません、0敗とか書いてましたが1敗の間違いです…。
修正しました。
2000年5月8日以降のお話。
囲碁界に衝撃が走った。
日本棋院で、過去の棋譜を保管している倉庫で一人の少年が亡くなったのである。
少年は将来有望であった。
囲碁を始めて1年足らずで院生になり、2年足らずでプロになった。
院生試験を受ける時は緒方九段が推薦をし、新初段シリーズでは囲碁界でトップの塔矢名人が指名した。
倉田六段や桑原本因坊など、トッププロ達が注目していた。
院生時代、韓国の研究生にも勝ったという。
その碁はとても美しい、見事なものだと人々は口にする。
プロになっての成績は初対局の不戦勝を含めたったの1敗。
その一敗は、新初段シリーズで塔矢名人と打った一局。
その対局は一見無謀な荒れた打ち方に見えるが、見る人が見れば奥が深いという。
亡くなる直前に行われた日本棋院主催の囲碁ゼミナールでの指導碁もわかりやすかったと評判だった。
持ち前の明るさで人を惹きつける、そんな魅力を持った不思議な少年であった。
少年には持病などなかった。
今時の活発な子供であった。
あるとすれば。
小学6年生の時、祖父の家で倒れて救急車で運ばれた事であろうか。
まだ若い、若干14歳の少年の死に皆驚きと落胆を隠せていない。
一番動揺していたのが、塔矢名人の息子・塔矢アキラである。
彼は少年の死後調子を落としてしまっていたが、その後見事復活を果たし史上最年少の20歳で本因坊のタイトルを取ることになる。
その時のインタビューで彼はこう答えている。
「彼が求めていたものを、僕が先に取った。だから奪いにこい」
少年は死の直前、奇妙な行動をとっている。
囲碁ゼミナールから帰宅した次の日、広島の秀策縁の地に足を運んでいた。
その様子は、余裕がないというか焦っている様に見えていた。
そこに同行していた少年の知り合いは、まるで何かを探しているかの様だったと言う。
現地の碁会所では少し攻撃的な碁を打っている。
そしてすぐ東京へ戻り、本妙寺へ行った後は棋院へ。
棋院の職員に「オバケの出そうなとこない!?」と聞き、職員は倉庫へ案内し――――。
亡くなった時、その手には秀策の棋譜が握られていた。
愛おしそうに棋譜を抱きしめ、まるで眠るかの様に倒れていた。
少年は、秀策を師として仰いでいたというのは囲碁界ではちょっとした有名な話。
秀策が少年を連れて行ったのだと人々は口にした。
不思議な少年だった。
時々独り言をする時があったので、もしかしたら囲碁の神さまと会話していたのではと誰かが口にしていた。
誰が言っていたのか。
インターネットに本因坊秀策がいる、と。
ハンドルネームはsai。
そのsaiと少年は繋がっている。
そう思っているのは少なからずいる。
塔矢名人とのネット碁対決を画策したのは少年だと言う。
その謎を知る術はもうないのだが。
少年の名は進藤ヒカル。
まだまだあどけなさの残る若干14歳のやんちゃ坊主であった。
生前、彼はこう口にしている。
「オレは神様になるんだよ。この碁盤の上で―――」
テイストの違う展開です。
書いてみたかったのです…。