緩やかな風に吹かれて 作:晴貴
東京から南東およそ850キロに位置する
外周は約32キロ、神南諸島の中で最も大きな神南島。そこからおよそ3キロ南西に向かうと神南島の半分ほどの大きさの結賀島がある。
2つの島民を合わせても300人に満たない非常に小さな島々。
けれどそこには造りこそ古いが確かに鎮守府が存在していた。
神南島鎮守府。
人と深海棲艦、その戦争の黎明期。太平洋沖から侵攻してくる深海棲艦を迎え撃つべく、小笠原諸島と並んで日本の領海における最前線の砦として島全体が要塞化された。その際に建設されたのがこの神南島鎮守府である。
とはいえすでに半世紀以上前の建物であり、至るところにガタはきている。そして建て替えようにも海軍に……いや、日本にそんな余力はない。
深海棲艦に侵攻を許し、人類の生活圏が狭まってしまった今の日本には。
『続いて先日発生した深海棲艦による高鍋鎮守府襲撃事件についての続報です。日本政府は壊滅的な被害を受けた高鍋鎮守府の放棄を決断したと発表。これにより計画されていた九州南部の奪還作戦に大きな遅れが出ることが確実となりました。これに対して野党や国民からは政府と海軍を強く非難する声が相次いでおり――』
今日も朝から気の滅入るニュースが垂れ流されている。
ここ数年、深海棲艦の動きが一層活発になってきたなぁ。各地の鎮守府や港をメインに襲撃され、その内のいくつかは陥落し放棄されている。このニュースで話題になっている高鍋鎮守府もそうだ。
九州には日本屈指の鎮守府に数えられる
艦娘だって出撃できなきゃどうしようもないわけだし。
「ふーん、どこも大変なのねぇ」
そんなニュースを見ながら、きつね色に焼いたトーストをサクサクと鳴らして食べる黒髪の少女。その言葉はどこまでも他人事だった。
いやまあ、実際こいつにとっちゃ他人事なんだけどな。
「あ、このパンおいしい!」
「
「そうなの?すごいわね、天津風!」
「大げさよ。毎日魚とお米だけじゃ飽きちゃうから作ってみただけだってば」
確かに離島って環境だけにどうしても主食は魚になる。
まあ天津風が魚料理のレパートリーを増やして飽きさせないようにしてくれてるだけありがたいんだが。天津風は元から和食は得意だったが、最近は中華や洋食も積極的に取り入れてる。
今朝のメニューもトースト(手作りジャム付き)に家庭菜園(鎮守府敷地内の畑)の野菜で作ったサラダとトマトの冷製スープ、ブラックペッパーの風味と桜チップの薫りが食欲をそそる豚バラ肉の燻製ベーコン(自家製)だ。
生来の凝り性もあってうちの天津風は完全に料理人と化してるな。一応、俺の秘書艦でもあるんだけどさ……。
「そういえば
「あいつなら徹夜してるからまだ工房だろ」
「徹夜?どうして?」
「近海を漁ってたら物珍しい資材があったらしくてな。いじくり回してる」
「明石は本当にそういうのが好きね」
「本人は生き甲斐だって言ってるくらいだもの」
やや呆れたように言いつつ、天津風は1人分の朝食を取り分ける。それをトレイに乗せて足早にダイニングから出て行った。
ただ今の時刻は午前8時少し前。まだ起きてるかどうかは微妙なところだな。寝る前に食わすのもどうかとは思うが、あの明石がそんなこと気にするわけねぇか。
「天津風は世話焼きね」
「神南島鎮守府の2大おかんだからな」
「もう1人は?」
「
「なるほど」
まあ世話の焼ける人間が多いとも言えるのかもしれんが。
自慢じゃないがうちの鎮守府は年中温暖な気候も手伝って空気が緩いからな。俺なんてここ一年、軍服に袖を通した記憶がない。深海棲艦の襲撃に苦しんでいる本土の方とはえらい違いである。
「さてと、俺も畑の様子を見てくるかね」
「いってらっしゃーい」
「……お前も食い終わったら自分の食器くらい洗っとけよ?」
「気が向いたらね」
向きそうもねーなこれ。
ため息混じりに席を立ち、俺は鎮守府内の一角にある家庭菜園まで足を向ける。家庭菜園と言ってもビニールハウスがいくつか並ぶ本格的な代物だ。
島で長年農家をやってる野田のおやっさんを拝み倒してイロハを叩き込んでもらっただけはある。人類の生活圏が狭まっているこんな時代だし、小さな鎮守府の食料くらい自給自足しないとやってけないからな。
以前は物資を乗せた定期船なんてものもあったが、今じゃ民間の船なんて深海棲艦の標的になって海の藻屑になるのが関の山だ。そのために艦娘が護衛につかなければならず、それにかかる費用に対して負うリスクと得られる利益は雀の涙だ。そんな危険地帯に物を運ぶよりも、島民に移住してきてもらう方がはるかに効率的である。
なのでその役目は俺の鎮守府で引き継ぐことにした。
ここまで追い込まれた状況になっても島を出ない人間が移住の説得なんかに応じるわけもない。彼らはみんな、死ぬならこの島で死ぬつもりだ。不便で危険でも、生まれた場所ってのはそれくらい大切なんだろう。
彼らの命を保護しなければならない国からしてみれば傍迷惑な話だろうが、故郷を離れたくないという気持ちも分かるからなぁ。
なんてことを考えながら、ビニールハウスや畑の農作物を見て回る。必要に応じて水やりはするが、それよりも大事なのが雑草取りと害虫対策だ。健康そうな個体にはお手製の
アブラムシなんかに寄生された固体には農薬を散布。まあ農薬って言っても本来なら殺虫効果のない木酢液にニンニクや唐辛子をぶち込んだ程度のもんだけど。
とはいえこまめな手入れのおかげか作物の状態は良好。ビニールハウス内で赤々と育ったトマトはそろそろ全部収穫できそうだった。スペース空いたら今年はスイカ植えてみるか。
今年の夏はみんなでスイカ割りとしゃれこもう。
これじゃ提督じゃなくて農家だが、この島で生きていくには必要なことだ。実際、島民は何かしら育てていたり、危険を承知で漁に出る者だっている。
一応近海については鎮守府の艦娘達で巡回し、敵の深海棲艦が現れれば沈めているのでそういう人達からは大層感謝されている。
そうしてお互いの収穫物を分け合う持ちつ持たれつの関係が、俺が鎮守府に着任する以前から神南島には出来上がっていた。
ちなみに俺の野望は稲作を始めて米はもちろん、酒や酢も鎮守府で作ってしまうことだ。そのために必要な設備の開発も明石に協力してもらって形になりつつある。本人は「工作艦の本領発揮ですよ!」と色めき立っているので、まあ楽しんでやってるようだ。
ただ工作艦の本領ではないと思うけどな。
鎮守府の将来像を思い浮かべながら黙々と作業を続ける。
そんな時だった。
「あなた、霞から報告があったわ」
いつの間にやってきたのか、天津風にそう声をかけられた。
霞はこの時間だと近海の巡視にあたっているが、天津風の声色からしてそう大事でもなさそうである。
「何かあったのか?」
「大破している艦娘を発見したそうよ。命に別状はないらしいけど意識がないみたい」
「大破した艦娘ねぇ……」
制海権を深海棲艦に奪われて久しいこのご時世、大破に追い込まれるまで深手を負ったのは不幸か、それとも沈まないで済んだ幸運を称えるべきか。ま、この鎮守府に流れ着いただけ悪運は強いみたいだな。
んじゃあその顔でも拝みに行きましょうかね。
「ん……ここは……?」
体にまとわりつくような怠さを感じながら私は目を覚ます。
まず目に入ったのは板張りの天井。横になっているベッドの脇には開け放たれた窓あって、そこ吹いてくる緩やかな風が気持ちいい。
そんなまどろみの中で、私は気を失う直前の記憶を呼び覚ます。
確か鎮守府から追い出されて、でも行く当てなんてなくて……そして、深海棲艦に……。
「あら、目が覚めたのね」
記憶を思い出していると声をかけられた。体を起こして声のした方に目を向ける。
扉を開けて部屋に入ってきたのは私と同じ、艦娘の天津風。そしてまだ20歳くらいの若い男の人だった。
ええっと、ここは鎮守府……なのかな?男の人は司令官にしても憲兵にしてもものすご~く軽装だけど。だってアロハシャツに半ズボン、そしてサンダルだよ?
「あ、あなたたちが助けてくれたの?」
「私も介抱はしたけど、大破して意識不明だったあなたを曳航してきたのは違う子よ。あとでお礼を言っておくといいわ」
「う、うん。ありがとう」
「体の方は平気?痛むところとか、違和感があるところはない?」
「ない……と思う。ただ、体は少し重いかも」
「高速修復剤を使ったからそれは仕方ないな」
「そうなん……ええっ!そんな貴重なものを!?」
男の人が何でもないようにそんなことを言ったから危なく聞き逃すところだった!
鏡、鏡はどこ!?
「ちょうど余っているのがあったのよ。それであなたは
「……く、駆逐艦に見える?」
「……?ええ、私の知ってる駆逐艦・清霜と相違ない外見だけれど」
「そうですか……」
別に清霜が戦艦になったわけじゃなかったんだね……。
しょぼーん。
「どうしてそんなに落ち込んでいるのかしら?」
「気にしないで……」
「そう……なら本題に入るけど体調に問題はないのね?」
「うん、それは大丈夫よ!」
「じゃあまずは軽く自己紹介といこう。俺の名前は
あ、やっぱり司令官だったんだ。なんで制服を着てないんだろう?
「私は陽炎型駆逐艦の9番艦、天津風よ。秘書艦をやってるわ」
「夕雲型駆逐艦19番艦の清霜です!」
ベッドから降りて、司令官と天津風に対して敬礼する。
「ああ、よろしく。だがまだ無理をするな」
そう言って司令官はベッドに腰かけたままでいいと笑いかけてくれた。
司令官と天津風はそんな私と向かい合うようにイスに腰かける。
「それで清霜、お前の所属と大破に至った経緯を話してもらえるか?」
「所属……」
その一言に、私の心がざわめく。まるで厚くて真っ黒な曇天が立ち込めるように。
泣きたくなるのを堪えて何とか声を絞り出す。
「……所属は、ないの。清霜は捨てられちゃったから」
「……そういうことか」
私の言葉で司令官はどういうことか理解したみたいにため息を吐いた。
そんなに悲しげな顔をしてるってことは天津風もどういう意味か分かってるんだね。
「清霜がいた鎮守府もさ、深海棲艦に攻められて、なんとか踏ん張ってたんだけど本当にギリギリで、使えるものはなんでも使ってた」
それは物資に留まらず、どんな手段も。
ダメージを受けて帰還した艦娘を治す資材は主力になる戦艦や空母に優先的に回されたから清霜みたいな駆逐艦はたとえ大破でもそのまま放置されて、そんな状態のまままた出撃させられる。そういう戦いだった。
私も3回出撃した。最初の出撃で砲弾のほとんどを使い切った。
2回目の出撃で中破して、燃料もほぼ底を尽いた。
そして3回目の出撃。私は砲弾も燃料もなく、深海棲艦がひしめく最前線に放り出された。ただの的……囮として。
唯一手にしていたのは探照灯だけ。
「一緒に囮として出撃させられた他の駆逐艦が目の前で次々と沈んでいったの。当たり前だよね、だって清霜たちにはもう戦う力が残ってなかったんだもん……」
囮の私たちにできたのは傷付いた体を引きずって、絶望に染まった海で探照灯を照らしながら1秒でも長く逃げ続けることだけ。
でもただでさえ燃料は少なくて損壊している体じゃそう長くは逃げられない。探照灯のせいで集中砲火にあって、一時間と経たない内に私は大破してしまった。
そしてあの瞬間、左足をものすごい衝撃が襲った。立ってることなんかできなくて、私はそのまま夜の海に倒れ込んだ。
痛くて苦しくて、体に力も入らないからこのまま沈むんだって思ったけど……。
「攻撃を受けた際に気絶して探照灯を手放したことで姿が隠れ、夜の海にまぎれて流された……ってところか」
「あはは、運がいいんだか悪いんだか……」
「どんな形であれ生きてんだ。運がいいに決まってるだろ」
「そう……かな?沈んでいったみんなのこと覚えてるまま生きてるのってそんなに運のいいことなの……?」
同じように囮にされ、迫りくる恐怖や絶望と戦いながら沈んだいった仲間。
それだけじゃない。清霜が建造されて、あの戦いの日を迎えるまでに沈んでいった仲間やお姉さまたちだっている。駆逐艦の私じゃみんなを助けることなんてできなくて、名誉の死を遂げるその後姿を見送ることしかできなかった。
何度自分の無力さを嘆いたか、もう覚えていない。
「ああ、そうだ」
それでも司令官は私の目を見つめて、全く躊躇することなくそう言い切った。
その目は真っ直ぐで、だけど私よりもずっと深い悲しみを宿しているように見えた。
「死んじまったらそいつらを思い出すことすらできなくなる。確かに仲間の死に際なんて見慣れないし悪夢にうなされるような記憶だ。けどそいつらとの記憶は、思い出は、楽しかった時のこともちゃんと覚えてるだろ?」
「あ……」
言われて気が付く。
……そっか。ああ、そうだよね。
「楽しかった日々を思い出して郷愁に暮れる時もある。その思い出があるからこそ苦しむことだってある。でもな清霜、もしお前が沈んで仲間が生き残っていたら、そいつには生きていてほしいと思わないか?」
「思う……思うよ……!」
きっと司令官もそうやって生きてきたんだ。
司令官の言葉を聞いて、不思議とそう思えた。
「なら前を向け。沈んでいった仲間達との楽しかった思い出も、忘れたいくらい辛い記憶も、全部大切にしながら、胸を張って生きてきゃいい」
その言葉に、私の中で色々堪えてきたものが、ついに決壊した。
叫ぶような泣き声と、とめどなく溢れてくる涙。嗚咽を上げながら、私は思わず司令官の胸にすがりついて、声と涙が枯れるまで泣き続けた。