さて、本書においてはちょっとかわった聖杯大戦をやってみようと思っています。
それでは、本編へどうぞ
パリの夜景、今ほど格安旅行が一般的ではなかった時代において、実際の夜景をお目にかかることができるのは限られた人間ばかりだった。
特に日本人においては、海外旅行など一生に一度のあるかないかのビックイベントだったといっていい。
いい悪いは別としても、そういう時代に生まれてパリの夜景を見たならば、感動もまた格別だったことだろう。
そんな事をぼんやりと考えながら、その男関根敬一郎はため息をついた。ここはパリの喫茶店。時刻はもう夜の七時を指す所。
といっても、これでは曖昧に過ぎようというもの、もう少し付け加えておく。グーグルマップによれば、現在位置はシテ島、かのノートルダム大聖堂近く、ガラス越しにセーヌ川がみえる、そこのこじんまりとした喫茶店ないに、関根はいた。
パッと見た限り、彼はどこにでもいる人物に見えた。紺色のスーツ、ズボン、ワイシャツにネクタイ、足元にはスーツケース。
細面の顔に眼鏡がよく似合っており、年は二十代後半(実際は三十きっかし)。
見た限り出張中のサラリーマンといったところで、これといった特徴はない。それこそ、日本どころか韓国、中国で似たような人物は履いて捨てるほど見つけられることだろう。
ただ一点、特異な背景を除けば。
関根は晩飯の時間帯になり、そろそろこみつつある店内を眺め、次いで眼前のテーブルに置かれたサンドウィッチに手を伸ばした。正直食欲がないのだが、この際そうも言っていられない。
関根はテーブルの上に放りだしたスマフォに目をやった。先ほどから睨んでるのだが、ウンともすんともいいやしない。ああ、電源が入ってないわけではないのだ。充電はきちんとされている。にもかかわらず反応はなし。
一度試して絶望の淵に叩き込まれたのだが、それでももう一度勇気を振り絞って関根はスマフォを操作した。登録している会社の同僚や友人、はては実家にも電話をかけてみる。
だが、かえって来た反応は全て一つだった。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめの上、もう一度おかけ直しください』
無機質な声が耳朶を打つ。
関根は再度ため息をつき、ズボンのポケットにスマフォをしまいこんだ。まさか、自分の知り合いすべてが機種変更に伴い電話番号を変更して、それをこっちに知らせてこなかったなどという、吉良上野介(忠臣蔵の敵役)顔負けの苛めを敢行された、とはちょっと思えない。
携帯だったら、どうにかできなくもないだろうが、会社や実家は不可能だ。特におんぼろな自宅を立て直した両親は、息子をいびる目的でこんなことやってくださいと言われても拒否するだろう。
さて、では一体これはどういうことなのか。
実のところ、答えはとっくにでていたのだが、関根はそれを見ないようにしていたのである。関根敬一郎は並行世界の人間だったのだ。
よって、この世界に関根の知り合いは実質一人もいない。少なくとも現段階においては。
といっても、別に電子レンジ(仮)を使用したわけではない。
いや、関根からすればそっちのほうがましだった。自分の知り合い全員いなくなっているなど、岡部倫太郎よりも条件がきついではないか。
挙句無職、そのうえでスタート地点は外国ときた。江ノ島盾子を呼んでこなくても状況は絶望的である。
ああ、なるほどスーツケースに幾ばくかの現金は入っていた。パスポートもある。しかし、だからどうしたというのだ?
こんな状態で履歴書になんて書けと? まともな所は絶対に雇ってくれないではないか!
言いたくはないが、神様のミスでの異世界転生のほうがなんぼかましといえた。特典すらないのである。せめて、せめて駄女神くらいつけろや、くそが! レムをよこせとめでは言わんからさぁ!
関根はもぐもぐとサンドウィッチを食みつつ、独り語る。聞けば某出版社は近年あふれる異世界ものに悲鳴をあげ、作品募集要項に『異世界転生禁止』を盛り込み、若年層だけではなく関根のような中年男性をターゲットにしようと画策しているようだが、関根は前者はいいとして、後者はどうかと思っていた。
しかも、自分が実地で味わって分かった事なのだが、異世界転生も並行世界移動も、正直十代、二十代じゃないときつすぎるのだ。なぜかといえば、三十代になってくると失うものがおおき過ぎる。
並行世界に飛ばされて、関根が最初に思った事は友人のことでも両親のことでも、いわんや会社のことでもなく、『あれ? これってまさか年金パー?』だった。
年金、そう、百年安心だのどうだのと吠えていた例のあれ。ええ、払いましたよ。何だかんだ言って親方日の丸なんだもの。それが何、一瞬でパー。あっという間にパー。もはや笑うしかない。
(もう、あれだ。明日からルーヴル美術館巡りして。うん、それから先のことはそれから考えよう)
人、それを現実逃避と呼ぶ。関根はすっかり冷めたコーヒーを口に運んだ。パリで飲むコーヒー、かつてならそれだけで感動の嵐に包まれたのだが、今の関根にはそれを味わう余裕もない。
無論、関根には元の世界に戻るよう努力する、そういう選択肢も存在していた。ただ、どういう訳かそういう思考法に関根はなかなか至らなかった。なぜなら。
『関根敬一郎は、今一つ己が並行世界からやってきたという自覚が薄かった』
から。
うっすらとした記憶はあるのだ。妙な厄介ごとに巻き込まれた、それはぼんやりと覚えている。頭の中に切れ切れに『妖精』だの『理想郷』だのといった胡乱な単語が乱舞し、次いで金髪で若い男性が何を考えているのかよくわからない笑顔を浮かべつつ、『妖精たちが集まって、××を完成させるのです。貴方は私達に任せて、ただ日々の生活を営んでいただければそれでよいのです。それだけで』、映像がそこで途切れた。
「あーーーーーー!」
周囲の客がぎょっとした顔で関根を見、店員も何事かとばかりに駆けつけてきて、関根は慌てて頭を下げた。思い出したのだ。どっからどうきいても新手の詐欺としか思えない馬鹿話に自分が乗った最大の理由!
(ちょ、まて。あれも、あれもパー! じょ、冗談だろ。あんな胡散臭い話にのって。必死こいて。その挙句が!)
起死回生の一打になりうるもの、悠々自適の老後を約束してくるだけではなく、クソみたいな会社に辞表をたたきつけられる最強切り札。
大急ぎで関根はズボンのポケットからスマフォを取り出し、操作する。ギリッと関根は奥歯をかみしめた。やはりない、蘇ってきた記憶の中で確かに幾つかの事件があり、間違いなく新聞の紙面を騒がせていた。それらが完全に消え失せている。
怒りに任せて立ち上がりかけて、関根はこめかみに痛みを感じて大きく息を吸い込んだ。危ない、危ない。危うく妙な行動をとるところであった。このこめかみの痛みは、そういう時まるでアラームのように、関根に自重を促してくれる。
関根は大きく息を吸い込んで、改めて考え込んだ。冷静になるべき場面だった。まだ記憶がぼやけていて、うまく事件の輪郭が把握できない状態なのだ。
失ったものは大きいが、ひょっとして払うべき代償に比べればまだ安かった可能性もある。即断は避けるべき場面だった。
(失ったものより、今あるものを大切にしないとな)
そうそう、何事も前向きに考えないと、関根は独り頷いた。
気分を切り替えると、関根は急に空腹を感じた。どうもあれっぽっちのサンドウィッチでは足りなかったらしい。改めてメニューを見てみると、喫茶店らしくケーキやサラダの写真も掲載されている。
甘党の関根にしてみれば、目移りしてきて困る場面といえた。舌なめずりしつつ、考え込む。ここは奮発するべき場面だろうか? はたまた、明日のルーヴルに回すべきか?
しばし迷ったが、結局食欲が勝った。何をするにもしっかりと栄養は取っておかないといけない。
店員を呼び、ケーキを注文しようとして……。
関根は首を傾げた。気づいたのだ。なんか店の視線が一つに集中している、と。
店員も客もその人物にくぎ付けになっていた。店の扉の前に、旅行鞄を持った少女が一人。誰かを探しているのか、きょろきょろと店内を見回している。
綺麗な子であった。年は十七かそこいらだろうか。金色の髪に清楚な感じで……。
(あれ?)
何だか見覚えがある気がした。どこかで、そうこっちに来る前にあったことがあるような、ないような。
関根は必死に記憶の糸を手繰り寄せにかかる。しかし、どうにもうまくいかない。浮かんでくるのは、直接的な名前ではなく、漆黒の黒に……髑髏のマーク?
(おいおい、なんだよ、こいつは?)
妙だなと自分でも思う。しかし、どういう訳かイメージはそこで止まってしまう。関根はもう一度意識を集中させかけて……。
「あの」
「え?」
気が付くと先ほどの少女がすぐ近くまでやってきていた。真剣な眼差しでこっちを見ている。
その視線の鋭さに、関根はちょっとどぎまぎした。内心もう五、六歳若かったらなぁ、勘違いしたうえで告白して玉砕するんだろうけど、などと比企谷八幡ネタを脳内で展開する。
が、馬鹿な事を考える傍ら、ふと関根は気づいた。ひょっとすると、この子、自分のことを知っているのではないか、と。
関根は努めて何でもない顔をしつつ言った。
「なんでしょうか? 申し訳ないんですが、覚えがありません。どこかでお会いした事ありましたっけ?」
丁重な口調で問いかける。が、関根が抱いた期待はあっさりと打ち砕かれた。
「いいえ、初対面です」
バッサリそういわれ、思わず関根は顔面をテーブルに打ち付けそうになる。
(なんやねん、それ)
胸中で関西弁でつぶやく。しかし、こうなるといきなり何で声をかけられたのかわからなかった。新手のナンパとも思えないし。
だが、この時点ではまだましだったのである。
関根敬一郎が真の意味で頭を抱える事になるのは、ここから先。
意を決したように、少女は言った。背筋はまっすぐ、意思の強い瞳。惚れ惚れするような姿勢でもって。
「私は今次聖杯大戦の裁定者、ルーラー、ジャンヌ・ダルク。奇妙な気配を感じ、ここにやってきました。その気配は貴方から発されています。どういうことでしょうか? お話を伺いたいのですが」
「はぁ?」
久しぶりに関根は鳩が豆鉄砲を食らう、という表現を思い浮かべた。きっと、自分はそういう顔をしているのだろうと自覚しながら。
これが、後日数奇な運命に翻弄されることになる、関根敬一郎とルーラー、ジャンヌ・ダルクとの初顔合わせであり、この瞬間から、大戦は奇妙な歪みを生じさせることとなる。
なお、ルーラー、ジャンヌ・ダルクは依り代レティシアの手を借り、大戦に関するメモを幾つか残しており、その中には関根敬一郎の印象も含まれていた。いわく。
『初対面での印象は、どう見ても凡庸そうな人物。その一言につきた』
と。
初っ端からラスボスと激突。土下座か敵対か。まぁ、後者だとすぐにこの話終わっちゃいますので、何とかしなければいけません。
前者でもこの人にジーク君ポジションを務めろというのは、無理無体。まぁ、そこまでいかずとも情報の共有ぐらいはできるはず。どうなることやら。ではまた、次話で。