『どう見ても凡庸そうな人物。その一言につきた』
後に関根敬一郎に関する印象を、聖処女ジャンヌ・ダルクはそう書き残している。
そもそも、ジャンヌ自身ここに来るつもりはなかった。夜行バスで空港に移動し、即座に大戦の舞台であるルーマニアに飛ぶ、そう決めていた彼女は、しかし、何かを感じてそこで立ち止まった。いな、こう記すべきかもしれない。立ち止まってしまった、と。
確かにここがキーポイントだった。もしこの時、彼女が無視してルーマニアに直行していれば。関根も、そしてもう一人のイレギュラーも、完全に封殺することができたかもしれない。
だが、事態はそうはならず、迷ったジャンヌは近くの宿にとまり、翌日パリの散策を開始した。その結果、彼女の足はシテ島に向き、ここに並行世界からやってきた中年男性、関根敬一郎と顔を合わせることとなる。
正直、最初顔を見合わせたジャンヌの感想は拍子抜け、期待外れといったものだった。妙な気配を漂わせてはいる。それが魔力によるものなのかどうかは不透明だが、ポカンとした顔でこちらを眺めているその顔はどう見ても大それた事を考えているようには見えない。
無論、印象だけで判断するのはよくないことだと、ジャンヌは理解している。笑顔が似合い、人的魅力が大溢している殺人鬼なんぞ、史書を紐解けば幾らでも見つけられるのだから。
それに第一、彼女の現状を鑑みれば、妙な事が起こっているのは確実であった。憑依状態での顕現なんぞ、通常あり得ないのだ。それが起きている以上、何かしら妙な事が起きているのは明らか。そうである以上、疑惑の種は早期につぶしておく必要がある。
しかし、どうも話していて要領が得ない。目の前の人物、日本人の『関根敬一郎』というらしいのだが、『せーはいたいせん?』、『えいれい? なにそれ?』と呟くばかり。
苛立ったジャンヌは、ややきつい口調で何が起こりつつあるのかを説明した。その結果、関根はしばし黙り込み、次にコーヒーのお代わりをした後、言った。
「あのさ、ジャンヌさん、だっけ? こういう事は本来親か教師、最低でも身近な人間が言うべきなんだろうけど、袖振れ合うのも多生の縁って言葉が日本にあるから、いうね」
そこで関根は嫌そうに顔をしかめて
「きつい事いうけど、君頭おかしい」
「は?」
一瞬、ジャンヌは何を言われたのか分からなかった。今、何と?
(ああ、言っちゃった)
関根は内心でため息をついた。こう言ってはなんだが、ここまで言う気はなかった。どちらかといえば、関根は目の前のジャンヌという少女に対し、感嘆の念を抱いていた。
話している内容はよくあるネット小説のそれだし、、世界の危機に発展しかねない一大魔術儀式、自分が審判役を仰せつかっているといった優遇措置、こういってはなんだがどこぞのオカルト雑誌における『前世で別れた戦友をさがしています』レベルにしか聞こえず、これが男子だったら、無言で頭はったおして『寝言は寝てからいえ、バーカ』の一言で終了であったろう。
と、ここまで考えて関根は気づいた。
店員も客も、こんな電波むき出しの会話をしているのにもかかわらず、誰一人として不審な目を向けようとしないのだ。あたかも聞こえていないかのよう。
それに気づいた瞬間、関根は全ての絡繰りが解けるのを感じた。
なんの事はない。目の前に座っている自称ジャンヌ・ダルクちゃんはこの店の常連さんなのだ。大方以前からこういった電波がかった話を客や店員に延々と繰り返してきたのだろう。
ここまで解ければ、どうして先に入ってきただけで店の視線が集中したのか理解できるし、彼女がまっすぐ関根のもとにやってきた理由も、また判明する。
客も店員もあしらい方がうまくなってしまい、ジャンヌちゃんは新鮮な反応に飢えていたのだろう。行きつけの店にやってきたら、折よく外国人の客がいた。で、いつも通りの会話を開始して、というわけだ。
関根は頭が痛くなってくるのを感じたが、反面先に記したように感嘆の念も抱いた。日本において妄想を抱く人間は数多くいる。しかし、その多くはネットに書き込むばかりで、実際に行動してみようとはしない。
こんな風に店員やお客さんからも認められ、外国人相手に妄想を延々と語りたおす。彼女を笑う事は容易い、迷惑だと批判するのも簡単だ。しかし、ならば批判している人が彼女と同じような行動をとれるのかと聞かれたら?
大半の日本人は沈黙するのではないだろうか。少なくとも、十代の頃の関根には到底無理な注文だった。おそらく、外国人に声をかける前に顔を真っ赤にして逃走しておしまいだろう。
大したものだった。弁説の才、行動力、そこで終わっていれば、関根とて曖昧な笑みを浮かべつつ、適当な相槌を打って平穏に事を収めてもやぶさかではなかった。
が、話がルーマニアに行かねばならない、という辺りで流石に看過できないものを感じた。まぁ、それも何かのイベントで、旅費や滞在費はきちんとどこぞの運営が持ってくれていて、なら分かるのだが、聞けば自腹と言い出す。
(おいおい!)
挙句、参加者のプロフィールは手に入れていない。双方の陣営、ユグド何とかとかいう、いかにも中二くさい団体と魔術師達の陣営との連絡手段はなし。なんか聖堂教会と、あと時計塔とかいう組織もかかわっているらしいが、そっちにも連絡をとれないらしい。
これで審判役だのなんだのと言われても、困惑するしかない。
それでもまぁ、個人で納得してやっているというなら、関根もギリギリ理解できなくはなかった。はた目には青春と能力の浪費にしか感じられないことでも、当の本人にはかけがえのないものに感じられる瞬間があることは、過ぎ去ってしまったがゆえに関根もよくわかっていたからだ。
だが、『自分は憑依状態で、元の人格のレティシアは眠っている』云々で、関根の忍耐も限界を迎えた。念のために、学生証を見せてもらうと、確かにそこには別人の名が乗っていた。
……親が痛いDQNネーム付けた勘違いちゃんかあるいは自称かと思ってはいたが、実際見せられるとダメージがきつすぎる。
関根は泣きそうになった。変な話だが、胡散臭い男が誠実さの欠片もなく、どこからどう聞いても詐欺話としか思えない馬鹿話をまくしたてても、取り立てて不快感を覚えないのだが、美少女にそれをやられるとどうにもこうにもいたたまれない気分になってしまう。あと、それだけではなく。
『いつまですまし顔のまんま過ごすつもりだよ。いい加減舞台に上ったらどうだ? うずうずしてんだろうが、おい!』
昔どこかの誰かにそんな風にけしかけられたような思い出が、脳裏をよぎったせいかもしれない。
(関係ない、はずんだけど)
そんなことを思いつつ、関根は先の言葉を眼前の自称『聖女』さまにたたきつけた。そうして続ける。
「あのね、大人しく帰った方がいい。言いたくないけど、流石にやり過ぎ。地元で遊んでいる限りだったら、別に目くじら立てずにほっとこうかなと思ったけど、女の子の一人旅、挙句外国までってなると話が違ってくる。今から学校に連絡する。タクシーも呼ぶ。ああ、心配しなくてもその程度だすから。ゆっくり休んで、友達や先生に愚痴を吐けば」
「貴方は……、さっきから何を言っているのですか?」
眉宇が曇るどころの話ではない。ジャンヌのまなざしに宿る感情は、あたかも背信者を見つめるそれ(あくまで関根目線)。関根はため息をついた。そういう反応が返ってくるのは予期していたので、ショックはあまりないがそれでも心は痛む。男だったら、遠慮なく横面張り倒せたのに。
関根の無言をどうとったかしらないが、ジャンヌは続けた。
「明らかにおかしい。関根、さんでしたか?」
「呼び捨てでいいよ。こっちはジャンヌ……さんでいい?」
「いえ、こちらも呼び捨てで結構です。あるいはルーラーと」
「役職名はちょっと味気ないさね。できれば、さん付を許していただきたく」
「なら、それで」
柔らかく笑うジャンヌ。その笑顔はどこまでも柔らかで、出るとこ出たら下手なアイドルよりもファンがつきそうと関根は思ったほどである。
しかし、その口から出た言葉は、またしても関根に頭を抱えさせるものだった。
いわく、自分にはルーラー(裁定者)として、他者に己の言葉を信じさせる力を授かっているとの事。
「えーっと、あれ、変だね。俺にはちっともきいてない気がするんだけど?」
関根は自分の顔が引きつるのを感じた。よもやスキルまで持ち出してこようとはちょっと思っていなかった。おまけに何その、会社員が血涙流してほしがるスキル。あ、別に政治家でもいいか。まぁ、ジャンヌ・ダルクにはふさわしいスキルと言えたが。
「はい、ですから先ほどおかしいと。やはり貴方には何かあるようですね。申し訳ないですが、同行してもらえますか?」
「……ルーマニアまでついてこい、と。いいよ、そのユグ何とかと連絡が取れて、お偉い魔術師さんや教会、はては時計塔と連絡がついて、なおかつ宿の手配や旅費もしっかりと確保できたらね」
「現状、そういったものに時間をかけている暇はありません。移動しつつ入手するしか」
「あっそ、じゃあ、俺いかないから。確保できたら呼んでね。行くかどうかはそれから検討する」
パキンっと何かが割れる音がした。ついさっきまであった和やかな雰囲気が雲散霧消するのを関根は感じた。
「……何を言っているのですか、貴方は?」
絶対零度の声音。それを受けつつ、関根は内心でため息をついた。まだわかってないのか、この子。一応こっちは譲歩してみせたのだが。
「何ってそのまんまの意味。悪いけど、現状君は俺に何も示せてない。さっき語ってくれた内容はどこぞのネット小説にありがちな展開だし、証拠、物証零。全部君の妄想ってことも考えられる。そのうえ君と俺はこれが初対面。恋人同士ってんなら、彼女の馬鹿な妄想に付き合うのも絵になるだろうし、そそられなくもないけど、そういう訳でもない。よって俺にしてみれば、動く義理も理由も見当たらない。だから悪いけど、同行は拒否させてもらう。あとさ、余計なお世話だろうけど、幾ら体借りてるからって他人様の財布に手を突っ込むのはどうかと思うよ。ああ、レティシアって子に許可とってるのはわかってるけどさ」
これがギリギリだった。ジャンヌの話を信じたわけではないが、それでも関根は『何らかの確たる証拠を見せてくれれば、動くのはやぶさかではない』と明言したのだ。
もう『帰れ』とは言っていない。連絡先を交換し、大人しく席を立ち、確たる物証を用意してくれていれば。
ああ、関根の物言いもよくなかったのも事実である。あまりにもそっけなさ過ぎたし、ある種挑発的な色合いも濃かった。
関根もその点を自覚してはいたのだが、どうしてそんな風に言ってしまったのか正確に把握する前に、口が動いていたのであった。そして、それがこの会話において致命的な破断を呼び起こすこととなる。
ジャンヌは苛立った口調で言った。
「貴方は世界の窮地をなんだと思っているのですか! さっき説明した通り」
だからそれじゃあ、動くわけにはいかないってさっき説明しただろうが!
関根は先ほどから腹中に渦巻きつつある感情に手を焼いていた。まずい、それが正直な感想。このままいくととんでもなく事になる。ここは大人しく、目の前の少女をうまくあしらわないと。
そう思うのだが、腹の中に生じた何かが強制的に関根の口を動かしつつあった。厄介な事に、それは偽らざる関根の本音。だが、ぶちまけるにはまず過ぎる代物。しかし、もう止まらない。
関根はコーヒーカップに手を伸ばすが、それより先に口が動いた。
「あのさ、こういう事言いたくないんだけどね。俺、君の本来の人格、レティシアって子が矢面に立つようだったら、素直にいう事聞いたと思うんだ。多少の不備には目をつむってね」
言ってどうする! しかし、もう止まらない。
「いいじゃん。非力な少女が世界を救う、恰好いいじゃん。夢もって何が悪い。すました面して、誰でも語れる現実の冷たさ語るよりは、妄想だろうが何だろうがかっとんでる行動や言葉を放つ女の子の方が百倍魅力的だよ。ああ、何が気に入らないのかようやくわかってきた。ごめん、ジャンヌさん。貴方が表立って動いてるのが、俺気に入らないんだわ」
「何を……いっているんです?」
理解しがたい、そう言いたげなジャンヌに、関根は笑いかける。
「悲しいって言っての! とんでもなく魅力的な子と出会えたってのに、その子が振りかざしたのは何百年前に処刑された聖女様ときた。周り見てみなよ、君のスキルか、ああ、こいつは確かにスキル(技能)だわな。君はここまでやってのけたんだぜ? 店員さんもお客さんも、誰もくすくす笑わない、当然のように君のことを受け入れてくれている。そいつは優しさの発露かもしれない。でも反面、君がしてのけた結果でもあるんだよ。そいつの証明に担ぎ上げたのは、聖女様の持つ力? どうしてそこでそうなるのかなぁ、さっぱりわからない! あのさ、レティシアって子に聞こえてるなら、伝えてくれない。『聖女様に頼るな! 君が表に出てきて、君がやんな』って。その方がきっとずっと、何倍も楽しいはずだし、俺はそっちの方が見てみたいと痛切におもうね!」
「関根! 貴方は誤解している、いえ、根本的な所でサーヴァントのことを理解していません。彼らは……」
「御託は結構。八つ当たりかもしれないけど言わせてもらう。さっき言った通り、いい加減なん百年前に処刑された聖女様を表にだすなっての。そんなの出してこなきゃ世界の危機が救えませんっていうのなら」
さぱっと滅んじまったほうが、まだ美しいや、そう思うね。
次に関根が感じたのは、左頬に衝撃と悲鳴。あ、やっぱりこうなったかと独り語る。世界を救わんとする聖女様に向かって、『あんたが出てくるようなら、世界なんざ滅んじまったほうがいいさね』と吠えりゃ、そりゃねぇ。
(しかし、この子手首のスナップ利かすのがうまいなぁ)
妙な所で感心し、ぐわんぐわんと揺れる頭を何とか支える。みると第二撃が迫りつつある模様。あ、流石にもう一発は勘弁と思った関根は、何とかルーラーの手首をつかんだ。
これができたのもそうとうジャンヌが手加減したが故だったといっていい。本気でぶんなぐっていたら、関根の命はここで終了となった事だろう。聖女なら、いな、己の力を正確に把握している人物の当然の配慮、だが、それが事態を妙な方向に捻じ曲げることとなる。
「……言い過ぎたと思うから、一発は殴られるのもしょうがないかなと思う。でも、先の発言はまごうことなき本音だよ。さぁ、ジャンヌ、いや、ここはあえてレティシアさんって呼んだ方がいいかな? 君の返答は?」
ん? 言いつつ、関根は自分の左手に異常を見出した。いつの間にか左手首の先から手を覆うように赤い布が巻き付いている。こんなもん、いつ付けた? いや、何か見覚えがあるようなないような。
左手の手のひらに妙な熱を感じるのと同時に、目の前のジャンヌ・ダルクと名乗った少女の体がガクッと体を震わせ、
「え?」
がちゃんとまるで冗談のように、ジャンヌは机の上に倒れこんだ。あたかも電池が切れたかのように。カップや、皿が床に落ち、周囲の視線と悲鳴と混ざり合って……。
「え? え?」
次の瞬間、関根は肩をつかまれ、地面にたたきつけられた。見ると、客の何人かがのしかかってくるのが分かった。
(ああ、何かしたと思われた訳ね)
客観的に見る限りまさにその通り。だが、その瞬間、関根の耳は誰かが遠くでけたたましい哄笑をあげたのを、確かに聞いたような気がした。してやったり、そう言いたげな満足そうな響きをさせながら。
三十分後、関根は解放された。客の何人かがやり取りを見ており、先に手を出したのは少女(ルーラー)の方で、どうも痴話喧嘩の最中に貧血を起こしたと思われたらしい。
幸い外傷はないし、カップその他の損害については関根が払った。こういうのがボディブローのようにじわじわときいてくるのはわかっているのだが、さりとて出さない訳にはいかない。うん、正直理不尽だと思うのだが、よく考えれば貯金と年金と友人、職を完全に失うという、社会人としてはウルトラスーパー理不尽をくらうと、カップや皿の代金払う程度は『まぁ、ましかな』と思えてくるのが不思議だった。
「おい、あの子気が付いたみたいだぞ」
店員(男性)の声。店の奥で介抱されていたルーラーは目を覚ましたらしい。この店員、ありがたい事に英語が堪能で意思疎通も問題なく行える。関根は後片付けを手伝っていた手を休め、伸びをした。店はもう落ち着きを取り戻している。
関根がやってきた店員に笑いかけると、店員はいいってことよと言わんばかりに手を振り、ついで言った。
「なぁ、妙な事聞くようだがあの子」
そこでちょっといいよどむ、関根は先を促すよう首をかしげると、店員は意を決したように
「入ってきた時とさっきあんたと話している時は、背後が光ってるというか、何だかおかしがたいオーラみたいなものを発してたように感じられたんだが、今見てみるとそうでもなくて……。どこにでもいる女の子みたいでさ。ちょっと拍子抜けしちまった」
「そうかなぁ、俺にはあんまりそうは思えなかったけど」
そこで関根はあることに気づいて問いかけた。
「あれ? あの子ここの常連じゃないの?」
店員は驚き顔で言った。
「ええっ! 彼女がそういったのかい? いや、俺はここに勤めて三年になるが、今日初めて見たぜ」
ん? と関根は疑問を感じたが、よく考えれば時間帯の関係で会わなかっただけかもしれない。
関根のまなざしから、何をどう思ったのかわかったらしい店員はむきになった口調で言った。
「確かに時間帯の関係で俺とは常にすれ違いになっていた可能性はある! しかし、あれだけ目立つ子なんだから、来ていたら店員の間で絶対に噂になっていたはずだよ」
一理ある意見だった。だが。
「……ちょっとまってくれ。あの子、いつもああいう電波話を客、店員に延々と語って聞かせる困り者で、今日だって周囲の誰もが何も言わなかったのも」
「あんた大丈夫か? 電波話? なんの話だ。あんたら一言だってそんな話はしてなかったじゃないか!」
もはや関根は唖然とするしかなかった。だって、聖杯大戦だの、サーヴァントだのといったもっともアレな部分を話している最中に、コーヒーのお代わりを持ってきてくれたのは、この店員だったからだ。
「あの、確かコーヒーのお代わりもってきてくれたよな。その時俺たち、何の話をしてた?」
「……あんた本当に病院行った方がいいんじゃないか? あの子が学校での最近あったことを話して、あんたは相槌を打っていた、だよ。電波話なんて一言も出てこなかった」
嘘だ、と関根は胸中で叫んだ。しかし、店員の顔が嘘をついているようには見えない。そもそも嘘をつくメリットが存在しない。
では、これは一体どういうことなのか?
関根の脳裏についさっき彼女が語った電波話が蘇ってきた。魔術だのどうだのという、よく聞くおとぎ話。そんな連中だったら、認識をずらし、聞いたことさえもその場で忘れさせるか、あるいは別の話にすり替えることができるかもしれない。
(まさか、ね)
関根は苦笑とともにその考えを葬った。大方、庇ってるのだろう。まぁ、見ず知らずの外国人と、自国の婦女子、関根だって後者に加担するのにやぶさかではない。
若干、こういう態度とるから痴漢冤罪が生まれるんじゃなかろうかという思考が頭をよぎったが、無視することにする。それはそれ、これはこれである。
「で、あんた何で叩かれたんだ? 悪くない雰囲気に見えたんだが?」
悪戯っぽく店員にそう問いかけられて、関根は肩をすくめて言った。
「何、旅行に誘われたんだけど、断ったんだよ。それで、ああなった」
「ほう、なんとまぁ!」
どことなく非難するような眼差しが突き刺さる。関根は目を細め、困惑顔を作っていった。
「いきなり切り出されても、こっちだって色々抱えてるもんでね。まぁ、ちょっと自分の思い込みで突っ走りがちな所があるから、あの子」
嘘はついていない。そうして関根は続けた。
「おまけに学校も勝手に抜け出してきただの何だのと言われちゃあね。見過ごせないよ、幾ら楽しみにしてたって、ちょっと限度を超えてる」
「そいつはまた! しかし、あんたの良識は褒められるべきものかもしれないが、ちょっとやばいんじゃないか? 下手すりゃ破局へ一直線だぞ?」
心配しているのか面白がっているのか、いささか判断がつきかねる店員のセリフに、関根は表情を変えずに
「うまくやるさ」
どうせ駄目でも別に構わないわけだし。そんな関根の内心を知る由もなく、店員は面白いと言いたげな笑みを口元に浮かべ言った。
「大した自信だな。根拠はあるのか?」
「別にない。ただそうだな、あえて言うなら」
ちょっと格好つけたくなった関根は、出来るだけ自信にあふれた笑みを作っていった。
「美少女や美女の為に苦労するのは嫌いじゃないんでね」
プッと店員は小さく噴き出し……次いで腹を抱えて笑い出した。不思議と関根は不愉快は感じなかった。くさいセリフを吐いている自覚は充分にあったわけだから。
「な、なるほどね。くくく、あんた面白いな」
関根は右手で首筋をかき、そこで先の異常事態を思い出した。あの時、左手に巻き付いていた赤い布。改めて左手を見てみると、そこには何もなかった。あたかも、あの瞬間だけ現れた特殊アイテムのよう。
(イベント発生、かよ)
ひょっとして何かの見間違いだったのだろうか。その可能性はかなりある。妙な電波話聞いたんで、おまけにどこぞの勇者様よろしく、わずかな所持金だけで放り出され、何もかも失ってしまったから、自分の想像以上に精神がまいっていた。
要素は山ほどある。だが、それだけではなく、関根は妙にあの赤い布が気になっていた。あれが厄介ごとの根幹に関わっていた、そんな気がしてならないのだ。
『ええ、それです。それがあればあの連中に対抗できる。真の××は我々のものだ!』
なんかどこぞの分かりやすい悪役のようなセリフをどこかで聞いたような気がして。
意識を集中する。明らかにおかしかった。どうしてこうも記憶が虫食い状態なのか。肝心要の部分がぼやけている。その理由を自分はよく知っている気がしているのだが、どうにも思い出せない。
気が付いたら喫茶店前にたたずんでいた。そうして腹の虫がなき、店に入ってテーブルにつき、コーヒーに手を伸ばした所で、ここが外国だとわかってそして、スマフォを操作したら、自分はこの世界に存在しない事が分かった。
わかったというより、あれは確認に近い。薄々そうだとわかっていたのだ。だって。
(だって、だって何だよ?)
内なる己に問いかける。そうして関根はとある事実に思い当たり、笑い出しそうになった。
なんだ、これではあの少女を笑えない。自分も充分妄想過多ではないか。いっそこの設定で小説でも書いたらどうだろうか? 全く馬鹿馬鹿しい。その瞬間、肺腑の奥から黒い声がした。あたかも、遅れてきた返信のように。
『だってお前通報されなかったじゃないか?』
「あ?」
意味が分からない。いや、述べている内容は理解できるのだが、覚えが……。
「あれ?」
心のどこかで納得している自分がいる。関根は戦慄した。まさかの統合失調症発病? おいおい、自称聖女様にあてられて、神の声が聞こえるようになりましたかって?
関根はそこで考えを打ち切った。本格的に疲れてるなで、己をごまかす。
店員が心配そうにこっちをみているので、笑って、小学校の頃、母親が授業参観の際、自分の授業態度を評した言葉、
『魂が飛んでた』
という、訳の分からない言い訳をかます。
それでも憂い顔が晴れないところをみると、相当ひどい顔をしていたらしい。関根はどうしたもんかと頭を悩ませていると、奥からルーラーが出てきた。
足取りはしっかりしている。
関根はこれ幸いと声をかけた。
「あ、大丈夫。病院とか行かなくていい?」
こくんとルーラーが頷く、顔色は悪くない。いや、あの時も直前まで調子が悪そうには見えなかった。今もそうだし、見た限り足取りもしっかりしている。
ただし。
(あ、本当だ。言われてみれば、何か雰囲気が違う)
あの強烈な意思を感じさせる瞳は、今や年相応のモノへと、いや、むしろびくついた感じに変化していた。まるで親からはぐれた子供のよう。
そういう目をされると、関根は若干ではない罪悪感を感じてしまう。ここは努めて優しく接するべきか、そんな風に考えていると、先にルーラーの方が口を開いた。
「ご迷惑をおかけしました。その、聖女様は、どこかに行かれたのでしょうか? 目が覚めたら、どこにも感じられなくて」
きょとんとする店員をしり目に、関根は言った。
「改めまして、こんにちは。確か、レティシアさんだっけ。今日はもう帰った方がいいよ。あ、寄宿学校まで結構距離あるんだっけ? 適当な宿でもあればいいんだけど」
関根がスマフォで宿を探そうとすると、店員が言った。
「お、そういう事なら、いい場所知ってるぜ。従兄が経営しているホテルなんだが。今なら格安だ。どうだい?」
妙な話になった。関根だけならその話に乗ってもよかったのだが。ルーラーこみだとさて、どうしたもんか。しかし、任せてそこがろくでもないホテルだった場合、寝覚めが悪い事この上ない。
関根は頭を何度かかくといった。
「ええと、それじゃあ、お願い出来る? レティシアさんもそれでいいかな?」
こくんとジャンヌは、いや、もうこの少女は聖女ジャンヌ・ダルクではない。ただの平凡な少女レティシアなのだろう。
そこはかとなく落胆の念を覚えつつも、関根はてきぱきと段取りを進めた。タクシーを呼び、先にレティシアを外に出す。
関根はスーツケースとレティシアが持ってきた旅行鞄を手に取った。ため息つきつつ、外に出ようとして、店員に呼び止められた。
「おい、あんた。忘れ物だぜ?」
ひょいと突き出されたのは、こぎれいな紙の箱。中を覗き見るとイチゴが乗ったカップケーキが二つ。
「後で彼女と食べろよ。仲直りにはその手の小道具が一番だ」
何か誤解している。関根はしかし、その疑念を晴らすことなく、黙って箱を受け取った。正直、こういう処置されると凄くうれしくなってしまう。
「ありがとう。また来るよ」
「おう、ぜひ来てくれよな。待ってるぜ」
そういって関根と店員は別れた。出る際に一度店の名を確認しておく。
『エリュシオン』
日本で見たら噴き出すだろうその店名も、不思議とパリではよく映えているように見えた。
こうして店の前にやってきたタクシーに乗り込み、関根とレティシアは宿に向かった。双方無言。宿は喫茶店から二十分ほどはしった所にあった。二階建ての古いつくりで不愛想な受付の老人に鍵をもらい二人は無言のまま部屋に向かった。意外にも店内の清掃は行き届いており、通された部屋も小部屋だが、悪くはなかった。
あるのはベッドに机。そしてテレビ。
いうまでもなく、レティシアと関根の部屋は別々である。関根は、渡されたカップケーキは二つともルーラーに押し付けた。まぁ、惜しくはあるが別に構うまい。
部屋に入り、関根は無言でベッドにダイブした。疲れた、その一言に尽きる。それでも視界の隅で、放り出したアタッシュケースが目に入った。ああ、そういや中身まだよく確認してなかったな、と思いのろのろと立ち上がって開けてみる。パスポート、衣類、デジカメに、小型のビデオカメラ。
どこからどう見ても、平凡な旅行者の持ち物、それ以外の何物でもなかった。改めて確認してみても、ため息しか出てこない。
ちらりと脳裏に『デジカメやビデオカメラ見てみたら、何か映ってるかもしれない』という考えが脳裏をよぎったが、疲れていたので翌日にすることにした。なお、後になってみるとここも一つのキーポイントだったのである。
結論から言うと、後日一騒動あり、関根はデジカメとビデオカメラの確認を怠ったばかりか、結局見ないまま、デジカメは別としてビデオカメラはとある人物の手に渡る事となる。その結果、関根はのっぴきならない状況に追いやられる事になるのだが、それは後の話。
「疲れた、ああもう、死ぬほど疲れた」
その一言とともに、関根の意識は闇に沈んでいった。
隣の部屋では、少女が一心不乱に祈っていた、その身を貸した聖女の声をもう一度きかんと欲して。
翌日、よれっとした格好の関根と、目の下に隈をこさえたレティシアはホテルのロビーで再び顔を合わせた。朝食はまだ、ただ何となく居心地が悪くて出てきたところを、ばったり顔を合わせた、そんな感じだった。
双方とも顔を見合わせた瞬間、互いに
「あっ!」
と呟く。
あたかもそういえば同じ宿に泊まってたっけ? と初めてそのことに思い至ったかのように。
しばし、無言で相手の顔を眺めていた二人だったが、やがて。
「えーと、その、ご迷惑をおかけしました。私、学校の方に帰ろうと思います」
ぺこんっと頭を下げられ、関根の方が慌てた。
「え、あ、そうなの? うん」
よく考えれば他に選択肢ないよなとすぐわかりそうなものだが、起きぬけなもので、関根は間抜け極まりない返答を返す。
「………」
しばらく沈黙がロビーを支配した。よく考えてみれば、そんなに喋ることがない。そもそもそんなに深い間柄でもないのだからそれも当然か。
「あの!」
「はい?」
いきなり声をかけられて、間抜け返答二回目。
だが、少女の眼を見た瞬間、関根は居住まいをただした。しっかりとした意思を持った瞳。それはあの時、喫茶店に入ってきたあの瞬間に比べれば見劣りはしたが、確かに僅かながらも『聖女様』を彷彿とさせる何かが宿っていた。
「私にも、出来ると思いますか? その、世界を救うというか、何かできるというか」
言ってるうちに、自分の発言のあやふやさに気づいたのか赤面するレティシアに対し、関根は右手であごを撫でた。
(何言ってんだろ、この子?)
どうも二重人格の可能性がある。といっても、この漫画、小説や映画で幾度も使用されている高名な病気について、実際関根はお目にかかったことがないので、判断がつかないところがあったが。
「できるんじゃないの? 君はああだこうだ言われるかもしれないけれど、行動を起こせたんだから。批判する奴や馬鹿にする奴なんて幾らでもいるかもしれないけど。でも」
『座ったまま、あるいは動かずに栄光を手に入れた奴なんて聞いたこともない』
なんて吠えたのは一体誰だったか。
「少なくとも批判だけしている奴や馬鹿にしている奴よりは、君の話に耳を傾けたいと俺は思うね。だからまぁ、俺が言っても説得力零だろうけど」
『救えるよ、君の手でね。案外簡単かもよ、世界を救うなんて、さ』
別に関根にも確信があっての発言ではない。ただ単に思った事を素直に口にしただけの事。
それでも、目の前の少女には何かしら感銘を与えることができたらしく、嬉しそうに笑うとぺコンと少女は頭を下げた。
「では、またどこかで」
朝食はいいの? とか、いや、もう会うことないと思うけど、などと思いつつも、関根は軽い調子で応じた。
「ああ、またね」
「あ、最後にこれを」
そう言って少女が関根に手渡したのは、見覚えのある紙の箱。中に入っていたのは一つ残ったカップケーキ。
関根はやられたと一言呟き言った。
「お見事。それじゃあ」
「はい、では」
こうして、最初の顔合わせは終わった。流れは変わり、舞台に上がるはずの主演女優は、まずもって客席に戻ってしまった。
これが例の大戦にどういう影響を与えるのか。そもそも地味に世界を窮地に追いやりつつあるイレギュラー関根敬一郎は、今後どう動くつもりなのか。
それを語るは次回の話。
ははははは、正史(原作)では一ページ足らずで終わった移動シーンで、一万文字費やす。才能のなさに泣きそうです。
本当はもう一つ、二つ仕込み考えていて、それも書こうと思っていたのですが、文字数の限界が近かったので断念。
関根の特殊能力とか、ジャンヌのスキルがきかなかった理由等、話が進み次第明らかに……なる予定です、はい、多分。
そしてジャンヌはこのまま退場となるのか。関根はどうするのか。いつになったらルーマニアに舞台が移動するのか。
それではまた、次回。