狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
「っっっ!!??」
妖怪の山の奥深くに、天狗の隠れ里は存在していた。
その里で一番大きく立派な屋敷、天狗の長である天魔が暮らすその中で。
(なんじゃ、この禍々しい“気”は……!?)
いつものように執務をしていた天魔が、到底無視できぬ“異物”の存在を感じ取り戦慄していた。
跳び上がるように椅子から立ち上がり、近くの窓から外を見る。
広がる光景はいつもの里の光景、しかし彼女の視界はそこではなく……もっと奥、正確には山の下部へと向けられていた。
――何かが、近づいてきている。
強大で、禍々しく、恐ろしい力を持った何かが、この里に向かってきている。
それも信じられない速度で、おそらくあと数分も経たずにこの里に来るだろう。
「天魔様!!」
部屋の扉が乱暴に開かれ、大天狗である清十郎が部屋へと入ってきた。
その焦りようから彼も天魔と同じものを感じ取ったのだろう、天魔はすぐに彼へと指示を飛ばした。
「清十郎、すぐに他の者達を避難させよ。わしが出る」
「天魔様自らがですか……!?」
「それだけの相手だというのはお前とて判る筈だ。豪厳の一件で大天狗の数も減った……まあ自業自得だがな。
とにかく相手は理性の無い獣のような相手だと感じ取れる禍々しい“気”で理解できる、故に余計な犠牲を増やすわけにはいかん」
此方にとって幸いなのは、相手が真っ直ぐ此処に向かっている事か。
これならば哨戒中の白狼天狗達に被害が及ぶ事はない、何故なら相手の速度は白狼天狗は勿論、鴉天狗ですら追いつけぬ程なのだから。
警告し止めようとする事はできないだろう、天魔は腰に刀を差してから窓から屋敷を飛び出す。
「天魔様、何者かがこの里に向かってきているという報告が入りました!!」
「たわけが、報告が来るまで判らなかったのか?」
外に出ると大天狗の一人があまりに悠長で能天気な事を言い出すので、天魔は呆れながらも空中で侵入者を待った。
(邪魔だな……)
自分と同じように侵入者を迎え撃とうと身構えている前の一件で生き残った大天狗達に視線を送りつつ、天魔は小さく舌を打つ。
別に正々堂々一対一で迎え撃とうと考えているわけではない、互いの力をただぶつけ合う勝負とは違うのだから。
では何故か、決まっている――――単純に邪魔なのだ。
足手纏いにしかならぬ存在など、邪魔以外の何者でもないだろう。
「――――来たか」
そう天魔が短く呟いた瞬間。
黒い流星が、天魔達の前に現れた。
「なっ……!?」
現れた侵入者と対峙した天魔は、その表情を驚愕のものへと変える。
周囲に居た者達も同様の表情を浮かべ、対する侵入者はそんな彼女達を見て口元を吊り上げ。
「――お久しぶりです天魔様、良いリアクションをありがとうございます」
小馬鹿にするように、演技じみた口調でそう告げた。
「せ、聖哉……なのか?」
「そうですよ。少し見ないうちに顔を忘れてしまいましたか?」
(ほ、本当に聖哉なのか……? あの穏やかで優しいオーラを出していた子が、これ程までに恐ろしく禍々しいものを纏うなど……)
しかし、その姿に声は間違いなく犬渡聖哉であった。
だからこそ、そんな彼を知っているからこそ天魔は困惑する。
こうして対峙しても偽者なのではという疑惑が浮かんでしまう程に、今の彼は変わり果ててしまっているのだから。
「五回」
「何……?」
「もう五回殺してますよ天魔様、まったく……戦うつもりで対峙してるのに、隙だらけとは笑えてくる。
――どの道皆殺しにするとしても少しは抵抗してもらわないと面白くないんだよこっちは」
「な、んだ、と……?」
なんという暴言、けれどその言葉に腹が立つよりも……彼が本気で言っている事に、天魔は驚いた。
目に映る者全てを殺し喰らい尽くす、そんな野獣じみた激情が彼から感じられる。
(……違う、こやつは聖哉ではない)
このような負の感情だけで形成された存在が、犬渡聖哉であっていい筈がない。
優しく気高く、誰よりも他者を大切にするおよそ妖怪らしくない心を持った彼が、こんな怪物になど……。
「オレは犬渡聖哉です。感じ取れる妖力で判るでしょう?」
「…………一体何があった。お前の身に何が」
「別に何も。ただオレは自分に正直になろうと、もう我慢する事をやめただけです。
オレはオレの為に生きる、だからこそ……オレを蔑ろにしてきた天狗共を、絶滅させようと思っただけ」
「本気、なのか……?」
天魔が問う、聖哉は何も言わず……ただ黙って、歪んだ笑みを彼女に見せた。
同時に彼の身体からどす黒いオーラが溢れ、同時に息苦しくなるほどの殺気が放たれた。
……認めざるを得ない。
彼は本気で、ここに居る者達を、天狗と言う種族を滅ぼそうと考えていると……!
「犬渡、貴様っ!!」
上空から野太い声が響く。
聖哉と天魔の会話を聞いていた大天狗の一人が、彼のあまりの発言に堪らず介入してきたのだろう。
大太刀を構えながら突撃する大天狗、それを――聖哉は視界にも入れようともせず。
「――殊勝な心掛けだな。まさか……自分から死にに来てくれるとは」
無慈悲な死の宣告を口にしながら、両の拳にオーラを纏わせた。
「――――」
聖哉の姿が、視界から消えた。
そう天魔が理解した瞬間、何か固いものが弾けるような鈍く重い音が里に響く。
「ク――――クハハハハハハハッ!!!!」
聖哉が笑う、狂気だけしか感じれぬ異常な笑みを浮かべ。
たった一息で六撃もの拳を叩き込み、大天狗“だった”ものをゴミのように地面に投げ捨てていた……。
「ああ……良い気分だ……オレを蔑ろにし決して認めようとしなかった存在を、こうも簡単に殺せるんだ。
この感覚、あぁ……どうして今まで我慢してきたんだろうなぁ……」
「せ、聖哉……」
――なんと、おぞましい化け物か。
避難しようとしていた者達も、天魔を加勢しようと様子を見ていた者達も、誰もが今の聖哉を見てそう思った。
今の彼は妖怪ですらない、決してこの世に放ってはならない怪物だと、理解できた。
「さあ、次に死にたいヤツは前に出てきてくれ。その方が手間が省ける。
あー……だけど、実力があるヤツは抵抗してくれ。その方が……楽しいからなぁぁぁっ!!!!」
「っ、この場に居る者達よ。一刻も早くここから逃げろっ!!」
叫び、天魔は全力で踏み込んだ。
一息も掛からぬ速攻、踏み込みと抜刀を同時に行い全力の斬撃を聖哉へと叩き込む……!
「ありがとうございます天魔様、やはり獲物は抵抗してくれた方が楽しめるっ!!」
「くっ……!?」
天魔の斬撃は、容易く聖哉が持つ風王に弾かれる。
続いて横薙ぎの一撃、既に天魔の一撃は躊躇いなど抱けぬ相手を殺す為だけの斬撃になっていた。
またも弾かれる、同時に返す刀で天魔の額を貫こうと神速の突きが迫る……!
「く、あ……!?」
強引に上体だけを逸らして回避。
……し切れず、額に裂傷が刻まれ鮮血が舞った。
それには構わず、天魔は攻め続けた。
――自分では、聖哉には勝てない。
天狗の長であり、あの鬼にすら匹敵する実力者である天魔がそう認めるしかない程に、今の聖哉の力は強大なものになっていた。
故に彼女ができる事は、自分が囮となって他の天狗達を逃がすための時間稼ぎしかなかった。
「どうしました天魔様? いつかのように、このオレを圧倒してみたらどうですか!?」
「くっ、ちぃ……っ!!」
繰り出される斬撃は、雷光の如し。
その衝撃で視界は炸裂し、全身に激痛を走らせる。
かつて戦った星熊勇儀や伊吹萃香の拳に匹敵、否、それ以上かと思わせる破壊力だ。
「は、あ――――!」
それでも、天魔は致命傷を避けていた。
攻め手は最初の一撃のみ、後はこうして聖哉から繰り出される風王の斬撃を防ぐだけ。
その度に命が削られていくような感覚に襲われ、明確な死が天魔の思考にちらつき始める。
「はは、ははは、はははは……!」
聖哉の口から、絶えず喜びの声が放たれ続ける。
抵抗する獲物を少しずつ削っていく歓喜、圧倒的なまでの力を行使する傲慢さに満ち溢れたそれはあまりに醜悪で。
それでも天魔は反撃などできず、近い内に訪れるであろう死の瞬間を、待つ事しかできなかった……。
◆
「が、っ……!?」
“その時”は、予想以上に早く訪れた。
右上段から放たれた聖哉の一撃を受けようと刀を構えた天魔だったが、受けきれずそのまま地面へと叩きつけられる。
土煙と砂利を舞い上がらせ、そのあまりの威力に天魔の身体の半分が地面に埋まってしまった。
「ぶっ、ぁ、げほっ、う……」
口に入った土を吐き出しながら、天魔はどうにか地面から這い出る。
しかし天魔は起き上がる事ができず、地面に倒れたまま荒い息を繰り返していた。
「……」
倒れたままの天魔を冷たく見下ろしながら、地面に降り立つ聖哉。
次の一撃で自分は確実に殺されるだろう、そんな無情な事実を前にして天魔は。
「…………ふふっ」
どうしてなのか、笑ってしまっていた。
「何が可笑しいのです?」
「いや、なに……ここに来て漸く、わしはお前の支えになる事ができなかったのだと思ってな、自分自身を笑いたくなったんじゃ」
「……」
「幼年期からお前がどのような扱いをされていたのか知っておった、しかしわしは妖怪の山全体の秩序を守る……それを言い訳に何もしてこなかった。
結果として、お前は積もり積もった怒りと憎しみに囚われてしまった。そして今もお前を助ける事ができない」
「大丈夫ですよ天魔様、天狗全てを滅ぼせば……オレのこの怒りと憎しみも少しは晴れるのだから」
「――いいや、それは絶対にありえぬよ聖哉」
自嘲するような笑みが消え、次に天魔が浮かべた表情は……悲しみに満ちたものだった。
「何だと……?」
「ありえぬのだ聖哉、たとえお前の言ったようにわしを含めた全ての天狗を殺し尽くしたとしても……お前のその怒りは、憎しみは決して消えずむしろ増幅するだけだ」
そしてそうなれば……おそらく彼は、二度と元には戻らなくなる。
破壊衝動に駆られ、誰であろうと無差別に殺し尽くし、それでも尚止まらない悪鬼と化す。
自らの誓いも、想いも、何もかも忘れ本当の怪物に堕ちてしまう。
それだけは何としても阻止しなければならない、たとえこの命が喪われるとしても……今度こそ、彼を守り支えなければ死んでも死にきれない。
「だから聖哉よ、どうか踏み止まってくれ。
わしの命で良ければいくらでも渡す、だから……負の感情に囚われ呑み込まれないでくれ」
「……」
「今更わしが何かを言う権利が無いのは判っておる。しかしだ、お前のその力と心はこれからの幻想郷に必要なものじゃ。
だというのにここでお前が選択を誤れば、救える筈の命をむざむざ零す事になってしまう。お前はそれでもいいというのか?」
これから先、彼はきっと多くの命を救う。
それだけではない、彼は今までの辛い過去を乗り越え幸せにならなければ間違いだ。
故に、背負わなくていい業を背負わせてしまってはならない、だから。
「ハ――――ハハ、ハハハハハハハハハッ!!!!
何を言うかと思えば……天魔様、貴女は正気なのですか?
選択を誤る? 負の感情に呑み込まれるな?
何を今更、貴女が――テメエが今更オレに何を言えるっていうんだ、ああっ!?」
「……聖哉」
「オレはオレの為だけに生きる、そう決めた。
その結果がどんなものだろうと関係ない、この力は元々闇よりも深い深淵に存在する負の力。
それを扱い行使するオレが負の感情に呑まれずどうしろと? まったく……興が削がれた」
風王を天高く掲げる。
そのまま振り下ろされれば、天魔の身体は容易く両断されそこで彼女の命は尽きるだろう。
「聖哉、よせっ!!」
他の天狗達を守りながら避難させていた清十郎が叫ぶが、当然今の聖哉には届かない。
そして、聖哉は振り上げた風王の刃を天魔に向かって振り下ろし。
「っ!?」
「く、うぅぅぅぅ……!」
その刃を、2人の間に割って入ってきたお空が制御棒で受け止めた。
「ちっ……!」
そのままお空ごと斬り捨てようとした聖哉だったが、舌打ちをしつつ大きく後方へと跳躍し距離を離す。
……あのまま押し切ろうとすれば、真横から自身を狙っていた椛の斬撃を受ける事になっていたからだ。
「…………おにーさん」
「お空……どうして邪魔をするんだ?」
「……」
「良い子だから邪魔をしないでくれ、オレはずっと我慢してきたんだ……ならもういいだろう?
この恨みを、哀しみを、憎しみを、怒りを、与え続けてきた奴等にぶつけたって」
「駄目だよ、おにーさん。それはきっと……駄目、なんだと思う」
「…………は?」
躊躇いを見せながらも、はっきりとした口調で己を否定してきたお空に、聖哉は愕然とする。
――お空は、聖哉の過去を前に椛から聞いていた。
幼年期から認められず、貶され忌み嫌われてきた過去を持つ彼ならば、復讐の道を歩むのは致し方ないのかもしれない。
お空とて普段ののんびりとした性格なので忘れられそうだが、幼き頃から旧都で生きてきた妖怪なのだ。
恨まれ、憎まれ、復讐の果てに殺し殺された者達だって何度も話で聞きこの目で見た事だってある。
だから理解はできる、ただそれでも……聖哉には、その道を歩んでほしくはなかった。
「私、おにーさんが大好き。さとり様やこいし様、お燐や他のみんなと同じくらい大好きで……大切なの。
だからそんなおにーさんが必要も無く誰かを傷つけるような事をしてほしくない、いつもの優しくて暖かくて……大好きなおにーさんに戻ってほしいのっ」
「…………そうか。どうあってもオレの邪魔をするのかお空」
失望の呟きを放ちながら、聖哉は風王の切っ先をお空へと向ける。
そこに込められた明確な敵意と殺意にお空はショックを受けながらも、負けるものかと睨み返しながら身構えた。
「――そうですお空さん、躊躇いを見せればそれで終わりです。殺す気で……いきましょう」
「椛……お前」
「これ以上の凶行を見過ごすわけにはいきません。だから――私自らが貴方の業を払います」
「業? 業だと……?」
「正直、迷いが無いと言えば嘘になります。本音を言えば、貴方と戦うなんて選択は選びたくなかった。
ですが今、やっと確信が持てました。貴方は――――いや、
「――――」
その言葉は。
聖哉の思考を一度停止させるのに、充分過ぎる力が込められていた。
否定された、犬渡聖哉という青年にとってこの世で一番大切な存在に……自らを否定されたのだから。
「も、椛ちゃん……」
「否定も撤回もしませんよ、私は旦那様の妻です。
だからこそ判ります、目の前の存在は確かに旦那様に見えても……酷く歪で、既に別の存在に成り下がっていると」
だから倒す、たとえその結果が……考えられる限りの最悪なものになったとしても。
何故なら彼女が愛した犬渡聖哉は、たとえ天地がひっくり返ったとしてもこのような現実は認めないから。
妻として、共に歩むパートナーとして、目の前の存在は必ずここで止めなくてはならない。
「………………なん、で、だ」
「……」
「なんでお前が……よりにもよってお前がオレ自身を否定する? お前に否定されたら、オレは……“俺”は」
「……?」
僅かな違和感が、椛の脳裏に浮かぶ。
ほんの小さな、けれど決して無視できないその違和感はしかし。
「――もういいっ、オレを否定するのなら……お前も殺してやるぞ、椛ぃぃぃぃぃっ!!!!」
激昂した聖哉が放つ凄まじい黒いオーラを見て、その違和感も霧散してしまった。
……どうしようもなく、恐ろしい力だ。
明確に向けられたのは初めてだが、少しでも気を張っていないと足が竦んでしまいそうになる。
「清十郎様、天魔様を!!」
「待て椛、お前達2人で戦うつもりか!?」
「そう思うのなら急ぎ戦えぬ者達を離れさせてから参戦してください。――今は、御自分にできる事を」
「…………すまぬっ!!」
背後から清十郎と天魔の気配が消える。
それを見る事なく、椛とお空は視界と意識を聖哉だけに向け。
「――ギィィィィィィアァァァァァァッ!!!!」
およそ、生物が放つとは思えない不協和音の叫びを放ち。
野獣のように向かってくる聖哉を、静かに迎え撃った……。