狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~   作:カオ宮大好き

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あけましておめでとうございます。
本年度もこの作品を読んで、少しでも楽しんでいただければ幸いに思います。


第100話 博麗霊歌~幻想郷の闇~

 ――人間の里、上白沢慧音の屋敷。

 そこへ戻ってきた椛達は、彼女達の帰りを待っていた慧音達に迎えられ、漸く休息の時を得る事ができた。

 とはいえあまりゆっくりもしていられない、現状を把握する為に椛達は互いに何があったのかを簡潔に説明する。

 

「…………そう、か。一先ずは安心してもいいという事だな」

 

 そう言いながらも、慧音は額に手を置き重苦しい溜息を吐き出す。

 当然だ、状況が好転しているわけではなく寧ろ悪化しているのだから。

 だが椛達が生きて帰ってきてくれた事だけは喜ばしい事だ、尤も。

 

〈聖哉、大丈夫か? どこか痛い場所はないか?〉

 

「うん……心配してくれてありがとう。ねえ、僕の友達になってくれる?」

 

〈…………ああ、オレとお前は友達だ〉

 

「ありがとう、ヴァンおにいちゃん」

 

 肉体も精神も幼子となってしまった聖哉を見ると、素直には喜べなかった。

 無邪気に笑い、今は黒い光球となったヴァンと戯れる彼の姿は、何も知らぬ無垢な子供にしか見えない。

 このような状況でなければ和む光景ではあるが……。

 

「――死者は32名、負傷者はその3倍以上……これが里の被害だ」

 

「……」

 

「その殆どは……その、博麗霊歌によるものだ。

 しかし本当に彼女がやったのか? 直接会った事は無いが彼女は70年ほど前に死んだ筈だぞ」

 

 死んだ筈の人間が蘇り、里の脅威となる。

 しかもそれがかつての博麗の巫女だと聞けば、慧音の疑問は当然の事であった。

 

「――いいえ、残念ながら事実ですわ」

 

 空間の一部に裂け目が生まれ、そこから現れるのは不気味な空間――スキマと呼ばれるものから、2人の美女が姿を現す。

 

「あなたは……八雲藍に賢者様か」

 

 幻想郷の賢者の一角とその式の登場に、慧音はおもわず背筋を伸ばす。

 そんな彼女に軽く手を挙げつつ、紫はヴァンと楽しそうに話をしている聖哉へと視線を向ける。

 

「? お姉ちゃん達、だれ?」

 

「っ、せ、聖哉殿……」

 

「…………私は八雲紫、そしてこっちは八雲藍ちゃんよ」

 

「紫おねえちゃんに……藍おねえちゃん?」

 

「ええ、そうよ聖哉……よろしくね?」

 

「うんっ」

 

「……」

 

 向けられる無垢な笑顔、それはとても可愛らしくけれど……紫には、哀しい笑顔にしか見えなかった。

 変わり果てた彼の姿に藍は驚く事しかできず、しかしすぐさま冷静さを取り戻し、ヴァンへと声を荒げる。

 

「これは……これは一体どういう事だ!? 答えろ、魔獣!!」

 

「ひっ……」

 

「藍ちゃんっ」

 

「ぁ……」

 

 しまった、そう思った時にはもう遅すぎた。

 今の聖哉は何も知らぬ幼子になっているというのに、そんな彼の前で大声を上げてしまえば恐がられるのは当然だ。

 脅えた目を向けられ言葉を失った藍に代わり、紫は再びヴァンに問うた。

 

「魂の分離による影響、でしょうか?」

 

〈……さすがまがりなりにも大妖怪であり賢者と呼ばれるだけあるな、判るか?〉

 

「ええ、とはいえ実際に見たのは初めてですわ。なにせ魂の分離などと荒業はそうそうできるものではありませんから」

 

「ちょっと。蚊帳の外にしないでちゃんと説明しなさいよ」

 

 勝手に話を進めようとする紫達に、イリスがおもわず口を挟む。

 

〈悪い悪い、別に説明しないわけじゃねえからそんな怒るなよ。

 ――今のコイツが見た目も中身も子供になっちまったのは、今そこの賢者様が言ったように“魂の分離”を行ったからだ〉

 

「その魂の分離とは?」

 

〈今は無き神代の禁術の一つ、一つの魂を二つないし複数に分ける術だ。

 それによりたとえ肉体による死を迎えたとしても分離した魂を別の肉体に宿せば再び生きる事が可能となる……疑似的な不老不死に近いな。

 ――睦月って覚えてるか? あの女もこの禁術を自身に施していたから何度殺そうとも復活できたんだよ〉

 

 尤も、今のあの女は聖哉とヴァンが封印しているので、動く事はできなくなっているが。

 

〈アレはオレの魂と犬渡聖哉の負の感情が干渉し合った結果生まれた第二の人格、まあこれからは“闇聖哉”とでも呼ぶか。

 ソイツによって本来の聖哉の精神は著しいダメージを受け消滅の危機に陥ったが、すんでの所でオレはどうにかコイツの精神をアレから隠し通しつつ闇聖哉から分離させる準備を進めたんだ〉

 

 そして、椛達の活躍によってヴァンの思惑は見事成功させる事ができた。

 だが、聖哉の精神が受けた多大なダメージは思いもしなかった結果を生み出してしまう。

 

〈分離には成功した。後は闇聖哉の精神を完全に殺してしまえばオレがもう一度聖哉の精神を肉体に戻せばそれで元に戻る…………筈だったんだがな〉

 

「筈、とは?」

 

〈消滅の危機に瀕する程のダメージを受けてしまった結果なのか、魂に刻まれていた犬渡聖哉としての記憶の全てが消し飛んじまったんだ。見た目はともかく精神までただの子供になっちまった理由はそれだ〉

 

「……ちょっと、消し飛んだって何? それって元に戻るのよね……?」

 

〈…………〉

 

「な、何黙ってるのよ? ワタシは戻るのか戻らないのか訊いてるのよ!?」

 

 沈黙するヴァンに詰め寄るイリス、しかし彼は……何も答えない。

 それが何を意味するのか、この場に居る誰もが理解しつつも……到底、納得できる話ではなかった。

 

「ふざけないでよ、セーヤが……ワタシやみんなの事を全部忘れたっていうの!? そんな馬鹿な話があってたまるもんですか!!」

 

「お、おねえちゃん……どうして怒ってるの?」

 

「っっっ、セーヤ、本当に忘れちゃったの!? 椛の事も、ワタシの事も!?」

 

「うぐっ……」

 

 聖哉の胸倉を掴み上げるイリス。

 彼女とてこのような乱暴をしたいわけではない、けれど……耐えられなかったのだ。

 あの聖哉が、イリスにとって最愛の主人である彼が、自分を忘れその記憶も戻らないという事実に。

 

「い、痛いよおねえちゃん……!」

 

「何でよ、せっかく強くなったのに……アンタの役に立てると思ってたのに……肝心のアンタが、どうしてワタシを忘れるなんて……!」

 

「よさないか、イリス!!」

「イリスちゃん、ダメッ!!」

 

 慧音と空が制止の声を上げるが、今の彼女には届かない。

 だが。

 

「――イリスさん」

 

 短く、呟くような小ささで彼女を呼ぶ椛の声が部屋に響いた瞬間。

 屋敷全体の空気が一気に張り詰め、絶大なプレッシャーとなって聖哉以外の全員の身体に圧し掛かった。

 

「も、椛……」

 

「お気持ちは判ります、ですがだからといって今の旦那様に詰め寄っても事態は好転しません。……見てください、恐がっているじゃありませんか」

 

「ぁ、う……」

 

 そこで、イリスは漸く気づく事ができた。

 ……震えてしまっている、瞳に涙を溜め今にも泣きそうな顔で自分を見る聖哉を視界に捉え、彼女は自分が如何に愚かな事をしたのかを……。

 

「っ、ごめん……ちょっと、頭冷やしてくる……」

 

 逃げるように部屋から出るイリス。

 その後を誰も追わない、否、追う事などできなかった。

 

「ヴァンさん、肉体は間違いなく元に戻せるんですね?」

 

〈あ、ああ……それは問題ない〉

 

「なら今はこれ以上旦那様の事を考える必要はありませんね、紫さんに訊きたい事もありますし」

 

「あら? 私に訊きたい事ですか? いえそれよりも……随分と薄情なのですね、愛すべき旦那様がこのような状態だというのに」

 

「…………薄情、だと?」

 

 再び空気が変わる。

 先程以上の重圧が部屋を軋ませ、今度はその全てが紫一人に向かって放たれた。

 

「本気だとしても冗談だとしても、今の発言を許容する事などできない。

 紫さん、私は私のすべき事をしようとしているだけだ。今の私のすべき事は戦えぬ旦那様の為に剣を取り、旦那様が望むであろう事を果たす事。

 ――二度と今のような戯言は口にするな、そうしなければ……その首を、斬り飛ばしてしまいそうだ」

 

「……」

 

 相手は白狼天狗の少女、自身とは妖怪としての格も生きてきた年月も違い過ぎる。

 だというのに――気が付いたら紫は、緊張しているかのようにごくりと喉を鳴らしていた。

 

(なんという気迫、なんという闘気……)

 

 指先一つでも不用意に動かせば、首と胴が離れる事になる。

 そう錯覚する程の重圧が、大妖怪八雲紫の身体を完全に縛り付けていた。

 紫の隣に立つ藍も、先程とは違う驚愕の表情を浮かべながら僅かに身体を震わせている。

 

「……不快な思いをさせてしまい申し訳ありません、二度とこのような不用意な言葉を紡ぐことはしないと誓いましょう」

 

 そう言って頭を下げる紫。

 

「その言葉信じます。それで本題に戻りますが……紫さん、博麗霊歌という人間は一体どんな人物だったのですか?」

 

「……霊歌、ですか?」

 

「そうです。――私は“人間”でも“妖怪”でも“化け物”ですらなかった、都合の良い“道具”でしか無かったんだから。

 彼女はそう言いました、その言葉の意味を……あなたならご存じなのでは?」

 

「……」

 

 余計な事を、紫は心の中で毒吐きながら歯噛みした。

 ……下手な誤魔化しは通用しない、既に椛だけでなく慧音も紫に意識を向けてしまっている。

 しかし博麗霊歌の事を話すという事は、幻想郷の“闇”の部分も話すという事になる。

 賢者である自分に綻びが生じてしまう可能性がある、しかも今ここには先程から沈黙を貫いているとはいえ豊聡耳神子が居るのだ。

 

「――席を外しましょうか? どうやら、私に聴かれるのは拙いようですから」

 

 そんな紫の心中を悟ったように、今まで口を開かなかった神子は上記の言葉を放つ。

 あからさまな態度の口調、まるで内心では焦りを見せている紫を嘲笑っているかのようだ。

 ――いいだろう、敢えてその挑発に乗ってやる。

 それにだ……理屈でははぐらかし隠し通そうと思っているが。

 

――感情では、椛達に対して誠実でありたいと思っているから。

 

「………………初代の博麗の巫女、博麗麗子と賢者達の手によって“博麗大結界”は完成し、今の幻想郷の基盤が出来上がってすぐの話。

 大結界を完成させ展開した代償として、麗子の肉体と霊力は限界を迎えました」

 

 故に紫達賢者の面々は、次の巫女を見つける為に動き出した。

 しかし博麗の巫女を務められる才覚を持った者を、そうそう見つけられる筈もない。

 ただ霊力が高い人間ならばさほど難しくなかっただろう、けれどそれだけで博麗の巫女は務まらない。

 

「そんな中、麗子はある赤子を拾い育てると言ってきました」

 

 あの時代では別に珍しくもない、捨て子などそれこそ掃いて捨てる程存在していたのだから。

 初代が拾ったのも親に捨てられ誰からも必要とされなかった存在、しかし……その内に眠る力は膨大なものであった。

 

「巫女の勘、だったのでしょうね。麗子はその赤子こそ自分の跡を継いでくれる子だと確信したそうです。

 一部の賢者は良い顔をしませんでしたが、最後は麗子に押し切られた形になりましたね」

 

「その赤子が、博麗霊歌だったと?」

 

「ええ。――結果としてその勘は正しかった、霊歌は初代自らの手解きによってすぐさま頭角を現したのです」

 

 元々備わっていた膨大な霊力、更に初代自らが教え育てた事によって霊歌は十になる前に巫女として一人前の力を手に入れた。

 更に力だけでなくその内面も素晴らしかった、心優しく正しい選択を選べる精神、かといって甘いわけでもなく初代の跡を継ぐ前に博麗の巫女として申し分ない能力を身につけてくれた。

 当然紫達賢者は喜んだ、二代目は初代以上の巫女としてこの幻想郷の秩序を守ってくれると信じて疑わなかった。

 

「そして麗子の死後、博麗霊歌は二代目博麗の巫女となって幻想郷の支えとなってくれた……」

 

「へー……今の巫女のおねーさんより凄かったの?」

 

「そうですわね……才能だけで見れば霊夢は霊歌以上かもしれませんが、それ以外は全て彼女が上回っていたかしら」

 

 何せ霊歌は二代目を襲名したとしても決して驕らず、博麗の巫女としての責務を完璧にこなそうと常に己を鍛え続けていたのだから。

 溢れんばかりの才能を持つ者がたゆまぬ努力を続ける……それで強くならないわけがない。

 

「聞けば聞く程に完璧なのですね二代目の博麗の巫女は、それで……そんな完璧な彼女が変わってしまったのは、何故なのです?」

 

「……彼女は本当に強かった、力は勿論その精神と在り方も完璧だった。そう――あまりにも強過ぎたのです(・・・・・・・・・・・・)

 

 彼女にできぬ事など何もなかった、ただ巫女として人間の絶対的な味方で在り続けた。

 正しい事をしてきたのだ、だって彼女は人間が好きだったし自分を育ててくれた初代を本当の親のように慕い、そんな彼女の跡を継ぐ事こそ自身の総てだと思っていたから。

 だからこそ彼女は歴代最強の巫女となれた、けれど。

 

 

 

――彼女は、博麗の巫女として完璧過ぎてしまった。

 

 

 

「? 強過ぎると、何が駄目なの?」

 

 紫の言葉に首を傾げる空であったが、そんな疑問を抱いたのはこの場で彼女一人だけであった。

 確かに一見すると何の問題も無いだろう、巫女としての実力もその精神も強く気高く美しいのならば、不満などある筈もない。

 しかし――完璧というのは同時に“歪”でもあるのだ。

 

「人でありながら人を大きく超えた力を持つ彼女を、次第に恐怖し受け入れぬ人間が現れたのです」

 

「……」

 

「だろうね、それだけ優秀な……いや優秀過ぎる存在は力なき者達にとって“異質”でしかない。

 とはいえ里の人間全てに拒絶されたわけではないのでしょう? 何か決定的な――博麗霊歌という女性が、人も妖怪も博麗の巫女である自分自身すら恨み憎む原因となった何かが」

 

 そう問い掛けながらも、内心では神子は既に答えに辿り着いていた。

 かつて人を治め導いてきた“強者”からこそ判る、弱者にとって強者とは何処まで行っても“頼りになる道具”か“恐れる存在”でしかない。

 なればこそ、人としても博麗の巫女としても完璧すぎた博麗霊歌は……。

 

「ええ。彼女は聡明でしたから自分と同じ人間が自分を恐れている事にも気づいていた、それでも彼女を慕い感謝していた人間達も居たからこそ耐える事ができた」

 

 どうしても、受け入れぬ輩というのは存在する。

 ただ自分に恐怖し距離を置いているからこそ、霊歌もそれに気づきながら何もしなかったのだ。

 ……それだけで終われば、あのような事は起こらなかったのに。

 人の心はうつろうもの、少しの波紋がどうしようもない結果を生み出し……取り返しのつかない事態を招く。

 

「ある日、里の重鎮達が霊歌にある妖怪を退治するように依頼したの。

 ――けれどそれは罠だった、霊歌を恐れその命を奪おうと目論んだ人間と妖怪が手を組み彼女を陥れたのです」

 

「なっ!? 里の人間が博麗の巫女を裏切ったというのですか!?」

 

 そんな馬鹿な、そのような歴史は知らないと慧音はおもわず立ち上がり声を荒げる。

 ――ワーハクタクである彼女は、幻想郷の歴史の編纂を行っている。

 だからこそ自身が存在していなかった時の人物や歴史も知っている筈であった、だというのに紫の話は今まで聞いた事のないものだったのだから、彼女が驚くのも無理はなかった。

 

「事実ですわ慧音先生、何せこれは当時の稗田家当主すら知らなかった事ですから。

 この汚点を知る生き証人は、かつての時代を生きていた一部の大妖怪と賢者達のみ。歴史に抹消された闇なのよ」

 

「馬鹿な……そのような愚行を人間が行うなど……!」

 

「我々が気づいた時には全てが終わっていた。

 まず人間達は霊歌に薬を盛って彼女を弱体化させ、その隙に妖怪達が彼女と戦い殺す。

 ですがそれでも彼女はその妖怪達に勝利した、けれど満身創痍は避けられず彼女を無事始末できたか確認してきた人間達によって……」

 

 博麗霊歌は殺された、他ならぬ今まで命を懸けて守ってきた人間達の手で。

 ……その時の彼女の絶望、憎しみ、怒りは一体どれ程のものだっただろう。

 

「成程、それは酷い話だ。

 ――しかし話はそれで終わりではないのでしょう?」

 

「…………歴代最強の巫女である彼女が、人間と妖怪の手によって忙殺されたという事実を公にするわけにはいかない。

 故に我々賢者達は話し合い――この事件を、無かった事にしました」

 

「無かった事に、ですって……!?」

 

 その言葉で、今度こそ慧音は言葉を失ってしまった。

 無かった事にする、即ちそれは――博麗霊歌の死を事故死という事で処理するという事か(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 守るべき人間達に裏切られ、その優しき意志も尊厳も踏み躙られたというのに、当時の賢者達はそんな彼女を見捨てたというのか。

 

「当時の幻想郷は今以上に揺らいでいました、この事件によってパワーバランスが崩れるという事態を起こしたくはなかったのです」

 

「っ、そんなの、ひどいよっ!!」

 

 怒りの形相を浮かべながら、立ち上がり紫に対して声を荒げる空。

 

「そんな酷い目に遭ったのに、どうして誰もその時の巫女のおねーさんを助けなかったの!?」

 

「……」

 

「あの巫女のおねーさんが憎むのも当然だよ。――強い妖怪の癖に、どうしてそんな酷い事しかできないんだっ!!」

 

「――お空さん、そこまでにしてあげてください」

 

 今にも紫に飛び掛からんとする空を止める声が、椛から放たれる。

 

「椛ちゃん、だけど……!」

 

「確かに紫さん達のした事は許される事ではありません、幻想郷のパワーバランスだなんだと言いながらも結局は自分達の保身を優先したのですから」

 

 その結果が、今回の犠牲者を生み出す遠因となったのだから、到底許せる筈も無いのは当然であった。

 しかしだ、同時に椛は紫達の立場や考え方も理解できた。

 綺麗事だけで何もかも上手くいく事などありえない、それに当時の紫達とて苦渋の判断だったのだろう。

 だってそうでなければ、どうして紫は空の言葉に表情を曇らせ、今にも泣きそうな程に弱々しい姿を見せているのか。

 

「きっと博麗霊歌は幻想郷に私達では想像もできない程の強い怒りと憎しみを向けているのでしょう。

 しかしです、如何に彼女の境遇が不幸であり同情できるとしても……それが今の時代を生き、殺される必要などなかった命を奪っていい道理には繋がりません」

 

 既に相手は一線を超えてしまっている、放っておく事などできはしない。

 

「紫さん、私はここで今の旦那様を守りながら相手が動くのを待つ方が良いと思いますが……貴女はどう思いますか?」

 

「…………あなたは」

 

「私が彼女の事を紫さんに聞いたのは単純にあの時の言葉の意味を知りたかっただけ。

 今の話を聞いて正直あなた方幻想郷の賢者に対し憤りを覚えましたが、自分のすべき事を見失ったわけではありませんから」

 

「……その方が良いと思います、相手の力は強大ですから迎え撃つ準備が居るでしょう」

 

「決まりですね………………って、旦那様?」

 

 話は終わりだ、そう思った椛は聖哉へと視線を向け、彼が部屋から居なくなっている事に気が付いた。

 勝手に何処かへ行くとは思っていなかったが……そう思った矢先、隣の部屋の襖が開かれる。

 

〈聖哉なら隣で寝かせたぞ、恐がったままだったからな〉

 

「ぁ……すみません、ヴァンさん」

 

〈仕方ねえさ。今の聖哉は何も知らない年相応の子供と同じだ、それにこの部屋の空気に恐がっていたのは事実だが、別にお前達の事を恐がってるわけじゃねえみたいだったぞ〉

 

「……そうですか」

 

 それを聞いて、少しだけ椛は安心できた。

 

「ひとまずお空さんは一度地底に戻った方がいいと思います、さとりさん達も心配しているでしょうし」

 

「で、でも……」

 

「ですからお空さん、さとりさん達に今回の事をしっかり話して許可をもらってきてくださいませんか?

 正直の所、お空さんの力を頼りにしたいと思っているんです、一緒に旦那様を守ってもらいたいですから」

 

「う、うん! わかった、すぐに戻ってくるから!!」

 

 いうやいなや、空は全速力で屋敷から飛び出していってしまった。

 その後ろ姿に苦笑しつつ、「事故を起こしたりしないで下さいねー」と椛は一応声を掛けておいた。

 

「……強いですね、君は」

 

「神子さん?」

 

「愛する人が君の記憶を失い変わってしまったとしても、君の心の揺らぎは限りなく少ない。

 きっと私が君と同じ立場になったら……君のように強く在ろうとはできず、無様に取り乱すだろうね」

 

 だから、今の椛の姿は神子にとって衝撃的であった。

 妖怪が人と同じように……否、人以上に他者を愛し、支えようと前を向き、歩もうとしている。

 それのなんて眩く美しいものか、少なくとも神子が人として生きていた時代では決して見れなかった光景であり。

 

 

――この姿を、絶対に喪ってはならぬと心の底からそう思えた。

 

 

「椛、私は……いや、私達は何があろうと君達夫婦の友であり力になるとここに誓います。

 だからたとえどんな些末な事でも私達を頼ってほしい、聖徳王としての総てを懸けて応えてみせるから」

 

「神子さん……ありがとうございます」

 

「……そういうわけだ八雲紫さん、くれぐれも…………まあ、これ以上はわざわざ口にしなくとも聡明な貴女には判っているでしょう?」

 

「………………無論ですわ」

 

 そう言って、紫は藍を連れてスキマでこの場を後にする。

 

(さて、これが牽制になってくれればいいんだけどね……)

 

 八雲紫という女性は、正直……あまり信用できる存在ではない。

 大妖怪として大きな力を有しているし、彼女の式である八雲藍の力も優秀だ。

 そして賢者と呼ばれる聡明さもある、それだけならば是非とも自分の部下にしたいと神子は思っているが……とにかく底が知れない。

 このような状況であの2人に何かするとは考えにくいが、先程の闇を知ってしまった以上信用はできない。

 

(けれど、聖哉達は何故か彼女に対して信頼を寄せているからね、無駄な衝突は避けるとするか……)

 

 今は2人の力になる事だけを考えよう。

 そう自分に言い聞かせ、神子は椛達に一言告げ自らの屋敷へと戻っていった。

 

「……椛ももう休んだ方がいい」

 

「慧音さんはどうするんですか?」

 

「これから阿求と共に里の重鎮達と会合をしてくる、だから今はゆっくり休んでいてくれ」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 慧音の言葉に甘え、椛は隣の部屋へと移動する。

 ……ヴァンの言った通り、聖哉は穏やかな寝息を立てて眠っていた。

 その姿にほっと一息吐くと……視界が一瞬霞んだ。

 

(っ、思っていた以上に消耗している……)

 

 しかし無理もないかもしれない、あれだけの戦いを乗り越えたのだから。

 それに天狗の名刀である天空丸は使用するだけでも大きな負担となる、想像以上に体力と精神力が削られていてもおかしくはない。

 すぐに眠りたい衝動に駆られるが、屋敷を飛び出してしまったイリスも心配だ。

 

〈イリスの事はオレに任せて、お前は聖哉の傍で眠ってろ〉

 

「ヴァンさん、ですが……」

 

〈これからお前は今日以上の戦いを乗り越えなきゃいけねえんだ、それにいつでも聖哉を守れるように万全の状態にしておくのも大切だろう?〉

 

「………………わかりました、申し訳ありませんがお願いします」

 

 彼の言い分には一理あるし、正直……限界も近い。

 何よりイリスならわざわざ捜さなくても大丈夫かもしれない、なのでここは言葉に甘える事にした。

 「任せろ」と一言言い残し屋敷から飛んでいくヴァンを見送った後、椛は聖哉が眠っている布団に入り込む。

 

「旦那様……」

 

 そっと撫でるように髪を掬う。

 ……改めて、今の彼が幼くなったと理解した。

 何もかもがいつもの彼とは違う、今の彼は何の力もない子供でしかない。

 

「……大丈夫ですよ旦那様、たとえ何があっても貴方は私が守ります。

 そして元の姿に戻って私の事を忘れてしまったとしても……もう一度、愛してもらえるようになりますから」

 

 そっと、壊れ物を扱うかのような力加減で眠る聖哉を抱きしめながら、椛は呟く。

 その言葉は聖哉に、そして自分自身に言い聞かせるような言葉であり。

 

 

 

 同時に――己の中に芽生えている隠し切れない不安から目を背けるような言葉であった。


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