狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
――誰か来た?
――誰か来たよ。
――聖哉が、来たよ。
「……」
――起きましょうよ、フランドール。
――そうよそうよ、起きましょう。
――紅魔館に、聖哉が来てくれたのよ?
「…………聖、哉」
――遊んでもらおうっ。
――うんっ、いっぱいいっぱい遊んでもらうのっ。
――それがいいわフランドール、だって聖哉なら。
「……………………簡単には、壊れないよね」
◆
「…………なんだ、これは」
霧の湖を抜け、レンガ造りの立派な橋を渡り、聖哉は紅魔館へと辿り着く。
相も変わらず真紅の建物は色々な意味で目を引き、けれど今の聖哉にとってそんなものはどうでもいい事であった。
――この館には、“ナニカ”いる。
館をしっかりと視界に捉えた瞬間、聖哉はそのまま紅魔館から背を向け離れたくなった。
これ以上近づくなと、この館に入るなと内なる自分が警鐘を鳴らす。
そしてそれは彼自身だけでなく、ヴァンもまた同じ意見であった。
〈……聖哉、できねえとは思うが……このまま館を離れた方がいい〉
(お前がそこまで言うとはな……)
それだけの異常、それだけの存在が今目の前の館の中に居るという事か。
……ヴァンの言っている事は正しい、彼の言う通り回れ右をしてさっさとこの館から離れるのが得策だ。
入れば死ぬ、この異質な気配の正体は掴めないがそれだけは断言できる。
(だからこそ、このまま帰るわけにはいかない)
この館にはレミリア達、そして椛とイリスが居る。
それが判っていてこのまま引き下がる事など、聖哉にはできる筈もなかった。
〈だよな……というか椛達の為にここに来たんだ、このまま帰るなんざできる筈もねえか〉
(悪いなヴァン、それにこの異質な気配を見て見ぬふりをするわけにはいかない)
〈わーってる。――聖哉、悪いが少しお前と話せなくなるが、心配するなよ〉
(えっ?)
〈必要な事だ、特に今のお前には。いきなりで悪いが納得してくれ〉
ヴァンのそんな言葉を聞いた瞬間、聖哉は彼の気配が気薄になる感覚を覚えた。
居なくなったわけでも消えたわけでもない、だが今のような会話はできなくなったという事だけは理解できる。
(いきなりどうしたんだ? でも……今の俺に必要な事だと言っていた)
ならば、今のこの状況もきっと意味のあるものだろう。
そう納得して、聖哉は改めて紅魔館へと向かって歩を進めながら、“千里眼”を発動させる。
(……館にはレミリアに咲夜、美鈴に椛にイリス……全員が、自室で横になっている……?)
活動しているのは妖精メイド達と、図書館に居る小悪魔、そして……図書館とは違う地下エリアに居るパチュリーだけ。
それが何を意味するのか……深く考えなくても理解してしまい、聖哉は表情を曇らせる。
(傷ついている……命に別状は無いようだが、傷自体は決して浅いものじゃない……)
強化された“千里眼”で判ってしまう、横になっている誰もがその身に深い傷を負っている事が。
(守れなかった…………なんて考えるのは、傲慢だな)
今の自分にすべき事は、後悔ではない。
成すべき事を果たさずに足を止めている暇など無い、改めてそう自分に言い聞かせる聖哉に……一匹の“蝙蝠”が近寄ってきた。
「……レミリアか?」
『真っ直ぐ、わたしの部屋に来い』
直接脳内に響く声、上記の言葉を伝え終えた蝙蝠は霧となって消えた。
今の声はレミリアのものだった、おそらく身体の一部を蝙蝠化させたのだろう。
「……」
歩みが自然と速くなった。
未だに警鐘は内側から鳴り響いている、寧ろ大きくなるばかりだ。
だがそれ以上に、急いでレミリアの元に向かわなければならないという思いが、聖哉を動かす。
「――レミリア、入ってもいいか?」
何事もなくレミリアの私室の前まで辿り着き、軽くノックをしながら中に居るであろう彼女へと声を掛ける聖哉。
「入れ」
返事はすぐに返ってきた、いつもの通り尊大さが感じられながらも同時に何処か優しげな声色の彼女の声を聞いて、聖哉は少しだけほっとしつつ扉を開き。
「なっ――」
部屋の奥、豪勢なベッドの上に座るレミリアの姿を見て、聖哉は驚愕から目を見開き思考を停止させた。
「……すまんな聖哉、見苦しいものを見せる事を許せ」
そう言って笑うレミリアの身体は、本来あるべきものが喪われていた。
正確には右腕と左足、それらが根元から消え去っている。
「レミ、リア……“それ”は一体……」
「心配するな、吸血鬼の再生能力ならさほど時間を掛けずに元に戻る。
それよりもだ聖哉、見たところ精神は元に戻ったようだが……お前、今の状態で戦えるのか?」
「え、あ、ああ……大丈夫だ」
“第三の枷”が外れ、聖哉の力は今まで以上に向上している。
とはいえ今の彼の“魂”は劣化してしまっている、闇聖哉を討たぬまでは全力で戦う事は難しいだろう。
それを聞き、レミリアは複雑な表情を浮かべながら……彼に、理解不能な頼みを言い放った。
「ならばお前に頼みがある。――地下に閉じ込めたフランを、
「…………は?」
「時間が無いんだ。今はパチェが抑えているがいつ封印が破られるか判らん、こんな状況でなければ後回しにしたいんだが……」
「ちょ、ちょっと待てレミリア。あの子を……フランを殺せだなんてどうしていきなり――」
「お前も館に入る前に感じただろう? 死を振り撒こうとしている、異質な存在を」
「っ、それがフランだと? だとしても一体何が起きたんだ?」
今のレミリアが冗談を言っていない事も、時間が無いという言葉にも偽りがないと聖哉とて理解している。
だがだからといって、何も聞かずに彼女の頼みを聞き入れる事など。
否、たとえどんな理由があろうとも実の妹の命を奪えなどという頼みなど、聞ける筈がなかった。
「フランは生まれつき個では耐えられぬ程の“狂気”を持って生まれてしまった、そのままではその“狂気”のままに全てを破壊し尽くす……故に生まれる前にわたしの父と母がそれを封印した。
しかしその封印は過去に一度綻び、そして……闇聖哉によって完全に開放させてしまった」
「狂気……人ならざる妖怪なら誰でも内側に宿す性質」
「あの子のは先祖返り……“原初の吸血鬼”の狂気を持ってしまったんだろうな。
椛の慈悲で一度は沈静化したが、この館の地下に封じ込める前に一度目覚め……わたしはこのザマだ」
微かな希望に縋る事すらできない程に、フランの“狂気”は大きくそしてその力は膨大なものになっていた。
彼女の命を奪わずにその“狂気”を無力化する方法など探す暇など無い、ましてや今の幻想郷の状況を思えば……。
「判るだろう聖哉、もはや一刻の猶予もないという事が」
「……」
聖哉とて白狼天狗、妖怪だ。
故に“狂気”に呑まれた妖怪がどういったモノになるのか、またどういう末路を辿るのか……聞いた事はあるし、実際に見た事だってある。
ロウソクが最後の最後に激しく燃え上がるように、絶大な力と破壊衝動を振りかざし、そして……自滅する。
助かった者は――只の一人もいない。
だからレミリアは“覚悟”を決めた、他者に頭を下げようとも実の妹を討つ覚悟を。
(だが……本当にフランを討てというのか? 大切な友の妹を、この手で?)
「……聖哉、迷いを抱いてくれるお前の優しさには感謝する。だが先程も言ったように時間が―――――――っ!!?」
瞬間、空気が変わった。
レミリアは発しようとしていた言葉すら忘れる程の衝撃を受け、聖哉は全身を震え上がらせ視線を下へ――紅魔館の地下へと向ける。
――目覚めた、目覚めてしまった。
最凶の悪鬼が、目に見えるものを全て破壊する為に。
それを理解した瞬間、2人は爆発したかのような速度で駆けた。
扉を開き、廊下を飛び、目指すは――地下。
「聖哉、判っているな?」
「……」
何が、などという返答はできなかった。
彼女の問いの意味が何なのか、否が応でも理解できてしまうからだ。
「躊躇うな。――討てなければ死ぬのはお前だけじゃない、お前の守りたいもの全てが死ぬぞ!」
「っ」
速度を上げる。
すぐ後ろでレミリアの舌打ちが聞こえたが、聞こえないフリをした。
余計な事を考えられる余裕はもう無い、今自分達が向かっている先には息が詰まるような闇が待っているのだから。
「――っっっ、レミィ、逃げなさい!!」
底なしの闇の奥底、地下の最深部はすぐに到達した。
最初に聞こえたのは焦りに満ちたパチュリーの声、それを無視して2人は“その場”へと辿り着き。
「来てくれたのね、聖哉」
場に響くのは、可憐な少女の声。
穏やかで、静かな、それでいて――異質な声でそう言い放つのは。
「…………フラン」
幾重もの魔力障壁によって封じられていた堅牢な扉を粉々に砕き、今度こそ総てを破壊せんと君臨した悪鬼。
フランドール・スカーレットが、宙に浮き両手を大きく広げた態勢のまま、聖哉を迎え入れていた。
「……」
すぐに聖哉は周囲の確認を始める。
周りは堅牢な石壁に囲まれている、地上への出入り口は今自分達が通ってきた階段のみ。
フランとの距離はおよそ七メートル程、聖哉ならば一息で踏み込める距離だが……それは相手も同じ事。
「来てくれてありがとう聖哉、外へと出た甲斐があったわ」
そう言って、フランは口元に嬉しそうな笑みを浮かべる。
それはいつもの彼女と変わらない、無邪気で純粋で……故に恐ろしい。
レミリアは言った、フランは“狂気”に呑まれたと。
だというのに今の彼女からは一片の“狂気”も感じ取れない、今までと同じフランにしか見えない。
レミリアとパチュリーも聖哉と同じ事を考えているからか、浮かべる表情には確かな困惑の色が見える。
「お姉様からフランの事は聞いたよね? なら……これ以上の言葉はいらないか」
静かにそう言いながら、フランは聖哉に向けて殺気を解き放つ。
その有無を言わさぬ行動に、聖哉は迷いを強制的に捨てざるを得なくなってしまった。
もはや今のフランに言葉は通らない、一見すると正常だがそう見えるからこそ判るのだ。
「レミリア、パチュリー、今すぐここから離れろ。椛達を頼む!!」
2人に視線を向けないまま叫び、聖哉は一気に力を開放した。
――だがそれは、全力とは程遠い。
今の聖哉は精神こそ元に戻り“第三の枷”が外れた状態にあるものの、劣化した魂は彼から大部分の力を奪ってしまっている。
けれど戦えないわけじゃない、最悪時間稼ぎ程度ならば――
「――フラン、止まれないのか?」
「……」
「もう貴女は昔の貴女じゃない、身も心も強くなったわ。
己自身に負けては駄目、同じ過ちを繰り返すのはあってはならない事なのよ」
だから、その“狂気”に呑まれるなとレミリアは懇願するように言った。
そんな姉の姿を見て、フランは僅かに驚き……その後、悲しそうに笑いながら。
「ごめんなさいお姉様。もうね……駄目なの」
「フラン……?」
「こんな事思っちゃいけないって判ってる、それでもね……
「っ、フラン……!」
「壊したくて壊したくて堪らないの、でもただ壊すだけじゃつまらない。
だから今のお姉様やパチュリーには用は無い、用があるのは…………ここで一番頑丈な、聖哉だけなのっ!!!!」
フランが動く。
それを聖哉が認識した時には、既に眼前に相手の姿が迫っており。
「っ、ぐっ、ぉぉぉぉ……っ!!?」
半ば無意識の内にガードした両腕に、フランが放った右の拳が突き刺さる……!
刹那、聖哉に全身がバラバラになったと錯覚する程の衝撃が襲い掛かり、そのまま後方へと吹き飛んでいく。
「――シャアッ!!」
繰り出される蹴り上げを受け、聖哉の身体が再び吹き飛ぶ。
彼の身体はそのまま地上へと向かう階段から上へ上へと飛んでいき、廊下を出て、窓ガラスを割りそのまま外へ。
「が、はっ……!?」
ポンプのように吐き出される血液。
息が詰まり、意識が遠のきながらも、聖哉は空中で姿勢を整え意識を紅魔館へ。
(……ガードして、これか)
乱暴に口元の血を拭いながら、聖哉はたった今受けたフランの攻撃に戦慄した。
二発、拳と蹴りの攻撃だけで……聖哉の身体には無視できない大ダメージが刻まれていた。
オーラによる防御が間に合ったというのに、フランの攻撃はそれをいとも簡単に貫いてきた。
威力だけなら、本気の勇儀や萃香にも迫るものだと認識せざるを得ない。
「――よかった。まだ壊れてない」
「っ!?」
背後から声が聞こえ、聖哉は横へと飛んだ。
瞬間――彼が居た場所に炎の剣が振り下ろされ。
――そのまま、紅魔館を縦一文字に“両断”してしまった。
「な――――」
轟音と共に崩壊する紅魔館。
その光景に我を忘れそうになった聖哉だったが、すぐに意識をフランへと向けた。
「意外だね。椛ちゃん達を助けに行かないの?」
「お前に背を向ければそれで終わりだ。椛達の事はレミリアとパチュリーに任せた、なら俺は俺のすべき事だけを考える!!」
「…………強いね聖哉は。本当は今すぐにでも椛ちゃん達の所に行きたいだろうに」
「……」
ざわつく心を、一瞬で冷却させる。
……“千里眼”で、椛達の生存は確認できている。
とはいえ倒壊した紅魔館の中に取り残されたまま、動く気配は見られない。
今はまだいい、だがこのまま放っておけばどうなるのか……。
(っ、焦るな……焦ったままで今のフランが止められるわけがないだろ……っ!!)
「でも安心して聖哉、貴方を壊したら……次は椛ちゃん達だから!!」
「っっっ、やれるものならやってみろ。フランッ!!」
閃光の如し速度でレーヴァテインを構えつつ奔るフラン。
それに対し正面から立ち向かう聖哉。
振り払われる炎の剣は、黒きオーラで生成した剣とぶつかり合い。
霧の湖全体を震わせる衝撃を放ちながら、両者の戦いは再開した……。