狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~   作:カオ宮大好き

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第116話 VSフランドール~旧都の激闘~③

「………………むっ?」

 

 妙に軽い自身の身体の違和感に、レミリアは意識を取り戻した。

 最初に彼女の視界に移ったのは見知らぬ天井、自らの住処である紅魔館ではないとすぐさま理解する。

 次に気づいたのは……夜に生きる吸血鬼である自分にとっては心地よい、重く淀んだ空気であった。

 

(地上、ではないな……)

 

 この淀んだ空気は人間が多く住む地上ではないと判断できる。

 だとすれば地底か……そう思いながら、レミリアは視線を右横へと向けると。

 

「あ、目が醒めたっ」

 

 目覚めた自分を見て、嬉しそうに笑みを浮かべる少女の姿が目に移った。

 

「お前は……確か、お空だったか?」

 

「そーだよー。身体の調子は大丈夫? 腕と足は無くなっちゃってるけど……」

 

「ん……? ああ、問題ないさ」

 

 言いながら、レミリアは欠損した部位に魔力を送っていく。

 すると魔力は赤い霧となって、瞬く間に欠損した腕と足を再生させた。

 

「ほえー……凄いねレミリア、さっすが吸血鬼っ」

 

「これだけの“瘴気”があれば造作もない事だ、元々吸血鬼は再生能力に優れているし、体力と魔力も完全に回復している」

 

「それでも凄いよ、レミリア凄いっ」

 

「そ、そうか……」

 

 世辞ではないだろう、それぐらいの事はレミリアとてお空の態度を見れば判る。

 とはいえ……こうも手放しで褒められるというのは、慣れていない事もあってどうにもこうにもむず痒い。

 

「“妹”ちゃんも、レミリアぐらい凄いの?」

 

「何……?」

 

「隣で寝てるよ、ぐっすりとね」

 

 言ってお空は、レミリアが寝ているベッドの隣を指差す。

 そこには規則正しい寝息を立てるフランの姿があり、おもわずレミリアは安堵のため息を零した。

 だが――この状況は楽観できるものではない。

 フランの“狂気”は収まったわけではない、意識を失っている今ならば……。

 

「レミリアにそっくりだよね、この子」

 

「……そっくり? 見た目も内に宿る力の質もまるで違うのがわからないのか?」

 

「んーん、そっくりだよ。見てわかるくらい」

 

「そう、か……」

 

「? もしかして、姉妹じゃないの?」

 

「いや……だが昔から、似てないと色々な輩に言われていてな……」

 

「変なの。こんなに似てるのに」

 

 本当に腑に落ちないと言わんばかりにそう言い放つお空に、レミリアは……気づくと苦笑を浮かべていた。

 旧地獄跡という危険地帯で暮らし、八咫烏という強大な力を受け入れ使用していながら……霊烏路空という少女は、どこまでも真っ直ぐ純粋だ。

 ……幼い頃のフランを、思い出してしまう。

 

(っ、いかんな……もう決めた事に対して、躊躇いを生むなど……)

 

 これはまたとないチャンスだ。

 自身の体力魔力は全快、一方のフランは眠っている。

 ……ならば、すべき事はただ一つ。

 

「お空、済まないがもうひと眠りしたいので退室してはくれないか?」

 

「わかったー、何かあったらすぐに呼んでね?」

 

「ああ、感謝するよ」

 

 お空が退室し、部屋にはレミリアとフランだけが残される。

 気配が遠ざかり、周囲に自分達以外の存在が居ないのを何度も確認してから……レミリアは、静かに己の魔力を開放した。

 彼女の紅い魔力は巨大な大槍へと形を変え、それを右手でしっかりと握りしめて、切っ先をフランに向ける。

 

「……」

 

 今が最大にして最後のチャンスだ。

 意識を失っているフランは無防備な姿を晒している、このまま……最愛の妹をこの槍で貫くのは容易な事。

 もう戻れぬ場所まで来てしまっている、フランの“狂気”を野放しにすれば誰もが傷つく。

 自分だけが苦しむのならばいい、この命一つでフランが止まるのならレミリアは簡単に手放せる。

 

 しかしその願いは叶わない。

 目を醒ませば、フランは自分の命だけでなく目に付く全ての生命体を破壊し尽くす。

 そんな事は……させられない。

 

「っ、――――」

 

 緩みかけた右手にしっかりと力を込める。

 乱れそうになる呼吸を必死に止め、震えそうになる身体を力づくで制し。

 心を凍らせ、感情を消し去り、フランドール・スカーレットという存在を殺す事だけをイメージする。

 

「……っ、っ……」

 

 槍を握る手から血が滲み出している。

 吸血鬼の強固な心臓が、痛い痛いと泣き叫んでいる。

 喉元までせり上がってきた嗚咽を零さぬようにしながら……レミリアの瞳からは、際限なく涙が落ちていた。

 

 ――迷うな、躊躇うな。

 何度も何度も、呪詛のように己へと言い聞かせているというのに。

 振り上げた槍を下ろす、言葉にしても簡単な動作が、どうしても行えない。

 

「っっっ、っっ……!」

 

 どうしようもなく、自分に腹が立った。

 希望など無い、都合の良い奇跡など起きやしない。

 それを理解しているのに、思い知らされているのに。

 

――わたしでは、フラン(この子)を殺せない。

 

 ここにきて漸く、知ってしまった。

 フランが居たから、父や母は死んだ。

 だから憎めと、その時の苦しみを思い出せという声が聞こえてきても。

 自らの想いに気づいてしまったレミリアには、届かなかった。

 

「……ぅ、っ、ぅ……」

 

 もう、嗚咽を抑える事もできない。

 みっともなく涙を流し、自らの不甲斐なさを責めながらも、レミリアは願ってしまう。

 

――助けて、わたしを……この子を、助けて。

 

 これからもずっと一緒に居たい、最愛の家族を喪いたくない。

 それはささやかで、けれど決して叶わぬ願いだった。

 それでも――願わずにはいられない。

 

 その場で膝を突き、項垂れるレミリア。

 助けてと、掠れた声で何度も呟きながら泣きじゃくる彼女に。

 

 

 

「――――何それ、情けない」

 

 

 

 狂いし怪物が、吐き捨てるようにそう言った。

 

「ぁ、っ――――!!??」

 

 跳んだ。

 背中の翼を開き、死にたくない一心でレミリアは後方へと跳ねるように跳躍した。

 

「ぁ、ぐぅぅぅ………っ!!?」

 

 だが、次の瞬間レミリアに思わず悲鳴を上げてしまう程の衝撃と痛みが襲い掛かった。

 そのまま壁へと叩きつけられ、強引に肺から空気が吐き出される。

 激しく咳き込み、視界が定まらないままレミリアが顔を上げると。

 

「…………フラ、ン」

 

 自身を見下し、灼熱の炎を纏う魔剣を振り上げているフランドール・スカーレットを、見た。

 

「ここでフランを殺しておけば助かったのに、できない上に情けなく泣くとか……お姉様、自分がどれだけ惨めな姿を晒してるって理解できてるの?」

 

 見下げ果てたと言わんばかりの口調、しかしレミリアは反論できない。

 フランの言い分に何の間違いもないからだ、今の自分はもはや情けないという言葉ですら優しい程の醜態を見せているのだから。

 

「馬鹿で情けないお姉様、お前(・・)がフランを殺せなかったから、咲夜も美鈴もパチュリーも小悪魔も……みんなみんな壊されるのよ」

 

「……」

 

「お前が家族の情なんか(・・・)に拘るから、みんな死ぬんだ」

 

「…………ああ、そうだな。わたしには覚悟が……いや、何もかもが足りなかった。

 貴女を止める力も、いざという時に引導を渡す為の決意も、みんなみんな中途半端で……足りなかったんだ」

 

 自嘲の笑みを浮かべるレミリアに、フランは大きな舌打ちを放つ。

 どうしようもなく、つまらない(・・・・・)と思った。

 いつも自信に溢れていた姿を見せていたというのに、今のレミリアは無力で泣きじゃくる事しかできない子供も同然だ。

 

「――もういい。もう少し楽しめると思ったのに」

 

 壊れた玩具に用は無い、残酷で無情な言葉をレミリアに向かって吐き捨てながら。

 フランは、迷いも躊躇いもなくレーヴァテインを振り下ろして、レミリア・スカーレットを呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………熱が、来ない。

 この身を焦がす灼熱の剣は、確かに振り下ろされた筈。

 だというのにレミリアの身体にはその熱はおろか、衝撃も痛みも何一つやってはこず。

 

「――ふぅ、間に合った」

 

 顔を上げるレミリア。

 彼女の視界に映ったのは、レーヴァテインを振り下ろしたまま驚愕の表情を浮かべているフランと。

 レミリアを守ろうと前に出て、レーヴァテインの一撃を真っ向から受け止める。

 

――霊烏路空の、姿があった。

 

「…………は?」

 

「貴女……何故」

 

 フランは自身の攻撃を受け止めたお空に対し忌々しげに表情を歪ませ、レミリアは驚愕したまま彼女を見上げる。

 対するお空は、そんなレミリアに安心させるような笑みを浮かべてから。

 

「っ、が、ぁ……っ!!?」

 

 右足による大砲じみた蹴りを、フランの腹部に突き刺した。

 後方へと吹き飛ぶフラン、そのまま地霊殿の一角を破壊し外へと飛び出すが、尚も勢いは衰えない。

 

「ぎ、っ……!」

 

 全身に力を入れ、強引に勢いを殺し空中で制止するフラン。

 すぐさま戦闘態勢に入ろうとするフランであったが、すでにお空は彼女に肉薄しており……その無防備な頭部に、渾身の踵落としを叩きつけた……!

 垂直に落下し、フランの身体は抵抗する事も許されず固い地面の中へと沈む。

 

「……」

 

 もうもうと立ち昇る土煙、そこから少し離れた位置に着地するお空。

 その光景に茫然とするレミリアであったが、すぐに我に返り外へと飛び出した。

 

「――ごめんねレミリア、キミの大事な妹を傷つけて」

 

 そう謝罪するお空はレミリアに背を向けたまま、未だ沈黙しているフランへと意識を集中させていた。

 ……あんな程度じゃ、“アレ”は止まらない。

 フランの事は予め聖哉やさとりから聞いている、だからこそお空は彼女を攻撃する事に躊躇いはなかった。

 

「でも話し合いはできないんでしょ? だから……無理矢理止めるよ」

 

「…………すまない、わたしに覚悟が足りないから」

 

「何の覚悟? もしかして……自分の妹を殺す覚悟が足りないとか、言わないよね?」

 

 瞬間、場の空気が急速に冷え込んだ。

 変わらずお空はレミリアに背を向けたまま、けれどこの言葉に確かな怒気を乗せていた。

 

「あの子はもう戻らない、“狂気”に支配された以上……そうするしかないんだ」

 

じゃあ(・・・)どうして殺せなかったの(・・・・・・・・・・・)?」

 

「――――」

 

 その言葉は、レミリアの思考を真白に染め上げるには充分過ぎた。

 何故それを……言葉ではなく視線でレミリアは問う。

 

「だって凄い力を感じたもの、誰かを殺せるくらいの凄い力を。

 あの時あの部屋にはレミリアとフランしかいなかった、何をしようとしていたのかなんて頭が悪いおくうでも判るよ」

 

「……」

 

「殺せないのは、レミリアがフランを大事に想ってるからだ。

 大好きな妹だから、大切な家族だから、殺そうと決めても殺せなかったんだ。

 ――でもねレミリア、それはきっと間違いじゃないってお空はそう思うよ」

 

 家族を殺す、そんな結論に至る経緯はきっと想像すらできない程のものなのだろう。

 その選択を選ばなければ、自分だけでなく多くの者が不幸になる。

 それを理解しているからこそレミリアは一度はその選択を選ぼうとした、その精神と気高さには戦慄すら覚える。

 

「生きていてほしかったんだ、幸せになってほしいと思ったんだ。

 だから殺せなかった、たとえ元に戻す方法が見つからなくても……殺したくなかったんだ」

 

「…………わたし、は」

 

「大丈夫だよレミリア、おくうお馬鹿だからあのフランを元に戻す方法なんて思いつかないけど……きっと大丈夫」

 

「……何故、断言できる?」

 

「だってレミリアもおくうも一人じゃないもん。幻想郷のみんなを頼れば、きっと上手くいく。

 だから諦めないで、フランを殺すんじゃなくて止めるのを……手伝って?」

 

 お空の口から上記の言葉が紡がれた瞬間。

 立ち昇っていた土煙が噴火のように激しく放出し、その中心から。

 

「―――壊し甲斐のあるカラスさん、みたいね」

 

 標的をレミリアからお空へと変え、絶殺の意志を込めた視線を放つ、フランが現れた。

 

「あら? まだ居たの、無様で無能なお姉様」

 

「……」

 

「もう消えて、壊れた玩具に興味は無いんだから」

 

 確かな失望と蔑みの感情が、フランの瞳から感じられた。

 それを一身に受けながら、レミリアは自身の体たらくに自嘲する。

 

「そう……そうねフラン、貴女の言う通りわたしは無様で無能な吸血鬼だ」

 

「……」

 

「だからわたしには貴女を殺せなかった、“狂気”に支配された貴女は目に映るモノ全てを破壊するのが判っているのに……」

 

 けれど。

 それでも。

 

「けどねフラン、今なら断言できるわ。――貴女を、殺せない弱い自分で良かったって」

 

「………………は?」

 

「だってまだ選べるもの(・・・・・・)、貴女を……元に戻せるかもしれないという未来を」

 

 ……なんて、愚かな。

 元に戻せる未来など“無い”と、目の前で殺された父を見た時に悟った筈。

 でも、そんな風に自分を誤魔化すのはもうやめにしよう。

 

「わたしは貴女と生きていたい、貴女と一緒にあの紅魔館で……また、みんなと共に」

 

「っ、まだそんな幻想を抱くなんてねっ、堕ちる所まで堕ちたのお姉様!?」

 

「かも、ね。きっと前のわたしが今のわたしを見たら卒倒するんじゃないかしら? それとも、未来のわたしを殺すかしら?」

 

 そう告げるレミリアは、こんな状況だというのに穏やかに笑っていた。

 彼女のその不可解な姿に、フランもお空も一瞬とはいえ怪訝な表情を抑える事ができず。

 

「――今度こそ、わたしはわたしの願いを裏切らない。

 貴女を止めるわフラン、わたしの総てを懸けて……ここでこの連鎖を断ち切ってみせる!!」

 

 瞬間、レミリアの魔力が膨れ上がった。

 

「っっっ」

 

 違う、明らかにレミリアが放つ力の質が変わっているとフランは一瞬で理解し思考を切り替える。

 侮れば負ける、自身の喉元まで容易く届く力を……目の前の存在は有しているとここに来て漸く理解したのだから……!

 

「お空、力を貸してくれ」

 

「もちろんっ!!」

 

「感謝する」

 

 掛け合う言葉は、ただそれだけ。

 2人は完全に戦闘態勢に入り、地を蹴った。

 ここから先、見据える存在は只一人。

 

「…………キヒッ」

 

 今、この場で必ず止めなくてはならない狂気に満ちた怪物。

 フランドール・スカーレットだけに、意識を向け。

 戦いは、始まりを告げた。


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