狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~   作:カオ宮大好き

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第13話 地霊殿~暗躍するモノ~

 

 

 

 白い世界が、広がっている。

 勇儀と喧嘩し、殴り飛ばされ意識を失い、気がついた聖哉が最初に見た光景は……見知らぬ世界であった。

 

(……ここは、何処だ?)

 

 周囲を見渡しても自分以外の存在は見当たらない、どこまでも続く白い景色だけがこの世界の全てだった。 そんな寒々しさすら覚える景色の中――誰も居なかった筈の世界で彼に話しかける存在が現れる。

 

「あと少し、か?」

 

(っ、な、に……!?)

 

 “それ”は突如として聖哉の目の前に現れ、意味のわからない呟きを零しながら吊り上った笑みを浮かべている。

 ……その姿はまごうことなき()()()()、顔立ちも背丈もなにもかもが、犬渡聖哉と同じであった。

 ただ唯一違うのは、“それ”は聖哉とは違い三本の尾を持っている事くらいか。驚愕したまま固まっている聖哉を滑稽そうに笑いながら、“それ”は口を開いた。

 

「お前も大変だな、“あの女”がお前とオレとの境界を操作したせいでオレが表に出るようになってきちまった。まあ遅かれ早かれだったか、まだオレが完全に表に出るのは無理そうだな。ちょっとでも出たらすぐお陀仏だ」

 

 軽い口調で話す“それ”の内容は意味も要領も得られず、聖哉を余計に困惑させる。

 ここは一体どこなのか、目の前で勝手に話を進めている存在は何者なのか。

 

「ああ、そうそう。暫く周囲を気にした方がいいぞ? 鬱陶しく飛び回ってるハエが居るようだからな」

 

(何を言っているんだ? お前は一体……)

 

 問いかけようとしても、声が出ない。

 そしてその声がトリガーとなったのか、聖哉の視界が一瞬だけぼやけて見えなくなり。

 

「あ、気がついた?」

「…………あ?」

 

 視界が元に戻ったと思った時には、聖哉の眼前に見慣れぬ少女の笑顔が広がっていた。

 続いて後頭部に感じる柔らかく暖かな感触、少女と自分の体勢を考え膝枕をしてもらっていると理解し、聖哉は上半身を起き上がらせ周囲を見渡す。

 見慣れぬ部屋だ、西洋風に纏められた客室にあるベッドの上に寝かされていたようで、部屋の中には自分と先程の少女しかいない。

 

「ここは……」

 

「ここは“地霊殿”の客室だよおにーさん。勇儀姐さんと喧嘩してやられちゃったの……覚えてる?」

 

「ああ。君が介抱してくれたのか?」

 

「そうだよー、私の名前は霊鳥路(れいうじ)(うつほ)。みんなは“お空”って呼んでるからおにーさんもそう呼んでね?

 でもおにーさんをここに連れて来るように言ったのはこの地霊殿と私達の主である“古明地さとり”様なんだ」

 

「そうか……お礼を言わないとな」

 

 ベッドから降り立ち上がる聖哉だったが、脇腹付近から鈍痛が走り顔をしかめてしまう。

 勇儀に殴られた箇所だ、あの時の衝撃を思い出しぶるりと身体を震えた。

 

「駄目だよ、まだ怪我が治ってないんだから!」

 

 少し怒ったように言いながら、聖哉に座るように促すお空。

 確かにまだ痛みはあるがこの程度なら問題ない、問題ないが……こちらを見上げながら怒るお空の姿を見て、聖哉は反論を返せなかった。

 本気で怒っているわけではないからその姿は恐いというよりも可愛らしく、お空自身が美少女と呼べる端整な顔立ちなので魅力的に映っている。

 そして何よりも、その姿が彼女に――自分に注意する椛の姿に似ていたから、聖哉はおとなしくベッドに腰を降ろした。

 

「よろしい。おにーさんは素直で良い子だねー」

 

 よしよしと子供をあやすように頭を撫でられ、それがくすぐったかったので聖哉は身を捩るが、楽しそうにしているお空を見ると抵抗する気が無くなってしまう。

 女性にしては長身なお空ではあるが、雰囲気や行動などを見るとまだまだ子供のような無邪気さを出している。もしかしたら彼女は見た目とは違いまだ幼いのかもしれない。

 妖怪である事は間違いないが、見た目と実年齢が結びつかない事などよくあることだ。例えばどこぞの賢者様とかが良い例である。

 

「……ねえ、おにーさん」

 

「どうした?」

 

「えっとね、その……尻尾、なんだけど」

 

「尻尾?」

 

 ゆらゆらと無意識のうちに揺らしていた自身の尻尾を見るお空の反応と上記の言葉で、聖哉は彼女が何を言いたいのかわかりそのまま尻尾を彼女の前まで持っていく。

 

「触りたいのなら触っていいぞ、ただあまり乱暴にしないでくれ」

 

「ホント!? ありがとうおにーさん!! じゃ、じゃあ……失礼します」

 

 まるで爆弾処理をしているかのような慎重さで、お空は聖哉の尻尾に両手を伸ばした。

 そして彼女の手が聖哉の尻尾に触れると同時に……ずぼっと、手が尻尾の中に沈み込んだ。

 

「おぉう……」

 

 変な声が出てしまった、ちょっとだけ恥ずかしいと思いながらもお空はその感触に集中する。

 柔らかい、それに手全体を包み込む暖かさに自然と頬を緩んでしまった。ずっと触っていたい衝動に駆られてしまうお空であったが……ハッと我に返り、尻尾から手を離す。

 

「お、おにーさんありがとう。もういいよ」

 

「いいのか? 別に俺の事は気にしなくて構わないが……」

 

 彼女の触り方はとても優しい、ずっと触られていても問題はないと告げる聖哉だったが、お空は聖哉の提案に首を横に振って大丈夫だからと返答した。

 無論彼女とてこの感触をいつまでも味わっていたいと思っている。けれどやはり聖哉は客人なのだから無遠慮な事はできないし、なによりこの感触を“彼女”が知ってしまったら色々と面倒な事に……。

 

「――お空、入りますよ?」

 

 部屋の外から聞こえる幼い少女の声、それを聞いた瞬間お空はギョッとした表情で扉へと視線を向ける。

 そして鍵を閉めていなかった事に気づき、しまったと後悔するがもう遅い。此方の返答を待たずに外に居た人物が部屋へと入ってきてしまった。

 入ってきたのは少しだけ癖のある短い薄紫の髪を持つ小柄な少女、見た目は子供だが彼女の身体に繋がっているコード状の器官と第三の目が人ではない事を教えてくれている。

 彼女こそこの地霊殿、そしてお空やこの屋敷で暮らす数多くの動物達の主人である古明地さとりである。おそらく客室へと運び込み介抱した聖哉の様子を見に来たのだろう。

 

(拙い……)

 

 だが今はあまりにタイミングが悪すぎた、特に尻尾を触ってしまいその感触を味わってしまったお空がこの場に居るのは非常にマズイ。

 どうしようどうしようと頭の中で必死に彼女を聖哉から遠ざけようと策を考えようとするお空であったが、その判断はあまりに遅すぎた。

 

「ようこそ地霊殿へ。わたしは古明地さとりと申します、犬渡聖哉さんでしたよね? あなたの事やこれまでの経緯は既に聞き及んでおりますので、まずは怪我が治るまではゆっくりしていってください」

 

「すまない、感謝するよ。ところでその“目”は……(サトリ)か?」

 

 聖哉の問いにさとりは「その通りです」と答え、第三の目の視線を彼へと向けてきた。

 彼女の胸元付近に浮いている赤い第三の目、それは通称“サードアイ”と呼ばれる覚妖怪の特徴的な器官である。

 その目を向けられた相手の心を読み、奥底にあるトラウマを覗き具現化させる。その能力は人はおろか妖怪すら恐れ忌み嫌う。

 

「……そこまで判っているというのに、あなたはわたしを恐れもしなければ嫌おうともしないのですね」

 

「読まれて困るような事は考えていないし、他者の心を読んでしまうのが覚妖怪なのだろう? 概念そのものを否定する権利なんて俺には持ち合わせていないさ」

 

 人間が呼吸をしなければ生きていけないように、覚妖怪が心を読むというのはそれと同意に等しい。

 たとえ本人が望まなくても他者の心が見えてしまう、それを否定し一方的に恐れたり嫌ったりするような事など本来ならば誰にだってできない筈だ。

 ……そう考える彼の心を覗き込んださとりは、僅かに驚きながらもそれを表には出さず、ただ小さく面白そうに笑った。

 

「お強いのですね、心が。嫌われ者の覚妖怪であるわたしを前にしてもそんな事を言える人はなかなかいませんよ」

 

「さっきも言ったが読まれて困るような事は考えていないし、なにより君は赤の他人である俺の為にわざわざ部屋を用意してくれた。そんな優しさを持つ君に感謝こそすれ嫌う事などありえないさ」

 

「……」

 

 またしても、彼の言葉は心からのものであった。

 ……嬉しさが、さとりの心に浸透していく。彼の自分を理解しようとしてくれている言葉と態度が、喜ばしい。会ったばかりではあるが、既にさとりは聖哉に対して信頼を抱き始めていた。

 と――彼女の視線がゆらゆらと揺れる聖哉の尻尾へと注がれる。

 ゆらゆら、ゆらゆら、無造作に揺れる一尾。それを追うようにさとりの視線もゆらゆらと揺れる。

 

「…………もふもふ」

 

「? もしよかったら触ってみるか?」

 

「あ、ちょ、おにーさん……」

 

 聖哉としては気を遣った提案だったのだが、今回に限って言えば完全に悪手であったと、お空の制止の声と……次に見せる彼女の反応によって、理解する事になる。

 彼が上記の言葉を放った瞬間、空気が変わる。正確にはさとりの放つ雰囲気が変わったと思った瞬間。

 

「――いぃぃぃぃぃぃっやっほぉぉぉぉぉぉっ!!!!」

 

 凄まじい奇声を上げながら、さとりは一直線に聖哉の尻尾へと吶喊した。

 突然の奇行に反応が遅れてしまい、気がついた時にはさとりの顔が聖哉の尻尾へと完全に埋もれていた。

 

「んふぅぅぅ……んふぅぅぅぅぅぅ……」

 

「お、おい、何してるんだお前!?」

 

 尻尾に顔を埋めたままとてつもなく気味の悪い深呼吸を繰り返すさとりに、聖哉は悲鳴に近い声を上げる。

 だが彼女の奇行はまだ終わらない、そのままの体勢で頬擦りを始めるだけでなく両手を用いて聖哉の尻尾を激しく撫で回し始めた。

 数多くの動物達の主人であるためか、その愛で方は確かに熟練のものであり心地良いものだと素直に聖哉も認められるものだったが……。

 

「んふぅぅぅ……んふぅうぅぅぅぅ……見た目とはまるで違うもふもふ感、けれど決してそれだけでなく程よく芯も残している……これは良い、これは良いぞぉぉぉぉぉ……」

 

 それ以上に、尻尾に顔を埋めながら興奮した様子で実況するさとりのせいで素直にそう思えなかった。

 ちらりとお空へと視線を向けると、彼女は聖哉に向かって両手を合わせ謝罪の意を見せていた。

 ……どうやら彼女のこの奇行は今に始まった事ではないらしい、お空を様子を見れば被害者は自分だけではないのだろう。

 

「ハムッ、ハフハフ……ッ」

 

「うおおっ!?」

 

 生暖かな感触が、尻尾から伝わってくる。

 何を血迷ったのか、なんとさとりは聖哉の尻尾をまるで味わうかのように口に含み始めたのだ。

 これには聖哉も本気の悲鳴を上げ相手が女性である事も忘れ全力で殴り飛ばそうとして、その前に部屋の扉が壊れるような勢いで開いた。

 

「――何をしているんですかあなたはぁぁぁぁっ!!」

 

「ぶえーーーーーっ!?」

 

 鈍い打撃音と共にさとりの顔が横にズレ、近くの本棚に叩きつけられる。

 バラバラと中に入っていた本が落ち彼女の小さな身体があっという間に埋もれる光景を、聖哉は茫然と見つめる事しかできなかった。

 いきなり見慣れぬ赤毛を三つ編みにした少女が部屋に入ってきたと思ったら、上記の怒鳴り声を上げながらさとりの顔面に容赦も躊躇いもないドロップキックを叩き込んだのだから唖然とするのは当然である。

 ネコ耳と二又の尻尾を生やした少女は、暫し本の中に沈んださとりを睨みつけてから聖哉へと視線を向け、頭を床に擦り付ける勢いで謝罪をし始める。

 

「ほんっっっっっとにごめんよお兄さん、ウチの馬鹿主人には後でよ~~~~~~~く言い聞かせておくからどうか許しておくれ!!」

 

「あ、いや……はい」

 

 その剣幕に聖哉は頷く事しかできず、被害者だという事も忘れていまだに動かないさとりへと視線を向けた。

 するとゴソゴソと崩れた本の山が動き、大きく息を吐きながらさとりが姿を現した。そして怒った様子で自分にドロップキックを叩き込んできた少女に抗議の声を上げる。

 

「ちょっとお燐、いきなり何するの!?」

 

「何するもクソもないですよ!! なんか嫌な予感がしたからお兄さんの部屋に来てみれば……その変態行為はやめなさいと言ったばかりでしょうが!!」

 

「ち、違っ、勘違いしないでちょうだい!! これは決して変態行為なんかじゃなくて、一種のペットに対する寵愛よ!!」

 

「あれが寵愛だと思っているから変態だって言ってるんですよ!! っていうか、お兄さんはさとり様のペットじゃないでしょうが!!」

 

 スパンッ、凄まじくスナップの利いた平手打ちがさとりの右頬に叩き込まれ、再び本の山に崩れ落ちた。

 見事な一撃だったとおもわず感心してしまう程のものだったが、それを受けたさとりの首がなんだかあらぬ方向に曲がったような気がしたのだが……気のせいだろうか?

 

「おにーさん、あの子は火焔猫(かえんびょう)(りん)っていってこの地霊殿で一番最初に人型になったさとり様のペットなんだ。だからああやってさとり様の暴走を止める役目を担ってるの」

 

「……じゃあ、さっきのは割とよく見る光景なのか?」

 

 その問いに、お空は聖哉から視線を逸らしながらこくりと小さく頷きを返し、聖哉はさとりの身体をを掴み上げ本の山から出してから「大体さとり様はですね……」と説教をしているお燐という少女に同情の視線を送った。

 ああいう奇行を止めるというのは相当に骨だろう、特に精神面的な意味で。ならば彼女のあの容赦のなさも納得できるというものだ、聖哉もアレほど酷くはないが似たような奇行に走る知り合いがいるからよく判る。

 暫し2人のやりとりを蚊帳の外状態で眺めていると、再び打撃音と「ぐぎゅっ」という奇妙な悲鳴が聞こえてきた。

 

「まったく……どうしてこの方はいつもいつもいつも……」

 

「お燐、お疲れー」

 

「お疲れーじゃないよまったく……ホントにごめんよお兄さん、尻尾は大丈夫かい?」

 

「あ、ああ……だいぶ湿ってるけどな……」

 

 全員の視線が、さとりの唾液によってじっとりと濡れている聖哉のしっぽへと向けられる。

 とある同僚の天狗達ならば「幼女の唾液とかご褒美じゃないですか!!」とたいへんリアクションに困る発言をするだろうが、聖哉からすれば正直気持ちが悪い。

 ただでさえ尻尾は敏感な部分なのだ、とにかく早く乾かさなければ居心地が宜しくないわけで。

 

「こりゃひどいねえ……ベタベタじゃないか」

 

「何かタオルでも貸してくれればそれでいいぞ」

 

「そういうわけにはいかないよ…………ああ、そうだお空、お兄さんを温泉に連れていってあげなよ」

 

「そうだね! それじゃあおにーさん、いこっ!!」

 

 そう言って聖哉の手を掴むお空。

 

「おい、お空……」

 

「温泉ってとっても気持ち良いから、きっとおにーさんも気に入ってくれるよ!!」

 

 いやそういう事じゃない、説明したいが「楽しみだね~」とニコニコ微笑みお空を見ると、聖哉は開きかけた口を閉じた。動けるのならば早く地上に戻らねば面倒な事になるものの、せっかくの厚意を無碍にするというのも憚られる。

 

「お空、頼んだよー」

 

 気絶しているさとりの首根っこを掴みつつ、お燐は2人に手を振りつつ見送る。

 そして2人が部屋から出て行き静寂が訪れた後、気絶したままの主人を見ながら大きくため息を吐き出した。

 

「……どうにかなんないかな、この人の悪癖」

 

 古明地さとりという少女は、ペットであるお燐達からすれば“できた主”だという認識を抱いている。

 きちんと衣食住は用意してくれているし、仕事は与えるが必要以上にプライバシーに干渉しない、かといって構って欲しい時は心を込めて遊んでくれる。

 だからこそこの館には様々な動物達が暮らしているし、皆がさとりという主を慕っているのだが……同時に、先程の奇行だけはどうしても許容できなかった。

 尻尾が無かったり身体がふわふわもこもこじゃない者にも被害が及んでいるし、逆にそれがあるペットの被害は尋常ではない。

 

 撫で回すのは良い、気持ちが良いから拒否する理由などある筈がない。

 だけど嘗め回したり匂いを嗅いだり食べようとするのは本当に勘弁して欲しい、中にはストレスで脱毛を引き起こした動物も居るのだ。

 そんな主の奇行をお客様に見せてしまったばかりかその被害に遭わせてしまった、幸い気にした様子はなかったが……。

 

(……それにしても、やけにお空が懐いてたなぁ)

 

 元々彼女は人懐っこいから、この地霊殿に住む全てのペットと友達だ。

 だがかといって初対面の相手にあそこまで踏み込む程ではなかった、たまたま彼とは波長が合ったのだろうか?

 ふむと首を傾げるお燐だが、仲良しならば細かい事は気にすることでもないと自己完結させ、さとりを引き摺りながら部屋を後にする。

 

「うーん……ふわふわ、もこもこ……」

 

「……さとり様、お願いですからもう少し自重する事を覚えてください。“こいし”様にまた怒られますよ?」

 

 夢の中までふわふわもこもこを追いかけている自分の主に、お燐は再びため息を吐き出しとある名前を呟くのであった……。

 

 

 

 

 広い旧都の端、ろくに整備もされていない岩肌に囲まれた場所に、複数の妖怪達が集まっていた。

 誰もが表情に不満と怒りを覗かせているその妖怪達は、先程聖哉の“威嚇”によって戦う事すらできずに戦意を喪失させた者達であった。

 

「ふざけやがって……あの犬っころ、何様のつもりだ!!」

 

 近くの壁を蹴りながら、妖怪の1人が叫ぶ。

 呆気なく負けた、戦う以前に“威嚇”だけで敗北した、それも地上の白狼天狗に。

 その事実は妖怪達にとって許されざるものであり、しかし彼等に再戦に挑む度胸などなかった。

 

 なのでこうして人目の付かぬ場所で悪態を吐き、近くの物に当たる事しかできない。

 それがますます彼等の自尊心を傷つける事になるとわかっていても、それを止める事も止めようとする者もいない。

 

「おまけに勇儀の姐さんに気に入られてるみたいだしよぉ……なあ、全員でボコらねえか?」

 

「や、やめとけよ……アイツ、白狼天狗とは思えねえ強さだぞ。あの姐さんと少しでも殴りあったんだからよ」

 

「それに今はあの地霊殿に居るって話じゃねえか、覚妖怪に関わり合いたくなんかねえって」

 

「っ、じゃあこのままおめおめと引き下がんのか!? 白狼如きに舐められっ放しでいいわけねえだろ!!」

 

 特に血気盛んな妖怪が闇討ちを提案するものの、他の者達はその後の事を恐れなかなか首を縦に振ろうとはしない。

 その煮え切らない態度に妖怪は怒り、再び上記のような怒鳴り声を上げようとして。

 

 

「――おーおー恐い恐い。さすが旧地獄、価値のないゴミが腐るほど居るもんだ」

 

 

 場の空気を支配するような声が、響き渡った。

 ここに居た全員の視線が声のした方へと向けられ――ぱちゅん、という小気味良い音が耳に入り。

 同時に視界には、潰れたトマトのように醜くひしゃげ血の雨を降らせる“ナニカ”が転がっていた。

 

「…………え?」

 

 誰も、この惨状に反応できない。

 あまりに唐突なこの状況に頭が働かず、わかってしまったのは……“これ”を生み出したのは、いつの間にか自分達の中心に居る1人の少女が行なったという事だけ。

 背丈は小さく妖精と見間違えてしまう程の小さな存在、だというのにその存在感は巨人の如し。

 

「ふむ、塵1つ残さないで消し去ろうと思ったんだけど……さすが自称賢者様の能力、そう簡単に使いこなせないか」

 

「ギャッ!?」

 

 間延びした呟きの後に、破裂音と断末魔が響く。

 その瞬間に血溜まりが1つ増え、妖怪の亡骸が地面に転がった。

 

「う、うわっ……うわあああああっ!!??」

 

 そこで漸くまだ生き残っている妖怪達は我に返り、一目散に逃げようと相手に背を向け走り出した。

 自身の命を優先した逃走、だがそれは目の前の少女に対してはあまりに愚行であった。

 少女は逃げる妖怪達を追いかけようとせず、何かの感触を確認するかのように両手を開き、また閉じるという行為を暫し繰り返す。

 

「じゃあ次は……これくらいかな?」

 

 逃げる妖怪達に手を翳し、少女はそのまま線を描くようにその手を振り下ろす。

 瞬間、周囲の空間が軋みを上げ異界を生み出し――瞬く間に哀れな逃走者達を()()()()()()()()

 

「な――なんだあアァァァァァァッっ!!??」

 

 そう、その光景はまさしく呑み込んでいるという表現が一番正しいものであった。

 軋んだ空間は瞬時に逃げる妖怪達の足元を裂き、底なし沼のように妖怪達を引きずり込んでいく。

 咄嗟の出来事で反応が遅れた妖怪達に、否、仮に警戒していたとしてもそれに抗える力は彼らには存在しない。

 

 そうして、秒にも満たぬ時間を経て、残ったのは物言わぬ亡骸2つと少女だけ。

 異界に呑まれた残りの者達の命など、確認するまでもなく終わりを迎えていた。

 その結果、そしてそれを自分が行なえた事に少女はくつくつと歪んだ笑みを浮かべながら満足する。

 

「うんうん、負担はあるけど使えてきた。けどさすがにこれ以上は望めないかなー」

 

 少女としては、もう少し他者の力を奪っておきたいと思っている。

 だがここは仮にも旧地獄、地上で忌み嫌われ封印された妖怪達が多数存在している場所だ、なまじちょっかいを出してしまえば返り討ちに遭う。

 なのでここはもう少し様子を見る事にしよう、自分にとっての“駒”が見つかるまでは闇に紛れておとなしくしていよう。

 

 

 

 

 

 

 

 そう思い彼女――“睦月”は自身が開いた空間の中へと消えていく。

 その姿と立ち振る舞いはまるで、スキマ空間の中に消える八雲紫のようでもあった……。




【簡潔なキャラ紹介】

・霊鳥路空
地獄鴉の少女、この作品での一人称は「私」もしくは「うつほ」。
原作よりアホの子ではない、ちゃんと物事を考える事ができるがやっぱりちょっとアホの子。
根が純粋で人懐っこいせいか、すぐに聖哉と友人となった。

・古明地さとり
地霊殿の主であり、地底世界の実質的な管理者。
心を読める覚妖怪のせいか滅多に地霊殿から出ようとはしないが、彼女の周りには愛すべきペット達が居るので別段寂しさは感じていない。
話せば物腰は柔らかく丁寧な妖怪だが、彼女には動物を激しく愛でるという悪癖が存在する。
聖哉の尻尾のようなものには特にその一面が顔を出し、その度にペットであるお空にはもちろん彼女の補佐役であるお燐からは容赦の無いツッコミ(物理)を叩き込まれる。

・火焔猫燐
さとりの補佐のような役割を担う火車の少女。
普段のさとりはもちろんの事、ペット達に対する変愛(誤字にあらず)を文字通り物理的な手段で止める苦労人……もとい、苦労猫。
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