狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
秒針の動く音が、やけに煩く聞こえる。
歯を食いしばり懸命に内側から溢れそうな激情に耐えながら、聖哉は目を閉じ死んだように眠る椛をじっと見つめ続けていた。
「……聖哉さん、休んだらどうです?」
壁に寄り掛かりながらその様子を見ていた文が、無駄だと知りつつも上記の提案を促す。
しかし聖哉は何も言わず、ただじっと己自身への憎しみを増大させていく。
……彼女に重傷を負わせた元凶である睦月には、逃げられてしまった。
ぴくりとも動かなくなった椛を茫然と見つめている彼に、睦月はけらけらと嘲笑い一瞬で姿はおろか気配も残り香も神社から消し去ったのだ。
これでは追う事はできず、そもそもその時の聖哉に睦月を追うなどという選択は選べなかった。
ただ今は、刻一刻と命の灯火を消してしまいそうになっている椛の事しか頭にはなく、全速力で山へと戻り……どうにか一命を取り留める事はできた。
頑強な妖怪ですら死に至る程の肉体的ダメージだった、それでもどうにか峠を越えられたのもひとえに椛自身の生命力の高さ故だったそうだ。
その話をどこか遠くから聞きながら、それからずっと……聖哉は己を責め続けている。
「あのさ、気持ちは判るけど自分を責めたって何か変わるわけじゃないでしょ?」
彼の態度に、苛立ちを含んだ声ではたてが正論を放つ。
……そうだとも、彼女の言っている事は何も間違っていない、それは聖哉にだって判っている。
だけど、どうしても今の椛のこの姿を見てしまうと、怒りの矛先を決めてしまわねばどうにかなってしまいそうになるのだ。
無論元凶は睦月だ、ヤツが椛を傷つけ無慈悲に命を奪おうとした。
けれど、彼女を守れなかった自分にも責はある。違和感なんぞ頭の隅に放りやって一気に勝負を決めてしまえばこんな事態にはならなかったかもしれない。
そう思うと、聖哉の心は瞬く間に怒りと憎しみに支配されそうになる。
たとえそれが無意味だとしても、後悔が彼の身体をこの場所に縛り付けてしまう。
(やれやれ……)
聞こえぬようにため息を吐き、文は聖哉の心中を理解しゆっくりと肩を竦めた。
はたても同様に彼に対し呆れた視線を向けるものの、これ以上の言葉を放つことはできなかった。
――聖哉と椛は、付き合いで言えば文達よりも長い。
同じ白狼天狗というのもあるが、椛が幼少の頃から何かと行動を共にしてきたのだ。
そして“中途半端”と蔑まれる彼を一番に受け入れ、仲間として、弟子として共に歩んできた椛と聖哉の絆は、きっと文達では理解できぬ程に固く強い結びつきがある。
だからこそ聖哉は椛を大事に思っているし、椛は聖哉を……。
「犬渡、大天狗様達がお呼びだ。すぐに来い」
そんな中、伝令の鞍馬天狗がまったく空気を読まぬ物言いで聖哉へと言伝を持ってくる。
文とはたては僅かに顔をしかめるが、聖哉はやや鈍い動きながらも「了解しました」と立ち上がり部屋を後にする。
たしかに空気が読めないとはいえ上司の呼び出しだ、下っ端である白狼天狗がそれに応えないわけにはいかない。
それに聖哉自身、動くきっかけが欲しかったので正直に言えばこの呼び出しは寧ろありがたいとさえ思えた。
「――大天狗様、犬渡です」
大広間へと続く扉をノックしつつ中に声を掛ける聖哉、すぐに「入れ」という声が聞こえ扉を開ける。
中には複数の大天狗と……一番奥に座り聖哉を招き入れる天狗の長、天魔の姿があった。
空気が重い、呼び出された内容があまり良いものではないと予測できるほどに。
「すまんな、こんな時に」
「いえ……」
天魔に向かって片膝をつき、頭を垂れる。
そんな彼に「顔を上げ楽にしろ」と言い放つ天魔、言われた通りに聖哉が姿勢を崩すのを待ってから――天魔は口を開いた。
「さて、此度の件……何か言い分はあるか?」
厳格で重い声色、声を出すのを躊躇ってしまう程の迫力を込めて天魔は聖哉へと問うた。
それに対し聖哉は「何もありません」と答え、彼の言葉を聞いた大天狗の1人が立ち上がり声を荒げた。
「何もない、だと? 犬渡、貴様は我等天狗の威厳に泥を塗ったのだぞ!?」
「……」
天魔程ではないにしろ、聞くだけで身体が萎縮してしまう力がある大天狗の声。
しかしそれを向けられても聖哉は顔色1つ変えず、寧ろその大天狗に対しため息すら出掛かった。
……何故ここに呼び出されたのか、それは決して今回の件に対する報告の為ではない。
妖怪の山の外で、聖哉は他の妖怪と争い敗北した。
正確には逃げられたの間違いだが、そんな些細な事は大天狗達にはどうだっていいのだろう。
彼は知っている、今自分に向けて声を荒げている大天狗やその周囲に居る者達が自分を気に入らない存在だと思っている事を。
この機会に自分をこの山から追放するなり処分するなり考えている事を、彼は理解していた。
「そればかりか優秀な白狼である犬走にあのような負傷を負わせた挙句に相手には逃げられる、だというのに貴様は何も言い訳もせずに反省しないと申すか!?」
(そこまでは言っていないが……まあ、似たようなものか)
何せこの大天狗は今回の件を利用して徹底的に自分を叩くつもりなのだ、仮に聖哉が何か反論した所で聞く耳を持たないだろう。
それに、相手の物言いは乱暴ではあるものの決して間違いではない。
睦月に逃げられたのは事実であり、椛を守れなかったのも……また事実なのだから。
「聞いておるのか、犬渡!!」
「待たぬか。聖哉が戦ったその睦月という存在はあの伊吹殿ですら深手を負わされた相手、命を奪われなかっただけでも充分な結果を残したのではないか?」
時折……いや割と頻繁に聖哉へ無茶振りをけしかけてくる大天狗清十郎が、仲介しようと間に割って入る。
だがそれでも他の大天狗達は聖哉を責め立てるのをやめようとはせず、既に場は彼を貶めようとする空気に包まれていた。
こっちはさっさと本題に入りたいというのに一体いつまで続くのか、場の中心に居ながら既に蚊帳の外状態になっている聖哉がこっそりとため息をつくと同時に。
「――静かにせぬか、貴様等」
ぽつりと、呟くような小さな声で天魔が上記の言葉を口にし。
たったそれだけで、場の喧騒は初めからなかったかのように消え去ってしまった。
「この子を気に入らぬという理由だけでこの場に居る者はすぐに消えろ、話が進まぬ」
「い、いえ……決してそのような……」
「ふん。――さて聖哉よ、今回の件でわしはお前に対し何か罰を与える気などない。
あの萃香ですら深手を負わされた相手に五体満足で生き残れた、それだけでも評価すべき事なのだからな。とはいえ……それでは納得しない者達も居るだろう」
そう言いながら、天魔はある一角……先程まで聖哉を貶めていた天狗達に視線を向ける。
露骨に視線を逸らす天狗達、それには構わず天魔は再び聖夜へと視線を戻した。
「よってお前に此度の元凶……睦月を追い、始末する任を与える。それが済むまで山に戻る事は許さぬ」
「……畏まりました」
立ち上がり、聖哉は部屋を後にしようとする。
「ああ、そうだ聖哉。
あくまでこれはお前の任だ、山の者達が協力する事はできん。――山の者達は、な?」
「心得ております、天魔様」
そう返し、今度こそ部屋を後にする聖哉。
入口の扉が閉じられ、彼の気配が遠ざかっていくのを確認してから……天魔は周囲の大天狗達に解散を告げ部屋から追い出していった。
そしてだだ1人――聖哉の良き理解者である大天狗だけは残し、彼女は盛大にため息を吐き出した。
「まったく……長く生きている天狗がなんと情けない。白狼天狗の小僧を貶めてそんなに楽しいのか?」
「気に入らないのでしょうなあ奴等は。ただでさえ聖哉は“忌み子”である天狗の混血児、それだけではなく白狼天狗の中では抜きん出た実力者です。大方自分達の立場が危うくなると思っているのでしょう」
「これだから年寄りは頭が固くて困る」
「何を仰います天魔様、年寄りという点ではあなただって――ごぼぉっ!?」
鈍い打撃音と共が場に響く。
余計な事を言った大天狗の腹部に、天魔の容赦のない肘鉄が叩き込まれた音であった。
「清十郎、次に余計な事を言ったら殴るぞ?」
「す、既に殴っているではありませんか…………聖哉が心配なのはわかりますが、八つ当たりは良くないと思いますぞ?」
「心配なのはお主とて同じだろうに」
というよりも、間違いなく清十郎の方が聖哉を心配している。
なにせ清十郎にとって聖哉は息子もしくは孫のような存在だ、口には出さないが今すぐにでも飛び出して彼の力になりたいと思っているだろう。
しかしそれは叶わない、大天狗という山の中でも重鎮に位置する立場もあるが……今回は状況が悪すぎる。
「聖哉を“忌み子”と嫌い、侮蔑している輩は存在している。
そんなあやつが山の外で問題を起こし未解決のまま山に戻ってきた、その事実は奴等を増長させる事に繋がってしまった」
「どう考えても聖哉1人に背負える相手ではないというのに……」
「しかし安易にわし達が力を貸せば奴等は納得せんだろう、じゃがこれは逆にチャンスでもある」
このまま聖哉が中心となり睦月を討伐できれば、汚名は瞬く間に名誉へと変化する。
そうなれば聖哉を疎ましく思う輩も納得せざるを得なくなるし、彼の山での立場も向上するだろう。
尤も聖哉1人では荷が重いのは重々承知している、だからこそ天魔は先程の会話で聖哉に
「それにしても、この件は八雲紫が処理するのではなかったのですか?」
「聖哉からはそう聞いていたが……紫のヤツ、しくじったな」
「……あの八雲紫ですら出し抜く相手、ですか」
ますます聖哉が心配になってきた、途端に弱々しい表情を浮かべる清十郎に天魔はため息を吐いた。
自分達にできる事など何もないのだ、黙って聖哉の無事を祈る以外には。
(聖哉、充分に気をつけろよ……?)
◆
誰にも見送られる事もなく、聖哉は山を出た。
必要最低限の準備だけを終えた彼は、早速睦月の居場所を見つける為に調査へと乗り出した。
せめて文達だけにでもとは思ったものの、「協力する」と言われてしまうのを避けるためにも誰にも告げずに山を出た方が良いと判断した結果だ。
(姫海棠様やにとりはもちろん、あの射命丸様もなんだかんだで優しい所もあるからな……)
だが天魔の指示で山の同士からの協力は仰げない、故に1人で行かなければ。
……組織の体裁というものがあるのだ、山の外の問題を山の天狗が総力を挙げて解決する事はできない。
まあ他にも嫌な思惑等もあるのだが、とにかく1人で解決しろというこの命令は聖哉にとっても都合の良いものでもあった。
(……これ以上、無駄に誰かが傷つく事もない)
睦月という存在は、躊躇い無く他者を傷つけその命を奪う悪鬼だ。
そんな奴を相手にする以上、関係ない他者を巻き込む事など聖哉は望まない。
だからたとえ天魔が「山の外の者と協力しろ」と望んでいたとしても、それに頷く事はできなかった。
(だが、まずは八雲様に今回の件を聞き出さなくては……)
奴の事は自分が処理すると、彼女は言った。
だというのに睦月は生きて自分の前に現れ、そればかりか椛を……。
この事は決して無視する事はできない、何故彼女は睦月を生かしたまま放置しているのかを問い質さなくては。
しかし紫の住む場所は“千里眼”を用いても特定する事はできない、里にでも言って油揚げを購入してから彼女の式を誘き寄せるか……。
「――おーい、聖哉ー?」
「っ」
突如として背後から声を掛けられ、身体を震わせながら聖哉は身体を振り向かせながら身構える。
……そんな彼を見て、きょとんとしているのはいつぞやの時にあった覚妖怪である……古明地こいし。
彼女だとわかり、聖哉は構えを解きつつ彼女へと問うた。
「……急に声を掛けないでくれ、こいし。それよりどうしたんだ?」
「ごめんねー。別に用事なんかないよ、ただ聖哉がこわい顔してたからどうしたのかなって思って」
言いながら、聖哉の顔真似なのかわざとらしく険しい表情を浮かべるこいし。
どうやら周りから見ても気を張っていたようだ、無理からぬ事だが少し落ち着かなければ。
「ありがとうこいし、落ち着いた。それより……地上の用事は済んだのか?」
「地上の用事? うーん……どうなんだろ、ふと気がつくと無意識で動いてるから用事があったのかも忘れちゃった」
「……そうか」
無意識で動く、常人でも時折そういった状態に陥るが彼女は常にそれが続く。
それがどれだけ異常なのか、聖哉には判断も付かないが……今の彼女の状態が長く続くのは決して良いものではないという事だけは理解できた。
かといって一度閉じた第三の目を再び開けばいいというわけではないだろう、そもそも覚妖怪の最大の特徴である第三の目を閉じるなどという行為は……自らの存在の否定に等しい。
自分自身を否定した彼女を元の覚妖怪に戻す、などという方法など皆目検討がつかなかった。
「聖哉は何してたの?」
「ん、ああ……少し、捜してる奴が居てな……」
簡潔に、聖哉は今までの経緯をこいしへと説明する。
話を聞いたこいしはというと。
「ほーん」
と、さしてどころかまったく興味のない反応を返してきた。
これには聖哉も苦笑を浮かべ、同時に少しだけ張り詰めていた身体から力が抜けるのを感じていた。
「というわけで、だ。俺は忙しい身の上でな、また会おうこいし」
目指すは人里、そこで絶品と評判の油揚げを買ってとある九尾様を誘き寄せなければ。
こいしの横を通り抜け、人里へと向かおうとする聖哉に――こいしは思い出したように。
「――その睦月って子、見た事あるかも」
里に向かう聖哉の動きを止めるだけの言葉を、口にした。
「えっ……」
「聖哉がそいつと戦ったって時と同じ日だと思うけど、地底に続く穴の中にその睦月って子と特徴が良く似てるのが入っていくのを見たの」
「地底って……旧都へか!?」
「そうかもね、まあ気がついたら全然違う場所に移動してたからその後どうなったのかわかんないけど」
「……」
思わぬ情報だ。
だが旧都へと向かったというこいしの言葉には、首を傾げたくなった。
何故睦月はわざわざ地底などに行ったのか、活動拠点であるのなら前に行った際に痕跡ぐらいは見つけられた筈だ。
しかしそんな事はなく、同時にその情報は無視する事などできなかった。
「こいし、それは妖怪の山の中にある大穴か?」
「んーん、違うよ」
「……案内できるか? もしお前が見たのが睦月だとするなら……さとり達が危険だ」
「お姉ちゃんが……」
さとりの名を聞き、こいしの深緑の目が揺れる。
先程までの他人事のような雰囲気は鳴りを潜め、心配そうに表情に不安の色を滲ませた。
「こいし、案内できるか?」
「う、うん……けど、私また無意識でどっか行っちゃうかも……」
「大丈夫だ。俺が常にお前を“千里眼”で視ている、それならたとえ能力を発動してもきっとお前の姿を捉えられる筈だ」
どういう事なのかは今も理解できないが、無意識の中で動くこいしを聖哉は普通に視る事ができる。
それならば彼女が無意識に行動したとしても、すぐに連れ戻す事ができるだろう。
「……わかった。お願いね?」
「任せろ」
妖力を目に送り“千里眼”を発動させる。
頷いて準備ができた事をこいしに伝えると、彼女は早速移動をし始めた。
やはり彼女もさとりの事が心配になったのか、移動速度は速く油断していると置いていかれそうだ。
(…………なんだ、この胸騒ぎは)
急がなければならない事態に陥っているかもしれない。
そんな根拠のない強迫観念じみたものが、聖哉の内で渦巻き始めていた……。
◆
深々と、蒼い炎が立ち込める。
地底の更に底にある世界、“地獄炉”はいまだかつてない熱気に包まれていた。
地獄の炎に慣れた者ですら、この中に居ればたちまち灰と化し炎に呑まれ消え去る。
そんな地獄以上の地獄の中で、睦月は平然と口元に歪んだ笑みを刻んだまま……ある一点を見つめていた。
彼女の視線の先に居る者は、ただじっと佇み内側にある“太陽の力”を己自身に蓄積させていく。
「――――もう少し、かな? 思ったより取り込むのに時間が掛かっちゃったなー」
誰に言うまでもなく呟き、睦月は大きく伸びをしてじっと“その時”を待つ。
その目には愛情を、その口には愉悦を、それぞれ込めながら慈しむような視線を目の前の彼女へと向ける。
出来の良い美術品を品定めするかのように、睦月は完成を今か今かと待ち続けていた。
「…………んん?」
と、睦月は地獄炉の上――正確には地底世界へと視線を向けた。
「地底の奴等とは違う気配……これは、人間ね」
はて、こんな辺鄙な場所に人間が来るとは……訝しげな顔になりながらも、睦月は何をするでもなく視線を元に戻す。
今の睦月にとってどんな物事も瑣末なもの、上で何が起ころうがどうでもいい事だった。
「ねえ、テメエもそう思うだろう? ――お・く・うちゃん?」
「……」
蒼い炎の包まれた少女、霊鳥路空は瞳を閉じたまま何も答えない。
そればかりか何の反応も示さず、ただ死んだように眠り続ける。
そして、彼女が目覚める時。
それはこの地底世界、否、地上全てを焼き尽くす地獄の太陽が生まれ出る事を意味していた……。