狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
妖怪の山の麓に近い小川、河童達の住む“玄武の沢”に比較的近いこの場所にて、釣りを興じる1人の白狼天狗。
他の白狼とは違い、その髪と尻尾は漆黒のように黒いその青年――犬渡聖哉は、胡座をかきながらただジッと釣り針を見ながら時間を潰していた。
「…………おっ」
釣竿に僅かな反応、それを逃さず聖哉は片手で一気に引っ張りまた一匹釣り上げた。
釣った魚は鮭、小ぶりではあるが酒の肴にはちょうどいいと僅かに口角を吊り上げつつ持ってきた籠の中に魚を放り込む。
既に五匹、1人で食べるには些か量が多いものの聖哉は釣りを止めようとはしない。
今日の仕事はもう終わっているし、急いで寝床に戻った所でやるべき事など何もないのだ。
それに……今の聖哉は少しばかり現実逃避がしたかったので、無心のまま釣りを続けていた。
ああ、このまま時が過ぎ去ってくれればいいのに、正確には3日ぐらい。
そんなできもしない願いを頭の片隅で考えつつ、聖哉は来訪者の気配に気づきピクリとその耳を動かした。
「はたて様、ですか?」
「相変わらず“千里眼”って凄いわね、見なくてもわかるんだから」
風が吹くと同時に、聖哉の目の前にふわふわと飛びながら現れる鴉天狗。
名を
白狼天狗である聖哉にとって上の存在であるはたてを前にし、彼は畏まった姿勢で一礼する。
「そんな畏まらなくてもいいってば、椛だってもう少しくだけた態度を見せてくれるのよ?」
「私は“中途半端”な白狼天狗です。そんな私が鴉天狗であるはたて様に対しそのような態度を取れば、はたて様にも心無い中傷を放つ愚か者が現れかねませんので」
「……そんなの気にしないわよ、アンタだって気にしないでしょ? 次言ったら怒るからね?」
「…………すみません」
割と本気で睨まれ、その迫力に聖哉はおもわず謝ってしまった。
彼女もまた“中途半端”と称される聖哉を友人だと思ってくれている、自分よりも下である白狼天狗をだ。
それが彼にとって少し申し訳なく思い、けれどそれ以上に嬉しかった。
「そんな事より聖哉、聞いたわよ……天魔様とのこと」
「……はたて様、犬渡聖哉は最期まで立派だったと
「いや、そんな縁起でもない事言わないでよ……アンタの追悼記事なんて書きたくないんだけど」
「天魔様の相手をさせられる、それだけで縁起も何もないと思いませんか?」
濁った目でそんな事を言ってくる聖哉に、はたては何も言えなくなってしまった。
まあ彼の気持ちは痛いほどわかる、前に天魔が大天狗を相手に身体を全力で動かした結果……危うく山が更地になる所だったのだから。
あの時は天狗全員が出動し結界を展開した事でどうにかこうにか山が無くなる事態に陥る事はなかったものの、あれを思い出すと今でもはたての身体は恐怖で震えてしまう。
「というかなんで知っているんですか? その話をしたのは昨日なのですが……」
「今朝方大天狗様から連絡が来たのよ、きっと今日中には他の天狗にも連絡が行くと思うわ」
「……椛に心配されるな、これは」
できればギリギリまで内密にしてほしかったものだ、椛は少しばかり自分に対して心配性すぎるから間違いなく問い質される。
彼女に心配されるのは色々と困るのだ、あの上目遣いからの不満そうな顔のコンボは精神的にダメージを負う。
「まあしょうがないわよ、あの子アンタに懐いてるし。一応師弟関係なんでしょ?」
「確かに椛が正式に哨戒任務に就く前に剣の手ほどきはしましたけど、そんな大層なものではありませんよ?」
「あの子にとってはそれで充分懐く理由になるって事よ、諦めて心配されなさいって」
「心配されるのが嫌というわけではないのですけどね……」
ただ、申し訳なく思うのだ。
出生や周囲とは違う見た目、幼年期の経験から聖哉はどうしても気心の知れた相手に心配される事に罪悪感を覚えてしまう。
二百年近く生きてそれなりの経験を積んできたつもりではあったが、どうしてもその点だけは直せないでいた。
「あ、釣れてるわよ?」
「っと……」
はたてに指摘され、釣竿を引き上げる聖哉。
連れた魚はイワナ、その後更に三匹釣り上げ、聖哉は釣りを止め立ち上がった。
「はたて様、今夜みんなで呑みませんか? にとりと椛を誘うつもりなのですが」
「いいわねそれ。じゃあわたしは文を誘っておくわね」
「…………」
「……そんな露骨に嫌な顔しなくてもいいじゃない、椛もそうだけど聖哉って文のこと嫌いなの?」
「そんなわけないじゃないですか。射命丸様は記者として素晴らしい才能を持っていらっしゃいますし、個々の実力もあれば大天狗様や天魔様から一目置かれている存在ですよ?
そのような御方を嫌うなんてありえません、まあ好いているわけでもないですけど」
「…………あの子の前では今の発言はしないであげてね? ああ見えてメンタル弱い所があるから」
あまりにもはっきりきっかり言うものだから、全力でフォローにまわるはたて。
だがまあ、好かれないものしょうがないかなーともはたては思った。
記者という立場も原因の1つではあるが、何よりも射命丸文という鴉天狗は悪い意味で底が知れないのだ。例としてはどこぞのスキマ妖怪のように。
そんな彼女でも良い面はある…………筈だと信じているからこそ、はたては彼女を親友だと思って……いる筈なのである。
「冗談ですよ。射命丸様にはよくしてもらっていますから、まあその数倍は色々利用されていますけどね。
はたて様、お手数ですが射命丸様へのお誘いはお願い致します」
「あ、うん……任せて」
これからは少し、文には釘を刺しておいた方がいいかもしれない。
聖哉の暗い瞳を見て、はたてはそう思ったとかなんとか。
◆
「かんぱ~い!!」
森の中にある聖哉が住む洞穴、そのすぐ傍にある開けた場所で小さな宴会が開かれた。
聖哉と椛、はたてと文の天狗組と、彼等の友人である河童の少女、
……しかし、その中で聖哉だけはどことなく元気がない。
「どうしたんですか聖哉さん、せっかくの呑み会なんですからもっと楽しまないと!!」
「それはそうなのですが……射命丸様がいらっしゃると、つい身構えてしまって……」
「あれ? 聖哉さんなんだか辛辣じゃないですか?」
「射命丸様と同じ酒の席に居ると、30年前に天魔様に飲み比べを提案するだけして私を生贄にした時の事を思い出してしまいますから」
「あの時は大変でしたね」
「…………」
これである、30年前とまったく変わらない受け答えに眩暈がした。
まあ彼女は死ぬまでこういう面を直さないだろうから、聖哉達はもう半ば諦めているのだが。
「でも聖哉、元気ないのはそれだけじゃないでしょ?」
「……わかってるなら言うなよ忘れようとしてたんだから、それともお前が代わりに相手してくれるか?」
「いや無理だから! 河童である私に天魔様の相手をさせるとか鬼畜でしょ!?」
左右に二つに束ねた水色の髪をブンブンと横に振りながら、聖哉の言葉に拒否を示すにとり。
もちろん冗談である、とはいえ三割程は本気だったりするのだが。
「安心してください聖哉さん、『犬渡聖哉は最期まで勇敢だった』と文々。新聞の追悼記事には記載しておきますから」
「安心という言葉を一度辞書で引いてください射命丸様。……はたて様、私に何かあったら射命丸様を止めるのはお願い致します」
「OK、任された」
「ちょ、なんでそんな事言うんですか!?」
「射命丸様に記事を書かれたくないからです、言わないとわかりませんか?」
「ガーン!? うわ~ん、椛~、2人が苛めます~!!」
嘘泣きをしながら、椛に縋るように抱きつく文。
しかし、対する彼女の瞳は絶対零度の冷たさを孕んでおり。
「先輩の迷惑になるような事しないでください、斬りますよ?」
「私に味方はいないんですか!?」
大袈裟にショックを受ける文、当然ながらそれに同情する者はいない。
ただ、文は文なりに天魔との決闘に向けて気分が沈んでいる聖哉を励ましている……筈である。
「でもさ、聖哉としてはどうなの? 天魔様に勝つ自信はある?」
「あるわけねえだろ、あんな自然災害の権化みたいな存在に」
本気を出されたら一秒も経たずに消滅する、鬼と同等の実力は伊達ではないのだ。
相手が手加減してこちらが殺す気で戦う、それでようやくかろうじて拮抗するといった所か。
「そうかなー、私としては結構いい勝負できると思うんだけど」
「嬉しくない高評価ありがとうにとり、勘弁してくれ」
「……でも、本当に天魔様と戦わないといけないんですか? いくら先輩でも……」
「大丈夫だって、あくまで模擬戦だし大天狗様達がめちゃくちゃ手加減するように説得してくれている……筈だから」
まあ、それでも命の危機がなくなったわけではない。
渋った所で逃げられはしないし、今の自分にできる事は五体満足で天魔が満足するように祈ることだけだ。
……諦めただけだろ、とは言ってはいけない。
「でも天魔様も相変わらずよねー、いつもはこんな事言わないのに数百年に一度思い出したかのように無茶苦茶するから」
「大妖怪に分類される存在は大体がそういったものですからね」
「射命丸様とかが良い例ですね」
「……聖哉さん、天魔様との事があるとはいえちょっとやさぐれ過ぎじゃありませんかね?」
ちょくちょく毒を吐かれ、文の心はちょっぴり傷ついた。
ただ彼の気持ちはよく判る、文とて天魔やかつて山に居た鬼達の無茶振りに巻き込まれたことがあるからだ。
「先輩、私も……」
「駄目だ椛、向こうの指定は俺だけだからな。それに椛に何かあったら生き残っても俺が周りに殺される」
彼女の人気を考えると、決して大袈裟な話ではない。
なによりもだ、こんな苦労を椛にやらせる必要などないという考えが、彼女の言葉を却下させた。
「とにかくこの話はここまでだ。せっかく呑んでるんだから今はそれだけを楽しもうぜ?」
「…………はい、わかりました」
「椛は本当に忠犬ですよね~」
「誰が犬ですか!!」
「おお、こわいこわい」
くってかかる椛にも文は余裕の表情を崩さず、楽しげに逃げ出し始める。
それを怒った顔で追いかける椛、割とよくある光景なので他の者は止めたりしない。
「聖哉、頑張ってね? 応援してるから」
「サンキュー、にとり」
「でも聖哉が天魔様に勝ったらそれはそれで凄い事よね、アンタをバカにしてる奴等を見返せるじゃない」
「そんなものに興味はありませんよ姫海棠様、俺が“中途半端”なのは変えようのない事実なのですから。だったらそれを認めて自分にすべきことをするだけです」
まったくそういった考えがないといえば嘘になる、だが聖哉にはそんなもの必要ない。
何故ならこうして自分を友だと認めてくれる者達が居る、ただそれだけで聖哉は満足だった。
逃げる文と追いかける椛が少々騒がしいが、聖哉の気分は安らいだものになっていた。
良い気分のまま酒を飲む、辛口の液体が喉を通りピリピリとした感触におもわずほっと息をつく。
本当に良い気分だ、これなら心身ともに万全な状態で天魔に挑むことができるだろう。
「…………ん?」
顔を上げ、聖哉は空を見上げた。
秋に差し掛かった夜空は、いつもよりも星が輝きを見せている。
そんな空を見て、聖哉は僅かな違和感を覚えていた。
(……気のせいか? 今、風の流れが……)
鴉天狗の血を引いている故に、彼もまた“風”を操り流れを感じ取る能力がある。
つい先程まではいつもと変わらぬ山の風だったのだが、一瞬とはいえ僅かに流れが変わったのを彼は感じ取っていた。
本当に僅かな、鴉天狗であっても気のせいだと思える程に短い時間ではあったが、“別の土地”の風が吹いたのだ。
「聖哉、どうかしたの?」
「……いえ、なんでもありませんよ姫海棠様」
純粋な鴉天狗であるはたては、何も感じていない様子だ。
ならば今のも自分の気のせいだろう、そう自己満足させて聖哉は再び輪の中へと戻っていった。
――数日後、それが気のせいではない事を思い知ることも知らずに。
◆
妖怪の山の
壁により円形に囲まれたそこは、定期的に白狼天狗達が山の平和を守るために鍛錬に励んでいた。
しかし今日の空気はいつものものとは違っており、どことなくピリピリと空気が震える緊張感に包まれている。
「犬渡、準備はよいか?」
「はい、大天狗様。ですが天魔様がいらっしゃらないようですが……」
周囲を見渡しても、この戦いを観戦する為に集まった天狗達しかおらず、天魔の姿は見られない。
しかし、訓練所を包むような風が吹いたと場の居る全員が肌で感じ取った瞬間。
「――待たせたか?」
聖哉の前に、天狗衣装に身を包んだ黒髪の美女が不敵な笑みを浮かべながら姿を現した。
若々しく比較的小柄な身体を持ちながらも、そこらの妖怪をかき集めたところで比にならない程に膨大な妖力をその身体から溢れ出さしている。
背中に鴉天狗以上に立派で大きな漆黒の翼を生やすこの女性こそ、この妖怪の山を統べる天狗の長――天魔であった。
「…………」
声を掛けられるまで、気配をまったく感じなかった。
その理由は簡単だ、天魔はただの一瞬で山の頂上付近にある自らの屋敷からここまで移動してきたのだ。
あの文すらも上回る速度、そして身に纏う妖力の強大さに、対峙するだけで聖哉から戦意を奪っていく。
「久しぶりじゃな聖哉、30年振りか? 今回はわしの我儘に付きおうてくれて感謝しているぞ?」
「……こちらこそ、私如きを指名してくださり身に余る光栄にございます」
息が詰まる、上手く動かせぬ舌でどうにかその言葉だけを口にする聖哉。
そんな彼を見て、天魔は僅かに眉を潜めた。
彼の態度が不満だと言わんばかりのその表情のまま、天魔は咎めるような口調でこう言い放った。
「わしは腰の低い駄犬など必要ない。……聖哉、その意味がわかるか?」
「…………」
戦うのなら、そのような態度を見せるのはやめろ。
こちらを殺すつもりでかかってこいと、天魔の赤い瞳はそう告げていた。
戦うのならば、剣を持つ戦士ならばそれくらいの気概を見せろと言われ……聖哉は目を閉じ大きく深呼吸を繰り返す。
「先輩……」
離れた場所からでもわかる天魔のプレッシャーに、椛の表情が曇っていく。
それと同時に大人げない天魔の姿に、無礼だと理解しつつも怒りを感じずにはいられなかった。
「椛ー、恐い顔になってますよ?」
「……文様、はたてさん」
「うわ、天魔様ってば凄い愉しそう……あの笑みを見せるって事は、ちょっとやばいわね」
本当に大人げない方だ、今の天魔は聖哉の事を部下である白狼天狗ではなく……単なる獲物としか見ていない。
どうして妖怪の山の大妖怪と呼ばれる存在は、どいつもこいつもバトルジャンキーなのか。
「さて……では聖哉、覚悟はできたか?」
腰に差している刀を抜き、切っ先を彼に向けながらそう言い放つ天魔。
一方、聖哉はまだ深呼吸を繰り返しており……やがて、一際大きく息を吐いてからゆっくりとした動作で背中の剣へと手を伸ばす。
そして瞬時に抜き取り、大きく縦に振るうと同時に突風が天魔の頬を撫でた。
「……そうでなくてはな」
大剣を構える聖哉の目は、既に戦う戦士のものに変わっていた。
いや、戦士というよりも狩人と言った方が正しいか。
先程の自分の言葉を理解し、全力で戦う意志を見せられ天魔の口元には先程以上の笑みが浮かぶ。
「天魔様、くれぐれもやりすぎぬようにお願いします……」
「わかっておるよ大天狗、じゃが……戦いが始まれば、どうなるかはわしにもわからぬなあっ!!」
天魔が叫んだと聖哉が認識した時には、既に彼女は一息で彼との間合いをゼロに縮めていた。
咄嗟に聖哉は大剣を動かし、横薙ぎの一撃を受け止める。
「っ……」
瞬間、両腕が吹き飛んでしまったと錯覚するほどの衝撃が聖哉に襲い掛かった。
「ぐ、くっ……」
「ほう、よく防いだな。まあ……先程の一撃で終わってしまえば期待外れじゃ」
「……もう少し、加減していただけませんか?」
「これでも二割程度じゃぞ?」
「っ、本当に怪物なのです……ねっ!!」
力任せに押し返し、一度距離を離す。
互いの距離は六メートルほどまで離れたが、相手からすれば一息も掛からずに踏み込まれるだろう。
……両手も痺れてしまっている、小柄な身体からは考えられない馬鹿力だ。
「ほれ、次はお前の番じゃ。打ち込んでこい」
「…………」
剣を構え直す聖哉。
刀を肩で担ぐ天魔の姿は、一見すると隙だらけだ。
だが打ち込めない、どう踏み込んでも一刀の元に斬り伏せられる未来しか見えない。
「……ふぅぅぅぅぅぅ」
呑まれそうになる自分を鼓舞し、剣を持つ手に力を込める。
負ける未来など考えるな、気持ちで負ければそれで終わるのだから。
思考を切り替え、改めてこちらを見やる聖哉に天魔は挑発するように口元を吊り上げ。
「来い聖哉、お前の力を見せてみろ」
静かに、彼を迎え入れた。
【キャラ紹介】
・姫海棠はたて
文の同期で直属ではないものの聖哉の上司。
下の立場である白狼天狗にも気さくで優しいので、聖哉はぶっちゃけ文より尊敬していたりする。
文とはライバルで友人同士。
・河城にとり
河童の少女、聖哉と椛の友人。
普段は椛と同じように将棋を打ち合ったりする間柄で、それとは別に彼女の発明品の実験台……もとい、テスターを引き受けたりしている。
・天魔
天狗の長、山で一番偉い大妖怪。本名は沙耶。
この作品では実力的に山の四天王と同等、でも思考回路はバトルマニアで突拍子もない事を発言しては部下の胃にダイレクトアタックをしてくる困った御方。