狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
――熱い。
身体が、心が、魂が燃えていく。
じくじく、じくじく、少しずつ、確実に。
圧倒的なまでの不快感、けれどそこから逃れる術はない。
既にこの熱は自身に纏わりつき決して離れようとはしない、もがいてももがいても徒労に終わるだけ。
――
それだけならまだ耐えられたかもしれない。
けど駄目だ、何より聖哉を苦しめるのはこの熱ではなく……喪失感なのだから。
本来在るべきモノが無い、なくてはならないものが消え去っている。
それは想像以上の喪失感を彼に与え、その苦しみは到底耐えられるものではなかった。
――
肉体より先に精神が死ぬ、いやもしかしたらもうとっくに死んでいるのかもしれない。
じくじく、じくじく、熱もまた激しさを増していく。
一体いつまで続くのか、終わりのない地獄から抜け出したいと願う事しか出来なくなった聖哉の頭に――何かが入り込んできた。姿は…………見えない。
「派手にやられたな」
それは誰かの声、どこかで聞いた事があるようで聞き覚えのない声だった。
その声はこちらを見つめ、何が愉しいのかくつくつと笑っている。
「助けてやってもいいが、今のお前がオレを外に出したら保たねえからな……自力でなんとかしろや」
よくわからない事を、言っている。
だがその声は妙に頭へと響き、すとんと当たり前のように入ってきた。
「オラ、死にたくねえならさっさと起きな。全部手遅れになっちまうぞ?」
(…………うる、さい)
簡単に言ってくれる、こっちはもう限界だっていうのに。
もう楽になりたい、この熱と喪失感から逃れられるのなら意識を手放しても惜しくはない。
そう思っているのにそれができない、この声が邪魔をしているのか……それとも。
「……しょうがねえヤツだ、まあその身体じゃさすがに限界値が低くても仕方がねえ」
(黙れ……)
「聞こえねえなあ? お前本当に駄犬なのか?」
(煩い、もう喋るな……)
「ならさっさと目を醒ませよ、駄犬様?」
(っ、黙れと……)
「――言っているだろう!!」
あらん限りの声を張り上げる。
しかし視界の先には誰もおらず、見慣れぬ天井が聖哉の瞳に映った。
「あ……えっと……」
「?」
身体は動かさず、首だけを横に向ける。
二又に分かれた尻尾と頭部に生えた猫の耳、化け猫に分類される少女が聖哉を驚いた表情で見つめている。
「……橙、か?」
その少女は聖哉の知り合いであった、妖怪の山の奥に存在する『マヨヒガ』の中で暮らす化け猫、橙だ。
八雲紫の式である九尾の狐、八雲藍の式である彼女は、聖哉の呟きにこくこくと頷きを返しながら彼に近づき、少しだけおどおどしつつ聖哉の額に乗せられていた濡れタオルを手に取った。
傍らに置いてある水が入った桶にタオルを入れ、よく絞ってから再び彼の額へと乗せる橙。
「……ありがとう」
熱が篭る身体を冷ます冷たさが心地良い、礼を言う聖哉に橙はにっこりと微笑みを返した。
どうやら彼女が驚いたのは眠っていた自分が急に叫んだからのようだ、それに対してきちんと謝罪の言葉を述べてから、聖哉は橙へと問うた。
「橙、ここはマヨヒガか?」
「い、いえ……ここは紫様のお屋敷の中です」
「八雲様の……」
成る程、見慣れないわけだと聖哉はぼんやりと考える。
……身体が熱い、常に高熱を発しているかのような今の状態に、上手く頭が働かない。
そもそも自分は何故八雲屋敷で寝ているのか、それを思い返そうとして。
――左半身に、巨大な刃物で刺されたような痛みと不快感に襲われた。
「っ、あ、ぐ……っ!?」
「聖哉さん!?」
咄嗟に右腕で左腕を庇おうと手を伸ばす。
しかし掻き毟らん勢いで動かしている右腕は、いつまで経っても掴める筈の左腕に触れられなかった。
自身に襲う異常に抗おうと激しく暴れる聖哉に、橙はどうすればいいのか判らず困惑する事しかできない。
「――落ち着け。精神を集中させろ」
そんな彼の暴れる右腕をあっさりと掴み、上記の言葉を放つのは、紫の式である藍であった。どうやら自身の式の困惑した声を聴き取ったようだ。
……その声をかろうじて聞き入れる事ができた聖哉は、その苦しみから逃れたい一心で懸命に精神を落ち着かせようと目を閉じる。
度重なる鍛錬によって培った精神統一の状態へと持っていき、玉のような汗を全身から流しつつ彼は呼吸を整えていく。
「そうだ。そのまま続けろ」
「はぁ、あ、ぁ……」
少しずつ、本当に少しずつ荒い呼吸を正していく。
ただそれだけを考え、余計な感情は抱かずやがて聖哉の動きは小さくなっていった。
「は……はぁ、はぁ……」
「よし、いいぞ。それでいい」
「ぁ……ありがとう、ございます。九尾様」
まだ呼吸は荒く不快感は消えないものの、大分楽になった。
落ち着かせてくれた藍に聖哉は感謝の言葉を送り、そんな彼に彼女は「気にするな」と返す。
「お前の事は紫様から頼まれている、感謝される謂われはないよ」
「そう、ですか……」
何故だろうか、気のせいかもしれないが彼女の言葉の中には“固さ”があった。
友好的に接する気はなく、あくまで事務的に接しようとするその態度に若干の違和感を覚える聖哉。
数える程でしかないが彼女とも何度か出会い話をした事はある、仲の良い友人などとおこがましい事を言うつもりはないが、それでも最低限の関係は築けている筈だ。
(射命丸様経緯で、何かしてしまったのだろうか……それとも、俺自身が九尾様に対して何か落ち度があったのか……)
記憶を思い返すが、そんな事はなかった筈だ。
ではやはり射命丸文が藍に何か失礼を働き、彼女の知り合いである自分に対して固い態度をとっているのかもしれない。
うんそうだきっとそうだ、勝手にそう決め付け文に対し恨み言を込めるという余裕ができたおかげか、聖哉は自身が拘束されている事に気がついた。
「むっ……?」
動かせる右腕で布団を払いのける。
……何だコレは、今の自分の服装に聖哉は首を傾げた。
ゆったりと、というよりもだぼだぼの病人服に身を包み、左半身は何かの札でびっしりと固定されている。
そのせいなのか左半身の感覚がない、だが不快感だけはあるので正直不気味だ。
「……九尾様、これは」
「驚くのも無理はないな。少し待っていろ」
一枚一枚丁寧に札を取っていく藍。
彼女曰くこの札は治癒能力が付与された札らしいが、百を超える程の数の札を貼らないといけない程の重傷なのか。
……どうも意識が無くなる前後の記憶が曖昧になってしまっている、そもそも今の聖哉は自分が何故ここに居るのか把握できてはおらず。
「気をしっかり持てよ?」
「えっ……」
札を全て剥がし、半身全てを覆う包帯を外してもらい。
「な――」
聖哉は自らの異常を、そして同時に何が起きたのかを思い出した。
「っ……」
橙の息を呑む音が嫌に響く。
だが無理もあるまい、何故なら包帯の下……つまり聖哉の左半身は今、殆ど存在していないのだから。
正確には左腕と左足が、根元付近から完全に無くなっている。
その異常、在って当たり前のモノが無いという事実に聖哉の思考が停止する。
「……見ての通りだ。事の経緯は思い出せるか?」
「……」
藍の言葉に、無言で頷く事しかできない。
呼吸が乱れる、しかし不思議とそれ以上の混乱は彼の中で生まれなかった。
決して強がりなどではない、多少の困惑はあるものの聖哉はすぐに思考を切り替える。
「九尾様、私がここに居るという事は八雲様に助けられたという事、地底は今どうなっているのですか?」
「えっ……? あ、ああ……とりあえず怪我人は竹林の医者の元へと連れて行ったそうだ、鬼以外は酷い火傷を負ったが命に別状は無いらしい」
「……そう、ですか」
その言葉に、一端安堵のため息が聖哉の口から零れた。
だが。
「地獄鴉、たしか名は……霊鳥路空といったか? あやつは依然として行方が知れんそうだ」
「……」
「睦月という妖怪は紫様が始末したそうだが……紫様曰く、本当に消滅できたかは判らないらしい」
何せ能力を用いての消滅ですら、生き延びたのだ。
肉片1つ残らず消し飛ばしたとしても、本当に始末できたのかは確信が持てないとは藍の主の言葉である。
あのような主の姿を見たのは初めてだった、それだけ睦月の異常性を示しているという事なのか……。
「さとり達は、無事なんですね……?」
「ああ、肉体はな」
だが精神の方はどうなのか……ペットであり家族でもあるお空によってさとり達は命を奪われかけた。
仮に操られているとしても、その精神的ダメージは計り知れないものだ。
ただでさえ妖怪は精神に依存する生物だ、暫くまともでは居られないかもしれない。
「そんな事よりもだ、お前は今の自分の状況が知りたくないのか?」
「……見れば判りますよそれくらい、しかし……本当に派手にやられたもんだ」
改めて見ても、そこには在る筈の腕と足は存在していない。
永い年月を生き自らの妖力を精錬している大妖怪ならば四肢の欠損程度ならば再生できるかもしれないが、聖哉はまだ二百年程度しか生きていない白狼天狗だ。
身体が元に戻る可能性は絶望的だろう、少なくともあと数百年はこのままだ。
(椛が見たら、卒倒するかもな……)
悩みの種が1つ増えてしまった、だがそんな事よりも……やらなくてはならない事がある。
「九尾様、橙、本当にありがとうございました。――俺、行かないと」
「い、行くって……そんな身体で何をするつもりなんですか!?」
「睦月を捜す。そしてお空を助ける」
その為にも、こうしてのんびりと寝ている場合ではない。
起き上がる聖哉に、しかし藍は自らの尻尾を使って彼の身体を地面に押し付ける。
「馬鹿な真似はよせ、今のお前に一体何ができる? 足手纏いにしかならん」
「……」
「紫様が居なければ今頃お前は灰1つ残さず消滅していた、私が妖力を送らなければ目を醒ますことすら出来なかった。
――確かにお前には伸び代がある、それは認めよう。だがこの私にすら劣るお前など邪魔にしかならん」
厳しく冷たい口調で、藍は現実を聖哉へと突きつける。
反論などできるわけがない、できないが……感情が納得などしてくれなかった。
椛を傷つけた睦月の事は許せないし、あのお空をこのままにしておくわけにはいかない。
「既に霊夢と紫様が動いている、お前にできる事など何もない」
「っ」
「わかったら今はおとなしくしていろ、直にこの異変は終わる。――橙、私はこれから紫様の所に行かなければならない。留守番とコイツの面倒は頼んだぞ?」
「わ、わかりました藍様!!」
頼んだぞ、もう一度橙にそう言って藍は紫の元へと繋がっているスキマを開く。
……入る前に聖哉へと視線を向ける。
顔を俯か表情は見えないが、先程の藍の言葉に納得していないといった様子だ。
しかし勝手な行動をしてもらっては困る、所詮白狼天狗……単純な実力はこの幻想郷でも下から数えた方が早い。
(紫様も何故この男に執着するのか……あと数百年もすれば確かに白狼天狗にしては成長するが……そこまででしかない)
あくまで白狼天狗としては抜きん出た実力者になるが、それ以上の壁は超えられない。
そんな程度だ、かといって戦闘能力以外の分野ではそれ以下でしかない彼をあの紫は執着している。
それが藍には理解できず……同時に、酷く不愉快なものであった。
(っ、いかんな……私ともあろうものが見苦しい)
自らに生まれた醜い嫉妬心に恥じながら、今度こそ藍はスキマに入り込み……消えた。
部屋に残されたのは項垂れた聖哉と、そんな彼を心配そうに見つめる橙のみ。
(き、気まずいです……)
橙が悪いわけではないが、先程のやりとりによって場はギスギスした空気に包まれてしまっている。
このまま黙って部屋を去るのが一番橙にとって心労が重ならない選択だが、かといって今の彼を放っておくのは躊躇われる。
――橙は聖哉とは友人関係になって長い。
彼女が普段過ごす“マヨヒガ”にはいずれ部下にしようと目論んでいる猫達が暮らしている。
その仔達の日頃の食糧を調達しているのは橙であり、聖哉にはそれを何度か手伝ってもらったり彼からお裾分けとして保存食を譲ってもらった事もあった。
橙は彼を友達だと思っているし、同時に聖哉も橙を友人だと認識している。
だからこそ今の彼の力になってあげたい、そう思う橙だが掛ける言葉が見つからず沈黙が続く……が。
「――あー、くそぉっ!!」
「ひゃあっ!?」
突然顔を上げて叫び声を上げるものだから、橙は驚いてその場でひっくり返ってしまった。
そんな彼女の様子にはまったく気づかず、聖哉は先程の藍の言葉を思い返しながら拳を握り締める。
『足手纏いにしかならん』
(……そうだ。今の俺なんかじゃ何もできない)
全快の状態でもお空の一撃で戦闘不能に陥った、ましてや今は左腕と左足がない状態だ。
戦う事はおろか日常生活にも支障が及ぶこの身体で、一体何ができるというのか。
(付け焼刃な能力を身につけようとしても無駄だな)
単純な能力が足りないのなら別の能力を付け足す、という方法は決して間違いではないがそれには膨大な時間を有する。
だったら今の自分の能力を底上げする事に専念した方がまだ効率的だ、戦力になれずとも足手纏いにならない程度のレベルに達しなければどうしようもない。
何よりも……聖哉自身、この件から身を引くつもりなど毛頭なかった。
(絶対にアイツをぶん殴る、そうじゃなきゃ俺の気が済まない)
もうこれは意地だ、山の天狗してとかそういったものはもうとっくに度外視している。
犬渡聖哉という一個人として、あの睦月という女に引導を渡さなければ。
「よしっ、それじゃあ早速…………って、なんでひっくり返ってるんだ? 橙」
「……自分の胸に聞いてください」
「?」
何故か橙に睨まれてしまった、首を傾げる聖哉だったがまあいいかとすぐに思考を切り替える。
「橙、悪いが暫く静かにしててくれるか?」
「えっ?」
「ただ休んでるなんてできないからな。――俺は降りるつもりなんてないんだ」
そう言って聖哉は立ち上がる、残る右足だけで器用に立ち……そのまま目を閉じた。
同時に彼は己の妖力を無造作に放出する、何か術を使うわけでも自らの身体に付与するでもなく垂れ流すように消費させていく。
「……」
それが何を意味するのか、橙は知っていた。
あれは妖力の絶対量を増やす為の鍛錬の一種、自分の中に在る妖力を放ち続けわざとギリギリの値まで消費し続ける。
……霊力や妖力といったものは、基本的に年月と共に増加する。
それとは別に消費すればする程にその絶対量も増えていく、故に戦いばかりに明け暮れる武道派な人間や妖怪にはその絶対量が膨大な者が多い。
当然力を放出し続け肉体に負荷が掛からないわけではない、これは自らを痛めつけ強引に強化してるに等しいやり方だからだ。
しかし同時に“強くなる”という点においては一番安全で一番近道でもある、いつ相手が動き出すか判らない今の状況では最適な修行である。
だが。
今の橙には、そんな事はどうだってよかった。
(な、に……これ!?)
聖哉の身体から放たれてるモノ、妖力とは違う“ソレ”にだけ意識を奪われていた。
彼は気づいているのだろうか、自分の身体から溢れ出している“力”に。
そう――力だ。力そのものとしか表現のしようのないものが絶えず彼の身体から溢れ続けている。
量でいえば決して多くない、割合で言えば精々二割程度。
だがその少ない割合だけで……残り八割の妖力を遥かに超えた力の質を橙は肌で感じ取っていた。
桁が違う、今の時点で聖哉はもう白狼天狗という種族の壁を完璧に超えてしまっている。
(でも、どうして? こんな急に……)
成長するなどありえない、そんな都合の良い話など存在しない。
橙にとって聖哉は“強者”だ、それでも自身の主人である藍やその上に居る紫には遠く及ばないと思っている。
だが今の彼は力だけでいえば藍に届きうる、だからこそ不可解であった。
しかし、決して彼の急激な力の上昇に理由が見つからないというわけではない。
橙とてあの藍から常にではないが教えを乞う時がある、その中で彼女は主人にある問いかけをした。
『どうしたら、藍様や紫様のように強くなれるんですか?』
自身にとって雲の上の存在、だからこそ一刻も早く近づきたくて橙は近道を得たかった故の問い。
その時の藍の答えは、「決して焦るな」というものであった。
近道などない、自分とて永い年月を掛けて九尾となり今の力を得たのだからと告げられ、近道がない事に落胆した。
――しかし、橙の主人は同時にこうも言ったのだ。
『自分以外のモノを付与する、要するに自分以外の存在を体内に取り込み自らの力に変える事ができれば……その分は当然強化される』と。
その言葉を思い出し、同時に橙は理解する。
……彼の中には、彼ではないナニカが存在している。
それこそがこの異質な力の正体、理由はわからないがソレが今目覚めたのだ。
正体など掴めぬ、しかしまだ若く未熟な橙ですら“呼び起こしてはならない”と理解できる危険な存在。
しかし橙には止める事などできず、ただ茫然と聖哉を見つめる事しかできなかった……。
【――まずは第一段階突破だ。早く表に出てえなァ】