狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~   作:カオ宮大好き

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~黒き白狼の幻想の日々~
第29話 人里~阿求と聖哉~


 鋼の音が、場に響く。

 妖怪の山の中腹付近、そこにある白狼天狗の隊舎にて、厳しい訓練が行われていた。

 ちょっとしたグラウンド程度の敷地の中で、別の白狼天狗達に囲まれながら戦うのは……聖哉と、まだ見た目も実際の年齢も少年である若き白狼天狗。

 

「せい、やあっ!!」

 

 支給される白狼天狗の太刀を懸命に振るうその姿は、まだまだ剣を扱うというよりも剣に扱われているといった方が正しくどこかぎこちない。

 しかしそれでも人間に例えれば並以上の力量であるその斬撃を、聖哉は()()()で真っ向から受け止め、弾き、いなしていた。

 決して相手を見下しているわけではない、そもそも如何な妖怪の頑丈な身体とて白狼天狗の太刀による一撃を受ければ傷はつく上にこのような真似をすれば斬り飛ばされる。

 

 だが彼の指は斬り飛ばされるばかりか傷一つ付いていない、その理由は彼が特別頑丈だから……というわけではなく、指二本にあの黒いオーラを纏わせているからだ。

 若い白狼天狗の訓練を手伝いつつ、自らもこの力に慣れる為の訓練をこなす。

 これならば互いの鍛錬に繋がる、そもそも今の聖哉は力が上がり過ぎているためにこうでもしないと部下達の訓練相手にはなれないのだ。

 

「く、やあああっ!!」

 

 自分の攻撃がまるで通用しない焦りからか、ひと際大きな気合の声を上げながら白狼天狗の少年は間合いを詰めてきた。

 下段からの斬り上げ、掬い上げるような一撃を聖哉は身を捻って躱す。

 力を込め過ぎていたのか、回避された少年は大きな隙を見せてしまい。

 

「ぐ、ぅ……!?」

 

 額にデコピンを打たれ、しかしその威力は高く少年の身体は後方に数メートル吹っ飛んでしまった。

 

「すまん、大丈夫か?」

 

 力の加減を間違えてしまった、僅かに焦りつつ聖哉は少年の元へと駆け寄る。

 しかし少年は「大丈夫です」と手で制しながら、何事もなかったかのように振る舞い立ち上がった。

 

「犬渡隊長、ありがとうございました!!」

 

「いや、それより大丈夫だったか?」

 

「平気です。いくら未熟でもあんな程度でどうにかなるほどやわじゃありませんから。

 それにしても、隊長は本当に凄いですね! 流石あの伊吹萃香様や八雲紫すら敗れた相手に勝った御方です!!」

 

「あ、いや……」

 

 瞳を輝かせ、純粋な尊敬の眼差しを向ける白狼天狗の少年に、聖哉は曖昧な笑みを浮かべる事しかできなかった。

 ……どうも睦月との一件が着色されて山全体に広まってしまっているようだ。

 おかげで周りの聖哉に向ける目が、良い意味でも悪い意味でも変わってしまった。

 彼のように聖哉を慕う者も居るが……前々から気に入らないと思っていた相手からは、ますます風当たりが悪くなった。

 

 とはいえそういう輩はどんなに結果を残してもそういった視線を向けてくるので、今更気にする事ではない。

 問題は目の前に居る彼のような者が増えるという事だ、尊敬されるのは単純に嬉しいものの……そういうのはむず痒いものだし、何よりこの力とて手放しに扱える程安全なものでもない。

 そもそも聖哉自身目立ちたくないと思っているのに、こうして自分に意識を向けてくる者が増えるというのは正直望んだ事ではなかった。

 尤も、妖怪とは思えぬお人好しな彼がそんな者達を邪険にできる筈もなく、どんどん泥沼に嵌まってしまっているのだが。

 

「また、お相手願いますでしょうか?」

 

「あ、ああ……俺でよければ、いつでも相手になる」

 

「ありがとうございます!! 隊長はお強いだけでなくてとても寛大な御心も持っているのですね!!」

 

「あ、お、え……」

 

 まいった、こういうのは本当に慣れない。

 幼年期の頃から周りの聖哉に向ける目は冷たいものが多かっただけに、こういう純粋な尊敬の眼差しというのは反応に困ってしまう。

 だから聖哉は曖昧な反応しか返せず、心の中でそんな不甲斐ない自分にため息を吐いた。

 

「先輩、お疲れ様です!」

 

 そんな彼に、頭に紅葉の髪飾りを付けた椛が満面の笑みを見せながらタオルを差し出してきた。

 ……汗を掻いているのは白狼天狗の少年なのだが、彼女の視線は聖哉にしか向けられていない。

 

「あ、ありがとう……」

 

「いえ、他に何かしてほしい事はありませんか?」

 

「い、いや……大丈夫だ」

 

 そう告げると、「遠慮しないでくださいね?」と彼女は尻尾を振りながらそう返してきた。

 彼女はどうもこの間の小川での一件以来、聖哉との距離を縮めようと甲斐甲斐しい態度を見せるようになっていた。

 いや、前々からそういった一面はあったものの、その傾向がより一層強くなり周りに誰が居ようともおかまいなしになってきている。

 

 それが嫌というわけではない、寧ろそういう風に思ってくれるのは聖哉としては本当に嬉しい。

 ただ、彼女がこういった姿を聖哉に見せる度に――こんな声が聞こえてくるのだ。

 

「――またか。犬走の奴も毎度毎度よくやるよ」

「ああ、あんな“中途半端”の何がいいんだか」

 

 ひそひそと、けれどしっかりと聖哉の耳に入る大きさで、他の白狼天狗達は聖哉を貶める言葉を吐き出す。

 前々からそういう輩は居たし今更気にする事ではない、だが椛まで巻き込まれるのは彼の本意ではなかった。

 

「あの伊吹様が苦戦した相手を倒したと言っていたが、それだって真実かどうか」

「大方、弱り切った相手にトドメだけ掠め取っただけだろうな。そこまでして手柄が欲しいのかねえ?」

「椛も椛だよな。あれだけの才能があるってのに、あんなのに関わってたら自分を腐らせるだけだってのによ」

「何か弱みでも握られてるんじゃないか? ほら、何せアイツは“半端者”だからな」

 

「……」

 

 くだらない、実にくだらない。

 だが……腹が立った。

 自分が馬鹿にされるのはいい、だけど椛の事や……自分と椛の関係を、あんな風に吐き捨てられるのは我慢ならない。

 流石に一言言ってやろうか……そう思った聖哉の手を、椛はしっかりと握りしめてから。

 

「――先輩はおろか、私にすら勝てないあなた達に一体何が言えるのかしら?」

 

 いつもと違う、隊を率いる時の覇気を放ちながら、椛は先程の発言を放った白狼天狗達にそう言い放った。

 空気が変わる、彼女の覇気と言葉の重みが張り詰めた空気を生み出し緊張感に包み込んでいく。

 

「先輩は手柄なんかの為に命を懸けて戦ったわけじゃない。白狼天狗としての誇りを守るために……自らの意思を貫くために戦ったの。

 それだけは誰にも否定なんかする権利なんてない。――同じ白狼天狗として、心底恥ずかしいわ」

 

 冷たい声、静かな……けれど大きな怒気を孕んだその言葉に、聖哉へと陰口を叩いていた者達は口を開く事ができなくなっていた。

 その姿をくだらなそうに見つめながら、フンッ、と椛は鼻を鳴らす。

 緊迫した空気が幾分が和らぎ、凛々しい椛の姿に同姓の白狼天狗達は尊敬の眼差しを向け始める。

 そして同じくして男性の白狼天狗達は、揃って聖哉を羨ましそうに眺めるのであった。

 

(恵まれてるな、俺は……)

 

 ただまあ、嫉妬の視線を向けるのはやめていただきたいとは思ったが。

 

「――どうも~、お邪魔しますよー」

 

 強い風が吹いた。

 そう思った時には、聖哉達の前に鴉天狗の女性――射命丸文が相も変わらずな笑みを浮かべながら立っている姿が視界に入る。

 

「射命丸様、どうなさったのですか?」

 

「いえいえ、特に用事はなかったのですが……なにやら椛の妖力が放出されていましたから、何事かと思いまして」

 

「……別に、なんでもありませんからとっとと新聞作成に戻ったらどうです?」

 

「おや、なにやらご機嫌斜め……まあ何事もなかったのならいいんですけどね~」

 

 つまらなげに、唇を尖らせる文。

 新聞のネタが見つかると思ったから接触したのだろう、抜け目のない方だと思いながら……聖哉はある事を思い出した。

 

「すまん椛、後は任せた」

 

「え、先輩?」

 

「どこかに行くんですか?」

 

「ええ……実は“人里”に行かねばならぬ用がありまして……」

 

 人里に行く、その単語が聖哉の口から飛び出し椛と文は僅かに驚きを見せた。

 白狼天狗の彼が里に行くとは、一体どういう要件なのか……椛は単純な好奇心から、文は新聞のネタになる可能性を願いながら聖哉を見やる。

 里に行く理由を教えろ、そう言いたげな視線を向けられた聖哉は、苦笑しつつ。

 

「――稗田家の当主に、呼ばれているのです」

 

 自らの目的を、話したのだった。

 

 

 

 

 人里の中心部に、大きな屋敷がある。

 その屋敷は“稗田家”の屋敷、幻想郷設立以前から存在するこの土地と共に育った由緒ある家だ。

 ここは古くから幻想郷の全てを記録し、今は名のある妖怪達の事を纏めた手記である“幻想郷縁起”の作成を行ってる。

 

(さすが里一番の屋敷……大きさも歴史も、天魔様の屋敷に負けていないな……)

 

「……天狗の屋敷に比べて、ただ古臭いだけでしょう?」

 

「いいえ、この趣と歴史の重みを感じられる屋敷はそうありません。天魔様が住まう屋敷だと勘違いしてしまいそうです」

 

「まあ……それは、とても光栄な事ですね」

 

 上品そうに微笑む、質の良い生地で編まれた着物に身を包んだ澄んだ紫の髪を持つ少女。

 案内された客間にて聖哉と向かい合う形で座るこの少女こそこの屋敷の主、九代目“御阿礼(みあれ)の子”である稗田(ひえだの)阿求(あきゅう)であった。

 まだ十五にも満たぬ幼き少女ではあるものの、彼女は既に千年以上も“転生”を繰り返している特殊な立場に居る人間だ。

 そんな彼女に数日前、聖哉は突如として呼ばれ現在に至る。

 

「本日はお忙しい中、此方の身勝手な要求に応じてくださって、ありがとうございます」

 

「お気になさらないでください稗田様、私は現在天魔様より休暇をするよう仰られております故、時間だけはありますので」

 

「お心遣い感謝致します。では早速ではありますが……幻想郷縁起の編纂(へんさん)を始めてもよろしいでしょうか?」

 

「はい。……ですがその縁起には既に天狗の事は書かれている筈、だというのに何故?」

 

「今回は犬渡聖哉さん、あなた自身の項目を編纂したいと思いお呼びしたのですよ」

 

「……私の、ですか」

 

 予想はしていた、この幻想郷縁起には天狗の種族としての項目の他に……文やはたての項目も存在している。

 だからもしかしたら……そう思った聖哉だったが、鴉天狗のあの二人ならいざ知らず、何故白狼天狗である自分の項目を作ろうと思ったのか。

 

「聖哉さんはご存じないかと思われますが、貴方は現在この里において有名人……いえ、有名妖怪なのですよ?」

 

「私が、ですか……」

 

「巫女と共に今回の異変を解決に導いた功労者、妖怪でありながら人の味方をする妖怪……まあ、評価はこんな所でしょうか」

 

「……過大評価も、良い所ですね」

 

 確かに解決に協力したのは事実だ、だが妖怪でありながら人の味方というのは少々違和感があった。

 聖哉自身は人間に対し好意的な感情を抱いているものの、人間の方が妖怪の自分にそういった感情を向けるのは……。

 

「危険ですね、幻想郷の在り方が変わってしまう可能性があります。

 ――妖怪は人間の敵、その認識が変わってしまうのは幻想郷全体を揺るがせてしまいます」

 

「……」

 

 そうだ、人は妖怪を恐れその恐れによって妖怪は存在している。

 だがその恐れが無くなれば……妖怪の消滅へと繋がる。

 天狗のようなネームバリューがあるのならばそのような心配は少ないものの、決して楽観視できるものではない。

 

「ですので今回、しっかりと貴方の事を記載しようと思ったのです」

 

「そうだったのですか……稗田様、そういう事でしたら私も全面的に協力させていただきます」

 

 人と妖怪の関係は、確かに変わってきている。

 けれど根本は変えてはならない、それは幻想郷を知る者にとって当然の義務だった。

 

「ではまず身長体重、好きなもの嫌いなもの、それから趣味に特技を……」

 

「……面接ですか?」

 

「どうせ読むなら読み易く楽しいものを。それが()()私なりの“幻想郷縁起”の編纂方法なのです」

 

 さあさあ、と、右手に筆を持ち巻物を開いた阿求が聖哉に熱い視線を向けてくる。

 先程の厳かなものとは違う、年相応の少女らしいアクティブな姿に少々面喰いながらも、聖哉は一つずつ阿求の質問に答えていった。

 

 

 

 

「~~~~~っ、美味しい」

「それはよかった」

 

 数刻にも及ぶ編纂作業を終え、とりあえず書く内容はだいたい決める事ができた。

 そして現在、二人は屋敷の外に出て里の中では有名な甘味処へと足を運んでいた。

 団子を頬張り幸せそうな顔になる阿求の姿は、先程と同じく年相応の少女そのもので可愛らしい。

 

(小さい頃の椛みたいだな……)

 

 そこまで考え、聖哉は気が付くと椛の事を考えている自分に困惑した。

 ……やはり先の小川での一件から、どうにもおかしくなっている。

 椛の事を考える時間が多くなってしまった、一体自分はどうしてしまったというのか……。

 

「? 聖哉さん、どうかしましたか?」

 

「あ、いえ……なんでもありません」

 

「そうですか。ところで……聖哉さんって本当に大きいですよね、最初見た時は正直食べられちゃうんじゃないかって思ってしまいました……」

 

「あー……まあ、仕方がないですよねそれは」

 

 何せ阿求の背は小さい、小柄な椛よりも更に小さく五尺程度しかないだろう。

 対する自分の今の身長はおよそ八尺近い、これでは彼女にとって巨人と対峙しているに等しい。

 

「どうやって大きくなったんですか?」

 

「どうと申されても……気が付いたらとしか……」

 

「むむむ……何か秘訣でもあればと思ったのですが……」

 

 残念そうに呟く阿求、もしかして彼女は自身の身長が小さい事にコンプレックスでもあるのだろうか。

 女性は小柄な方が可愛らしくていいと思うがとは思ったものの、人それぞれな考え方なので口には出さない。

 うむむ……と小さく唸る阿求から視線を外し、聖哉は大通りに視線を向ける。

 

 前に椛と行った時と変わらない、平和な光景がそこにはあった。

 ……前の一件で確かな痛みは残っているだろう、それはきっと一生消えない。

 それでも、里の空気は前と変わらず暖かく……優しい光に包まれていた。

 

(強いな、人は……)

 

 肉体だけが強い妖怪とは違う、精神的な強さを持つ人間は聖哉の瞳に尊く映る。

 全てではないけれど、守る事ができたと思うと……感慨深い。

 

「……どうしましょう。このままじゃ聖哉さんの項目が書けそうにないです」

 

「え、もしかしてまだ資料が足りませんか? でしたらもう一度屋敷に戻って……」

 

「いいえ、そういうわけじゃないんです。ただ……そんなに優しい目で里の人達を見ている貴方を、妖怪として書く事ができないなと……」

 

「……」

 

「貴方は人間を好きで居てくれているんですね。聖哉さんのような天狗をきっとどの代の私も見た事がないですよ」

 

 ありがとうございますと、阿求は頭を下げ聖哉に心からの礼の言葉を述べる。

 それが照れくさくて、恥ずかしくて、でも嬉しくて。

 

「――こちらこそ、そのような嬉しい御言葉……感謝致します」

 

 不意打ちのせいで若干瞳に涙を浮かべつつ、それを誤魔化すように聖哉は深々と阿求に向かって頭を下げた。

 

「……ふふっ」

「ははっ……」

 

 互いに頭を下げるという珍妙な光景に、二人はどちらからともなく笑い合う。

 なんだか気持ちが弾む、自然と口元に笑みを浮かべる聖哉は立ち上がり、彼女を屋敷に送ろうと手を差し出そうとして。

 

――里の外から、悪意ある存在が近づいてくるのに気が付いた。

 

「っ」

 

 視線をある一点、里の西エリアへと向け“千里眼”を発動させる。

 獣の本能が感じ取った通り、里から僅か半里程度の場所からそれなりの速度で近づいてくる存在が視えた。

 当然それは人間ではない、巨大な猿……丸太のような太い腕と逞しい肉体を持つ、妖怪に“なりたて”の獣が興奮した面持ちで走っている。

 

(もうすぐ着くな……自警団は間に合わんか……)

 

 里の防壁には博麗の巫女特製の札が展開されているものの、それは広範囲をカバーする結界のため強度自体は決して強いとはいえない。

 自動で展開し常に維持する為にはこれ以上の結界術は使えないが故の処置であるため、万が一その結界を破る妖怪が里に侵入するのを防ぐために、ここには自警団が存在している。

 竹林に住む藤原妹紅、寺子屋の教師の一人である上白沢慧音、彼女達を中心とした自警団は“なりたて”程度の妖怪ならば油断さえしなければ簡単に対処できる実力と連携力がある。

 が、今回の相手は素早い動きで一直線に里に向かってきている、これでは自警団の面々が察知する前に到達してしまうだろう。

 

(致し方ない、か……)

 

 本来は、里の問題に天狗が介入してはならない。

 しかしこのままでは少なからず犠牲が出る、運が悪ければ……命を奪われる者が出てきてしまう。

 そう考えてしまった聖哉は、もう何もしないなどという選択を選ぶことができなくなっていた。

 

「稗田様」

「はい、なんですか?」

「申し訳ありませんが、自警団の者に西エリアの外に来るように伝えていただきたい」

 

 視線の先を睨みながら、聖哉は早口で阿求へとそう告げる。

 それがどういう意味なのか、彼女が問う前に彼は跳躍し近くの長屋の屋根へと着地した。

 

「せ、聖哉さん。どうしたんですか!?」

「――妖怪の“なりたて”が迫っています。西エリアに来るようにお伝えを!!」

 

 阿求の声に振り返らずに言葉を返し、聖哉は両足に力を込め一気に屋根の上を駆け抜ける。

 疾く速く、加減を間違え屋根を壊さぬように注意しながらも、駆け抜ける彼の速度は弾丸の如し。

 屋根を駆け抜け、木々から跳び上がり、ただの一度も立ち止まる事などせずに彼は里の西エリアの門の前まで辿り着いた。

 

「うおっ!? な、なんだ……!?」

 

 門番をしていたのだろう、両手で槍を持つ男二人が突然現れた聖哉に対し驚きの声を上げる。

 それには構わず、地面に降り立った聖哉は再び地を蹴り獣道を駆け抜けた。

 そうして、彼はすぐに千里眼で見た妖怪をこの目で捉える。

 

 ――でかい猿だ。

 長身の聖哉の倍近く、およそ五メートルはあろう巨体は既に猿という概念を完全に飛びぬけてしまっている。

 唸り声は低く重く、開いた口から覗かせる牙は鋭く、空腹なのか涎を垂らすその姿は見る者に恐怖心を与えるだろう。

 

「グルル……」

 

 妖怪猿も視界に聖哉を捉えたのか、駆けていた脚を止めギロリと赤い瞳で彼を睨む。

 威嚇のつもりだろうが、彼には通用しない。

 確かにその見た目と風貌から放たれる威嚇は並の妖怪にはない迫力はある。

 しかし聖哉にとって、常日頃から天魔や大天狗、文といった実力者を見てきた彼にとってはあまりにもお粗末だ。

 

「――言葉が判るのならば聞け、すぐにここから立ち去り二度と里には近づくな」

 

 放つ言葉はあくまで説得、理性があるのならば命までは奪わないという彼なりの譲歩。

 無益な殺生は好まない、まだ里を襲っていないのならば……殺す事まではしなくていいのではないか。

 甘い考えだ、それに聖哉は一つ勘違いをしている。

 

「――ゴオオオオオオオオッ!!!!」

 

 相手は所詮獣、妖怪になりたてといっても己が欲望を果たす事しか頭にない獣なのだ。

 逞しい両腕を振り上げ、雄叫びを上げながら妖怪猿は聖哉の身体を叩き潰そうとその両腕を振り下ろす。

 まともに受ければ身体はひしゃげ、地面と一体化する程の破壊力を持つその一撃を。

 

「グガッ……!?」

「――すまない、立ち去るつもりがないと認識した」

 

 まるでハンマーのように振り下ろされたその一撃を。

 彼は、こともなげに右腕だけで真っ向から受け止めてしまった。

 妖怪猿の表情がまともに変わり、その顔には驚愕の色で染まり上がる。

 

「ならば此方も容赦はできない、俺は妖怪の山の天狗だが……人間の里を、守りたいんだ」

 

 懺悔の言葉を放ちつつ、彼は左手で拳を作りそこに黒いオーラを纏わせる。

 ――ボンッ、という破裂音。

 強化した聖哉の左の拳は妖怪猿の頭部を、それこそ豆腐のようにあっさりと吹き飛ばし命の灯を奪い取った。

 

「……」

 

 力なく崩れ落ちる妖怪猿の身体、骸と化したそれに聖哉は両手を合わせ祈りを送る。

 此方の都合で相手の命を奪った、だからせめてもの……彼なりの自己満足にすぎない懺悔を送った。

 

「聖哉さん!!」

「……稗田様」

 

 後ろを振り向く、そこには上白沢慧音におぶさった阿求と、複数の武装した人間たちの姿があった。

 自警団の面々なのだろう、聖哉の背後で事切れた妖怪猿を見て誰もが驚きの困惑の表情を浮かべている。

 

「……この妖怪が猛スピードで里に向かっていました、説得はしたのですが立ち去る様子はなかったので……勝手だとは思いつつも、対処させていただきました」

 

「そうだったんですか……ありがとうございます、聖哉さんのおかげで犠牲者が出ませんでした。本当に感謝します」

 

「……私からも礼を言わせてくれ。本当にありがとう」

 

 阿求を地面に降ろしてから、銀と白の髪が混ざり合った女性――上白沢慧音が深々と聖哉に向かって頭を下げた。

 

「私が勝手にやったことですので礼を言われる事ではありません。それとこの件は決して私が介入したという事実は伏せて頂きたい」

 

「それは………………いや、その方がいいな」

 

「上白沢様、此方の考えを汲み取ってくださり感謝致します」

 

 ――天狗が、人間を守るために妖怪を倒した。

 そんな事実が里に伝われば、人間達は少なからず聖哉を感謝してしまうだろう。

 そうなれば、人間の絶対的な味方である博麗の巫女の立場を揺るがす一因となってしまうし、排他的な妖怪の山からも決して良い感情を向けられない。

 最悪山を追い出される可能性がある以上、今回の件はあくまで“自警団”が対処した事にしなくてはならないのだ。

 

 ただでさえ睦月の件もある、余計な問題はこれ以上背負いたくない。

 慧音も聖哉の意図を理解したからこそ彼の言葉に頷き、他の自警団の面々に他言無用だと伝え始めていた。

 

「それでは稗田様、上白沢様、そして自警団の皆様方。私はこれにて失礼させていただきます」

 

 頭を下げ、妖怪の山へと向かって飛び立つ聖哉。

 

「待ってください、聖哉さん」

 

 そんな彼を、阿求は大きな声で引き留める。

 

「なんでしょうか?」

 

「今回の事は貴方の言う通り自警団で対処した事にします、ですが……私は忘れませんからね」

 

「……」

 

「それと今後は私の事は阿求で結構です」

 

「私も慧音でいいぞ。敬語もいらない、君とは良き友人になれそうだからな」

 

「……ありがとう阿求、ありがとう慧音」

 

 隠し切れない嬉しさを笑みで示しながら、聖哉は今度こそ妖怪の山へと向かって飛び立った。

 

 

 

 人里で友人ができた、それは密かに叶えたかった彼の夢の一つ。

 それが叶った嬉しさで、聖哉は暫く無意識のうちに笑みを浮かべる事になってしまうのであった……。




【簡潔なキャラ紹介】

・稗田阿求
 里一番の名家「稗田家」の9代目当主。
 物腰柔らかで、けれど結構アクティブな一面も持つ少女。
 妖怪らしくない聖哉に人と妖怪の関係の根本を揺るがされるのかと危惧しつつ、彼のそんな一面は気に入っている。
 聖哉の人里での友人第一号。

・上白沢慧音
 里で寺子屋の教師の一人を務めている半人半獣の女性。
 生真面目でやや熱血、授業はやや堅苦しいものの生徒受けは上々。
 この作品では自警団を纏める一人という立場、聖哉の人里での友人第二号。
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