狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~ 作:カオ宮大好き
「……あの、椛さん?」
「なんですか? 先輩」
「どうして私は、正座させられているのでしょうか?」
妖怪の山の一角、滝が流れる近くの岩場にて、聖哉は身を縮めつつも控えめな抗議を放つ。
それを受けた椛は、にっこりと、目が全く笑っていない笑顔を浮かべたまま。
「おかしいですね~、わかりませんか?」
あくまで温和な口調のまま、けれどその声にたっぷりと怒りの色を込めてそう答えた。
……考えるまでもなく、彼女は怒っていると判る。
正座している自分を仁王立ちのまま腕組みをして見下ろしているし、今も見せている恐ろしい笑顔が他ならぬ証拠となっていた。
「も、もしかして……何か約束をすっぽかしたとか?」
「違います」
「じゃあ、うっかり千里眼の範囲を広げたせいで椛の着替え姿が視えちまった事か?」
「違いま……って、なんですかそれは!?」
「あ……」
しまった、おもわず言わなくていい事を言ってしまったと思う聖哉だが、時すでに遅し。
顔を真っ赤にして、先程より3割増しの迫力を込めた眼光で睨まれてしまう。
「す、すまん……だが裸は見ていないしすぐに能力を解除したから一瞬だったんだ、そういう問題じゃないが……本当にすまない」
両手を地面につけ、頭を擦り付けながら聖哉は土下座する。
「……視えたのは、下着姿でしたか?」
「はい、すみません」
「むぅ……それはそれで惜しかったかも……」
「はい?」
何やらおかしな呟きを拾ったので顔を上げると、椛から「なんでもありません」と返されてしまった。
いやなんでもないわけないだろというツッコミが喉元まで出掛かったが、またしてもにっこりと目が笑っていない笑顔を向けられたのでおとなしく押し黙る事にした。
「どうやら本当に判らないようですね」
「……すみません」
謝る聖哉だが、本当に心当たりがないのだ。
星達と里で会話して、ぬえが自分を「お姉ちゃんと呼びなさい」というわけのわからないイベントをこなして。
まあその甲斐もあってか自身を警戒していたナズーリンとも最低限の信頼関係を築く事ができた、少々自分を見る目が冷たくなったような気がしたが。
その矢先に椛に呼び出されてこれである、今一度思い返してもまったく身に覚えが……。
「なら教えてあげます」
「は、はい……」
怒られる事を覚悟して、聖哉は全身に力を入れるが。
「ぬえさんと姉弟プレイをした事に怒っているんです!!」
「ちょっと待て!!」
次の瞬間、聖哉はおもわず立ち上がり全力のツッコミを放っていた。
「先輩が弟側とか……それはそれでアリだと思ってしまったじゃないですか!!」
「お前は一体何を言っているんだ?」
あまりに意味不明で頓珍漢な、けれど椛本人からすれば大真面目な発言に、聖哉は頭を抱えたくなった。
というか抱えた、そして同時に頭痛と腹痛が彼の身体に襲い掛かる。
しかし椛の暴走は止まらない、がーっと怒りながら更なる珍言を言い放っていく。
「先輩、お姉ちゃんキャラが欲しかったのなら私に言ってください」
「椛、お前が何を言っているのか俺には一切理解できないんだけど? あとキャラとか言わないでくださいお願いしますから」
「ですが冷静に考えれば当たり前の事でした。先輩に必要なのは可愛らしい後輩ではなく自分を支えてくれる家族……つまり姉なのだと」
「ねえ椛、お願いだから俺の話を聞いてくれない?」
ああ、彼女は一体どこでこんな風になってしまったのだろうか。
とは思ったものの原因は判っている、自惚れるわけではないが……これも自分が彼女の想いに答えを返さないからだ。
だから彼女は嫉妬している、好いている聖哉に近づいたぬえに対して。
(俺は、俺の気持ちは……答えは何処にある?)
あれから幾度となく考えた、だが答えはまだ見つかっていない。
焦った所で見つけられるものではない、だが悠長にしていい理由にもならない。
だってそうだろう? 今まで一体何度……椛は自分のせいで傷ついたというのか。
今回の事だってそうだ、発言こそズレにズレているものの、彼女の心は少なからず傷ついてしまった筈だ。
それも自分がこうして答えを出さないからに他ならない、それを理解しているのに何故……。
(俺は椛をどう思っている? 単なる後輩か? それとも山の仲間か?)
この自問も何度目か、その度に答えは出ず……自分自身に嫌気が差すだけだった。
グルグルと頭の中で自己嫌悪だけが膨れ上がっていき、聖哉の表情が徐々に強張っていく。
「――先輩?」
「っ、ぁ……悪い、ボーっとしてた」
「……」
力なく笑う聖哉、そんな彼を見て椛の表情がいつものものに戻る。
そして何を思ったのか、彼女は突然その場で正座し、自分の腿をポンポンと叩きながら口を開いた。
「先輩、ここに寝てください」
「え、ここって……お前の太腿に?」
「はい。ほら、早くっ」
「うおっ……」
ぐいっと腕を引っ張られ、聖哉はそのまま自身の頭を椛の太腿へと乗せてしまう。
俗に言う「膝枕」状態であるこの状況に、聖哉は困惑し羞恥からか僅かに頬を赤らめた。
そして強引に実行に移した椛自身も顔を紅潮させ、暫しの沈黙が周囲を包んだ。
「……えっと、椛?」
「ひ、膝枕はぬえさんにもされてませんよね? これで私が一歩リードですからっ」
「リードって……」
「そ、それに先輩……なんだか辛そうな顔になっていましたから」
「……悪い。でも椛のせいってわけじゃないからな? だからお前が気にする必要なんかないぞ?」
だからこんな事をする必要はないと聖哉は離れようとするが……椛に顔を掴まれ動けなくなってしまった。
「膝枕、お、お嫌ですか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
「な、なら……暫くは、このままで居てください……」
そう言って、椛はゆっくりと彼の頭を優しく撫で始めた。
少々おっかなびっくりといった様子で、けれどその手つきはただ優しく……聖哉を安らかな気持ちにさせていく。
「……」
「眠くなったら、眠っちゃっていいですからね?」
「あ、ぁ……」
ああ、声を出すのも億劫だ。
それほどまでに今の時間は甘美に満ちていて、ずっとこのままでいたいと思わせた。
彼女に申し訳ないと思いながらも、聖哉は抗う事も出来ずにただただこの暖かな時に沈んでいく。
目を閉じ、甘えるように彼女の撫でる手に意識を向けるとすぐにその時は訪れた。
「……先輩?」
「……すぅ、すぅ……」
「寝ちゃった……」
驚いた、ここまで無防備な姿を見せられるとは思わず椛はおもわず手を止めて彼の寝顔を凝視してしまう。
……安らかな寝顔、いつもはやや強面なのに眠っている姿はまだあどけなさが残っている。
(先輩が、私の前でこんなに無防備な姿を晒してくれている……)
それは裏を返せば自分を信用してくれている何よりの証であり、椛は自然と口元に笑みを作ってしまった。
今こうして彼の自然な寝顔を独占しているのは自分だけ、他の人は見た事がない彼の貴重な姿を自分だけが見ている。
その事実が椛を優越感に浸らせ、心を満たしていく。
(……我ながら、矮小な心ですね)
そんな自分を冷静に見つめると、未熟さを思い知らされ同時に呆れてしまう。
それでも、この感情を否定する事も捨てる事も出来なかった。
(私は先輩が好き、だから先輩の傍に私じゃない女の子が居ると心がざわついてしまう……)
それが良くないものだというのは頭では判っていても、感情が抑えられない。
さっきのだって結局は嫉妬だ、そのせいで聖哉に迷惑を掛けてしまった。
(先輩は嫌ってないかな? 嫉妬ばかりする私を……)
訊いてみたい、けど訊くのは恐かった。
彼に嫌われたくない、離れてほしくない。
「先輩。先輩は私の事……どう思っていますか?」
ぽつりと、呟くように問いかける。
答えは勿論帰ってこず、自分は何をやっているのだろうと椛は苦笑した。
(今はこれでいい。この関係でも……私は確かに幸せなんだから)
これからも嫉妬はしてしまうけど、焦った所で答えは返ってこないのだから。
今は彼の傍に居る幸せを大切にして、自分のできる範囲で彼を支えていこう。
椛はそう強く自分に言い聞かせ、再び彼の頭を撫で始めた。
(わっ、さらさら……男の人の髪とは思えない……)
あんなに巨体で強面なのに、髪は絹のような柔らかさを持っている。
そのギャップがなんだかおかしくて、髪を撫でながら椛はぷっと噴き出してしまった。
「……」
暫しくすくすと笑っていた椛だったが、突如としてその笑みを消し去った。
彼女の第六感、獣の本能とも呼べる感覚が違和感を覚え始めたからだ。
体内に異物を飲み込んだような、決して無視できぬ不快感も顔を出し始めている。
(この感覚は、何? それにこの不快感……どんどん広がってきている……)
山を包むように広がる不可解さは、消えないどころか広がり続けている。
しかし周囲を見渡しても目に見えた異変は見当たらず、ならばと椛は“千里眼”を発動させた。
聖哉のものほど性能は良くないものの、それでも彼女の“千里眼”は普通の目では見えぬものを見る事ができる。
範囲を広げれば負担が大きくなるので、椛はとりあえず山全体を見渡せる程度の力で能力を使ったのだが……。
「なっ!?」
“千里眼”を発動した瞬間、椛の目に信じられない光景が飛び込んできた。
――山の至る所の空が、
文字通り、空間が裂け中からは見た事もない荒野が広がっているのが見えた。
「これは、一体……!?」
幻想郷にはない景色、いやそもそもこの現象は一体何だというのか。
ありえぬ光景を見て椛の思考が停止しかけるが、その瞬間――彼女の耳がピシッというガラスにヒビが入ったような音を拾い込んだ。
すかさず音の出所である上空に視線を向ける椛、するとそこには現在山全体に起こっている空間の裂け目が今まさに生まれようとしていた。
「っ、先輩、起きてください!!」
ただ事ではないと判断した椛は肩を大きく揺さぶって聖哉を起こさせる。
「椛…………っ!? なんだ、この感覚は……!?」
一瞬呆けていた聖哉だったが、只ならぬ気配にすぐ覚醒し起き上がる。
すぐさま上空を見て異変が起こっていると彼が判断した瞬間――甲高い音と共に空の一部が割れた。
「空が、割れた……!?」
「気を付けろ椛、中から何か来るぞ!!」
空が割れた瞬間、中から多数の気配を感じ取り聖哉は身構える。
この現象が何なのかは判らないものの、中から純粋な“敵意”と“闘志”を感じ取った以上、呆けている場合ではない。
聖哉の声を受けて、椛はすぐさま地面に置いていた大剣を担ぎ割れた空を睨んでいると。
「えっ……!?」
「……なんだ、コイツらは……?」
割れた空の中から、次々と謎の生命体が飛び出してきた。
見た目は巨大な目に悪魔のような羽根を取り付けたような、不気味な外見をしている目玉の化け物。
まるで蝙蝠のように周囲を飛び回り、時折ギイギイと不快な鳴き声を発している。
「先輩、この生物は……」
「わからない、見た事がない生物だ……幻想郷の生物ではないのかもしれない」
「ま、まさかこの生物達……他の穴からも出てきているんじゃ……」
「何? あんな穴が他にもあるのか!?」
頷く椛、それを聞いた聖哉は一気に力を開放させた。
彼の身体から溢れる黒いオーラ、それを感じ取ったのか、目玉達は一斉に聖哉達の方へとその身体を向けた。
「椛、下がってろ」
「えっ……」
聖哉の姿が消える。
その場で跳躍した聖哉は、一瞬で空へと跳び上がり目玉達が飛び交う中心へと到達した。
「し――――!」
右手を真横に振るう、既にその手には黒いオーラで生成した剣が握られていた。
一閃、黒き剣は聖哉の意思通りにその刀身を伸ばしながら目玉達を一太刀で両断していく。
(脆い、防御力はさほどじゃないが……)
背後に殺気。
それを自覚するよりも早く、黒いオーラが聖哉の背中を守るように肥大化する。
瞬間、彼の背後に居た目玉達は一斉に白銀に輝くレーザー状の光線をその巨大な目から斉射した。
「せ――」
先輩、と椛が叫ぶ前にレーザーは聖哉へと命中したそれを。
「ふっ……!」
黒いオーラが瞬く間に呑み込み、消滅させ。
振り向きざまに放った聖哉の斬撃が、攻撃を仕掛けた目玉達を一撃で両断した。
「……先輩」
その後も、聖哉が動く度に目玉達は一掃され霧のように消滅していった。
圧倒的なまでの数の差など無関係だと言わんばかりの猛攻に、百は居たであろう目玉達が瞬く間に駆逐されている。
今も空に生まれた穴から目玉達は現れているが、それらを両断する聖哉の斬撃に追い付いていない。
……やはり強い、彼の力を改めて目の当たりにして椛は援護も忘れ魅入ってしまっていた。
否、援護などしては逆に彼の足を引っ張りかねない。
今の椛にできる事は彼の邪魔にならないように眺めている事だけだった。
「っ」
悔しげに歯を鳴らしながら、背中の大剣を抜き取る椛。
このまま何もしないなど、山の天狗としてあってはならない。
白狼天狗としての責務、聖哉の力になりたいという想いが椛を動かす。
「はあああああっ!!」
跳躍し、一体の目玉目掛けて大剣を振るう。
風を切る斬撃は迷うことなく目玉の身体を左右に分け、消滅させた。
すかさず振り向き一閃、今度は二体を切り捨てる。
「椛!!」
「っ」
聖哉の声に反応し、椛は半ば無意識に身体を捻った。
瞬間、彼女を狙った目玉達のレーザーが掠り、決して無視できぬ熱と痛みが彼女の思考を削り取る。
「く、っ……!?」
顔をしかめながらも、体勢を立て直す椛。
それを追撃する目玉達が、再びレーザーを斉射した。
「ちぃ……っ!!」
左手を伸ばし、そこから黒いオーラを伸ばす聖哉。
彼女への追撃を阻止せんとオーラが奔り彼女の前で盾のように肥大化した。
そこへ吸い込まれるようにレーザーが命中、そのまま闇の中へと呑み込まれ消滅する。
「邪魔だ!!」
左手の指を広げ、銃のような構えを取る聖哉。
そこから放たれるは黒い弾丸、聖哉の力そのものが込められた黒光は椛を狙った目玉達の身体に風穴を開けその命を奪い取った。
「椛、下がってろと言った筈だぞ!!」
「ぁ……」
「ここは俺に任せればいい!!」
言いながら聖哉は移動と攻撃を同時に行い、再び目玉達を駆逐していく。
……今度こそ、椛はその場から動けなくなった。
思い知らされた、自分では彼の力になれないと。
援護するつもりで戦いの場に入ったのに、彼に守られなければ負傷していたという事実が、椛の心に突き刺さる。
この目玉達の力は、たいした事はない。
一太刀で対処できるしあのレーザーとて直撃しても致命傷には至らないだろう。
だがそれは相手が一体だけだった時の話、先程のように数匹同時に放たれた攻撃をまともに受ければ妖怪の身体とて無事では済まないし、そもそも相手は数が減り続けているとはいえ依然五十は超えている。
自分一人では到底対処できない数であり、けれど彼は一人で対処しているだけでなく、優位に立ち回っており。
(……なんて、弱い……)
椛はその光景を見せつけられ、己の中にあった剣士としての自身や白狼天狗としての自負を完膚なきまでの粉々に打ち砕かれた。
彼を支えると誓った己自身がひどく滑稽に思える程に、打ちのめされていた。
「――ここは一番綻びが酷いな。おいそこの白狼天狗、戦わないのならばもう少し離れた場所に移動しろ!!」
「えっ?」
突如聞こえた、第三者の声。
視線をそちらに向けると、そこには滅多に出会わぬ九尾の姿があった。
「……八雲、藍さん」
「とりあえず離れろ、巻き込まれたくないのならな」
そう言って九尾の狐、八雲藍は椛の腕を掴み彼女を下がらせた。
「ど、どうしてあなたがここに……?」
「結界の綻びを感じてな。まだ紫様が眠りから醒めない以上、結界の修繕は私の役目だ」
視線を聖哉達に向けつつ、藍は椛の問いに答える。
しかし藍は椛を離れさせた後、両手を袖の中に収めたまま動こうとはせず静観を決め込む姿勢を見せ始めた。
「……あの、何もしないつもりですか?」
「結界の修繕はする。だがあいつの戦いを援護するつもりはない」
「っ、どうしてですか?」
彼女は強い、あの妖怪の賢者である八雲紫の式である事は勿論として単純に九尾の狐としての力がある。
だというのに、聖哉を助けられる力があるというのに何もしないのか。
それが椛には気に入らず、つい語気を荒げて問いかけてしまうが、藍はそんな椛に。
「私にはあいつを助ける義理などない。正直――私はあいつが好ましくないと思っている」
感情のない声で、そう言い放った。
「えっ……」
「……個人的な感情で動くなど式失格だと紫様は怒るだろうがな。
だがそれでも私はあいつが気に食わん、それに山で起こっている争いに部外者が立ち入れば色々と面倒なことになる」
そうなれば、それこそ紫の迷惑になると藍は言う。
……その言葉には、椛も頷けた。
だがその前に言い放った言葉には、到底納得などできなかった。
「どうして、先輩を嫌うのですか?」
「君に話した所で何になる? 君には関係のない話だ」
「関係なくなんかありません。先輩を……あの人を嫌うなんて、そんなの」
「許さない、か? ――君が私をどう思うとどうだっていいんだ、だから無駄口を叩かず黙っているか尻尾を巻いて逃げるといい」
あくまで視線を椛には向けないまま、何処か見下したような口調で藍は彼女にそう言い放つ。
その態度に椛は怒りを覚え、大剣を持つ右手に力を込め藍を睨みつけた。
「――悪いが君の相手をしている暇はない。終わったようだからな」
「えっ……」
言うやいなや、藍はその場から離れ聖哉の、否、裂けた空間へと向かって飛んでいった。
そこで漸く先程まで大量に発生していた目玉達が全て消滅していた事に椛は気付き、慌てて彼の元へと向かった。
「先輩!!」
「椛、大丈夫か? それと九尾様、何故この山に?」
「この結界の綻びを治すためだ。既に君達の上司達には念を送って説明してある」
説明しつつ、藍は懐から数枚の札を取り出し空間の裂け目を囲むように展開していく。
そして陣を形成し、ぶつぶつと何か呪文のようなものを唱えると。
彼女が展開した札が光を放ち、裂け目を包み込むように広がりそのまま穴が閉じていく光景が広がっていった……。
「……よし、ここはとりあえずこんなものだな」
「…………凄い」
今の術式を、二人は理解できたわけではなかった。
だが見ただけでも今の術が“規格外”の代物であり、名立たる術者が束になろうとも使用できない神秘である事だけは理解できた。
九尾の狐、八雲紫の式としての力を見せられ、二人は茫然とその光景を見つめる事しかできない。
「私はこれから他の場所にも空いた穴を塞いでいく、邪魔はしないでくれ」
「あ、は、はい……」
呆けたまま頷く聖哉に、藍は一瞬冷ややかな視線を送ってからその場を後にする。
「……」
結界の綻びだと、藍は言っていた。
結界とはこの幻想郷と外の世界を隔てる大結界の事だろう、彼女が普段主の命で結界のチェックと修繕を行っている事は他ならぬ紫自身から聞いている。
だが、その綻びから現れた生物は……おそらく外の世界の生物ではないと何となくそう思えた。
(何が起きている? この幻想郷で一体何が……)
突如現れた、結界の綻び。
そして中から現れた見た事もない生物。
「……調べる必要が、あるのかもしれないな。椛」
「……」
「椛?」
「あ……そ、そうですね……」
どこか上の空のまま返事を返す椛に、聖哉は首を傾げた。
目立った外傷は見当たらないが、今の彼女はどうにもおかしい。
「椛、疲れているようだから休もう。な?」
「…………はい」
返答する彼女の声は、本当に元気がなかった。
それに違和感を覚えつつ、聖哉は彼女を連れて白狼天狗の隊舎へと戻っていく。
山に現れた異常。
それは新たな“異変”であると、聖哉は当たり前のように確信し。
きっとそれは、前の睦月の時のような被害を出してしまうと、根拠もなくそう思えてしまった……。