狼王戦記 ~黒き白狼天狗の軌跡~   作:カオ宮大好き

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第42話 追放~椛の選択~

 暗雲が、垂れ込めている。

 昏い世界に広がる大地、地上と違い太陽が昇る事などないここは“魔界”と呼ばれる異界の一つ。

 そんな暗い世界を、一隻の船が淡い光を放ちながら飛んでいた。

 

 船の名は聖輦船、そしてその船に乗る人物の名は、聖命蓮。

 この船の能力により異界である魔界へと辿り着いた彼は、更にその奥である“法界”と呼ばれる魔界の中でも辺境の地へと向かっていく。

 

(もうすぐだ……もうすぐだよ、姉さん……)

 

 何度も何度も他者を救いながら、その救った相手に裏切られ悪魔と罵られ、千年以上も封印されている姉。

 彼女を救う事こそ自らの使命だと命蓮は信じて疑わず、既に今の彼の頭の中には白蓮の事だけで占められている。

 ……それがどれだけ異常で異端かも、彼はもう理解できない。

 

 魔界の空を飛び続け、やがて彼は魔界の生物すらおいそれとは近づかぬ山岳地帯へと辿り着いた。

 棘のように鋭い山々に囲まれたそこは法界の中でも更に奥地に存在する、生物はおろか草木の姿すら見当たらない不毛な大地であり。

 命蓮の目的地でもあり、そして彼は視界に淡い光を放つ光球をその視界に捉えた。

 

 人一人をすっぽり覆い尽くせる程の大きさのそれは、禍々しい光を放ち続けている。

 その光はとある封印術の力の大きさをそのまま現わしており、そしてその中心には――罪人のように吊るされている一人の女性が居た。

 

 長く金と紫のグラデーションが目に付く髪、白黒のドレスのような魔力が込められた服を身に着けたその女性は、眠るように目を閉じ微塵も動かない。

 しかしその状態であっても、内から溢れ出る魔力と法力の大きさは凄まじく並の実力者ではないと見て取れた。

 ――彼女こそ、かつて魔界に封印された大魔法使い。

 聖命蓮の姉であり、一輪達が救いたいと心から願う女性、聖白蓮であった。

 

「あぁ……姉さん……」

 

 命蓮の口元に、僧とは思えぬ歪んだ笑みが浮かび上がる。

 歓喜と狂気に満ちたそれを隠そうともせず、彼は聖輦船から飛び降り女性の元へと向かった。

 

「……久しぶりだね姉さん、こんな形で再会する事になるとは思わなかったよ」

 

 眠ったままの白蓮に、届かぬ声を放つ命蓮。

 

「可哀想に……妖怪と関わってしまったばかりに、こんな事になってしまって……」

 

 懐から宝塔を取り出す。

 すぐにそこから暖かな光が溢れ始め、ゆっくりと周囲に広がっていく。

 

「もういいんだよ姉さん、もう……あなたは幸せになるべきなんだ」

 

 法力を用いて、聖輦船と宝塔の力を開放する。

 光は際限なく大きくなっていき、やがて白蓮自身を暖かく包み込んだ。

 

「さあ姉さん、目を醒まして……」

 

 白蓮に向かって手を伸ばす命蓮。

 禍々しい光に一瞬阻まれるが、すぐにそれを抜け彼の手が白蓮の頬に触れ……。

 

 

「…………命蓮?」

 鈴を鳴らしたような澄んだ声が、耳に響いた。

 

 

 

 

「――納得できません!!」

 

 天魔の部屋に、はたての怒声が響き渡る。

 それを隣に聞いていた文は、静かに此方をギロリに睨み始めた天魔を見て、泣きたくなった。

 

「何故彼を追放処分に? 明らかに罪が重すぎます!!」

 

「元々ヤツがあの空飛ぶ船とその関係者を受け入れようと思わなければ、今回の件は起きなかった」

 

「では、守矢神社に何の責も追及しないのは何故です?」

 

「守矢の面々は確かに山の同士、とはいえ天狗ではない者達に此方の掟を適応させるわけにはいくまい?

 まあ風祝からは抗議の声もあったようじゃが……これはあくまで天狗の問題と言ったら、向こうもそれ以上口出しはせんかったよ」

 

(成程、確かに一応の筋は通っていますね……)

 

 天魔の上記の言葉は、単なる方便でしかない。

 神々の一柱である八坂神奈子、そして祟り神である洩矢諏訪子。

 今はまだ人間の身ながらいずれ神の席へと到達するであろう東風谷早苗、それだけの勢力が存在するあの神社との関係を悪くしたくないという考えが山の本音なのだろう。

 とはいえ今回は多くの犠牲者が出てしまった、組織として誰かに責を押し付け……もとい、背負ってもらわねばならないのなら白狼天狗である彼は格好の生贄と言える。

 

(自分達は傍観を決め込んでいたというのに……良いご身分な事で)

 

 内心毒を吐く文だが、特に否定する気などはなかった。

 組織というのはそういう一面もある、大の為ならば小を切り捨てるというのは過去に何度もあった事だ。

 先程まで抗議していたはたても、先程までの勢いはすっかり消え失せ押し黙ってしまう所からも、天魔の言葉が決して間違いだけではないというのを理解しているからだろう。

 そんな事よりも、だ。

 

(さっきから椛がおかしいくらいに静かなのが、気になるわね……)

 

 自身の左隣に立ち、ただ黙って事の成り行きを見つめている椛。

 正直、彼女が一番に激昂すると文は思っていたので、この沈黙はただただ不気味であった。

 

「とにかくこれは大天狗達およびわし自らが決定した事じゃ。いくら抗議した所で覆る事はない」

 

「で、ですけど……」

 

「わしとて望んだ事ではない。じゃが今回は多くの犠牲が出てしまったし守矢の者も巻き込んでしまった、これ以外の方法が無かったんじゃよ……」

 

 

「――そうですか、よくわかりました」

 

 

 声が、響いた。

 今まで一言も話さず、沈黙したままの椛が口を開いた瞬間、空気が一変する。

 

「結局、天魔様もあの老害共(・・・)と一緒だったという事ですね。失望しました」

 

「ちょ、ちょっと椛……!?」

 

 突然の暴言を放ち、天魔を冷たい目で睨み始める椛に、はたては慌て文は驚いた。

 あの椛が、生真面目で上下関係を重んじる彼女が、天狗の長である天魔に明確な敵意を抱いている。

 まるで今にも斬りかからんとするその怒りを向けられ、天魔は目を細め椛を睨み返す。

 

「っ」

 

 それだけで、重苦しくなっていた空気に更なる重圧が発生した。

 力を開放せずとも、息苦しくなる空間を生み出す天魔は流石天狗の長か。

 それでも、椛は一歩も退かず更に不遜とも取れる言葉を放つ。

 

「先輩の立場は判っていた筈です、だというのに天魔様は長という立場でありながら助けようともせずに切り捨てた。

 ――今回の件を利用して、先輩をこの山から追放しようと思っていた連中が、上層部にどれだけ居たのか把握できていなかったのですか?」

 

「…………確かに、そういった輩も居るだろう。しかし椛よ、お前も天狗の一員ならば理解できる筈」

 

「ええ、理解できますとも。――だから何だというのですか?」

 

 周囲の壁に、ヒビが入る。

 椛と天魔、二人の睨み合いによって発生した闘気が屋敷全体を包み込んだ。

 

「あ、ぅ……あ、文……」

「……」

 

 助けを求めるような視線を向けるはたてに、文は何も返せなかった。

 ――両者の間には、割って入る事などできない。

 入ればそれが自分の終わりだと理解し、かといってこの場から離れる事もできない。

 

 今の椛は冷静さを完全に失っている、聖哉を追放したという事実は彼女から完全に理性を奪ってしまっていた。

 だからこそ遥か格上である筈の天魔と一対一で対峙していても、意識を保つばかりか睨み返すなどという胆力を生み出している。

 

「先輩はずっと山の皆に認められようと努力を重ねてきました。先輩自身を見ようともせずただ見下す事しか能のない相手からも認められようと……何度も何度も心が傷ついても、それでも天狗の一員として生きてきたんです」

 

 だというのに、裏切られた。

 この決定に理解はできる、彼に責任が無いと言うつもりなど微塵もない。

 先程天魔が言ったように、聖哉が一輪達を受け入れようと願わなければこうはならなかったかもしれない。

 

 しかしだ、最終的に天魔達もそれを認めたというのに責が彼一人に被さるなどおかしな話だと思わないのか。

 傍観を決め込んだのも、わざと犠牲を出させ聖哉を貶めようと考えたようにしか思えない。

 死者が出たとしても犠牲は下っ端の白狼天狗だけで済む、そう言って安堵する山の上層の顔が容易に想像できた。

 

「何とも思わないのですか? ただ山の為にと謂われもない誹謗中傷にも耐えて努力を重ねてきた白狼天狗を、まるで駒のように捨てて……何様のつもりですか!!」

 

 瞬間、椛の妖力と闘気が放出される。

 屋敷全体が一瞬とはいえ大きく揺れ、空気は震え衝撃が周囲を襲う。

 

「――何様のつもり、か」

 

 だが。

 その覇気を真っ向から受けても、天魔は微塵も堪える事はなかった。

 

「貴様こそ、白狼天狗の分際でこの天魔に対してそれだけの口を叩くなど……何様のつもりだ?」

 

 お返しとばかりに、天魔は己の妖力と闘気を椛へとぶつける。

 再び揺れ動く屋敷内、しかしその衝撃は先程のものとは比べものにならぬ程に大きく強いものであった。

 

「山の決定に逆らうのか?」

 

「納得ができないものを、受け入れると思いますか?」

 

「それが組織というものだ」

 

「ならば、無価値で下の立場の者を見下す事しか能のない老害共を一掃した方がいいのではありませんか?」

 

「……椛、口が過ぎるぞ」

 

「事実を口にしたまでです。それとも……天魔様ともあろう方が、その程度の事実に気づいていないというのですか?」

 

 光が奔った。

 文とはたてがそう思った時には、既に天魔は立ち上がり腰に差していた刀を抜き取って刀身を椛の首筋へと当て、

 同時に、椛が抜き取った大剣の切っ先が、天魔の額へと突き付けられていた。

 

「ほぅ……加減したとはいえ、同時とは」

 

「……」

 

「聖哉の事になると、お前は自分の限界以上の力を発揮できるのだな」

 

 楽しげに言いながら、天魔は刀を椛の首から離す。

 椛も剣を天魔から離し、背中に戻してから……背を向けて入口の扉へと向かって歩き出した。

 

「待て。……聖哉の後を追うつもりか?」

 

「……」

 

「そうなると、お主もあやつと同じ扱いになるが……後悔しないのだな?」

 

 よく考えて行動しろ、言葉の中にそんな意味を込めて天魔はそう言い放つが。

 

 

「――駄目なんです、私」

 椛には、もうこれ以外の選択を選ぶ事はできなくなっていた。

 

 

「私は最低の天狗です。部下を持ち部隊を率いる隊長の一人でありながら……白狼天狗としての責務を持ちながら、それを簡単に捨てようとしている」

 

「……椛」

 

「それでも……先輩の居ない妖怪の山で今までと同じように生きる事は、できないんです」

 

 何度も己自身が問いかけてきた。

 聖哉を追えば、自分も彼と同じく追放扱いになる。

 そんな事はできない、自分には慕ってくれる部下も率いていかなければいけない部隊も、そして何より……山を守る白狼天狗としての責務があった。

 

 こんな選択は間違いだ、背負うものがあるのにそれを投げ出すなどあってはならない。

 ……そう、思っているのに。

 自分の傍に聖哉が居ない、彼と共に生きる事ができないと自覚した瞬間――その全てが吹き飛んだ。

 同時に彼を守れなかった己が、山の同族が、憎いと思ってしまった。

 

「こんな考えを持つ私は山の天狗として失格です。だけど……私はこの感情を、想いから目を背ける事なんてできない」

 

「…………そうか、残念だ」

 

 どこか覇気のない声でそう呟きながら、天魔は椅子に座り込み自身の机の引き出しを開け何かを取り出す。

 それは小さな袋、紫の生地に金細工の刺繍が施された高級感漂うそれと、自らの腰に差している刀を鞘ごと抜き取り、天魔は椛へと投げ放った。

 

「天魔様……?」

 

「退職金代わりじゃ、受け取れ」

 

「……」

 

「その袋の中身はまだ取り出すな。――お前自身の力だけでは突破できぬ問題に直面した時に、開けると良い」

 

「……天魔様、私は」

 

「謝る必要などないぞ椛。――お前はもう山の天狗ではない、好きに生きろ」

 

 それは、明確な決別の言葉であった。

 その言葉を聞いた椛は一瞬だけ表情を歪めた後。

 静かに、天魔に向かって頭を下げ……振り返ることなく、屋敷を後にした……。

 

「………………はぁぁ~」

 

 椛が部屋を出て暫くして。

 肺の空気を全て吐き出すような、重く長い溜息を吐き出しながら天魔は椅子に座り込んだ。

 

「て、天魔様……ほ、本当に良かったんですか?」

 

「言うな姫海棠。もうあの娘は止まらんよ」

 

「強引に止めてしまえば良かったのではないですか? 天魔様的には椛を失うのは惜しいと思っているんですよね?」

 

「当然じゃ。あの娘は白狼天狗ではあるが実力も器もそれを大きく超えておる、いずれは山の重役になれると期待していたが……まあ、仕方あるまい」

 

 言いながらも、天魔の表情は何故か明るい。

 将来有望な天狗を失ったというのに、まるでこうなった事を喜んでいるようにも見え、はたては首を傾げ……文は内心ほくそ笑んだ。

 

「天魔様、あの子に聖哉さんの後を追わせたかったんですよね?」

 

「うむ……それもあるが、聖哉と椛……二人をこれ以上この山に居させてはならぬと思ったものでな」

 

「えっ?」

 

「…………先の件で重鎮達と聖哉の処遇を決める話し合いをした時にな、判った事がある」

 

 そう吐き捨てるように言った天魔の表情には、明確な怒りと誰かに対する呆れと失望が浮かんでいた。

 だが、その表情の意味は想像していたもの以上であったと、二人は次に放たれた天魔の言葉で理解する事になる。

 

「驚いたよ。何せ殆どの者が――聖哉を殺せと言ったのだから(・・・・・・・・・・・・・)

 

「…………は?」

「え、えっ……?」

 

 意味が、わからなかった。

 およそ想像もできぬ言葉を聞き、二人の表情が固まる。

 

「多くの被害を出す原因となった聖哉は許されない、死を以て償えと口を揃えて言いおった……庇ったのは、清十郎だけだったよ」

 

 空いた口が塞がらぬとはこの事か、まさか誰もが口を揃えて聖哉の処刑を望むなど想像もしていなかった。

 そして同時に、自らの認識があまりにも甘かったのだと思い知らされた。

 聖哉が周囲の天狗、特に古い天狗達から不当な評価を受けていたのは知っていたがよもやここまでとは……怒りより先に、その時は驚きと恐れが天魔の中で浮かび上がっていた。

 

「そこでわしは確信したよ。――奴等は、たとえ聖哉がいかなる結果を残そうとも、山の為に生きようとも決して受け入れようとも認めようともしないとな」

 

 掟を破った裏切り者の子、中途半端な天狗。

 そんな過去を持つ者が実力を持つなど認めない、認められるわけがない。

 だから重鎮達は聖哉を常に敵視する、見下し小馬鹿にしている彼がいつか自分達の地位を脅かすと勝手に思い込んでいるのだ。

 彼はただ皆に認められたいだけ、地位も名誉も興味はなくただ純粋に山の天狗として認められたいだけだというのに。

 

「だから追放したのだ。あの子はここに居てはいけない、ここに居ては……あの子の器が腐れ果ててしまう」

 

「……成程、椛の老害発言もあながち間違いではないようですね」

 

「はは……否定などできんよ、そしてわしも……その老害の一匹だろうて」

 

 しかし、ここで聖哉を助けようとすれば山の秩序は終わってしまう。

 単なる言い訳でしかないが、あんな連中でも山の重鎮である以上蔑ろにはできない。

 

「……他に、方法はなかったのですか?」

 

「甘いですよはたて、そんな都合の良い話があると思いますか?」

 

「そうかもしれないけど……私だって、聖哉が頑張ってきた事を知っているから……」

 

「たとえどんなに努力を重ねても結果がこれでは意味ないわ、きっと彼はショックだし納得できないと思うけど……私も、天魔様の選択が間違いだとは思えない」

 

 彼が“妖怪の山の天狗”のままでは、きっといつか破綻する。

 正当に彼を評価し、認め、共に歩める存在の傍に居なくては、天魔の言う通り彼自身の器が腐ってしまうだろう。

 

「ところで天魔様、一輪さん達は?」

 

「あの空飛ぶ船の関係者か? 聖哉と共に山を降りたよ、大天狗達は特に反対せんかった」

 

「まあそうでしょうね。あくまで一番の目的は聖哉さんを貶める事ですから」

 

「……」

 

 はたての表情が険しさを増していく。

 それを宥めながら、文は天魔に一言「それじゃあ、失礼しますねー」と軽い口調で言い放ち部屋を後にした。

 二人に軽く手を振ってそれを見届き、部屋に一人残った天魔は静寂が訪れると同時に。

 

 

 

「――すまぬ、聖哉。すまぬ、椛」

 守る事の出来なかった二人に、悲痛な声で謝罪を零し。

 誰にも見られぬように、瞳から一筋の涙を流した……。

 

 

 

「……」

「ねえ、文……」

 

 天魔の呟きに聞こえないフリをしながら、文は屋敷の外に向かって歩を進めていく。

 そんな彼女に一歩遅れたままついていくはたてが、少し躊躇いがちに話しかけるが、文からの反応はない。

 

「文、本当にこのまま二人を山から追放したままでいいのかな……?」

 

「いいも何も、上が決めた事じゃない」

 

「そ、そうだけど……」

 

「組織に属しているなら上には逆らわない、逆らえばあの二人のようになるのよ?」

 

 そんなの御免だわ、肩を竦め言い放つ文にはたては怒りを覚えた。

 確かに彼女の言う通りだ、だが文にとってもあの二人は大切な友人ではなかったのか。

 一言文句を言おうとして口を開いたはたてであったが……ある事に気づき、口を閉じた。

 

「さあてと……今回の件、新聞のネタにでもしようかしら」

 

 いつもの口調、いつもの態度を見せようとしている文だが。

 はたてには判ってしまった、今の彼女の内側には……マグマのように溢れそうになっている怒りが渦巻いていると。

 少しでも刺激すればそれは溢れ出し、怒りのままに何をしでかすかわからない恐怖が感じられる。

 

「文、アンタ……」

 

「…………大丈夫よはたて、これでも分別は弁えているつもりだから。――だけどね」

 

――私、自分が思っていた以上にあの二人が好きだったみたい。

 

 感情を押し殺し、そう告げる文の表情は恐ろしく冷たくて。

 今の彼女が、自分以上のこの現状に憤怒していると思い知らされた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三日月が、夜の空に浮かんでいる。

 空を覆い尽くすように自生する竹達の隙間から見える月は、今日も淡く美しい光で地上を照らしていた。

 

 迷いの竹林の奥にある屋敷、永遠亭。

 山を追放され、ただの白狼天狗となった青年――犬渡聖哉は、同じく山を追われた一輪達の怪我の治療の為に、緩やかな時を刻むこの屋敷へと赴いていた。

 幸いにも怪我自体はたいした事はなく、永遠亭の医者である永琳と助手である鈴仙の的確な治療で彼女達は治療された。

 それが数刻前の話、向こうの厚意で一泊する事を許された聖哉だったが……皆が眠る中、一向に寝付けず永遠亭の中庭に佇んでいる。

 

「……」

 

 何をするでもなく月を見上げる聖哉。

 その瞳には覇気が無く、儚げな色を醸し出し今にも消えてしまいそうにも見える。

 否、消えてしまいそうではなく……彼はできる事なら、今にも消えてしまいたいと思っていた。

 

(…………俺は)

 

 山の天狗では無くなった、その事実がどうしようもない虚無感を聖哉に与えていく。

 自分なりに努力を重ね、いつか誰にでも認められる天狗になりたいと思っていた生きる意味を、失ってしまった。

 一度追放された天狗が再び山に戻る事は絶対にありえない、それは数千と続く歴史が証明している。

 

(だが、まだ俺にはやるべき事がある……それまでは)

 

 それまでは、認めたくない現実を考えるのはよそう。

 ある種の現実逃避をしながらも、聖哉はじっと空に浮かぶ月を見上げていると。

 

「眠れないのですか?」

 

 ふと、問いかける声が聞こえてきた。

 その方向へと視線を向ける聖哉、そこに居たのは穏やかな笑みを浮かべ自身を見る女性――寅丸星と。

 そんな彼女をいつでも守れるように、隣へと立つナズーリンの姿があった。

 

「ええ……少し」

 

「……私達の、せいですよね」

 

 星の表情が曇る。

 今にも頭を下げ土下座までせんとする雰囲気を出す彼女に、聖哉は否定の意を込めて首を横に振った。

 

「お気になさらないでください。山の天狗であった俺としては上の命令は絶対です」

 

「ですが……私達が貴方と関わらなければ、貴方は……」

 

「過ぎた事です。それに私自身が関わろうとした以上、この結果は甘んじて受け入れなければならないものだと思っております」

 

 彼女達に責はない、それだけは間違いなく断言できる。

 生半可な気持ちで関わろうと思ったわけではないし、今でもこの選択は間違っていないと胸を張れた。

 

「それより、これからどうするのです?」

「……」

 

 言ってから、酷な質問をしたと聖哉は気が付いた。

 ……聖輦船は、聖白蓮の弟を自称する聖命蓮に奪われた。

 もう魔界に行く術は無い、そんな状況でこれからの事など考えられる筈がないのだが。

 

「――私は、いえ……私達はまだ諦めていません」

 星は、瞳に今まで以上の決意の色を浮かばせながら、力強くそう答えた。

 

「寅丸様……」

 

「仮にあの男性が本当に命蓮殿だとしても、聖を任せるわけにはいきません。

 彼の心には……直視できない闇が広がっています、そんな彼と聖を共に居させるわけにはいかないのです」

 

「と、ご主人様はこう言っているんだが……君からも説得してくれないか?」

 

 ナズーリンは諦めてほしいのか、肩を竦めながらそんな事を言ってきた。

 ……だが、聖哉としても諦める事などできないと思っていた。

 

「では傷が癒え次第、すぐに魔界に向かう方法を探しましょう」

 

「えっ……?」

 

「――約束を交わしました。聖白蓮さんを皆と共に魔界から救い出すという約束を。

 その約束を私はまだ果たしていない、だから……私も私のできる限りの力で協力したいと思っています」

 

「聖哉さん……ですが」

 

「私が自分で決めた事です。何より……家族を取り戻したいという願いを、蔑ろにしたくない」

 

 たとえ山の天狗として生きる事ができなくなっても、やらなければならない事は残っている。

 それこそが今の彼の生きる目的、交わした約束を最後まで果たすという犬渡聖哉自身が選択した道だった。

 

「……貴方は、まるで仏のような心を持ち合わせているのですね」

 

「持ち上げ過ぎですよ寅丸様、友の為に力になりたいという感情は誰にだってある筈です。私はただその感情に従うだけ」

 

「星です、敬語も要りません」

 

「では星と、そう呼ばせてもらうよ」

 

 右手を差し出す、聖哉の意図を瞬時に察した星はすぐに笑みを浮かべ彼と握手を交わした。

 ……それを傍らで見ていたナズーリンはわざとらしく大きなため息を吐いたが、特に反対する意思は見せない。

 主人の命ならばという従者の考えなのだろう、尤も彼女自身は反対したいようだが。

 

「諦めないのは結構だけど、ご主人様達は何か策があるっていうのかい?」

 

「それを皆で考えるのですよナズーリン。ねえ? 聖哉さん」

 

「ええ、皆で知恵を出し合えばきっと活路が…………っ」

 

 そこまで言いかけて、突如として視界が歪んだ。

 立ち眩みのようなものに襲われ、聖哉は倒れそうになる足に力を入れる。

 

「聖哉さん?」

 

「……大丈夫、ちょっとクラっと来ただけだ」

 

「疲れているのですよ。猶予があるわけではありませんが、今は身体を万全な状態に戻しましょう」

 

「そう、だな……」

 

 いざ動こうとしてこれでは、笑い話にもなりはしない。

 星の言葉に頷きを返し、聖哉は貸してくれた客間へと足を運ぶ。

 

「…………は、ぁ」

 

 布団に倒れ込むと、すぐに意識が薄れていった。

 想像以上に疲れていたのか、それとも精神的に不安定になっているのか。

 ……きっと後者だな、疑いもせずにそう思いながら目を閉じる。

 

「……椛」

 

 ふと、彼女の顔が聖哉の脳裏に浮かび上がった。

 きっと心配しているだろう、もしかしたら自分の為に泣いているかもしれない。

 

「ごめんな、椛……」

 

 ぽつりと謝罪の言葉を呟いた聖哉であったが、身体は眠る事を欲しているのか。

 目を開ける事も出来ず、そのまま眠りの世界へと落ちていった……。

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